『ドリトル先生とサーカスの象』




                第十一幕  象の神様

 お昼にサーカス団にお邪魔してです、先生は太郎からこんなことを言われました。
「象の神様がいるって聞いたけれど」
「ああ、いるよ」
 先生はすぐに答えました。
「インドにね」
「インドにも象がいるね」
「そう、だからね」
 それでというのです。
「象の頭を持った神様がいるよ」
「そうなんだね
「ガネーシャといってね」
 太郎にその象の名前も教えました。
「象の頭に四本の手を持って太った」
「そうした姿なんだ」
「お菓子が大好きでね」
 そうであってというのです。
「商売の神様なんだ」
「そうなんだね、実はね」
 太郎は自分の檻の中からそのすぐ外にいる先生にお話しました。
「インドの子達が言っていたんだ」
「サーカスを観に来た子達かな」
「そう、その子達が象の神様がどうとかね」
「お話していたんだね」
「そのことを聞いてね」
「僕に聞いたんだね」
「うん、象の神様がいるのかってね」
「実際にいるからね」
 先生は太郎にお話しました。
「インドにね」
「そのガネーシャって神様だね」
「商売のね」
「四本の手を持つ」
「とても頭が良くて優しいんだ」
「いい神様だね」
「そうだよ、インドのヒンズー教という宗教の神様で」
 そうであってというのです。
「とても人気があるよ」
「インドでもだね」
「そうだよ」
 まさにというのです。
「あの神様はね」
「それはいいことだね」
「インドでも象は人気があって」
 そうであってというのです。
「神様にもなっているんだよ」
「そのお話を聞いて嬉しいよ」
 太郎はにこにことして応えました。
「僕もね」
「それは何よりだね」
「そして仏教にもね」
「仏教だと仏さんだね」
「そのガネーシャ神が仏教に入って」
 そうしてというのです。
「大聖歓喜仏というんだ」
「仏様にもいるんだね」
「そうだよ、こちらでは恋愛を司るんだ」
「へえ、そうなんだ」
「いい仏様だよ」
 仏教でもというのです。
「優しいね」
「あの、仏様って大抵優しいお顔してるよね」
 ここで太郎はこんなことを言いました。
「けれど中にはすごく怖いお顔をしていて」
「そうしてだね」
「後ろに燃える火を背負ったね」
「それは明王というんだ」
 先生は太郎にお話しました。
「魔と戦って降す仏様だよ」
「戦うんだ」
「だから憤怒、怒ったお顔をしているんだ」
「悪い仏様じゃないんだね」
「怖くもないよ」
「そうなんだね」
「怖かったね、太郎は」 
 先生は笑って言いました。
「その仏様を見て」
「団長さんが時々仏像を出して手を合わせているのを見たら」
「その仏像がなんだ」
「中に凄く怖い仏像があって」
「それが明王だよ」
「そうだったんだね、悪いものをやっつけるいい仏様だったんだね」
 太郎は笑顔で言いました。
「だったらいいよ、僕も怖がらないよ」
「人や生きものをお顔で判断したらよくなくてね」
「神様仏様もだね」
「そうだよ、外見で判断しないでね」
「そうするよ」
 先生に笑顔のまま応えます、そうしたお話をしてです。
 先生は他の生きもの達ともお話をして研究室に戻りました、すると動物の皆からこんなことを言われました。
「いや、サーカスで神様のお話するなんてね」
「思わなかったね」
「仏様のお話もするなんて」
「ああしたことになるなんて」
「僕も意外に思っているよ」
 先生は皆に自分の席で紅茶を飲みながら答えました。
「太郎と神様仏様のお話をしたことはね」
「サーカスだからね」
「お寺や神社じゃないから」
「そこでお話するなんて」
「とてもね」
「うん、けれど神仏はどの場所にも力を及ぼすから」 
 だからだというのです。
「それでね」
「サーカスでもだね」
「お話が出るんだね」
「そうなんだね」
「考えてみるとね」
 そうすると、というのです。
「この世で神仏の力が及ばないところはあるか」
「ないね」
「この世の全ては神仏が司っておられるから」
「だからないね」
「考えてみたら」
「そうだよ」
 まさにというのです。
「だから太郎と神様仏様のお話をすることもね」
「あることで」
「意外に思うことじゃないわね」
「考えてみたら」
「そうなるよ」 
 これがというのです。
「これがね、しかしね」
「しかし?」
「しかしっていうと?」
「どうしたの?」
「いや、象の神様は本当に存在していてね」
 そうであってというのです。
「仏教にも存在しているけれど」
「ガネーシャ神だね」
「ヒンズー教の」
「それで大聖歓喜天ね」
「先生が言っていた」
「それで明王のお話もしたけれど」
 それでもというのです。
「明王で一番強くて位の高い不動明王はね」
「あの有名な仏様だね」
「実際に怒ったお顔でね」
「後ろに燃え盛る火を背負った」
「物凄く強くてね」
「あらゆる魔を降すんだよね」
「あの仏様はヒンズー教ではシヴァ神なんだ」
 この神様だというのです。
「不動明王の梵語での呼び方はアカラナータっていうけれどね」
「仏教って元々インドの宗教だしね」
「お釈迦様がはじめた」
「それであっちじゃヒンズー教の一派になってるね」
「そうなっているね」
「そうだけれどね」
 皆にさらにお話します。
「アカラナータってシヴァ神の別名なんだ」
「へえ、そうなんだ」
「不動明王てシヴァ神だったんだ」
「そうだったんだ」
「そうなんだ、明王は仏の戦う姿というお話もあって」
 仏教にはというのです。
「不動明王は大日如来の憤怒した姿とも言われていてね」
「シヴァ神とも言われている」
「そう考えると凄い仏様ね」
「道理で強い筈だよ」
「あの仏様はね」
「そう、そしてね」
 先生はミルクティーを飲みながらお話します。
「ガネーシャ神はシヴァ神の息子さんだよ」
「へえ、そうなんだ」
「それはまた縁だね」
「面白いね」
「そんな関係だったんだ」
「太郎は知らなかったけれど」
 それでもというのです。
「そうした間柄なんだ」
「成程ね」
「インドから日本に来て」
「仏教にも入ってね」
「そうした風になってるのね」
「そうなんだ、お話していてこれはと思ったよ」 
 先生としてはというのです。
「宗教のお話をしてね」
「神様と仏様」
「そしてガネーシャ神とシヴァ神のこともあって」
「明王んのお話もして」
「何かとだね」
「神仏を感じたよ、やはりね」 
 先生は神妙なお顔になって言いました。
「神仏は存在するよ」
「この世にね」
「だからこうした時にお話にも出るね」
「そして意識するね」
「そうだね」
「そうなるよ、あと団長さんが信仰心深いということも」 
 このこともというのです。
「わかったよ」
「仏像さんに手を合わせる位ね」
「そこまでだね」
「信仰心があるね」
「そうした人だね」
「本当に何も信仰もない人は」
 先生は今度はお顔を曇らせて言いました。
「間違えやすいね」
「悪いことを平気でしたり」
「おかしな考えに至ったりね」
「そうなったりしてね」
「間違えるね」
「うん、そこに倫理が備わらないから」
 だからだというのです。
「そうなりやすいね」
「宗教って信仰を通じてね」
 そしてと言うトートーでした。
「色々学ぶからね」
「学問でもあってね」 
 ジップはそうしてと言いました。
「倫理でもあるんだよね」
「そうしたものだから」
 それでとです、ダブダブは言うのでした。
「大事なのよね」
「それもかなりね」
「勿論カルトは駄目にしても」 
 オシツオサレツはここでも二つの頭でお話します。
「ちゃんとした宗教ならいいし」
「それが倫理にもなるね」
「倫理、モラルがないと」
「悪人よね」
 チープサイドの家族はこうお話します。
「実際にそんな人いるしね」
「神様も仏様も信じない人で悪人が」
「自分しかなくて」
 チーチーはどうかというお顔で言いました。
「平気で悪いことするんだよね」
「根っからの悪人の中にはね」 
 まさにと言うポリネシアでした。
「信仰心なんて全くない人も目立つわね」
「そしておかしな考えに至る人もいるよ」
 ホワイティも言いました。
「極端に偏った」
「自分の力で生きるって言っても」
 老馬はそうした言葉について思い語りました。
「人も生きものもそんなに強くないしね」
「悪い人になるか間違えることが多いとなると」
 ガブガブも深く考えています。
「信仰はあった方がいいね」
「そうだね、だから団長さんが仏像に手を合わせることはいいことで」
 そうであってというのです。
「太郎が神様のお話をしたこともね」
「いいことだよね」
「本当に」
「人も生きものを神仏を感じる」
「そうであるとね」
「そうだよ、信仰心がなくて自分だけなら」
 そうした人はといいますと。
「本当にね」
「とんでもない人になって」
「悪いことも平気でして」
「間違えて」
「とんでもないことになるね」
「そうだよ、僕も神仏は信じているしね」
 先生ご自身もです。
「そこから倫理も学んでいるよ」
「そうだね」
「そうしているね」
「先生も」
「だからいい人だね」
「紳士でね」
「いや、何も信仰もないうえに自分だけの人は」
 先生はそうした人についてさらにお話します。
「この上なく悪い人になりかけないよ」
「そうよね」
「そんな人はね」
「倫理観なんてなくて」
「自分の為だけに悪いことをし続ける」
「それもどんな悪いことも」
「恥も外聞もなくてね」
 そうであってというのだ。
「勿論お金や権力のこともね」
「汚いね」
「どんなことをしても手に入れようとするね」
「人を騙したり傷付けても」
「そうしてもね」
「善性を学ばずね」 
 信仰を通じてというのです。
「それで自分だけで品性も学ばないなら」
「そうなるね」
「とんでもなく悪い人になるね」
「それも醜い」
「そうなるね」
「そして人を騙して利用することも平気だから」
 そうであるからだというのです。
「騙される人も出るよ」
「そうなるよね」
「もっと悪いことに」
「根っからの悪人だとね」
「人を騙すことも平気だしね」
「そして悪知恵をね」
 そう言われるものをというのです。
「ひたすら備えていくから」
「それを使ってね」
「どんどん悪いことをするね」
「まさに世の害にしかならない」
「そんな人だね」
「そんな人がいるんだよ」
 世の中にはというのです。
「信仰を持たないでね」
「そんな人になりたくないわね」
「そして近寄りたくないね」
「絶対に」
「そうしたいね」
「うん、なったらね」
 そうしたとても悪い人にというのです。
「何時かこのうえない報いを受けるよ」
「神様仏様からね」
「そうなるね」
「絶対にね」
「その人は信じていなくても神様仏様がいるから」
「だからね」
「そうなるよ」
 絶対にというのです。
「見ているからね」
「神様仏様がね」
「例え大勢の人を騙せてもね」
「神様仏様は騙せないから」
「悪事を見られて」
「裁かれるね」
「天網恢恢疎にして漏らさずとも言うね」
 先生はこの言葉も出しました。
「悪事は隠れてこそこそやってもね」
「神様仏様が見ていて」
「それでだよね」
「報いを受けるね」
「絶対に」
「まして堂々と公の場でやっていたなら」
 それならというのです。
「受けない筈がないよ」
「そうだね」
「本当にね」
「そうならない筈がないね」
「絶対に」
「そうだよ、そうならないと思うならね」
 それならというのです。
「その人は人でも生きものでもないよ」
「もうね」
「堂々と悪事をやり続けてね」
「それでどうにもならないって思うなら」
「人でも生きものでもないね」
「例え絶大な財産や権力があってね」
 そうであってというのです。
「法律を意のままに出来ても」
「それでもね」
「本当に神様仏様は見ているから」
「だからね」
「それでだね」
「確実にね」
 それこそというのです。
「報いを受けるから、その時の裁きはね」
「物凄いね」
「まさに落雷の様な」
「そうしたものになるね」
「かつて雷が落ちることは神様の裁きと言われたよ」
 雷に打たれることはというのです。
「そしてそうした人への神仏の裁きはね」
「落雷みたいな」
「確実に破滅する」
「そんなものになるね」
「特に思い上がってね」
 そうなってというのです。
「人を嘲笑し馬鹿にしながら堂々と悪事を行い続けるなら」
「絶対にだね」
「これ以上はない裁きを受けるわね」
「そうならない筈がないね」
「それこそ」
「そう、そしてね」
 そうなってというのです。
「そうした人は心ある人皆から嫌われているからね」
「騙されない位の人にはね」
「そうなるよね」
「酷い悪人だってわかって」
「そうだね」
「そしてそうした人達はね」 
 心ある人達はというのです。
「絶対に助けないよ」
「悪いことを憎むから」
「だからだね」
「そうした人は嫌うね」
「絶対に」
「そうだよ」
 だからだというのです。
「そんな人は必ず報いを受けてね」
「裁かれてね」
「何もかもを失うけれど」
「その時にね」
「誰も助けないよ」
「助けてもね」 
 根っからの悪人をとです、王子は眉を顰めさせて言いました。
「そんな悪人は感謝しなくてね」
「生きている限り悪事を行ってね」
「助けた人に何するかわからないね」
「だからね」
 そうであるからだというのです。
「助けたら駄目だよ」
「そうだね」
「本当に若し助けても」 
 それでもというのです。
「感謝なんてね」
「絶対にしなくてね」
「そしてね」 
 そのうえでというのです。
「心を入れ替えないで」
「悪事を繰り返してね」
「世に害を与え続けるよ」
「自分の為にね」
「嘘を平気で吐いて拡散して」
 そうしてというのです。
「憎しみも煽ったりしてね」
「世を乱しもして」
「争いも煽って」
 そうもしてというのです。
「そこから自分が利益を得るんだ」
「そう考えるととんでもない悪人だね」
「悪と言っても色々あるけれどね」
「そうした悪は一番酷いね」
「そう、ナチスやソ連と同じだよ」 
 先生はこうも言いました。
「彼等はそうしてね」
「権力を得て戦争も行ったね」
「多くの人を犠牲にしてね」
「本物の悪だったね」
「そして今もだよ」
「そうした悪人がいるね」
「それも自分だけが利益を得る為にね」
 それだけの為にというのです。
「そうしたことを行うんだ、けれどね」
「悪は明らかになり裁かれる」
「心ある人がその悪を見抜いて」
 そうしてというのです。
「どうすれば倒せるかを考えてね」
「そのうえでだね」
「そうだよ、裁くよ。そしてその時にね」
「そんな悪人は助けない」
「騙されれている人達にも真実を伝えて」
 そうもしてというのです。
「確かな証拠を見せてね」
「嘘、悪事の」
「あまりにも愚かな人は騙され続けるけれど」
 それでもというのです。
「まだね」
「騙されていたってわかる人もいるね」
「特に痛い目を見た後はね」 
 身を以て経験すればというのです。
「ある程度まで愚かな人はね」
「騙されていた、自分は間違っていたとわかってだね」
「人は経験から学ぶからね」
「そんなことも経験のうちだね」
「そう、だからね」
 それでというのです。
「わかってね」
「それでだね」
「もうね」
 それこそというのです。
「二度とだよ」
「騙されないね」
「そうなるよ、ただ極端に愚かだと」
「騙されても気付かないね」
「そしてあくまでね」
「悪人を支持し続けるね」
「自分が破滅してもね」
 あまりにも愚かな人はというのです。
「破滅していることにすらだよ」
「気付かないね」
「若しくは変なプライドを持っていて」
 それでというのです。
「騙されていたことをね」
「認めないんだね」
「そんな人もいるよ、そんな愚かな人はね」
「救えないね」
「人ではね」
 先生は残念そうに言いました。
「そんな悪人は救ったら駄目でね」
「極端に愚かな人は救えないね」
「人ではね」
「どんな宗教や哲学でもだね」
「無理なんだ」 
 人ではというのです。
「あまりにも愚かな人を救うことはね」
「とことんの悪人と同じで」
「それこそ神様仏様でないとね」
「救えないね」
「そうであってね」
 それでというのです。
「そんな愚かな人は仕方ないけれど」
「ある程度愚かな位ならだね」
「騙されていたとわかってもらってね」
「救えるね」
「そしてそうした人達も何とかして」
 そうしてというのです。
「悪人を裁いてその悪人を学ぶんだ」
「どういった悪人をだね」
「そう、その全てを知ってね」
「二度とこんな悪人が出ない様にするんだね」
「そうだよ、悪人を減らすにはね」
 それにはというのです。
「悪を学ぶんだ、悪を知らないとね」 
「悪に対することは出来ないね」
「悪魔を倒すには悪魔を知らないといけないね」
 先生はこうも言いました。
「そうだね」
「その通りだよ」
 王子もまさにと答えます。
「悪魔はどんな存在か」
「知ることだね」
「元は他の宗教の神様だったり神と対しているだけの元は天使のね」
「そうした悪魔ならね」
「実はどうということはないね」
「うん、正義が絶対で一つじゃないなら」
 王子はそれならと言いました。
「別にね」
「そうした悪魔もね」
「正義であると言えるからね」
「政権が代わる様なものだよ」
「政党と同じだね」
「そう、問題は悪意があってね」
「悪意を為す悪魔だね」
「そうした悪魔が問題で」
 それでというのです。
「どう対するかだよ」
「その悪魔に」
「ただ他宗教や神様から離れた悪魔と知れば」
 それならというのです。
「問題はないとわかるし」
「悪意ある悪魔も知る」
「そうすることが大事だね、それは人も同じで」
「悪人を知る」
「その悪もね」
「それでどう対するかが問題でね」
「そうであってね」 
 それでというのです。
「悪人を裁いて滅ぼしたなら」
「その悪人を学ぶことだね」
「ナチスやソ連にもそうしてきたし」
「それにね」
 王子はさらに言いました。
「歴史上色々な悪人がいたね」
「独裁者に詐欺師に殺人鬼にね」
「彼等が何をしたか何を考えて何を目指したか」
「よく調べて学んでね」
 そうしてというのです。
「そのうえでね」
「対することだね」
「そうした悪人が出ない様にすることだよ」
「二度とだね」
「そうしようとしてもどうしても出てしまうけれど」 
 悪人はというのです。
「減らすことは出来るからね」
「学んで対することだね」
「今お話している悪人もね、若し彼等が今羽振りがよくても」
「絶対に裁かれるね」
「その時が来るよ、まして調子に乗って」
「悪事を盛んにしているなら」
「そうであればそうである程ね」  
 それこそというのです。
「童話で有頂天になっている時で」
「そこからが速いね」
「文字通り真っ逆さまにだよ」
「急激に落ちるね」
「崖から落ちる様にね」
 そうした感じでというのです。
「落ちるよ」
「平家物語みたいにね」
「平家だね」
「ああした感じかな」
「もっとだよ、平家は都落ちから壇ノ浦まで結構時間がかかったけれど」 
 そうであったけれどというのです。
「もっとね」
「早くだね」
「そう、一気にね」 
 それこそというのです。
「転落していってね」
「裁かれるね」
「そして平家以上に失うよ」
「何もかもを」
「そもそも平家は驕っていたと言われても」
 それでもというのです。
「悪事をしたか」
「実はそうでもないね」
「清盛さんは悪い人じゃなかったしね」
「むしろ頼朝さんの方がずっと悪いね」
「そうであったしね」 
「一族や家臣の人達を大事にして」
 そうしてというのです。
「頼朝さん達を助けてもいるしね」
「そうだったしね」
「悪い人じゃなかったね」
「確かに権勢を独占したけれど」
「人として弁えていたね」
「そうした人だったからね」
 先生はお話しました。
「壇ノ浦で負けても」
「没落しても」
「隠れ里で生き残る人も多かったよ」
「清盛さんが亡くなってからも」
「そうだったよ、けれど根っからの悪人は」
「今僕達がお話している様な」
「そうした悪人はね」 
 彼等はといいますと。
「その悪事を見て一緒にいる人なんてね」
「同じレベルの悪人位だね」
「極端に愚かな人かね」
「そんな人位で」
「心ある人、聡明な人は真っ先に離れて」  
 そうなってというのです。
「そして普通の人達もね」
「普通の頭や良心があるとね」
「離れるから」
「まともな人は誰もいなくなるね」
「だからその報いもね」 
 それもというのです。
「平家物語の比じゃないよ」
「破滅するね」
「完全にね」
「そうなるね」
「まさに天網恢恢疎にして漏らさずで」
 そうであってというのです。
「悪人は必ず裁かれるよ」
「そうなるものだね」
「世の中はね、正義はよく遅刻するけれど」
 それでもというのです。
「来ないことはないからね」
「報いを受けるね」
「必ずね、しかしそもそもそうした悪人が世の中にいること自体が」
 先生はここでまた眉を曇らせて言いました。
「残念なことだね」
「そうだね」
「本当にね」 
 オシツオサレツが二つの頭で嘆いて応えました。
「悪の心はどうしてもあってね」
「その心がそこまで大きい人がいる」
「もう良心なんてまさに発揮されないまでに小さくて」
「悪事しかしない人がいるのよね」
 チープサイドの家族は首を横に振って言いました。
「世の中には」
「いるのよね」
「そしてそんな悪人が本当に悪事を行う」
 ダブダブも目を怒らせて言います。
「そして酷いことが怒るのよ」
「それも世の中だと思うと」
 チーチーは思いました。
「嫌にもなるね」
「いい人も沢山いて」
 そうしてと言うトートーでした。
「賢い人も沢山いて」
「悪人もいてね」
 ジップはトートーに続きました。
「愚かな人もいるんだね」
「そしてとんでもない悪人がいて」
 ポリネシアも怒って言います。
「自分がいい目を見ただけの為に大勢の人や世の中に害を為すのね」
「それも確信犯で」
 ホワイティも今は怒っています。
「悪事をするんだね」
「気付いていなくても許せない悪事はあるけれど」
 老馬も言います。
「悪事とわかっていてやるなら絶対に許せないね」
「悪事とわかっていて自分の為だけに悪事をして人や世を乱す」 
 ガブガブも言いました。
「それは一番の悪だね」
「そうだよ、悪人はね」 
 まさにと言う先生でした。
「本物で悪の心が極めて強いとね」
「自分だけの為に悪事とわかっていても」
「平気で行って」
「大勢の人や世を乱して」
「犠牲が出ても平気で」
「自分だけがいい目を見るんだね」
「食べる為に仕方なく盗むのとは訳が違うよ」
 そうした悪事はというのです。
「若しそれで大きな戦争や不況になってだよ」
「大勢の人が死んだり苦しむのなら」
「とんでもないことだね」
「ある人が儲かる為に戦争が起こって沢山の人が死んだら」
「暴動や酷い政権で犠牲になる人が大勢出ても平気なら」
「その人は絶対に許せない悪人だよ」 
 そうだというのです。
「日本で出たオウムと同じだよ」
「あのカルト教団だね」
「そういえばそうだね」
「あの教団の教祖はそうだね」
「自分だけで人を騙すのも平気でね」
「最悪の悪人だったね」
「彼はお金と女性と権力だけを求めていてね」
 そうであってというのです。
「平気で人を攫って殺してテロもして」
「大勢の人を巻き添えにしたね」
「とんでもない悪人だったね」
「そうだったね」
「彼の様な悪人を許したら」
 そうすればというのです。
「駄目だね」
「本当に助けてもね」
「感謝もしないでね」
「また悪事を犯していたね」
「捕まって裁かれたからよかったけれど」
「そうした悪人を許さない」
 先生は強い声で言いました。
「そうしたことも必要だよ」
「全くだね」
「そうした人って僕達も粗末に扱うしね」
「自分しかないからね」
「生きものの命も何とも思わないね」
「そうだよ、自分だけの人が生きものを大事にするか」
 果たしてというのです。
「そんな筈がないよ」
「そうだね」
「平気で使い捨てにしてね」
「虐待も行うわね」
「そうもするね」
「そうするからね」 
 だからだというのです。
「僕も悪人は許さないね」
「先生は誰よりも優しいけれど」
 王子はそれでもと言いました。
「悪人は別だね」
「そこまでの悪人は人でも生きものでもないからね」
「悪魔だね」
「うん、普通の命あるものの底を抜けたね」
「遥かに酷い存在だね」
「そうなると姿形は人でもね」 
 そうであってもというのです。
「心がそうでなくなっているんだよ」
「悪魔になっているね」
「餓鬼かも知れないよ」
「仏教のだね」
「そうした存在になっているから」
「先生も許せないね」
「うん、僕は生きものは愛するけれど」
 それでもというのです。
「悪魔や餓鬼は別だよ」
「そこまで酷いなら」
「他宗教の神様や神様に反抗する天使がなっている悪魔ならまだいいんだ」
「もう一つの正義だからだね」
「そうした悪魔はよくてね」
「その辺り難しいね」
「正義は一つじゃないこともね」
 このこともというのです。
「わかってね」
「それでだね」
「そう、しかしね」
 それでもというのです。
「そうした悪もあるんだ」
「悪意ある悪だね」
「そうした悪はね」
 それはというのです。
「存在するんだ」
「悪意が問題だね」
「人間の中にあるね」
「それがわかることだね」
「問題は何か」
「悪意だね」
「そうだよ、善意と悪意」
「それが大事だね」
「勿論善意で行っても悪いことになってね」
 そうなりというのです。
「悪いことをしていいことになる」
「そうしたこともあるね」
「世の中にはね、しかし」
「自分がいい目を見る為に悪意を働いて」
「大勢の人を騙して利用してね」
「世を乱したりして悪事を為すなら」
 それならというのです。
「もうそれはね」
「許せない悪だね」
「そうだよ、そうした悪を見極めていくことも」
 そうしたこともというのです。
「人にはね」
「重要だね」
「そうなんだ、そのこともわかることだよ」
「人はね」
「そして生きものを利用することも」
 人だけでなくです。
「自分の為だけに行うなら」
「悪だね」
「そうだよ」 
 こうしたお話もします、そうしてでした。
 先生達は悪それに悪人についても学んでいくことにしました、そうしてお家に帰ってトミーにもお話しまして。
 そのうえで、です。先生は思うのでした。
「まともに進行を備えていて神仏の存在をわかっていたら」
「そう悪いことはしないですね」
「そうだよ、今生きていてもね」
 トミーと共に晩ご飯のハンバーグをお箸で食べつつ言います、主食はご飯でキャベツとレタスとトマトのサラダもお野菜がたっぷり入ったお味噌汁もあります。
「生まれ変わるしね」
「今の生だけですね」
「富や権力を極めてもね」
「その時だけですね」
「短いもので人がどれだけ凄くなっても」
 それでもというのです。
「所詮人でね」
「神仏には遠く及ばないですね」
「人は小さなものだよ、だからね」
「思い上がることも」
「ない筈だよ」
「ちゃんとした信仰心があったら」
「もうね」 
 それならというのです。
「有頂天にもならないし悪事もね」
「働かないね」
「そうなる筈だよ」 
 そうだというのです。
「本当にね」
「それがですね」
「全くね」
「神様も仏様も信じなくて」
「そしてね」
 そうであってというのです。
「倫理観もなくてね、そこから恥も外聞もない」
「そんな人なら」
「その信じていない神仏にね」
 彼等にというのです。
「裁かれるよ」
「そうなるね」
「うん、そして無道を極めれば極めるだけね」
「裁かれる時は速いね」
「そうだよ」 
 その通りだというのです。
「本当にね」
「そう考えると神仏を信じることも大事だね」
「心から思うよ、神仏を信じちないとね」
「倫理にも関わるし」
「勘違いもしてね」
 そうしてというのです。
「間違えることが多いよ」
「そうした人になってしまうね」
「うん、だからね」
「先生もだね」
「これまでもこれからもね」
「神仏を信じていくね」
「信仰はキリスト教でね」 
 このことは変わりません。
「他の宗教も認めて」
「そうしながらだね」
「何でもしていくよ」
 先生は笑顔で言いました、そうしてです。
 休もうとしているとスマートフォンの音楽が鳴りました、ホームスウィートホームのそれに出ると団長さんでして。
「お芝居とオーケストラですか」
「先生のご家族は出来ますね、どちらも」
「はい、動物の彼等は」
 先生は電話の向こうの団長さんに答えました。
「経験があります」
「それではです」
「お芝居とオーケストラをですか」
「実は先生のお話がお客さん達に広まって」
 そうしてというのです。
「是非最終日にという声が上がりまして」
「その要望が高くて」
「はい、お願いしたいのですが」
「ちょっと皆に聞いてみます」
 先生はこう断ってから傍にいる皆に尋ねました。
「サーカスの最終日に皆のお芝居とオーケストラをやって欲しいっていうけれど」
「いいね」
「やらせてもらうわ」
「僕達でよかったら」
「やらせて」
「是非共ね」 
 皆笑顔で答えます、その返答を受けてです。
 先生もそれならと頷きました、そうして団長さんにお話しました。
「皆是非にと言っています」
「そうですか、それでは」
「彼等に頑張ってもらいます」
「はい、それでは」
「その時に」 
 こうお話してでした、皆の出演も決まりました。サーカスはいよいよ最後のクライマックスを迎えようとしています。








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