『ドリトル先生とサーカスの象』
第一幕 日本のサーカス
先生達が暮らしている八条町にサーカス団が来ることになりました、先生はこのことを勤務している大学の研究室で動物の皆にお話しました。
「場所はこの大学の広場だよ」
「へえ、そうなんだ」
「サーカス団が来てくれるんだ」
「それはいいね」
「最近サーカスってあまり観ていなしね」
「八条グループが経営しているんだ」
そのサーカス団はというのです。
「僕達が今いる八条学園も運営している」
「世界的な企業グループの」
「八条グループがなんだ」
「成程ね」
「そうしたサーカス団なのね」
「八条サーカスといってね」
そのサーカス団の名前はというのです。
「日本ではかなり古い団体なんだ」
「八条グループって色々やってるね」
「世界的な企業グループだけあって」
「色々な企業があって」
「事業を展開していて」
「サーカスもなんて」
「それで僕にもだよ」
先生にもというのです。
「協力をお願いしてくれてきているよ」
「先生サーカス団に関わっていたしね」
「イギリスにいた頃にね」
「あの時は色々あったわね」
「大変なこともあったよ」
「今となれば懐かしい思い出だよ」
「その経験を聞いてね」
そうしてというのです。
「サーカス団の方でなんだ」
「お声をかけてくれたのね」
「協力して欲しいって」
「先生に」
「サーカス団の生きもの達のことでね」
彼等のことでというのです。
「そうなんだ」
「そうそう、あの時だってね」
「先生サーカスの皆に為に全力を尽くして」
「それで皆を助けたからね」
「団長さんと衝突もして」
「皆の為にね」
「そうだよ、だからね」
それでというのです。
「声をかけてくれたんだ」
「それでどうするの?」
ガブガブは専制に尋ねました。
「先生としては」
「協力するのかな」
ホワイティも先生に尋ねます。
「サーカス団に」
「今回はあの時と何かと違うかも知れないけれど」
「どうするのかしら」
チープサイドの家族も言います。
「あの時は環境はお世辞にもいいと言えなくて」
「生きものの皆も大変だったけれど」
「団長さんもお世辞にもいい人と言えなくて」
ダブダブはあの人のことを思い出してむっとなっています。
「先生も立ち向かったけれど」
「今回はどうなのかな」
「そこはわからないね」
オシツオサレツの二つの頭が傾きました。
「いい人ならいいけれど」
「生きものも困っていないなら」
「サーカス団といっても色々だしね」
こう言ったのはトートーでした。
「いい団体もあるしね」
「とんでもない団体もあって」
ポリネシアはそれでと言いました。
「いい団体もあるものよ」
「世の中何でも誰でもそうだしね」
ジップはこう言いました。
「いい人と悪い人がいて」
「いい団体と悪い団体がある」
チーチーはジップに続きました。
「そうしたものだしね」
「さて、どういった団体かな」
老馬はとても気になっています。
「果たしてね」
「うん、とても生きものや団員の人達を大切にしてね」
先生は皆に微笑んで答えました。
「お客さんへのサービスもいい」
「いい団体なんて」
「八条グループって全体的にホワイトだけれど」
「サーカス団もなんだ」
「そうなのね」
「そう、だからね」
それでというのです。
「ちゃんとね」
「やっていくといいね」
「そうだね」
「それじゃあね」
「先生としてもなのね」
「協力させてもらいたいとね」
その様にというのです。
「考えているよ」
「そうなんだね」
「それじゃあね」
「サーカス団に協力して」
「力になろうね」
「そうさせてもらうよ」
先生は笑顔で言いました、そうしてです。
皆にそのサーカス団のお話をします、ですが。
お家でトミーと王子それにマシュー=マグに晩ご飯のカレーを食べながらお話をしました。王子は執事さんと一緒です。王子達は先生にお呼ばれして一緒に食べています。
そしてです、マグは先生のお話を聞いて言いました。
「あそこのサーカス団はいいですがね」
「それでもだね」
「最近サーカスも問題になっていますよね」
先生にカレーを食べつつ真剣なお顔で言いました。
「生きもののことで」
「アメリカとかでね」
「ありましたよね」
「うん、子供の象のことでね」
先生は悲しいお顔になって答えました。
「問題が起こったね」
「子供の象を徹底的に酷使して」
「死なせたね」
「ケリーって子でしたね」
「そうだよ」
先生は悲しいお顔のまままた答えました。
「まだ三歳だったのにね」
「とんでもなく厳しい躾とショーの強制で」
「身体も心も壊れてね」
そうなってというのです。
「そしてね」
「その結果でしたね」
「衰弱しきってね」
「死んでしまいましたね」
「そんなことがあったよ」
「象の耳の後ろを鉤爪のある棒で叩いたらね」
王子はお顔を顰めさせて言いました。
「物凄く痛いよ」
「象の耳の後ろはとても敏感だからね」
「何かあるとだよね」
「そのサーカス団ではそうしていたんだ」
「他の象もだね」
「子供の象だってね」
「確か最初に何週間もずっと立たせるんだったね」
「そうだよ」
そうしていたというのです。
「四本の足を四方から縛って座れない様にして」
「まずはそうしてね」
「人間の言うことを何でも聞く様にして」
そうしてというのです。
「それからだよ」
「躾けるんだね」
「ずっと立たせるなんてしたら」
先生は言いました。
「人間でもね」
「疲れきるなんてものじゃないよ」
「身体も心もね」
「そうだよね」
「それをしてね」
そしてというのです。
「心を壊して」
「人間の言うことを何でも聞く様にして」
「それからだよ」
「耳の後ろを叩きながら芸を教え込んで」
「象の体調が悪くてもね」
「ショーに出して」
「三歳でだよ」
「その子は亡くなったね」
「そうなってしまったんだ」
「象で三歳っていうと」
どうかとです、執事さんも言ってきました。
「ほんの子供です」
「象の平均寿命は七十歳ですから」
先生は執事さんにも答えました。
「人間と然程変わらず」
「それで三歳ですね」
「まだほんの赤ちゃんで」
そう言っていい年齢でというのです。
「お母さんとずっと一緒にいたいのに」
「引き離されて」
「そうした目に遭ったんですね」
「虐待ですね」
「そのものです」
先生は悲しいお顔のまま答えました。
「そしてその子以外にもです」
「他の象達もでしたね」
「そのサーカス団では二十年の間に」
その間にというのです。
「三十頭もの象が命を落として」
「そしてですね」
「はい」
そうしてというのです。
「中にはショーの時にステージの外の堀に飛び込んで」
「自殺ですね」
「そうした像まで出て来まして」
「問題になったのでしたね」
「そしてそのサーカス団では生きもののショーが中止となり」
世論の批判を受けてです。
「すると観客が激減し」
「採算が取れなくなったんですね」
トミーも言ってきました。
「そうなったんですね」
「そして倒産したんだ」
「そうでしたね」
「とても悲しいお話だよ」
トミーにも悲しいお顔で言いました。
「これ以上はないまでに」
「本当にあった」
「そうなんだ」
「子供の象がとても可哀想ですが」
「その子だけじゃなくてね」
「他の子もですね」
「大変な状況だったんだ」
そうだったというのです。
「自殺する子が出る位にね」
「そうしたサーカス団ですね」
「僕達が所属していたあのサーカス団も酷かったけれど」
「他にもですね」
「酷い団体があってね」
そうであってというのです。
「ブラック企業みたいなね」
「人間の世界で言う」
「そうした団体もあるんだ」
「そうなんですね」
「そしてね」
先生はさらに言いました。
「そうした団体はね」
「少しでも行いをあらためていって欲しいですね」
「僕はそう考えているよ」
心から思って言う先生でした。
「象だけじゃなくてね」
「他の生きものについても」
「そう思うよ」
「動物園や水族館でもある問題ですね」
「広く言えばね」
まさにというのです。
「ペットショップでもね」
「何処でもあるお話ですね」
マグも嫌そうに言いました。
「あっしは今ペットショップをやってるじゃないですか」
「ショッピングモールでね」
「ペットショップでもですよ」
「生きものを命として見ないでね」
「ええ、商品としか見ないで」
「粗末に扱うお店もあるね」
「悪質なブリーダーもいまして」
そうであてっというのです。
「本当にヤクザ屋さんがやっていて」
「実はね」
「とんでもないことをしていますよ」
「繁殖用にね」
「嫌なことも多いですよ」
「ペット業界もだね」
「はい、そうして」
そうした環境でというのです。
「飼い主もですよね」
「ふわりのことがあったね」
「おもちゃにしか見ていないですね」
「そうだよ、最初は可愛がっていてもね」
それでもというのです。
「飽きるか別のおもちゃが手に入るとね」
「無視したり捨てますね」
「そうするよ」
「自分がそうなったらどう思うか」
「そうしたことをする人程烈火の如く怒るよ」
「そうするに決まってますね」
「そうだよ、自分がやられて嫌なら」
それならというのです。
「もうね」
「しないことですよね」
「そうだよ」
先生は心から答えました、
「絶対にね」
「それが人の在り方ですよね」
「そしてサーカス団でもね」
「先生が関わった」
「あのサーカス団みたいな団体がだよ」
それこそというのです。
「あるんだ、何処でもね」
「そうですね」
「生きものも働いている人達もね」
「道具ですね」
「お金儲けの為のね」
「だから虐待しますね」
「今お話している子象みたいにね」
それこそというのです。
「粗末に扱ってそれが出来なくなったら」
「批判を受けて」
「そうなったらね」
それこそというのです。
「倒産したから」
「虐待がないと成り立たなかった」
「そんな団体だったんだ」
「生きものも人も大切にして」
そしてと言う王子でした。
「ちゃんとしないとね」
「そうだね」
「三歳の子供を衰弱死させる様な団体なんて」
「どれだけ酷いかわかるね」
「よくわかるよ、アフリカにも象はいてね」
そうしてと言う王子でした。
「僕の国にもだよ」
「象はいるからね」
「よくわかるよ、象は賢いだけじゃないんだ」
それだけでなくです。
「とても繊細なんだ」
「そうした生きものだね」
「どの生きものもそうでね」
賢くて繊細でというのです。
「象もだよ」
「そうだね」
「だからね」
「虐待なんて絶対に駄目だよ」
「何かあると耳の後ろを叩いたり」
そうしたりというのです。
「ずっと立たせたりね」
「最初にね」
「無理にショーに出させ続けたり」
「弱っても芸をさせたんだ」
「そんなことはだよ」
「人間にも駄目だしね」
「生きものにもだよ」
何があってもというのです。
「したら駄目だよ」
「その通りだよ」
王子も強い声で言いました。
「そんな団体は放置したら駄目だよ」
「間違えているからね」
「決定的にね」
「その通りだね」
「どうも僕達がこうしたことを言うと」
そして行動したらとです、先生は言いました。
「余計なことをするなとか無駄なことだとかね」
「言う人がいるね」
「ショーはこうしたものとかね」
「生きもののことはどうでもいいとかね」
「そんなことを言う人がいるよ」
「ネットでは特にね」
「けれどこうした人達を見ると」
どうかといいますと。
「言ってることはとても非科学的で偏見に満ちていて」
「自分と違う意見の人を徹底的に攻撃するね」
「そうしてね」
それでというのです。
「何か愛国や人権を矢鱈言うけれど」
「そんな有様だね」
「他のことには興味がなくて全く学ぼうとしないで」
そうであってというのです。
「嘘を鵜呑みにしてね」
「自分に都合のいい話を都合よく解釈して」
「そして罵り続ける」
「そんな連中だね」
「こうした人達も同類だよ」
先生は断言しました。
「それこそね」
「そうした団体とね」
「そうだよ、やっぱり自分が同じことをされるとね」
「烈火の如く怒り狂うね」
「そうなるよ」
「そうした連中も酷いね」
「そうした人達は何処でもいますね」
トミーもお顔を曇らせて応えました。
「本当に」
「日本でもね」
「そんな人達にはなったら駄目ですね」
「そうだよ、そうした人達を見たら」
その時はといいますと。
「何があってもね」
「そんな人達と同じ様にはね」
それこそというのです。
「ならない様にね」
「することですね」
「最低と思ったら」
「そうした行いはしない」
「それこそがね」
まさにというのです。
「人としてだよ」
「あるべき姿ですね」
「そうだよ」
こうトミーに言いました。
「同じレベルに堕ちないで」
「それで、ですね」
「襟を正して」
「その人達と同じことはしない」
「そうすることがだよ」
「大事ですね」
「そうだよ、そして命はね」
先生は強い声で言いました。
「何といってもね」
「第一にですね」
「考えるものだよ」
「人間も生きものも」
「その団体はあまりにも命を粗末にしたから」
だからだというのです。
「結果としてね」
「倒産しましたね」
「命を粗末に出来なくなったら」
象達のそれをです。
「忽ち倒産したからね」
「虐待以外の方法を知らなかったんですね」
「そうだよ、これが人でもね」
「同じですね」
「そうだよ」
実際にというのです。
「全くね」
「粗末にしたらいけないですね」
「若し自分がそんな風に扱われたら」
それこそというのです。
「その時点でね」
「そうした人達こそ怒りますね」
「烈火の如くで」
その怒り方はです。
「見ものな位だよ」
「どれだけ怒り狂うか」
「本当にね」
眉を曇らせて言う先生でした。
「そんな人はね」
「人にはそんなこと言って」
「生きものにもね」
「いざ自分がそうされると」
「本気で怒るものだよ」
「自分にはですね」
「そう、自分しかなくてね」
その頭の中にはというのです。
「それでだよ」
「他の命はどうなってもいいんですね」
「全くね」
そうだというのです。
「冷酷と言うならね」
「そのものですね」
「そうだよ、まさにね」
「そんな人が世の中に増えると大変ですね」
「若し自分しかない人が政治家になったらどうかな」
先生はトミーにこうも言いました。
「一体」
「国民の為、国家の為に働くことが政治家のお仕事ですね」
「そうだね、それがね」
「自分の為だけなら」
「もう汚職でも何でもしてね」
そうしてとです、先生は眉を曇らせてお話しました。
「他の国とつながって」
「自分の国の為に動かないで」
「自分がよくなる為だけにね」
「動いてですね」
「国民も国家もだよ」
「酷いことになりますね」
「絶対にそうなるよ」
先生は言い切りました。
「だからそんな人にはね」
「投票したら駄目ですね」
「若しそんな人をヒーローみたいに思って投票するなら」
「とんでもないことですね」
「これ以上愚かなことはないよ」
先生はまた言い切りました。
「それこそ何て言うか」
「衆愚政治ですね」
「そうだよ、民主主義は大事で素晴らしいものだけれど」
それでもと言うのです。
「衆愚政治にもなりますね」
「そうなんだ、このこともね」
「よく覚えておくことですね」
「自分のことしか考えない人は見抜いて」
「投票しない」
「そうだよ、若し間違えたら」
その時はといいますと。
「大変な目に遭うのはね」
「自分ですね」
「そうなるからね」
「自分のことしか考えない政治家も見抜くことですね」
「このことも大事だよ」
カレーを食べながら皆とサーカス団や政治家のお話をして過ごしました、そして翌日先生は大学に行ってです。
いつも通り講義をしつつ学問に励みます、今度は象の論文を書いていまして。
「象の家族愛ですか」
「はい、そのことについて書いています」
先生は動物園に行ってそこにいる象達を観つつ日笠さんにお話します。象の家族がそのコーナーで仲よく過ごしています。
「今は」
「象はとても優しくて」
「家族思いですね」
「そうした生きものですよね」
「それで三歳位ですと」
先生は言いました。
「まだほんのです」
「子供ですね」
「そうです、お母さんに甘えたい」
「そうしたくて仕方ない年頃ですね」
「ですから」
先生は雲ったお顔でお話しました。
「アメリカのサーカス団であった様な」
「あのお話ですね」
「日笠さんもご存知ですね」
「とても悲しいお話ですね」
日笠さんも暗いお顔で答えました。
「僅か三歳でお母さんと引き離され」
「そうしてですね」
「虐待そのものの調教を受けて」
「いつも酷い目に遭わされて」
「無理矢理芸をやらされて」
「そして衰弱しきってです」
そうしてというのです。
「亡くなってしまいました」
「とても酷いお話ですね」
「生きものは機械ではないです」
先生は咎めるお顔で言いました。
「決して」
「その通りですね」
「機械でも日本では」
今自分達が暮らしている国ではというのです。
「あらゆるものに心が宿ると言われていますね」
「ですから粗末にはです」
「扱っては駄目ですね」
「機械でも」
「そうした考えならです」
それならというのです。
「まことにです」
「粗末にしてはいけないですね」
「はい」
絶対にというのです。
「してはなりません」
「そうですよね」
「ですから機械も大切にするのですから」
「象は当然ですね」
「明らかに命があり」
そうであってというのです。
「心があるのですから」
「だからですね」
「そうしたです」
「酷い扱いをすることは」
「あってはなりません」
絶対にというのです。
「本当に」
「その通りですね」
日笠さんも確かなお顔で頷きます、そして象の家族を観ますと。
子供の象はお母さん象と一緒にいます、十歳位ですがぴっしりと寄り添っています。日笠さんはその子供の象を観て先生に言いました。
「あの子は十歳になったばかりです」
「象ではまだ子供ですね」
「人間と同じで」
そうであってというのです。
「本当にです」
「子供ですね」
「ましてや三歳ですと」
「やっと物心ついた様な」
「まだおむつをしている様な」
人間で言うと、というのです。
「そうしたです」
「子供ですね」
「そんな子に虐待みたいな調教を与えて」
「何かあると耳の後ろをです」
そちらをというのです。
「象が特に敏感な」
「その部分を鉤爪のある棒で叩く」
「物凄く痛い思いをさせて」
そうしてというのです。
「無理矢理芸を教えて」
「芸をさせましたね」
「体調が悪くても」
「それで死なせましたね」
「そんなことをしてはです」
「絶対にいけないですね」
「そんなことをする人がです」
まだ子供の象を虐待する様な人がというのです。
「学校の先生になりますと」
「生徒さん達を虐待しますね」
「そして笑う様な」
「とんでもない先生になりますね」
「そうした人は日本ではです」
どうかといいますと。
「学校の先生になることが多いので」
「先生の暴力事件が多いですね」
「そう思います、自分がそんなことをされたどうか」
どれだけ辛いかというのです。
「そして受ける象がどんな気持ちか」
「考えることですね」
「そんなことを考えないで」
そうしてというのです。
「それがサーカスだ人の楽しみには必要だと平気で言う様なら」
「そんな人はですね」
「自分以外のどんな命もです」
それこそといのです。
「粗末にします」
「そんな人達ですね」
「そんな人達みたいになってはいけないですね」
「全くですね」
日笠さんとこんなお話もしました、お母さん象に懐いてとても幸せそうな十歳の象を観て。そうして研究室に戻るとです。
先生は論文を書きますが皆その先生と紅茶を飲みつつお話しました。
「昨日の夜もお話したけれど」
「酷いお話だよね」
「まだ三歳なのにね」
「そんな虐待を受けて死ぬなんて」
「赤ちゃんって言っていい様な年齢で」
「だから問題になったんだ、しかしね」
先生は皆にも眉を曇らせて言いました。
「こうしたことがあって知ってもね」
「平気で心無いことを言う人がいるね」
「そうだね」
「そんなのどうしたとか」
「そんな人がいるね」
「そうだよ、そんな人の他の発言観ていると」
どうかといいますと。
「もう差別をね」
「平気でするんだね」
「自分しかなくて」
「命に冷淡で」
「そんな人はだね」
「日本でもネットを観るとね」
そうすればというのです。
「平気で差別、ヘイトと言われる書き込みや発言をする人はね」
「命に冷淡だね」
「そんなことがあっても何とも思わない」
「むしろ当然だって言う」
「そんな人達だね」
「そんな人が増えたら」
そうなると、というのです。
「世の中はおかしくなるよ」
「そうだね」
「平気で差別をする人が増えたら」
「命に冷淡な人が増えたら」
「そうなるね」
「世の中大変なことになるね」
「そうなるからね」
だからだというのです。
「気を付けていかないとね」
「あの、絶対にね」
ここでガブガブが先生に言ってきました。
「三歳の象の子のお話そのサーカス団だけじゃないよね」
「そのサーカス団だけで二十年で三十頭の象が死んでるし」
「絶対に他のところでもだよね」
オシツオサレツも言います。
「僕達が知っているサーカス団もだったし」
「酷い扱いだったしね」
「他にも酷いところ一杯あるわね」
ポリネシアも思うことでした。
「昨晩実際にそんなお話もしたしね」
「酷い人は何処でもいて」
「酷いことをしているわね」
チープサイドの家族も言います。
「やっぱりね」
「そんなところ多いね」
「昔はそうしたこと考える人少なかったからね」
ジップは先生を見て言いました。
「先生みたいに親身になってくれる人は少なかったよ」
「今もそうした考えはあって」
チーチーも悲しそうに言います。
「残っているね」
「日本にもあるわね」
ダブダブも今は項垂れています。
「そんな人達が実際にいるし」
「本当に自分がされたらどうかな」
ホワイティも悲しそうに言います。
「そうなる可能性はゼロじゃないよ」
「誰だって何時どうなるかわからないんだよ」
トートーは咎める様に言いました。
「それで差別されたり虐待される様にもなるよ」
「そうならないとも限らないと思えば」
老馬も悲しいお顔になっています。
「思いやりも生まれるんじゃないかな」
「自分がそうなるかも知れなくてね」
先生も言います。
「そして若し同じことをされたらどうか」
「そう考えるとね」
「とても出来ないよね」
「そんなこと言えないね」
「本当に」
「最近は嘘を吐いてまでだよ」
そんなことをしてというのです。
「外国から来た人を追い出そうとしているね」
「いるよね」
「観光客でも移住してきた人でも」
「ちゃんと法的手続きして入った人でも」
「悪いことしているとか嘘吐いて」
「インチキの画像や印象操作の動画まで垂れ流して」
「そんなことは最低の行いだよ」
先生はティーカップを手に怒ったお顔で言いました。
「絶対にだよ」
「やったらいけないね」
「人間として」
「そんなことは間違っているよ」
「絶対に」
「若し反対ならきちんと論理でだよ」
それで以てというのです。
「対して議論すべきでね」
「嘘で攻撃したらね」
「もう最低だよね」
「そんなことしたら」
「アメリカでも行われているけれど」
この国でもというのです。
「日本でもね」
「同じだね」
「そんなことする人いるね」
「ネットで特にね」
「悪いことだね」
「そしてこんなことをする人はね」
それこそというのです。
「命だってだよ」
「冷淡だね」
「何でもない」
「そんな態度だね」
「自分を愛国者とか言って」
そうであってというのです。
「差別にだけ熱心でね」
「それでだね」
「そんなことには心を向けない」
「そうしているね」
「それどころか社会的に困っている人を切り捨てる様な」
そうしたというのです。
「偏見に基づいて言う始末だよ」
「世の中困っている人は本当にいるからね」
「障害があったりして」
「社会的なフォローがないと生きていけない人いるから」
「どうしてもね」
「けれどそんな人達を切り捨てる様な」
先生はさらに言いました。
「そうした意味でも冷淡なことをね」
「言うね」
「そんな人達は」
「福祉や厚生や年金について批判的で」
「生活保護だってね」
「日本人の為へのサービスにしても」
それでもというのです。
「日本人が受けていてもね」
「それでもだよね」
「冷淡でね」
「減らせと言う」
「そんな風だね」
「障害者は誰でもなる可能性があるよ」
そうだというのです。
「事故に遭ったりすれば」
「その時にだね」
「なってしますね」
「病気になっても」
「色々だね」
「年齢を重ねたり家庭に問題が出来て困る人もいるんだ」
世の中にはというのです。
「そしてそんな人達をね」
「助けるものだよね」
「世の中であるべき姿は」
「その筈だね」
「勝手に自分は強いと思い込んで」
そうしてというのです。
「弱い人達を切り捨てるなら」
「いじめっ子だね」
「そのものだよね」
「それもかなり冷淡な」
「自己中心的な」
「そんな人になったらおしまいだよ」
それこそというのです。
「人としてね」
「全くだね」
「そうなったら終わりね」
「その時点で」
「先生の言う通りだよ」
「優しさだけじゃ駄目にしても」
それでもというのです。
「優しさを忘れるとね」
「駄目だよね」
「人として」
「思いやりを持たないと」
「自分だけじゃ駄目だね」
「自分だけの人と付き合いたいかな」
先生は皆に尋ねました。
「果たして」
「そんな筈がないね」
「自分しかないなんてね」
「人を思いやらない人なんて」
「自分さえよければいい人なんて」
「心に自分、己しかない」
先生は皆に言いました。
「漢字では忌と書くね」
「忌まれる、つまり嫌われる」
「そうなるよね」
「必然的に」
「そうだよ、そしてそんな人が好きな人がいたら」
そうした人はといいますと。
「同じタイプだよ」
「そうだよね」
「絶対にそうよね」
「そんな人が好きな人なんて」
「同じタイプよね」
「犯罪者が好きになる人は犯罪者だね」
先生はこうも言いました。
「そうだね」
「そうそう、日本でもね」
「犯罪者を擁護する人ってそうだよね」
「自分も犯罪者なんだよね」
「前科があったりするわ」
「そんな風だからね」
それでというのです。
「そうしたことも見て」
「それでだね」
「そんな人にならない様にすることだね」
「差別が好きで命に冷淡な人にはならない」
「思いやりのない人にはならない」
「そうしていこうね」
こう言ってでした。
先生はあらためて紅茶を飲みました、その紅茶はホットミルクティーですがその紅茶を飲んでこうも言いました。
「僕は紅茶を飲むとね」
「いつも飲んでるね」
「先生の大好物よね」
「何といっても」
「うん、これを飲むとね」
そうすると、というのです。
「頭が冴えて優しさもだよ」
「感じるんだね」
「先生は」
「そうなるのね」
「子供の頃お母さんに淹れてもらって」
そうしてというのです。
「その時にいつも優しい言葉をかけてもらってね」
「それからだね」
「優しくなったね」
「そうなったのね」
「そうなんだ」
実際にというのです。
「僕はね」
「いいことだね」
「先生のお母さんいい人だったのね」
「紅茶を淹れる時に優しい言葉をかけるなんて」
「先生に優しさを教えてくれたんだね」
「いつも人に優しくあれってね」
その様にというのです。
「両親に教えてもらってね」
「紅茶を淹れてもらう時もそうで」
「それでだね」
「先生は紅茶を飲むと優しさを感じる」
「そうなったのね」
「そしてね」
そのうえでというのです。
「あらゆる命に優しくなりたい」
「そう思う様になったんだね」
「先生は」
「そして今もだね」
「そうした考えだね」
「強く思っているよ」
そうだというのです。
「本当にね」
「成程ね」
「先生の優しさは紅茶からもきていた」
「そのことを知ったけれど」
「そのことを知るとね」
「私達も飲みたくなるわ」
こう言ってでした。
皆で紅茶を楽しみます、そしてまた言いました。
「こうして紅茶を飲めてね」
「それも皆で」
「それだけでいいわね」
「本当にね」
「僕達も冴えてきて」
頭がというのです。
「優しくもなれるね」
「全くだね」
「先生のお話を聞くとね」
「そうなってきたね」
「だったらね」
「どんどん飲もう」
紅茶をというのです。
「このままね」
「じゃあ飲もうね」
「そうしようね」
「そして冴えて」
「優しくなろう」
「サーカスにも優しさは必要だしね」
先生も紅茶を飲みつつ皆にお話します。
「だからね」
「優しくなろう」
「その子みたいな子を二度と出さない為に」
「その為にもね」
「優しさを忘れないでいようね」
先生はまさにと答えてでした。
そうして今は皆と一緒に紅茶を飲みます、その紅茶を飲むと本当に頭が冴えて優しくなれる様でした。