『ドリトル先生の長崎での出会い』
第十二幕 神戸での祈り
神戸にも戻った次の日です、先生は動物の皆と一緒に大学でのお仕事が終わった後で神戸の八条モールに行きました。
そしてです、そのうえマシュー=マグのお店に行きますと。
「いや、もう開店早々ですよ」
「繁盛しているんだね」
先生はマグ氏にお店の中で応えました。
「そうなんだね」
「ええ、その通りでさあ」
マグ氏は先生に笑顔で応えました。
「本当に」
「それは何よりだね」
「それだけお金が稼げるので」
だからだというのです。
「嬉しいですよ、これからもです」
「ペット用品を売ってだね」
「日本で暮らしていきますよ」
「いや、日本での生活をはじめたばかりですけれど」
奥さんも来て言ってきました、二人共お店の服を着ています。帽子とエプロンがとても似合っています。
「いいですね」
「日本は快適ですね」
「何もかもが揃っていて」
そうしてというのです。
「気候もよくて」
「いい国ですよね」
「はい、本当に」
先生に笑顔で言うのでした。
「暮らしやすいです」
「そうですよね」
「物価が高いのが気になりますが」
マグ氏はそれはと言いました。
「ですが」
「そのこと以外はだね」
「とてもですよ」
「暮らしやすい国だね」
「ええ、そのこともあって」
それでというのです。
「このお店で、です」
「楽しくだね」
「働いていきます」
「そうするんだね」
「是非共」
こうお話してでした。
先生はマグ氏に長崎でのことをお話しました、するとマグ氏はそれはというお顔になって言いました。
「いや、若し蝶々さんのお話が本当にあって」
「それでだね」
「蝶々さんと中尉が生まれ変わって」
そうしてというのです。
「そのうえで、ですよ」
「巡り会ってね」
「今度こそ幸せになれたら」
それならというのです。
「いいですね」
「全くだね」
「そう思いますよ、あっしよ」
「そうよね」
奥さんも確かにと頷きます。
「あたし達も蝶々さんのお話は知ってるけれど」
「蝶々夫人な」
「物凄く悲しいお話だからね」
「蝶々さん可哀想だよな」
「お子さんもどうなったか」
蝶々さんのというのです。
「気になるしね」
「だからね」
それでというのです。
「今度こそ幸せになれたら」
「本当にいいね」
「全くだよ」
二人でお話します。
「中尉もあんなことしないでね」
「親戚の人も縁を切らないでね」
「蝶々さんが幸せになれたら」
「いいね」
「そう思うよ」
「そう、蝶々さんが幸せになれたら」
それならという先生でした。
「これ以上はないまでにね」
「いいですね」
「僕もそう思うよ」
「ええ、しかし今もですよ」
マグ氏はこうも言いました。
「人種のことで言う人はいますね」
「残念なことにね」
先生は悲しいお顔になって応えました。
「そうだね」
「当時はそれが酷くて」
「今もね」
「ありますね」
「どの国でもいるよ」
「人種的にあれこれ言う人は」
「科学的根拠もなくてね」
そうであってというのです。
「神様もだよ」
「否定していますよね」
「人間は誰でも同じだからね」
それ故にというのです。
「もうね」
「それじゃあですよね」
「神様も否定しているよ」
「人種的な違いなんてないですね」
「能力や人格についてね」
「そうですよね」
「それがわかってないからね」
だからだというのです。
「人種的偏見はね」
「あっちゃ駄目ですね」
「そうだよ」
まさにというのです。
「本当にね」
「そうですよね」
「だから僕は人種主義を否定しているし」
科学そして信仰からもというのです。
「そうした考えの人がいることをね」
「残念に思いますね」
「大谷翔平選手は白人でも黒人でもだよ」
まさに人種に関係なくというのです。
「凄いよ」
「そうした人ですよね」
「そうだしね」
それでというのです。
「誰でも努力したらね」
「凄くなりますね」
「そうだよ、人種の違いなんてね」
それこそというのです。
「個人の努力でね」
「どうでもなりますね」
「そうだよ、つまり基本的にね」
「人の能力は変わらないですね」
「そう考えますと」
「人種主義は間違いで」
「蝶々さんもね」
この人もというのです。
「今度はね」
「幸せになることですね」
「そうであるべきだよ」
先生は穏やかですが確かなお顔でお話しました、そうしてです。
お店で皆にあると有り難いという商品を買ってそれからお家に戻りました、すると皆は先生に居間で言いました。
「いいお店だね」
「また行きたいわね」
「色々な商品があって清潔で」
「行きたいわね」
「うん、常連になろう」
先生は皆に答えました、今はスーツから作務衣になっています。
「是非ね」
「そうしようね」
「そうしたらマグ氏も奥さんも喜んでくれるし」
「色々買っていこうね」
「そうしようね」
「しかもね」
ここで先生はこのこともお話しました。
「二人共日本語上手だったね」
「日本語って難しいけれど」
チーチーが見てもです。
「問題なくお話していたね」
「イギリス訛りもなかったね」
トートーはこのことを指摘しました。
「お二人は」
「日本語も書けるし」
ガブガブはお二人のこのこともお話しました。
「問題ないね」
「いや、先生は語学得意だから日本後すぐに身に着けられたけれど」
それでもと言うダブダブでした。
「普通はそうはいかないのよね」
「日本語の難しさときたら」
「凄いのよね」
チープサイドの家族も言います。
「文字も三つあるからね」
「平仮名、片仮名、漢字でね」
「文法も独特で」
それでと言うポリネシアでした。
「よくこんな難しい言語を生み出したものよ」
「よく日本の人達外国語難しいっていうけれど」
ジップはそれでもと言いました。
「はっきり言って日本語の方が難しいから」
「いや、悪魔の言語って言われるのもね」
ホワイティは日本語でそう言われていることをお話しました。
「まさにだよ」
「こんな難しい言語ないから」
老馬は断言しました。
「そうはね」
「英語の方がどれだけ楽か」
「わかったものじゃないよ」
オシツオサレツも二つの頭で言います。
「それこそね」
「しかも他の言語にも応用聞く部分多いしね」
「僕もそう思うよ、今では頭の中で考える時に使う言語も基本日本語になったけれど」
先生もそれでもと言いました。
「やっぱり難しいことはね」
「事実だよね」
「日本語って」
「先生もすぐに身に着けたけれど」
「難しいって思うね」
「やっぱり」
「そうだよ、だからね」
それでというのです。
「お二人が日本語を問題なくしゃべって読み書き出来て」
「よかったね」
「そのことが心配だったけれど」
「とんでもなく難しい言語だから」
「本当にね」
「そうだよ、じゃあマグ氏と奥さんもね」
お二人もというのです。
「日本に来てくれたから」
「あの人達ともだね」
「これからは一緒だね」
「楽しく暮らせるわね」
「そうなったよ、いいことだよ」
先生は笑顔でお話しました。
「日本での生活が余計に楽しくなったよ」
「そうだね」
「じゃあそのことも喜んで」
「そうしてね」
「皆で暮らしていこうね」
「そうしようね」
先生は皆に笑顔で言いました、そしてです。
王子もお家に来てトミーも執事さんも入って晩ご飯を食べてです。
それからカステラを食べつつ長崎のお話なりましたが王子は長崎のカステラを食べながらこんなことを言いました。
「僕も長崎は行ったことあるよ」
「素敵な場所でしたね」
執事さんも笑顔で言います。
「左様でしたね」
「それでグラバー園も行ったね」
「佐世保の方も」
「そしてハウステンボスもね」
「まことによかったです」
「うん、けれどね」
それでもというのでした。
「蝶々さんのお話は」
「実に悲しいものです」
「全くだよ」
「そのお話が救われるなら」
「僕達も応援するよ」
「心から」
「是非ね、そうせずにだよ」
王子は切実な声で言いました。
「いられないよ」
「何があろうとも」
「そうだよね」
「僕もです」
トミーもお茶を飲みつつ言いました、飲んでいるお茶ば紅茶でカステラにも実によく合っていて美味しいです。
「蝶々さんと中尉が生まれ変わっているなら」
「それならだね」
「今度こそって思います」
先生に言いました。
「そしてです」
「そのうえでだね」
「幸せになって欲しいです」
「僕も思うよ、ただね」
「ただ?」
「その人達がやったことじゃないから」
だからだというのです。
「反省や後悔はね」
「しなくていいですね」
「中尉の子孫の人達も」
「蝶々さんの親戚の子孫の人達も」
「皆ね」
「そんなことは思わなくていいですね」
「そうだよ、ただもう人種や宗教の偏見を持たないで」
そうであってというのです。
「お互いを大切にして」
「幸せになることですね」
「そのことが大事だよ、蝶々さんは何を望んでいたか」
「愛ですね」
「中尉を愛していて」
そうであってというのです。
「お子さんを愛しているから」
「だからですね」
「中尉からの愛をね」
それをというのです。
「望んでいたよ」
「蝶々さんは愛されていると思っていたね」
王子は紅茶を飲みつつ悲しいお顔で言いました。
「そうだったね」
「ずっとね」
「そして中尉が戻ってきて」
「アメリカで永遠に愛の生活を送ることをね」
「望んでいたね」
「そうだったんだ」
こうお話するのでした。
「ずっとね」
「だからだね」
「生まれ変わったなら」
蝶々夫人のお話が本当のもので、です。
「その時はね」
「純粋に愛し合う」
「そうであって欲しいよ」
「そうだね」
「誠実な愛情」
先生は一言で言いました。
「それこそがね」
「あるべきだね」
「そう思うよ」
「その通りだね、今度は」
「そして明日学校に行ったら」
その時はというのです。
「そうした愛になることをお祈りするよ」
「教会でかな」
「そうするよ」
「いいね、信仰のお話でもあるから」
王子は蝶々さんが改宗したこともお話しました。
「そのこともあってだね」
「明日はね」
「教会に行って」
「お祈りするよ」
「プロテスタントの教会ですね」
トミーが言ってきました。
「大学の中にある」
「そう、あちらにお邪魔して」
「お祈りをさせてもらいますね」
「お二人のことをね」
「あの教会は国教会の人も入れてくれますしね」
「カトリックの教会もそうだけれどね」
先生は少し苦笑いになって応えました。
「大学の中の」
「そうですが」
「流石にプロテスタントの国教会の人がお祈りすることはね」
「憚れますね」
「そうだからね」
そうした事情があるからだというのです。
「プロテスタントの教会に行こう」
「そうしましょう」
「いや、日本では意識されないけれど」
王子はミルクティーを飲みつつ言いました、皆飲んでいる紅茶はそちらです。
「プロテスタントとカトリックってね」
「違うからね」
「何かとね」
「それで僕は国教会で」
「プロテスタントだから」
「そちらの教会にお邪魔して」
そうしてというのです。
「祈らせてもらうよ」
「じゃあ僕も行くよ」
王子はここまで聞いて言いました。
「そして一緒にね」
「祈ってくれるんだね」
「お二人のことをね」
「そうなんだね」
「私も共に」
執事さんも微笑んで言ってきました。
「そうさせて頂きます」
「僕もです」
トミーもでした。
「一緒に行きましょう」
「皆でだね」
「お二人のことを祈りましょう」
「若し彼等が蝶々さんと中尉の生まれ変わりで」
「巡り会って愛し合うのなら」
「今度こそね」
「幸せになって欲しいですから」
そう思うからこそというのです。
「祈りましょう」
「そうしようね」
「教会で」
「是非ね、信仰心を忘れたら」
その時はといいますと。
「これ以上はないまでにね」
「残念なことですね」
「そうだしね」
「信仰心がありますと」
「それに越したことはないしね」
先生はこうしたこともお話しました。
「神様を信じることはそれだけでだよ」
「いいことです」
「とてもね」
まさにというのです。
「それだけで人は違うよ」
「信仰心がありますと」
「間違えることが少なくなるし」
「モラルにもなりますね」
「そしてね」
そのうえでというのです。
「心の支えにもなるし」
「信仰心はあるといいですね」
「神も仏もないなら」
即ち無神論に至ると、というのです。
「もうね」
「おかしくなることが多いですね」
「そうだよ、本当にね」
その時はというのです。
「間違える人はいるからね」
「神も仏も信じなくて」
「自分の力だけで生きると言って」
そうしてというのです。
「おかしな人や国を支持したり」
「そうもなりますね」
「そして行いもね」
「おかしくなりますね」
「沖縄の基地の前にいる様な」
「あんな人達になりますね」
「そうなりかねないからね」
だからだというのです。
「やっぱりね」
「信仰心はあった方がいいですね」
「神仏を信じるね」
そうしたというのです。
「信仰心を持って」
「そのうえで」
「そう、そしてね」
そのうえでというのです。
「生きていくべきだよ」
「それがいいですね」
「無神論者が駄目とかじゃなくて」
「間違えることが多いですね」
「そう見えるからね」
先生としてはです。
「本当にね」
「神仏は信じる方がいいですね」
「そう思うよ」
こうしたことも言いました、そしてです。
先生は翌日の朝皆と一緒に学園の中のプロテスタントの教会に入ってお祈りをしました、そうしてからでした。
皆にです、研究室で紅茶を飲みつつ言いました。
「後はね」
「神様がだね」
「お二人を見守ってくれるよ」
王子にお話しました、皆でほうじ茶を飲んでいます。
「きっとね」
「だからだね」
「僕達はね」
「若しお二人が生まれ変わりで」
「巡り会ったらね」
「幸せになることをだね」
「願っていよう」
そうしようというのです。
「この神戸でね」
「そうすることだね」
「そしてね」
先生はさらに言いました。
「今はまだ存在していても偏見もね」
「蝶々さんを不幸にした」
「人種的偏見も宗教的偏見も」
そのどちらもというのです。
「かなり弱まっているから」
「だからだね」
「そう、その分ね」
「幸せになりやすいね」
「そうだよ、ただね」
こうも言う先生でした。
「問題は反省や後悔に圧し潰されない」
「そのことが大事だね」
「そうだよ」
こう言うのでした。
「中尉の子孫の人なら」
「反省や後悔をだね」
「持っているかも知れないし」
「蝶々さんの親戚の人達の子孫の人達も」
トミーが言ってきました。
「反省や後悔をしているかも知れないですね」
「うん、だからね」
それでというのです。
「そうした感情に押し潰されることはね」
「あってはならないですね」
「そうだよ」
こう言うのでした。
「本当にね」
「そのことが気になりますね」
「僕としてはね」
「そうなんですね」
「反省と後悔が贖罪の気持ちになって」
そうなってというのです。
「それでね」
「贖罪の気持ちにもですね」
「押し潰されたらね」
そうなればというのです。
「やはりね」
「駄目ですね」
「反省や後悔はその人があらためてやりなおすもので」
そうであってというのです。
「押し潰されたらね」
「駄目ですね」
「そうだよ」
まさにというのです。
「そうなったらね」
「過ぎないことですね」
「気持ちがね」
「そうであることですね」
「そのことが気になるよ、けれど」
それでもと言う先生でした。
「蝶々さんのことは明治維新の頃で」
「今じゃなくて」
「もう百六十年は昔のことで」
「反省や後悔の気持ちもですね」
「薄れている筈だよ」
「それだけ歳月が経てば」
「うん、その筈だよ。血筋のそれはね」
それだけの歳月が経てばというのです。
「その筈だよ」
「だからですか」
「安心出来るかな、ただ生まれ変わりなら」
「魂のことですか」
「そちらはわからないね」
「日本は転生の考えが強く」
執事さんが言ってきました。
「生まれ変わってもですね」
「魂は同じですね」
「はい、そうした考えですね」
「キリスト教では本来ないですが」
それでもというのです。
「持っている人はです」
「持っていますね」
「そして実際にです」
先生は執事さんにもお話しました。
「ありますので」
「だからですね」
「この倍は中尉です」
「あの人が生まれ変わって」
「そしてです」
そのうえでというのです。
「無意識の下で反省や後悔の気持ちを持っていて」
「そうそう、生まれ変わるとね」
ガブガブが言ってきました。
「前世の記憶って基本なくなるんだよね」
「前の人生のことだから」
「そうなるね」
オシツオサレツが二つの頭で言います。
「だから基本表に出ないんだよね」
「前世の記憶は」
「けれど魂にはあって」
前世の記憶がとです、ジップは言いました。
「無意識の部分にあるんだよね」
「普段は出ないけれど」
チーチーはそれでもと言いました。
「魂に確かにあって」
「ふと影響を及ぼしたりね」
ホワイティはそれでと言いました。
「出て来たりするんだよね」
「そうした不思議なものだね」
老馬は実際に不思議に思っています。
「前世の記憶って」
「中尉の反省と後悔は物凄く強い筈だから」
「出たら心配ね」
チープサイドの家族もお話します。
「その時は」
「押し潰されないといいけれど」
「生まれ変わっても贖罪するなんて」
トートーは中尉のことを考えて言いました。
「とても残酷なことじゃないかな」
「前世のことは前世のことでしょ」
ダブダブは少し咎める口調になっています。
「今のことじゃないから」
「若しあの人が中尉の生まれ変わりでも」
それでもと言うポリネシアでした。
「蝶々さんのことは反省も後悔も必要ないわ」
「そうだよ、本人がしていないことで反省しろと言うなら」
先生はそれこそと指摘しました。
「間違いも甚だしいよ」
「全くだね」
「それは大きな間違いだよ」
「これ以上はないまでに」
「そう言うしかないね」
「そうだよ、だからね」
それでというのです。
「そこは間違えないでね」
「それでだよね」
「やっていくべきだね」
「是非共」
「そうであることだね」
「そう、そしてね」
そのうえでというのです。
「幸せになることだよ」
「全くだね」
「その通りよね」
「全く以て」
「それが正しいよ」
皆は先生の言葉に頷きました。
「自分がやっていないのに」
「例え前世のことにしても」
「反省とか後悔とか駄目だよ」
「する必要がないから」
「前向きでいないと」
先生はこうも言いました。
「駄目だよ」
「先生の言う通りだよ」
「自分がやっていないのにね」
「反省してもね」
「そのことはね」
「ちゃんと考えないとね」
「そう、そしてね」
そうであってというのです。
「中尉の生まれ変わりの人は」
「蝶々さんの生まれ変わりの人と」
「今度こそ幸せになる」
「軽薄なことはしないで」
「真面目にね」
「そうであることをね」
まさにというのです。
「誰もがだよ」
「願うよ」
「蝶々夫人を知っている人なら」
「もうね」
「そう思わない筈がないよ」
「その通りだよ、神様だってね」
皆で祈りを捧げた神様もというのです。
「その様にだよ」
「願われるよ」
「絶対にね」
「神様だってね」
「そう思われるよ」
「そうだよ、だからね」
そうであるからだというのです。
「反省や後悔、食材の気持ちに襲われないで」
「前向きになって」
「そうしてだよね」
「幸せになるべきよね」
「生まれ変わったなら」
「そうぢよ、前世で不幸でも」
そうであってもというのです。
「生まれ変わってね」
「その人生で幸せなら」
「それならだよね」
「いいよね」
「本当に」
「そうあるべきだね」
「その通りだよ」
こうお話してでした。
先生は皆と一緒にお茶を飲んでから学問に励み講義にも出ました、そうして楽しい日常を過ごしまして。
サラが来るとこの人にもお家でお話しました、するとサラはこう言いました。
「私は生まれ変わりはね」
「信じないね」
「キリスト教の教えでは」
どうしてもとです、先生のお家の今で先生とちゃぶ台を囲んでお話します。
「そうした考えがないから」
「だからだね」
「ええ、うちの人前は聖職者だったでしょ」
「今は社長さんでもね」
「それで私もね」
サラもというのです。
「キリスト教の考えが強いから」
「信仰心もね」
「だからね」
そうであるからだというのです。
「どうしてもね」
「そうした考えにはならないね」
「そうなの」
こう先生に言うのでした。
「転生は日本の考えでしょ」
「仏教のね」
「元はインドにあるね」
「あの国はずっと転生を信じているわね」
「そして日本もね」
「それはあっても」
それでもと言うサラでした。
「キリスト教の世界ではね」
「ないとだね」
「私思うわ」
「日本の仏教の考えだね」
「そしてね」
そうであってというのです。
「インドのバラモン教からはじまって」
「今のヒンズー教でもだね」
「存在しているね」
そうしたというのです。
「キリスト教徒はまた別の」
「考えで世界だね」
「そう考えているわ」
そうだというのです。
「本当にね」
「そうなるね、しかしキリスト教徒でもね」
先生はサラと一緒に梅茶を飲んでお饅頭を食べつつ言いました。
「転生を信じる人もいるしね」
「パットン将軍ね」
「それにアンデルセンの童話でもそうしたお話があるね」
「あの人のお話ね」
「あったね」
「ええ、そうだったわね」
「そのことはね」
転生を信じるか信じないかはというのです。
「キリスト教徒でもだよ」
「いたりする3わね」
「そうだよ、だからね」
それでというのです。
「僕もね」
「あるって思うのね」
「キリスト教の世界でもね」
「そうなのね」
「間違いなく日本の仏教の世界ではね」
こちらではというのです。
「存在しているよ」
「そうなのね」
「そう、そしてね」
それでというのでした。
「中尉もね」
「生まれ変わって」
「そしてだよ」
「今度こそなのね」
「そうかも知れないよ」
「そうだったら」
サラは先生のお話を受けて言いました。
「私もお祈りさせてもらうわ」
「今度こそだね」
「お二人が幸せになる様にね」
「そうしたらいいよ、本当にね」
「あのお話は悲しいお話だから」
「そうだね」
「日本は遠い国だったわ」
サラはこうも言いました。
「本当にね」
「かつてはね」
「世界の何処にあるかも知らない様な」
「遠い国でね」
「よく知らなかったわ」
「僕もだよ、アジアの果てにある様な」
「そんな国だったわね」
こう先生に言いました。
「かつては」
「そうだったわね」
「それがね」
「兄さんが暮らす様になって」
「サラも定期的に来ているね」
「こうしてね」
「そうなったね」
「今では兄さんの国ね」
「国籍も日本になったしね」
このこともあってというのです。
「それでね」
「そうなったわね」
「遥か彼方の国じゃなくて」
「第二の祖国ね」
「実際に暮らしているね」
「それだけによね」
「そうだよ」
まさにというのです。
「蝶々夫人もね」
「遥か彼方のお話じゃなくて」
「すぐそこにある様な」
そうしたというのです。
「そんなお話だよ」
「そうなったわね」
「だからね」
それでというのです。
「思い入れも深くなっているし」
「それでよね」
「本当にあったお話で」
「お二人が」巡り会ったなら」
「その時はね」
まさにというのです。
「幸せになって欲しいってね」
「強く願うわね」
「そうだよ、日本のお話だから」
そうであるからだというのです。
「本当にね」
「強く思うわね」
「そしてね」
そのうえでというのです。
「アメリカについてもね」
「中尉の国の」
「縁を感じるからね」
「私達は英語が母国語で」
「アメリカもだしね」
「実際にアメリカに行っても普通にお話出来るわ」
「英語だからね」
「お互いね。だからね」
それでというのです。
「思い入れがね」
「あるわね」
「どっちの音楽も流れるしね」
「蝶々夫人ではね」
「それでだよ」
こうしたこともあってというのです。
「蝶々さんと中尉はね」
「今度こそ」
「幸せになって欲しいよ」
「尚更思うことね」
「中尉も今度はね」
「誠実であるべきよね」
「あちこちにその場所だけの奥さんがいる様な」
そうしたというのです。
「軽薄なことはね」
「しないことよね」
「今は絶対にね」
それこそというのです。
「そんなことはね」
「出来ないけれどね」
「時代が変わったからね」
だからだというのです。
「そうなったよ」
「そのことはいいことね」
「女性の権利もね」
それもというのです。
「本当にね」
「守られる様になったわね」
「そう、昔と比べると」
それこそというのです。
「そうしたこともね」
「変わったね」
「そうなって」
そしてというのです。
「今はそうしたこともね」
「出来ないわね」
「だからね」
「中尉も軽薄なことはしないわね」
「確かな倫理観があれば」
現代のというのです。
「それでね」
「しないわね」
「倫理観はね」
「備えていたら」
「そうであったらだよ」
まさにというのです。
「これ以上はないまでにね」
「いいものになるわね」
「そう、倫理観があるかどうか」
「そのことはね」
「人にとって大事だよ」
「中にはない人もいるわね」
「自分だけでね」
そうであってというのです。
「それでね」
「そのうえだね」
「そう、本当にね」
まさにというのです。
「誰がどうなってもいい」
「そうなるわね」
「そうなったら」
それこそというのです。
「人としてね」
「どうかよね」
「若し私利私欲の為に」
まさにその為にというのです。
「嘘を吐いて人の憎しみを煽るなら」
「最低の行いね」
「もうそんなことをしたらね」
それこそというのです。
「おしまいだよ、蝶々さんで僕達が学んだ教訓もね」
「学べないわね」
「だからそんなことをしてはいけないし」
「許してもいけないわね」
「絶対にね、そしてね」
先生はさらにあらためて言いました。
「サラもカステラ食べるね」
「長崎名物の」
「うん、どうかな」
「いただくわ」
サラはにこりと笑って応えた。
「主人と子供達もイギリスで喜んでいるわ」
「美味しいからね」
「そう、そして今ここで」
「一緒に食べようね」
「そうしましょう」
サラは笑顔で応えました、そうしてです。
皆でカステラを楽しみました、ミルクティーと一緒に口にしたそれはとても美味しく皆心から満足しました。そしてお二人が若しそうであった時はと心から願うのでした。
ドリトル先生の長崎での出会い 完
2024・9・11