『フィガロの結婚』




                          第四幕  晴れて大団円

 婚礼の賑やかな宴の後。多くの者は満足した気持ちで広場を後にした。だがその広場で今。バルバリーナが夜の闇の中で何かを必死に探していた。
「困ったわ」
 不安に満ちた顔で蹲り探し回っている。
「何処に行ったのかしら。あれは」
「あれっ、そこにいるのは」
「バルバリーナではないの?」
 そこに通り掛ったのはフィガロとマルチェリーナだった。晴れて親子仲良く夜の散歩を楽しんでいたのだ。
「どうしたんだ、こんなところで」
「あっ、フィガロさん」
 バルバリーナも彼に気付き顔をあげる。
「お散歩なの?」
「そうさ。ところで御前さんはどうしてここに?」
「探しものをもしているの」
「ケルビーノならお屋敷の中だよ」
 ここでは軽くこう言って彼女をからかった。
「早くお屋敷の中に入るんだね。もう寒くなるしな」
「違うわ」
 だがバルバリーナは彼のこの冗談に首を横に振るのだった。
「ケルビーノじゃないの。悪いけれど」
「じゃあ一体何なんだい?」
「瓶よ」
 バルバリーナはこう答えた。
「瓶を探しているのを」
「瓶を?」
「ええ。伯爵様が私に言ったの」
 ここで伯爵の名前が出て来た。フィガロは彼の名前が出て来てその眉を無意識にぴくりと動かしてしまった。
「その瓶をスザンナに届けるようにって」
「スザンナに瓶」
 流石に鋭かった。すぐに不吉なものを感じ取った。
「そういうことか」
「そういうことかって?」
「瓶ならここにあるさ」
 こう言って懐からその瓶を取り出したのだった。
「さっきわしは拾ったものだ。伯爵様が落とされたんだな」
「それなの」
「そうだ。これでわかったぞ」
 フィガロは怒った顔で頷いた。
「全てがな」
「何がなの?」
「伯爵様が御前にスザンナのところに届けるように言ったこの瓶」
 バルバリーナに対してその瓶を指し示しながら話す。
「それが証拠だ」
「何の証拠なの?」
「手紙の封をする為に使ったものだ」
 これがフィガロの推理だった。
「違うか?」
「そうなの?」
「そうだ」
 彼は断言さえした。
「間違いない。わしには全てがわかった」
「全部わかったのにどうして私に聞くの?」
 バルバリーナは何も知らない。ならこう言う他なかった。
「どうしてなの?それは」
「伯爵様が御前に頼まれる時に何と仰ったか」
「それを聞きたかったのね、私に」
「そう、その通りだ」
 ここでこのことも告げた。
「これでわかったな」
「わかったけれど」
 それでもバルバリーナは言うのだった。
「このことを誰にも言わないでよ」
「誰にもか」
「伯爵様に念押しされたのよ」
 伯爵の名前を出しての念押しだった。
「この瓶をスザンナに届けてくれって」
「やっぱりね」
「これが松の封印だってね」
「松のか」
「それによ」
 バルバリーナはもう開き直ったとばかりにフィガロに言い続ける。
「誰にも見られないようにって」
「誰にもだな」
「だからこのことは」
「わかっている」
 当然彼も言うつもりはなかった。
「それはな」
「ならいいけれど」
「全く関係のないことだ」
 内心は隠していた。
「全くな」
「そう。だったらこれから私は」
「何処に行くんだい?」
 去ろうとするバルバリーナに対して問うた。
「これから」
「スザンナのところに行ってからケルビーノのところにね」
「行くのだな」
「ええ。それじゃあ」
 跳ねるようにしてうきうきとして場を後にした。後に残ったフィガロは身体をわなわなと震わせていた。その彼にマルチェリーナは恐る恐る声をかけた。
「フィガロ」
「母さん、聞いたよな」
「ええ、聞いたわ」
 それはマルチェリーナも認めて頷く。
「それはね」
「だったらもう」
「落ち着きなさい」
 あえて優しい声を彼にかけた。
「落ち着いてね。ことは重大だよ」
「そんなことはわかっているさ」
 フィガロもそれがわからない訳がなかった。しかしだった。
「それでもだよ」
「冷静かつ真剣にだよ。よく考えるんだよ」
「考えてるよ」
「からかわれているのが誰か」
 マルチェリーナは我が子を気遣いながらも諭してきた。
「御前もよくね。いいね」
「あの瓶」
 だがフィガロはまだ落ち着きを取り戻してはいなかった。
「あれは伯爵様が」
「そうだろうね」
 それはマルチェリーナも認めた。
「けれどよ」
「けれど?」
「疑いを抱くよりはね」
 こう言うのだった。
「ちゃんと見極めるんだよ」
「見極める?」
「そうよ。御前はまだ聞いたばかりだよ」
 また我が子に話す。
「殆ど知らないか知っていても不確かなものだよ」
「じゃあ気をつけよう」
 フィガロは何とか落ち着いたふりをして母に告げた。
「逢引の場所はわかったから」
「それでどうするんだい?」
「復讐に。それじゃあ」
 こうして母を振り切って姿を消すフィガロだった。フィガロが姿を消すとマルチェリーナは一人になった。彼女は嘆きながら一人呟くのだった。
「急いでスザンナに伝えないと。彼女は潔白だわ」
 彼女はこのことがわかっていたのだった。
「あの顔付きに貞節な物腰を見ればわあkるわ。彼女は興味本位で人を騙したりはしないし貞節は何があっても守るわ。フィガロにはそれがまだわからないのよ」
 これは彼女が女であり歳を経ているからだった。
「どんな女も同姓を守る為に助け合うもの。男達から」
 その言葉と共にまた言う。
「牡山羊と牝山羊はいつも愛し合っていて喧嘩をしたこともない。野蛮な野獣達でさえ手出しをせず森でも山でもその連れ合い同士はお互いに平和と自由を与えるもの」
 こう言うのだった。
「私達女だけが男達を愛しているのに彼等はいつも不義を重ねて私達に非情に振舞うのね」
 最後の言葉を残して姿を消す。そうして後にはまずは誰も残っていなかった。
 庭の茂みではまだバルバリーナがうろうろとしていた。スザンナかケルビーノに貰ったのかお菓子と果物を入れたバスケットを持っている。そのうえで夜の中を見回っている。
「左のあずまや。ここね」
 小屋の一つを見つけて呟く。
「若しあの人が来なかったらどうしようかしら。いえ」
 言った側から考えを変える。
「伯爵様はケルビーノは嫌っておられるけれど私はお気に入りだから。とりあえず言われたようにしましょう」
 そんなことを言いながら見回っているとそこに誰かが来た。バルバリーナはそれを見て急いでそのあずまやに隠れる。見るとそれはフィガロだった。後にはどんどんついて来ている。
「それでフィガロ」
「ああ」
 フィガロの横にはバルトロがいる。バジーリオやアントーニオ、クルツィオもいる。彼等はぞろぞろとフィガロの後ろについてきているのだ。
「ここに来たのはいいが」
「うん」
「御前の今の顔は随分と酷いな」
「そうかい?」
「何かを必死に警戒している顔で」
 こう息子に言うのだった。
「きょろきょろして。どうしたんだ?」
「どうしたっていうのかい?」
「そうだ。なあ」
「はい。全くです」
 バジーリオも言うのだった。
「今のフィガロはおかしいです」
「全くだ」
「その通りだ」
 アントーニオとクルツィオもバジーリオの意見に賛成して頷いてみせてきた。
「さっきの式の時の顔は何処に行ったのか」
「まるで別人だ」
「今すぐにでもここで見られるよ」
 フィガロはそんないぶかしむ一同に対して話した。
「そう、すぐにね」
「すぐに?」
「何がだ?」
「わしの花嫁と本当の御亭主を」
 実に嫌味たっぷりな言葉だった。
「すぐにね。見られるよ」
「すぐにか」
「それを皆で御祝いしようとね」
「そこから先は言わなくていいぞ」
 バジーリオが右手でフィガロを制止する動作を見せながら告げた。
「そこからはな」
「だからここにいて欲しいんだ」
 バジーリオに止められても言わずにはいられなかった。
「是非ね。じゃあ様子を見て来るから」
「そうか」
「すぐ戻るよ」
 父に対して述べた言葉だ。
「口笛を吹いたら皆一斉にね。そういうことで」
 こう言い残して一旦場から消えた。皆それぞれ散開するがその時バルトロは眉を顰めさせてバジーリオに対して問うのだった。
「どう思う?」
「悪魔に心を乗っ取られていますな」
 バジーリオの言葉は見極めてはいるがそれだけに容赦がない。
「あれは」
「ううむ、予想はついていたが困っていることだ」
「スザンナは伯爵様のお気に入りですから」
 バジーリオはあえて言った。
「ですから。やはり」
「そうだな。こういうふうになってしまうか」
「世の中こうしたことはあるもので」
 達観を見せるバジーリオだった。
「まあ結婚すれば女は恋愛できないかというと」
「できると」
「相手は誰かわかりません」
 ぼかしもしないのだった。
「そう。経験も理性も乏しい若い頃はですね」
「うむ」
「私も恋に燃えましたし今では考えられないような馬鹿なことをしました」
「君にもそんな時があったのか」
「そうです」
 畏まってバルトロに答える。
「ですが経験を積み重ね歳を経てわかったのです。冷静な女を」
「冷静な女をか」
「彼女は気紛れや片意地といったものを私から取り除いてくれました。彼女と一夜をあばら家で過ごしたことがあります」
「それはいいことじゃないのかい?」
「話は最後まで」
 やはり畏まった態度でバルトロに述べる。
「彼女はその静かなあばら家を先に出る時に私に一枚のロバの皮を手渡してくれました」
「ロバの?」
「そう、ロバのです」
 こう語るのだった。
「贈り物にしては妙だな」
「ですがその後の帰り道で出逢った雹混じりの豪雨も嵐もそれを覆って寒さを凌ぎましたしその後の餓えた獣達も皮の嫌な匂いの前に立ち去りました」
「二回助けられたのか」
「そうです。確かにロバの皮は匂いがきつく嫌なものでした」
 その時のことを思い出して顔に嫌悪なものを宿らせていた。
「しかしその皮が私を助けてくれました」
「そうだな」
 バルトロはここまで聞いたうえで頷いた。
「確かにな」
「その女の人、いや運命は私に教えてくれたのです」
 そしてまた言うバジーリオだった。
「恥や危険、不名誉な死はロバの皮のようなもので助かると」
「ではフィガロは」
「何度も申し上げますがよくあることです」
 ここで達観に戻るのだった。
「ですから。我慢を」
「辛い話だな」
「浮気なぞ。それこそ何処にでもあることですから」
 こんな話をしてから二人も夜の茂みの中に消えた。また何かが動こうとしていた。
 そしてフィガロは。フードに身体を包んでそれで闇夜の中に姿を消していた。そのうえで周囲を見回し警戒し続けていたのである。
「用意は出来た」
 彼は周囲を見ながら呟いた。
「時は近付いてきている。そらっ」
 ここで人影を認めたのだった。
「来たか?いや、違った」
 人影ではなかった。気のせいだった。
 だが気のせいでも周囲に気を払い続ける。そのうえでまた見回すのだった。
「わしがよりによってこの役回りとはな。結婚式の最中に申しかけていたなんてな」
 このことが悔しくてならないのだった。
「おのれ、わしのこの辛さときたら」 
 呟きは歯噛みと共だった。
「スザンナ、まさかとは思ったが。全く女を信用するとこんなことになる」
 こんなことを言いながら。遂にはもう一人のフィガロが出て来て悩めるフィガロに対して言ってきた。最早苦悩は二人のフィガロを生み出すまでになってしまっていた。
「目を大きく見開くのだ」
「わしがか」
「そうだ。わしだ」
 二人で言い合いだしていた。
「節穴のその目をな」
「そうだな。見よう」
 フィガロはもう一人の自分に対して頷いた。
「女共を見よう」
「そうだ。何者であるかを見よう」
「ここで言われる女神とは裏切ることを何とも思わない」
「うん、その通りだ」
 自分の言葉にまた頷く。
「か弱い理性の持ち主は彼女に貢ぎへつらう」
「女とは何か」
 もう一人に応えて彼も言う。
「女とは男を苦しめる為に誘惑する魔女であり」
「そう。わし等を溺れさせる為に歌を歌う海の精だ」
「羽毛を引き抜く為にそそのかす梟であり」
「光を遮る為に人目を射とおす悪い星だ」
 自分同士で言い合い続ける。完全に調和してしまっている。
「朿ある薔薇で」
「愛嬌を振りまく狐で」
「おっとりした牝鹿で」
「意地の悪い鳩」
 あえて悪く動物達に例え続ける。
「人を欺く天才で」
「偽り、誤魔化し、愛も感じない」
「憐れみも感じない」
「苦悩の友達だ」
 言い合いながら答えを出してきた。
「それ以上はもう言わないでおこう」
「そうだな」
「誰でも知っていることだからな」
「その通りだ」
 この話の後で一人に戻った。とにかく彼も苦悩していた。まさかと思っていたことがそうなって。
 その頃闇夜の中では夫人とスザンナがいた。だがどちらもお互い服を交換している。
「では奥方様」
「ええ」
 まずはスザンナが夫人に声をかけてきていた。
「お義母さんが教えてくれたことですけれど」
「間に合って何よりです」
 ここでマルチェリーナが出て来たのだった。
「全く。うちの子があんなに嫉妬深いなんて」
「有り難うお義母さん」
 スザンナはマルチェリーナに対して礼を述べた。
「おかげで助かるわ」
「全く。フィガロも意外と早とちりなのね」
「男は皆そうなのよ」
 やはりここでは人生の重さがわかるのだった。
「それには気をつけないと」
「そうね。けれどまずはこれで何とかなりそうだわ」
「私はこれで」
 マルチェリーナは一旦隠れることにしたのだった。
「ちょっとね」
「ええ。それじゃあ」
「有り難う」
 マルチェリーナはバルバリーナが入ったあずまやに入る。こうしてスザンナと夫人はまた二人になった。そのうえで二人で話をするのだった。
「奥方様。お寒いですか?」
「ええ」
 見れば夫人は少し身体を寒そうにさせていた。
「少しね。冷える夜ね」
「確かに」
「私は部屋にいるわ」
 夫人はこう言って去ろうとする。ところがそれは止めたのだった。
「いえ」
「いえ?」
「あそこに隠れるわ」
 側の木陰を見ての言葉だった。
「あそこならいいかしら」
「そうですね。すぐに終わりますし」
「そうよね。だったら」
 こうして夫人はその木陰に隠れた。これでスザンナは一人になった。それでわざと動くとフィガロにそれが見えた。フィガロはそれを見て歯噛みした。
「来たな」
 遂に見つけた、もうそれだけで尻尾を掴んだつもりだった。
「これからが勝負だ」
「奥方様」
 フィガロに気付きつつ夫人に声をかける。
「来ていますわ」
「フィガロね」
「はい。私は暫くここで」
 フィガロのいる方を横目で見ながら彼女に話すのだった。
「仕掛けますから」
「頑張ってね」
「ええ。それでは」
 夫人に応えてから相変わらずフィガロを横目で見る。気付いてはいるがわざと気付いていないふりをする。この辺りは見事な芝居だった。
 その芝居を続けながら。また言うのだった。
「とうとうこの時が来たわ」
 彼は言った。
「臆せず私の憧れのあの方の腕の中で喜びを感じる時。けれどそれが不安な気持ちをかきたてる」
「やはりそうか」
 フィガロはスザンナの言葉に気付かないうちに煽られる。
「あいつ、やっぱり」
「私の胸から消え去って。私の最愛の喜びを邪魔しに来ないで。この燃える愛の炎にこの心地よい場所も大地も空も答えているようだわ」
「おのれ、おのれ」
 スザンナの言葉を聞いてさらに歯噛みする。
「やはり、やはり」
「夜が私の秘密を助けてくれるようだわ」
「まだ言うのか、まだ」
「早くおいで、美しい喜びよ」
 これが誰への言葉なのか。フィガロは今は気付くことができない。
「愛が快楽の為に御前を招いているところにおいで。夜の明かりが空に輝き」
 さらに言葉を続ける。
「大気がくすみ世の中が黙している間に」
「愛を果たすというんだな」
「ここでは小川が呟きそよ風がたわむれ」
 言葉はまだ出されていた。
「甘い囁きで心を蘇らせる。ここでは花は笑い草は新鮮に全てを愛の喜びに誘い込む」
「まだ言うのか?あの女」
「早くおいで、私の恋人。この隠された木々の間で貴方に薔薇の冠を被せてあげるわ」
 フィガロはずっと自分自身が見られていることがわからず地団駄を踏んでいた。するとここにまた来客だった。今度は誰かというと。
「あれは」
 夫人は彼の姿を見て声をあげた。
「ケルビーノ!?まさかこんなところに」
「そういえばバルバリーナはあずまやにいるって言ってたっけ」
 彼女の言葉を思い出しながら先に進んでいる。
「それじゃあこっちだな。んっ!?」
「あっ」
 夫人は折り合い悪くケルビーノと出会ってしまった。思わぬ事態だった。
「スザンナ?ひょっとして」
「しまった、見つかったわ」
「近寄ってみるかな」
 またケルビーノの好奇心が沸き起こった。
「そおっとね。そおっと」
「困ったことになったわ」
 夫人は彼が自分のところに近付いてきているのを見ながら顔を曇らせた。
「あの人がこんなところを見たら」
「ねえスザンナ」
 ケルビーノは服から彼女がスザンナだと思いこんでいる。
「どうしてそこにいるの?ねえ」
「あっちに行って」
 夫人はたまらすこうケルビーノに言った。
「あっちに。いいわね」
「そんなこと言わないで」
 しかしそんなことを聞くようなケルビーノではなかった。
「優しくしてよ。つれないなあ」
「さて」
 今度はまた別の声がしてきた。
「この辺りだが」
「出たわね」
「出て来たな」
 スザンナとフィガロは今の声を聞いてそれぞれ声を出した。
「鳥刺しさんのおいでね」
「いよいよだな」
「ねえスザンナ」
 ケルビーノはその声にも気付かず夫人とスザンナと思い込んだうえで声をかけ続けている。
「そんなに冷たくしないで」
「むっ!?」
 伯爵もその声に気付き顔をそちらに向ける。
「あれは」
「ケルビーノね」
「あいつだな」
 スザンナとフィガロもそれぞれ彼に気付いたのだった。
「またうろうろとして」
「何処にでも出て来る奴だな」
「あ奴、またしても」
 伯爵は彼の姿を認めてまずは怒った顔になった。
「このままでは私の楽しみがなくなってしまうわ」
「困ったわ。本当にあの人が来たわ」
 夫人も夫人で困っている。
「このままでは策略どころではないわ」
「全く。何でこんなところに」
 スザンナにとっても彼は想定の範囲外であった。
「おかげで話が台無しになるわ」
「とんでもない小僧だ」
 フィガロも苦々しく思っているのだった。
「伯爵様だけではないのだな、敵は」
「何処か遊びに行かない?ねえ」
 相変わらず夫人だとは気付いていない。
「何処かに」
「こらっ」
 伯爵はここでわざと声をあげた。
「そこにいるのは誰だっ」
「わしか?」
「私!?」
 フィガロと夫人がその言葉にどきりとなる。
「見つかったか?」
「見つかったらもうそれで終わりだわ」
 二人は肝を冷やす。しかし二人にとってそれは杞憂だった。
「そこにいる小僧っ、止まれっ」
 ケルビーノに対する声だった。
「止まれと言っておる」
「まずいっ」
「どうなるのかしら」
 夫人は伯爵の声にさらに不安になる。
「これから。困ったわ」
「さて、あのでしゃばり」
 フィガロは今の様子をかなり冷静に見だしていた。
「どう懲らしめられるかな?」
「全くあの子ったら」
 スザンナは腰に手を当てて頬を膨らませていた。
「いつもいつも勝手に動き回って話をややこしくするんだから」
「止まらなければ斬るぞ」
「斬る!?」
「そう、斬るぞ」
 わざと腰の剣に手をかける真似をする。しかし実は伯爵は今剣なぞ持ってはいない。あくまで脅しであったのだ。実は彼は手打ちやそういったことはしないのだ。
「止まらなければな」
「ご、御免なさい」
 斬ると言われて慌てて逃げ出すケルビーノだった。
「もうしません、許して下さい」
「待て、不届き者」
 待てとは言うが追いかけはしない。
「許さんぞ」
「御免なさい御免なさい」 
 慌てて逃げ出して姿を消すケルビーノだった。伯爵は彼を軽く脅しただけでその目的を達してしまったのであった。この辺りは見事であった。
「さて、消えたな」
「相変わらず逃げ足の速いこと」
 フィガロとスザンナはそれぞれ言った。
「とにかくこれで邪魔者は消えた」
「何よりだわ」
「さて」
 伯爵は彼の姿が消えてからスザンナの格好をしている夫人に優しい声をかけた。当然ながら彼女が自分の妻であることには全く気付いてはいない。
「もっと近くに」
「伯爵様」
 夫人もここは芝居をすることにしたのだった。
「貴方様がお望みなら私は」
「何という女だ」
 フィガロは夫人をスザンナと完全に思い込んで立腹していた。
「こうなってはもう許してはおけん」
「さあ」
 伯爵はその間にもスザンナの姿の夫人に優しい声をかける。
「その手を」
「はい」
 スザンナの声色を使ってその手をそっと差し出した。
「こちらに」
「可愛い手だ」
「可愛いだと!?」
 今の言葉にまた怒るフィガロだった。
「おのれ、またしても」
「何としなやかな指だ」
 自分の妻の手とはまだ気付いてはいない。
「艶やかな肌だ」
「気付いていないわね」
(わからないのかしら)
 スザンナと夫人は今の伯爵の言葉に思うのだった。
「自分の奥方様の手なのに」
(いつも触れ合っているのに)
「奥方の手に似ておるが」
 しかし伯爵も鈍い男ではなかった。
「まあいい。ではダイアを」
「ダイアですか」
「うむ」
 夫人の声はここでもスザンナの真似をしている。
「そうだ。受け取ってくれ」
「有り難き幸せ」
「そうか。それは何よりだ」
「して伯爵様」
 スザンナの声色のまま彼に告げる。
「あちらに」
「あちらに?」
「灯りが」
 見れば森の外れに本当に灯りが見えていた。
「ありますわ」
「これはいかんな」
 伯爵はそれを見て言うのだった。
「では隠れるとするか」
「いい具合ね」
「くそっ、今に見ていろ」
 今の伯爵の言葉にスザンナとフィガロはまたそれぞれ言った。
「このままいけば後は」
「追い詰めてやるっ」
 二人の様子は同じ言葉を聞いても全く違っていた。
「全ては順調ね」
「何もかもぶっ潰してやるからなっ」
 ここでも正反対である。
「いいわ、後は奥方様が」
「スザンナ、見ていろ」
 わかっている者とわかっていない者の言葉であった。
「やって下さるわね」
「ギャフンと言わせてやるからな」
 二人がそれぞれ言っている間にも伯爵は夫人、スザンナに化けている自分の妻に対して気付かないまま優しい言葉をかけるのだった。
「ではスザンナよ」
「はい」
「隠れるとしよう」
「はい、それでは」
 二人はこのまま何処かに行こうとする。しかしここで伯爵はフィガロの姿を認めたのだった。
「誰だ?」
「あっ、フィガロ」
 スザンナは彼が伯爵に見つかったのを見て思わず大声をあげそうになってしまった。
「こんな所で」
「誰なのだ?」
「通りすがりの者です」
 フィガロの返答は実に白々しいものであった。
「御気になさらずに」
 こう言って姿を消す。しかしこれで伯爵は警戒の念を抱かずにはいられなかった。しかしここで夫人が見事機転を利かしたのであった。
「伯爵様」
 さりげなくスザンナの声色を使う。
「あれはフィガロですわ」
「フィガロか」
「はい、間違いありません」
 こう言うのであった。
「ですから」
「そうだな。あ奴ならばだ」
 見つかってはまずい、伯爵もわかっている。
「少し時間を置くとするか」
「それが宜しいかと」
「よしっ」
 伯爵は断を下した。
「そなたは隠れていてくれ」
「こちらにですね」
「そうだ。そして私はそこだ」
 こう言って別の場所に向かう。
「後でそちらに行くからな。それではだ」
「わかりました」
 こうして二人は別々の場所に隠れた。二人が隠れるとフィガロは場所を変えておりそこで一人密かに地団駄を踏んでいたのであった。
「さて、ヴィーナスを捕まえよう」
 ギリシア神話を話に出していた。
「そのマルスと共にな」
 神話ではヴィーナスの間男であり愛人はマルスということになっている。マルスにとっては甚だ不本意な話ではあるが。そうなっているのである。
「だからだ。網を用意してな」
「ちょっとフィガロ」
 しかしその彼のところに来たスザンナが声をかけたのだった。
「もう少し静かに」
 夫人の声色を使っている。
「見つかるわよ」
「奥方様ですか?」
「ええ」
 服が同じで声色を使っているので闇夜の森の中ではわからないのだ。
「そうよ」
「いい時にここに」
「いい時に?」
「はい、実はですね」
 静かにならずに話すのだった。
「大変なことになっています」
「大変なことに」
「伯爵様とスザンナがです」
「あの二人がどうしたの?」
「お考えの通りで」
 今はこう言うだけだった。
「まことに悲しいことにです」
「もっと小さい声で」
 感情が出てしまって夫人の声色は忘れてしまった。
「ここから動かないから、私は」
「左様で」
「復讐したいのね」
「はい・・・・・・って!?」
 フィガロもここで気付いてしまったのだ。
「まさか」
「まさか?」
「スザンナ!?」
 闇夜の中で彼女を指差して言った。
「まさかとは思うけれど」
「しまったわ」
 ここでやっと声色を忘れていたことを思い出したのだった。
「声が」
「やっぱりそうか」
 ここで確信したフィガロだった。
「スザンナか。やっぱり」
「ええ、そうよ」
「何でまたこんなことに」
(答える前に)
 しかしスザンナは今まで散々聞いていたフィガロが自分を不実だと確信していた言葉に内心かなり怒っていたのであった。それでだった。
(この人を懲らしめてやるわ)
(またどうしてだ)
 フィガロも事情がわからない。
(スザンナがここに)
「いいかしら」
「ああ」
「一つお礼がしたいのだけれど」
「お礼!?」
「ええ、そうよ」
 内心の憤りを今は隠している。
「お礼をね。いいかしら」
「わしはお礼は受け取る主義だよ」
 ちゃっかりしているフィガロらしい言葉であった。
「それは安心してくれ」
「ええ、わかったわ」
 フィガロの言葉に対して頷いた。
「その言葉、忘れないでね」
「わしは記憶力もいいから」
 また言うフィガロだった。
「安心してくれ」
「ちゃんと言ったわよ」
「うん」
 あえて強調して問い返すスザンナだった。フィガロはまだ気付いていない。
「そのお礼は」
「お礼は」
「これよっ!」
 こう言っていきなり平手打ちだった。また随分と見事に決まってしまった。何とか音は立てないように手袋をしていたのがよかった。
「これがお礼よ」
「何とっ」
「もう一つっ!」
 平手打ちが続く。もう一発、往復でフィガロの頬に決まった。
「それにもう一回!」
「まだか!」
「何度でもしてあげるわ!」
「わかった、わかったよ」
 四発程度受けたところでやっと降参するフィガロだった。
「スザンナ、わかったから」
「目が覚めたわね」
「よくね」
 こうスザンナにも答える。
「わかったよ。本当に」
「わかったらいいわ」
 スザンナもここでやっと勘弁したのだった。
「わかったらさあ」
「御免」
 頭を下げたのだった。
「疑って悪かったよ。君はわしだけを見ているんだな」
「今だけじゃなくてずっとよ」
 こう言葉を加えさせたのだった。
「ずっと貴方だけを見ていくわ」
「それはどうも」
「わかったら」
 フィガロの言葉を受け取ったうえでまた言う。
「後は最後の詰めだけれど」
「それか」
「伯爵様は何処に行かれたのかしら」
 周りを見回しながらの言葉だった。
「一体全体。妙に動きの早い方ね、本当に」
「あの人もな」
 フィガロはそのスザンナの横で腕を組んで首を捻った。
「浮気性さえなければな」
「男は皆そうではないの?」
「わしは違うぞ」
 フィガロは自分自身については否定したのだった。
「わしはな。違うよ」
「それはわかってるけれど」
 スザンナもそれは見抜いていた。だからこそ愛しているのである。
「とにかく。伯爵様は」
「ああ、どちらかな」
「何処に消えたのかしら」
 それでも辺りを見回して探していたその時だった。不意に声が聞こえてきた。
「スザンナ、おいスザンナ」
「来たわ」
「何とタイミングがいい」
 伯爵の声だった。二人は今の言葉を聞いてそれぞれ声をあげた。
「何処に行ったのだ?本当に」
「あら、まだ気付いていなかったのね」
 スザンナは今の伯爵の言葉を聞いてにんまりと笑った。
「これは好都合だわ」
「何が好都合なんだい?」
「奥方様のことがわからなかったのよ」
「奥方様?」
「そう、奥方様よ」
 スザンナはまたフィガロに話した。
「わからなかったみたいね。よかったわ」
「んっ、そういえばだ」
 フィガロはここでスザンナの服をまた見た。
「その服全部奥方様のものだな。似てると思っていただけだったがな」
「そうよ。服取り替えたのよ」
 ここぞとばかりに得意げに笑って服を見せ付けるスザンナだった。
「この時の為にね」
「そうだったの」
「むむっ」
 伯爵は二人の言葉に気付いた。そうして声をあげたのだった。
「おのれ、そこにいるのは」
「んっ!?」
「まさか」
「フィガロ、何をしておるか」
 二人の方に顔を向けて怒った声をあげた。
「そこにいるのは奥ではないか。何をしておる」
「ほら、まだわかっていないわね」
「そりゃわかるものか」
 スザンナはまた得意げに笑ってフィガロに言ってきた。フィガロもそれに応える。
「わしでもわからなかったのに」
「わからないようにしたのよ」
 スザンナはいよいよ得意げになる。
「こっちもね」
「まあそうだろうな」
「さて、それじゃあ」
「うん」
「フィガロ」
「奥方様」
 それぞれ演技に入るのだった。伯爵には気付いていないふりをして。
「今夜は二人だけよ」
「はい」
 わざと熱い言葉を言い合いだした。
「後はどうしようかしら」
「そうですね。二人で小屋にでも」
「小屋だと」
 この言葉で伯爵はいよいよ激昂しだした。
「許さん、許さんぞ」
「いい具合に乗って来られたわ」
「そうだな。後は」
「誰かいるか!」
 伯爵は怒りの声で周囲に問い掛けだした。
「いるか。いるなら出て来るのだ!」
「なっ、あの人!」
「いかん!」
 二人はここでも演技をする。やはり伯爵にはそれがわからない。
 スザンナはすぐに小屋に隠れフィガロはその場に立ち往生となる。その間にも伯爵は周囲に呼び掛け続けるのだった。何があるとも知らず。
「早く出て来るのだ、早く」
「何だ!?」
「といってもフィガロの声ではない」
「伯爵様の声ではないか」
 バルトロ、バジーリオ、アントーニオ、クルツィオが一斉に茂みから出て来て言った。
「何がどうなっているのだ?」
「訳がわからん」
「しかし伯爵様が呼ばれているのなら」
「出なくてはいけないか?」
「さあ、出て来るのだ」
 伯爵は怒りのあまり周囲に彼等がいたことがどうしてか察しがいかなかった。
「今すぐにだ。ここに集まれ」
「一体どうしたのですか?」
「それで」
「フィガロだ」
 フィガロの方を指差して半分叫ぶ。
「フィガロがだ。わしを裏切ったのだ」
「フィガロが?」
「スザンナではなくて」
「そうだ、フィガロだ」
 伯爵はまた言った。
「あの者がだ。早く出て来るのだ」
「何が何なのかわからないが」
「参りました」
 こうして出て来た。すぐに皆のうちの何人かがフィガロを引き立ててきた。このようにして彼は伯爵の前に引き立てられたのだった。
「お許しを」
「いや、許さん」
 伯爵は怒りに満ちた声でフィガロに返す。
「御前をカストラートにしてやろう」
「何とっ」 
 カストラートとはこの時代の歌手である。少年の頃に去勢してそのうえで男性ホルモンの成長を止めて少年の声を保つのである。欧州にもこうした存在はいたのだ。
「それだけはお許しを」
「いや、許さん」
 彼はまだ言う。
「絶対に許さん。中国の宦官のようにしてやろう」
「お許しをお許しを」
「一生子供はできないからな」
 完全に本気だった。
「覚悟するがいい」
「ううむ、こうなってはもう」
「誰も止められないな」
「困ったぞ」
 周りもこうなってはどうしようもなかった。
「さて、どうなるのだ?」
「本当にカストラートになるのか?」
「さてさて」
「せめて命だけは助けてやる」
 妙なところで慈悲深い伯爵だった。
「そして奥方よ」
 スザンナがが入り込んだあずまやに顔を向けた。
「出て来るのだ。そなたにも褒美をやろう」
「奥方様も去勢か?」
「さて」
「早く。出て来るのだ」
「すいません」
「むっ!?」
「出て来たぞ」
 ここでやっとあずまやの扉が開いた。そうして出て来たのは。
「ケルビーノ!?」
「どうしてここに?」
「伯爵様、申し訳ありません」
 ケルビーノは出て来るなり伯爵に対して平謝りに謝りだした。
「どうか。お許しを」
「何でこの者がここにいるのだ?」
「さて」
 バジーリオはバルトロの問いにも首を捻るだけだった。
「私にも。これは全くの予想外でして」
「わしにもだ。全く何でここに」
「ええい、そなたはいい」
 伯爵はとりあえずケルビーノを端に寄らせた。そのうえでさらにあずまやに声をかけると次に出て来たのは。
「バルバリーナ!?」
「お父さん」
 次に出て来たのは彼女だったのだ。
「どうしてここに」
「お父さんこそ」
「どうなっているのだ?」
 伯爵は今度は彼女が出て来て首を捻ることになった。首を捻ったのは今度は彼であった。
「二人もいるとは。奥方を入れて三人か」
「とにかく御前はこっちに来なさい」
「嫌よ」
 ケルビーノから離れないバルバリーナは父の言いつけにも従おうとはしない。アントーニオは仕方なくケルビーノを抱き締めたままの娘を自分の側に置いた。
「さあ、出て来るのだ」
「はい」
「何だ?今度は御前か」
「はい、そうなのよ」
 今度はマルチェリーナだった。夫に対して軽く挨拶をする。
「ちょっとこの中にと思って」
「ううむ、何が何だか」
「お母さんまでこの中にいたんだ」
「事情があってね」
「事情?」
「あんたが一番よく知ってることよ」
 ここではこう言って息子に対して微笑むのだった。
「これはね」
「ははあ、成程」
 母の言葉でまた納得がいったのだった。表情にも出ている。
「そういうことか」
「そういうことだよ。じゃあね」
「うん、じっくり見させてもらうよ」
「そうしなさい。じゃあね」
「うん」
 自分の隣に来た母を笑顔で迎える。そして最後の一人、彼女は夫人の服を着ていた。
「遂に出て来たな」
「まさかとは思ったが」
「あの方が」
 皆その服を見ただけで判断を下した。
「これはもう決まったな」
「詰んだ」
 こう言うのだった。そのうえで状況を見守る。
 伯爵は勢い付いていた。そのうえでさらに言葉を続けてきた。
「さて、ここにいるのは不実の女だ」
「それはどうでしょうか」
 その中で一人マルチェリーナが呟いていた。
「どうなるか。見ものだけれど」
「お許し下さい」
 夫人の服を着た女性が必死に許しをこうてきた。
「どうかここは」
「いや、ならん」
 しかし伯爵はその許しを許そうとはしない。
「ならんぞ。覚悟するのだ」
「どうか伯爵様、ここは」
「お許しになって下さい」
 周りの者達が彼に許しを願い出てきた。
「どうかここは」
「お慈悲を」
「命は取らん」
 その証拠かやはり剣は持っていない。
「だが。許しはせん」
「伯爵様」
 今度ハスザンナの服を着た女性が許しをこうてきた。
「どうかここは」
「お許しになって下さい」
「そなたの申し出でもだ」
 まだ気付いていない伯爵だった。
「ならんぞ。決してな」
「私の申し出でもですか?」
 ここで彼女は声を変えたのだった。
「それでも。なりませんか」
「おやっ!?」
「この声は」
 ここでフィガロとマルチェリーナの他の全ての者が気付いた。
「スザンナではないな」
「うむ、この声は」
「まさかとは思うが」
 伯爵もこの声で気付いた。今スザンナの服を着ているのは。
「スザンナではなく」
「はい、私です」
 やはり夫人だった。ここでにこやかに応えてきたのだった。
「私からも御願いです」
「何故そなたが」
「この人達の為に私からも」
「何ということだ」
「というかどうなっているのだ?」
 周りの者達は首を捻ってそれぞれ言う。
「スザンナの服を着ておられる」
「何がもう何だか」
「ううん、わからん」
「それではだ」
 伯爵は夫人の服を着ている女性に顔を向けた。スザンナの服を着ているのが夫人だとすれば彼女は。少し考えて誰かわかった。
「そなたは」
「はい、私です」
 スザンナの声だった。
「どうも。伯爵様」
「何ということだ」
 全てを察した伯爵は思いきり溜息をついた。
「私は。全て」
「伯爵様、それよりも」
 マルチェリーナが彼に言ってきた。
「今は為されるべきことが」
「わかっておる」
 伯爵は溜息を止めて彼女に応えた。
「奥方」
 夫人に向かい合う。そうして片膝をつきそのうえで頭を垂れたのだった。
「申し訳ないことをした。どうか許してくれ」
「はい」
 夫人は夫の言葉を微笑んで受け入れた。
「それでは」
「申し訳ない。それだけで許してくれるのか」
「出来心とやまっ気で過ごしたこの一日のことです」
 夫人はこう周りにも話した。
「それを満足と喜びのうちに終わらせることができるのは」
「それは?」
「愛だけです」
 こうスザンナに述べた。そのうえで夫の手を取って言ってきた。
「あなたもお立ちになって下さい」
「いいのか?」
「あなたは許されています」
 夫に対しても同じ愛を向けていた。
「ですから」
「それでは皆さん」
 マルチェリーナも周りに声をかける。
「どうかここは」
「ここは?」
「まずは花火を」
 バルバリーナが言ってきた。
「それを派手にあげて」
「そして楽しい音楽を」
 次に言ったのはスザンナだった。
「それで皆楽しく浮かれ騒いで」
「じゃあお父さん」
「うん」
 バルトロは我が子の言葉に微笑んで頷いた。
「行くとするか」
「そうですな。それでは私も」
 バジーリオはきざっぽさを装って述べてきた。
「一度相応しい女性を探す為に」
「バルバリーナの近々の結婚祝いの為に」
 アントーニオも出て来た。
「わしも行くか」
「御馳走は出るので?」
 クルツィオの関心はここにあった。
「女房と楽しく二人で」
「ねえバルバリーナ」
 ケルビーノは自分からバルバリーナの手を持っていた。
「僕達も次は」
「さて、それでは二人で行こうか」
「ええ、フィガロ」
 スザンナは自分から夫の腕に自分の腕を絡めてきた。
「行きましょう。いいわね」
「うん、それじゃあね」
「では行くか」
 伯爵もあらためて妻の手を取る。
「私達もな」
「はい。本当の幸せの為に」
「そうだな。やはり二人いないと駄目だな」
 こう言い合い皆で祝いの場に向かうのだった。皆幸せの為にその場に向かう。こうして賑やかな一日は終わり幸せに満ちているこれからに皆で足を軽やかに進めだした。


フィガロの結婚   完


                            2009・3・30



いや、もうかなりややこしい状況に。
美姫 「それでも何とか無事に収まったわね」
ああ。途中で、誰が出てきて、この格好が誰でと混乱しそうだったよ。
美姫 「かなり面白かったわね」
本当に。投稿ありがとうございました。
美姫 「ありがとうございます」



▲頂きものの部屋へ

▲SSのトップへ



▲Home          ▲戻る