『ドリトル先生と不思議な自衛官』




                第十二幕  海軍の国

 神戸に戻ってです、先生はお家でトミーに言われました。
「いや、生まれ変わりですか」
「堀与さんは東郷さんのね」
「仏教の世界のことは聞いていましたが」
「本当にあるね」
「そうですね、キリスト教はです」
「その考えはないからね」
「死ねばね」
 その人生を終えるとです。
「最後の審判でね」
「行き先が決まりますね」
「天国か地獄か」
「はたまた煉獄か」
「それが決まるけれど」
 それでもというのです。
「仏教ではね」
「そうなっていますね」
「元々はインドの考えでね」
「ヒンズー教でもそうですね」
「そう、人は何度でもね」
「生まれ変わって」
「そしてね」
 そのうえでというのです。
「生きていくんだ」
「それぞれの人生を」
「うん、そして生まれ変わるのも」
 それもというのです。
「一つじゃないよ」
「そうですよね」
「何度もね」
 それこそというのです。
「生まれ変わるよ」
「仏教だとそこからですね」
「解脱して」
 それに至ってというのです。
「仏様になるんだよ」
「そうなりますね、ただ」
 ここでトミーは先生に言いました。
「一つ気になることがあります」
「何かな」
「解脱しまして」 
 そうしてというのです。
「それで終わりでしょうか」
「仏様になってだね」
「はい、それで」
「いや、それからもだよ」
 先生はトミーに微笑んで答えました。
「あるよ」
「仏様になってもですね」
「さらに修行して」
 そうしてというのです。
「そしてね」
「より素晴らしくなるんですね」
「だからあるおかしな宗教が言っていた」
 そうしたというのです。
「最終解脱というのはね」
「ないですか」
「何でも人の最後の解脱者で」
「イスラム教の最後の預言者みたいですね」
「ムハンマドさんだね」
「最後にして最高の」
 そうしたというのです。
「天理教も最後の教えとして」
「だめの教えだね」
「言っていますけれど」
「そんな感じでね」
 それでというのです。
「言っていて解脱もね」
「さらに修行してよくなるのでなくて」
「もう最高に達したっていうね」 
 そうしたというのです。
「おかしなことをね」
「言っていたんですね」
「けれどその考えはね」
「仏教から言うと間違っていますね」
「そうだよ、解脱する人はずっといるし」
「この世がある限り」
「宇宙だって生まれ変わるね」
「仏教だとそうですね」
「そしてね」
 先生はお話を続けます。
「その中で少しずつ、本当に僅かにしても」
「解脱する人が出ますね」
「そしてね」
 それでというのです。
「解脱してもまだね」
「先がありますね」
「それで終わりじゃなくて」
「仏様としてですね」
「さらに高まっていくから」
 だからだというのです。
「解脱して終わりか」
「違うんですね」
「仏教の時間への考えはかなり長くてね」
「もう僕達ではですね」
「想像も出来ない位だからね」
「それで宇宙が終わっても」
 今自分達が生きている果てしない宇宙がというのです。
「また別の宇宙が生まれて」
「そしてね」 
 そのうえでというのです。
「その宇宙でもね」
「輪廻転生が繰り返されるんですね」
「そうだよ」
「それが仏教ですね」
「だから仏様もね」
 解脱してもというのです。
「まだだよ」
「高まっていきますね」
「そうなるんだ」
「そうですか」
「それが仏教だよ」
 この宗教の世界だというのです。
「そうなっているんだ」
「凄い世界ですね」
「キリスト教徒はまた違う世界だね」
「そうですね、だから先生仏教も学ばれていますね」
「そうなんだ」
 実際にとです、先生は答えました。
「僕もね」
「そうなんですね」
「そしてね」 
 先生はさらにお話しました。
「堀与さんにお話を戻すと」
「あの人にですね」
「昔の日本と今の日本は違うとね」
「言われてましたね」
「同じ日本でもね」 
 国は同じでもというのです。
「時代が違うとね」
「どうしてもですね」
「違うそうだよ、食文化もそうで」
 こちらもというのです。
「文明自体がね」
「違いますね」
「そう言われていたよ」
「それはその通りですね」
「食べものだと卵もお肉も普通にあって」 
 そうしてというのです。
「冷蔵庫もあってね」
「牛乳とかも保存出来ますね」
「そしてね」
 そのうえでというのです。
「アイスクリームだって」
「普通に食べられますね」
「ビーフシチューもね」
 東郷さんがイギリスで食べたそれもというのです。
「肉じゃがも含めてね」
「食べれますね」
「カレーもね」
 海軍から広まったこのお料理もというのです。
「今じゃ時々どころか自衛隊じゃね」
「毎週食べていますね」
「金曜日にね」
「ルーがあるので」
「そうなっていてね」
 それでというのです。
「また冷蔵庫だけじゃなくて電化製品は」
「洗濯機もテレビもあって」
「コンピューターもスマートフォンもね」
「ありますね」
「それこそね」
「昔の日本とはですね」
「全く違うよ、軍艦も」
 こちらもというのです。
「東郷さんの頃は石炭だったね」
「燃料は」
「それがディーゼルや電池で」
 そうしたものになってというのです。
「潜水艦は電池でね」
「動きますね」
「そして原子力もね」
「ありますね」
「大砲だけじゃなくてミサイルや魚雷もあるし」
 武器はというのです。
「軍服の生地もね」
「今の方がですね」
「ずっとね」
「いいんですね」
「本当に何もかもがだよ」 
 今の日本ではというのです。
「違うよ」
「そのことをですね」
「堀与さんも強くしていると」
「今と昔は全く違いますね」
 トミーはしみじみとして頷きました。
「本当に」
「ううん、江戸時代の日本とね」
 ホワイティはその時代から考えて言いました。
「今の日本は違うし」
「明治の日本ともだよね」 
 ダブダブも言います。
「また違うね」
「あの頃の日本には発電所なんてなかったね」 
 チーチーは言いました。
「原子力とか絶対にだし」
「鉄道もだよ」
 ジップはこちらのお話をしました。
「あの頃は蒸気機関車だよ」
「そうそう、あの頃はまだ竈だよ」
 老馬は台所のことを思い出しました。
「ガスコンロも電気のキッチンもね」
「クーラーも扇風機もなくて」
「暖房も火鉢とか炬燵で」
 オシツオサレツは二つの頭で言うのでした。
「蚊除けも蚊帳でね」
「蚊取り線香とかもなかったね」
「トラクターもなかったね」
「牛さんだったわね」 
 チープサイドの家族はこう言いました。
「それでおトイレもね」
「水洗なんてなくて」
「井戸だったね」
 トートーはお水のお話をしました。
「水道もこれからで」
「道だって整備されてなくて」
 そしてと言うポリネシアでした。
「土のままだったわね」
「コンクリートの建物も少なくて」
 ガブガブは建物について言及しました。
「高層ビルもなかったわね」
「本当に今の日本とは全く違う」 
 先生は皆にもお話しました。
「そうしたものだったんだよ」
「あの頃の日本は」
「明治の頃の」
「日露戦争の頃は」
「そうだったね」
「そう、そして」 
 それにというのです。
「今の日本があるのもね」
「明治の日本があってこそ」
「そして日露戦争があったから」
「それでだよね」
「というかね」
 王子もいます、それで言うのでした。
「若し日本が負けてロシアになっていたら」
「僕達も今日本にいないしね」
「日本はソ連になっていたかも知れないね」
「そうなっていたらね」
 先生は王子にもお話しました。
「ロシア革命やホロドモールや大粛清があって」
「第二次世界大戦だってね」
「一体どれだけの人が犠牲になっていたか」
「わからないね」
「少なくとも今の生活はね」
 それはというのです。
「送れなかったかもね」
「そうだよね」
「そう考えるとね」
 それこそというのです。
「日露戦争に勝ってね」
「よかったね」
「勝ったことになっているって言う日本の小説家さんもいるけれどね」
「勝ってるよ」
 王子はきっぱりと言い切りました。
「もうね」
「そうだね」
「誰がどう見てもね」
「確かに犠牲も戦費もかなりだった」
「あそこでアメリカの仲裁に入ってもらわないとわかわなかったね」
「そんな勝利だったけれど」
 それでもというのです。
「勝利だったことはね」
「事実だね」
「そうだよ」
 まさにというのです。
「このことはね」
「言うまでもないね」
「それを貶めてね」
「そんなこと言う人はおかしいね」
「この人のその本は他にも日本を散々貶めて罵っていて」
 そうなっていてというのです。
「ネット上で問題になったよ」
「そうだよね」
「もうその出来は」
 作品としてのそれはというのです。
「最低と言ってよかったとね」
「最低なんだ」
「学生さんが授業の合間に大学ノートに書いた様な」
 そうしたというのだ。
「そこまでの出来だってね」
「言われたんだ」
「問題は作家さんが書いたんじゃなくて」
「ちゃんとだね」
「そこまで酷いってね」
 その様にというのです。
「言われたよ、作品の時系列は急におかしくなって登場人物はこぞって日本の悪口と極左的な政治政策を言って」
「極左なんだ」
「そして作者さんが嫌いな人を貶めたみたいな悪役が出てストーリーは破綻した」
「無茶苦茶なお話だったんだ」
「それでなんだ」
「ネットで凄く叩かれたんだ」
「出た当時ね、それでその作品で」 
 それでというのです。
「その作者さんから離れた人もね」
「いるんだ」
「もう何があっても読まないと言って」
 そうしてというのです。
「実際にね」
「読んでいないんだ」
「これはよくない行為だけれど」
 先生はこう前置きして王子にお話しました。
「その作品を読んでいて怒って」
「あまりにも出来が酷くて」
「本を何度も壁に叩き付けたらしいよ」
「それはやったら駄目だね」
 王子も言いました。
「絶対に」
「そうだね、けれどその人がそうする位ね」 
 そこまでというのです。
「その作品の出来は酷かったんだ」
「日本の悪口ばかりで」
「日露戦争についてもそう言ったね」
「何かそう聞いたら」
「読みたいかな」
「全くだよ」
 王子は先生に憮然とした顔で答えました。
「そんな小説だよね」
「ライトノベルだよ」
「ライトノベルは好きだけれど」
 日本のそれはというのです。
「けれどね」
「そうした作品はだね」
「その作者さん日本嫌いなんだね」
「物凄い反日でネット上では有名だよ」
「その作者さんに言いたいよ」
 真顔でのお言葉でした。
「そんなに日本が嫌いならね」
「出て行ったらいいよね」
「そう思ったよ」
「本気でだね」
「外国で暮らせるお金があるならね」
「あるよ、凄く売れてる作家さんだから」
 先生は王子に答えました。
「一生遊んで暮らせる位ね」
「だったらそうしたらいいよ」
「ちなみにこの作家さんイギリスが大好きで」
「先生と皆の母国だね」
「日本のことは何でも口汚く貶めて罵るのに」
 そうであるけれど、というのです。
「イギリスのことはね」
「何でも肯定するんだ」
「そうだよ」
「先生その人にイギリスで暮らして欲しいかな」
「絶対に嫌だよ」
 先生ははっきりとした口調で答えました。
「その人が望めばいいけれど」
「それでもだよね」
「うん、僕としてはね」
 先生個人としてはというのです。
「絶対にね」
「嫌だよね」
「こんな人は実はイギリスのこと何も知らないで」
 そうであってというのです。
「わかっていなくて言っているだけだから」
「イギリスで暮らして欲しくないね」
「日本にもね」
 先生が今暮らしている国でもというのです。
「中国も好きだけれどその人に住んで欲しい国は」
「何処かな」
「北朝鮮だね」
 この国だというのです。
「本当にね」
「あの国だよ」 
 まさにと言うのでした。
「もうね」
「他にはだね」
「いて欲しい国なんてね」
「ないよね、ただ先生がそこまで言うって」 
 王子はどうかというお顔になって先生にお話しました。
「珍しいね」
「ここまで嫌って言うことはだね」
「どうもね」
「日本に来て日本のそうした人達を見てだよ」
「知識人に多いよね」
「凄い嫌悪感を抱いているんだ」
 現在進行形でというのです。
「だからだよ」
「それでだね」
「こう言うんだ」
「そうなんだね」
「思っていてね」
 そうしてというのです。
「それでなんだ」
「そうなんだね」
「日本のことは何でも悪く言って日本で暮らしているっていうことも」
「どうかだよね」
「それで国立大学の教授さんなら」
 それならというのです。
「公立でもね」
「ああ、お給料は税金から出てるね」 
 王子はすぐに気付きました。
「そうした人って」
「そうだね」
「うん、そうだよね」
「けれどね」 
 それでもというのです。
「そうした考えなら普通はすぐに大学教授を辞職して」 
「国立なり公立なりのね」
「大嫌いな日本そして日本人のお世話にならない」
「そうすることだね」
「大嫌いな人に出した本も買って欲しくないだろうし」
「執筆も辞めて」
「そしてね」
「北朝鮮で暮らすべきだね」
「そうした人はこうした国が好きだから」
「定番だね」
「だったらね」
 それならというのです。
「お金はあるんだし」
「北朝鮮に行ってだね」
「そしてね」
「暮らせばいいですね」
「そう思うよ」
「清々にしては辛辣だね。けれどあの国外国の人生きていけないよ」 
 王子は北朝鮮についてきっぱりと言い切りました。
「自国の人でも生きていけないし」
「食べものも人権もなくてね」
「自由もね、病院行ってもお薬もないし」
「何もないね」
「そんな風だから」 
 だからだというのです。
「もうね」
「暮らせないね」
「外国人は凄く警戒されるし」
「貴国事業で日本からあの国に帰った在日の人達いたけれどね」
「一人も生きて帰ってないよね」
「あそこで生き地獄を味わったそうだよ」
 そうなったというのです。
「それこそ日本にいれば生きられたのに」
「あの国に行ったばかりにだね」
「もう地獄に入って」
「死んでいったね」
「そうなったよ」
「そんな国だとね」
 それならというのです。
「もうね」
「外国人はだね」
「生きていけないよ、ましてあの国の敵は」
「アメリカでね」
「そして韓国と日本だから」 
 日本もしっかり入っています。
「だからね」
「行っても生きていけないね」
「即座に全財産没収されて」
「粛清だね」
「そうなってもね」
 それこそというのです。
「不思議じゃないっていうか」
「当然だね」
「そうだよ、しかしね」 
 それでもというのでした。
「そうなってもね」
「日本が嫌いで北朝鮮が好きなら」
「いいよね」
「本望だね」
「その筈だから」
 それでというのです。
「もうね」
「それでいいね」
「その筈だから」
 それ故にというのです。
「是非そうして欲しいよ」
「そんなに日本が嫌いならだね」
「そうした人達のお約束として北朝鮮が好きだから」
「北朝鮮に行けばいいね」
「そうだよ、そして」
 そのうえでというのです。
「生きていけるとはとても思わないけれど」
「暮らしていけばいいね」
「そう思うよ。確かに日本には色々な問題があるよ」
「問題がない国ってそもそもないしね」
「それを一つずつ少しずつでも解決するか穏やかにしていって」
 その問題をというのです。
「そしてね」
「いい国にしていくことだね」
「そうした解決や穏やかにする方法を一切言わないで」
「日本を貶めて罵ってばかりなら」
「何の解決にもならないし」
 それにというのです。
「その人の卑しさや汚さがね」
「わかるだけだね」
「それでその作品はネット上で物凄く批判されて」
 そうなってというのです。
「作家さん自体の評価もね」
「決まったね」
「どうしようもない人だってね」
「そうなって当然だね」
 王子も驚きませんでした。
「そんな人達より普通の日本人の方が遥かにまともだよ」
「その通りだよ」
「そうだよね」
「真面目に働いて勉強して」
「そうしている人達の方が立派だね」
「そうだよ、そうした人達こそ日本を愛しているし」
 そうであってというのです。
「何の解決も示さない罵倒も言わないしね」
「立派だね」
「そうだよ」 
 まさにというのです。
「本当にね」
「そうだね、僕もそう思うよ」
 王子も言いました。
「そして自衛隊を罵るからね」
「そんな人達はね」
「今回先生かなり考えたんだね」
「そうした人達のこともね」
「自衛隊反対なくせと言って実際になくなったら」  
 そうなると、といいますと。
「もうね」
「どうにもならなくなるね」
「そうなるに決まってるよ」
 まさにというのです。
「本当にね」
「そうだね、全く以て」
「いや、世の中変な人もいるね」
「何かとね」
 こうしたお話もしました、そしてです。
 先生は王子にトミーそれに皆と自衛隊についてもお話しました、そうしたことをした次の日曜日です。
 サラがお家に来ると事前に連絡があったので皆でお迎えの準備を整えましたがそれが終わってからでした。
「さて、お昼に来るしね今回は」
「だからお昼ご飯用意したわね」
 チープサイドの家族がお話します。
「カレーライスをね」
「そうしたね」
「そういえばサラさん日本のお料理どれも美味しいって言ってるね」
 ジップはこのことをお話しました。
「来日する度に楽しんでいて」
「和食だけじゃなくて日本の中華料理もで」
 ダブダブは楽しそうに言いました。
「洋食もでね」
「カレー好きなんだよね、サラさん」 
 トートーも楽しそうです。
「イギリスでもよく食べているそうだし」
「日本のカレーもよく食べていて」
「楽しんでるんだよね」
 オシツオサレツも二つの頭でお話します。
「この前は先生のアドバイスで難波の自由軒に行ったそうだね」
「ご主人それにお子さん達と一緒に」
「それで今日のお昼はカレーだね」 
 チーチーは台所から来るカレーの香りにうっとりとなっています。
「僕達も食べるしね」
「それに肉じゃがもよ」
 ガブガブはもう一つのメニューに言及しました。
「あるわよ」
「食材は同じだから」
 それでと言う老馬でした。
「別のお鍋で味醂とお醤油で味付けして出来るんだよね」
「さて、サラさんはどう言うかしら」
 ポリネシアは彼女が食べた時のことを思っています。
「一体ね」
「それは来てからのお楽しみだけれど」
 先生もにこにことして言います。
「サラはトミーのお料理がお気に入りだしね」
「それならだよね」
「絶対に喜んでくれるわね」
「今日のお昼は」
「間違いなくね、そして僕達も食べるからね」
 お昼にはというのです。
「カレーと肉じゃがをね」
「そうだよね」
「そうなるよね」
「それじゃあだね」
「そういうのも楽しみにして」
「そして食べよう」
「そうしようね」
 笑顔でお話してでした。
 先生達はサラをお迎えしました、そしてサラと一緒にカレーと肉じゃがを食べますがサラはどちらも一口食べて言いました。
「何で日本の食べものはこんなに美味しいのか」
「そう言うんだね」
「いつも思うわ、色々なものが食べられるし」
「このこともいいことだね」
「ええ」 
 まさにというのです。
「そう思うわ」
「そうだよね」
「本当にね」
 さらに言うのでした。
「私はいつも思うわ」
「日本の食べものは美味しいって」
「凄くね。それでだけれど」
 サラは先生にカレーを食べつつ言います。
「カレーも肉じゃがも海軍からよね」
「サラも知っているんだ」
「どちらもイギリス海軍から伝わったのよね」
「肉じゃがは食材はそのままでね」
「調味料が日本のものになって」
「そしてだよ」 
 そのうえでというのです。
「ビーフシチューがだよ」
「なったものよね」
「そうだよ」
「物凄く変わったわね、けれど」
 それでもとです、お箸で肉じゃがを食べつつ言うのでした。
「こちらもね」
「美味しいね」
「ええ、お野菜もお肉も沢山入っていて」
「カレーと同じくね」
「栄養もあるわね」
「そこもいいことだね」
「まさかの誕生ね」 
 笑って言うのでした。
「ビーフシヂューから肉じゃがなんて」
「全くだね、僕もこんな面白いお話があるんだってね」
「思ったのね」
「このお話を知ってね」
「そうよね、東郷平八郎さんから」
「はじまったんだ」
「そうね、しかし兄さんからそのお話を聞いて驚いたわ」
 サラは神妙なお顔になってあらためて言いました。
「まさかその東郷さんが生まれ変わって」
「堀与さんという海上自衛官になっているんだ」
「今はね」
「そうなっているんだ」
「東郷さんのことは私も知ってるわ」
「日本海海戦で勝った人だね」
「黄海海戦でもね、英雄よね」
 東郷さんについて強い声でお話しました。
「まさに」
「そう言っていいね」
「その東郷さんがね」
「仏教はそうした世界だからね」
「現代に生まれ変わっていて」
「そして今も日本を守っているんだ」
「海をね、それで自衛隊もね」 
 今度はこの組織のお話をするのでした。
「立派な軍隊だってね」
「聞いてるね」
「自衛隊はやっぱりね」
「軍隊だね」
「皆普通にそう言ってるし」
 イギリスではというのです。
「そうでしょ」
「色々政治的に言ってもね」
「やっぱり軍隊よね」
「僕も否定出来ないと思うよ」
「実際はね、けれどかなり規律が行き届いていて」
 そしてと言うサラでした。
「真面目で機能的でよく訓練された」
「いい軍隊だね」
「日本軍もそうだったけれど」 
 戦前のというのです。
「今の自衛隊もね」
「そう言っていいね」
「そう思うわ。恰好いいしね」
「そうそう、恰好よさもあるよね」
「自衛隊にはね」
「実は海自さんは特になんだ」
 堀与さんが所属しているこちらの自衛隊はというのです。
「身だしなみと整理整頓に気を付けているんだ」
「そうなのね」
「お掃除にもね」
 こちらにもというのです。
「それこそ塵や埃もないね」
「そうした軍隊なのね」
「制服だってね」
「奇麗なのね」
「作業服だってね」
 身体を動かす、汚れるお仕事をする時に着るこの服もというのです。
「お洗濯してアイロンもかけて」
「制服もよね」
「服に付いている埃まで取って」
 そうしていてというのです。
「それでだよ」
「そのうえでなのね」
「そう、そしてね」
 それでというのです。
「靴まで磨いているんだ」
「ピカピカにしてるの」
「そうなんだ、ゴムの部分の土に触れないところまでね」
「磨いているの」
「作業の時の安全靴も」 
 これもというのです。
「時々でもね」
「本当に徹底しているわね」
「護衛艦を観ても整理整頓されていて」
 そうなっていてというのです。
「おトイレも奇麗だし銅の部分もね」
「金色の」
「暇を見付けて磨いて」
「奇麗にしているの」
「錆なんか出ない様にね」
「金色のままね」
「そうしているんだ」
 海上自衛隊ではというのです。
「そうしているんだ」
「本当に徹底しているわね」
「うん、そしてね」
 それでというのです。
「訓練だってね」
「しっかりしているわね」
「そうなんだよ」
「だから立派なのね」
「それで日本は災害が多いけれど」
「そうそう、物凄く多いでしょ」
 災害のお話が出てでした。
 サラはカレーを食べる手を一旦止めてです、先生にこう言ったのでした。
「驚く位ね」
「他の国と比べたらね」
「我が国ともね」
 イギリスとも、というのです。
「本当によ」
「多いね」
「とてもいい国よ、自然環境でもね」
「過ごしやすくて景色も奇麗でね」
「いい国よ、けれどね」
 それでもというのです。
「災害の多さがね」
「問題だね」
「そう思うわ、だからうちの子達もね」
「災害の多さを聞いて」
「日本に住むのは怖いって」
 その様にというのです。
「小さい頃言っていたのよ」
「それはわかるよ。猛獣とか猛毒を持つ蛇や虫がいると聞いてもね」
「その国に行きたくなくなるね」
「住むなんてとてもよ」
「妖怪だってそうだしね」
「そうそう、怖い妖怪や妖精がいると聞いても」
 人前に滅多に姿を表さない彼等でもというのです。
「子供は怖がってね」
「その国に行きたくなるなるわね」
「日本のある子供はドイツに人を貪り喰らう吸血鬼バーニィという魔物がいると聞いて」
「ドイツに行きたくないって言ったのね」
「そうなんだ」
 そうしたことがあったというのです。
「これがね」
「そんなこともあったのね」
「子供はそうなるね」
「だからよね」
「日本の災害の多さを知れば」 
 それならというのです。
「そう思うこともね」
「当然なのね」
「そうだよ」
 まさにというのです。
「本当にね」
「そうなのね」
「事実多いしね」 
 日本の災害はというのです。
「戦争で死んだ人よりも」
「災害で死ぬ方が多い位ね」
「二次大戦後は特にだよ」
「日本は戦争をしていないし」
「戦争で死んだ人はほぼいないと言っていいけれど」
「朝鮮戦争で掃海していてその中でお亡くなりになった人がいたわね」
「あと竹島周辺で漁船が拿捕されて攻撃されてね」
 そうしたこともあってというのです。
「そうしたことあったけれど」
「少ないわね」
「そう言っていいよ、そして」
 それにというのです。
「災害ではね」
「とても大勢の人が亡くなっているわね」
「その災害救助と復興がだよ」
 まさにこの二つのことがというのです。
「自衛隊の主なお仕事でね」
「それが出来ているわね」
「見事にね」
 そうだというのです。
「自衛隊はね」
「そう言っていいわね」
「だからだよ」
「兄さんは自衛隊を評価しているのね」
「高くね。学問的に見て」
 先生はカレーを食べつつ言いました。
「かなり出来た軍隊だよ」
「そう言っていいわね」
「問題はあるけれどね」
「どんな組織でもあるわね」
「法的に迅速に動けるか、兵器のコストが高過ぎるとか」
「そうした問題はあるのね」
「けれど北朝鮮の軍隊をゴミとしたら」
 自衛隊を批判する人達が好きなこの国の軍隊がです。
「自衛隊はダイヤモンドだよ」
「そう言っていいわね」
「そこまで立派だよ」
「兄さんが見るに」
「そうだよ」
 まさにというのです。
「そしてこのままよりね」
「いい軍隊になって欲しいのね」
「僕はそう思っているよ」
「そうなのね、兄さんは」
「今僕は日本人だしね」
「帰化してね」
「生まれはイギリスでも」
 そうであってもというのです。
「今の僕の国はね」
「日本ね」
「自衛隊の国だからね」
「自衛隊にもっとなのね」
「いい組織になって欲しいよ」
「そう思って当然ね」
「サラもそう思うね」
「ええ」
 先生にカレーを食べてから笑顔で答えました。
「私もそう思うわ」
「それなら嬉しいよ」
「兄さんも」
「そうだよ」
「そうなのね」
「完全というのはないね」 
 先生は真剣なお顔で言いました。
「そうだね」
「世の中にはね」
「神様だけだから」
 完全な存在はというのです。
「人間はね」
「完全じゃないわね」
「そう、そしてね」
 それでというのです。
「自衛隊だってね」
「その人間の組織だから」
「いくら優れた組織でもね」
「完全じゃないわね」
「問題点はあってこれからもね」
「出て来るわね」
「そうだからね」 
 それ故にというのです。
「常に状況を確認してね」
「細かくよね」
「そう、隅から隅までね」
 まさにというのです。
「確認して」
「改善点を見付けて」
「改善していくことだよ」
「そうすることが大事ね」
「この世のあらゆることについてそうでそれをしないと」
 どうなるかといいますと。
「もうどうしようもない位に腐敗するよ」
「どんな人も組織もよね」
「何もチェックされないでまたあらたまることがなかったから」 
 それが為にというのです。
「日本の知識人は駄目になったしね」
「自衛隊を批判する人達こそ」
「活動家と呼ばれる人達はね」
「駄目になったのね」
「問題点があっても全く改善されず」
 先生は言いました。
「その考えや行動がね、そしてずっといたから」
「どんどん駄目になって」
「そうなって今に至っていてね」
「どうしようもなくなっているのね」
「その腐敗たるやね」
「どんな感じかしら」
「中世のバチカンにも匹敵するかもね」
 先生は言いました。
「もうね」
「バチカンね」
「十字軍とかルネサンスの頃の」
「一番酷いことね」
「流石にあそこまでの暴力は持っていないけれど」
「十字軍なりね」
「けれどね」
 それでもというのです。
「日本の彼等はね」
「まだあんな力を持っていないわね」
「暴れるけれど」 
 それでもというのです。
「それでもね」
「軍隊みたいなのは持っていないわね」
「だからその分ね」
「対処が楽ね」
「テロとか起こそうかね」
「起こしたら」
「逮捕すればいいよ、しかしその腐敗がね」
 これがというのです。
「もうね」
「そこまで酷いのね」
「中世の教会位にね」
「それは深刻ね」
「うん、だからね」
 それでというのです。
「僕も嫌に思っているよ、けれどそんな人達をよそにね」
「自衛隊の人達は頑張っているわね」
「だから僕はこれからもね」
「あの人達を見ていくわね」
「そして応援していくよ」
「素晴らしい人達だから」
「是非ね」
 こう言うのでした、そしてサラそれに皆と一緒にカレーと肉じゃがを食べてでした。 
 最後に羊羹を食べましたが。
「大和には羊羹を造る装置もあったよ」
「あら、そうなの」
「そう思うとこれもいいね」
「ええ、海軍と海自さんを思い出すわ」
 海軍の跡を継いだそちらもというのです。
「何かね」
「そうだね、じゃあデザートのこの羊羹もね」
「いただくわ」 
 笑顔でお話しました、その羊羹もとても美味しかったです。


ドリトル先生と不思議な自衛官   完


                     2024・1・11








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