『ドリトル先生の長崎での出会い』
第九幕 長崎の駅前で
この日は雨でした、それで先生は学会に出てから皆に言いました。
「今日のフィールドワークは路面電車を使ってね」
「それで移動して」
「出来るだけ雨を避ける」
「そうしていくわね」
「そうしよう」
こう提案するのでした。
「折角だしね、それに路面電車もね」
「学問の対象だね」
「こちらもまた」
「そうだね」
「そうだよ、日本の鉄道文化は凄いけれど」
それでもというのです。
「かつては路面電車も多かったんだ」
「日本の街にね」
「そうだったんだね」
「松山でも観て乗ったけれど」
「この長崎にもあってだね」
「風情があってね」
そうであってというのです。
「いいものだね」
「そうだよね」
「日本では走っている街が減っても」
「それでもね」
「あればね」
その路面電車がというのです。
「乗ってね」
「どんなものかね」
「乗っていて確かめる」
「そうするね」
「そうだよ、そしてね」
そのうえでというのです。
「雨はあと少ししたら止むから」
「そうなんだ」
「雨が止むんだ」
「そうなるんだ」
「だから駅前にもね」
長崎のというのです。
「行こうね、そして駅の方もね」
「観て回るんだ」
「フィールドワークするんだ」
「そうするんだ」
「そうしよう、最近駅前は寂れていることが多いけれど」
それでもというのです。
「やっぱりその街の玄関だしね」
「そうだよね」
「駅ってそうだよね」
「そして駅前もね」
「そうなっているね」
「玄関も見て」
そうしてというのです。
「学ぼうね」
「うん、じゃあね」
「そうしようね」
「長崎という街のフィールドワークとして」
「そうしましょう」
「是非ね」
こうお話してそうしてでした。
先生は路面電車に乗ってそちらを学びました、長崎の街をかたことと走る小さな電車は乗り心地もよくてです。
風情もあって実によかったです、それで皆は言いました。
「いいよね」
「路面電車も」
「街にあると素敵よね」
「移動手段にもなるし」
「しかも風情もあってね」
「観光にもなるしね、日本は鉄道ファンの人も多いけれど」
先生は皆に電車の席に一緒に座ったうえでお話しました。
「路面電車も人気あるしね」
「やっぱりあった方が」いいね」
「昔はもっとある街が多かったのに」
「減って残念ね」
「大阪や京都にもあったしね」
かつてはです。
「バスもいいけれど」
「路面電車だってね」
「いいよね」
「欧州にもあるけれど」
「風情があるわ」
「そう思うよ、ただ問題はね」
先生はこちらのお話もしました。
「所謂撮り鉄の人達の中にはね」
「電車を撮るファンの人達だね」
「マニアともいうね」
「電車のいい写真を撮りたい」
「そうした人達だね」
「この人達の中にはマナーの悪い人達もいて」
そうであってというのです。
「問題のある行動を取るね」
「周りの迷惑を考えない」
「そうした人達だね」
「問題になってるね」
「中にはとんでもないこともして」
「こうした人達が路面電車に対しても行うなら」
迷惑な行為をというのです。
「そのことはね」
「問題だよね」
「大いに」
「そうだよね」
「ファンもいいけれど」
それでもというのです。
「マナーはね」
「しっかりとね」
「守らないと駄目だよね」
「常識は」
「人に迷惑をかけないことは」
「自分だけじゃないからね」
先生は織田やからですが確かな声で言いました。
「だからね」
「それでだね」
「そんなことしたら駄目だね」
「迷惑な行為は」
「色々やってるけれど」
「迷惑はかけたら駄目だね」
「人としての常識は守る」
絶対にというのです。
「そこに列車が映るからって勝手に水田にお水を入れたりね」
「あと木を切ったり」
「プラットホームから身体を乗り出したり」
「集まって騒いだり」
「踏切の中に入ったりね」
「ましてや天皇陛下のお召列車に乗られている陛下にわざわざ声をかけて撮るなんて」
そうした行為はというのです。
「何を考えているのか」
「警護上問題あるしね」
「陛下が幾ら笑顔で快諾されてもね」
「非常士気にも程があるわ」
「どう考えても」
「そんな人達は駄目だよ」
絶対にというのです。
「本当にね」
「常識なさ過ぎだよ」
「撮り鉄の一部の人達は」
「流石に皆がそうじゃないけれど」
「そうした人達もいることはね」
「問題だよ、この路面電車でもね」
今自分達が乗っているそれでもというのです。
「ちゃんとね」
「マナーは守る」
「それが大事だよ」
「何と言ってもね」
「常識位はね」
「本当にね」
「つくづく思うよ」
先生は心から言いました、そして路面電車のフィールドワークを行ってからティータイムにはです。
喫茶店に入ってミルクティーとカステラ、ケーキにアイスクリームのティーセットを楽しみますが。
座っている席から外を見てです、先生はにこりと笑って言いました。
「天気予報の通りだね」
「うん、止んだね」
「雨がね」
「そうなったね」
「うん、これでね」
笑顔でお話するのでした。
「安心して駅に行けるね」
「そうだね」
「これまで長崎を色々観てきたけれど」
「それでも駅前はまだだったし」
「それじゃあね」
「今度はそちらに行こう」
駅前にというのです。
「そうしよう」
「うん、是非ね」
「そうしようね」
「ティータイムの後は」
「そうしようね」
「カステラも食べてね、いや何度食べても」
先生は紅茶を飲んでカステラを食べて言いました。
「長崎のカステラはいいね」
「他の街のカステラと違うね」
チーチーも言います。
「どうもね」
「うん、他の街のカステラも美味しいけれど」
老馬もカステラを食べて言いました。
「長崎のカステラは別格だよ」
「少なくとも一段は上だね」
トートーも言います。
「長崎のカステラは」
「作り方がいいんだね」
「そうね」
チープサイドの家族はそれでとお話しました。
「メーカーさんのね」
「長崎の地元の」
「だからこうして食べていても」
それでもと言うジップでした。
「いいね」
「そうだね」
ホワイティはジップの言葉に頷きました。
「とても美味しいよ」
「先生も楽しんでいるし」
「心からね」
オシツオサレツは先生を見て言いました。
「それだけ美味しいってことだね」
「長崎のカステラは」
「だからこうしてよ」
ダブダブもカステラを食べています、そのうえでの言葉です。
「ティータイムも食べるのよね」
「長崎での楽しみの一つね」
ポリネシアにしてもです。
「まさに」
「うん、幾らでも食べられるよ」
ガブガブもカステラを食べています、勿論他のスイーツもです。
「これはね」
「そう思うよ、ただセットだから」
それでと言う先生でした。
「他のものもね」
「食べようね」
「ケーキもアイスクリームも」
「そういったものもね」
「全部ね」
「残さずにね」
そうしてというのです。
「そのうえでね」
「食べようね」
「折角注文したし」
「それならね」
「残さずだよ」
「食べもの飲みものは残さない」
絶対にというのです。
「本当にね」
「大事なことだね」
「食材にはどれも命があるし」
「作る人達もおられるし」
「もっと言えば運ぶ人達も」
「そうしたことを考えるとね」
「残したら駄目だよ」
何があってもというのです。
「日本に来てこのことをね」
「これまで以上に実感したよね」
「僕達もだよ」
「食べもの飲みものは残さない」
「絶対に」
「そうしないとね、食べられるだけ注文して」
お店ではというのです。
「そしてね」
「そのうえでだね」
「残さず食べる」
「そうすることだね」
「今も」
「そうだよ、そしてね」
それにというのです。
「楽しもうね」
「そうしようね」
「このティータイムも」
「皆でね」
「そうしよう、しかし思うことは」
ここで先生が言うことはといいますと。
「長崎のカステラは皆が言う通りにね」
「他の街のカステラより美味しいね」
「本当に」
「そうだよね」
「お土産にも買ってよかったよ」
こうも言ったのでした。
「皆にね」
「そうそう、王子にトミーに」
「マグさんにもね」
「そしてサラさんにもで」
「当然日笠さんにもね」
「そうしてよかったよ」
心から言うのでした。
「こんなに美味しいから」
「美味しいものは皆で食べる」
「それが大事だね」
「何についても」
「それでもね」
「そう、だからね」
それでというのです。
「飼ってよかったよ、カステラは明治帝もお好きだったしね」
「今アイスクリームもあるけれど」
「こちらもお好きだったのよね」
「あの方甘党で」
「他には羊羹やアンパンがね」
「そうだよ、そしてね」
そのうえでというのです。
「日本酒もだったけれどね」
「お酒お好きで甘党でもあられる」
「そうした方っておられるけれど」
「明治帝もだったのね」
「あの方も」
「うん、けれど日本の皇室は質素だね」
このこともお話する先生でした。
「驚くまでに」
「そうそう、皇帝になるのに」
「王様より上の」
「それでもなんだよね」
「質素なんだよ」
「それを確立されたのが明治帝であられたから」
だからだというのです。
「カステラも食べるのは一切れとかだったんだ」
「少ないね」
「当時は高級品でも」
「それはまた」
「そうだよ、兎角質素な方で」
そうであられてというのです。
「おやつがあっても少しで他のこともね」
「質素だったんだ」
「明治帝は」
「今の皇室もそうだけれど」
「昭和帝だってね」
「着られる服は軍服だけで」
先生はさらにお話しました。
「裏が破れても縫って」
「それで着られたんだ」
「着替えるんじゃなくて」
「捨てないで」
「縫えばまだ着られるから」
それでというのです。
「暖房も火鉢一つで」
「どんなに寒くても」
「それだけだったんだ」
「真冬でも」
「そうであられて」
そしてというのです。
「皇居もね」
「そうそう、質素だよね」
「観たらね」
「ベルサイユ宮殿みたいなのじゃなくて」
「とてもね」
「そうした方であられて」
明治帝はというのです。
「カステラもね」
「一切れだね」
「召し上がられても」
「そうだったんだね」
「そのことをね」
まさにというのでした。
「覚えておかないとね」
「駄目だね」
「そうだね」
「立派な方だったね」
「あの方は」
「そうだよ、その辺りの独裁者とは違うよ」
全くというのです。
「皇室自体がね」
「日本の皇室を批判する人はいても」
「それが真実だね」
「皇室は質素であられて」
「色々節制しておられるね」
「そうなんだ、僕には無理だよ」
先生は笑って言いました。
「あそこまでの節制はね」
「カステラ一切れだけなんて」
「おやつの時にね」
「こうしてティーセットでもないだろうし」
「それならね」
「そう、ティーセットがないなんて」
それこそというのです。
「僕には無理だよ」
「先生にとって絶対だからね」
「ティータイムは」
「三時にお茶を飲むことは」
「ティーセットと一緒にね」
「もっと言えば十時にね」
この時間にもというのです。
「軽くね」
「そうそう、お茶を飲む」
「その時講義でならその前か後にね」
「紅茶を飲む」
「お菓子も軽くつまんで」
「そうすることがね」
ティータイムがというのです。
「僕の日課でね」
「楽しみだね」
「そのうちの一つだよね」
「先生にとっては」
「昔は煙草もだったね」
笑顔でこうも言いました。
「かつてはね」
「そうそう、先生昔は煙草吸ってたね」
「イギリスにいた頃は」
「パイプでよく吸ってたね」
「そうだったね」
「うん、けれど煙草はね」
今はというのです。
「吸わないね」
「煙草止めたね」
「そうしたね」
「それで今は吸っていないね」
「パイプでも葉巻でもね」
「勿論巻き煙草もね」
「そうなったね、まあ煙草は間違いなく身体に悪いから」
だからだというのです。
「吸わない方がいいね」
「煙も身体に悪いし」
「周りにも迷惑がかかるし」
「服に匂いもつくし」
「吸わないことが一番だね」
「そうだよ、だから今は吸わなくて」
そうであってというのです。
「その分健康だよ」
「そうだね」
「そうなっているね」
「先生はね」
「前以上にそうなったね」
「そしてお茶とね」
ミルクティーを飲みつつお話しました。
「お酒に食べものをね」
「楽しんでるね」
「そして学問もね」
「そうしているね」
「そうして皆とも一緒にいるからね」
一緒にティータイムを楽しんでいる皆にも言いました。
「僕は幸せだよ」
「そう言ってくれると嬉しいよ」
「僕達もね」
「先生が毎日楽しい日々を過ごして」
「僕達も一緒って言ってくれると尚更だよ」
皆もそう言って喜びます、先生はそうしたお話をしながらそのうえでティータイムを楽しみました。そうしてです。
ティータイムの後で長崎駅に行きました、その頃には雨はすっかり上がってお空は晴れ渡ろうとしています。
アスファルトは次第に乾いてきています、その中で先生は言いました。
「雨が止んでよかったね」
「そうだね」
「長崎は本当に雨が多いけれど」
「止んでよかったね」
「お空は晴れてきているし」
「それじゃあね」
「心おきなく観て回れるよ」
先生は笑顔で言いました。
「だからね」
「そうしようね」
「是非ね」
「駅前にその周りも」
「本当に駅はその街の玄関だから」
それでと言う先生でした。
「観られるならね」
「観た方がいいね」
「そうだね」
「こうして」
「そうだよ、この立体的な駅前もね」
こうお話してです。
先生は皆と一緒に駅前を観て回りました、色々なお店や人の行き交う姿を観てそうしてなのでした。
先生は皆にです、笑顔で言いました。
「漢江の街だけあってね」
「駅前もだね」
「お店が多いね」
「土産ものを売っているお店も」
「食べもののお店もあるね」
「いい感じだよ、だからね」
それでというのです。
「ここに来てよかったよ」
「そうだね」
「駅前にも来てよかったね」
「色々観るものがあって」
「楽しいところね」
「本当に最近日本の駅前は寂れてるけれどね」
そうなっている場所が多いけれどというのです。
「ここはね」
「充実しているし」
「人も多いし」
「ずっといたい位ね」
「そうだね」
先生は駅前で皆の言葉に笑顔で頷きました。
「僕もそう思うよ」
「いい場所にはずっといたい」
「どうしてもそう思うね」
「それを言うと長崎の街自体そうでね」
「ハウステンボスもだけれどね」
「全くだね。けれど神戸もそう思うから」
先生はにこりと笑ってお話しました。
「またね」
「うん、戻ろうね」
「トミーや王子も待っているし」
「日笠さんだってね」
「どうしてそこでまた日笠さんが出て来るのかな」
先生はそのことはわかりませんでした、そうしたお話をしながら駅前やその周りをフィールドワークしていますと。
ふとです、皆ある人に気付いて先生に囁きました。
「先生見て」
「あの若い白人の人だよ」
「ハウステンボスにいた」
「あの人だよ」
「そうだね」
先生もその人を見て言いました。
「あの人だね」
「ハウステンボスから来たんだ」
「この長崎に」
「そうしたんだ」
「何かね」
先生は考えるお顔で言いました。
「あの人が長崎に来たら」
「尚更だよね」
「蝶々夫人だね」
「確かにピンカートン中尉を思わせる外見だし」
「だからね」
「そうだね、若しだよ」
先生は奇麗に整えた金髪の青い目のその人を見つつさらに言いました。
「あの人がアメリカ人なら」
「尚更だね」
「中尉だね」
「そのままになるね」
「まさに」
「うん、蝶々さんを思わせるアジア系の女の人とも擦れ違ったし」
このことも言う先生でした。
「これはね」
「尚更だよね」
「運命を感じるね」
「蝶々夫人の」
「そうなるね」
「全くだよ」
こう皆に言うのでした。
「僕としてもね」
「何かあるかもね」
「その運命が」
「若しかしたら」
「そうも思うよ」
こうしたお話をしました、そしてでした。
先生は真剣に考えるお顔になって皆にです、こうしたことを言ったのでした。
「蝶々夫人は本当にね」
「いたのかな」
「中尉も」
「プッチーニさんの作品は創作じゃなくて」
「実際にあったのかな」
「そうしたお話だったのかな」
「そうかもね」
こう言うのでした。
「これは」
「プッチーニさんも知らないうちに創作した」
「そうだったのかな」
「本当のお話だって」
「そうだったのかな」
「そんなこともあるからね」
世の中はというのです。
「架空と思って創作しても」
「実は本当のことだった」
「実在人物を書いていた」
「そうしたことが」
「世の中広くてね」
そうであってというのです。
「不思議なこともだよ」
「あるね」
「ままにして」
「実は本当のお話だった」
「そんなことが」
「だからね」
それでというのです。
「蝶々さんはね」
「実在人物だったかも知れない」
「そうかも知れないんだ」
「若しかしたら」
「そうなんだね」
「そうも考えたよ、まさかと思うけれど」
先生もです。
「ちょっと調べてみようかな」
「そうするんだ」
「蝶々夫人が本当のお話か」
「そうだって」
「そうしようかな、そして」
それにと言う先生でした。
「若し本当のお話だったら」
「うん、もうね」
「反省も後悔もして欲しくないね」
「中尉の子孫の人達も」
「それに蝶々さんの親戚の人達も」
「そう思うよ、その人達がしたことでもなければ」
例えご先祖の人達が蝶々さんに酷いことをしたとしてもとです、先生は心から思って言うのでした。
「もう百年以上経っていることだよ」
「十九世紀のお話だよね」
「明治維新から少し経った頃?」
「蝶々夫人のお話って」
「そうだったよね」
「そう、そんな過去のことだから」
だからだというのです。
「もうね」
「反省も後悔も必要ないね」
「二度と繰り返さないといいだけで」
「それだけでいいから」
「そうしたことはしなくていいね」
「うん、過去は過去であって」
そうしてというのでした。
「今の人達がしたことじゃないんだよ」
「それでとやかく言うのはね」
「筋違いもいいところだね」
「そうだね」
「やってもいない過去のことを言うのなら」
先生は眉を曇らせて言いました。
「お門違いもいいところだよ」
「全くだね」
「日本もそうした人いるけれどね」
「戦争がどうとかで」
「謝罪とか反省とか」
「そう言う人達の方こそ過去に戦争を煽っていたんだ」
先生はこの事実を指摘しました。
「そして人にあれこれ言う為に嘘まで吐いて」
「新聞社や学者さんが」
「絶対に嘘を吐いてはいけない立場の人達が」
「そんなことまでしてね」
「反省しろとか言っていたね」
「そして人に声高に反省しろと言う人は」
まさにその人達こそはというのです。
「自分達が何かしてもね」
「うん、反省しないね」
「謝罪もしないね」
「そうだね」
「人には厳しいけれど」
そうであるけれど、というのです。
「自分にはだよ」
「甘いよね」
「本当に」
「そうした人達こそ」
「そんな有様だからね」
そうだからだというのです。
「語るに落ちただよ」
「全くだね」
「そう言うべきだね」
「最早」
「そうだね」
「その通りだよ」
こう言うのでした、そしてです。
先生はあらためてです、皆にお話しました。
「自分がやってもいないことで反省、後悔はしてはいけないよ」
「そうだね」
「結論としてそうだね」
「そう言うべきだね」
「全く以て」
「若ししろって言う人は間違っているから」
だからだというのです。
「信じてはいけないよ」
「実際そうした人達って日本にいるけれど」
トートーは言いました。
「確かに自分の悪いことには謝らないね」
「それどころか責任転嫁するね」
ホワイティはこの事実を指摘しました。
「政府とかに」
「帰国事業ってあったけれど」
老馬はこのことを思い出しました。
「北朝鮮に国籍がある人はあの国に帰ろうって」
「地上の楽園とか言ってね」
「そうしたんだよね」
オシツオサレツも二つの頭で言います。
「実際に大勢の人があの国に渡って」
「一人も生きて帰っていないね」
「あの国は楽園じゃなかったね」
チーチーは怒って言いました。
「それどころか地獄だったよ」
「そんなところに送るって詐欺じゃないの?」
ガブガブは本気で思いました。
「それもかなり悪質な」
「そんなところに送って大勢の人の人生を滅茶苦茶にした責任あるよね」
「ない筈ないわ」
チープサイドの家族も怒っています。
「日本の戦争責任言うより」
「やってもいないことまで嘘吐いて攻撃してね」
「若しそんなことをしたら」
ダブダブも怒って言います。
「一生、全財産賭けて償うべきでしょ」
「大勢の人を生き地獄に送って誰も帰っていないから」
それこそと言うジップでした。
「何としても責任を取らないとね」
「そんなこともしないで」
それでというのでした、ポリネシアにしても。
「人のやっていないことまで嘘吐いて攻撃するなんてね」
「本当におかしいよ、だから僕はそんなことは言わないよ」
絶対にというのです。
「そんな人達みたいにはなりたくないからね」
「全くだね」
「もう人間ですらないよ」
「日本の戦争のことは嘘吐いてまで攻撃して」
「帰国事業のことは責任取らないなんて」
「本当にあの事業で大勢の人があの国に渡ってね」
北朝鮮にというのです。
「一人もだよ」
「帰ってきていないね」
「そしてとんでもない目に遭ったね」
「あの国で」
「人権も自由もなくてね」
北朝鮮にはというのです。
「食べものもなくて弾圧と言論統制ばかりで」
「まさにこの世の地獄だね」
「収容所に行けば暴力もあるし」
「しかも何でもないことで捕まるし」
「密告は横行しているし」
「そんな国に入ったら」
それこそというのです。
「地獄だよ、その地獄に送った責任はあるよ」
「間違いなくね」
「そうだよね」
「その責任があるね」
「この事業では関わった人は誰も責任を取っていないんだ」
先生はこの事実を指摘しました。
「戦争だけじゃなくて何かあれば誰かの責任を言うけれど」
「自分達はそうだね」
「責任を取らないね」
「何があっても」
「そうするのよね」
「そうだよ、本当に酷いことだよ」
先生も怒っています、心から。
「だからね」
「それでだよね」
「先生はそうした人達も見てだね」
「その人がやっていないことは言わないね」
「反省しなさいとか後悔しなさいとか」
「間違っても」
「そうしているよ、そして帰国事業に関わった人達は」
その人達はといいますと。
「絶対に地獄に堕ちるよ」
「そうなるね」
「そうならない筈がないね」
「絶対に」
「そうだよね」
「そしてね」
そのうえでというのです。
「悪事の分だけ報いを受けるよ」
「嘘も吐いてるしね」
「帰国事業の時も」
「そして日本の戦争のことについても」
「そうもしているからね」
「そうならない筈がないよ」
絶対にというのです。
「本当にね」
「先生の言う通りだね」
「その人達が神も仏も信じていなくてもね」
「神様も仏様もいるから」
「絶対にね」
「そうなるよ」
先生は断言しました。
「そう思うとこの人達より中尉も親戚の人達もましだね」
「全くだね」
「確かに酷いことはしたけれど」
「それでもね」
「ましだよね」
「少なくとも嘘は吐いていないし」
そうであってというのです。
「反省も後悔もしているからね」
「償いもしたしね」
「中尉はお子さんを引き取ったね」
「奥さんと一緒に」
「そしてお子さんを育てたね」
「間違いなく」
「例え蝶々さんのことでお家に暗い影が常にあっても」
そうであってもというのです。
「それでもだよ」
「うん、間違いなくね」
「中尉は反省していたし」
「それも心から」
「そして奥さんも悪い人じゃないみたいだし」
「それじゃあね」
「お子さんは間違いなく大切に育てられたよ」
そうだったというのです。
「贖罪の意味もあってね」
「そうなっているね」
「蝶々さんは亡くなったけれど
「それでもね」
「そうだよ、あと流石にね」
先生はさらに言いました。
「蝶々さんの親戚の人達もね」
「蝶々さんの最期を知るとね」
「反省しただろうね」
「根っからの悪人でないなら」
「それならね」
「作品を観る限り根っからの悪人でないからね」
だからだというのです。
「そのことはね」
「安心していいね」
「そうだね」
「あの人達も反省しているね」
「しっかりと」
「そうしているよ」
先生は穏やかに笑って言いました。
「きっとね」
「それならいいよね」
「子孫の人達が反省や後悔をしなくても」
「それでもいいね」
「例え反省していなくても」
それでもというのです。
「その人達がしていないなら」
「いいよね」
「その人達がやったことでないなら」
「それならね」
「帰国事業に関わって責任を取ろうとしない人達でもね」
地獄に堕ちると言われたこの人達もというのです。
「ご家族や子孫の人達に罪があるか」
「ないよね」
「その人達がやったことじゃないから」
「だからね」
「全くだよ」
それこそというのです。
「この人達についてもね」
「反省することはないね」
「後悔することも」
「特にね」
「そこを間違えるとね」
そうすると、というのだ。
「まさにだよ」
「その人達と同じだね」
「地獄に堕ちる様な悪い人達と」
「同じだよね」
「そうなるから」
だからだというのです。
「してはいけないよ」
「絶対にね」
「その人がしたことじゃないとね」
「反省しろ後悔しろとは言わない」
「そうあることだね」
「そうだよ、そこを間違えるとね」
そうすると、というのです。
「本当に駄目だよ」
「その通りだね」
「先生の言う通りよ」
「そういうこと言っている人達を見たら」
「尚更だよ」
「人に謝罪しろと言っておいて」
他人にはというのです。
「嘘を吐いてやっていないことまでやっていると言ってね」
「そして自分達は大勢の人達を地獄に送って」
「知らない振りをする」
「そんな最低な人達を見るとね」
「絶対になってはいけないって思うね」
「世の中反面教師が多いけれど」
そうした人達がというのです。
「特にね」
「そうした人達はね」
「その最たるものの一つだね」
「全く以て」
「そのことを覚えておかないとね」
こう言ってでした。
先生はその人のことも思いました、見ればその人は長崎の街の方に消えていました。蝶々さんがいたその場所に。