『ドリトル先生と奇麗な薔薇達』
第十一幕 最高のプレゼント
エンベルグさんから先生のスマートフォンにメールで連絡がありました、その連絡はどういったものかといいますと。
「もう出来たんだ」
「ああ、プレゼントだね」
「それが出来たんだね」
「早いね」
「宝石細工だから時間がかかると思っていたら」
「そうだね、僕達も色々学んで出張もして」
先生は研究室にいる時にメールを受け取りました、そしてそこに一緒にいる動物の皆に言いました。
「そうしてね」
「そのうえでだね」
「過ごしてきたね」
「僕達からしてみればあっという間だったけれど」
「それでもね」
「思えば結構以上に時間が経っているよ」
そうだというのです。
「思えばね」
「そうだよね」
「今振り返るとね」
「そうだよね」
「そうなっているね」
「そう、だからね」
それでというのです。
「早いと思っても」
「経た時間を見ると」
「そうでもないね」
「結構な時間が経っているね」
「そうだね」
「うん、だからね」
それでというのです。
「今思うと早くないね」
「そうだね」
「考えてみたら」
「結構な時間が経っていたよ」
「いや、充実した日々を送っていると」
そうであるならというのです。
「時間はすぐに過ぎ去るね」
「そうだね」
「本当にあっという間だね」
「そうだね」
「毎日充実しているとね」
「時間はあっという間に過ぎ去るよ」
「そうだね、けれど何はともあれね」
先生はあらためて言いました。
「完成したから」
「だからだね」
「あとはプレゼントだね」
「結婚記念の」
「それを送るだけだね」
「そうなるよ、そしてね」
それでというのでした。
「僕達としてはお二人のね」
「うん、幸せをね」
「祈ろうね」
「そうしようね」
「是非ね、そしてね」
そうしてというのでした。
「僕達はまた何かあったら」
「お二人からだね」
「相談があったら」
「アドバイスをさせてもらうね」
「そうしていくね」
「そうだよ、そしてね」
そのうえでというのです。
「お二人がずっとだよ」
「幸せになる様に」
「アドバイスをさせてもらうね」
「これからも」
「そうさせてもらうよ、ただね」
こうもお話する先生でした。
「お二人はそれぞれドイツとオーストリアの人だから」
「ああ、それでだね」
「ずっと日本にいるかというと」
「それはわからないね」
「今は日本で働いておられるけれど」
それでもというのです。
「将来はね」
「帰られるかも知れないね」
「ドイツかオーストリアに」
「どちらかの国に」
「そうだよ、けれどお二人がずっと幸せなら」
それならというのです。
「僕としてはね」
「いいよね」
「それで満足だね」
「先生としては」
「そうだよ、人の幸せはね」
それはとです、先生はとても優しい笑顔で言いました。
「最高の調味料だよ」
「人の不幸は蜜の味ってね」
「そんなこと言う人いるけれど」
「先生はそう言うね」
「そして実際にだね」
「人の不幸や悪口なんてね」
そんなものはといいますと。
「いいものじゃないよ」
「そうだよね」
「聞いていてね」
「どうにもね」
「いいものじゃないね」
「そんなものを聞いたり言って喜んでいると」
そうしていると、とです。先生はお話しました。
「心が貧しくなるよ」
「全くだね」
「それよりも人の幸せを喜んで」
「いいことを言う」
「そうあるべきだね」
「人の不幸を喜んでね」
そうしてというのです。
「悪口ばかり言っていると顔もね」
「変わるよね」
「悪くね」
「曲がるっていうか歪むっていうか」
「人相が変わっていくね」
「連日連夜日本を不況不況だって言って」
そうしてというのです。
「虚報や誤報ばかり言って悪口を楽しそうに言っていたキャスターさんなんか」
「ああ、もうね」
「物凄い悪い人相になったね」
「そうだね」
「若い頃の顔と今の顔を比較したら」
そうしたらというのです。
「僕も驚いた位にね」
「悪くなったね」
「そうだね」
「そうしたことばかり言っていて」
「顔が変わったんだね」
「そうなったよ、そして評判もね」
こちらもというのです。
「そんなことばかり言ってるからね」
「悪くなって」
「それでだね」
「嫌われているんだね」
「日本の株価が下がると嬉しそうに言って」
そうしてというのです。
「わかるね」
「そんなこと言ったらね」
「嫌われるよ」
「つくづく日本のテレビって酷い人ばかり出るね」
「そうだね」
「うん、僕は出来るだけ悪口は言わない様にして」
そうしてというのです。
「人の不幸は喜ばない」
「いいことを言ってね」
「幸せを喜ぶ」
「先生はそうしているね」
「いつもね」
「人の不幸を喜ぶなんて」
それことというのです。
「さもしいよ、それを嗤うなら」
「尚更だね」
「悪いね」
「人の不幸を嗤うなら」
「それなら」
「そう、人の不幸を嗤って嘲るなら」
そうすると、というのです。
「悪いものが来てもおかしくないよ」
「自分が悪くなるだけでなく」
「悪いものが来るね」
「そうもなるね」
「そうだよ、その悪いものが何をするか」
人の不幸を嗤い嘲ってです。
「考えるとね」
「尚更だよね」
「人の不幸は喜ぶものじゃないね」
「嗤い嘲るなんてもっての他」
「そうだね」
「そうだよ、悪いことばかりしていると」
こうも言う先生でした。
「報いが来て悪いものは悪いことに寄って来るから」
「まさに穴二つ」
「そうなるね」
「人を呪えばっていうけれど」
「悪いことばかりしてもだね」
「同じだよ」
まさにというのです。
「そうしたらね」
「そうだね」
「その時はね」
「だから先生は人の幸せを喜ぶね」
「そうするね」
「そうしていくよ」
まさにというのでした。
「ずっとね」
「先生のそうしたところもいいのよ」
ガブガブは先生に温かい声をかけました。
「人の幸せを素直に喜ぶこともね」
「悪いことを言わないでね」
そうしてと言うジップでした。
「いいことを言うから」
「それも穏やかな表情で」
チーチーはこちらのお話をしました。
「言うからね」
「尚更いいね、実際に悪口なんてね」
「聞いて楽しくないし」
チープサイドの家族は悪口のことをお話しました。
「不平不満、愚痴、文句、そうしたものも」
「そうしたことばかり言う人もね」
「悪いこと言う人よりもいいことを言う人」
まさにと言うホワイティでした。
「その方がいいね」
「だから先生は好かれるんだね」
老馬も先生のことを言います。
「皆からね」
「本当に人の不幸を喜んで悪口しか言わないと」
それならと言うトートーでした。
「人相悪くなるね」
「嫌な顔になるね」
「全くだね」
オシツオサレツは二つの頭で言いました。
「さもしいことばかり言って考えてだと」
「嗤って嘲ってばかりだとね」
「先生は顔の相凄くいいけれど」
ダブダブは先生のお顔を見ています、そのうえで言うのでした。
「いいことばかり言って幸せを喜ぶだからだね」
「他人の不幸は蜜の味じゃないわ」
ポリネシアは断言しました。
「毒よ、それも最悪のね」
「そう、そんなことは毒なんだ」
先生は皆にその通りだと答えました。
「蜜どころかね」
「毒だね」
「自分の心を悪いものにして」
「そして悪いものも呼ぶ」
「そんなものだね」
「そうだよ、何故人の不幸を喜んで」
そうしたことをしてというのです。
「悪口を言うか」
「そもそもだね」
「どうしてそんなことをするか」
「そのことを考えていくと」
「妬んだり僻んだり」
そうしたというのです。
「他の人のことをそう思うからでね」
「よくないね」
「妬み僻みは」
「そうした感情は」
「やっぱりね」
「そうした感情を抱くなら」
そうするならというのです。
「自分が努力してね」
「立派になる」
「成長する」
「そうなることだね」
「そうだよ、だから何かを一生懸命している人は」
そうした人はといいますと。
「そうした感情は抱かないよ」
「妬んだり僻んだり」
「そうした感情は持たないね」
「そうだね」
「そうなるよ」
皆に大好きなお茶を飲みつつ言います、今飲んでいるのは中国茶です。皆が煎れてくれたそちらを飲んでいるのです。
「そんな感情を持つ暇がないからね」
「そうだよね」
「何かを一生懸命しているとね」
「そちらに集中して心を砕くから」
「どうしてもね」
「そうしたことまで心が向かわないね」
「そして自分自身は成長して」
そうなってというのです。
「しかもね」
「さらにだよね」
「いいことがあるね」
「そうだね」
「そうだよ、必死に努力している人にはね」
そうした人にはというのです。
「神様がご覧になられていて」
「いいものを与えてくれるね」
「そうしてくれるんだね」
「そうなるんだよ」
まさにというのです。
「悪いことをしていると悪いものが来て」
「いいことをしているといいものが授けられる」
「そうなるね」
「神様が下さるね」
「そうだよ。神様はいるから」
だからだというのです。
「そうなるよ」
「そうだね」
「先生の言う通りだね」
「悪いことをしていると悪いものが来て」
「いいことをしているといいものが授けられるね」
「そうだよ、本当に人の不幸を喜んだり悪口を言うことは」
そうしたことはといいますと。
「よくないよ」
「まさに毒」
「心の毒ね」
「逆に幸せを喜んでいいことを言うことは薬」
「そうなんだね」
「そう思うよ、そしてその薬はね」
それはといいますと。
「とても甘くて美味しい」
「そうしたお薬だね」
「蜜の様な」
「そうしたものだね」
「そうだよ」
まさにというのです。
「だから幾らでもね」
「喜んで言う」
「そうすべきだね」
「絶対に」
「そうだよ、スポーツを観てもね」
そうしてもというのです。
「やっぱりね」
「いいプレイを讃えてね」
「勝利を喜ぶ」
「そうすればいいね」
「本当に」
「そうすることだよ、負けた相手を嘲るなんてことは」
そうした行為はといいますと。
「スポーツマンシップに反するし」
「まさに不幸を喜んで悪口を言う」
「そうした行為だね」
「それに他ならないわね」
「だからね」
それでというのです。
「行わず言わないことだよ」
「全くだね」
「若しそんなことしたら」
「心がさもしくなって」
「人相も悪くなって」
「行動や発言が嫌われて」
「悪いものも来るよ」
そうなるというのです。
「本当にね」
「全くだね」
「そうなってね」
「最悪の事態にもなるね」
「若しかしたら」
「そうだよ、思えばイギリスは」
先生の祖国はといいますと。
「スポーツマンシップはね」
「物凄く守るよね」
「スポーツマンシップに厳しいお国柄だよね」
「スポーツが盛んなだけに」
「そして日本もね」
今暮らしていて国籍も習得したこの国もというのです。
「スポーツマンシップは守るね」
「清々しいよね」
「ファンの人達もね」
「観戦後お掃除したりして」
「見事だよ」
「こうしたことはいいことで」
スポーツマンシップを守ることはというのです。
「両国共これからもね」
「守っていかないとね」
「絶対に」
「いいことだから」
「そうだよ、スポーツマンシップを守ることも」
このこともというのです。
「同じだよ」
「そうだね」
「人の幸せを喜んでいいことを言うことと」
「同じだよね」
「そうしたことと」
「だから守っていかないとね」
絶対にというのです。
「僕達もね」
「うん、そうだね」
「その通りだよ」
「スポーツマンシップは守って」
「そのうえで楽しむ」
「相手チームでも見当を讃える」
「その精神でないとね」
皆も言います。
「それでこそスポーツだよ」
「プレイする人達も観る人達もね」
「そうしたことはちゃんと守る」
「人としての常識だね」
「それが出来ている日本のサッカーのサポートの人達は立派で」
「選手の人達もだね」
「まさに侍ジャパンだよね」
皆はこうも言いました。
「武士道だね」
「イギリスに騎士道があれば日本に武士道があって」
「スポーツマンシップはそこから興っているのかもね」
「そう思うと日本の武士道って素晴らしいね」
「騎士道もそうでね」
「騎士道は素晴らしいよ、そして」
先生も言います。
「武士道もね」
「素晴らしいね」
「スポーツマンシップもそこから興っているなら」
「それならね」
「貴ばれるべきだね」
「そうだよ、どんなスポーツでもね」
それこそというのです。
「スポーツマンシップはね」
「守らないとね」
「人の不幸を喜ばないで」
「そして悪口を言わない」
「そうしていってね」
「スポーツマンシップを守ることだね」
「そうしていこうね」
こうしたお話をです、先生はエンベルグさんからのメールを受け取って皆としました。そしてです。
その後で、です。先生はお昼に大学の食堂でカツカレーを食べますが。
「美味しいね」
「そうだよね」
一緒に食べている王子が応えます。
「今日もね」
「美味しいものを楽しめているよ」
「いいことだね」
「全くだよ」
「先生って何に対しても幸せを見付けるね」
「そして幸せだと思うね」
「そうだね」
「僕もそう思うよ」
先生ご自身もというのです。
「幸せをね」
「何に対してもだね」
「見付けることが出来てね」
実際にというのです。
「そして」
「幸せを感じられるね」
「それが出来ていると思うよ」
「幸せだと思えばそれで幸せだからね」
「どんな状況でもね」
「そうだね、それでいいことを言うね」
「僕はね」
「そうあるべきだね、やっぱりね」
王子は先生に応えて言いました。
「人はね」
「幸せを感じてね」
「いいことを言う」
「そう、そしてね」
「悪口を言わないで」
王子はチキンカレーを食べています、そうしつつ言うのでした。
「悪いことはしない」
「そうすることだよ」
「そうしたら幸せになるね」
「僕はそう思うよ」
「悪口、陰口、愚痴、不平不満なんてね」
王子は心から思って言いました。
「言うものじゃないね」
「毒だね」
まさにと言うのでした。
「そうしたものは」
「全くだね」
「いい言葉はお薬でね」
「悪い言葉は毒だね」
「その通りだよ、こうしてカレーを食べても」
「美味しいと思って」
「そしてそう言えばね」
そうすればというのです。
「紛れもなくね」
「お薬だね」
「そうなるよ」
こう王子にお話しました。
「本当にね」
「そうだよね」
「うん、カツカレーだってね」
「美味しいね」
「このカツとカレーの組み合わせがね」
「いいんだよね」
「そうなんだ、日本で生まれた」
そうしたというのです。
「最高のお料理の一つだよ」
「僕も好きだよ」
「そうだね、美味しいね」
「うん、そしてね」
先生はお話を続けます。
「皆にお話した様に何かを必死にしていたら」
「妬んだり僻んだりはだね」
「もうね」
それこそというのです。
「しなくなるよ」
「一生懸命努力すれば」
「そんな暇がないからね、そして一生懸命の努力はね」
それはといいますと。
「きっとね」
「糧になるね」
「一パーセントの閃きがなくてもね」
「その努力は残るね」
「そうなるからね」
だからだというのです。
「して悪いことはないよ」
「そこで何時か閃きがあったら」
「努力が生きるよ」
「その時が来るね」
「だからね」
それ故にというのです。
「本当にね」
「努力はすべきだね」
「妬んでも僻んでもね」
そうしてもというのです。
「何もいいものは生み出さないで」
「逆にだね」
「自分をさもしくするんだ」
「そうするね」
「そして悪い行いにも向かわせるから」
「余計に悪いね」
「そう、けれど」
それでもというのです。
「努力はね」
「妬んだり僻んだりする時間をなくして」
「そしてだよ」
「自分を高めるね」
「だからいいんだ、嫉妬なんてね」
この感情はといいますと。
「持ってもね」
「いいことはないね」
「百害あって一利なしだよ」
それこそというのです。
「全く以てね」
「持つべきものじゃないね」
「そうだよ、毒を持つよりも」
「お薬を持つことだね」
「いいことをね」
こう王子にお話してです。
先生はカレーと一緒に注文したサラダも食べてでした、そうしてそのうえでこんなことも言ったのでした。
「それとね」
「それと?」
「いや、王子はね」
王子自身に言うのでした。
「嫉妬はしないね」
「他の誰にもだね」
「うん、他の人にもそうで」
そうであってというのです。
「将来僕が王位を継ぐけれど」
「他の国にもだね」
「全くね」
こう先生に答えました。
「悪く思うことはね」
「ないね」
「嫉妬するよりも」
実際にと言うのでした。
「楽しい思いをするよ」
「そうするね」
「先生みたいにひたすら学問に打ち込んで」
そうしてというのです。
「努力することはね」
「ないんだね」
「うん、そうだけれどね」
それでもというのです。
「僕はね」
「特にだね」
「嫉妬とかは感じないよ、そんなことに心を向けるよりも」
「楽しいことにだね」
「ことを向けるよ、だってね」
チキンカレーを食べながら先生にお話するのでした。
「僕も忙しいからね」
「王位を継ぐ為にね」
「そうだよ、僕は長男つまりね」
「第一王子でね」
「太子だから」
それ故にというのです。
「何かとね」
「学ばないといけないね」
「帝王学っていうね」
王子は先生に言いました。
「国家元首、王になる」
「その為のだね」
「学問があるから」
だからだというのです。
「本当にね」
「王子も大変だね」
「先生程学問に打ち込んでいなくても」
「帝王学はね」
「修めないとね」
「いい王様になれないね」
「一国の国家元首にはね」
そう呼ばれる立場にはというのです。
「なれないね」
「その通りだね」
「だからね」
「王子も忙しくて」
「その合間にね」
帝王学を学ぶ合間にというのです。
「遊んでいるし」
「美味しいものを食べたりね」
「そして楽しい思いをしているから」
だからだというのです。
「本当にね」
「妬んだり僻んだりする時間がないね」
「もう一日にやることが終わったら」
「休むね」
「ベッドに入ってね」
そうしてというのです。
「それでだよ」
「寝てしまうね」
「そして朝起きたらね」
そうしたらといいますと。
「その日がはじまって」
「やっぱり帝王学を学んで」
「大学の講義も受けてね」
そうしてというのです。
「日本にいても公務はあるし」
「王室の一員としてのね」
「しかも僕は太子だから」
その立場だからだというのです。
「尚更だよ」
「多忙だね」
「そうだよ」
まさにというのです。
「僕はね」
「本当に大変だね」
「僕なりにね、そんな中誰かを妬むなんて」
「出来ないね」
「僕もそう思うよ、妬むなんてね」
「何かを一生懸命していたら」
「それでだよ」
そうした風ならというのです。
「する暇がないよ」
「全くだね」
「脇目も振らずにってあるけれど」
この言葉も出す先生でした。
「文字通りね」
「一生懸命していたら」
「そうなってね」
脇目も振らずというのです。
「嫉妬しないよ、悪いことを考えて悪口を言うより」
「努力するね」
「そうするよ、そして」
そのうえでというのです。
「ことをね」
「為せるね」
「そして多くのものを得られるし」
「幸せにもなれるね」
「そうだよ、本当に妬んだり僻んだりなんて」
「するものじゃないね」
「全くね」
まさにというのです。
「毒でね」
「百害あってね」
「一利なしだよ」
王子に言ってでした。
先生はこのお昼はカツカレーとサラダを楽しみました、そしてです。
お家に帰っても学問に励みますが今はハプスブルク家のことを学んでいます、先生のその学問を見て皆は言いました。
「薔薇の騎士はウィーンが舞台だったね」
「マリア=テレジアさんの時代の」
「ハプスブルク家の頃だね」
「まさにね」
「そうだよ」
先生もその通りだと答えます。
「今僕はこのお家のフランツ=シュテファン=フォン=ロートリンゲンさんのことを学んでいるんだよ」
「確かマリア=テレジアさんのご主人だね」
「今はフランスのロレーヌの公爵さんで」
「マリア=テレジアさんが幼い頃に一目惚れして」
「それから結婚されてね」
「神聖ローマ皇帝になったね」
「そうだよ、ただ皇帝といってもね」
その座にあってもというのです。
「実際の政治はね」
「マリア=テレジアさんが見ていたね」
「政治家としても優れた方で」
「内政、外交、軍事で活躍して」
「オーストリアを支えたんだったね」
「そう、けれどね」
それでもと言う先生でした。
「決して無能な人ではなかったよ」
「確かね」
ポリネシアが言ってきました。
「財政とか文化は得意だったのよね」
「芸術にも理解があってね」
それでと言うホワイティでした。
「全くの無能かっていうと」
「違っていて」
チーチーも言います。
「父親としてもいい人で」
「十六人のお子さんがおられて」
トートーはお子さん達のお話をしました。
「公平で優しいお父さんだったらしいね」
「マリア=テレジアさんをしっかりと支えた」
「立派な人よね」
チープサイドの家族もお話します。
「何も出来ないところか」
「実は結構以上に凄い人だね」
「皇帝の座にあってそこにしっかりいるだけでもね」
ジップは言いました。
「相当な能力が必要だしね」
「王様だってそうだね」
ダブダブはここでこんなことを言いました。
「イギリスだってそうだし」
「そうそう、ビクトリア女王もエリザベス二世も」
「今のチャールズ三世陛下もね」
オシツオサレツは実際のイギリスの女王様達そして今のイギリスの王様のお名前を出してお話をするのでした。
「君臨すれども統治せずっていうけれど」
「君臨するだけでも大変だよ」
「その君臨が出来ていたなら」
老馬は言いました。
「充分凄い人だね」
「そうね、マリア=テレジアさんの添えものじゃないわ」
ガブガブもこのことはわかっています。
「立派なご主人、お父さんで皇帝よ」
「そんなんだ、生前から軽視されることが多かったけれど」
そうした人でしたがというのです。
「その実はね」
「結構以上にだね」
「出来た人ね」
「そうなんだね」
「そうなんだ」
実際にというのです。
「この人はね」
「実際皇帝や王様の結婚相手って大変だし」
「そのことだけでも」
「王妃様もそうだし」
「王配様もね」
「イギリス王家だとアルバート公それにエジンベア公だね」
先生はお二人のお名前を出しました。
「女王陛下のご主人としてね」
「何かと大変だったね」
「女王陛下をお支えして」
「そしてお子さん達の父親でもあられるから」
「かなり大変よ」
「並大抵なことでは務まらないよ」
先生は言いました。
「王配殿下も。ましてこの人はね」
「只の配慮さんじゃなくて」
「皇帝陛下だからね」
「国王よりも上の」
「その立場だからね」
「王と皇帝は全く違うよ」
先生は皆にこのこともお話しました。
「皇帝は王を任じることが出来るからね」
「そうだよね」
「日本でも女性の皇族の方を内親王ってお呼びするけれど」
「王、だからね」
「普通に王より上だからね」
そうした立場だからというのです。
「幾ら当時形骸化していた国でも」
「実際の領土はオーストリアで」
「神聖ローマ帝国とされたドイツやイタリアの領土の多くは独立状態だったけれど」
「それでもね」
「オーストリアだけでもかなりの大国だったしね」
「それでだよ」
まさにというのです。
「そうした大国の皇帝ともなると」
「ただその座にあるだけでね」
「かなりの能力が必要だから」
「フランツ=シュテファンさんもだね」
「無能である筈がないね」
「調べたらその通りだよ」
無能な人ではなかったというのです。
「ちゃんとマリア=テレジアさんを支えてね」
「いいお父さんでね」
「しかも皇帝としての務めを全うした」
「そんな人だったね」
「そうだったんだ、だからね」
そうした人だったからだというのです。
「評価されるべきだよ、マリア=テレジアさんだけでなくね」
「偉大な女帝に加えて」
「そのご主人も観ることだね」
「そうすべきね」
「この人もいたからこそ」
マリア=テレジアさんだけでなくというのです。
「当時のオーストリアは繁栄してね」
「ウィーンもだよね」
「帝都として栄えたんだよね」
「そうなったのよね」
「そうだよ、そして薔薇の騎士の舞台にもなったんだ」
そうでもあるというのです。
「あの時代はね」
「そういうことだね」
「本当にこの人も無視出来ないね」
「当時のオーストリアのことを考えたら」
「とても」
「しかも皆知ってるよね」
先生は皆に笑ってこうも言いました。
「エンベルグさんはドイツ人、ブラウシュタインさんはオーストリア人で」
「そうそう、神聖ローマ帝国」
「まさにこの国の人達なのよね」
「昔で言うと」
「そうなるのよね」
「そしてベルサイユの薔薇も」
この作品もというのです。
「マリー=アントワネットさんはね」
「お二人の娘さんなんだよね」
「マリア=テレジアさんとフランツ=シュテファンさんの」
「十六人のお子さんのうちのお一人で」
「フランスに嫁いだのよね」
「そうだよ、フランスはいつもイギリスと衝突していたけれど」
先生達の祖国だけでなくというのです。
「さらにだったね」
「そうそう」
「オーストリアともなのよね」
「もっと言えば神聖ローマ帝国とも」
「フランスはいつも戦っていたのよね」
「イギリスとフランスは宿敵関係だったけれど」
先生は皆にお話しました。
「フランスはさらにね」
「オーストリアともね」
「宿敵関係で」
「大変だったんだよね」
「ハプスブルク家とね」
今お話しているこのお家と、というのです。
「フランス王家のヴァロワ家その後のブルボン家は」
「まさに宿敵関係で」
「いつも戦っていたね」
「そうだったわね」
「フランスはいつも二つの敵を抱えていて」
そうであってというのです。
「ハプスブルク家もだよ、そしてそのハプスブルク家が」
「薔薇の騎士のウィーンを都にしていて」
「マリー=安堵話ネットの実家でもある」
「そうなるね」
「だから薔薇との縁はね」
それはといいますと。
「かなりね」
「あるね」
「そう言えるね」
「あのお家は」
「オーストリアの今の国花はエーデルワイスでも」
そうであってもというのです。
「それでもね」
「薔薇とも縁があるね」
「何かと」
「そうしたお家だね」
「そうなんだよ、薔薇はイギリスの国花だけれど」
それと共にというのです。
「ハプスブルク家ともね」
「縁があるね」
「何かと」
「そうしたお花だね」
「そうだよ、そしてね」
先生はさらにお話しました。
「今こうしてだよ」
「先生が学んでいるね」
「ハプスブルク家の人のことを」
「そうしているわね」
「厳密に言うと結婚相手で」
そうした立場でというのです。
「生まれは違うけれどね」
「それでもだよね」
「ハプスブルク家に入ったから」
「それでだね」
「うん、そうだからね」
それでというのです。
「僕はこの人もね」
「まさにだね」
「ハプスブルク家の人とね」
その様にというのです。
「考えているよ」
「そうなんだね」
「マリア=テレジアさんの血筋が」
「うん、あのお家の本筋になったね」
「今もそうだね」
「その流れだね」
「そしてね」
先生はさらにお話しました。
「そのお家は正式にはハプスブルク=ロートリンゲン家というね」
「そのフランツ=シュテファンさんのお家も入っているね」
「ロートリンゲン家もね」
「それはどういうことか」
「フランツ=シュテファンさんもね」
「ハプスブルク家に入ったということだね」
「間違いなくな、十六人のお子さん達の」
先生は笑顔でお話するのでした。
「公平で優しいお父さんとしてね」
「そうなったんだね」
「そうだよ、本当に無能どころか」
「出来た人だったんだね」
「そうだったとね」
その様にというのです。
「僕は思うよ」
「先生はそうしたことも学んで」
「うん、そしてね」
そうしてというのだ。
「言うよ」
「そうするね」
「この人についてもそうで」
「そしてね」
そのうえでというのです。
「学問を楽しんでいくよ」
「そうしていくね」
「ずっとね」
今も笑顔で言う先生でした、そして実際に学問を楽しんでいくのでした。