『ファルスタッフ』
第三幕 世の中全て冗談
『人間は皆悩み、考えるもの』
ガーター亭の入り口にかけられている看板の言葉だ。その中ではファルスタッフが一人飲んでいる。あの後ほうほうの体でここまで帰って着替えて飲んでいるのだ。当然すこぶる不愉快だ。
「親父、シェリーをもっとくれ」
親父におかわりを持って来させてさらに飲む。飲みながら言うのだった。
「厄日だ。裏切りの世の中だ。最早この世の終わりだ」
最初はこれでさらに言う。
「わしは長い間勇敢で俊敏な騎士だたがそのわしが洗濯籠に入れられ洗濯物と一緒にお堀の中に。こんな目に遭ったのははじめてだ」
自業自得だがそんなことは気にしない。
「酷い世の中だ。道徳の欠片もありはしない。全てが失われた。その中を行け、ジョンよ」
御前が言うのかという言葉を散々吐き続けている。
「御前の道を行くのだ」
行ってやりたい放題している。
「真の男らしさが消えていく中で。御前は突き進むのだ。本当に嫌な世の中になった」
言いながら酒をあおる。
「神を、お助けを。私はあまりにも太り過ぎ髪には白いものを」
「お待ち」
「うむ」
祈りながらも酒が来るとそちらに専念する。それを飲むと一転して陽気になる。
「テームズ河にもこの酒を少しくれてやろうか。あいつとも長い付き合いだ。やはり酒は永遠の友だ」
さっきまでの自分勝手な神妙さはもう消えていた。全く以って調子がいい。
「よい酒は臆病風を吹き飛ばし目を覚まさせるし心をかきたて唇から頭に昇り」
飲みながらさらに言う。
「震え声の可愛い鍛冶屋を目覚まさせてほろ酔いの血の中で蟋蟀を歌わせる。心が熱で浮かされ陽気な気分は酔いの為に跳びはね楽しい世界が平成をよそわせる。快い酒の酔いが世界を覆う」
「御機嫌よう。アリーチェさんが」
そこにクイックリーがやって来て思わず酒を吹き出した。機嫌よくやっていたというのにその気分が一発で吹き飛んでしまったのだった。
「地獄に落ちろ!二度と来るな!」
「おやおやどうしてですか?」
「さっきは何だったんだ。まんまと料理され焼かれ蒸された挙句水の中だぞ!」
「それは誤解です」
「誤解なものか」
ファルスタッフが叫んでいると店の後ろにアリーチェやフォード達が店に入って来る。そして物陰から彼を見ている。
「あの方に罪はありません」
「消えろ!」
怒ってクイックリーに叫ぶ。
「騎士を愚弄しおって!わしでなければ成敗しておるところだ!」
「悪いのはあの下男達です」
「責任転嫁するのか」
「違います、あの方は今凄く悲しんでおられます」
「まことか?」
「はい」
クイックリーは答える。
「ほら、その証拠にこのお手紙を」
「見せてみよ」
「どうぞ」
差し出されたその手紙を受け取って中身を見る。それを見てアリーチェ達はヒソヒソと話をしている。
「また引っ掛かるわね」
「しめしめ」
「餌にかかった」
「あとはこのまま」
ファルスタッフは彼等に気付かない。クイックリーもあえて視線を彼に向けている。周到に芝居をして気付かせていないのだった。
ファルスタッフはその中で手紙を読み続ける。そうしてクイックリーに問うのだった。
「今日の真夜中に王立公園でか」
「左様です」
静かにファルスタッフに答える。
「そちらで」
「黒い狩衣でハーンの樫の木の下にだな」
「愛は神秘を好むもの」
クイックリーはここぞとばかりに雰囲気を醸し出して述べる。
「アリーチェさんは貴方にお目にかかる為にあの伝説にすがられるのです」
「伝説にか」
「そうです。あの樫の木は魔術師や妖精の集まる場所」
欧州にはそう言われる場所が結構多い。ましてやここはドルイドがいたかつてケルト人の場所だったイングランドだ。こうした話は無数にある。
「あの木の枝で黒い狩人が首を吊りまして」
「初耳だぞ、それは」
ファルスタッフは随分この街にいるがそれは知らなかった。
「そんなことがあったのか」
「その亡霊が出るとも言われています」
「亡霊が?」
「そうです」
イングランドはこういう話には事欠かない。ファルスタッフも当然こうした話は非常によく聞いている。今回も興味深くそれを聞きはじめていた。
「真夜中の鐘が鳴りますと不気味な気配が辺りのしじまに漂い」
「彷徨う亡霊達は群れを為して姿を現わし黒い狩人が公園に来ます」
アリーチェが言う。ファルスタッフはそのおどろおどろしさを演出した声に聞き入り完全にクイックリーが話していると思ってしまっている。
「狩人はゆっくりと死人の無気力さで歩きます。その土色の顔で」
「恐ろしいお話ね」
「本当なのですか奥様、それは」
「御伽噺よ」
アリーチェはナンネッタとメグにこう断る。
「乳母が子供を寝かしつける時のね」
「ああ、それなのねお母様」
「そういうことよ」
「幹のところまで来るとそこで妖精達が出て来て男に二本の角を乗せます」
「面白いな」
フォードは今のクイックリーの言葉に頷く。
「そんな話なのか」
「貴方もお気をつけを」
「わかってるよ。嫉妬はもう懲り懲りだよ」
こう妻に言葉を返す。
「それはね」
「わかったわ。そうそうナンネッタ」
「何?お母様」
「貴女は妖精の女王様よ」
「妖精の!?」
「そうよ、白いドレスに白いヴェールに」
「ええ」
あまりよくわからないまま母の言葉に頷く。
「それでピンクのベルトをしてね」
「わかったわ」
「それで愛らしい調べを歌ってね」
「随分込んでるのね」
「貴女だけじゃないしね」
さらに言うのだった。
「メグは森の緑の妖精」
「ええ」
「クイックリーさんは魔女よ」
今クイックリーはいない。それでも言うのだった。
「後は子供達を集めて私と一緒に妖精や精霊や小悪魔や蝙蝠に」
随分と色々である。
「それであの破廉恥漢をやっつけてあげましょう」
「皆でなのね」
「そうよ、皆で」
笑顔で娘の問いに答える。
「あの男が自分のよこしまな考えを白状するまで責めてやって。それからは」
「それからは?」
「仮装を取って夜が明けるまでパーティーよ」
そのことにも考えを巡らせての笑顔だった。
「それが終わってお家に帰るの。どうかしら」
「いいと思いますわ。それでは」
「樫の木の下で」
クイックリーに答える。
「皆さんもそれで宜しいですね」
「はい、それで」
「わかりました」
フェントン達もそれに頷く。これで話は決まりだった。
「それでは皆様、これで」
「はい、これで」
「樫の木の下で」
皆これで別れる。だがフォードとカイウスが残っていた。二人はコソコソと何やら話をしていた。
「覚えましたな」
「ええ」
カイウスは真剣な顔でフォードの言葉に頷いている。
「白いドレスとヴェールに」
「ピンクのベルトですぞ」
「よく覚えました」
カイウスはそのことを頭に入れてあらためて頷く。
「そういうことで」
「はい、それで貴方は」
「私は修道僧のマントを羽織って出ますので」
「わかりました。修道僧のですな」
「ええ」
またフォードに対して頷く。
「覚えて下さいましたね」
「しかと。それでは」
「成程」
しかしその話は今もファルスタッフと対しているクイックリーに聞かれていた。彼女はファルスタッフと話をしながらも二人に気をつけていたのである。
「そういうことだったのね。わかったわ」
「それでだ」
「ええ、ハーンの樫の木の下で」
にこりと笑ってファルスタッフに答える。
「宜しく御願いしますね」
「うむ」
彼は追うように頷く。彼はもう得意満面に戻っていた。しかしそこにもまたとんでもない罠があることには一向に気付いていないのであった。
その真夜中。国立公園の真ん中にそのハーンの樫の木がある。そこに今はフェントンがいる。彼はナンネッタと共に上を見上げていた。木々の間に黄金色の美しい月が見える。その月を見ながら言うのだった。
「喜びの歌は愛しい方の唇から出て夜のしじまを縫って進み同じ様に甘い言葉を返す若い男の唇に」
甘い声で歌っていた。
「その時その音は一つではなく不思議な響きの中で喜びに振るえ夜が明け染める爽やかな大気に心惹かれつつ新たな別の声と共に戻って来る。そしてその中で僕はまた彼女に厚い口付けをするのだ」
「いい歌ね」
「ナンネッタ、そう思うかい」
「ええ。あら」
「そこにいたのね」
ここでアリーチェがやって来た。もう妖精の格好をしている。
「フェントン、貴方の服を見つけてきたわ」
「僕のですか」
「そうよ、これよ」
言いながら一着の服を出してきた。
「これを着て」
「これは」
「修道僧のマントよ」
にこりと笑って彼に告げる。
「うちの人がまた何か企んでいるからね。それでなのよ」
「これを着るんですか」
「ええ、それでいいわね」
そのマントを手渡したうえでまたフェントンに問う。
「これで出し抜くのよ。先んずれば人を制すよ」
「成程」
「奥様」
今度はクイックリーが来た。もう黒い魔女になって箒さえ持っている。
「来ましたわ」
「あら、もうですの」
アリーチェはクイックリーのその言葉を聞いて声をあげた。
「早いですわね」
「さあ、隠れて。フェントンも」
「はい」
「隠れて着替えてね」
「わかりました」
彼等が身を隠すとそれと入れ替わりの形でファルスタッフがやって来た。何やら言っている。
「ここだな。その樫の木は」
まずは樫の木を見た。
「さて、後は」
「ファルスタッフ様」
ここでアリーチェがそっと声をあげる。
「おお、我が愛しの」
暗闇の中なので彼女の格好まではわからなかった。
「ようこそ来られました」
「貴方をお待ちしていました」
まずは殊勝に演技をしてみせる。
「私は貴女の忠実な僕、ジュピターです」
「ジュピター!?」
「そう、雄牛です」
つまりアリーチェこそがエウロペだと言いたいのだ、
「その愛を求めて餓えている雄牛でございます」
「またその様なお戯れを」
「いえ、まことです」
ここでも懲りずに心にもないことを言う。
「ではここで愛を」
「いけませんわ。メグも来ています」
「彼女も」
「私達のことを疑って」
「それはまずいな」
それを聞いてポツリと呟く。
「どうしたものか」
「何か?」
「いえ、何も」
(しかしだ)
誤魔化しながら心の中で呟く。
(上手くやれば両得だな。わしの腕の見せ所か)
「さて」
ここまで考えたうえであらためてアリーチェに顔を向けてきた。
「奥様」
「はい」
向かい合ったところで。後ろからそのメグの声がした。
「悪魔よ!」
「悪魔!?」
ファルスタッフが悪魔と聞いて顔を顰めさせると丁度彼女が逃げる場面が見える。慌てて森の向こうへ走り去っていく。そして彼女も。
「悪魔!?大変だわ」
「奥様、どちらへ」
アリーチェも逃げ去った。気付いた時にはファルスタッフは一人になっていた。彼は一人になると呆然としてまた呟くのだった。
「まさか悪魔がわしを地獄に落としたりはしないだろうな」
「森の精、小さな妖精」
ここでナンネッタが物陰から言う。
「空気の精、木の精、水の精」
「な、何だ!?」
ファルスタッフは突然少女の声が聞こえてきてギョッとした顔で辺りを見回す。
「今度は何だ!?」
「夜も深くなりました。さあ出るのです、静かな闇の中に」
「妖精か、これはいけない」
ファルスタッフは妖精とわかりすばやく身を伏せた。そうして顔を隠したのだった。
「あれを見たら命がないぞ」
この時はこう思われていたのだ。案外迷信深い彼はそれを信じたのである。
彼が身を伏せ顔を隠すと。そこにアリーチェが子供達を数人連れてやって来た。皆それぞれ妖精に扮して実に可愛らしいものである。
「あれよ」
「あの男よ」
反対側からナンネッタも出て来た。彼女も子供達を連れている。彼等は隠れているつもりのファルスタッフの側に来た。そうして口々に言い出す。
「私の言う通りにね」
「わかったよ」
「わかりました」
子供達は二人の言葉に頷く。そのうえで踊り出す。ファルスタッフの周りで
「季節風のそよぎの上を走りなさい。有明の月の光が木々の間を選らす中を軽やかに」
「軽やかに」
子供達は踊りながらナンネッタの言葉を繰り返す。
「魔法が歌と踊りを結び付けてくれます」
「森は眠り香りと闇とが息づいている」
子供達も言う。
「そして闇の中には水底の緑の隠れ家の様に光が輝いている」
「月明かりの中を花から花へと彷徨うのが私達」
ナンネッタはまた言う。
「花はその心の中に幸せを隠しているわ」
「心の中に幸せを」
「百合やスミレの花で内緒の言葉を書きましょう。花は妖精たちの暗号」
「妖精達の暗号」
様々な格好の子供達があちこちから出て舞う。バルドルフォは怪しい赤いケープと頭巾の魔法使いでピストラはパンに扮している。カイウスは仮面をした修道僧、フェントンは仮面をしたそれだ。フォードは緑の妖精の王様だ。女房達は打ち合わせ通りの格好でそれぞれ出て来たのだった。
「むっ、待って下さい皆さん」
「どうされました?」
バルドルフォがわざとファルスタッフにつまづいて一同に声をかける。皆演技で彼に顔を向ける。
「何かいますぞ」
「一体何が」
「随分大きいですわね」
クイックリーがファルスタッフの巨体を箒の柄の先でこづきながら言う。
「男ですわ」
「人間の!?」
「はい、けれど」
「角があるぞ」
フォードが言う。
「林檎みたいに丸く」
「船みたいに大きい」
ピストラとバルドルフォの言葉だ。
「何だこいつは」
「起こそう」
二人はさらに言う。
「おい、起きろ」
「御前は何者だ?」
足で小突くが反応はしない。姿を見ないように必死なのだ。
「起こすか?」
「重いですよ」
フォードとカイウスが言い合う。
「あまりにも重い」
「何なんだ、これは」
二人が持ち上げようとしているその間に。アリーチェはそっとフェントンとナンネッタに近寄る。そのうえで二人に対して囁くのだった、
「隠れなさい、うちの人達に見つかったらことよ」
「そうね。それじゃあ」
「私が呼ぶから」
ナンネッタが頷くとクイックリーも二人に言ってきた。
「その時に出て」
「わかったわ」
「じゃあその時に」
「ええ」
二人はそれに頷く。そうしてその場から消える。今度はバルドルフォとフォードが子供達を集めてけしかけるのだった。
「そら、そのフォークやいらくさで突き刺してやれ」
「容赦はいらないぞ」
「えい、この太っちょめ!」
「早く起きろ!」
子供達もふざけながらその手に持っている悪魔のフォークやいらくさでファルスタッフを突っつく。だがそれでも彼は頑張っている。
「起きるものか、決して」
「刺して突っついて」
アリーチェとメグとクイックリーが笑って子供達をはやす。
「噛み付いて引っ張って」
「悲鳴をあげさせるのよ」
「わかったよ」
「じゃあ」
「あいたっ!」
子供達は本当にそうする。噛まれてつねられたファルスタッフが思わず声をあげる。
「止めてくれ、勘弁してくれ!」
「打ち鳴らせ打ち鳴らせ」
子供達は打楽器を鳴らす。カスタネットや拍子木やガラガラを。
「この老いぼれの酒樽を起こしてやれ」
「大きな腹の上で踊りを踊ろう」
「ファランドールを踊ってやろう」
「それでつっつけつっつけ」
「引っ張れ引っ張れ」
「痛い、痛い!」
叫びながらもまだ顔を上げない。そんな彼に皆でよってたかって言う。
「ならず者!」
「ろくでなし!」
「食いしん坊!」
「大酒飲み!」
「太っちょ!」
「悪党!」
全て真実だから恐ろしい。
「跪け!」
「醜い太鼓腹!」
皆ファルスタッフを囲んでさらに言う。それでも彼はうつ伏せになったままだが。
「人騒がせな破廉恥漢!」
「女たらし!」
「三重顎!」
そして彼等はさらに言った。
「反省していると言え!」
「今までの悪事を!」
「わかった、わかった!」
いい加減に噛まれてつねられて突っつかれて言われてで困り果てていたので思わず言う。
「わかったから勘弁してくれ!」
「悔い改めよ!」
「悪事をするな!」
「わかったからもう!」
「では答えろ!」
「答える、答える!」
ひっくり返されて転がさせられてそれでも目を閉じる。その中での言葉だった。
「だからもう」
「よし!」
しかし今のバルドルフォの声を聞いて。ファルスタッフはふと気付いたのだった。
「今の声は」
「むっ、しまった」
「しまったではないわ!」
丁度ひっくり返されていたのでいい具合に起き上がる。言うまでもなく目を開けている。そのうえで叫んでいた男の一人を見れば。それがバルドルフォであった。
「この赤鼻が!地獄の炎がいいかタールがいいか硫黄がいいか!」
「どれも御勘弁を」
「この馬鹿者!あつかましい役立たずが!」
完全に起き上がってバルドルフォの首根っこを掴んで喚きだす。
「古ぼけた矛槍に毒蜥蜴に無頼漢の盗人!わしの言ったことに嘘偽りがあるか!」
「どうかお許しを」
「・・・・・・全く」
自分のことは見事に棚に上げてカリカリとしている。
「何かと思えば。全く」
「まあまあ」
「これも余興」
「余興でこんな目に遭うのか」
ファルスタッフは皆をねめつけながら抗議した。
「何がどうして。わしが何をしたのじゃ」
「思いきりしていますわ」
「全く」
「むむ、しまった」
アリーチェとメグが二人並んでいるのを見て真相を悟った。
「ばれたか」
「女を馬鹿にすると怖い」
「そういうことですわよ」
「そういうことか。成程な」
「全ては陽気な女房達の復讐」
「御覧遊ばせ」
二人は笑顔でファルスタッフに話す。ここでフォードが彼に尋ねてきた。
「それでですな」
「うむ」
「貴方の頭に角を乗せられたのはどなたですか?」
「それは」
「はい。私です」
「むむっ」
ファルスタッフはクイックリーの姿を見て眉を顰めさせた。フォードもわかって質問したのだ。中々意地が悪い。
「そういうことだったのです」
「わしは完全に騙されたのだな」
「そうです。普段は騙す立場の方がしてやられたと」
自分で言う。
「そういうことだな」
「左様、皆陽気な復讐でのこの」
「夏の夜のささやかな復讐」
「真夏の夜の夢だな」
ファルスタッフは少しおどけてこう言ってみせた。
「ということはだ」
「まあそうですな」
「有り触れた奴はどいつもこいつもわしを笑いものにしてそれを誇りにしよる」
ファルスタッフはここまで聞いたところでわざと勿体つけて言ってみせた。
「しかしわし以外の誰もそれに相応しいほんのひとかけらの機知さえ持ってはいない」
「そうだったのですか」
「そうじゃ」
かなり強引にそういうことにしてしまった。
「そんなあんた達を鍛えるのがわしじゃ」
「貴方ですか」
「わしの機知は皆を賢くするのじゃ」
随分と大袈裟なことを言う。それが一段落ついたところでフォードが出て来た。アリーチェ達はそれを見て遂に出たか、と心の中で思った。
「さて、皆様」
「どうされましたか?」
「一つよい知らせがあります」
「お知らせですか」
「はい、この愉快な仮面劇をフィナーレで飾りたいと思います」
にこやかに笑っての言葉だった。
「妖精の女王の結婚式で」
そっとバルドルフォが出て来た。そこにはカイウスともう一人いた。よく見ればそれは妖精の服を着たバルドルフォである。クイックリーがこっそりと着替えさせていたのだ。
「さて、ここに」
「おお、確かに」
「女王と修道僧が」
「また面白い組み合わせですな」
皆それを見て笑顔になる。フォードは仲人の場所で話す。
「ここに純白の衣装を着てヴェールと薔薇の冠を被った女王が花婿と共にいます。皆様祝福を」
「待って、あなた」
ここでアリーチェが出て来た。
「どうした?」
「もう一組いいかしら」
見れば彼女の後ろにそのもう一組がいる。青いヴェールを全身に被った乙女らしきものとまた修道僧である。これまた奇妙なカップルだった。
「この二人も」
「ああ、いいぞ」
にこやかに笑って妻の言葉に答える。
「喜びが倍になる。いいことだ」
「宜しいのですね」
「男に二言はない」
取り返しのつかない言葉だった。
「さあ、それでは神がそなた達を結び付けて下さる」
「今こそ仮面を」
「どうぞ」
皆口々に二組のカップルに言う。
「ヴェールを外して」
「さあ」
実際にヴェールと仮面を外すと。何と一方はカイウスとバルドルフォ、そしてもう一方はナンネッタとフェントンであった。それを見たフォードとカイウスの驚くこと。
「な、何っ!?」
「これは一体!」
「暫し待たれよ一方は」
「男同士は流石に」
「できませんよ」
皆腹を抱えて言う。その中でフォードもカイウスも呆然としている。
「どういうことなんだ」
「何故こんなことに」
「しかも」
フォードはここでもう一組のカップルを見る。それは。
「娘とフェントン君が」
「見事に決まったわね」
「そうね」
女房達がはしゃいでいる。状況証拠以上のものだった。
「そういうことだったのか」
「あなた」
その主犯が満面の笑みで夫に声をかけてきたしてやったりといった顔だった。
「人は自分の罠にかかることもありましてよ」
「それが今の私か」
「そういうことよ」
「ううむ」
「さて、フォードさん」
してやられたフォードが唸る顔をしているとファルスタッフがにこやかに笑って出て来た。そのうえで彼に語ってきた。
「今回やられたのは誰ですかな」
「私だと仰りたいのですな」
「左様」
その笑みで彼に告げる。
「貴方です。そして」
「そして?」
「貴方も」
ファルスタッフはカイウスも指差して言った。
「見事にしてやられましたな」
「貴方もですが」
「わしは平気なので」
流石はファルスタッフだった。
「もう気にはしておりません。何故なら」
「何故なら?」
「御覧なされ」
今度はフェントンとナンネッタを指差している。二人は仲良く抱き合いにこにことしている。それを見て彼もまたにこにことしているのだった。
「己がしてやられても他人の幸福を見られればそれで心が安らぐ性質でしてな」
「左様ですか」
「そうですぞ」
「そうだな」
フォードもそれに納得した。
「人間は生きていると多少のごたごたは避けられないがそれに甘んじるものだ」
「何ごとも受け入れなければなりませんぞ」
またファルスタッフが言う。
「それが人生」
「そうですな。それに」
フォードは娘とその恋人を見る。そのうえでまた述べた。
「娘は幸せになれたし私も新しい家族を手に入れることになる。これは幸福だな」
「他人の幸福は自分の幸福」
ファルスタッフはまた言う。
「そうですぞ」
「確かに。そうですな」
「いや、流石は旦那様」
「そう仰るとは」
今まで裏切っていた従者達も彼をヨイショしだした。実に調子がいい。
「やはり我々には旦那様こそが」
「理想の主」
「わかったら明日は派手に騒ぐぞ」
「はい」
「わかりました」
「いやいや」
しかしここで気を取り直したカイウスが出て来た。
「今からでどうでしょうか」
「今からとな」
「あら、いいですわね」
それを聞いたメグが乗って来た。
「皆さん集まっていますし」
「子供達も」
メグも言う。
「丁度好都合でしてよ」
「ふむ。それではだ」
「ええ」
「ここは皆でですね」
ナンネッタとフェントンも言う。
「楽しく皆で」
「宴を」
「ではでは皆さん」
アリーチェが真ん中に出てその皆に告げる。
「ファルスタッフさんと楽しく」
「賛成!」
「是非共!」
フォード達だけでなく今宵の騒ぎに参加した全ての者がそれに賛成する。それを見てファルスタッフは誇らしげに鷹揚に頷いている。そうして一節言うのだった。
「ではその楽しい宴の前にお一つ」
「歌ですか」
「左様。世の中全て冗談」
まず歌いだした。
「人は誰もが生まれつき道化師で頭の中では理屈をごねている」
「頭の中では理屈をごねている」
皆それに続いて歌う。
「誰も彼もが道化師でお互い笑い合う。しかし」
「しかし?」
「最後に笑う者こそ本当に笑っているものさ」
「確かに」
「そしてその最後に笑っているのは?」
「このわしだ!!」
最後の最後までファルスタッフはファルスタッフだった。しかし皆その彼を囲んで笑顔で大声で笑うのだった。陽気な女房達の喜劇はこれで終わったのだった。主役の最後の言葉で。
ファルスタッフ 完
2008・5・12
懲りない人だな、ファルスタッフ。
美姫 「そこを見越しての計画だったのかもよ」
にしても、それを利用しつつ娘の恋仲も上手く取り持つとは。
美姫 「今回は楽しいお話だったわね」
だな。騙されて復讐とかもなかったし。
こういう話も良いよな。
美姫 「本当にね。投稿ありがとうございました」
ありがとうございます。