『ドリトル先生とサーカスの象』




                第七幕  楽しさの裏に

 先生は研究室で皆に言いました。
「楽しいものだよ、サーカスは」
「そうだね」
「いいエンターティメントだね」
「だから今もあるね」
「昔から」
「そうだね」
「楽しいショーをね」
 それをというのだ。
「サーカスと言う位に」
「楽しいね」
「その代名詞よ」
「そのことは事実だね」
「本当にね」
「そう、けれどね」
 生きものの皆にそれでもとです、先生は言うのでした。そのお顔は曇っていてどうにもというものになっています。
「その陰でね」
「大勢の生きものが泣いている」
「とても辛い訓練を受けて」
「過酷な環境で暮らしていて」
「それじゃあね」
「駄目だよね」
「涙が裏にある楽しさはね」
 それはといいますと。
「もうね」
「楽しさじゃないね」
「本当の楽しさじゃないわね」
「もうね」
「そうだよね」
「そうだよ」
 まさにと言う先生でした。
「本当にね」
「全くだね」
「先生の言う通りよ」
「あの時だってそうだったし」
「先生がイギリスでサーカス団と関わった時も」
「アシカを海に逃がしたりして」 
 その時のこともです、先生はお話しました。
「色々あったけれど」
「全く以てね」
「生きものが裏で泣いていると」
「それだけで駄目だね」
「アウトよね」
「もうね」
「そう、ケニーだって」
 あの赤ちゃん象もというのです。
「その涙の中に入っているよ」
「その通りだね」
「人が観て楽しいショーでも」
「ケニーは物凄く虐待されて」
「それで酷使されて」
「寂しく死んでいったね」
「まだ三歳だったのに」
「人間の寿命と変わらないんだよ」
 先生は言いました。
「象の寿命はね」
「七十年だからね」
「そうだよね」
「あまり変わらないね」
「人間と象の寿命って」
「そうはね」
「それで三歳だと」
 象でというのです。
「本当にね」
「赤ちゃんだね」
「人間だと幼稚園にも入っていない」
「まだ物心つくかどうか」
「お母さんに甘えたい盛りで」
「ずっと一緒にいたい頃だね」
「そんな頃に引き離されて」
 お母さんと、というのです。
「いきなり朝から夜遅くまで立たされて」
「脚を縛られて」
「引っ張る様にね」
「それでどうしても座ったり寝られない様にされて」
「何日もそうされて」
「それで何も勘がられない様になって」 
 そうされてというのです。
「そしてね」
「そのうえでだね」
「さらにだよね」
「耳の後ろを鉤爪で引っ掛かれて」
「他にも棒で打たれて」
「そうされながら芸を仕込まれて」
「体調が悪くてもショーに出させられてね」
 そうしてというのです。
「寒い時でもね」
「それで遂に弱り切って」
「動けなくなって」
「一匹寂しく死んだね」
「そうなったわね」
「そうした犠牲はね」
 ケニーの様なというのです。
「本当にだよ」
「二度とあってはならない」
「そうしたものよね」
「つくづく思うわ」
「このお話を聞くとね」
「絶対にって」
「そう思うことが大事だよ」
 先生は皆に言いました。
「若しケニーのお話を聞いて何も思わないのなら」
「それならね」
「その人はおかしいね」
「生きものも」
「どれだけ冷酷か」
「温かみがないか」
「面白いショーの為に当然というのなら」
 ケニーの様な生きものがというのです。
「その人とは一緒にいたくないね」
「そうだね」
「そこまで冷酷だとね」
「一緒にいてもね」
「どう思われるか」
「そしてどう扱われるか」
「ものみたいに扱われるよ」
 そうなるとです、先生は言いました。
「もうね」
「そうよね」
「そうなるよね」
「絶対にね」
「そんな人と一緒にいたら」
「それこそね」
「そうなるからね」
 だからだというのです。
「僕としてはね」
「そんな人とは一緒にいたくない」
「そしてなりたくもないよね」
「そうだよね」
「先生としても」
「というか逆だよ、先生」
 ホワイティが言ってきました。
「そうした人と」
「そうだね」
「先生はね」
 チープサイドの家族はホワイティの言葉に頷きました。
「真逆よ」
「そうした人だよ」
「どんな人にも生きものにも優しくて」
 ポリネシアはそうでと言いました。
「平等でね」
「思いやりがあってね」
 チーチーも言います」
「とても温かいよ」
「悪いことには向かっても」
 それでもと言うトートーでした。
「先生は冷酷さとは無縁だよ」
「冷たい先生なんて想像出来ないよ」
 老馬も言います。
「とてもね」
「そんな冷酷な人と一緒にいても」
 それでもと言うジップでした。
「先生の温かさが際立つよ」
「そうした人だから」
 ダブダブはそれでと言いました。
「先生と冷酷さんなんて何も縁がないわ」
「無縁過ぎて」
「想像もつかないよ」
 オシツオサレツは二つの頭でお話しました。
「冷たい先生って」
「命を何とも思わないなんて」
「先生は何があっても困っている人や生きものを助けるよね」
 ガブガガが見てもです。
「そんな先生と冷酷さってね」
「本当に何の縁があるのか」
「わからない位よ」
「そんな先生だから僕達も一緒にいるし」
「家族でいられるのよ」
「そう言ってくれて嬉しいよ、冷たい人はね」
 先生も言います。
「僕としてはね」
「冷たい人意地悪い人」
「そして傲慢な人はね」
「先生とは正反対で」
「好きじゃないね」
「どうもね、冷酷に他の人や命を切り捨てて」 
 そうしてというのです。
「犠牲を当然とする人はね」
「とてもだね」
「先生としてはだね」
「一緒にいたくないし」
「お付き合いもしなくないわね」
「そうだよ、しかしね」
 それでもというのでした。
「学校の先生でもいるね」
「日本だとね」
「意地悪い先生もね」
「傲慢な先生も」
「そして冷酷な先生も」
「大勢いるね」
「中には部活の顧問をしていて」
 そうしてというのです。
「少し自分の成績になる活躍をしない」
「そうだとね」
「すぐにその生徒の子を切り捨てる」
「期待しないとか言って」
「そんな先生もいるね」
「普段は虐待みたいな暴力を振るって」
 部活でというのです。
「そしてね」
「そうして平気で切り捨てる」
「もう使い捨てで」
「期待しないって言って」
「そんな冷酷な先生がいるね」
「そうだよ、日本の先生は酷い先生が多いけれど」
 それでというのです。
「そうした先生もいるから」
「問題だよね」
「日本の教育は」
「そんな先生がいるから」
「悪いんだよね」
「とてもね。生徒は先生の使い捨ての利用出来る道具じゃないよ」
 先生は強い声で批判しました。
「絶対にね」
「そうだよ」
「その通りだよ」
「生徒はものじゃないわ」
 間違ってもね」
「そうじゃないよ」
「そうだしね」
 それにというのです。
「普段虐待みたいな暴力を振るうなんて」
「もうね」
「言語道断だよね」
「悪いサーカス団と同じだよ」
「それこそ」
「そう、そんな先生もね」
 本当にというのです。
「いてはいけないよ」
「悪いサーカス団と同じで」
「そんな先生もいたら駄目だね」
「そんな冷酷な先生は」
「絶対に」
「冷酷な人は自分が切り捨てられたらどうか」
 人や生きものにそうする様にです。
「どうなのか」
「それはね」
「とてもだよね」
「あってはならないよね」
「絶対に」
「そんな先生がいたらね」
「そのことがわかったよ」
 先生は悲しい目で言いました。
「日本に来てね」
「酷い先生がいる」
「暴力を振るう先生が」
「しかもそのうえで冷酷で」
「生徒さんを平気で切り捨てる」
「その先生の評価の為にね」
 まさにその為にというのです。
「そうするなんてね」
「そんな先生は少しでも減らさないと」
「その代わりにいい人に先生になってもらわないと」
「生徒さん達が可哀想だし」
「日本の教育も悪いままだよ」
「そう、悪いままでね」
 実際にというのです。
「さらにね」
「悪くもなるね」
「そうもなるね」
「そんな先生が増えたら」
「余計にね」
「こんな先生がいても問題にならない」
 日本の教育の世界はというのです。
「それがね」
「深刻な問題だね」
「そんな人がいても問題にならない」
「それ自体も問題だね」
「それも深刻な」
「そうだよ、深刻な問題で」
 そうであってというのです。
「早急に解決しないといけないよ」
「全くだね」
「そんな先生を淘汰する」
「そうしないとね」
「本当によくないね」
「多くの人が不幸になるからね」 
 多くの生徒さん達がというのです。
「そうだよ」
「全くだね」
「サーカス団のことも問題だけれど」
「そこにいる生きものの皆のことも」
「日本の教育も問題だね」
「酷い先生の問題も」
「そう思うよ」
 先生は皆に言います、そしてまた論文を書いていきますが今度は研究室に王子が来て先生に言ってきました。
「実はこの前日本の友達の皆とお話をしたんだ」
「どんなお話かな」
「うん、マンモスの肉だけれど」 
 昔のこの生きもののというのです。
「美味しいのかどうか」
「ああ、漫画であるね」
 先生はこう返しました。
「よくね」
「そうだよね」
「美味しそうだね」
「日本の漫画だとね」
「アニメにもなっているね」
「巨大なハムみたいでね」
 王子は笑って言いました。
「美味しそうだね」
「そうだね」
「それでね」
 王子は先生と一緒にお茶を飲みつつ言いました。
「そうした漫画みたいにね」
「マンモスの肉を食べたら美味しいか」
「そうね」
「お話していたんだね」
「そうだったんだ」
「成程ね」
「それでどうなのかな」
 王子は先生に言いました。
「マンモスの肉は美味しいのかな」
「象は美味しくないっていうね」
「そうだね」
「僕は食べたことがないけれど」
「先生も色々食べているけれどね」
「それでもね」
 これがというのです。
「マンモスの肉はね」
「象の肉のお話は聞いているね」
「食べたことがなくても」
 それでもというのだ。
「あまり美味しくないとはね」
「聞いているね」
「そうだよ」 
 実際にというのです。
「僕はね」
「そうだね」
「固くてね」
 象の肉はというのです。
「大味とも聞いたし」
「美味しくないね」
「そうらしいね」
「じゃあマンモスもだね」
「象だからね」
 先生は言いました。
「マンモスも」
「寒冷地に住む毛深い」
「そうした象だからね」
 だからだというのです。
「あまりね」
「美味しくないんだ」
「そうだと思うよ」
 こうお話しました。
「これがね」
「そうなんだね」
「だからね」
 先生はさらにお話しました。
「象料理なんて聞かないね」
「全くね」
「王子も美味しいと思うかな」
「象をだね」
「果たして」
「思わないよ」
 王子はきっぱりと答えました。
「食べようとはね」
「思わないね」
「どうもね」
「そうだね、見てもね」
「美味しそうじゃないよ」
「そうだね」
「象はね」
 この生きものはというのです。
「そうだよ」
「それじゃあマンモスもね」
「同じ象だから」
「おそらくね」 
 こう前置きしました。
「僕はマンモスもね」
「食べたことがないし」
「尚更ね」
「美味しいとは言えないね」
「けれど象から考えると」
「美味しくないね」
「そうだと思うよ」
「そうなんだね」
「それにね」
 先生はさらに言いました。
「漫画だと生で食べているね」
「マンモスの肉をね」
「石斧や石包丁で切ってね」
 そうしてというのです。
「生のまま食べているね」
「生はよくないね」
「特に野生の生きものはね」
「火を通さないと駄目だね」
「うん、さもないとね」
 そうしないと、というのです。
「寄生虫がいるからね」
「とても怖いね」
「そうだよ」
 このこともお話するのでした。
「マンモスでもね」
「どんな生きものでもね」
「基本はね」
「火を通すことだね」
「よく冷凍してでないと」 
 さもないと、というのです。
「生ではね」
「食べたらよくないね」
「そうだよ」
 こう言うのでした。
「大体ね」
「漫画でもだね」
「大昔だから」
「石器時代の」
「火はあっても」
「出すのに一苦労だったね」
「そうだったから」
 だからだというのです。
「ああしてね」
「生で食べていたね」
「そうだったけれどね」 
 マンモスの肉をというのです。
「本来はね」
「生はよくないね」
「そうだよ」 
 こう言うのでした。
「本当にね」
「そこも問題で」
「そしてマンモスの肉は」
「おそらくだね」
「美味しくないよ」
 そうだというのです。
「象がそうだからね」
「そういうことだね」
「うん、ただ一度ね」
「食べたいね」
「機会があったらね」
 それならというのです。
「僕もね」
「美味しくなさそうでも」
「それでもね」
「一度だね」
「食べてみたいよ」
 マンモスの肉をというのです。
「それも経験だしね」
「学問のだね」
「そう、その生きものがどんな味がするか」
 このことをというのです。
「確かめることもね」
「学問だね」
「実際に昭和帝も食されているよ」
 この方もというのです。
「あの方は海洋生物学者でもあられたね」
「うん、論文も発表されているね」
 王子もまさにと答えました。
「ただ立派な君主であられるだけでなくて」
「和歌もよく詠まれてね」
「海洋生物学者でもあられたね」
「それでだよ」
「学問としてだね」
「生きものを食されてもいるよ」
「そうだったんだね」
「それで味はよろしくないとかね」
 先生はこのことは笑ってお話しました。
「言われているよ」
「それは面白いね」
「確か軟体動物をね」
「研究の中でだね」
「召し上がられてね」 
 そうされてというのです。
「言われているんだ」
「そうなんだね」
「面白い逸話だよね」
「うん、あの方には色々なお話があって」
「素晴らしい君主だってわかるね」
「そうだよ、けれどそれだけじゃないんだね」
「そうなんだ」
 実際にというのです。
「あの方にはね」
「そうしたお話もあるんだね」
「海洋生物学者としてね」
「面白いね」
「そしてね」
 先生はさらにお話しました。
「僕もなんだ」
「食べてみることも学問と考えているんだね」
「だからね」
「一度マンモスの肉を食べてみたいんだ」
「そうだよ、ただね」
「ただ?」
「生では食べないよ」
 そうはしないというのだ。
「漫画の様にね」
「火を通すね」
「そうして食べるよ」
「そうしないと駄目だね」
「焼くなり煮るなりして」
 そうしてというのです。
「そのうえでね」
「食べるんだね」
「そうするよ」 
 実際にというのです。
「その時はね」
「兎に角生は駄目だね」
「衛生的にね」
「寄生虫が怖いから」
「本当にね、日本人は生ものを好むけれど」
「相当新鮮でしかも寄生虫の心配がないならだね」
「食べるべきで」
 生ものをというのです。
「迂闊にはね」
「食べるべきじゃないね」
「特に野生の生きものはね」
「マンモスも然りだね」
「そうだよ、どうもね」
 先生はさらにお話しました。
「マンモスはまだいるかも知れないしね」
「ああ、シベリアにね」
「あのツンドラにいるっていうね」
「そんな噂あるわね」
「僕達も聞いてるよ」
 皆がここで言ってきました。
「目撃談があるんだよね」
「あそこに」
「物凄く広い場所で」
「日本やイギリスが十以上普通に入る場所だけれど」
「あそこにいるかも知れないんだね」
「そうだよ、本当に広い場所でね」
 そのシベリアはというのです。
「人も少なくてね」
「発見しにくいけれど」
「見たって人はいるね」
「マンモスを」
「そうしたお話があるね」
「そう、だからね」
 それでというのです。
「若しかしたらね」
「マンモスがいるかも知れないから」
「それでだね」
「一度あちらに行ってみて」
「マンモスを発見して」
「可能なら食べてみたいんだね」
「そう考えているよ、氷漬けのマンモスも発見されているから」
 シベリアではというのです。
「そちらでもね」
「食べたいんだね」
「その機会があれば」
「先生としては」
「そうなんだね」
「そうだよ、何らかの形でね」
 先生はさらに言いました。
「マンモスの肉を食べたいね」
「そして若しまだ生きているのなら」
「是非だね」
「発見したいね」
「先生としても」
「絶滅したと言われていても」
 それでもと言う先生でした。
「実はまだ生きていたっていうことはね」
「あるよね」
「シーラカンスだってそうだったし」
「千税自身ニホンオオカミを発見しているし」
「あることだね」
「そう、だからね」
 それでというのです。
「一度シベリアに行ってみたいね」
「若し本当にいたら」
「まだ生き残っていたら」
「その時はだね」
「発見したいね」
「そう考えているよ」
 実際にというのです。
「僕はね」
「先生らしい考えだね」
 王子の先生のお話を聞いて頷きました。
「絶滅したと言われていてもね」
「まだいるかも知れないと考えるよ、僕は」
「そうして調べるね」
「世の中はいない、いなくなったと思われていても」 
 それでもというのです。
「その実はということが多いね」
「そうだね」
 王子もそうだと頷きます。
「実際にね」
「そう、だからね」 
 それでというのです。
「一度ね」
「シベリアに行ってだね」
「マンモスを探したいよ」
「今だとね」
 王子は先生に言いました。
「人工衛星やドローンを使ってね」
「探すことが出来るね」
「そうだね」 
 先生に確かな声で答えました。
「今は」
「そうなったね」
 先生もそうだと言葉を返します。
「実際に」
「科学文明が発達してね」
「その結果ね」
「そう、だからね」
「僕もそうしたものを使って探せばいいと思うよ」 
 王子の言葉に同意して頷きました。
「実際にね」
「そうだね」
「そしてね」
 それにというのです。
「僕自身あの地に行きたいよ」
「シベリアにだね」
「人も行かないとね」
「そして探さないとだね」
「文明にばかり頼らないで」
 そうしてというのです。
「自分自身でもね」
「探すことだね」
「そうすべきだから」
 そう考えているからだというのです。
「探したいよ」
「そう考えているね」
「僕はね」
「先生らしいね」
 ここでジップが言ってきました。
「そう考えるのがね」
「フィールドワークも忘れない」
 ホワイティも言います。
「絶対にね」
「それで先生自身もシベリアに入る」
 ガブガブは頷きつつ言いました。
「本当に先生らしいよ」
「実際にこれまでもそうしてきたし」
 老馬も頷きつつ言います。
「シベリアでもだね」
「その足で歩いて調べて学ぶ」
 チーチ―は先生を見て言いました。
「それもまた学問だからね」
「シベリは広くて寒い」
「物凄いところだけれど」
 オシツオサレツはそれでもと言いました。
「そこにも行くね、先生は」
「学問の為なら」
「先生は昔月にも行ったし」
「アフリカで大冒険もしたし」
 それでと言うのはチープサイドの家族でした。
「それならね」
「シベリア位だね」
「世界各国も巡ったし」 
 ダブダブは先生の過去を振り返ってお話します。
「シベリア位よね」
「いや、確かに色々な国巡ったね」
 トートーはしみじみとして言いました。
「先生は」
「インドに行って頭に水飴がかかったとか」 
 ポリネシアは先生が昔言ったことを思い出しました。
「あと海底にも行ったし」
「ははは、そう考えるとシベリア位訳はないね」
 先生は皆に笑顔で応えました。
「僕の場合は」
「そうだね、先生がしてきた数々の冒険を思えば」
「もうシベリア位だね」
「あんな広くて寒い場所でも」
「先生から見るとね」
「シベリアには大型の猿人のお話もあって」
 この生きもののというのです。
「そして恐竜のお話もあるしね」
「何処かの湖にいるんだよね」
「目撃談があるね」
「マンモス以外にも」
「そうだったね」
「ベーリング海にはステラーカイギュウのお話もあるしね」
 この生きもののというのです。
「一度機会があるとね」
「調べたいね」
「その時も僕達は一緒だからね」
「身の回りのことは任せてね」
「いつも通りね」
「そうさせてもらうよ」
 先生は笑顔で言いました、そうしてです。
 皆と一緒にマンモスのお話をしました、その夜はお家で日本酒を飲んで鯛のお刺身に枝豆を満喫しますが。
 そこで、です。先生は日本酒を飲みつつ言いました。
「サーカス団のショーだけれど」
「先生は出られませんね」
「うん、あの時みたいにね」
 トミーに笑顔で応えます。
「ロシアの騎兵隊の士官さんになってね」
「芸を披露されないですね」
「あくまで医師としてね」
 その立場でというのです。
「サポートさせてもらうよ」
「そうしていかれますね」
「あの時はいきなり登場させられて」
「大変でしたね」
「ああしたことはないから」
 今回はというのです。
「本当にね」
「よかったですね」
「うん、団長さんもそうしたことはね」
「先生に言われないですね」
「だからね」
 それでというのです。
「こうしたことはね」
「安心してですね」
「そしてね」
「サポート出来ますね」
「医師、獣医としてね」
「それではその立場で」
「働かせてもらうよ」
 枝豆も食べて言いました。
「これからもね」
「そうですね」
「うん、今回はね」 
 心から言う先生でした。
「いいサーカス団だしね」
「安心してサポート出来ますね」
「ああした良心的なサーカス団が増えたら」
 それならというのでした。
「いいんだけれどね」
「全くですね」
 トミーも飲みつつ頷きました。
「あのサーカス団もよくなかったですし」
「酷いサーカス団は他にもあるしね」
「そうしたサーカス団が減っていく」
「そうなって欲しいね」
「全くですね」
「楽しいものは誰かが犠牲になって生み出されるものじゃないんだ」
 先生はお家でもこう言いました。
「決してね」
「皆が笑顔になるものですね」
「努力はしてもね」
「それでもですね」
「犠牲にしてはいけないよ」
 決してというのです。
「本当にね」
「皆が笑って楽しむ」
「そうしたものでないとね」
「本当の楽しみじゃないですね」
「そうだよ」 
 こう言うのでした、今はお酒を飲みながらそうしました。








▲頂きものの部屋へ

▲SSのトップへ



▲Home          ▲戻る