『ドリトル先生とサーカスの象』




                第四幕  サーカス団の人達

 サーカス団には色々な人そして生きものがいます、ピエロに空中ブランコをする人に他にも色々なショーを披露する人達にです。
 象にライオン、熊にゴリラ、豚、犬にアシカに鳥にといます。本当に色々な人や生きものがいます。
 その中のゴリラとお話をしてです、先生は言いました。
「君達は気の毒だね」
「どうしてですか?」
「よく誤解されるからね」
 雄のゴリラに悲しいお顔になって言うのでした。
「だからね」
「怖いとか狂暴とかですね」
「そうだよ、君達もだよ」 
 ゴリラの小屋の横には狼の小屋があります、そこにいる狼達にも言うのでした。
「悪い生きものだって言われてね」
「童話じゃいつもそうですよね」
「私達悪役ですよね」
「よく子供が見て怖がります」
「狂暴そうだって」
「そうじゃないんだけれどね」 
 実はと言う先生でした。
「君達はね」
「それがわかってくれますと」
「私達も嬉しいです」
「怖くないって」
「狂暴でもないって」
「狂暴とか残忍とかね」 
 先生はこうした言葉を出しました。
「言われるけれどね」
「子供を襲ったり山羊を襲ったり」
「狡猾で残忍だって」
「本当によく言われますね」
「貪欲だとか」
「しかしそれは大きな間違いだよ」
 先生は断言しました。
「誤解の最たるものだよ」
「僕達は必要なものしか獲らないですよ」
「貪る様なことはしません」
「家族や仲間を大事にしますし」
「人も襲いません」
「そう、君達に襲われた人は殆どいないよ」
 その実はとです、先生は言いました。
「そうだよ」
「人なんて襲いません」
「相当餓えていないと」
「縄張りに入れば警戒して後ろについていきますけれど」
「それだけです」
「だから君達は人間の最初の家畜になってね」
 そうしてというのです。
「犬なったしね」
「犬は僕達の弟分ですね」
「言うなら」
「どの犬もそうですよ」
「私達が家畜になったものです」
「それでどうして狼が人を襲うのか」
 犬になったのにというのです。
「そんな筈がないよ」
「というかね」
「狼って日本語じゃ『おおかみ』だからね」
「大きな神だよね」
「凄いいい名前だよ」
 今も先生と一緒にいる動物の皆も言いました。
「大きな、偉大とか素晴らしいとか」
「そうした神様ってことだから」
「そういえば日本の童話で狼が悪役のお話殆どないし」
「妖怪でも送り犬がいる位だね」
「そう、農耕社会ではね」
 先生は皆にもお話しました。
「狼は畑を荒らす獣を食べてくれるからね」
「有り難いよね」
「実際日本今獣害に困っているし」
「昔もだったしね」
「その畑を荒らす獣を食べてくれるなら」
「有り難い生きものだね」
「そうだったんだ、何故欧州で狼が怖がられたか」
 それはといいますと。
「牧畜をしているからだよ」
「それで羊や山羊や豚が襲われるから」
「だからだね」
「狼と七匹の子山羊とかね」
「三匹の子豚とかね」
「そうした童話が生まれたんだ、けれど日本は牧畜をしていなかったから」
 だからだというのです。
「かえって有り難かったんだ」
「人も襲わないし」
「尚更だね」
「日本は猛獣の少ない国だけれどね」
「狼は入っていないね」
「日本で猛獣は熊位だね」
 先生は皆に答えました。
「その熊も本土ではツキノワグマで」
「大人しいよね」
「比較的ね」
「体格も小さいし」
「羆と比べるとずっと怖くないね」
「怖いことは怖いけれど」
 それでもというのです。
「確かにヒグマや虎や豹と比べるとね」
「怖くないね」
「ツキノワグマは」
「それで狼は猛獣に入っていないわ」
「日本ではね」
「そうだよ、本当に狼は怖くないよ」
 先生は皆にもお話しました。
「狂暴でも残忍でもないよ」
「血に飢えてもいない」
「狡猾でもない」
「むしろ農耕社会だと有り難い」
「そうした生きものよね」
「そう、そしてゴリラもね」
 あらためて彼を見て言いました。
「完全な菜食主義で優しくて穏やかで」
「僕達暴力なんて振るわないよ」
 他ならぬゴリラの言葉です。
「どんな命でも襲わないよ」
「ゴリラはそうだね」
「暴力なんてとんでもない」 
 全否定する言葉でした。
「誰に対しても振るったら駄目だよ」
「それが君達の考えだね」
「威嚇したり出したものを投げて抵抗しても」
 それでもというのです。
「殴ったり蹴ったり罵ったりなんか」
「しないね」
「何があってもね、心の中にないよ」
「人間はそうしたことをする人がいるよ」
 先生はまた悲しいお顔になって言いました。
「けれどね」
「ゴリラはそんなことしないから」
「むしろ人間よりずっと優しいね」
「そして穏やかで」
「非暴力的ね」
「それなのに外見が怖そうっていうだけで」
 まさにそれだけでというのです。
「怖がられるのがね」
「残念だよね」
「本当にね」
「人はお顔で判断したらいけないけれど」
「生きものだってそうだね」
「そうだよ、僕は学者だから真実を学んでそれを伝えるよ」
 先生は言いました。
「これからもね」
「それでゴリラのこともだね」
「狼のこともだね」
「サーカスを観に来る人達にもお話するね」
「そうしていくね」
「サーカス団の皆の健康も観てね」
 団長さんにお願いされた通りにというのです。
「そしてね」
「そのうえでだね」
「真実を伝えるね」
「皆のそれを」
「そうするよ、誤解は偏見を生むしね」 
 そうもなるというのです。
「偏見がナチスの様な人達も生み出すしね」
「そうなるからね」
「それでだよね」
「真実は伝えないといけないね」
「何があっても」
「その通りだよ」
 こう言ってです。
 先生は団長さんにもゴリラや狼といった怖がられている生きもの達の本当の姿をお話していいかと提案しました、すると団長さんはです。
 笑顔で、です。先生に答えました。
「是非そうして下さい」
「真実をお話してですね」
「はい、誤解があってはならないので」
「誰についても」
「ですから」
 そうであるからだというのです。
「お話して下さい」
「それでは」
「はい、子供達には特にですね」
「間違った知識はよくないですから」
「真実をお話しますね」
「生きものについても」
「ゴリラはこれ以上なく穏やかで」
 そしてというのでした。
「狼はむしろ有り難い生きものだと」
「お話します」
「宜しくお願いします」
「偏見は人についても駄目ですが」 
 先生は団長さんにも偏見についてお話しました。
「生きものについてもです」
「そうですね」
「誤解や偏見が悲劇につながったこともありますし」
 生きものの歴史の中で、です。
「ですから」
「正しいことを伝えますね」
「サーカス団でも」
「それでは」
「そちらも行わせて頂きます」
 こうお話してでした。
 先生は生きものの紹介の時に実際はどういった生き物であるかを書きました。そうしたことをしたうで。
 小屋の前のそれぞれの域の野の説明文やショーの紹介の時の文章を見てこれでいいと頷きました、そうして皆にお話しました。
「これでいいよ」
「先生何時でも皆のことを考えてるね」
 トートーが先生に言いました。
「今回もね」
「皆に正しいことを知ってもらう」
 チーチーも言います。
「いいことだよ」
「世の中悪い人がいてね」
 そしてと言うダブダブでした。
「嘘を拡散する人もいるけれど」
「先生は真逆だね」 
 ガブガブも言います。
「真実を伝えるね」
「偏見は否定してね」
 そしてと言ったのはポリネシアです。
「本当のことを言うね」
「いつも嘘は吐かないし」
「そう、学問のうえでもね」 
 チープサイドの家族も言います。
「他のことでもそうだし」
「誠実で真面目にそうしてくれるからいいよ」
「本当に世の中酷い嘘吐きがいて」
 ホワイティはむっとしたお顔で言いました。
「人を騙して自分が得をする様にするけれど」
「先生を見ろって言いたいよ」
「全くだよ」
 オシツオサレツは二つの頭で先生を見て言いました。
「真実を言うのがどれだけ素晴らしいか」
「人の誤解や偏見を打ち消す行いがね」
「嘘吐きは最後は裁かれるよ」
 老馬は断言しました。
「真実は絶対に明らかになるからね」
「世の中色々な嘘吐きがいるけれど」
 それでもと言うジップでした。
「先生は違うからね」
「人は誰でも時として嘘を吐くよ」
 先生は世の中のことからです、皆に答えました。
「僕もね」
「そうかな」
「先生いつも誠実だけれど」
「真面目でね」
「人を騙そうとしないよ」
「真実を伝えようとしているけれど」
「嘘も方便と言うからね」
 だからだと言う先生でした。
「それでね」
「先生もなんだ」
「嘘吐くだ」
「そんな時もあるのね」
「あるよ、けれど嘘を吐いていい時と悪い時があるんだ」 
 先生は皆に研究室で言いました。
「誰かを害する様な嘘、人を攻撃したり自分が悪いことで利益を得る為の嘘はね」
「駄目だね」
「何があっても」
「そうなんだね」
「学問では絶対にだよ」 
 こちらではというのです。
「真実を語らないとね」
「真実を突き止めるものだしね」
「学問はそれが目的だしね」
「そしてその真実を伝える」
「そうしたものだから」
「嘘を吐いてはいけないよ」
 絶対にというのです。
「本当にね、そして悪質な嘘はね」
「ばれるよね」
「何時か絶対にね」
「そして報いを受けるね」
「そうなるわね」
「ずっと騙されるどうしようもない愚かな人はいても」 
 それでもというのです。
「騙されていたとわかった人はどう動くかな」
「怒るね」
「そして許さないよ」
「嘘を吐いた人をね」
「若し何かを騙し取られていたら余計にね」
「怒るよ」
「騙される方が悪いとも言うけれど」
 それでもというのです。
「騙した人が悪いことは事実だよ」
「報いを受けるべきだね」
「そんな悪い奴は」
「嘘がばれたその時に」
「絶対にね」
「そうだよ、ただ最後まで騙されていたと気付かない人は」
 そうした人はといいますと。
「冗談抜きでどうしようもないまでに愚かだから」
「救えないね」
「また騙されるね」
「そうなるわね」
「人間では救えない人もいるからね」
 先生はここでも悲しいお顔で言いました、研究室で皆に自分の席に座ったうえでお話をしていきます。
「どうしても」
「どんな宗教や哲学でもね」
「そして騙されているって言っても」
「信じないでね」
「騙されるね」
「そして破滅するけれど」
 それでもというのです。
「破滅してもわからないからね」
「自分が騙されている」
「愚かだって」
「それでそのまま死ぬね」
「破滅しても変わらないで」
「破滅しても命があれば再起は出来るけれど」
 それでもというのです。
「そうした人はね」
「再起出来ないね」
「また騙される」
「周りの忠告を聞かないで」
「そのうえで」
「騙されなくても行いをあらためないなら」
 愚かなそれをというのです。
「やっぱりね」
「同じだよね」
「破滅したまま死ぬね」
「変わらないまま」
「救われる、騙されたとわかるにもある程度のものが必要なんだ」
 先生はさらに言いました。
「どうにもならない人はね」
「救われない、騙され続ける」
「破滅しても」
「そのままずっとだね」
「そうだよ、本当に誰でも救えなくて」
 人間ではというのです。
「どんな宗教や哲学でもね」
「救えないね」
「破滅していくね」
「ずっと」
「そうなるんだ、けれどそこまで酷くない人は気付いて」
 騙されていたことにです。
「本気で怒ってね」
「騙した人を許さない」
「そして報いを与える」
「神様も裁きを下すし」
「その悪事に相応しい結末を迎えるわね」
「そうなるよ」
 先生は言い切りました。
「だからね」
「先生は嘘を吐かないのね」
「先生が言うには吐く時もあるけれど」
「それでもなのね」
「普段は吐かないんだね」
「心掛けているよ」
 そうだというのです。
「本当にね」
「学問で嘘を吐かないのは絶対だね」
「それって素晴らしいことだよ」
「そちらで嘘吐かないならね」
「どれだけいいか」
「全く以てね」
 皆も言います、そしてです。
 先生は論文を書いていきますが皆にあらためて言いました。
「やっぱり象で三歳は赤ちゃんだね」
「そうだよね」
「七十年生きるしね」
「三歳だとね」
「まだ赤ちゃんよ」
「ほんの子供だよ」
「そんな子供に虐待する親もいるけれど」
 世の中にはです。
「最低そのものだね」
「人としてね」
「あってはならないね」
「本当に最低よ」
「親失格そのものだよ」
「だからあってはならないけれど」
 それでもというのです。
「同じだよ」
「そんな歳の象に酷い調教をしたら」
「ケニーに対してしたみたいなことは」
「絶対に許されないね」
「そう言うしかないね」
「そうした調教がなくなる」
 先生はさらに言いました。
「そうなればね」
「本当にいいね」
「世の中ね」
「そうなって欲しいね」
「減っているけれど」
 それでもというのです。
「これからはね」
「もっと減らさないとね」
「今以上に」
「そうしないとね」
「残念だけれど完全にはなくならないよ」
 先生は俯いて悲しいお顔になって言いました。
「こうしたことはね」
「そうだよね」
「本当に残念だけれどね」
「世の中悪い人はいなくならないから」
「どうしても悪い人がいてね」
「悪い人がいるから」
「人の世で悪いことはなくならないから」
 だからだというのです。
「どうしてもね」
「こうしたこともなくならないね」
「虐待も」
「人間に対してもそうだし」
「生きものに対してもね」
「天国でもないとね」
 それこそというのです。
「悪いことが完全にないなんてね」
「ないね」
「人の世ではね」
「どうしてもなるね」
「完全にはなくならないわ」
「このことは仕方がないよ、人はまずは白紙でも」
 先生はこんなことも言いました。
「生まれた時はね」
「何も知らなくてね」
「それから知っていくんだよね」
「多くのことを経験して学んで」
「そのうえで」
「そして善悪を知っていって」
 そうしてというのです。
「悪い方に傾く人もいるからね」
「どうしてもね」
「そうした人がいるよね」
「イギリスにもいたし」
「日本にだってね」
「だから完全にはなくならないよ」 
 どうしてもというのです。
「このことはどうしようもないよ」
「そうだよね」
「それが現実よね」
「だからケニーみたいなお話も完全にはなくならないね」
「この世には」
「そうだよ」
 こう皆に言います。
「そのうえで減らしていくことだよ」
「少しでもね」
「そうしていくことだね」
「それしかないね」
「世の中は」
「そうだよ、完全になくならなくても」
 それでもというのです。
「減らすことは出来るからね」
「私達が努力すれば」
「そうすればね」
「だからやっていく」
「諦めないで」
「ゼロかオールじゃないんだ」
 先生は確かな声で言いました。
「その間にはかなりのものがあるね」
「そうだね」
「じゃあその間のものを考えよう」
「悪いことは出来るだけ減らしていこう」
「そうしていきましょう」
「是非ね」
 まさにと言う先生でした。
「そうしていこうね」
「うん、是非ね」
「日本でもね」
「先生頑張ってね」
「僕達はいつも先生と一緒にいるから」
「先生を全力でサポートするからね」
「宜しくね」 
 笑顔で応える先生でした、そしてです。
 先生は皆とさらにお話をしてです、またサーカス団に行って太郎とお話をしました。ここで先生は太郎に尋ねました。
「君の太郎という名前はね」
「いい名前だよね」
「うん、団長さんが言われるにはね」
「あの人が名付けてくれたんだ」
「そうだね、実は悲しいお話もあるんだ」 
 嬉しそうに言う太郎にお話しました。
「戦争の時にね」
「戦争?」
「日本はずっと戦争とは直接関わっていないけれどね」
「僕が生まれるずっと前に戦争したね」 
 太郎は言いました。
「そうだね、お父さんとお母さんが生まれる前でね」
「そう、かなり昔だよ」
「そうだよね」
「二十世紀の中頃でね」
 戦争があったのはです。
「第二次世界大戦だよ」
「物凄い戦争だったね」
「そう、僕の祖国も参加してね」
「イギリスだね」
「世界の多くの国が敵味方に分かれて戦って」
「日本もその中にあったね」
「そう、そしてね」
 そのうえでというのです。
「戦争をしていると何もかもがなくなっていって」
「使っていくからだね」
「物凄い勢いでね、何でも武器に使って戦場に送って」
「なくなっていくんだね」
「食べものもね」 
 これもというのです。
「なくなっていってね」
「食べものもなんだ」
「日本もそうなって」
 そしてというのです。
「動物園でもだよ」
「食べものがなくなったんだ」
「人間も食べるのに苦労する状況になっていたから」
「動物園でもなんだ」
「そう、そしてね」
 その結果というのです。
「動物園の皆もそこにいると食べるから」
「まさか」
「そのまさかだよ、口減らしでね」
 それでとです、先生は悲しいお顔でお話しました。
「お薬で安らかに死なせたり食べものを与えない様にして」
「死なせられたんだ」
「その中に象もいて」
「僕の名前だった象もなんだ」
「東京の上野動物園のお話でね」
「僕はその太郎って象の名前を受け継いでいるんだ」
「もう二度と戦争になって欲しくない」
 先生は太郎に切実なお顔で言いました。
「生まれた君を見た時すぐにその太郎のことを思い出して」
「それでなんだ」
「君を太郎の生まれ変わりかも知れないと思ってね」
 それでというのです。
「太郎と名付けたらしいよ」
「そうなんだ」
「うん、太郎も他の子もね」
「死んだんだね」
「死なせられたよ、仕方なくね」
「戦争だったから」
「死なせる方もとても辛かったけれど」
 それでもというのです。
「食べものがなかったから」
「どうしようもなかったんだね」
「あの戦争は日本はせざるを得なかったけれどね」
「そうなんだ」
「さもないと日本はどうなっていたかわからないし」
 それにというのです。
「避けようとしても避けられない」
「そんな状況だったんだ」
「だからね」
 それでというのです。
「戦争になったけれど」
「もう二度とだね」
「戦争になって」
 そしてというのです。
「あの象達、他の生きもの達の様にね」
「死なせられる生きもの達がいない様に」
「団長さんは名付けたんだよ」
「そうだったんだ」
「平和はね」
 それはというのです。
「何があっても守らないといけないよ」
「先生達が守るのかな」
「日本のね。僕は日本人になったからね」
「日本の平和を守るんだね」
「日本人皆が努力してね、そしてね」
「僕は平和に生きて」
「幸せになるんだ、その願いを込めてね」
 そうしてというのです。
「君は名付けられたんだよ」
「そうだったんだ」
「平和は何よりも尊いよ」
 先生は心から言いました。
「僕も団長さんも思うことだから」
「じゃあこの名前をだね」
「好きならね」
「ずっと好きでいてね」
「そうしてね」 
 太郎に笑顔で言いました、そのお話の後でこの時も一緒にいた皆は先生にしんみりとして言いました。
「第二次世界大戦のことは忘れられないね」
「忘れたら駄目だね」
「大勢の人が犠牲になって」
「イギリスもそうで」
「日本もだしね」
「そしてね」
 先生はキャンバスの中を歩いて研究室に戻る中で言いました。
「人間だけじゃなくてね」
「生きものもだね」
「大勢犠牲になってるよね」
「あの戦争では」
「どの戦争でもね」
 先生はとても悲しいお顔で言いました。
「命は犠牲になってきているよ」
「人もそうで」
「あらゆる生きものもだね」
「そうなってきているね」
「そして動物園もね」
 こちらもというのだ。
「同じだよ、戦争はあらゆるものを犠牲にして」
「動物園にいる皆も」
「そうなるね」
「悲しいけれど」
「そうだよね」
「いつもね」
「天王寺動物園でもだったね」
 先生は大阪のこの動物園のお話をしました。
「慰霊碑があったね」
「うん、僕達も見たよ」
 ホワイティが最初に応えました。
「先生と一緒に何度か行ってるけれど」
「その都度見ているね」 
 トートーも言います。
「あの慰霊碑は」
「いつも黙祷してるね」
 老馬はそうしている時を思い出します。
「そうだね」
「どうしてあの慰霊碑があるか」
「あの戦争で死なせるしかなかったんだよね、皆」
 オシツオサレツは二つの頭を項垂れさせて言いました。
「東京の上野動物園もそうで」
「大阪の天王寺動物園でもね」
「戦わないといけない時はあっても」 
 それでもとです、ダブダブも項垂れて言います。
「犠牲になるのは悲しいわね」
「けれど犠牲になった命のことは忘れない」
「そうしないと駄目よ」
 チープサイドの家族も言います。
「それであの慰霊碑があって」
「ずっと鎮魂されているんだね」
「そして忘れられない様にしているんだね」 
 チーチーもいつもの明るさはありません。
「犠牲になった命のことを」
「そして戦争の悲しさと平和の有難さ」
 ガブガブも今は悲しいお顔です。
「そうしたことも伝えているんだね」
「団長さんもわかっているんだね」
 ジップはサーカスの団長さんのことをお話しました。
「平和の素晴らしさ、戦争の悲しさを」
「そうしたことからもわかるわね」 
 ポリネシアも団長さんのことを思いました。
「あの人は確かな人よ」
「そうだよ、あの人は確かな人だよ」
 先生もそうだと言います。
「お話してもわかるし」
「あの子を太郎って名付けたことからもわかるね」
「心ある人だよ」
「確かにね」
「若しもウクライナみたいな状況になったら」
 先生はこの国のお話をしました。
「もう何があってもね」
「戦うしかないね」
「あんな状況になったら」
「もうね」
「それしかないね」
「そう、けれどね」
 それでもというのです。
「犠牲になる命のことは忘れないで」
「そして悼む」
「そうした気持ちもないとね」
「とても駄目だね」
「何かあると戦争だ皆殺しだと言う人は」
 そうした人はといいますと。
「間違いなくね」
「そうしたことがわかっていないね」
「考えもしていないね」
「戦争がどんなものか」
「どれだけの命が犠牲になるか」
「わかっていないよ、まして自分は安全な場所にいて」 
 そうであってというのです。
「日本だと自衛隊にも所属していていない」
「実際に戦わない」
「そんな人が戦争しろとか言ってね」
「命を粗末にする様だとね」
「間違ってるよね」
「そう、間違っているよ」
 先生は断言しました。
「最近日本でも偏見の塊みたいでね」
「何かっていうと戦争って言って」
「誰かに出て行けって言って」
「そして嘘やインチキの画像まで作ってネットで撒き散らして」
「叫んでいる人達がいるね」
「あんなことをしたら絶対に駄目だよ」
 先生は怒ったお顔で断言しました。
「偏見の塊みたいな人はやけに好戦的でもあってね」
「本当に言うからね」
「戦争しろとかね」
「皆殺しにしろとか」
「自分は安全な場所にいてね」
「そこから動かないのに」
「こんな人達が何を言っても愚かなだけで」
 そうであってというのです。
「僕は賛成できないし心ある人達もだよ」
「同じだよね」
「賛成出来ないね」
「とてもね」
「そうだよ」
 まさにというのです。
「その筈だよ」
「全くだね」
「そうでないとおかしいね」
「そんな卑怯なことをして物騒なことを喚いて」
「自分は安全な場所から動かない人なんて」
「そんな人になったら」 
 それこそというのです。
「恥と思わないね」
「そう、恥だよ」
「そんな人になったら恥ずかしいよ」
「間違ってもなりたくないよ」
「最低な人達だからね」
「最低を最低と知る」
 先生はこの言葉も出しました。
「その言葉も大事で平和の素晴らしさを理解することもね」
「必要だね」
「二度とそうしたことがない様に」
「戦争で命が犠牲にならない様に」
「平和の素晴らしさも理解しないとね」
「そうだよ、さもないとね」
 それこそというのです。
「人としておかしくなるよ」
「全くだね」
「そうしたこともちゃんとしないとね」
「団長さんはそうした人で」
「そのことも安心出来るしね」
 皆も頷きます、そして先生が研究室に入ってまた学問に励みました、その翌日は朝から団長さんとお話しましたが。
 太郎の名前のことになるとです、団長さん自身も言いました。
「はい、上野動物園の太郎からです」
「名付けられましたね」
「あのお話を子供の頃に聞きまして」
 そうしてというのです。
「とても悲しい気持ちになって」
「忘れられなかったですね」
「ずっと。そしてです」
「太郎が生まれた時にですか」
「この話を思い出しまして」
 そうしてというのです。
「名付けました」
「左様でしたね」
「まことにです」
 団長さんは先生とテーブルを囲んで座って先生が淹れてくれたミルクティーをいただきながらお話をします。
「ふとでしたが」
「それでもですね」
「あの子はその太郎の生まれ変わりとです」
「思われてですか」
「名付けました」
「そうでしたか」
「平和でないとです」
 団長さんは心から言いました。
「動物園もやっていけないですしね」
「その通りですね」
「そしてサーカス団もです」
「やはり平和でないと」
「やっていけないです」
 そうだというのです。
「サーカスはショーで娯楽なので」
「戦争になると全てが戦争に使われて」
「娯楽がなくなりますね」
「真っ先にです」
 先生は答えました。
「なくなります」
「そうです、ですから」
「サーカスもですね」
「平和が何よりです」
「全くですね」
「自衛隊も軍隊も嫌いではないですが」
 それでもというのです。
「自衛官の人達も平和なら」
「戦争に行かないで済みますから」
「一番いいですね」
「そうです、自衛官や軍人さん達にとってもです」
 先生はまさにと答えました。
「平和がです」
「第一ですね」
「はい」
 まさにというのです。
「何といいましても」
「そうですね」
「貿易をするにしましても」
「平和でないとですね」
「貿易も安心して出来ません」
「戦争に巻き込まれたら」
「とてもです」
 それこそというのです。
「貿易も他のビジネスもです」
「安心して出来ないですね」
「とても。実は資本主義はです」
「平和が一番ですね」
「貿易やビジネスで成り立っていますから」 
 そうした経済システムだからだというのです。
「まことにです」
「平和であってこそですね」
「成り立ちます」
「そうですね」
「日本は資本主義社会ですから」
「尚更ですね」
「平和でないとです」
 そうでなければというのです。
「成り立ちません」
「その通りですね」
「平和を守ることも重要です」 
 まさにと言う先生でした。
「まことに」
「左様ですね」
「ですから」
 それでというのです。
「太郎というあの子の名前は」
「とてもいい名前ですね」
「僕もそう思います」
「太郎を見ていると平和とです」
 そしてと言う団長さんでした。
「命の大事さを思います」
「いつもですね」
「そうです、それに調教もです」 
 こちらもというのです。
「ずっと気を付けていますが」
「あの子についてもですね」
「そうです、間違ってもです」
 団長さんは強い声で言いました。
「アメリカのサーカス団の」
「ケニーの様なことはですね」
「しません」 
 こう言うのでした。
「何があっても」
「そうされますね」
「平和にです」
「大事にする」
「その両方をです」
「意識されていますね」
「はい」
 その通りだというのです。
「私も」
「やはりそうですか」
「平和であって」
 そしてというのです。
「大事にする」
「その両方を守りますね」
「私としては。そのうえでです」
「サーカス団で働いていかれますね」
「今は団長として」
 その立場でというのです。
「働いていきます」
「宜しくお願いします」
 先生もそれではと応えました。
「僕も同じ考えです」
「生きものの命を大事にして」
「平和であることを願い」
 そうしてというのです。
「何でもしていきます」
「先生はそうした方ですね」
「何があっても命を大切にして」
「人も生きものも」
「そして平和である様に僕の出来る限りで」
「努力されますね」
「そうしていきます」
 こう言うのでした。
「それでサーカス団にもです」
「協力してくれますか」
「僕でよければ」
「では宜しくお願いします」
「そうさせて頂きます」
 こうお話してでした。
 先生は団長さんと生きものを大切にして平和である様に自分達が出来る限りの努力をしていこうと誓い合うのでした。そうであってこそと思うが故に。








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