『ドリトル先生と奇麗な薔薇達』




                第八幕  華道と華道

 動物の皆と華道のお話をしてでした、先生は皆と一緒に華道も観ることにしました。このことを決めてからです。
 先生は実際に皆と一緒に先生が勤務している八条大学の華道部が作った芸術品を観に行きました、するとです。
 色々なお花が芸術的に飾られています、その自然を生かしつつ人の手が加えられたお花それに草達を観てでした。
 先生は唸ってです、一緒にいる皆に言いました。
「イギリスのガーデニングみいいけれど」
「華道もいいよね」
「本当に芸術よ」
「この上なく奇麗な」
「自然と人工が合わさった美ね」
「そう、自然と人工が絶妙に調和した」
 先生はそれでと答えました。
「本当にね」
「最高の美だよね」
「全く以て」
「華道は」
「そう思うよ、全くこうした芸術をも生み出すなんてね」
 先生は観劇を隠さず言いました。
「日本人はつくづく恐ろしいよ」
「全くだね」
「これもまた日本人だね」
「こうした芸術を生み出すのも」
「それもまたね」
「そうだよ、しかも色々なお花があるね」
 先生は華道に用いられているそちらのお話もしました。
「そうだね」
「うん、菊に菖蒲に皐に」
「百合もあるね」
「桔梗もあるし」
「他のお花もあるね」
「そして薔薇もあるね」
 このお花もというのです。
「そうだね」
「うん、そうだね」
「赤薔薇もあれば白薔薇もあるね」
「薔薇と華道ってどうもピンとこなかったけれど」
「華道に使う場合もあるんだね」
「華道は日本の芸術でね」
 そうであってというのです。
「日本のお花がよく使われるけれど」
「日本によく咲いていて」
「日本の自然の中にある」
「そうしたお花がね」
「どうも薔薇は日本的でなくてね」
 そうでなくというのです。
「欧州って感じがするね」
「そうそう」
「どうしてもね」
「そうしたイメージあるよね」
「薔薇って」
「これまでお話している通りにね、けれどね」
 それでもというのです。
「そこはチャレンジだね」
「そうだよね」
「日本のお花の中に今は薔薇もあるし」
「あちこちで咲いているのは事実だし」
「それじゃあね」
「薔薇だってだね」
「そう、華道に使えてね」
 そうであってというのです。
「こちらでもね」
「使われているね」
「そうよね」
「今こうして」
「奇麗に造られているね」
「そうだよ、実はね」
 ここでこうも言った先生でした。
「僕としてはね」
「先生としては?」
「どうなの?」
「いや、こうして薔薇を華道に用いられているのを観るまでは」 
 この目でというのです。
「ないと思っていたよ」
「薔薇を華道に用いることは」
「そうだったんだ」
「ピンとこなかったのね」
「先生としては」
「そうだったんだ」
 実際にというのです。
「これがね」
「そう言うと僕達もだよね」
「そうよね」
「薔薇って欧州のイメージあるし」
「特にイギリスだよね」
「私達の祖国だね」
「代々の王室の方々にも愛されていてね」
 イギリス王室のというのです。
「前にお話したけれど薔薇戦争の時もね」
「象徴になったしね」
「ヨーク家とランカスター家の」
「ヨーク家が白薔薇でね」
「ランカスター家が赤薔薇だったね」
「シェークスピアの作品にもなっているしね」
 先生は文学からもお話しました。
「ヘンリー六世、リチャード三世とね」
「どちらも名作だよね」
「ヘンリー六世もリチャード三世も」
「結構以上に史実と違っているみたいだけれど」
「特にリチャード三世が」
「実際のリチャード三世が邪悪だったか」
 作品にある様にというのです。
「このことはかなりね」
「疑問らしいね」
「どうにも」
「実際のところは」
「僕も調べてみたけれど」
 先生もというのです。
「違うんじゃないかっていうのがね」
「結論だね」
「先生としては」
「実際のリチャード三世は」
「そう思うよ、シェークスピアさんはあまりにも凄い作家さんで」
 そうであってというのです。
「実に素晴らしい作品を多く残したね」
「そうだよね」
「実にね」
「魔法みたいに素晴らしい作品を沢山残してくれたよ」
「その二作品だけでなくて」
「あらすじも演出も見事で」 
 そうであってというのです。
「人物だってね」
「魅力的なんだよね」
「これ以上はないまでに」
「あの人の作品は」
「もう史実よりもだよ」
 この人が書いた人物達はというのです。
「印象的でね」
「記憶に残ってね」
「それでそちらの方が真実になるね」
「史実の方じゃなくて」
「そうだよ、そのことがね」
 まさにというのです。
「シェークスピアという人が凄い作家さんたる由縁で」
「リチャード三世だってね」
「史実とは違う」
「先生もそう思うんだね」
「実際そうした説は多いからね」
 歴史学ではというのです。
「リチャード三世に限らず」
「物語と史実は違う」
「物語が有名になると皆そちらを本当だって思うね」
「リチャード三世に限らず」
「そう、それが怖いんだ」
 先生は皆に言いました。
「本当にね」
「そちらを真実と思って」
「誤解してしまうから」
「だからよね」
「そうだよ、日本でもあるしね」
 そうしたことはというのです。
「平家物語とかね」
「平家物語はあくまで物語で」
「真実じゃないね」
「史実とはかなり違うね」
「そうなんだ、まあ平家物語は薔薇とは関係ないけれどね」
 今最も観て考えているこのお花とはというのです。
「リチャード三世は物凄く関係あっても」
「関係あるのは沙羅双樹だね」
「あの物語のお花は」
「あちらよね」
「はじめの文章であるしね」 
 物語のそれにというのだ。
「花の色盛者必衰の理を表すってね」
「歌われてるからね」
「実際にね」
「お話の中で」
「だからね」
 それでというのです。
「あのお話のお花はね」
「そちらだね」
「薔薇じゃなくて」
「そうなるわね」
「そうだね、しかし平家物語も薔薇って感じではなくて」
 そうであってというのです。
「そしてね」
「そのうえでだよね」
「日本っていうとね」
「どうしても薔薇ってイメージじゃないけれど」
「今の華道には使う人がいるね」
「華道の美の中に取り入れようという挑戦と」
 それにというのです。
「考え付く独創性そして実現するまでの努力の全てがね」
「素晴らしいよね」
「本当に」
「何と言っても」
「全くだよ」
 実にと言う先生でした。
「よくぞだよ」
「やるものだね」
「実現する人は」
「本当にね」
「日本人はアレンジの才能も凄いからね」
 それでというのです。
「そうしたこともするよ。閃いたら」
「それを実現するからね」」
「物凄いものをどんどん生み出すよね」
「あらゆるジャンルでね」
「華道に薔薇を取り入れるなんて」 
 そして見事な芸術にすることはというのです。
「最高だよ、ただこれを実現することは」
「芸術として」
「そうするにはね」
「やっぱり努力が必要ね」
「相当な」
「そうだよ、それこそね」 
 まさにというのです。
「超人的とまで言っていい」
「そこまでの努力が必要で」
「生半可では出来ないわよね」
「やっぱり」
「この学園の華道部は中等部や高等部にもあるよ」
 即ち中学高校にというのです。
「けれどね」
「それでもだよね」
「そうしたところでずっと努力する」
「磨いていかないとね」
「出来ないわね」
「そう、そしてね」 
 それでというのです。
「出来るもので若しエンベルグさんが結婚祝いにね」
「華道の薔薇を贈ろうとしても」
「そうは出来ないね」
「そうよね」
「とてもね。確かエンベルグさんは華道はされていないから」
 だからだというのです。
「残念ながらね」
「出来ないよね」
「華道の薔薇を贈ることは」
「流石に」
「そうだよ、それに華道は本物の草花を用いるね」
「そこに味があるんだよ」
「そうなのよね」 
 チープサイドの家族が言ってきました。
「まさにね」
「そうなんだよね」
「これが造花だったら」
 老馬は首を傾げさせて言いました。
「華道じゃないね」
「また別のものだよね」
 チーチーは老馬の言葉に頷きました。
「華道じゃなくて」
「贈りものにはいいけれど」
 それでもと言うトートーでした。
「どうかな」
「華道が駄目なら造花だね」
 ダブダブはトートーにお顔を向けて言いました。
「それ結構いいかもね」
「そうね、考えてみる必要があるわ」 
 ガブガブはまさにと続きました。
「そちらもね」
「いいかもね」
 ジップはこう言って賛成しました。
「それもまた」
「そうだよね」
 ホワイティも頷きました。
「造花だとずっと残るしね」
「いい結婚記念になるわ」
 ポリネシアもまさにと言います。
「ずっと飾れるしね」
「いや、思わぬヒントが出たよ」
「ここでね」
 オシツオサレツはここでも二つの頭で言います。
「結婚記念のプレゼントは造花」
「前向きに検討しようか」
「そうだね」
 先生もまさにと頷きました。
「考えてみよう」
「そうだね」
「ただ銀の薔薇は駄目だね」
「薔薇の騎士は」
「うん、前にお話した通りだよ」
 先生は銀の薔薇がどうして駄目かも答えました。
「あの作品のことを考えるとね」
「夫婦の結婚祝いとしては」
「どうしてもね」
「よくないね」
「あの楽劇のことを思うと」
「不倫があるし」
「花婿さんは悪役だし」
 そうであってと皆もお話します。
「若い夫婦の恋愛はハッピーエンドでも」
「他のことがね」
「元帥夫人は年齢を感じるし」
「純粋な結婚を祝える作品じゃないからね」
「しかもね」
 先生はこうも言いました。
「結ばれる若い二人はどちらも女の人が歌うね」
「そうそう、伯爵のオクタヴィアンも」
「花嫁の銀行家の娘さんのゾフィーも」
「二人とも歌うのは女の人だよ」
「言うなればオクタヴィアンは男装の麗人」
「オスカルさんみたいな」
「ベルサイユの薔薇のね」 
 先生もまさにと言いました。
「あの人みたいだね」
「そうだよね」
「考えてみたら」
「そうなのよね」
「それがね」
 どうにもというのです。
「夫婦の純粋な結婚祝いにはね」
「そぐわないわね」
「考えれば考える程」
「どうにも」
「そうなんだよね」 
 これがというのです。
「考えれば考える程」
「全くだね」
「そうなるわね」
「これが」
「そうだね、名作であっても」
 そうであってもというのです。
「それぞれのことに合う合わないはあるよ」
「どうしてもね」
「それはあるよね」
「どんな作品でも」
「これがね」
「だからね」
 それでというのです。
「今回はね」
「銀の薔薇は外して」
「別のものにすべきだね」
「薔薇を贈るにしても」
「それでも」
「そうすべきだよ、そして」
 さらにお話する先生でした。
「一つ問題があってね」
「問題?」
「問題っていうと」
「銀自体のね、ほら銀はしょっちゅう手入れしないと」
 そうしなければというのです。
「黒ずんでしまうね」
「あっ、そうだね」
「銀はそうなるわ」
「本当にすぐに黒ずんで」
「手入れしないとよく見えないわ」
「だからね」
 そうした金属だからだというのです。
「相当時間か人手に余裕がないと」
「銀の薔薇は駄目だね」
「そういえば食器もだしね」
「中国や欧州だと銀の食器を使うけれど」
「お金持ちだとね」
「陶器はすぐに割れるけれど」
 それでもと言う先生でした。
「銀だと割れないし」
「いざという時は潰して持って行って」
「後で溶かしてまた食器にすればいいし」
「銀だからそのまま財産にもなるし」
「いいんだよね」
「そう、けれどね」
 それでもというのです。
「その黒ずむことがね」
「問題だね」
「銀の食器だってそうだしね」
「買うお金だけじゃなくて」
「手入れする余裕がないとね」
「時間なり人手なり」
「そうしたものがないとね」
「だから銀の食器は昔はね」
 先生はさらに言いました。
「貴族のシンボルみたいだったね」
「そうそう」
「昔はね」
「そうだったわ」
「そうしたものをプレゼントにすることは」 
 どうにもというのです。
「流石にね」
「普通のお家だとね」
「お二人共お金持ちでもね」
「お忙しいしね」
「それだとね」
「お手入れする余裕がね」
「心配になるから」
 それでというのです。
「どうしてもね」
「問題だね」
「そこは」
「どうにもね」
「そうだよ」
 実際にというのです。
「それで僕もね」
「お勧め出来ないね」
「どうにも」
「そうね」
「そうなんだ」
 こう言うのでした。
「本当にね」
「難しいところだね」
「銀自体について考えても」
「お手入れのこともあるし」
「何かとね」
「困るね、しかしね」
 それでもというのでした。
「こうして色々考えていくのも学問だね」
「楽劇のことをお話して」
「結婚についてもね」
「プレゼントのことも」
「そして銀のことも」
「だからね」
 それでというのです。
「学問になっているよ」
「先生はあらゆることが学問だけれど」
「こうしたお話も学問ね」
「そうなんだね」
「お話することもだよ」
 今していることもというのです。
「またね」
「学問で」
「励んでいいね」
「そうなのね」
「そうだよ、そしてね」
 そうであってというのです。
「ここから得られるものもね」
「多いよね」
「とても」
「そうだよね」
「学問だからね」
 そうであるからだというのです。
「本当にね」
「得るものが多いね」
「とても」
「有り難いことに」
「だからね」
 それでというのです。
「僕もね」
「お話をするね」
「僕達として」
「そして他の人達とも」
「そうしているんだね」
「そうだよ、フィールドワークもしてね」
 そうしてというのです。
「本や論文を読んでインターネットで検索もして」
「こうしてお話もする」
「そうしてだね」
「学んでいるね」
「そうしているんだよ」
 皆に笑顔で言うのでした、そうしてです。
 先生は皆と楽しくお話をしました、その日の夜はステーキでした。そしてお酒はロゼのワインでしたが。
 そのワインを飲んで、です。先生はトミーに言いました。
「ロゼ、まさにね」
「薔薇ですね」
「そうだね、このワインも好きだよ」
 笑顔で言うのでした。
「僕はね」
「赤を考えたんですが」
 トミーはステーキを食べながら笑顔で応えました。
「ですが」
「こちらにしたんだ」
「安かったので」
「ああ、そうした理由でだね」
「はい、そうです」
 こう答えるのでした。
「今回は」
「そうなんだね」
「半額だったんですよ」
 ラベルを見ればそうであることを示すシールが貼られています。
「スーパーで」
「美味しいけれどね」
「時々そういうことありますね」
「うん、いいものでもね」
 先生はそれでもと答えました。
「たまたまかお客さんの目に入らなかったのか」
「売れ残ることがありますね」
「どんなものでもね」
「それでなんですよ」
「このワインもなんだ」
「何本か売れ残っていまして」
「買ったんだね」
「先生と僕に二本ずつ」
「そうなんだね」
「はい、それで美味しいですね」
「ステーキにもよく合うよ」 
 実際にステーキと一緒に飲んでいます。
「いいよ」
「そうですね、しかし赤と白の中間をロゼと呼ぶのは」
 トミーはワインのこのこともお話しました。
「面白いですね」
「そうだね、僕もそう思うよ」
「そうですよね」
「赤も白もいいけれど」
「ロゼもですね」
「いいよね」
「はい、そう思います」
 ステーキの他にもやしのおひたしにほうれん草のお味噌汁もあります。主食はご飯でステーキとワイン以外は和食の感じです。
「僕も」
「そうだね、それと薔薇も食べられるしね」
「あのお花が」
「サラダに入れたりね」
「スイーツにも使えますよね」
「だからローマ帝国でもね」
 この国でもというのです。
「薔薇を食べていたよ」
「確か暴君と言われたネロも」
「実際に彼は暴君ではなかったけれどね」
「そうでしたね」
「彼は無類の薔薇好きで」
 そうであってというのです。
「薔薇のサラダに薔薇のプティングをね」
「よく食べていましたね」
「薔薇の花びらが入ったサラダなんてね」
 ネロが食べていたそれはというのです。
「想像するだけで奇麗だね」
「そうですよね」
「お水は薔薇の香りがするものを飲んでいたしね」 
 飲みものはそうだったというのです。
「だからね」
「薔薇尽くしだったんですね」
「そうだよ」
 ネロはというのです。
「いつもね」
「あの人芸術好きだったそうだけれど」
「薔薇好きだったんだね」
「暴君じゃなかったし」
「イメージ変わるね」
「あの人について」
「そうだね、平民や奴隷に寛容で」
 そうであってとです、先生は動物の皆にも言いました。
「火災にも果敢に陣頭指揮を執ったしね」
「ちゃんとした政治やってて」
「悪い皇帝じゃなかったんだね」
「実は」
「全体で観てね、反乱を起こされたのは権力闘争だったし」
 その中でのことだったというのです。
「ローマはとんでもないことになっていいたか」
「あの人の時代は」
「実はそうじゃなかったね」
「平和で繁栄していた」
「そうだったね」
「そして死んでからも人気があったしね」
 生きている頃だけでなくというのです。
「色々見ているとね」
「悪い人でなくて」
「暴君でもなかった」
「そうなのね」
「そうだよ、それでそのネロ帝がね」
 戦士絵は笑顔でお話しました。
「薔薇がね」
「大好きだったんだね」
「芸術好きで」
「そのお花もだったんだね」
「そうだったんだ」
 こう言うのでした。
「本当にね、ただね」
「ただ?」
「ただっていうと?」
「ローマ全体がね」
 ネロだけでなくというのです。
「薔薇が好きだったね」
「そうだったんだね」
「ローマという国自体が薔薇好きだったんだ」
「そうなのね」
「だからね」
 それでというのです。
「物凄く沢山の薔薇があったんだよ」
「当時のローマは」
「そうだったのね」
「国中で薔薇が咲いていた」
「そうした国だったのね」
「そうだったんだよ」
 皆に笑顔でお話します、そしてです。
 そうしたお話をしてステーキとロゼを楽しんでいきます、その後はお風呂でした。次の日も大学で学問と講義に励みますが。
「先生、エンベルグさんとブラウシュタインさんだけれど」
「考えまとまった?」
「いいプレゼントある?」
「いや、銀の薔薇はよくないと思っているけれど」 
 先生はそれでもとです、皆に答えました。
「まだね」
「これはってなってないんだ」
「どうにも」
「そうなのね」
「エンベルグさんのお家は資産家だから」
 それでというのです。
「お金をかけられるっていっても」
「それでもだね」
「具体的に何がいいか」
「それはなのね」
「まだね」
 これといってというのです。
「考えがまとまっていないよ」
「ううん、銀が駄目なら」
 ここで言ったのはダブダブでした。
「金とかね」
「何かそれ安直じゃない?」
 ポリネシアがダブダブに突っ込みを入れました。
「どうにも」
「いや、結構よくない?」
 トートーはダブダブの考えがいいとしました。
「金の薔薇って」
「銀が駄目なら金だね」 
 ホワイティはダブダブのその考えについて自分も考えました。
「安直なのは確かだけれど悪くないんじゃないかな」
「エンベルグさんのお家お金持ちだし」
「金の薔薇も造られるわね」
 チープサイドの家族も考えました。
「この場合お金があるっていいわね」
「高価なものも造られるしね」
「宝石も悪くないかもね」
 ジップはこう考えました。
「金もいいけれど」
「少なくとも銀がよくないなら」
 それならと言うガブガブでした。
「金や宝石でも悪くないわね」
「どちらにしても薔薇だね」
 チーチーは薔薇事態について言いました。
「僕達の頭の中にあるのは」
「本当に最近薔薇ばかりだからね」
「僕達の話題ってね」
 オシツオサレツはそれでとお話しました。
「そうだからね」
「これならって言うプレゼントのアドバイスも薔薇だね」
「薔薇の騎士を参考にするなら」
 それならと言う老馬でした。
「やっぱり薔薇をプレゼントにするね」
「そうだね、しかし皆いいこと言ってくれたね」
 先生は皆に微笑んで言いました。
「エンベルグさんへのアドバイスはね」
「考えがまとまった?」
「そうなった?」
「僕達のお話で」
「まだまとまっていないけれど」 
 それでもというのです。
「進んではきたよ」
「そうなんだ」
「決まる方に」
「そうなってきたんだ」
「いい感じにね、それじゃあね」
 皆に笑顔でさらに言いました。
「このままね」
「考えていくね」
「プレゼントについて」
「そうしていくね」
「そうするよ」
 こう言うのでした。
「これからもね」
「うん、それじゃあね」
「考えていこう」
「このままね」
「そうしていくよ」
 こうお話してでした。
 先生は学問もします、そしてお昼に植物園に行くと今も薔薇のコーナーには様々な色の薔薇達が咲いています。
 その薔薇達を観てです、皆は言いました。
「やっぱりいいよね」
「薔薇はね」
「見ていて奇麗で」
「香りもいいし」
「素敵なお花だよ」
「とてもね」
「そうだね、僕はどのお花も好きだけれど」
 先生ににこりとして頷きます。
「薔薇も好きで見ているだけでね」
「癒されるよね」
「心が奇麗になるよね」
「そして楽しくなるわね」
「僕達と一緒で」
「そうなるからね」
 それでというのです。
「本当にね」
「いいお花だね」
「ついついずっと観ていたくなる」
「香りを楽しみたくなる」
「そうしたお花だよね」
「そうだね、日本でもこうして薔薇達を沢山観られて」
 そうであってというのです。
「僕は幸せだよ」
「ここでも幸せだね」
「先生はそうだね」
「薔薇が好きで」
「観られて幸せだね」
「しかし先生っていつも幸せって言うね」
「そうよね」
 皆ここでこんなことをお話しました。
「何だかんだで」
「そう言うよね」
「何かにつけて」
「そうだよね」
「うん、些細と言われることでも」 
 そうしたものでもというのです。
「僕はね」
「幸せを感じて」
「それでだね」
「楽しく過ごせるね」
「それこそいつも」
「そうだね、そして幸せを感じられたら」
 そうであればというのです。
「それでいいね」
「そうだよね」
「些細と言われることでもね」
「幸せを感じられたら」
「もうそれでいいわね」
「同じことでも不満を感じるよりも」
 それよりもというのです。
「幸せを感じたらね」
「いいね」
「世の中何でも不満感じる人多いけれど」
「そうした人でいるよりも」
「幸せを感じることだよね」
「うん、不満ばかり感じていたらいい気持ちはしないし」 
 そうであってというのです。
「周りもそうしたものを見るとね」
「よく思わないよね」
「不平不満ばかり言う人は」
「やっぱり」
「そうだからね」
 それでというのです。
「好かれないししかも病は気からで」
「精神状態も大事だよね」
「健康には」
「どうしても」
「そうだからね」
 それ故にというのです。
「健康を害することにもね」
「なるよね」
「不満ってストレスだしね」
「ストレスばかり感じていたら」
「当然健康も害するね」
「そうなるね」
「そうだよ、だからね」
 それでというのです。
「不満でもね」
「幸せだね」
「幸せを感じることね」
「何といっても」
「そうだよ、だから僕は何でも幸せを感じられてね」
 そうであってというのです。
「いいとね」
「思ってるんだね」
「そうなのね」
「先生としては」
「そうだよ」 
 まさにというのです。
「本当に嬉しいよ、満足している位にね」
「幸せだね」
「先生としては」
「いつも」
「そうだよ、だからね」
 それでというのです。
「これ以上は望まないよ」
「またそう言うし」
「いつも幸せを感じていることはいいことだけれど」
「そんな先生見て僕達も嬉しくなるし」
「そうなるけれどね」
「それでもね」
「もっと求めていいから」 
 皆は満足している笑顔の先生に言いました。
「本当にね」
「そこで満足しないで」
「もっと幸せになろうって思えばいいのよ」
「今以上の幸せを求める」
「周りに迷惑をかけない限りはね」
「皆そう言うけれどこれ以上の幸せはあるかな」
 先生は皆に言われて考え込みました。
「今だってこうして皆と一緒に薔薇を観られて」
「日笠さんと一緒に観たら?」
「そうしたらいいよ」
「僕達もいいけれど」
「日笠さんとね」
「どうして日笠さんなのかな」
 そう言われてもわからない先生でした。
「ここで」
「またそう言うし」
「やっぱりここは日笠さんじゃない」
「何と言っても」
「あの人でしょ」
「そうなのかな、けれど比嘉さんさんにはここのお茶会に誘ってもらったし」 
 このことを思い出して言う先生でした。
「それならお礼にまたここで何かあったら」
「その時はだね」
「日笠さんと一緒にだね」
「ここに来るのね」
「そうするよ、皆が言うから」
 だからだというのです。
「そうするよ」
「うん、そうしてね」
「そうしたら今以上に幸せになれるよ」
「その中の一歩になるわよ」
「間違いなくね」
「今以上の幸せ。あるかな」
 先生は首を傾げさせて言いました。
「果たして」
「あるからね」
「ちゃんとね」
「先生もそこはわかってね」
「いつも文明の進歩には際限がないっていうけれど」
「幸せだってそうだよ」
「そうなんだね、しかしね」
 それでもと言う先生でした。
「僕はこれ以上はないってね」
「思うんだね」
「先生自身の幸せは」
「そうなのね」
「どうしてもね」
 そうだというのです。
「そう思うんだ、けれどここであた何か催しがあったら」
「そう、日笠さんをね」
「お誘いするんだよ」
「そうしてね」
「くれぐれもね」
「そうするよ」
 こう言ってそうしてでした。
 先生はこの日も薔薇園を楽しみました、そして午後には王子が研究室に来ましたが王子は先生からエンベルグさん達のお話を聞いてこんなことを言いました。
「ドイツの国花はヤグルマギクだね」
「あのお花も奇麗だね」
「そしてオーストリアはエーデルワイスだね」
「山に咲くね」
「どちらも奇麗だよね」
「うん、それぞれの国に国花があって」
 そうであってというのです。
「そしてね」
「ドイツはヤグルマギクでね」
「オーストリアはエーデルワイスだよ」
「そうだね、いや僕どちらのお花も好きで」
 それでというのです。
「憧れもね」
「持っているんだ」
「だってないからね」
「王子の国はアフリカだからね」
「どうしてもアフリカにはね」
「こうしたお花は縁がないね」
「特にエーデルワイスがね」
「あのお花は山に咲くね」
「欧州のね」
「だからだね」
「どうしてもね」
 実際にというのです。
「憧れるんだ」
「そうなんだね」
「そう、ただね」
「ただ?」
「今は植物園でね」
「そうしたお花も観られるね」
「日本でもね」
 先生は微笑んで応えました。
「同じだね」
「そうだよね」
「この学園の植物園に行っても」
「それでもね」
「観られるね」
「そうだよ、そしてね」
 そのうえでというのです。
「僕は昨日エーデルワイスをね」
「観たね」
「そう、観てね」
 そうしてというのです。
「楽しんだよ」
「それは何よりだね」
「今は先生は薔薇にかなり心を向けているけれど」
「それでもだね」
「そうしたお花達もね」
 ヤグルマギクもエーデルワイスもというのです。
「好きでね」
「観てきたんだね」
「昨日ね」
「何かね」 
 先生は王子に微笑んでお話しました。
「エーデルワイスを観ていると」
「そうするとだね」
「どうもね」
 これはというお顔で言うのでした。
「優しい気持ちになるね」
「先生いつも優しいけれど」
「いや、それなら普段以上にね」
「そうした気持ちになるんだ」
「そうなんだ、そして薔薇を観ると」
 王子は笑顔で言いました。
「幸せで華やかな」
「そんな気持ちになるんだね」
「だから薔薇もね」
 このお花もというのです。
「かなりね」
「好きなんだね」
「そうなんだ、色々なお花が好きで」
 そうであってというのです。
「薔薇もね」
「好きだね」
「そしてね」
 そしてというのです。
「僕も今度薔薇園に行って」
「薔薇を観るんだね」
「そうするよ」
 こう言うのでした。
「是非ね」
「それはいいことだね、お花を観て悪いことはね」
「ないね」
「うん、ないよ」
 実際にというのです。
「そうしてもね」
「だからだね」
「王子もお花を観ていくといいよ」
「そうだね、色々なお花を観て」
「薔薇もだね」
「観ていくよ」
 王子は笑顔で言いました、そうしてです。
 先生に薔薇のお話をさらにしていきました、先生はそのお話も楽しみました。








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