『ファルスタッフ』
第一幕 図々しいラブレター
ウィンザーにガーター亭という安い宿屋がある。ここは非常に有名な宿屋だ。何故有名かというとそこを宿ではなく家にしているある老騎士のせいだ。この騎士の名をサー=ジョン=ファルスタッフという。一応は卿と尊称を付けて呼ばれる身分にある。だがとんでもない人物だ。
殆ど白くなってしまった薄い、ほぼ禿と言ってもいい頭にやけに大きな黒い目、顎鬚はまばらで口髭も多くはない。大柄だがそれ以上にやたらと太っていてまるでビール樽だ。この老の名前を聞くとロンドン市民達は口々にこう言う。
「あっ、あの人ですか」
「また何かやったんですか!?」
こんな有様だ。とかく話題の人物だ。いつもブラウンのズボンにごつい革靴に白いシャツとズボンと同じ色のチョッキを着ている。身だしなみはわりかし気を使っている。ただし他人には気を使わない。
今日も宿屋のロビーの大きな肘掛け椅子に座っている。向かい側には長椅子がある。それを挟んだテーブルの上にはワインの空瓶にインクスタンドにペンや紙、キャンドルが雑多に置かれている。彼はその前で二つの手紙に封をしていた。それが終わった時に一人の中年男が入って来た。
「ファルスタッフ卿!」
「誰じゃ」
男の方を振り向こうともしない。
「この前のことです!」
「借金取りならお断りじゃぞ」
平然として言葉だけ返す。
「とっとと帰れ」
「借金ではありません」
「女のことなら弁護士を連れて来い」
「女のことでもありません」
「じゃあ何じゃ」
「私はフランス人です」
「何っ、フランス人」
フランス人と聞くとその大きな目をさらに大きくさせて立ち上がった。そして誰かを呼んだ。
「親父、海軍大臣を連れて来い」
「どうされたのですか?」
蜂蜜色の髪にいささか白いものを混ぜた初老の男が出て来た。その棲み付いているファルスタッフのおかげで名前が知られてしまったガーター亭の親父ではなく彼の従者の一人バルドルフォだ。親父は奥で寝ているようだ。
「フランス人だ。スパイだ」
「この方はお医者様のカイウスさんですが」
「カイウス。何処かで聞いたな」
「そのせつはどうも」
にこりともせずファルスタッフに声をかけてきた。
「この前私の屋敷にお招きした時」
「何時だったかな」
とぼけてみせてきた。
「覚えておらんな」
「私の召使を殴って雌馬を使いものにならなくして」
「おい、親父」
そのカイウスが怒っているのを気にせずにバルドルフォに声をかける。
「何でしょうか」
「シェリーと一瓶だ」
「シェリーですか」
「そうだ、それをくれ」
「わかりました」
「しかも家を滅茶苦茶に破壊してくれましたな」
「何だ、そんなことか」
カイウスの抗議を耳糞をほじりながら聞いていた。
「そんなこと!?」
「あんたのところの女中には何もせんかったぞ。それは感謝せよ」
「それはまた御親切なことで」
怒ってはいるが嫌味は隠さない。
「あんな目やにの出たお婆さんにはね。全く寛大なお話で」
「だから感謝せよと言っているのだ」
「それで貴方が騎士なら答えてほしいのですが」
「答えか」
「左様で」
「では答えよう」
カイウスの言葉を受けて本当に答える。
「わしはあんたの言う通りのことをやった」
「はい。それで?」
「やりたいからやった。それだけだ」
「王室評議会に訴えてやる!」
あまりにもふざけた答えなので遂に怒りを爆発させた。
「お好きなように。だが一つ忠告しておこう」
「何ですかな」
「あまり怒ると健康によくないぞ。それだけだ」
「どうも御親切に」
さらに怒りに油を注いで楽しんでいるのは明らかだった。
「御忠告痛み入ります。しかも」
「今度は何じゃ」
「昨日私にお酒を御馳走して下さいましたね」
「上等のラム酒だ。満足しただろう」
安酒だ。それを振舞ったと自慢しているのだ。
「ええ。おかげで二日酔いで。最後の方はもう意識がなくて」
「まだ鼻が赤いな」
「その鼻が赤くなるまで飲ませてあんたは」
「わしが何をしたというのだ?」
「財布がなくなってるんですよ。ほら、そこの」
ロビーの端で酒を飲んでいる痩せた男を指差す。帽子に白い羽根をつけて黒尽くめで変に洒落た格好をしている。その男を指差したのだ。
「貴方の従者のピストルさん」
「ピストラじゃ」
「そう、ピストラさん。彼と一緒にわしの財布を」
「ピストラ」
「何でしょうか」
酔った顔を主に向けてきた。
「この医者殿が言っていることはまことか?」
「間違いない!」
カイウスはまだ怒鳴る。
「ほら、ここにあるものがない」
「出るのは埃だけだな」
上着のポケットをひっくり返して見せると出て来るのは確かに埃だけだった。
「エドワード銀貨で二シリングと六グロード半分あったのにそれがない」
「これは侮辱だ」
ピストラはわざとむっとした顔で椅子から起き出て側に箒を掴んだ。
「旦那様、この愚か者をこの木の武器でやっつけたいのですが」
「無礼な!私は紳士だぞ」
こう言われてさらに怒る。
「話し合いに来た紳士に何を言うか!」
「紳士が酔い潰れるものか」
「何を!」
今のピストラの言葉は完全に急所だった。怒りが頂点に達してさらに叫ぶ。
「この馬鹿!間抜け!ボロ纏い!人でなし!犬!卑怯者!化け物!地中の精!毒茄子のつぼみ!」
「よし、紳士ならそんな罵倒はしないな!」
ピストラも本気になって向かうことにした。
「覚悟しろ、この藪医者!」
「おのれ、よくも言ってはならんことを!」
「まあ待て」
ここで話の元凶が仲裁に入った。
「それでこの医師殿の財布を空にしたのは誰だ」
「どっちかだ」
少しだけ冷静になったカイウスはこう言う。
「親父か貴方の従者か」
「酔い潰れて夢を見ておられたのでしょう」
バルドルフォはしれっとして言った。
「お酒はあらゆる悪事、過失、迂闊の父であり母でありますからな」
「まあそうだろうな」
ファルスタッフは強引にそういうことにした。
「酒を飲み過ぎるのがいけない。だからそうなる」
「飲ましたのは貴方ではないですか」
「飲んだのはあんただ」
「うっ・・・・・・」
こう言われるともう反論できなかった。その通りだった。
「あんたの言い分が正しいとしても真実はかくの如し。そういうことじゃ」
「訴えてやる!」
「では証拠を。ありますから」
「うう・・・・・・」
「ではお引取りを」
「これから飲む時は正直で静かで上品で信心深い方と飲もう」
嫌味だったがそれはファルスタッフの脂肪どころか面の皮にも届かず跳ね返されてしまい逆にこう言われた。
「そんな奴は酒場にはおらんな」
「ふん!」
怒りに任せて踵を返し退場する。扉を荒々しく閉め音が響いたのが最後だった。ファルスタッフは彼が去るとそのままイスに戻りバルドルフォが持って来たシェリーを手に取った。それを瓶ごとラッパ飲みしながらまた言うのだた。
「かっぱらいは優雅に、首尾よく」
「優雅に首尾よくですか」
「調子っ外れた馬鹿騒ぎではないのだ」
こうピストラ達に説教するのだった。
「それはよいな」
「左様ですか」
「騒がれるうちはまだ安芸人」
こうも言ってみせる。
「そういうことじゃ」
「わかりました、旦那様」
「それでですね」
「何じゃ?」
「お勘定です」
宿で飲んでいる分だ。
「今日の分ですが」
「ふむ、どれだけじゃ」
「これです」
バルドルフォが勘定を店の奥から持って来た。何か親父が寝ているのが見える。
「まずは雛鳥六羽が六シリングです」
「ふむ」
「シェリー三十本で二リーレ」
続いてそれだった。
「七面鳥に雉にあと羊に」
「それぞれ幾らじゃ」
「先の二つが一マルクで」
「合計二マルクじゃな」
「それと羊が一ペニーです」
「よく見ろ」
バルドルフォにもう一度勘定を見るように言う。
「もう一度よく見てみよ。間違いではないのか」
「間違いありません」
こうファルスタッフに答える。
「やはりそれだけです」
「財布は見たか」
「真っ先に見ました」
「それでどうだった」
「こちらはありません」
「勘定があって金がないのか」
「そうです」
実に素っ気無い返答だった。
「その通りです」
「御前等、食べ過ぎだろう」
「そうですか?」
「わしは週に十ギニーも使っているぞ。御前等が毎日三十年もわしの脛をかじって酒場をはしごしておるからな。わしは痩せ細っているのだぞ」
大嘘なのが一発でわかる言葉だった。その巨大な腹を見れば。
「全く。少しは遠慮しろ。茸みたいな赤鼻になりおって」
「いえいえ、旦那様だからこそ」
「我々も」
しかし彼等は悪びれることなく主にお世辞を言ってきた。
「その偉大なお腹に誓いましょう」
「ご一緒させて頂いているのです、旦那様だからこそ」
「これはわしの誇りだ」
腹のことを言われると満足してそれをさすってみせる。
「それをさらに大きくさせる為に今は」
「どうされるのですか?」
「知恵を使う」
右の人差し指を立ててみせて笑みを浮かべての言葉だった。
「フォードという成金がいるな」
「ええ」
「しかも身分も低くなくてしかも奥方は別嬪だ」
「えらく恵まれた奴ですな」
「実に羨ましい」
「金庫の鍵を持っているのもその奥方よ」
ファルスタッフはこれも言う。
「あの愛の様な瞳も白鳥の様なうなじも花の様な唇も。実によい」
「まことに奇麗な方で」
「ですがその奥方が何か」
「アリーチェといったか」
今度はその奥方の名を口にする。
「わしに気があるのだ」
「まさか」
「気のせいでは?」
「そんな筈がない」
今の二人の言葉は目を怒らせてムキになって反論する。
「あの屋敷の前を通ると見てくれるのだ。それはどうして」
「天気を見ていただけでは?」
「ここは晴れが少ないですし」
ロンドンだからだ。この街は昔から雨が多い。
「わしはすぐわかった。この腹と男らしい脛に惚れたのだ」
「下半身ばかりか」
「また変わっているな」
「しかももう一人いる」
「おや、それはまた」
「果報なことで」
また誇らしげな話がはじまる。
「マルゲリータ夫人、通称は・・・・・・ええと」
「メグさんですね」
「そういえばあの方もまた」
「そうだ。家の金庫の鍵を持っていて別嬪でな。さながらゴルゴンデ、黄金海岸だ」
インドの古都とアフリカの海岸だ。どちらも欧州に途方もない富をもたらした。もたらす方にとってはたまったものではなかったが。
「わしは九月半ばの快い夏の様に魅力に溢れておる。まさにお似合いだ」
「そうですかね」
「どうだか」
「お似合いなのだ」
また目を怒らせてそういうことにする。
「それでだ」
「はい」
「何でしょうか」
「御前達にやってもらいたいことがある」
あえて勿体ぶって二人に告げる。
「よいか。この手紙をだ」
「そういえば昨日必死に書いておられるかと思えば」
「それでしたか」
「左様。ピストラは」
「はい」
ピストラは名前を呼ばれて応えた。ファルスタッフはその彼に一通の手紙を差し出した。
「御前はこれをアリーチェ夫人に。バルドルフォ」
「何でしょうか」
「御前はこれをメグ夫人にだ。それぞれ頼むぞ」
「いや、それは旦那様」
「ちょっと」
しかし二人はここで難しい顔をファルスタッフに対して見せるのだった。当のファルスタッフもすぐにそれに気付いた。
「嫌なのか?」
「我々とて騎士の端くれです」
「そうです」
二人はこのことを強調してきた。
「戦場では馬に乗る身分。それでどうして」
「この様なことに手を貸しましょうか」
「何故だ?」
「それは言うまでもありません」
「禁じられているからです」
二人はそれは禁じられていると言うのだ。
「ですからそれは」
「お受けできません」
「何に禁じられているのだ」
「名誉です」
ここでは二人の言葉は完全に重なった。
「ですから申し訳ありませんが」
「この申し出は」
「ええい、役立たずめが」
ファルスタッフはそれを聞いて早速怒り出した。
「何が名誉か、不名誉の塊が」
「旦那様」
「幾ら何でも今のお言葉は」
「いいか、聞くのだ」
怒ったまま二人に怒鳴る。
「わしにしろ必要となれば神様に目をつぶってもらい」
「それはいつもでは?」
「先程のお財布のことといい」
「だから聞け!」
本当に怒っている。
「名誉を棚にあげていんちきといかさまに精を出しずるく振舞っているし方針も変える」
「それもまた」
「いつもでは」
「だから聞けと言っているのだ!」
ここでもその強引さを発揮する。
「御前達ときたら山猫みたいな目つきと不愉快な薄笑いを浮かべて名誉にしがみついている。そんな連中に何が名誉か。大体名誉で腹が一杯になるか」
これこそファルスタッフの本音だった。名誉なんぞ糞くらえ、そういう考えなのだ。
「名誉が傷ついた足を治すか。何も治せない、名誉は医者ではないのだ」
「それはそうですが」
「ですが」
「名誉はただの言葉だ。ただ空を飛ぶだけのもの」
彼にとってはその程度のものでしかないということだった。かなり正直だ。
「死人にも必要のないもの。生きている奴にも価値はない。甘い言葉がそれを膨張させて思い上がりが堕落させて陰口が醜くさせる。そんなものはわしには必要がない。それでも名誉というならば!」
「うわっ、来た!」
「旦那様の雷だ!」
「わしが貴様等にその価値を教えてやる!覚悟しろ!」
ここで箒を手に取って振り回す。二人はそれから逃れるのがやっとだった。
「に、逃げろ!」
「旦那様御乱心!」
「死んでしまえ!それか首をくくってしまえ!」
どちらも同じ意味だ。
「馬鹿共が。覚悟せい!」
「う、うわあああっ!」
「な、何て有様だ!」
二人はそれぞれ扉から飛び出て逃げる。何とかファルスタッフの箒から逃れる。大暴れして汗をかいたファルスタッフはとりあえず椅子に腰を下ろして落ち着く。そこに来た小僧にその二通の手紙と僅かのチップを与えて二人の奥方のところに行かせる。そのうえでやっと落ち着きシェリーを飲みつつこれからのことにニヤリと笑うのだった。
フォードの家。外は煉瓦、中は木造で大きな立派な家だ。その庭の緑の芝の上に二人の貴婦人がいた。一人は赤い服で白いカラーが目立つ。ブロンドに黒い目を持っていてその視線が強く細い顔立ちの小柄な美女である。もう一人は青いドレスに白いカラー、灰色の目に銀髪だ。背が高くややふっくらとした優しげな顔立ちだ。二人は実に対象的だが一つだけ同じものを持っていた。それは美貌だった。
その二人の美貌の貴婦人が言い合う。まずは赤いドレスの貴婦人から。
「ねえメグさん」
「何かしらアリーチェさん」
二人はそれぞれ言い合う。
「今日のあの娘はどうかしら」
「ナンネッタね」
「そう、あの娘」
母に似て小柄であるが黒っぽい髪だ。大人しい白い服を着ているがそれがよく似合う。如何にも少女といった薔薇色の頬に黒い目が実に映える。利発そうな娘だ。
「どうかしら」
「奇麗ね」
メグはにこりと笑ってアリーチェにこう述べる。
「若い子が放っておかないわよ」
「そうね。確かにね」
「ええ、そうね」
「こんにちは」
ここでもう一人来た。彼女は黄色いドレスだ。カラーは同じ色だ。茶色の髪と目をした中肉中背の女だ。年齢はアリーチェ達と同じ位だ。知的で山猫に似た目をしていて唇の端で静かに微笑んでいあt。
「ご機嫌麗しゅう」
「あら、クイックリーさん」
「貴女も来てくれたのね」
「折角のお茶ですから」
微笑んでこう二人に述べるのだった。
「それでです」
「貴女も来てくれたのなら調度いいわ」
アリーチェはクリックリー夫人に対して述べた。
「実はね」
「はい」
「こういうものを貰ったのよ」
「あら、私と同じ」
それを見てメグが思わず言った。
「ラブレターを貰ったのね」
「ええ、そうなのよ」
メグに答えて困った顔を見せる。
「貴女もだったの」
「そうなのよ。奇遇ね」
「そうね」
「世の中おかしなものがあるものね」
ナンネッタはそれを見て言った。
「見たら何か紙も封印も一緒ね」
「そういえば」
「確かに」
彼女の言葉を聞いて二人の貴婦人は手紙をまじまじと見た。見れば確かにそうだった。
「では中身は」
「まさかとは思うけれど」
同時に開いてその中身を見る。するとその中身も同じだった。
「何とまあ。名前を変えただけ」
「私のねメグになっていて」
「私のはアリーチェになっている。それだけね」
「同じ文句で同じ筆跡で同じインクで」
「ただ名前を変えただけ」
「そして最後にあるのは」
差出人の名前だ。そこにあるのは。
「サー=ジョン=ファルスタッフ」
「両方共そのまま」
「何て破廉恥な」
「おやおや、これはまた」
クイックリーもこれには呆れていた。
「あのお騒がせ騎士殿ですか」
「何て破廉恥な」
「これは許せないわ」
早速二人は激昂を見せる。ナンネッタはその二人に対して問う。
「それでどうするの?」
「決まってるわ」
「思い知らせてやるのよ」
やはりそれであった。破廉恥な男に天罰を、というわけだ。
「そして笑いものにして」
「それはいいわね」
ナンネッタが母の言葉に相槌を打つ。
「あの酒樽親父だけれど」
「ええ」
四人の女達が話しに入る。
「今でも男前の若い人とおなじような足取りらしいわ」
「まるで大砲みたいな身体なのに」
クイックリーも容赦がない。
「何とまあ」
「嵐の時に大波が打ち上げた鯨そっくりなのに」
メグも言う。
「私も仲間に入れて」
「貴女もなのねナンネッタ」
「ええお母様。そのかわり」
「わかってるわ。それにしても」
またファスタッフのことを言うのだった。
「こんな破廉恥な手紙を送ってくるなんて」
「大砲みたいに破裂させてやりましょう。女の微笑みとウィンクと足取りで」
「その通りですわ」
メグとクイックリーもまた話す。
「あの鯨を懲らしめて街中で笑ってやりましょう。陽気な女房達の笑いで」
「これに上手くいけば私は彼と」
ナンネッタはあることを考えていた。
「幸福になれるわね。二人で」
「とにかく結構よ」
「女房達の陽気な復讐は今はじまりますわ」
そんなことを言い合っている。見れば庭の離れたところでは男達も話をしている。あのカイウスとピストラ、バルドルフォが二人の初老と青年の男にそれぞれ話をしている。初老の男は茶色がかった金髪に黒い目の額の広いブラウンの服とダークブラウンのズボンの男で青年は立派な眉目に黒い目、鮮やかなまでに光り輝く金髪に高い鼻を持つ美しい男だ。服も青い上着と黒いズボンに赤いマントと立派である。三人は彼等に言っていたのだ。
「あの男は無頼漢でいかさまが得意で盗人で悪党で分からず屋で壊し屋なのです」
カイウスが忌々しげな顔でまくしたてている。
「先日も私の家を滅茶苦茶にしてくれまして。この二人ですが」
「そのファルスタッフ卿の従者達ではないか」
「左様です、フォードさん」
初老の男に対して答える。
「だからこそ信用できます」
「ふむ」
「まずはですね」
バルドルフォが話す。
「旦那様は不埒なことを考えています。慎重過ぎると貴方は助かりません」
「やけに物騒だな」
「それを防ぐ為に、貴方を泥沼に入れない為に私は来ました」
「私もです」
ピストラも名乗り出る。
「まず我々は馬に乗る身分です」
「うむ」
「その誇りにかけて言いましょう」
つまり真実というわけだ。誇りにかけて。
「旦那様は貴方に対して仕掛けるつもりです。詐欺師、いえならず者に狙われています」
「フォードさん、どうされますか」
青年がフォードに対して問う。
「どうというとフェントンさん」
「あの男を懲らしめてやりましょう」
フェントンの提案はこうだった。
「あのふてぶてしい太っちょを。凝らしめて地獄に送ってやりましょう」
「地獄にそうです」
「さあフォードさん」
「今こそ」
「旦那様に天罰を」
「少し待ってくれ」
そのフォードは困惑した顔で四人に言うのだった。
「何か?」
「頭が混乱する。雀蜂が飛び回ってしかも熊蜂まで喚いていてしかも大風をはらんだ雨雲が暴れているようだ。全く何が何だかわからない」
それだけ混乱しているのだ。
「そもそもだ。ファルスタッフ卿は何を企んでいるのだ?」
「貴方の家に押し入り」
「ふむ」
まずはピストラの話を聞く。
「貴方の奥さんとねんごろになって金庫のお金を拝借しようとしているのです」
「何と」
「それはとんでもない」
それを聞いたカイウスとフェントンが思わず声をあげる。
「もう手紙を書いて送ってもいます」
「もうか。何という男だ」
「私はそれを申し付けられたのですが断りました」
「私もです」
バルドルフォも言う。
「我々のするような仕事ではありませんので」
「全く以って」
「噂は聞いていたが何という破廉恥な男だ」
フォードも怒らずにはいられなかった。
「どのようにしてくれようか」
「旦那様は無類に女癖が悪く」
「それは聞いていたが」
その方面でも評判だったのだ。
「女とあれば色目を使い別嬪でもそうでなくても生娘でも亭主持ちでも女であれば誰でも」
「とんでもない奴だな、あの歳で」
「しかもです」
バルドルフォが続く。
「欲深く無反省で」
「救いようがないな」
「ですから本当に御気をつけ下さい」
「とんでもないことになりますから」
「わかった。ではまずはだ」
フォードはそこまで聞いて決心した。目が怒っている。
「女房を見張ろう。ファルスタッフ卿もな」
「是非共」
「そしてだ」
さらに言う。
「何があっても私の財産を守るぞ」
「あっ」
フェントンはフォードの話を聞きながらふと庭の遠くに目をやる。するとそこにはナンネッタがいた。
「あの人がいる」
「あの方だわ」
ナンネッタの方も彼に気付いて声をあげた。
「家内だ」
「主人ね」
フォードとアリーチェもお互いに気付いたがこちらは静かなものだった。
「聞かれたか?」
「聞かれたかも」
それぞれそれを危惧する。
「ねえ奥様」
「何かしら」
メグがこっそりとアリーチェに囁いてきた。
「御主人のやきもちはどんな感じかしら」
「それが趣味よ」
ということだった。
「困ったことに」
「では場所を変えましょう。聞かれたらまずいわ」
「そうね」
彼女達はその場を後にする。フォード達もだった。カイウスがフォードに対して囁いたのだ。
「聞かれたら」
「そうですな。それでは」
彼等の場所を変える。庭には誰もいなくなった。しかし右手からフェントンが、左手からナンネッタが姿を現わした。二人は互いに見詰め合って抱き合う。それから話をする。
「ねえナンネッタ」
「何?」
「キスをして」
うっとりとした目でナンネッタを抱きながら頼む。
「いいかな、いつもみたいに」
「ええ、わかったわ」
「有り難う」
それを受けてフェントンの左の頬にキスをする。それから彼女は言うのだった。
「誰にも見られていないわね」
「大丈夫だよ。けれど」
「けれど。何?」
「皆にも見せてあげたいよ」
熱い心で語るのだった。
「僕達の愛をね。この甘い口付けも愛らしい唇も」
「まあ、恥ずかしい人」
「だって君が好きだから」
熱い目で語る。
「だからだよ」
「そうなの。あっ」
ここでナンネッタは気配を察した。
「誰か来るわ」
「えっ、誰だろう」
「とりあえずは隠れましょう」
こうフェントンに言う。
「見つかったら何かとややこしいことになるわ」
「そうだね、それじゃあ」
「ええ」
姿を庭の茂みの中に隠す。出て来たのはアリーチェ達だった。
「それで奥様」
「どうするかですわ」
「そうね」
アリーチェはメグとクイックリーの言葉に頷く。
「どうしましょうか」
「報いを与えてやるべきです」
「これは絶対です」
二人は断言する。
「問題はそれをどうするかですが」
「手紙を書いてみようかしら」
アリーチェはふと呟いた。
「それだとどうかしら」
「手紙を?」
「それなら」
「あら、ナンネッタ」
何気なく話に入る。
「いたの」
「いたわよ、お母様」
にこりと笑ってそれは誤魔化す。
「それでね。そのお手紙を」
「ええ」
「誰かに持って行かせるのよ」
「あっ、それはいいわね」
「そうね」
女達も彼女の言葉に頷く。
「けれど私達が行くと」
「あれだし」
言い寄られているアリーチェとメグはそれはできない。だから困った顔を見せる。
「ナンネッタだとかえって言い寄られるわね」
「どうすれば」
「では私が」
ここでクイックリーが名乗り出た。
「貴女が?」
「当事者じゃないからいけますわ」
にこりと笑って言うのだった。
「ですから是非共」
「では御願いできるかしら」
「はい」
アリーチェに対してその笑顔で頷く。これで決まりだった。
「ではまずはおびき出してからかって」
「それからは?」
「酷い目に逢わせてやるわ」
娘に答える。
「絶対にね」
「容赦なく」
「勿論ですわ」
メグにも答える。
「あんな不誠実な男には目にもの見せてやらないと」
「いけませんわね」
「そういうことですわ。あの恥知らずな雄牛」
アリーチェはファルスタッフをこう呼んだ。
「好色な脂肪の塊」
「大酒飲みの食いしん坊」
これはメグの言葉だ。
「しかも反省もしないで次から次に悪事を働く」
「ここで懲らしめてやらないと」
「河に投げ込んであげましょう」
クイックリーとナンネッタも笑いながら話す。
「それか火炙りか」
「雄牛の丸焼きね」
「猪かも」
とかく色々言われるファルスタッフだった。自業自得だが」
「じゃあクイックリーさん」
「わかっていますわ」
クイックリーは笑顔でメグに応える。
「お任せあれ」
「そういうことで」
また女房達は姿を消しナンネッタだけになった。するとフェントンはそっと茂みから姿を現わす。そうしてナンネッタにまた近付くのだった。
「忙しい日だね」
「お祭りの前が一番忙しいのよ」
ナンネッタはにこりと笑ってそのフェントンに語る。
「だから驚くことはないわ」
「そうなの」
「そうよ。それでね」
「何かな」
「私達のことだけれど」
フェントンを見上げて言う。
「恋のルールは一番弱い人が一番強い人に勝つ」
「うん」
「そうだけれど。どうなのかしら」
「僕はいつも弓矢を持っているけれど」
「弓矢を?」
「弓は唇で」
彼は言う。
「矢はキスさ」
「それなのね」
「そうだよ。だからまた」
「さっきしたからいいじゃない」
くすりと笑ってフェントンをかわす。
「キスはまた今度ね」
「またなの」
「そういうこと。また後で」
「そんな。折角二人になったのに」
フェントンはナンネッタの態度がつれないと思って悲しい顔になる。しかしこれはナンネッタの駆け引きだったのだ。
「恋は時として離れるのも楽しいものよ。だから」
「だから今はってことかい?」
「そういうこと。また誰か来たわ」
「今度は君のお父さんだよ」
「見つかったわまずいわね。それじゃあまた」
「今度ね」
「ええ、また今度」
こう言葉を交えさせて別れる。ナンネッタが左手に消えると右手からフォードがカイウス達と共に姿を現わす。フェントンもこっそりと彼等の中に入る。そのうえで話にも加わる。
「それでだ」
「ええ」
フォードがバルドルフォに問うていた。
「ファルスタッフ卿はどちらに。確か」
「ガーター亭ですよ」
「そうだったね。あそこも随分と評判が悪くなったものだ」
「それも全てはファルスタッフ卿のおかげか」
「あの方あってのガーター亭です」
ピストラも言う。
「おかげ様で」
「それでだ」
「はい」
「私をあの人に紹介して下さい」
ここで二人に頼み込む。
「宜しいでしょうか」
「貴方をですか」
「ただし変名で」
こう言い加える。
「それで御願いします」
「わかりました、それではそういうことで」
「誓いましょう」
フォードと二人が誓い合うとそこにカイウスとフェントンも加わる。何時の間にか左手に女房達も来ている。彼女達もあれこれと言い合っている。
「捕まえて糸車よりも回してやって」
「ウィンクでぐにゃぐにゃになったとことをとっちめてやって」
「冷や汗で川を作らせて」
「街の笑いものにしてやりましょう」
アリーチェもメグもナンネッタもクイックリーも誓い合う。男達も誓い合いながら銘々に言い合う。
「真実は薬の味がします。しかし良薬は口に苦し」
「旦那様はお酒がお好きなのでそれで釣って。詐欺師はこれでお陀仏だ」
「今の苦労は仕込み。後で笑おう」
「夫婦の危機を作ろうとするあの旦那様を懲らしめて。そうすればフォードさん、貴方は助かります」
「向こうでは御婦人方が話し合いか。本当に色々あるけれど僕はナンネッタを」
カイウスもピストラもフォードもバルドルフォもフェントンも口々に言い合っている。九人が九人で。それぞれあれやこれやと言い合うのだった。
また男達が消えて女達だけになって。アリーチェが音頭を取る。
「ぐずぐずしてはいられませんわ」
「そうですね」
「それでは」
メグとクイックリーがそれに頷く。
「ではクイックリーさん」
「何時それをしますか?」
「明日御願いできます」
アリーチェはにこりと笑いながらクイックリーに言う。
「明日。それで」
「わかりました。では明日」
「そういうことで。では皆さん」
「はい」
三人が楽しげな笑顔でアリーチェを囲む。アリーチェはその三人にまた告げる。
「明日。御願いしますね」
「畏まりました。それでは」
「そのように」
こう言い合ってようやく分かれる。楽しい舞台の準備は整ったのだった。
ファルスタッフに対して何かを仕掛けようとする人たち。
美姫 「でも、二つのグループがそれを仕掛けるみたいだけれど」
互いに邪魔し合う形になったりしてな。
美姫 「どんな感じになるのかしらね」
うん、次回も楽しみです。
美姫 「次回も待ってますね」
ではでは。