『ヘンゼルとグレーテル』
第一幕 森へ行くことに
昔々のお話です。ドイツの田舎のさらに田舎、そこの端っこの方の小さな家にヘンゼルとグレーテルという仲のいい兄妹がおりました。
お兄さんのヘンゼルはとても妹思い、妹のグレーテルは頭の回転の速い女の子です。二人は森の側にある家にお父さんとお母さんの四人で暮らしていました。
ヘンゼルとグレーテルの家は貧乏なのでお父さんは箒を売るのに忙しく、お母さんも毎日家事に追われて大変です。けれど二人はそんなことは気にすることなく毎日二人で遊んで楽しく暮らしていました。
それは今日も変わりません。二人は家の中で楽しく遊んでいました。
「ズーゼちゃん、可愛いズーゼちゃん」
金色の目に青い目の少し凛々しい男の子が何やら歌っています。吊りバンドの黒いズボンに白いシャツ、木の靴を履いています。彼がお兄さんのヘンゼルです。
「裸足のままでは嫌だよね」
「そう、裸足は嫌」
お兄さんと同じ金色の髪に青い目の可愛らしい女の子、赤いスカートに上着の女の子、彼女がグレーテルです。二人は楽しく歌を歌っています。
「靴がないのは困ったこと」
「靴型がないと靴屋さんも何も出来ないわ」
「だからズーゼちゃんは裸足のまま」
「そんなのは嫌だわ」
「けれど僕達には今は何もない」
「困ったわ」
歌は何時の間にか自分達の方にかかっています。
「おやつも何もなし」
「砂糖のたっぷり入ったお菓子なんてもうどれだけ食べていないのか」
「お腹ペコペコ」
「歌でも歌わないとやっていけないよ」
ヘンゼルはそう言って床の上にへたり込んでしまいました。
「本当に。何かないかな」
「森に行けば果物があるわよ」
「森に!?」
「ええ。野苺が一杯」
「それはいいね」
ヘンゼルは野苺の甘さを思い出して口から涎を出さんばかりです。
「最近ずっとパンとほんのちょっとのシチューだけだもんね」
「そうよ。お野菜にベーコンが申し訳程度に入ったシチュー」
「あんなのじゃお腹が膨れないよ」
「そうよ。たまには山みたいなお菓子が食べたいわ」
「そうそう。ケーキもタルトも」
言っていると涎が出てきます。
「ずっと食べていないわよね」
「食べたいよな」
「うん」
グレーテルはお兄さんの言葉に頷きました。
「お母さんが言ってたよね」
「何をだい?」
「あれっ、学校の先生だったかな」
どうもその辺りの記憶はあやふやなようです。グレーテルは首を捻りながら思い出していました。
「おら、聖書の」
「何だったっけ」
「あの言葉よ」
「ええと」
どうやら学校のお勉強はグレーテルの方がいいようです。
「その苦しみの最も大いなる時に神は御業を差し伸べ給うって」
「そんな言葉もあったっけ」
「あったわよ。だから」
「卵ケーキでも振ってきたらね、それで」
「バターロールも」
そう言った途端に二人のお腹がギュルルと鳴りました。
「ずっと食べてないよ、どちらも」
「どんな味がしたのかしら」
「甘くてとても美味しいのは覚えているけれど」
「食べてないと。忘れるんだね」
「ええ」
「どうしよう」
ヘンゼルは妹に顔を向けて尋ねてきました。
「どうするって?」
グレーテルはそのふっくらとした赤みがかった頬の顔をお兄さんに向けました。
「お腹が空いたのは」
「どうしようもないわ」
「けれどさ、どうにかしないと晩御飯までもたないよ」
「おやつなんかないかな」
「おやつ」
妹はそれを聞いて考え込みました。
「お外に出て何か探す?」
「何を?」
「野苺か。それとも山羊さんのミルクを飲ませてもらうとか」
「ミルク」
ミルクと聞いたヘンゼルの顔がピョコンを上がりました。
「そうだよ、ミルクだよ」
そしてグレーテルに対して言います。
「ミルクがあったよ、グレーテル」
「何処に!?」
「ほら、そこにさ」
そう言って台所の片隅を指差します。
「そこにあるじゃないか」
「あれ!?」
「そう、あれだよ」
そこには一つ大きな壺がありました。そこにミルクが入っているのです。
「あのミルクをちょっと頂こうよ」
「駄目よ、兄さん」
けれどグレーテルはそんなお兄さんを止めました。
「あれは。大切なミルクなのよ」
「そうなの?」
「もうあれだけしかないから。お母さんが帰ったらミルクでお粥を作るって言ってたわ」
「ミルクのお粥!?」
ヘンゼルはそれを聞いて顔を輝かさせました。ヨーロッパで粥と言えばオートミールです。大麦を粥と同じように炊くのです。そこにミルクを入れて見事完成です。とても美味しいのですよ。
「そうよ、ミルクのお粥」
「いいよなあ、僕あれ大好きなんだ」
「私もよ」
食べ易くて甘みもあるのです。すきっ腹にも丁度いい。お粥は実にいい食べ物です。
「だから飲んだら駄目よ」
「そうだね。けどさ」
「何!?」
「中を見るだけならいいだろう?一滴も飲まないからさ」
「それならいいんじゃないかしら」
「それじゃ」
彼はそれを受けてミルクの壺を覗きました。するとそこにはクリームが浮いていました。
「グレーテル」
ヘンゼルはそれを見てすぐにグレーテルに声をかけます。
「見てみなよ、クリームが浮いているよ」
「駄目よ、食べたら」
妹はまずは悪いお兄さんを注意しました。
「それを食べたらお母さんカンカンよ」
「カンカンかあ」
「そうよ。だから離れて」
お兄さんに対して言います。
「今は我慢しましょう」
「けれどなあ」
まだ壺を覗いています。諦められないのですね。
「とても美味しそうだよ」
「それでも駄目よ」
妹は厳しいです。やっぱりしっかりしています。
「夜まで待ちましょう」
「夜までまだまだあるのに」
「じゃあ遊びましょうよ」
「何をして?」
「踊るとか」
ヘンゼルは何気なしにこう提案しました。
「踊るの?」
「そうよ。それでお腹が空くのを忘れましょうよ」
「けれど踊ったら余計にお腹が空くよ」
「それはそうだけれど」
しかしつまみ食いをするよりはましだということです。
「それでも今は踊りましょうよ」
「どうしても?」
「ええ」
グレーテルは言いました。
「ほら、こうやって」
早速足をトントンとステップさせます。
「こうしてね」
次に手をパチパチと叩きます。
「こうして回って。これでどうかしら」
「こんな感じかな」
ヘンゼルは壺から顔を離して今の妹の動きを真似しはじめました。
「まずは足を」
「そうそう」
「そして次は手を」
「そうよ、いいわ」
「で、こうやって回って。こうなんだね」
「上手いじゃない」
「へへっ、どんなもんだい」
胸を威張って言います。如何にもお兄さんといった態度です。
「じゃあ次はね」
「まだあるの」
「踊りはね、色々あるから踊りじゃない」
「それはそうだけど」
まだ覚えなくてはならないことがあるのかと内心閉口してしまいましたが口には出しません。
「まずは首を」
左右にコックリコックリと動かします。手は腰に置いています。
「で、手の指を」
次は手の指を動かしはじめます。
「こうやってね」
「こうやって?」
「そうよ、難しくないでしょ」
「うん、まあね」
妹に上手く合わせています。
「それで手を組んで」
「うん」
兄と妹は肘で腕を組みます。互いに反対の方を見ています。
「それで回ってね」
「一人じゃ出来ない踊りなんだね」
「そうよ」
妹は笑顔で頷きます。
「二人いないと駄目な踊りなのよ、これは」
「何かいい踊りだね、僕寂しいのは嫌いだから」
「私もよ」
それはグレーテルも同じです。二人はとっても寂しがり屋さんなのです。
「楽しいのが好き。いつも楽しくしていたいから」
「けれど二人ぼっちじゃ寂しいな」
「私じゃ嫌なの?」
「もっと大勢いないの?もっとさ」
「お父さんとお母さんが帰って来るわ」
「いや、もっとだよ」
ヘンゼルは言います。
「大勢で騒ぎたいの?」
「そうさ、もっと大勢でさ」
「贅沢ね、兄さんは」
「だってさ、学校から帰っても何もすることはないんだから」
「宿題は?」
「そんなのとっくにやったよ」
学校から帰ったらすぐに済ませるのです。これはグレーテルも同じだったりします。
「お家の掃除も終わったわよね」
「箒も作っただろ。何もすることないよ」
「だから踊っているけれど」
「御前と二人だけじゃ飽きるよ」
少しずつそう思ってきているのです。
「そんなこと言わないで」
「踊れって言いたいのかい?」
「何もしないでつまみ食いするよりはいいでしょ」
「それはそうだけど」
言われてふとミルクのことを思い出します。そして妹に顔を向けます。
「なあグレーテル」
「何?」
「ほんのちょっとならわからないよ」
「何がよ」
「クリームさ」
「だからそれは駄目よ」
妹はまた兄を叱りました。
「あれでお粥作ってもらうってさっき言ったじゃない」
「けれどさ」
だが食欲には勝てません。育ち盛りだからです。
「ほんのちょっとだよ」
「ほんのちょっと?」
「そうさ」
妹の困ったような顔を見て兄はもうすぐだと思いまhした。そう、もうすぐです。
「指に少しだけならわからないよ」
そして自分の人差し指を妹に見せて言います。
「それだけならいいだろう?」
「見つかったって知らないわよ」
「ばれやしないって。そんなに言うんなら御前だってどうだい?」
「ほんの少し?」
「そう、ほんの少し」
妹も引き込むことにしたのです。こっそりと彼女も引き込みます。
「それだけだったらいいじゃないか」
「そうね」
結局グレーテルもそれに賛成してしまいました。実は彼女も腹ペコだったのです。空腹は何者よりも手強い悪魔です。特に子供にとっては。
「じゃあ一口」
まずは兄が口に入れる。
「私も」
次に妹が。次第に一口だけでなくもう一口、また一口となっていきます。クリームをあらかた舐めたその時でした。
「只今」
お母さんが家に帰ってきました。痩せて目が大きく、黒い髪を後ろで束ねています。服もくたびれよれよれでそれが一層疲れた様子を見せています。
「えっ」
「あっ」
ヘンゼルとグレーテルはギョッとしてお母さんを見ます。その口の周りには。
「あんた達」
お母さんは二人の様子を見て見る見るうちに顔を真っ赤にさせていきます。
「一体何をしてるのよ!」
「あっ、これは」
「その」
「そのミルクは駄目だって言ってたでしょ!どうしてわからないの!」
お母さんはカンカンになって二人を叱りはじめました。
「それでミルクのお粥を作るのよ!それなのに」
「舐めたのはクリームだけだよ」
「そうそう」
二人は必死に言い訳をします。けれどお母さんは聞きません」
「そんな問題じゃないのよ!それがどんなに大切なのかわかってないのね!」
その手に箒を握って二人に襲い掛かります。
「この悪ガキ共!もう許さないから!」
「うわっ!」
「お母さん許してよ!」
「悪い子は許さないよ!そこで大人しくするんだよ!」
折檻をするつもりでした。ところが。
二人が箒を慌てて避けるとそこにはミルクの壺が。箒は見事ミルクの壺を叩き割ってしまいました。
「ああっ!」
「ミルクの壺が」
「何てこと」
これには二人も言葉がありません。割ったお母さんはもう呆然としています。
「ミルクが・・・・・・」
「どうしましょう」
「どうすればいいのよ、これから」
お母さんはその壊れてしまった壺を見て途方に暮れています。
「ミルクがないと今晩は何もないのよ」
「何も!?」
「そうよ。折角お粥を作ろうと思ったのに。それがないと」
「あのお母さん」
ヘンゼルが恐る恐る声をかけます。グレーテルがその側に寄っています。
「だったら僕達」
「何を食べたら」
「あんた達の食べ物なんか何処にもないわよ!」
「えっ!?」
「嘘っ!?」
「嘘じゃないわよ!もう家には何もないの!」
かなりヒステリーになっています。無理もありません。
「じゃあ僕達このまま餓え死に!?」
「そんなの嫌よ!」
「嫌だっていうのなら森にお行き!」
お母さんはあまり何も考えずに、怒りに任せて言いました。森に何がいるのかよく知らなかったのである。
「それで野苺でも採って来るんだね!それが夕食だよ!」
「う、うん!」
「わかったわお母さん!」
二人は慌てて壁にかけてある籠を手に取って頷きました。
「その籠を一杯にしてくるまで家に入れないからね!わかったわね!」
「はあ〜〜〜〜〜い!」
「それじゃあ行って来ます!」
二人は逃げるように家を飛び出します。こうして家にはお母さんだけになりました。
お母さんは壁にかけてあるモップでミルクを拭き壺の欠片を箒で掃除します。それが終わって疲れ果てた顔でテーブルにへたれ込みました。
「もうこれで本当に何もないのね」
言ったところでどうにかなるわけではありませんが言わずにいられませんでした。
「ミルクも。パンもあと少し」
だからお粥にしようとしたのです。お粥は量を誤魔化すのにもいいのですから。
「何もないなんて。これからどうなるのよ」
お母さんはさらに暗い気持ちになっていきます。
「これからはお水だけなのかしら。そんなのじゃ」
「やったぞ、やったぞ母さん!」
「!?」
そこで家の外から大人の男の人の声が聞こえてきました。
「財布には大きな穴があって胃にはもっと大きな穴がある貧乏人だが今日は福の神が味方してくれたぞ!」
「あの声は」
「ランラララーーーーン、ランラララーーーン」
お父さんの声です。声は次第に家に近付いてきます。
「けれど腹ペコが一番の料理人!食べる直前は特にな!」
「何があったのかしら、こんな時に」
そんな明るい声を聞いてもお母さんは暗いままです。
「もう何もないのね」
「只今、母さん!」
茶色の髪に黒い目の人なつっこい顔の男の人が家に入って来ました。お父さんです。
「今日は凄いぞ!」
「一杯引っ掛けてきたお?」
「わかるかい?」
「わかるわよ、その様子見たら」
見ればお父さんの顔は見事に真っ赤です。そして実に機嫌のいい顔をしています。
「いいことがあったのね」
「ああ、売れたよ」
「箒が?」
「たんまりとな。ほら」
お父さんは家の外から大きな籠を引き摺って来ました。お母さんはその中にあるものを見て驚いて席を立ってしまいました。お母さんはそれ程までに驚いたのです。
「あら」
「どうだい、凄いだろう」
お父さんは籠の中のものを見せて得意げになっています。
「ベーコンにバターに」
「そら豆に玉葱」
お父さんは籠の中のものを手に取ってお母さんに見せます。
「ソーセージにパン、それにコーヒーまで」
「ジャガイモにパンもな」
「凄いわ、これだけのジャガイモがあると」
お母さんの機嫌も疲れも元に戻っていました。とりわけジャガイモを見て嬉しそうです。ドイツではジャガイモが本当に人気があります。ドイツ人は毎日パンと同じ位ジャガイモを食べているのです。
「これだけあれば当分大丈夫だよな」
「大丈夫なんてものじゃないわ」
お母さんはもうすっかり元気になっていました。
「今夜は御馳走よ」
「御馳走か」
「子供達にもたっぷりと食べさせあげられるわ。けど」
「けど。何だい?」
「どうしらの、こんなに一杯」
お母さんはそれに首を傾げました。
「箒が一杯売れたの?」
「そうさ、領主様のところでお祭りでね」
「へえ」
「それでたんまりと売れたんだよ。おかげでこの有様さ」
「そう、お祭り様々ね」
「そうさ、じゃあ今夜は何を作ってくれるんだい?」
お父さんはテーブルに着きました。上機嫌でビールの匂いの息を吐きながらお母さんに尋ねます。
「卵を使って何かしようかしら」
「いいな、それは」
「ジャガイモを茹でて」
「ふんふん」
「それにバターをたっぷりとつけてね」
「最高じゃないか、それは」
ジャガイモにバターをつけて食べると本当に美味しいです。一度食べると止められません。お父さんもそれを聞いただけで涎を垂らしています。
「ベーコンでスープを作って玉葱を入れて」
「あったかいスープをな」
「後は子供達が野苺か何かを持って帰るわ」
「そういえば」
お父さんはそれを聞いてふと気付きました。
「ヘンゼルとグレーテルは何処なんだい?」
「悪さをしたんで追い出したのよ」
お母さんはそう言いました。
「悪さをかい」
「そうよ。ミルクの上のクリームを舐めていたのよ」
「何だ、そんなことか」
食べ物が一杯の今お父さんにとってはそれは大したことには思えませんでした。
「そんなことならいいじゃないか」
「それで箒で折檻しようとしたら」
「また極端だな」
「今思えばそうだけど」
お母さんもお母さんで腹ペコでそのうえ疲れていて気が立っていたのです。それでついついカッとなってしまったのです。人間誰しもこんな時があります。
「それでその箒で」
「壺をミルクごとってわけだな」
「ええ」
「まあ仕方ないな」
お父さんはおおらかにそれを許しました。
「つまみ食いでそんなに怒ることもないさ。それにミルクったって貰ったものじゃないか」
「ええ」
実はあのミルクは村の人からのおすそ分けでした。それも結構日にちが経っていたのである。
「壺だってどのみちそろそろ駄目になってきていたし」
「買い換えればいいわね」
「そうさ、お金も今はあるしな」
お父さんは財布も取り出しました。
「これだけ買ってもまだこれだけあるんだ。本当によく売れたよ」
「凄いわね、子供達にもお菓子を買ってあげられるわ」
「そうさ、たんまりとな」
「そうね、たんまりと」
「それでだ」
お父さんはここでお母さんに尋ねました。
「その子供達は何処に行ったんだい?」
「森に」
お母さんは答えました。
「多分イルゼ岩の方よ」
「何だって!?イルゼ岩だって!?」
お父さんはそれを聞いて突然驚きの声をあげました。
「ええ、そうだけど」
お母さんは何気なくそれに答えました。
「もうすぐ暗くなる、大変なことになるぞ」
「大変なことって」
お母さんはお父さんが突然落ち着きをなくしたのを見て首を傾げさせています。
「何があるのよ、あそこに」
「魔女だよ」
お父さんは答えました。
「魔女!?」
「知らないのか!?あの辺りには魔女がいるんだよ。恐ろしい魔女が」
「まさか」
お母さんは笑ってそれを否定しようとします。
「そんな筈ないじゃない」
「いや、本当だ。あそこの魔女はとんでもない奴でな」
「何をするの?」
「子供を食べるんだよ」
「ええっ!?子供を!?」
それを聞いたら流石にお母さんも驚いてしまいました。若しかするとヘンゼルとグレーテルが。それを考えただけで気が動転してしまいます。
「そうさ、お菓子に変えてな」
「お菓子に」
「あの魔女は凄い年老いた魔女でな、真夜中皆が寝静まった時に箒で空を飛んでいるらしい」
「箒で」
「獲物を探しているんだよ。山を越え、裂け目を越え、谷を越え、淵を越えて」
そう妻に言います。
「行けない場所はないのね」
「だから魔女なんだよ。獲物を探して何処までも。そのうえ」
「そのうえ?」
「罠まで張っているらしい。森の奥にお菓子の家を作ってな」
「お菓子の家」
それを聞いても今一つわかりませんがそこにまた一言。
「そうさ、チョコレートやクッキー、飴にケーキで作った家をな。それで子供達を誘い出すんだ。そして」
「そして!?」
「お菓子の家に誘われた子供達をお菓子に変えて。食べてしまうんだ」
「大変じゃない、それって!」
「だから言ってるんだよ、大変なんだよ!」
お母さんはやっと事態を飲み込みました。お父さんも言います。
「何とかしないと。子供達が」
「どうしましょう」
「イルゼ岩の辺りなんだな」
「ええ」
夫の言葉に頷きます。
「すぐに行こう。さもないと取り返しのつかないことになる」
「子供達がお菓子に変えられて」
「魔女に食べられてしまう」
「そんなことになったら私生きてはいられないわ」
「だからだよ。すぐに行くぞ」
「ええ」
お父さんとお母さんは慌てて家を出て子供達を追いかけに行きました。けれど二人はそんなことを知る由もなく森の中で野苺を摘んでいました。
「ねえグレーテル」
ヘンゼルが側にしゃがんでいるグレーテルに声をかけます。二人は暗くなってきた森の中で二人しゃがんで野苺を摘んでいるのです。
「そっちはどう?」
「かなり集まったわ」
グレーテルはお兄さんの方を振り向いて答えました。
「これだけあったら大丈夫よね」
「そうだね」
見れば籠にはもう野苺が一杯で溢れんばかりです。真っ赤な野苺が暗くなってきた森の中で赤く光っているように見えます。
「あとこんなのを作ったわ」
グレーテルはその手にあるのを見せました。
「それは」
「冠よ」
見れば白い花と茎で作った冠です。白と緑で凄く奇麗です。
「これ、あげるわ」
「いいよ、そんなの」
けれどヘンゼルはそれを断りました。
「どうして?」
「それは女の子が着けるものだよ。男の子は着けたりしないよ」
「そうなの」
「そうさ」
ヘンゼルは男の子としてグレーテルにこう言いました。
「じゃあ私が着けていい?」
「ああ、いいよ」
ヘンゼルはそれに頷きました。グレーテルはそれに従い冠を頭に被ります。
「どうかしら」
「よく似合ってるよ」
「本当に!?」
「ああ。まるで森の女王様だよ」
「そうなの、よかった」
そう言われてついつい顔に笑みが浮かびます。
「苦労して作った介があったわ」
「そして森の女王様にプレゼント」
ヘンゼルは妹に側に置いてあった花束を差し出しました。グレーテルの冠と同じく森の花で作った花束です。
「まあ」
「これでもっと女王様らしくなったね」
「有り難う。けど」
「お腹は満腹にはならないね」
「女王様も食べないとどうしようもないわ」
「それじゃあ」
二人の目は自然と野苺に向かいました。
「食べないか?」
「けどそれは」
お母さんに夕食にするように言われていたものです。けれどもう二人は空腹に耐えられなくなっていました。
「いいじゃないか、また集めれば」
「そうね」
今度はグレーテルも我慢できませんでした。お兄さんの言葉にこくりと頷きます。
「食べよう、野苺はまだ森に一杯あるし」
「ええ」
まずは一粒取りました。そして口に入れます。
また一粒。そしてまた一粒。とてもお腹が空いている二人はムシャムシャと食べはじめます。
「美味しいね」
「うん」
どんどん食べて、遂に野苺はなくなってしまいました。二人もお腹一杯になってしまいました。
「美味しかったね」
「ええ」
二人は笑顔で頷き合います。
「けれど」
しかしここでヘンゼルは辺りに気付きました。
「もう、真っ暗だよ」
「そうね。どうしようかしら」
「帰ろうか」
「けれど。道も真っ暗でわかりはしないわよ」
グレーテルが言います。
「どうすればいいかしら」
「怖いのかい?」
「ええ」
お兄さんの言葉に素直に頷きます。
「ここにいるのも帰るのも。どうしたらいいの?」
森には熊や狼がいるのです。そうした獣達のこと、そして化け物のことを思うと怖くて仕方がなかったのです。グレーテルは震えていました。
「道、わかる?」
「いいや」
ヘンゼルは首を横に振りました。
「夜だから。目印もないし」
「じゃあここで一晩過ごすの?」
「それしかないみたいだね」
「そんな」
グレーテルはそれを聞いて顔を真っ青にさせました。
「それじゃあ」
「!?」
ヘンゼルはここであるものに気付きました。
「あれは」
「お化け!?」
「いや、違ったよ。白樺の木だった」
「驚かさないでよ」
お兄さんに口を尖らせて抗議します。
「いや、あっちの柳の根っこには」
「何があるのよ」
「何か光って見えたよ。あっちには不思議な顔が」
「止めてよ、もう」
たまりかねて言う。
「そんなこと言われたら」
「鬼火・・・・・・じゃないよな」
「だから止めてって」
「だから止めてって」
グレーテルの声が木霊になって返って来ました。しかし怯えている彼女にはそうは聞こえません。化け物の声に聞こえたのです。
「化け物!?」
顔が今度は真っ白になりました。
「違うって、木霊だよ」
ヘンゼルは怯える妹を抱いて言いました。
「あれは木霊だって」
「そうなの」
「そうさ、落ち着けよ」
「うん」
こくりと頷きます。顔色が白から青に戻りました。
「それなら。あれっ!?」
ここで霧が出て来ました。白い、薄い霧です。
「この霧って」
「グレーテル、僕の後ろに隠れて」
「う、うん」
グレーテルは咄嗟にお兄さんの後ろに隠れます。お兄さんは妹を護ろうとしています。
「本当に化け物が!?」
「安心して、子供達」
けれどそこに出て来たのは化け物ではありませんでした。穏やかな顔をした黄金色の髪を持つ美しい女性でした。優しげ笑みを二人に向けています。
「私は化け物ではありませんよ」
「じゃあ幽霊!?」
「悪魔!?」
「幽霊でも悪魔でもありません」
「じゃあ何なの!?」
「あなたは。誰なの!?」
「私は妖精です」
二人に言います。
「眠りの精。子供達を安らかな眠りにつけるのが私の仕事なのです」
「それが仕事」
「はい」
眠りの精は優しい、澄んだ声で答えます。
「小さい子供達の為に私はいるのです」
「私達の為に」
「だから。安心して」
ゆっくりと手を掲げます。
「この霧はあなたたちの為に」
「私達の為に」
「あるのですから。怖がることはないのですよ」
「それじゃあ」
「はい」
こくりと頷きます。
「この霧の中で安らかに眠りなさい。そうすればあなた達は夢の世界に」
「けれど」
それでもまだグレーテルは怯えていました。優しい精霊を見てもまだ震えは残っていました。
「寝ている時に何かが来たら」
「狼なんか来たら僕達食べられちゃうよ」
ヘンゼルもそれは心配していました。だから言うのです。
「空にはお星様があります」
眠りの精は心配するそんな二人に対して言いました。
「そこにいる天使達があなた達を護ってくれるのです」
「そうなんですか!?」
「天使様達が」
「そうです」
眠りの精はまた頷きました。
「楽しい夢を届けながら。だから」
「このまま寝ていいのね」
「そうです。このまま」
眠りの精は本当に優しい声で二人に言うのです。今度はその天使達について言いました。
「二人はあなた達の頭に、二人は足、二人は右、そしてまた二人は左」
天使達は大勢いるようです。
「二人は上で、二人は側で。そして最後の二人は夢の世界まで。あなた達を護ってくれるのです」
「そんなに大勢の天使様が」
「私達を」
「ですから。安心して眠りなさい」
「はい」
「そして次の日に」
二人はもう眠ろうとしています。その場に崩れ落ちてすやすやと。眠りの精はそんな二人になおも言っていました。
「あなた達は親と喜びのうちに再会するでしょう」
二人はそのまま眠ってしまい、眠りの精が優しい顔で見守っています。その二人のうえに天使達が舞い降ります。そして二人を護って舞を舞うのでした。
今回のお話は有名な童話から。
美姫 「眠ってしまった二人はこれからどうなるの」
どうなるのかな。次回を待つしかあるまい。
美姫 「次回を待ってますね」
ではでは。