『ドリトル先生とラーメン』
第五幕 それぞれのラーメン
先生達が暮らしている神戸市には多くの百貨店もあります、その中に千世が勤務している八条大学を経営している八条グループの傘下企業の一つである八条百貨店もあります。この百貨店は日本の主要都市に多くのお店を持っていますが。
「へえ、日本全国のラーメンをなんだ」
「そう、催しで集めてね」
王子は先生に研究室に来てお話しました。
「それでなんだ」
「日本全国のラーメンが食べられるんだ」
「開催期間中はね」
「それはいいね」
先生はここまで聞いて言いました。
「実にね」
「先生元々ラーメン好きでね」
「今は特に凝ってるしね」
「それじゃあね」
「行ってみるね」
「行かせてもらうよ」
一も二もないといった返事でした。
「僕もね」
「そうするね」
「そしてね」
そのうえでというのです。
「日本全国のラーメンをね」
「いただくね」
「そうさせてもらうよ」
こう言うのでした。
「そんないい催しがあったら」
「そうだよね」
「いや、日本全国となると」
「本当に色々なね」
「ラーメンを食べられるね」
「先生この前博多のラーメン食べたね」
「豚骨で細い麺のね」
「そのラーメンも食べられて」
そしてというのです。
「北海道や京都、広島や熊本のラーメンもね」
「食べられるね」
「愛知の方もね」
「そうそう、愛知といえば」
そちらのラーメンも聞いて言いました。
「チェーン店でね」
「すがきやさんだね」
「あちらのラーメンがあるね」
「そちらのラーメンもあるかな」
「あったよ」
王子は笑顔で答えました。
「愛知のラーメンとしてね」
「出ているね」
「そうだよ」
まさにというのです。
「だからよかったら」
「うん、すがきやのラーメンもね」
「いただくね」
「そうさせてもらうよ」
王子に笑顔で言いました。
「本当にね」
「じゃあ行って来てね」
「そうさせてもらうよ、じゃあ明日は休日だけれどお昼にね」
この時間にというのです。
「行って来るよ」
「それじゃあね」
笑顔で応えてでした。
先生は動物の皆それにトミーと王子と一緒に百貨店の催しの場に来ました、そのうえで日本全国のラーメンを食べていきますが。
「いやあ、いいね」
「それがすがきやさんのラーメンね」
ポリネシアは先生が今食べているラーメンを見て言いました。
「白いスープね」
「そこにかつおだしの香りもするわね」
こう言ったのはガブガブでした。
「独特の味わいがするスープね」
「麺は柔らかい感じで縮れてるね」
ジップは麺を見ました。
「このスープに合ってるかな」
「このラーメンもいいね」
しみじみとです、チーチーは思いました。
「美味しいよ」
「こうしたラーメンもあるんだね」
ダブダブも言います。
「成程ね」
「いや、愛知県というと名古屋だけれど」
それでもと言うホワイティでした。
「名古屋名物になるのかな」
「そうだね」
トートーはホワイティの言葉に頷きました。
「実際名古屋にも沢山お店があるみたいだし」
「名古屋ってきしめんや味噌煮込みうどんのイメージだけれど」
老馬はこうしたお料理を思い出しました。
「ラーメンはこうしたものなんだね」
「いや、先生美味しそうに食べてるね」
「そうね」
チープサイドの家族は先生を見てお話します。
「すがきやさんのラーメンを」
「そうだよね」
「実際に美味しいんだね」
「このラーメンも」
オシツオサレツは二つの頭でお話しました。
「いや、これが名古屋のラーメンって」
「中々面白いね」
「うん、このラーメンも美味しいよ」
実際にと言う先生でした、それも笑顔で。
「早速そうしたラーメンに巡り会えたよ」
「先生、こっちのラーメンも美味しいですよ」
トミーは北海道の味噌ラーメンを食べつつ言ってきました。
「前に召し上がられたと思いますけれど」
「北海道に行った時にね」
「そうでしたね」
「それじゃあ次はね」
笑顔で応えた先生でした。
「その味噌ラーメンをね」
「いただきますね」
「そうさせてもらうよ」
是非にというのでした。
「本当にね」
「それでは」
トミーも頷きました、そして先生は二杯目は実際に北海道の味噌ラーメンをいただきました。そして三杯目は。
「奈良県のラーメンだね」
「天理ラーメンだよ」
「そうだね」
「このラーメンはね」
王子に食べながらお話しました。
「辛いんだよね」
「そうだね」
「唐辛子を使ってね」
そうしてというのです。
「辛くしていてお野菜を沢山入れて」
「お肉も入ってるね」
「そしてね」
そのうえでというのです。
「スープもね」
「辛いね」
「そして麺は縮れているよ」
「辛さをよく味わえるね」
「そうなんだ」
そうしたラーメンだというのですう。
「だからね」
「それでだね」
「そう、このラーメンもね」
「美味しいね」
「そうなんだ」
こう言うのでした。
「これもね」
「じゃあ僕もね」
「このラーメンを食べるね」
「そうさせてもらうよ」
こう言ってでした。
王子もそのラーメンを食べます、そして言うのでした。
「うん、先生の言う通りにね」
「美味しいね」
「このラーメンもね」
「いや、奈良県にもね」
「こうしたラーメンがあるんだね」
「そうだね」
こうしたお話をして奈良県のラーメンも食べて先生は京都のラーメンも食べましたが今度はこんなことを言いました。
「へえ、京都のラーメンはね」
「こうした味なんですね」
トミーが応えました、彼も京都のラーメンを食べています。
「そうなんですね」
「そうだね、このラーメンの味もね」
「美味しいですね」
「そうだね、京都のラーメンはね」
「こんな風ですね」
「はじめて知ったよ」
こうも言ったのでした。
「僕も京都に行ったことがあったけれど」
「あの時はですね」
「色々巡ってね」
京都の中をです。
「そうしていたけれど」
「京都のお料理も随分と」
「食べたけれど」
それでもというのです。
「あの頃は京都のラーメンのことはね」
「ご存知なかったですね」
「だからね」
それでというのです。
「食べていなかったよ」
「そうでしたね」
「けれどね」
「今こうしてですね」
「食べられて嬉しいよ」
笑顔でのお言葉でした。
「本当にね」
「それは何よりですね」
「うん、しかもね」
さらに言う先生でした。
「食べ比べ出来る様に」
「それで、ですね」
「ラーメンのサイズもね」
「一口サイズですね」
「だからね」
「色々食べられますね」
「次は青森のラーメンにするよ」
そちらをいただくというのです。
「そうさせてもらうよ」
「青森ですか」
「何でも青森のラーメンも独特らしいから」
だからだというのです。
「いただくよ」
「そうされますか」
「そしてね」
そのうえでというのです。
「楽しませてもらうよ」
「そうですか」
「そのうえで色々なラーメンをね」
「召し上がられて」
「どういったラーメンがあって」
「どんな味か」
「楽しませてもらうよ」
こう言ってでした。
先生は京都のラーメンの後は青森のラーメンを食べて福山のものだという広島のものも食べてdす。
熊本や鹿児島のものも食べて東京のものも食べましたが。
「ううん、お醤油がね」
「違うんだね」
「東京のラーメンは」
「そうなんだね」
「やっぱり」
「あちらのお醤油は辛いから」
だからだというのです。
「その辛さがね」
「出ているんだね」
「そうなっているんだね」
「大阪の薄口醤油と違って」
「そうなんだね」
「そうだよ、後で大阪のラーメンもいただくけれど」
皆にお話します。
「やっぱりね」
「あっちのお醤油だね」
「辛い」
「その味なのね」
「うん、それがわかるよ」
食べてみると、というのです。
「本当にね」
「お醤油でも違うんだよね」
「関東と関西じゃ」
「それがラーメンでも出るね」
「どうしても」
「そうだよ、おうどんなんてね」
こちらのお料理だと、というのです。
「もっと出るからね」
「おつゆが真っ黒なんだよね」
「まるで墨汁みたいに」
「それで辛いんだよね」
「噂通りに」
「おうどん程でなくても」
それでもというのです。
「やっぱりね」
「出るよね、それが」
「ラーメンにもね」
「お醤油の味が」
「どうしても」
「そうなっているし」
東京のラーメンを食べて言いました、そして。
次に大阪のラーメンを食べてまたです、先生は言いました。
「うん、本当にね」
「大阪のラーメンは薄口だね」
「薄口醤油ね」
「その味がするんだね」
「そうだよ、やっぱり関西にいるとね」
それならというのです。
「このラーメンの味がね」
「合うんだね」
「先生にしても」
「薄口醤油のラーメンがいいね」
「辛いお醤油のそれよりも」
「そうなるよ、この味がね」
本当にというのです。
「しっくりくるよ」
「実際大阪ってラーメンも美味しいよね」
「そうそう、難波に色々なラーメン食べられる場所もあって」
「名店も多いし」
「金龍ラーメンだってあるし」
「大阪はラーメンも本場だね」
こうも言う先生でした。
「本当にね」
「全くだね」
「食べ比べてもわかるね」
「そのことがね」
「実にね」
「うん、東京のラーメンが駄目じゃなくて」
そうでなくて、というのです。
「僕の舌がね」
「関西の舌になってるんだよね」
「何しろ関西に住んでるから」
「それでだね」
「そうだよ、まあ関西は地域性が強くて」
それでというのです。
「味もね」
「それぞれの地域性があるね」
「大阪と京都でまた違うし」
「神戸だってそうだしね」
「けれど大阪にはよく行くしね」
このこともあってというのです。
「だからね」
「尚更だよね」
「先生は大阪の味に親しんでいて」
「こっちがしっくりくるね」
「何といっても」
「そうだよ、いい味だよ」
心から言う先生でした。
「このラーメンもね、じゃあ次は」
「どのラーメンかな」
「何を食べるのかな」
「それで」
「和歌山にするよ」
こちらだというのです。
「和歌山にも行ったけれど」
「高野山にね」
「あそこに行ったね」
「そうだったね」
「あの時も懐かしいね」
「色々学ばせてもらったね」
「そのことも思い出しながら」
そうしてというのです。
「和歌山のラーメンも食べるよ」
「それじゃあね」
「次は和歌山のラーメンで」
「そして他のラーメンもね」
「どんどん食べていくのね」
「そうするよ」
皆に笑顔で応えてでした。
先生は日本全国のラーメンを堪能しました、どれも一口サイズだったので本当に色々なラーメンを食べられました。
そして食べ終わってお家に帰ってから満足して言いました。
「最高だったよ」
「うん、そうだね」
「見ればわかる位だよ」
「先生堪能したね」
「日本全国のラーメンを」
「そうなったよ、しかしね」
そえでもという先生でした。
「日本って本当に全国にね」
「ラーメンあるよね」
「ご当地の」
「そうだよね」
「カレーとラーメンはね」
この二つのお料理はというのです。
「そうだね」
「そうそう」
「日本全国にあるよね」
「それぞれのラーメンがあって」
「カレーのお店もね」
「そうだね、それだけ日本人は好きなんだよ」
こうも言う先生でした。
「カレーとラーメンがね」
「それで日本全国にあって」
「皆食べてるわね」
「色々な種類のラーメンとカレーを」
「そうしてるね」
「そしてね」
そのうえでというのです。
「今日みたいな催しもね」
「行われるね」
「嬉しいことに」
「そうよね」
「そうだよ、本当に今日は満足したよ」
今もその気持ちをお顔に出して言うのでした。
「何よりだよ」
「うん、僕もかなり食べたよ」
王子も笑顔で言ってきました。
「本当にね」
「王子もだね」
「底国もないし」
アフリカのです。
「イギリスにもないからね」
「ラーメンはね」
「カレーはあるけれどね」
こちらはというのです。
「けれどね」
「うん、カレーもね」
「日本程種類ないしね」
「日本のカレーは独自進化がね」
「物凄いからね」
「だから別だよ」
イギリスのカレーとはというのです。
「本当にね」
「そうだよね」
「それでラーメンは」
このお料理にお話を戻しました。
「日本に入ってね」
「物凄く独特の進化を果たしたね」
「そうだよ、そしてね」
そのうえでというのです。
「今日食べて確かめたみたいに」
「ご当地ラーメンがね」
「沢山あるんだよ」
「そうだね」
「あの通りね、しかしね」
先生は考えるお顔になってこんなことも言いました。
「奈良県は天理ラーメンだったけれど」
「あのラーメンも美味しかったですね」
今度はトミーが応えました。
「独特の殻さがあって」
「そうだね」
「はい、それでもですね」
「うん、天理市といえばね」
奈良県のです。
「かなり独特な街で」
「天理教の街ですね」
「もう天理市といえば」
まさにというのです。
「天理教という位だよ」
「あの宗教の本拠地ですね」
「おぢばと言われてね」
「そうでしたね」
「うちの学園ひいては八条グループを経営している八条家の方々は天理教の信者さんなんだよね」
先生はこのことも言いました。
「八条町にある八条分教会のね」
「あの大きな教会ですね」
「あの教会は奥華っていう大教会の系列にあるんだ」
「大阪の八尾市にありますね」
「そう、天理教の本部の下に沢山の大教会があって」
「奥華はそのうちの一つで」
「それでね」
そのうえでというのです。
「八条分教会はね」
「奥華大教会の系列で」
「八条家の方々はね」
八条大学のある八条学園そして学園を経営している八条グループを動かしている人達はというのです。
「あの教会の信者さんで」
「八条大学もですね」
「天理教と縁が深いんだ」
「そうですね」
「勿論信仰は自由だけれど」
それでもというのです。
「宗教学部では天理教も学べてね」
「特別に天理教の教会長さんとかになれる課程もありますね」
「仏教の各宗派、神道、カトリックやプロテスタントの聖職者になれる課程もあって」
「天理教もですね」
「イスラムの法学者になれる課程もあるしね」
「宗教学部はそうなっていて」
「学園の中には」
敷地内にはというのです。
「お寺や神社、カトリックやプロテスタントの教会もあるね」
「イスラム教のモスクも」
「そして天理教の教会もね」
「ありますね」
「そうした充実がね」
宗教面のというのです。
「うちの学園の特徴の一つだよ」
「そうですね」
「神仏はこの世におられて」
そしてというのです。
「人とはね」
「切っても切れないですね」
「そうした間柄にあるから」
「宗教は否定出来ませんね」
「そう、そして天理市はね」
この街はといいますと。
「本当にね」
「天理教の街ですね」
「けれどね」
「ラーメンもありますね」
「そうだね、一度ね」
こうも言う先生でした。
「あの街に行ってね」
「ラーメンを召し上がられますか」
「そしてね」
そのうえでというのです。
「天理教のこともね」
「学ばれたいですか」
「そうも考えているよ」
「そうですか」
「天理教の学問の施設は充実していて」
こちらのお話もするのでした。
「図書館も博物館も凄いんだ」
「そういったものもですか」
「かなりのレベルで」
図書館も博物館もというのです。
「蔵書や展示品がね」
「凄いんですね」
「だからそういったものもね」
「観られたいんですね」
「だからね」
そう考えているからだというのです。
「機会があればね」
「天理市にですね」
「行きたいよ」
こう言うのでした。
「本当にね」
「そうですか」
「そして」
さらに言う先生でした。
「宿泊施設も充実してるんだよね」
「あっ、そうみたいだね」
「天理市ってね」
チープサイドの家族が先生のお言葉に思い出したみたいに言ってきました。
「それぞれの大教会の詰所があって」
「そこに住めるんだよね」
「何か一泊千円食費二百五十円でね」
ガブガブはお金のお話をしました。
「利用させてもらえるのよね」
「へえ、結構以上に安いね」
老馬はガブガブのお話を聞いて少し驚きました。
「それはまた」
「お風呂もあるんだよね」
このことはチーチーが言いました。
「それで千円って安いね」
「二百五十円でご飯おかわり自由なんだよね」
食いしん坊のダブダブらしい目のつけどころでした。
「これかなりいいよ」
「じゃあ天理市に行ったらね」
その時はと言うホワイティでした。
「利用させてもらったらいいね」
「駐車場も充実してるらしいし」
このことはトートーが言いました。
「尚更いいね」
「詰所にはいつも人がいてくれるらしいし」
ポリネシアはこのことを言いました、
「何かあったらお話出来るわね」
「いや、そんないい場所があるなら」
「天理市最高だね」
オシツオサレツは二つの頭で言いました。
「滞在に持って来いだよ」
「本当にね」
「じゃあ機会があれば」
それならと言うジップでした。
「天理市に行ったら利用させてもらおう」
「そうさせてもらおうか」
先生も真剣に検討しています。
「天理市に行ったら」
「それじゃあね」
「その時は僕達も一緒だよ」
「いつも通りね」
「一緒に学んでね
「一緒に天理市を楽しみましょう」
「そうしようね、当然ラーメンもね」
またこちらのお話をしました。
「楽しもうね」
「是非ね」
「それは欠かせないね」
「天理市に行ったら」
「何といっても」
「そしてカレーもね」
このお料理もというのです。
「楽しもうね」
「あれっ、カレーも有名なんだ」
「天理市ってそうなの」
「ラーメンだけじゃなくて」
「カレーもあるの」
「そうなんだ、天理教の中で作っているカレーで」
それでというのです。
「天理教の詰所や食堂で出してくれるんだ」
「へえ、そうなんだ」
「そんなカレーがあるんだ」
「天理市には」
「そうだったんだ」
「こちらも有名でね」
それでというのです。
「美味しいよ」
「それでお値段は幾らですか?」
トミーはこのことを尋ねました。
「カレーは」
「天理教のお料理だから」
「二百五十円ですか」
「ちなみに食事代は無料にもなるよ」
このこともお話する先生でした。
「天理教にはひのきしんってあるね」
「八条大学でもよく行われてますね」
「簡単に言うとボランティア活動だね」
「そちらをするとですか」
「天理教の中の食事代はね」
それはというのです。
「無料になるんだ」
「それじゃあカレーもですね」
「ひのきしんをさせてもらうならね」
それならというのです。
「無料でね」
「食べられますか」
「そうなんだ」
こう言うのでした。
「これがね」
「そうですか」
「そしてね」
そのうえでというのです。
「天理市ではカレーも有名だから」
「行く機会があれば」
「食べたいね」
こちらもというのです。
「本当にね」
「じゃあラーメンにですね」
「カレーをね」
その両方をというのです。
「食べようね」
「それじゃあ」
「ちなみに僕行ったことあるよ」
ここで王子が笑って言ってきました。
「天理市にね」
「そうだったね、王子は」
「本当に独特の街なんだ」
「天理教の」
「詰所とか瓦の建物で」
それでというのです。
「神殿は檜造りで畳の完全な日本のもので」
「神道の神社とはまた違うね」
「お屋敷にも似た趣で」
「見ていてだね」
「凄く神秘的な気持ちになれて」
そしてというのです。
「黒く大きな門もあって天理大学とかの学校もね」
「あるね」
「野球や柔道やラグビーや吹奏楽で有名な」
「天理高校だね」
「あの学校もあるよ」
「あちこちに詰所もあって」
「凄く独特な街だよ」
こうお話するのでした。
「天理教のものを売っているお店もあって」
「黒い法被の人が多いね」
「そうそう、天理教の法被だね」
「あの法被がね」
先生は微笑んでお話しました。
「うちの大学でも着ている人いるけれど」
「天理教のトレードマークだね」
「ぞうなんだよね」
こう言うのでした。
「背中に天理教って書いてあって」
「襟のところに所属とか書いてるね」
「それでわかるんだよね」
「何かとね、そうしたものもね」
先生は微笑んでお話しました。
「見たいし」
「天理市にだね」
「一度行きたいね」
「そのこと適うといいね」
「うん、天理市ってね」
本当にと言う先生でした。
「魅力的な街だよ」
「一度奈良県には行ったけれどね」
「それでもね」
「また行きたいしね」
「その時は天理市だね」
「あの街に行くんだね」
「そうしようね、そしてね」
そのうえでというのです。
「ラーメンにカレーを食べて」
「色々見て学んで」
「楽しむね」
「そうするのね」
「是非ね」
皆にも笑顔で応えます。
「そうさせてもらうよ」
「そうしたらいいよ」
「先生がしたい様にね」
「先生がすることって学問とかお食事とかでね」
「悪いものないしね」
「是非したらいいわ」
「僕は学問と美味しいものと皆があったら」
それならというのです。
「もうそれでね」
「満足よね」
「お家とお仕事もあるから」
「だからだね」
「うん、充分過ぎる位ね」
そこまでというのです。
「僕は幸せだよ」
「そうなんだね」
「それじゃあだね」
「先生としてはだね」
「これ以上はないっていうんだね」
「うん、そうだよ」
まさにというのです。
「まして僕はギャンブルとかしないね」
「全くね」
「先生そっちの趣味ないね」
「トランプとかでもお金賭けないし」
「そうした遊びしないね」
「弱いしね」
ギャンブルはというのです。
「それに賭けること自体が」
「先生好きじゃないしね」
「だからギャンブルしないね」
「そうだね」
「ああしたことの何がいいのか」
首を傾げさせてです、先生は言いました。
「僕には全くね」
「わからないよね」
「僕達もそうだよ」
「トミーも王子もだね」
「ギャンブルしないね」
「それも全く」
「うん、ここにいる誰もがね」
それこそと言った先生でした。
「ギャンブルとは縁がないね」
「あんなことして何かいいことあるのかな」
「お金の無駄遣いだよね」
「ただそれだけよね」
「どう考えても」
「ロシアの文豪ドフトエフスキーさんは無類のギャンブル好きでね」
この人のお話もするのでした。
「もう暇さえあったらね」
「ギャンブルしてたんだ」
「あの人は」
「凄く神妙なイメージあるけれど」
「ギャンブル大好きだったの」
「もうギャンブル狂と言っていい位で」
そこまでだったというのです。
「かなり問題もね」
「起こしてるんだ」
「あの人は」
「そうだったんだね」
「うん、僕はそのお話聞いてどうかと思ったし」
ドフトエフスキーさんのそれがとです。
「尚更ね」
「ギャンブルはしないね」
「先生は興味ないし」
「ギャンブルは絶対にしないで」
「無駄にお金は使わないわね」
「そうだよ、それで身を持ち崩すなんて」
そうしたことはというのです。
「僕にとっては全くだよ」
「理解出来ないよね」
「どうしてそんなことするか」
「破産したりするまでするか」
「どうにも」
「依存症の人もいるけれどね」
ギャンブルに対してです。
「そうした中毒性はね」
「あるね」
「人によっては」
「そうだね」
「賭けてどうなるかっていうスリルと」
そしてというのです。
「勝った時の喜びがね」
「たまらなくて」
「それでだね」
「ギャンブルするんだね」
「依存するまで」
「そうみたいで麻薬とね」
これと、というのです。
「どうもね」
「似てるんだ」
「依存症ってことは」
「そうなんだ」
「そう、それでね」
その為にというのです。
「どうもね」
「依存症に陥って」
「中々抜け出せない」
「そんな人がいるのね」
「何処でもね」
それこそというのです。
「それで問題にもなっているよ」
「社会問題だよね」
「このことも」
「そのうちの一つよね」
「そうだよ」
まさにというのです。
「これがね、僕にはわからないけれど」
「スリルと中毒性があって」
「それでだね」
「依存症になる人もいるね」
「そうだね」
「だからね」
それでというのです。
「僕も医者だから」
「それでだよね」
「先生も診てるね」
「そして治療についても考えているね」
「そうしているね」
「自分が理解出来なくても」
それでもというのです。
「知識をして知っていて」
「それで治療する」
「それもお医者さんだね」
「どうしてそんなことするのか理解出来なくても」
「それでもだね」
「治療すべき時はね」
まさにそうした時はというのです。
「ことにあたるのがね」
「お医者さんだね」
「そして先生はお医者さんだから」
「それでだね」
「これからもそうした人と出会ったら」
その時はというのです。
「治療するよ」
「ギャンブル依存症の人も」
「先生はギャンブルしないから理解出来ないけれど」
「何がいいのか」
「けれどどうしてそうなるかはわかっているから」
「スリルと勝った時の喜びがあるってね」
このことはというのです。
「僕も知っているから」
「知識がある」
「だからよね」
「そうした人が前にいて」
「助けて欲しいなら」
「助けさせてもらうね」
「そうさせてもらうよ」
是非にと答えた先生でした、そしてこのことを心にも誓うのでした。