『ドリトル先生とラーメン』
第十幕 色々なラーメン
王子は先生のお家に来て笑顔でその場所のお話をしました。
「大阪の難波にね」
「へえ、そんな場所があるんだね」
「そう、色々なラーメンを食べられるね」
「そうした場所だね」
「ラーメン一座っていって」
王子はその場所の名前も言いました。
「北海道、京都、大阪、兵庫、福岡、蘭州、そして東京のね」
「それぞれの有名なお店のラーメンが食べられるんだね」
「そうなんだ」
これがというのです。
「いい場所だよね」
「確かにね」
それはと答えた先生でした。
「丁度ラーメンのアンケートも取っているし」
「学問していたね」
「実はそっちは論文も書いてね」
そうもしてというのです。
「今はトイツの地理のことを学んでいるよ」
「そうなんだ」
「そう、それでもね」
「アンケートはまだだね」
「取っているから」
それでというのです。
「そのこともあるし」
「それじゃあ」
「うん、是非ね」
「難波に行って」
「そこに入って」
そうしてというのです。
「色々食べてきたらいいよ」
「そうさせてもらうね」
「難波なら」
王子は笑って大阪のこの場所のこともお話しました。
「先生もよく行ってね」
「詳しいつもりだよ」
「そうだよね」
「だからだね」
「ラーメンだけじゃなくてね」
「難波の街自体もだね」
「楽しめばいいよ」
こう言うのでした。
「行ったならね」
「そうするよ。色々とね」
「難波は楽しい場所があるからね」
「そうなんだよね、実はなんばシテイにね」
「行ってみたかったんだ」
「そしてなんばパークスもね」
こちらもというのです。
「行きたかったし」
「じゃあ丁度いいね」
「うん、今度の日曜にね」
その時にというのです。
「行って来るよ」
「それじゃあね」
こうしたお話をしてでした。
先生は動物の皆と一緒に日曜日に難波に行きました、先生はまずはなんばシティを歩いて左右の色々なお店を眺めてからです。
次になんばパークスに入りましたが。
「九階に行くんだ」
「この建物の」
「そうするんだ」
「ここは昔は野球場があったのは知ってるね」
先生はなんばパークスの中を進みつつ皆にお話しました。
「大阪球場が」
「南海ホークスの本拠地だったね」
「今は福岡ソフトバンクホークス」
「あのチームは昔大阪に本拠地があって」
「ここにあった球場がそうだったのよね」
「その大阪球場の跡地にあるから」
だからだというのです。
「南海ホークスの記念館もあるんだ」
「そうなんだね」
「ホークスの本拠地だった場所だから」
「それでなのね」
「そう、ここの九階にね」
この階にというのです。
「あるよ、あとラーメン一座もね」
「後で行く」
「今回難波に来た第一の目的地だね」
「そこでラーメンを食べるけれど」
「そこも九階にあるんだ」
こう皆にお話しました。
「奇遇と言えば奇遇かな」
「そうだね」
「言われてみるとね」
「同じ九階ってね」
「南海ホークスの記念館もラーメン一座もって」
「それって」
「面白いね、ちなみにこれから行く場所だけれど」
南海ホークス記念館はというのです。
「南海ホークスメモリアルっていうんだ」
「南海ホークスの記憶だね」
「ホークスの南海時代の」
「そのはじまりの」
「五十年かな、それだけね」
先生は皆に微笑んでお話しました。
「ホークスの親会社は南海でね」
「南海電鉄だね」
「今僕達の傍を走っている」
「その鉄道会社ね」
「ホークスが創設されてそれだけの間は」
五十年程はというのです。
「南海電鉄が親会社でね」
「大阪にあって」
「この場所で皆野球していたんだ」
「大阪球場で」
「そして数多くの名勝負が行われたんだ」
そうだったというのです。
「選手の人達が勝負をして監督さん達が采配を執ってね」
「そうした場所なんだね」
「今は沢山のお店があって人が行き交っていて」
「とても賑やかな場所だけれど」
「かつてはそうだったんだ」
「筒岡一人さんがいて」
南海の監督だったこの人がというのです。
「野村克也さん、杉浦忠さんもね」
「ここで活躍していたんだ」
「今じゃとても想像出来ないけれど」
「そうした場所だったのね」
「前にもこうしたこと言ったかな、それで南海ホークスのことをね」
今からというのです。
「観に行こうね」
「うん、まずはね」
「ラーメンを食べる前にね」
「南海ホークスのことを観ようね」
「今は福岡にあるあのチームのことを」
「そうしようね、邪悪な巨人のことよりも」
その歴史がはじまってから悪いことしかしていないこのチームのことは先生も好きではないのです。
「阪神もだし」
「ホークスもね」
「しっかりと学ぼうね」
「この機会に」
「そうしようね」
こうお話してでした。
皆で南海ホークスメモリアルに入りました、そこはどういった場所かといいますと。
緑と白のユニフォームの人達が紹介されていました、その中に。
「ああ、この人が鶴岡さんだね」
「写真でも何か凄い人だってわかるね」
「痩せてるのに風格があって」
「物凄い人だってわかるよ」
「監督としての勝利数一位の人でね」
先生は皆にお話しました、その鶴岡さんの写真それに鶴岡さんが着ていたジャンパーも展示されています。
「球界にも凄い貢献をしたね」
「立派な人だよね」
「鶴岡さんは」
「そうした人ね」
「そうだよ、日本のプロ野球を創った人の一人だよ」
こうまで言う先生でした。
「戦前から活躍してね」
「ただホークスの監督だけじゃなくて」
「そんな人なんだ」
「球界全体に貢献した」
「素晴らしい人なんだ」
「若しプロ野球の監督でなかったら」
そうでなかったらといいますと。
「総理大臣になれたかもね」
「凄いね」
「そこまでの人だったんだ」
「監督さんじゃなかったら」
「政治家になったらね、そんな人だったんだ」
先生は鶴岡さんのことが書かれているコーナーを見つつ言いました。
「この人はね」
「その人がここで活躍して」
「長い間チームを率いていたのね」
「そうだよ、そして野村さんも杉浦さんも」
今度はお二人の写真と文章を見ました。
「ホークスで活躍したんだ」
「バッテリー組んでたんだよね」
このことは老馬が言いました。
「野村さんと杉浦さんって」
「そうそう、昭和三十年代にね」
ホワイティは老馬に応えて言いました。
「そうだったんだよね」
「最強のバッテリーね」
ガブガブは明るい声で言い切りました。
「まさに」
「そうだね、三冠王を取って頭脳派のリードとささやき戦術の野村さんとね」
ジップはまずはこの人のことをお話しました。
「アンダースローから物凄いストレートとカーブそれにシュートを投げる杉浦さんだから」
「これ以上のバッテリーはない」
トートーも言い切りました。
「そう言われてるね、今も」
「他の国でもないね」
「そうよね」
チープサイドの家族もお話します。
「メジャーでもメキシコでも台湾でも」
「キューバや欧州や中国でもね」
「最強のキャッチャーと最高のピッチャー」
チーチーもこうまで言います。
「これ以上はないね」
「色々対象的な感じがするけれど」
ポリネシアは二人の写真と説明文を見て思いました。
「だからこそいいのかしら」
「若し今このバッテリーがあったら」
「ホークス手がつけられないね」
オシツオサレツは心から思いました。
「あの戦力でこの最強バッテリーもってなると」
「無敵よ」
「いや、野村さんも杉浦さんも凄いよ」
ダブダブも言うのでした。
「一人だけでもね」
「お二人は本当に最高の野球人だったよ」
先生はその野村さんと杉浦さんのことをさらにお話しました。
「ただ凄い実績があっただけでなくて」
「人間としてもね」
「野村さんにしてもそうで」
「杉浦さんも」
「杉浦さんは人の悪口を言わない穏やかな紳士でね」
この人はそうした人だったというのです。
「誰からも好かれていて野村さんはね」
「一見口が悪くてね」
「暗そうだけれど」
「実は物凄く優しくて」
「困っている人を見捨てない人だったのよね」
「個性は全く違うけれど」
それでもというのです。
「お二人のどちらもね」
「素晴らしい人達で」
「人間性も褒められる様な」
「そんな人達だったんだ」
「うん、僕は鶴岡さんも杉浦さんも立派な人達だったと思ってるし」
それにというのです。
「野村さんもね」
「確かにそうだよね」
「野村さんはお二人と比べて色々言われてるけれど」
「口が悪いとか暗そうとか」
「陰湿とか陰険とか冷たいとか」
「実は結構明るい人で」
暗いどころかというのです。
「繊細で困っている人をね」
「見捨てなくて」
「誘って迎え入れて面倒を見る」
「そんな人だね」
「とても暖かい人だったんだ」
野村さんという人はというのです。
「そして長い間戦った相手にも敬意を忘れない」
「やっぱりいい人だね」
「素晴らしい人ね」
「野村さんは」
「そうだったんだ、そしてこの人達も」
三人以外のホークスの選手の人達の写真も見てお話しました。
「皆ね」
「ここで活躍したんだ」
「かつては」
「そうだったんだ」
「大阪球場でね、汗を流して声を出して」
そうしてというのです、
「必死にね」
「野球をしていたんだね」
「そう思うとここは素晴らしい場所ね」
「本当に」
「その歴史と記憶を今に伝えるね」
大阪球場はなくなってホークスは福岡に移ってもというのです。
「そうした場所だよ」
「そう思うとここに来てよかったよ」
「大阪のプロ野球といえば阪神だけれど」
「ホークスもかつては大阪にあったんだね」
「そうなのね」
「阪神は会社が大阪にあって」
このチームはというのです。
「球場は西宮にあるからね」
「甲子園にね」
「そうだよね」
「あのチームは」
「だから大阪のチームでも」
「球場はあそこになるね」
「けれど南海ホークスは」
このチームはというのです。
「本社も球場も大阪にあった」
「阪神以上に大阪のチームだったんだ」
「今のバファローズみたいに」
「そうしたチームだったんだね」
「そうなんだ、阪神の魅力は別格で」
そこまで言っていいものでというのです。
「人気は圧倒的だけれどね」
「先生も阪神ファンだしね」
「あのチームの魅力は桁が違うよ」
「何よりもね」
「けれどホークスが大阪にあったことは」
その全てがというのです。
「覚えておかないとね」
「いけないね」
「それもまた歴史だね」
「日本の野球の」
「大阪のね。そしてこの人達も大阪で生きて歩いていたんだ」
南海の人達の写真を見て言うのでした。
「野村さんも杉浦さんもね」
「僕達が今いる場所を」
「難波の街を」
「そうしていたんだね」
「そうだよ」
そうだったというのです。
「昭和の頃はね」
「昭和だね」
「平成じゃなくて」
「その頃なのね」
「ホークスは昭和が終わるまさにその直前に福岡に行ったんだ」
そうなったというのです。
「親会社がダイエーになってね」
「それで福岡に移って」
「親会社がダイエーからソフトバンクになって」
「今に至るのね」
「平成から令和は」
「そうなんだ、昭和の頃はね」
本当にその頃はというのです。
「ホークスはね」
「ここにあったんだね」
「大阪に」
「それで南海の人達も難波を歩いていたんだ」
「ここで活躍して」
「江本さんもね」
この人もというのです。
「そうだったよ」
「ああ、政治家さんの」
「あの阪神のピッチャーだったよね」
「けれど南海にいたんだ」
「そうだったんだ」
「最初は東映、今の日本ハムにいてね」
そうしてというのです。
「南海に移って野村さんとバッテリー組んだんだ」
「ここでも野村さん出るね」
「凄いね」
「杉浦さんだけじゃないんだ」
「野村さんはずっと南海のキャッチャーだったからね」
それでというのです。
「色々なピッチャーの人とバッテリーを組んで」
「それでなんだ」
「江本さんともなんだ」
「バッテリーを組んでたのね」
「それで江本さんは才能を開花させてね」
野村さんとバッテリーを組んでというのです。
「エースにもなったんだよ」
「そんなことがあったんだ」
「江本さんには」
「南海にいたことがあって」
「野村さんとバッテリー組んでたんだ」
「それで難波も歩いていたんだ」
この街をというのです。
「そして阪神でね」
「活躍して」
「皆が知る人になったんだ」
「あの人は」
「そうだよ、江本さんもホークスにいた」
このことはというのだ。
「そのことも覚えておかないとね。江夏さんだってね」
「ああ、江夏豊さん」
「阪神の大エースだった」
「黄金の左腕と言われた」
「この人もだしね」
ホークスにいたことがあったというのです。
「それで野村さんともね」
「つくづく野村さんよく出るね」
「まさにホークスの顔だったんだね」
「あの人は」
「うん、鶴岡さんと杉浦さんと」
それにというのです。
「野村さんはね」
「何と言ってもだね」
「ホークスの顔だったんだね」
「南海時代は」
「そうだったんだよ」
皆に温かい笑顔で言いました、そしてです。
先生は南海ホークスメモリアルからです、ラーメン一座に向かいました。そこでまた皆に言うのでした。
「南海の人達も織田作さんも吉本のレジェンドと言われる人達も」
「ここを歩いていたんだ」
「かつては」
「そうなのね」
「藤山寛美さんもそうで」
この伝説のお笑い芸人の人もというのです。
「色々な人がね」
「この辺りを歩いていたんだね」
「かつては」
「そうだったのね」
「そうだよ、あと阪神の岡田監督も大阪市生まれで育ちだから」
この人もというのです。
「それに今も関西に住んでおられるし」
「そうそう、生粋の関西人だったねあの人」
「もう生まれついての」
「大学だけ東京で」
「それ以外はずっと関西でね」
「あの人も絶対にね」
間違いなくというのです。
「この辺りを歩いているよ、何度もね」
「今挙げた人達と一緒に」
「そうしていたんだね」
「そうなのね」
「その筈だよ、ただここにいると織田作さんにまたお会い出来るかなと思ったけれど」
先生はこの人のことも思い出しました。
「今回はまだね」
「お会い出来てないね」
「よくこの辺り歩いておられるけれどね」
「近くに自由軒もあるから」
「それならと思ったけれど」
「今は別の場所におられるのかな」
先生はこう考えました。
「あの人は今は大阪の色々なところ巡ってるしね」
「幽霊になってね」
「そのうえでね」
「そすいておられるから」
「それでかな、まあお会い出来たらその時で」
それならと笑顔で言う先生でした。
「今の僕達はね」
「うん、ラーメン一座に行ってね」
「色々なラーメン食べよう」
「そうしましょう」
皆でお話してでした。
先生はビルに入ってその九階に行ってラーメン一座に来ました、そこには日本各地の有名なお店が集まっていまして。
それぞれ名物のラーメンを売っていました、先生達は一店一店入ってそのうえで食べていきます。そしてです。
先生は全てのお店を巡ってから皆に言いました。
「こうして食べ比べてみたら」
「よかったね」
「それぞれのお店に特徴があって」
「美味しいだけじゃなくてね」
「色々なラーメンが楽しめたわ」
「北海道、京都が二つ、大阪、兵庫、福岡。東京、それに蘭州とね」
そのお店質が出したラーメンが何処のものかを言っていきます。
「あったけれど」
「どれもね」
「凄く特徴があったわ」
「それもよく出ていてね」
「楽しめたよ」
「それぞれの地域のラーメンの特徴を知るのも」
実際に食べてです。
「本当にいいね」
「そのことを実感したね」
「これまでもそうだったけれど」
「こうして食べ比べると」
「尚更だね」
「そうだね、凄くよかったよ」
先生は満面の笑顔で言いました。
「どのラーメンが一番とは言えないけれどね」
「どれも美味しくて」
「それでね」
「何処が一番かは」
「その人それぞれだね」
「今住んでいる兵庫のラーメンもいいし」
それにというのでした。
「大阪のもよくて」
「境地はどちらもで」
「当然福岡も北海道もで」
「蘭州のものも美味しかったし」
「東京のものも」
「一番は何処かは人それぞれだね」
好みの問題だというのです。
「食べてみて思ったよ」
「そうだね」
「あとお客さんのマナーよかったね」
「勿論店員さんもで」
「そのこともよかったわ」
「そう、お客さんのマナーがいいと」
それならというのです。
「当然店員さんもで」
「そのこともいいよね」
「店員さんは当然にしても」
「僕達お客さんだってね」
「マナーを守らないとね」
「そうじゃないと」
お客さんもマナーを守らないと、というのです。
「よくないよ、折角美味しくて店員さん達も礼儀正しいのに」
「しかも清潔だしね」
「気分よく食べられるから」
「僕達お客さんだってね」
「マナーはちゃんとだよ」
「そうだよ、しかし他の国の人達のマナーがどうかという人程」
ここで、でした。先生は。
眉を曇らせてです、こんなことを言いました。
「自分のマナーがね」
「なってないよね」
「普通に差別用語使うし」
「口汚いし」
「それにお店でもね」
「マナーが悪いね」
「ああした人達は同類なんだろうね」
先生はこうも考えて言いました。
「あの料理漫画の新聞記者の主人公やその人のお父さんとね」
「ああ、あの漫画のね」
「あの漫画って登場人物皆ああだけれど」
「物凄く短気で野蛮でね」
「下品で無教養な人達ばかりだけれど」
「主義主張は違っても」
それでもというのです。
「人間としてのタイプ、レベルはね」
「同じだね」
「まさに同じ穴の貉」
「同類ね」
「ああした人は自分だけでね」
そうした人達でというのです。
「人を指差して批判して嘲笑しても」
「自分のことは見ていない」
「自分をあらためない」
「そうする努力もしない」
「悪いことだけ覚えていって」
「そんな人達でね」
それでというのです。
「ああなっているんだよ、人のマナーを言う前に」
「それよりもだよね」
「人のふり見て我がふりなおせ」
「そうしないとね」
「人を批判したり嘲笑したりばかりで」
それでというのです。
「実は自分が一番駄目で皆から忌み嫌われている」
「いるね、そんな人」
「そんな人がまともなるって滅多にないよね」
「もう最底辺にずっといて」
「どうにもならないままだね」
「そうした人がお店に入ってね」
そうしてというのです。
「主義主張関係なくね」
「下品なことするよね」
「そうなんだよね」
「これが」
「ああした人になったらいけないよ。幸いここにはね」
ラーメン一座にはというのです。
「そうした人がいなくてね」
「よかったね」
「つくづくね」
「そのこともよかったよ」
「お陰で満足したよ、じゃあ帰ろうか」
神戸のお家にというのです。
「今からね」
「うん、そうしよう」
「それで今度はね」
「僕達と一緒に行かないでね」
「王子かトミーと行くよ」
先生は笑顔で答えました。
「そうするよ」
「いやいや、違うから」
「そこで王子でもトミーでもないでしょ」
すぐにチープサイドの家族が言ってきました。
「もうそこがね」
「先生駄目だから」
「そんな人決まってるじゃない」
トートーも先生に言います。
「お一人しかね」
「日笠さんでしょ」
ポリネシアはその人が誰かはっきりと言いました。
「その人は」
「他に誰もいないわよ」
ガブガブも突きました。
「一人もね」
「他に誰がいるか」
「僕達でも言えるよ」
オシツオサレツもまた二つの頭で言うのでした。
「日笠さんだってね」
「はっきりね」
「先生、月曜になったらだよ」
ホワイティは先生に強い声で告げました。
「動物園に行って日笠さんに言ってね」
「今度一緒にここに来ようッてね」
チーチーは具体的にどうすべきかと言いました。
「言うんだよ」
「もうそうしないと怒るよ」
老馬はこうまで言いました。
「僕達もね」
「何があっても行って言ってね」
ダブダブは先生の背中を押しました、その言葉で。
「いいね」
「明日絶対に行ってもらうから」
動物園にとです、ジップも言います。
「そして言ってもらうから」
「皆どうしたのかな。確かに日笠さんも親しいお友達だしね」
何もわかっていないで応える先生でした。
「一緒に行くべきだね、王子やトミーもだけれど」
「いや、違うから」
「これまで何度も言ってるけれど」
「そこはね」
「本当に違うからね」
皆わかっていない先生に呆れて言います。
「これがどういうことか」
「わからないのは先生だけだし」
「僕達もわかってるし」
「王子もトミーもだからね」
「そうなのかな。けれどね」
それでもと言う先生でした。
「実際に月曜そうするね」
「さもないと本当に怒るから」
「行こうってね」
「そして言ってもらうからね」
「それで日笠さんと行く時は」
「僕達はお家にいるからね」
「ううん、何かある感じだけれど」
先生はこのことか感じ取りました。
「それが何なのかわからないよ」
「わからなくてもそうしてね」
「僕達も考えてるからね」
「皆で」
「そうしているしね」
「是非だよ」
「先生もそうしてね」
皆で先生に言いました、そしてです。
先生はその皆と一緒に神戸のお家も帰りました、それでトミーにラーメン一座のお話をするとトミーはこう言いました。
「凄いのは八店全部ですね」
「うん、食べたよ」
先生は笑顔で答えました。
「そうしたよ」
「いつも通りの大食漢ですね」
「そうだね。とはいってもね」
「日本人の中ではですね」
「あまり沢山食べない傾向があるからね」
「人それぞれにしても」
「少食だよ」
日本人全体として見てです。
「他の多くの国の人から見てね」
「そうですよね」
「僕は国籍は日本だけれど」
「生まれと育ちはイギリスで」
「体格もね」
「日本に生まれた日本人とは違いますね」
「そうだからね」
それ故にと言う先生でした。
「僕は大食漢でも」
「その日本の人達から見てですね」
「そうだね。ただイギリスにいた頃は」
「先生が大食漢とはです」
一緒に暮らしていたトミーもです。
「思わなかったです」
「そうだったね」
「別に」
これといってとです、トミーは先生に答えました。
「普通だと」
「やっぱり日本のお料理が美味しくて」
「食べる量が増えましたね」
「いや、つくづくね」
「イギリスのお料理は」
「イギリスにずっといたらわからないけれど」
それでもというのです。
「味はね」
「世界的に言われてますし」
「そればかり食べていると」
「量もですね」
「トミーが作っても」
それでもというのです。
「ガブガブもでね」
「調味料が乏しくて」
「その分ね」
「味覚が、ですね」
「そうだからね、紹介されるレシピもね」
「料理番組なんかでも」
「日本や他の国の料理番組を見たらわかるよ」
そうすればというのです。
「烏賊は食べられるとか言ってね」
「物凄く適当に作りますね」
「あのまま作ったらね」
「味はどうか」
「言うまでもないしね」
「環境が、ですね」
「そもそもだから」
イギリスはというのです。
「だからどうしてもね」
「食べる量が少なくなりますね」
「だから日本に来て」
先生はというのです。
「多くなったよ」
「食べる量が」
「まして僕はこれまでも結構イギリスから出てね」
「世界各地を旅して冒険模したので」
「他の国の味覚も知っていて」
「それでイギリス料理を食べると」
「ついつい他国のお料理と比べて」
その味をというのです。
「無意識のうちにね」
「食べる量が減りましたね」
「そうだったよ、けれど日本では」
「それがないから」
「楽しんで食べられてね」
「量が増えていますね」
「そうなっているよ、美味しいものが多いことは」
このことはともです、先生は言いました。
「やっぱりね」
「いいことですね」
「凄くね、それじゃあ」
「これからもですね」
「美味しいものをね」
是非にというのでした。
「沢山ね」
「召し上がられますね」
「そうしていくよ、ただ僕は一汁一菜とか」
「江戸時代のお侍さんみたいに」
「それはしないね」
そうした献立はというのです。
「贅沢でなくても」
「質素倹約はですね」
「しないね、あの質素倹約は」
それはといいますと。
「日本の武士のね」
「文化でしたね」
「文武両道でね」
学問にも武芸にも励んでというのです。
「その暮らしはあくまでね」
「質素ですね」
「武士の人達は俸禄だけで暮らしていて」
「基本お金がなくて」
「家格に会うだけの出費もあってね」
そうしたこともあってというのです。
「暮らし自体は質素でね」
「食生活もそうでしたね」
「将軍様も贅沢出来なかったけれど」
それでもというのです。
「僕はね」
「贅沢はされなくても」
「そうした生活特に食事はね」
「されないですね」
「うん、むしろ大坂の町人文化の」
「楽しい感じですね」
「その方がいいね、ただ武士の人達は好きだよ」
この人達自体はというのです。
「凄くね」
「格好良くて高潔で」
「だからね」
それでというのです。
「好きだよ」
「日本人の国民性を形成する重要な要素にもなっていますね」
「規律正しさはね」
「武士道が大きいですね」
「うん、スポーツマンシップもね」
こちらもというのです。
「日本ではね」
「野球の日本代表は侍ジャパンともいいますし」
「やっぱりね」
何と言ってもというのです。
「武士道がね」
「大きな影響を与えていますね」
「イギリスのスポーツマンシップも厳しいけれど」
「日本も厳しいですね」
「それを守ることについてね」
「そうですよね」
「だから武士はね」
先生としてはです。
「僕もね」
「好きですね」
「武士道はこれからもね」
是非にというのです、
「守っていくべきだとね」
「先生は考えておられますね」
「そうなんだ」
実際にというのです。
「僕も武士じゃないけれど」
「武士道を学んで」
「守るべきところはね」
こうトミーに言うのでした。
「守っていこうとね」
「お考えですね」
「そうなんだ」
「それはいいことですね」
「トミーもそう思うね」
「はい、ただお食事はですね」
「それは出来ないね、本当に町人さんの感じで」
大坂のというのです。
「食べていきたいね」
「これからも」
「うん、色々なものを沢山ね」
「食文化はそうですね」
「だってお侍は河豚食べられなかったんだよ」
このお魚はというのです。
「下世話なお魚特に将軍様になると」
「食べられないものが多かったですね」
「気軽に買い食いとかね」
「そうしたことも出来なくて」
「あれするなこれするなと」
「厳しかったですね」
「身分は高かったけれど」
それでもというのです。
「江戸市中で刀を迂闊に抜いても」
「時代劇ではそんな場面も多いですね」
「江戸城だけでなくね」
「江戸の中でもですね」
「刀を抜いたらそれだけで」
「切腹でしたね」
「誰かを傷付けることが禁じられる以前に」
そもそもというのです。
「刀を抜くこと自体が」
「駄目で」
「それでね」
そのうえでというのです。
「他にも色々とね」
「禁じられていることが多くて」
「河豚も食べられなかったんだよ」
「江戸でもですね」
「伊藤博文さんもお百姓さんだったお父さんが武士のお家に養子に入ってね」
「武士になってそこから総理大臣になってますね」
「あの人も明治になって随分経ってからね」
そうしてというのです。
「はじめて河豚を食べたんだよ」
「武士は河豚を食べられなかったので」
「実は大坂や下関では食べられていても」
それでもというのです。
「武士の人は駄目だったからね」
「毒があることもあって」
「それでね」
毒のこともあってというのです、何しろ河豚に毒があるということは誰もが知っていることであるので。
「河豚を食べられなかったけれど」
「先生にとっては」
「そのことがね」
「先生河豚もお好きですからね」
「だからね」
その為にというのです。
「そのことを見てもね」
「武士にはなりたくないですね」
「神戸は兎も角大坂は町人の町だったね」
このことも言うのでした。
「そうだったね」
「何十万も人がいて」
「お侍は数百人位しかいなくてね」
「完全に町人の町でしたね」
「江戸は人口の半分がお侍で」
そこまで多くてというのです。
「お侍のお家が並んだ地域も多かったよ」
「武家屋敷とかあって」
「大名屋敷も沢山あってね」
「お侍の町でしたね」
「そうだったけれどね」
江戸今の東京はというのです。
「大坂はね」
「町人の町で」
「それでだよ」
「河豚も食べられましたね」
「幕府は禁じていたかも知れないけれど」
それでもというのです。
「奉行所があってもお侍さんも少なくて」
「町人の間で食べるならよかったですね」
「だから落語にもだよ」
こちらにもというのです。
「出ているよ」
「そうですね」
「あたって命を落としたお話もね」
「ありますね」
「そうなんだ、その河豚が食べられないだけで」
河豚もお好きな先生としてはです。
「どうもね」
「お侍さんにはですね」
「なりたくないよ」
「そうですか」
「若し江戸時代の日本に生まれたら」
先生としてはです。
「その時はね」
「大坂とかですね」
「町人の町の町人さんに生まれて」
「それで暮らしたいね、そして今はね」
現代の日本ではというのです。
「こうしてだよ」
「暮らしておられるので」
「もうね」
それでというのです。
「満足しているよ」
「そうなんですね」
「凄くね」
笑顔で言うのでした、そしてまたラーメンを食べようと言うのでした。