『ドリトル先生とサーカスの象』
第六幕 象と水浴び
今太郎達は小屋から出してもらってスタッフの人達にホースから水を浴びせられています、そのうえで身体を洗ってもらっていますが。
「凄くね」
「気持ちいいね」
「うん、最高だよ」
太郎は傍にいる先生に笑顔で言いました。
「いつもこうしてね」
「身体を洗ってもらっているね」
「僕水浴び大好きなんだ」
「お父さんもお母さんもだね」
「うん、そうだよ」
「象は水浴びが大好きだからね」
先生も笑顔で言います。
「だからだね」
「うん、毎日ね」
「水を浴びさせてくれるね」
「そして洗ってくれるんだ」
「いいことだね」
「何かね」
ここで太郎はこんなことを言いました。
「サーカス団によってはこんなね」
「毎日身体を洗ってくれないね」
「そうらしいね」
「うん、酷いところだとね」
先生は太郎に眉を曇らせてお話しました。
「ショーの時以外はずっと小屋か檻の中で」
「そこから出してくれなくて」
「それでね」
そうした状況でというのです。
「身体を洗ってくれるとか」
「ないんだ」
「そんなところもあるよ」
「そうなんだね」
「象に水浴びは必要だよ」
先生は言いました。
「本当にね」
「それでもだね」
「そんなことはしないで」
一切というのです。
「ショーだけさせる」
「酷いね」
「そんな環境だとね」
それこそというのです。
「象もストレスが溜まるしね」
「よくないね」
「そうだよ」
こう言うのでした。
「本当にね」
「そうだよね」
「だからね」
それでというのです。
「君は幸せだよ」
「毎日水浴びが出来ることも」
「そうだよ、冬はお湯だね」
「うん、冬のお水は冷たいからね」
だかだとです、太郎は答えました。
「スタッフの人達はちゃんとね」
「お湯を用意してくれてだね」
「それを浴びせてくれてね」
そうしてというのです。
「身体を洗ってくれるよ」
「そうだね」
「それがまたね」
太郎は笑顔で言いました。
「気持ちいいんだ」
「何よりだね」
「本当にね、ただね」
「ただ?」
「うん、僕はね」
こうも言う太郎でした。
「冬にお水でもね」
「いいんだね」
「そうだけれどね」
「いや、そこはね」
先生は太郎に確かなお顔で言いました。
「冷えるからね」
「よくないんだ」
「身体を冷やすことはよくないし」
そうであってというのです。
「特に君達象は本来は暑い国にいるからね」
「日本でなくてだね」
「だからね」
それでというのです。
「冬はお湯で洗ってもらっているんだ」
「スタッフの人達も大事にしてくれているんだ」
「君達をね」
「そうなんだね」
「だからね」
それでというのです。
「これからもね」
「うん、冬はだね」
「お湯で洗ってもらっていいんだ」
「お水よりもだね」
「それが気遣いなんだよ」
先生はにこりと笑ってお話しました。
「スタッフの人達の君達へのね」
「優しい人達だからだね」
「冬はお湯で洗ってくれるんだよ」
「そう聞くと嬉しいね、自分でお鼻を使ってね」
太郎は象のその長いお鼻を動かして先生に言いました。
「自分で水浴びも出来るけれどね」
「スタッフの人達がやってくれるね」
「いつもね」
「それも優しさでね、水を浴びて身体を奇麗にしてもらうと」
そうすると、というにです。
「健康でもいられるしね」
「いいんだね」
「そうだよ」
こうお話するのでした。
「とてもね」
「そうなんだね」
「だからずっと小屋に入れておくことは」
そうしたことはというのです。
「よくないんだ」
「水浴びのことからもだね」
「そうしたことをするサーカス団だと」
「水浴びもだね」
「まずまともにしていないからね」
だからだというのです。
「本当にね」
「よくないんだね」
「そうだよ、だからね」
「僕達がいるサーカス団はいいんだね」
「とてもね」
「そうなんだね、じゃあ今日もね」
太郎は笑顔で言いました。
「奇麗にしてもらうね」
「そうしてもらうんだよ」
「そうしてもらうね」
こう言ってでした。
太郎は身体を奇麗にしてもらいました、水浴びは彼にとってはとても楽しい時間でした。ですがそれでもです。
先生は太郎の水浴びに立ち会った後で皆にお話しました。
「ケニーはね」
「水浴びだってだね」
「まともにしてもらわなかったわね」
「絶対に」
「そうだったね」
「そうだったと思うよ」
皆にキャンバスの中のベンチに座ったうえでお話しました、皆はその周りにいます。
「そうしたところはね」
「そうだよね」
「ずっと小屋や檻の中に入れていたら」
「ショーの時以外は」
「冬の寒い時だってそのままで」
「暖かくしようって気持ちもなくてね」
「そう、そしてね」
それでというのです。
「水浴びだってね」
「まともにしていなくて」
「奇麗にしてあげることもなかったね」
「そうだったんだね」
「あのサーカス団は」
「ただ虐待そのものの調教を施して」
そうしてというのです。
「そのうえでね」
「さらにだよね」
「そんな扱いで」
「本当にショーの道具としか見ていなくて」
「そんな風だとね」
「水浴びもなおざりで」
「碌にしなかったと思うよ、だから衛生面でもね」
そちらから見てもというのです。
「あのサーカス団はね」
「駄目だったんだね」
「ただ虐待しているだけじゃなくて」
「そうでもあったんだね」
「不衛生だったんだね」
「きっとね、象は奇麗好きだよ」
そうした生きものだというのです。
「けれどね」
「その象に水浴びをさせない」
「奇麗にもしない」
「そう聞くと尚更だね」
「酷いサーカス団だね」
「全く以てね、皆もいつも清潔にしているね」
先生は皆に言いました。
「そうだね」
「そうしているわよ」
「僕達だって奇麗好きだしね」
「先生だってそうだし」
「それは同じだよ」
「僕はイギリスにいた時から」
その時からというのです。
「お風呂に入られるならね」
「毎日入っているね」
「水浴びの時もあって」
「だからパリじゃ苦労したね」
「お風呂がなくて」
「あの頃のフランスはね」
この国はというのです。
「お風呂に入る風習があまり、だったからね」
「そうそう、フランスってそうだったのよね」
ポリネシアが言ってきました。
「昔はね」
「今も毎日は入らない人結構いるのよね」
ダブダブも言います。
「何でもね」
「それであの頃はね」
「今よりもずっと入らなかったわね」
チープサイドの家族もお話します。
「そうだったわね」
「あの時はね」
「香水をよく使うから」
トートーはそれでと言いました。
「お風呂はあまり、なんだよねフランスって」
「昔はもっと凄くて」
「滅多に入らなかったんだよね」
オシツオサレツは二つの頭で言いました。
「王様でもね」
「何年に一回か位で」
「それはないよ」
ガブガブは嫌そうに言いました。
「流石にね」
「全くだね」
ジップはガブガブの言葉に頷きました。
「毎日入らないとね」
「まさか水浴びしている時にサラさんが来るとは思わなかったけれど」
ホワイティは先生のパリでのことをお話しました。
「ご主人とね」
「それでも先生が困ったのもわかるよ」
チーチーは頷いて言いました。
「お風呂に入りたいのにね」
「フランスでお風呂に毎日入るって」
それはと言う老馬でした。
「あの頃は今以上になかったね」
「だからナポレオンさんはかなり特異だったんだ」
先生は皆にこの人のこともお話しました。
「毎日かなりの時間入っていたからね」
「そんなフランスでね」
「毎日入っていて」
「しかもかなり長い時間」
「それで変わっているって思われていたんだね」
「無類の風呂好きで」
ナポレオンさんはというのです。
「一日二時間はね」
「入っていたんだ」
「凄いね、それは」
「それだけ入るなんてね」
「それも毎日って」
「しかもこだわりがあって」
お風呂にというのです。
「シャンパン入りのお風呂が好きだったんだ」
「そうだったんだ」
「今の日本のスーパー銭湯みたいだね」
「スーパー銭湯ってワイン風呂とかあるしね」
「炭酸風呂とか」
「そうだね、それでね」
そうであってというのです。
「シャンパン風呂が好きだったりしたんだ」
「毎日入って」
「それも二時間も」
「いや、そう聞くとね」
「相当だね」
「全く以てね」
「そして象もだよ」
この生きものもというのです。
「やっぱりね」
「奇麗好きだから」
「水浴び大好きだから」
「それでだね」
「水浴びさせないと駄目だね」
「そうだよ、ケニーは本当に粗末に扱われて」
そうしてというのです。
「水浴びもだっただろうし」
「余計に気の毒ね」
「散々虐待されて酷使されて」
「僅か三歳で死んだから」
「酷い一生だね」
「本当に道具だったよ」
ショーの為のというのです。
「彼はね、そしてね」
「そして?」
「そしてっていうと?」
「うん、今生まれ変わっているなら」
先生はケニーのことを思って言いました。
「幸せであって欲しいね」
「全くだね」
「そうであって欲しいわ」
「あれだけ酷い一生だったから」
「本当にね」
皆もそうあって欲しいと思いました。
「生まれ変わっていたら」
「幸せになって欲しいよ」
「次の一勝ではね」
「あんなことにならないで」
「誰もが幸せになる権利があるんだから」
それ故にというのです。
「ケニーだってね」
「幸せになるべきだったね」
「あんな酷い一生じゃなくて」
「それで今生まれ変わっていたら」
「今度こそね」
「幸せになるべきよ」
「絶対にね、道具と言ったけれど」
それでもと言う先生でした。
「道具にだって心があるからね」
「だから粗末に扱わない」
「心ある人はそうするし」
「象だってね」
「大事にしないとね」
「どんな命もね」
先生は心から思って言いました、そしてです。
そのうえで、です。研究室に戻ってまた象の論文を書きますが家族のその絆を思ってそうして言うのでした。
「象の家族愛、仲間への意識はね」
「凄く強いよね」
「家族思いで仲間思い」
「そうした生きものだよね」
「心優しい」
「そうなんだ、だからね」
それでというのです。
「引き離すだけでもね」
「酷いことだね」
「ケニーみたいに」
「そんなことをしたら駄目だね」
「家族思いということからも」
「そうだよ、ケニーのお母さんもね」
その象もというのです。
「悲しかったよ」
「絶対にね」
「そうだったよね」
「子供さんと引き離されて」
「そうなって」
「ずっと心配だった筈だよ」
ケニーのお母さん象はというのです。
「ケニーがどうなったか」
「それでどうなったか知ったら」
「とても悲しかっただろうね」
「辛かっただろうね」
「あんな酷いことになって」
「その筈だよ」
本当にというのです。
「ケニーのことを知ったかどうかわからないけれど」
「知ってたかもね」
「やっぱりね」
「あんな酷いことになったって」
「そうね」
「そうだったかもね、そしてね」
それでというのです。
「とても辛かったんじゃないかな」
「そうだよね」
「引き離されて虐待されて」
「道具として扱われて」
「弱っていたのにショーをさせられて」
「それで死んだんだから」
「僅か三歳でね」
赤ちゃんだったというのにというのです。
「そうだったからね」
「僕達でも悲しく思ってるし」
「お母さんならもっとだよね」
「まして象は家族思いだから」
「そんな生きものだから」
「尚更だよ、本当に酷いお話だよ」
先生は心から言いました。
「象の家族愛の強さから見てもね」
「大体象って三歳だとまだ赤ちゃんで」
「お母さんに甘えたい年頃で」
「お母さんだって大事にしたかったのに」
「まだまだ一緒に痛かったのに」
「ケニーも酷いことになってお母さんも辛い思いをして」
そうであってというのです。
「誰もが不幸になった」
「悲劇だね」
「二度と繰り返してはいけない」
「そんなものだよね」
「そうだよ」
先生は心から言いました、そうしてです。
論文を書きます、お昼を食べてからもそうしてそのうえで夕方になるまで研究室で論文を書いてそうしてからでした。
お家に帰りましたが晩ご飯はおでんで。
「冬におでんもいいね」
「そうですよね」
トミーは笑顔で応えました。
「美味しいし温まります」
「しかも色々なものが食べられて」
「とても美味しいですね」
「うん、そしてね」
それにというのです。
「お酒にも合うしね」
「そうなんですよね」
「こうしてね」
先生はおでんの具を見て言いました。
「揚げにちくわ、蒟蒻、蛸、ゆで卵、がんもどき、はんぺん、ごぼ天とね」
「色々な具がありますね」
「うん、このおでんもね」
「あときんちゃくもありますね」
「餅入りのね」
「筋肉も入れていますし」
「何かとね」
それこそというのです。
「楽しめるよ、そしてお酒は」
「何を飲まれますか?」
「日本酒をね」
このお酒をというのです。
「飲むよ」
「そうされますか」
「そうするよ」
是非にというのです。
「今日はね」
「そうですか」
「いや、おでんはね」
先生は笑顔で言いました。
「日本の冬の風物詩の一つで」
「先生もお好きですね」
「大好きだよ」
大根を食べつつ言います。
「今ではね」
「最初はご存知なかったですね」
「そうだったよ」
こうお話します。
「本当にね」
「そうでしたね」
「いや、こんなお料理があるなんて」
「思いもしませんでしたね」
「イギリスにいた時に日本のことを学んでね」
そうしてというのです。
「こんなお料理があるのかってね」
「お知りになって」
「面白いなと思ったけれど」
それでもというのです。
「日本に行く機会もなくて」
「実際に召し上がられてはですね」
「なかったからね」
だからだというのです。
「そうした意味では知らなかったよ」
「そうでしたね」
「けれどね」
「それでもですね」
「日本に来て食べて」
「すぐに気に入られましたね」
「そうなったよ」
今度はちくわを食べて言います。
「このちくわだってね」
「召し上がられて」
「好物の一つになったよ」
「そうですね」
「いや、こうしてね」
さらに言う先生でした。
「おでんを食べるのもね」
「いいですね」
「冬はね」
「そういえばです」
トミーはさらに言いました。
「日本ではコンビニでもです」
「おでんを売っているね」
「作っていて」
「そう、あれもいいよね」
「そうですよね」
「おでんはね」
先生は日本酒を飲みました、お酒がどんどん進んでいます。
「本当に日本ではね」
「冬の風物詩の一つで」
「ご馳走の一つだよ」
「そうですね」
「そう、そして」
それにというのです。
「僕もね」
「楽しまれていますね」
「こうしてね」
「それで僕達もですね」
「一緒に楽しもうね」
「おでんを食べて」
そしてと言うトミーでした。
「お酒もですね」
「飲もうね」
「そうしましょう」
「それでだけれど」
先生は今度は厚揚げを食べながら言いました。
「大阪でもよくおでんを食べるね」
「そうそう、関東煮もあるね」
「大阪だとね」
「織田作さんも好きでね」
「楽しまれているね」
皆もおでんを食べています、そのうえでの言葉です。
「あの人もね」
「昭和の頃からそうしているね」
「それでだね」
「あっちじゃおでんを関東煮と呼ばれるのもあるね」
「こっちじゃ本来はお味噌を使うんだよね、おでん」
「そうだよね」
「何でもね」
先生はまたお酒を飲みます、そのうえでの言葉です。
「関東煮は日本の関東じゃないのかもっていう説があるんだ」
「あれっ、違うんだ」
「関東じゃないんだ」
「じゃあ何処なのかな」
「一体」
「中国の広東の方にああしたお料理があって」
それでというのです。
「それが日本に伝わってね」
「それでなんだ」
「広東が関東になまったんだ」
「それで関東煮になったんだ」
「そうした説もあるんだ」
「そうなんだ、そういえばおでんって日本のお料理だけれど」
それでもと言う先生でした。
「歴史は新しいね」
「そうなんだ」
「ずっと昔からあるんじゃないんだ」
「おでんって」
「日本のお料理だけれど」
「うん、ずっとある様で」
日本にというのです。
「それがね」
「そうでもないんだ」
「比較的新しいんだ」
「そういえばそうかな」
「おでんは」
「うん、それでね」
そうであってというのです。
「江戸時代なんかはね」
「ないんだ」
「あの頃の日本には」
「そうなんだ」
「そうかもね、けれどね」
それでもというのです。
「昭和、戦前には確かにあったよ」
「そうだね」
「だから織田作さんも食べていたね」
「そうだったね」
「そうだよ、昭和のね」
先生は戦前の日本の街並みを思い浮かべながら皆にお話しました、冬の寒い大阪の街の風景をそうしながら。
「戦争前のね」
「寒い時に」
「暖かいおでんを食べて」
「それで楽しんでいたね」
「織田作さんも」
「そうだよ、そしてね」
そのうえでというのです。
「僕だってね」
「今楽しんでいるね」
「僕達もね」
「いいね、こうしておでんを食べるって」
「最高だよ」
「全くだね、あとお魚を練ったものが多いね」
先生は今度ははんぺんを食べて言いました。
「厚揚げやがんもどきやきんちゃくみたいにお豆腐のものとね」
「そうだね」
食いしん坊のガブガブが応えました。
「言われてみるとね」
「おでんってそうだね」
「お魚とお豆腐が多いわね」
チープサイドの家族も頷きます。
「ちくわもそうだし」
「ごぼ天だってね」
「卵や筋肉もあって」
そしてと言うジップでした。
「大根も入っているけれど」
「確かにお魚の練ったものとお豆腐系が多いわ」
ダブダブも言います。
「言われてみれば」
「日本人のよく食べるものだね」
ホワイティはそれだと指摘しました。
「お魚もお豆腐も」
「どっちもイギリスにないものだね」
トートーは笑って言いました。
「全くね」
「イギリスって大豆は最近枝豆を食べるけれど」
「元々あまり食べないしね」
オシツオサレツは二つの頭で言います。
「お魚なんてね」
「本当に食べる機会もお料理のレパートリーも少ないよ」
「だからおでんなんて想像もつかないよ」
老馬も言います。
「イギリスにいたら」
「色々な食材を入れて煮るお料理は世界中にあるけれど」
それでもと言うポリネシアでした。
「イギリスにおでんみたいなのはないわね」
「こうしてお魚を練ったものやお豆腐系が多いのは」
チーチーは神妙なお顔で言いました。
「確かに日本ならではだよ」
「そうだね、広東のお料理は知らないけれど」
おでんの元になったかも知れないそれはとです、先生は卵を食べてお酒を飲んでそうしてからまた言いました。
「おでんは日本ならではだよ」
「そうしたお料理だね」
「完全にね」
「そう言っていいわね」
「まさに日本の味で」
「楽しめるね」
「全くだよ、そしてね」
それでというのです。
「今度は王子も呼んで」
「おでん食べようね」
「お酒も飲んで」
「それで楽しみましょう」
「今度はね」
「そうしようね」
こうしたお話もしてです。
この夜は先生は皆と一緒におでんと日本酒を楽しみました、そして次の日の朝研究室に来た王子におでんのことと今度一緒に食べようと言いますと。
王子はにこりと笑ってです、先生にこう言いました。
「そうそう、おでん美味しいよね」
「王子もそう思うね」
「僕も日本に来てはじめて食べて」
そうしてというのです。
「そのうえでね」
「好きになったね」
「それで時々食べているよ」
「じゃあ今度一緒にね」
「その時だけれど」
王子は先生に言いました。
「鯨入れよう」
「鯨肉をなんだ」
「そう、鯨のコロをね」
それをというのです。
「入れようね」
「そうそう、関西ではね」
先生は王子のお話を聞いて言いました。
「おでんにね」
「鯨を入れていたよね」
「そのコロをね」
「脂の多い部分をね」
「ハリハリ鍋にも使うよ」
先生は王子にお話しました。
「コロはね」
「そうだよね」
「最近まで鯨は捕鯨が規制されていて」
そうなっていてというのです。
「コロもね」
「中々手に入らなくて」
「高くてね」
それでというのです。
「豚肉とかで代用していたんだ」
「そうだったね」
「これからは違うけれどね」
「また捕鯨出来る様になったしね」
「ちゃんとね」
「それでコロもだね」
「これからはね」
まさにというのです。
「安くなるかもね」
「そうなって欲しいね」
「そしてその鯨のコロをだね」
「うん、買ってくるから」
だからだというのです。
「おでんに入れてね」
「トミーに伝えておくよ」
「宜しくね」
「いや、鯨もいいよね」
「先生捕鯨反対しないよね」
「うん、鯨も増え過ぎるとね」
そうなると、というのです。
「生態系に影響を及ぼすからね」
「実際にそうなっているね」
「だから捕鯨も必要で」
「鯨のお肉を食べてもいいね」
「そもそも僕達だって捕鯨をしていたよ」
先生は歴史のお話もしました。
「かつてはね」
「鯨油を手に入れる為にだね」
「メルヴィルの白鯨だってね」
この小説もというのです。
「鯨油を手に入れる為にやっていたしね」
「そうだったね」
「しかも鯨油を手に入れたら」
「お肉は食べなくてね」
「皮も骨もだよ」
そうしたものもというのです。
「一切ね」
「使わなかったね」
「そうだったからね」
「欧州やアメリカの捕鯨は」
「けれど日本の捕鯨は」
「お肉を食べてね」
「皮も骨も利用するから」
だからだというのです。
「いいんだよ、むしろね」
「むしろ?」
「捕鯨に無闇に反対するのが」
その方がというのです。
「おかしいよ」
「生態系に影響を及ぼすから」
「そうだよ、鯨が人の次に頭がいいから食べるなって言ったら」
それこそというのです。
「若し牛がそうだったらどうかな」
「食べる人多いね」
「食べないのかな」
「ちょっとなさそうだね」
王子も言います。
「先生も僕も牛肉食べるしね」
「そうだね」
「だからね」
「自分達は食べないからね」
鯨肉をとです、先生は言います。
「そう言うんだ、極端なヴィーガンの人と同じだよ」
「捕鯨反対は」
「ヴィーガンの人もお肉食べるなって暴れる人いるね」
「食肉工場の作業妨害したりしてね」
「自分がそうだから人もそうしろってね」
「強制はよくないね」
「そうした行為は民主的じゃないし」
そうであってというのです。
「独善的でね」
「間違っているね」
「そうだよ」
全く以てというのです。
「本当にね」
「そうだよね」
王子も確かにと頷きます。
「僕も思うよ」
「そうだね」
「僕も捕鯨賛成だよ」
「だからコロも食べるね」
「そう、そしてね」
そのうえでというのです。
「ヴィーガンでもないし」
「他の人に強制しないね」
「お肉食べるななんてね」
そうしたことはというのです。
「絶対にだよ」
「言わないね」
「そうだよ」
こう言うのでした。
「そうしていくよ」
「王子の国も民主主義だしね」
「日本だってそうだしね」
「そう、そこはね」
「ちゃんとしないとね」
「駄目だよ」
まさにというのです。
「守るものは守る」
「しっかりとね」
「そしてね」
そのうえでというのだ。
「鯨を食べよう」
「持って行くからね、先生のお家に」
「楽しみにしているよ」
先生はにこりと笑って応えました。
「本当に」
「それじゃあね」
「うん、それとね」
「それと?」
「お酒も飲むよね」
「勿論だよ」
王子は笑顔で応えました。
「実は大吟醸が今あるんだ」
「王子の別荘にだね」
「日本にいる時に暮らしているね」
そちらにというのです。
「あるんだ」
「そうなんだね」
「それでどうかな」
王子は先生に尋ねました。
「お酒もね」
「お酒ならうちにもあるよ」
先生はこう返しました。
「大吟醸がね」
「ああ、そうなんだ」
「だからね」
それでというのです。
「お酒についてはね」
「持ってこなくていいかな」
「大吟醸といってもメーカーがあってね」
「色々あるね、じゃあ僕も持って行って」
そうしてと言う王子でした。
「それでね」
「ああ、飲み比べだね」
「そうしない?」
「いいね」
王子の申し出にです、先生は笑顔で応えました。
「それじゃあね」
「うん、お酒は飲み比べよう」
「そうしようね」
「是非ね」
笑顔でお話してです、先生はこの日も学問に励んでサーカス団のお手伝いをしました。今度はサーカス団の雄ライオンとお話をしますが。
ライオンは先生にです、こんなことを言いました。
「僕が好きなお肉は鶏肉だよ」
「そちらだね」
「そう、牛肉や豚肉も好きだけれど」
それよりもというのです。
「鶏肉がね」
「好きなんだね」
「そう、そしてね」
そうであってというのです。
「内臓もね」
「好きなんだね」
「肝とかもね」
「そう、内臓は美味しくてね」
「栄養の塊だよね」
「食べると身体にもいいよ」
「だから鶏の内臓も好きでね」
「スタッフの人が持って来てくれるとだね」
「嬉しいよ」
そうだというのです。
「とてもね。それにね」
「それに?」
「スタッフの人達僕にライオン語で話しかけて」
「やり取りしているね」
「先生がライオン語を翻訳してくれたね」
「色々な生きものの言葉をね」
「それでね」
先生にさらにお話します。
「ライオン語の辞書とかもあるし」
「それを使ってだね」
「僕に芸も教えてくれたんだ」
「そうなんだね」
「これはうちのどの生きものもだよ」
このサーカス団にいるどの生きもの達もというのです。
「ちゃんとね」
「言葉でやり取りが出来ているね」
「そうしたらね」
ライオンはさらに言いました。
「僕達もスタッフの人達も意思疎通が凄く楽になって」
「それでだね」
「そう、そしてね」
そのうえでというのです。
「酷い調教もね」
「行われていないね」
「全くね」
「昔はね」
先生は暗いお顔になってお話しました。
「本当に虐待そのものの酷い調教がだよ」
「サーカスだと普通だったね」
「君達ライオンに対してもそうでね」
「他の生きものに対してもだね」
「そうだったんだ」
こうお話します。
「本当にね」
「僕も鞭打たれるとか嫌だよ」
ライオンは震え上がって言いました。
「そんなことされなくてもお話が出来たらね」
「わかるね」
「そうだからね」
「やはりお互いの言葉がわかると」
先生は言いました。
「大きいね」
「そうだよ、だから先生がしていることはね」
色々な生きものの言葉を人間の言葉に翻訳して辞書を作って人がそれぞれの生きものとお話が出来る様にしていることはというのです。
「素晴らしいことだよ」
「そう言ってくれるんだね」
「心からね」
先生に笑顔で答えます。
「だからね」
「それでだね」
「本当にね」
実際にというのです。
「僕達も感謝しているよ、言葉がわかることは宝だよ」
「僕は皆に宝を与えているのかな」
「そうだよ」
その通りだというのです。
「まさにね」
「そう言ってくれるんだね」
「そう、そしてね」
それにというのです。
「その宝は世界に広まっているから」
「尚更いいんだね」
「そうだよ、僕達も感謝しているよ」
「それが嬉しいよ」
先生は笑顔で応えました。
「僕のしていることで感謝してくれているなら」
「それならだね」
「僕は嬉しいよ、ではこれからもね」
「生きものの言葉を翻訳していくね」
「そうするよ。英語訳にね」
それにというのです。
「それが世界各国の言語に翻訳されていく」
「そうなる様にするね」
「これからもね」
「是非ね、ではね」
「それではだね」
「応援しているよ」
ライオンはにこりと笑って言いました。
「本当にね」
「そうしてくれるんだね」
「うん、じゃあいよいよショーがね」
「はじまるね」
「頑張ってね、僕はいつもこの八条町にいるから」
サーカスが開かれる町にというのです。
「何かあれば来るから」
「頼りにしていいね」
「僕でよければね」
「それじゃあね、頼りにさせてもらうよ」
ライオンはまた笑顔で言いました、そうしてです。
先生にショーを頑張ることを約束しました、先生は他の生きもの達ともお話をして彼等にも笑顔を向けられたのでした。