『友人フリッツ』
第三幕 美しい心の光
あの屋敷のダイニングルームで。フリッツは一人物思いに耽って座っていた。
「しまったな」
まずは項垂れてこう呟いた。
「あの娘に会えなかったよ」
こう呟くのである。
「せめてもう一度会いたかった。それに」
考えたところで気付いたのである。
「別れの言葉も言っていなかったな」
このことにも気付いたのだ。
「しまったな、迂闊なことをしたよ」
悔やむことしきりであった。そうして悔やんでいるとであった。やがてペッペが部屋にやって来た。そうしてそのうえで彼に対して言ってきたのであった。
「こんにちは」
「ああ、こんにちは」
まずは挨拶からであった。
「今日も元気そうだね」
「はい、フリッツさんはそうではないみたいですね」
「そう見えるかい?」
こうは返せても微笑みは寂しいものだった。
「そういったふうに」
「はい、見えます」
彼の顔を見ながら答えるペッペであった。
「とても」
「まあそうかも知れないね」
それを隠せなかったフリッツだった。
「やっぱりね。どうしてもね」
「そうですか」
「うん」
座ったまま俯いている彼だった。その彼に対してだ。ペッペはこう言ってきたのであった。
「歌いましょうか」
「いや、それはいいよ」
彼女のその申し出はやんわりと断るのだった。
「それはね」
「そうですか」
「それでだけれど」
ここでフリッツはそのペッペに対して問うた。
「ねえペッペ」
「はい」
「聞きたいことがあるんだけれど」
こう言ってからであった。
「少しいいかな」
「何ですか?」
「君も恋をしたことがあるのかな」
このことを彼女に対して問うのだった。
「君は。どうかな」
「はい、ありますよ」
にこりと笑ってその問いに答えるペッペであった。
「というか今もです」
「しているのかい」
「恋はいいものですよ」
明るい声での言葉だった。
「人は恋をしてこそですよ」
「そうなのか。そこまでかい」
「はい、だからですね」
さらに言うペッペであった。
「人は是非恋をするものです」
「是非にかい」
「フリッツさんは恋はされないのですね」
「いや」
今までだとすぐに答えることができた。しかしであった。今はそれはとてもできなかった。彼は明らかに今の自分自身に対して戸惑いを覚えていた。
「それはだけれど」
「それは?」
「何でもないよ」
首を横に振って誤魔化したのだった。
「何でもないから」
「そうなのですか」
「いや、答えてくれて有り難う」
言いながらであった。前にあった林檎を二つ取ってから立ち上がってペッペに手渡す。そのうえでこうも言うのであった。
「これはだけれど」
「これは?」
「質問に答えてくれた御礼だよ」
それだというのである。
「だから受け取っておいて」
「御礼ですか」
「うん、有り難う」
ここでまた礼を述べる彼だった。
「それじゃあね」
「はい、有り難うございます」
ペッペもにこやかに笑って言葉を返す。
「それでは」
「またね」
ペッペは一礼してからそのうえで部屋を後にした。部屋に残ったのはフリッツだけであった。彼は一人になるとまた言うのだった。
「愛は美しい心の光」
この言葉を出したのである。
「誰が言った言葉だったかな。これは」
窓を見る。そこには青い空が広がっておりその下には緑の農園や果樹園がある。それに草原も。そうしたものが何処までも広がっている。
「そしてその愛は」
青と緑を見続けながらの言葉である。
「まさか」
ここで、であった。
あの顔が思い浮かんだのだ。このことに自分でも驚く。
「そんな筈がない」
それを否定しようとした。
「そんなことは有り得ない。どうして僕が」
戸惑いながら呟き続ける。
「あの娘のことを。そんな訳がない」
否定しようとする。だがそれはできなかった。
「だとすると」
そして観念したように呟くのだった。
「愛は命というから。僕は彼女に」
気付いて驚きを隠せない。その彼のところにまた人がやって来た。それは。
「ダヴィッド」
「やあ、フリッツ」
彼は真面目な顔でやって来たのであった。
「話を聞いたんだがね」
「話を?」
「うん、スーゼルのことだけれど」
「スーゼルの!?」
自然と言葉が出てしまった。
「あの娘がどうしたんだい!?」
「どうしたんだいって」
フリッツのぎょっとした言葉と顔に内心したりと思いながらも驚いてみせたのであった。
「だから。この前言ったけれど」
「結婚のことかい」
「そうだよ。それが決まったんだよ」
それを聞いたフリッツの顔は。このうえなくおどろいたものになった。そうしてそのうえで何もかもが割れてしまいそうな顔にもなった。
「相手はね」
「相手は!?」
「若いお金持ちなんだけれど」
「駄目だっ」
思わず出てしまった今の言葉であった。
「それは駄目だ、絶対に駄目だ」
「駄目だって」
「僕は認められない」
彼の声はムキになっていた。
「それは絶対に」
「絶対にかい」
「あっ、いや」
ここで自分の言葉に気付いた彼だった。言ってしまってからしまった、という顔になる。しかし言ってしまった言葉は元に戻らなかった。
それでいたたまれなくなって部屋を後にしようとする。ダヴィッドはその彼を呼び止めた。
「待ってくれよ」
「何だい?」
「このまま何処に行くんだい?」
「少し気持ちを落ち着けて来る」
こう言うのだった。
「少しね」
「外に出るのかい?」
「馬にでも乗って来る」
そうするというのである。
「ちょっとね」
「何かよくわからないけれど大丈夫だね」
「そうだよ、大丈夫だよ」
気持ちは焦っていてもである。
「だから安心していてくれ」
「わかったよ。それじゃあ」
「うん、少ししたら戻るよ」
こうやり取りをして部屋を出る彼だった。その入れ替わりに籠に多くの様々な種類の果物を入れたスーゼルがやって来たのであった。
「あの」
「ああ、スーゼルさん。来たんだ」
「フリッツさんは」
おずおずとした声でダヴィッドに問うのだった。
「何処に」
「今はいないよ」
肩を少しだけ竦めさせての言葉であった。
「ちょっとね。馬に乗って来るそうでね」
「馬にですか」
「うん、馬にね」
このことを彼女にも話すのだった。
「だから今はね」
「じゃあ私はこれで」
「ああ、それはいいよ」
帰ろうとする彼女を押し止めた。
「少ししたら帰るそうだから」
「そうですか」
「だから待っていてくれないから」
穏やかな声で彼女に告げる。
「今はね」
「わかりました」
彼のその言葉を受けるのだった。
「じゃあ今は」
「さて、それでだけれど」
スーゼルを呼び止めてから言う彼だった。
「私はこれで」
「どちらへ?」
「私も少し用があってね」
微笑んでの言葉であった。
「それでね。少しこの場を後にするよ」
「そうなのですか」
「もう少ししたらフリッツが帰って来るから」
このことを言い加えるのだった。
「だから待っていればいいよ」
「はい、わかりました」
ダヴィッドの今の言葉に頷くスーゼルだった。そうしてダヴィッドを見送ってそのうえで彼を待つことにした。果物が入った籠を持ちながら。
暫く俯いて儚げに待っていた。しかしふと。
思いのままに言葉が出て来たのであった。
「あの人がいないと」
こう言うのである。
「私には涙と苦しみしか残っていない。あの人がいてくれないと」
こう呟いた後も項垂れて立ったままでいると。フリッツが部屋に戻って来た。
「あっ、フロイライン」
「フリッツさん」
「聞きたいことがあるけれど」
挨拶より先にこの言葉を告げたのだった。
「いいかな」
「何ですか?一体」
「結婚するというのは本当かい?」
このことをである。
「それは本当なのかい?」
「結婚ですか?」
今の言葉にはっとした顔になるスーゼルだった。
「私がですか」
「違うのかい?」
「いえ、それは」
目をしばたかせながら彼に言葉を返す。フリッツの顔を見るととても冗談を言っている顔ではないのでそれが余計に気になった。
「どなたからそのお話を?」
「そうか、違うのか」
ところが彼はここで自己完結してしまった。ほっと胸を撫で下ろしたのである。
「それは何よりだよ」
「何よりですか」
「うん、全く」
そのほっとした顔でさらに言うフリッツだった。
「よかったよ。それでだけれど」
「はい」
「君に言いたいことがあるんだ」
真剣な顔に戻って彼女に告げてきた。
「いいかな、それは」
「私にですか」
「そう、告げたい」
向かい合っているスーゼルに対する言葉であった。それは。
「僕は君を」
「私を?」
「愛しているんだ」
この言葉を告げたのであった。
「君をね」
「そうですか。私をですか」
「いいかな」
あらためてスーゼルに告げた。
「僕が君を愛しても」
「それを拒める人はこの世にはいません」
これがスーゼルの返答だった。
「特に私は」
「君は」
「はい、私は」
スーゼルの顔が上気していた。顔が紅に染まっていく。その中での言葉だった。
「私もまた」
「君も?」
「フリッツさん」
彼を見ての言葉である。
「私は貴方を愛しています」
「夢ではないんだね」
このことをまず確かめずにはいられなかった。
「今の君の言葉は」
「どうして嘘なぞ言えるのですか?」
これがスーゼルの返答だった。
「私がどうして」
「それじゃあ本当に」
「はい」
その紅に染まった顔で頷いたのだった。
「私もまた御聞きしたいのです」
「何を?」
「私のこの愛も受けて頂けるでしょうか」
こう問うのだった。
「フリッツさんはこの私の愛を」
「どうして受けずにいられるんだい?」
フリッツの返答も同じであった。
「僕が君のその言葉を」
「それでは」
「うん」
あらためてこくりと頷いてみせたのだった。
「御願いするよ、僕からもね」
「有り難うございます」
今にも泣きそうな顔で応えるスーゼルだった。
「では私達はこれから」
「うん、愛し合うことができるんだ」
見詰め合いながらの言葉であった。
「これで晴れてね」
「何という幸せ」
スーゼルは泣いていた。歓喜の涙である。
「私にとってこれは」
「僕もだよ」
フリッツは泣いてはいなかった。しかし喜びに包まれているのは同じであった。その喜びの中で彼女に対して言うのであった。
「こんな喜びはない、今までなかったことだ」
「全くです。それでは」
「うん」
二人は見詰め合ってそのうえで頷き合った。
「このままずっと」
「二人で」
静かに抱き合った。その時だった。
「おお、遂にだね」
「ダヴィッド」
「戻って来られたんですか」
「うん、そうだよ」
笑顔でこう告げるダヴィッドだった。それは二人に対してである。
その後ろにいるのは皆だった。使用人達までいる。
「用事が終わってね」
「その用事とはまさか」
「その通り」
スーゼルの察しに応えての言葉である。
「二人を祝いに皆を呼んでいたんだ」
「やあフリッツ」
「そしてスーゼルさん」
フェデリーコとハネゾーが陽気に二人に声をかけてきた。
「おめでとう」
「いいことになったね」
「うん」
幸せに満ちた声で二人の言葉に頷くフリッツだった。
「全くだよ。おかげでね」
「さて、それでだけれど」
ここでまたフリッツに言ってきたダヴィッドだった。
「フリッツ、覚えているかな」
「賭けのことかい?」
「そうだよ、それのことだけれよ」
「わかっているよ」
その笑みで応えるフリッツだった。
「あの果樹園をね」
「有り難う」
「葡萄もワインも存分に楽しんでくれよ」
「そしてそれは」
ここでスーゼルを見るダヴィッドだった。そのうえで話すのだった。
「君にあげるよ」
「私にですか」
「それが私からの祝福だよ」
そうだというのである。
「だから。いいね」
「そんな。何という贈り物」
スーゼルはその贈り物に深い感動を覚えていたのだった。
「まるで天国にいるような」
「天国はこの世にもあるということだね」
笑顔でこう話すダヴィッドだった。
「ここにもね」
「やあ、お見事」
「全ては君の裁量によるものだね」
皆がダヴィッドの今回の行動を讃えた。
「おかげで二人は幸せになった」
「誰もが」
「そうだね。それじゃあ」
ここでダヴィッドはフェデリーコとハネゾーを見て言うのだった。
「次は君達だよ」
「僕達がかい?」
「また何でだい?」
「何を言ってるんだ、君達もまだ独身じゃないか」
このことをであった。
「そうだろ?だったら」
「結婚かい」
「それか」
「愛はこの世で最も尊いものだよ」
ここでこうも言うダヴィッドだった。
「だからね。その愛を君達にもね」
「是非にそう願いたいね」
「いや、本当にね」
二人はわりかし真剣な顔で彼の言葉に応えた。
「誰かいないものかな」
「僕達のいとしい人が」
「それは遠くないうちに出て来るよ」
こう二人に話すダヴィッドだった。
「きっとね」
「そうよ」
ペッペが笑って二人に告げてきた。
「それはきっとね」
「きっとかい」
「僕達にも」
「私にしても」
ペッペは今度は自分自身のことを話してきた。
「長い間一人だったのに今幸せに包まれているから」
「それじゃあ私も」
カテリーナもぽつりと呟いた。
「誰か相手を見つけて」
「さあ、皆」
ダヴィッドが音頭を取ってきた。
「皆で二人を祝福しよう」
「うん、是非ね」
「皆でね」
フェデリーコとハネゾーが彼の言葉に笑顔で応える。
「二人を祝福しよう」
「この世の幸せを」
「さあ、それじゃあ」
皆の手にワインが配られる。カテリーナ達が出して来たのだった。
そうしてフリッツとスーゼルを囲んで。そのうえで、であった。
「さて、それじゃあ」
「ダヴィッド、有り難う」
「おかげで」
「いや、御礼はいいよ」
満面の笑顔でそれはいいとしたのだった。二人に対して。
「それよりもね」
「それよりも?」
「喜ぼう、そして祝おう」
ここで高らかに言った。
「この愛を」
「そうだね」
ダヴィッドの今の言葉に頷くフリッツだった。
「それを皆で祝おう」
「はい」
スーゼルも彼の言葉に続く。
「皆で愛の尊さを」
「その輝かしい光を。皆でね」
全ての者が乾杯し明るい音楽の中で祝福の杯を飲み干す。幸せが明るい農園に満ちていた。フリッツとスーゼルを中心として。
友人フリッツ 完
2009・10・27
フリッツとスーゼル、互いの想いが実って良かったな。
美姫 「ダヴィッドも見事よね」
だな。賭けで得た果樹園を贈り物にするなんてな。
美姫 「粋な計らいよね」
うんうん。今回も楽しませてもらいました。
美姫 「投稿ありがとうございました」