『ドリトル先生とラーメン』
第四幕 最初のラーメン
先生は研究室で論文を書いています、そうしつつミルクティーを飲んでから動物の皆に言いました。
「皆最初のラーメンは何か知ってるかな」
「最初?」
「最初のラーメン?」
「そういえば考えたことなかったよ」
「そうよね」
皆言われてきょとんとなりました。
「最初のラーメンねえ」
「明治維新の頃じゃないの?」
「その頃に中国から入って」
「それで出来たんじゃないかしら」
「うん、確かにそれで定着してね」
先生はまさにと答えました。
「西では中華そば、東では志那そばと言われる様になったんだ」
「志那って中国のことだね」
「清から暫くそう呼ばれていたのよね」
「始皇帝の秦がなまって」
「それでだね」
「インドシナ半島とか東シナ海とか地名でもあるね」
こちらのお話もした先生でした。
「そうだね」
「そうそう、あるね」
「あのシナも中国だね」
「そうだね」
「それで英語のチャイナも」
この呼び名もというのです。
「秦からきているし」
「志那と同じだね」
「そう考えていいね」
「お茶からきてるとも聞いたことあるけれど」
「うん、お茶は中国の重要な輸出品だったからね」
このことについても言う先生でした。
「そのこともね」
「あるね」
「それでチャイナはお茶からもきている」
「そう思ってもいいね」
「日本の英語名ジャパンも漆からきているという説があるね」
このことも言う先生でした。
「漆は日本の特産だったからね」
「つまり漆の国」
「中国はお茶の国で」
「それぞれそう呼ばれていたんだね」
「一説には」
「そうだよ、それで志那というのはね」
先生はまたこの呼び名についてもお話しました。
「差別用語ではという人もいるけれど」
「実は違うんだね」
「普通の呼び名だね」
「そうだね」
「戦前の文学作品を読んだら普通に使われているよ」
志那という呼び名はというのです。
「至ってね」
「その中には中国文化に親しんでる人もいるよね」
「夏目漱石さんだって漢文読めたし」
「伊藤博文さんだって漢詩作ってたね」
「あの人詩人でもあって」
「そして東京外国語大学中国語学科はね」
大学のお話もしました。
「志那語学科だったんだ」
「その名前だったんだ」
「戦前は」
「そうだったんだ」
「最初は清語学科でね」
その名前でというのです。
「清王朝が倒れて」
「志那語学科になったんだ」
「名前が変わったのね」
「そうなのね」
「まさか国立大学の名前に差別用語は使わないね」
先生はこのことを指摘しました。
「そうだね」
「それはないよね」
「公のものに差別用語を使うとか」
「タブロイドじゃあるまいし」
「それはないね」
「だからね」
それでというのです。
「志那というのは差別用語じゃないよ」
「そのことを覚えておくことだね」
「やっぱり」
「志那っていうのは差別用語じゃない」
「そうだって」
「そうだよ、それとね」
それにというのです。
「永井荷風さんはこの東京外国語大学のね」
「志那語学科に在籍していたんだ」
「そうだったのね」
「明治から昭和の文豪で」
「耽美派で有名だね」
「最初は清語学科で」
その名称でというのです。
「後に志那語学科在籍とあるよ」
「成程ね」
「そうだったんだね」
「あの人は」
「そのことからもわかるんだ」
志那という名称が差別用語でないことはです。
「学んでいるとね」
「成程ね」
「いい勉強になるね」
「志那は差別用語じゃない」
「このこともね」
「それで関東の方のラーメンの昔の呼び名のね」
それのというのです。
「志那そばもね」
「差別用語じゃない」
「そうなんだね」
「こちらも」
「そうなんだ、そして最初のラーメンはね」
こちらにお話を戻しました。
「江戸時代にあったんだ」
「へえ、江戸時代なんだ」
「その頃なんだ」
「いや、意外ね」
「その頃に入っていたなんて」
「徳川光圀さん、水戸黄門さんがね」
この人がというのです。
「明、その頃には王朝が清に変わっていたけれどその王朝の頃に日本に来た学者さんからお話を聞いて」
「それでなんだ」
「ラーメンを作ったんだ」
「そうしたのね」
「そうなんだ、文献を紹介してもらって」
その学者さんにというのです。
「それを元にね」
「ラーメンを作って」
「それで食べていたんだ」
「黄門さんが」
「そうだよ、あの人は好奇心旺盛な人で」
それでというのです。
「チーズとかも作らせて食べていたけれど」
「ラーメンもなんだ」
「それも作ってもらって食べてたんだ」
「そしてそれがなんだ」
「日本で最初のラーメンなんだ」
「そうなんだ、あの人がね」
水戸黄門さんがというのです。
「最初にラーメンを作らせてね」
「食べた人なんだ」
「時代劇で有名なあの人が」
「そうだったんだね」
「そうだよ、ただね」
それでもというのです。
「今のラーメンとはかなりね」
「違うんだ」
「黄門さんが食べていたラーメンは」
「そうなんだね」
「そうだよ、そしてそのラーメンをね」
先生はさらにお話しました。
「黄門さんは城下町にお店を出してね」
「ご自身だけじゃなくてなんだ」
「民の人達にも食べさせたんだ」
「そうだったんだ」
「この人は自分が食べて美味しいならね」
それならというのです。
「そうしてお店を出してね」
「民の人達にも食べさせて」
「それで一緒に美味しい思いをしたんだ」
「そうなんだ」
「諸国漫遊は時代劇だけれど」
こちらのお話だけれど、というのです。
「ある石がどれだけ大きいか掘って調べたり妖怪が出るという場所に行ったりね」
「好奇心旺盛な人だったんだね」
「そんな人だったのね」
「それでラーメンも食べたんだ」
「そうなんだ」
「そうした人なんだ、学問と武芸も好きで」
その二つがというのです。
「善政も敷いたね」
「そうした人だったのね」
「時代劇だと諸国漫遊してるけれど」
「それでもなんだ」
「あの人はそうだったんだ」
「そうだよ、それで最初のラーメンもね」
それもというのです。
「この人がはじまりだったんだ」
「いや、凄い勉強になったわ」
ポリネシアは心から言いました。
「本当にね」
「そうだね、最初のラーメンのことがね」
ダブダブはしきりに頷いています。
「よくわかったよ」
「まさか黄門さんが関わってるなんて」
老馬も言います。
「思わなかったよ」
「明治の頃からと思ったら」
「江戸時代だったのね」
チープサイドの家族は時代のお話をしました。
「それも黄門さんだとね」
「江戸時代の結構最初の頃ね」
「大体江戸幕府が成立して七十年か八十年位?」
トートーはその頃かと考えました。
「それ位の頃かな」
「そう思うとかなり前だね」
ジップはトートーの言葉に応えました。
「今から見ると」
「江戸時代って言っても長いからね」
ホワイティは江戸時代の期間のお話をしました。
「二百六十年以上あるから」
「それだけあってその中で前期位ね」
ガブガブははっきりとした声で言いました。
「それ位ね」
「そうだね、今から見て三百数十年前だね」
チーチーは言いました。
「イギリスだと名誉革命から少し後かな」
「そう思うと古いね」
「ラーメンの歴史もね」
オシツオサレツは二つの頭で言いました。
「三百年の歴史があるんだ」
「明治維新の頃からじゃなくて」
「そうなるね、僕も学んでいて驚いたよ」
先生もというのです。
「ラーメンの最初はそうだったってね」
「黄門さんがはじめて食べて」
「その頃からのもので」
「三百年以上の歴史がある」
「そうしたものだって」
「意外だったよ、けれど本当に今のラーメンとは違っていて」
黄門さんが食べたラーメンはというのです。
「再現もされてるけれど」
「いや、再現って」
「それも凄いよ」
「三百年以上前のお料理を再現って」
「それもまたね」
「そのことも凄いね、そしてね」
先生は皆にさらにお話しました。
「再現してみたらね」
「今のラーメンとは違うんだね」
「僕達が食べている様な」
「そんなものじゃないんだ」
「そうなんだ」
これがというのです。
「本当にね」
「成程ね」
「昔と今でお料理は違ったりするけれど」
「ラーメンもなんだ」
「今と昔で違って」
「黄門さんのラーメンは違うんだ」
「今のラーメンは豚骨や鳥ガラでスープのダシを取って」
そうしてというのです。
「お醤油やお味噌で味付けしてるね」
「そして麺は小麦粉で」
「かんすい使うね」
「そこにチャーシューやお葱やもやしを乗せる」
「それが今のラーメンだね」
「そうだね、けれどね」
それがというのです。
「黄門さんのラーメンは色々とね」
「違うんだ」
「今のそうしたラーメンとは」
「また違うんだ」
「中国の拉麺とも違っていて」
それでというのです。
「独特のものなんだ」
「成程ね」
「いい勉強になったよ」
「今回のこともね」
「先生のお話はいつもいい学問だけれど」
「ラーメンのこともそうだよ」
「そう思ってくれたら僕も嬉しいよ」
笑顔で応える先生でした。
「それならね、ただね」
「ただ?」
「ただっていうと?」
「このラーメンを食べたいってね」
その様にというのです。
「僕としてはね」
「思うんだ」
「そうなんだ」
「先生としては」
「実際に食べてみるのも学問だから」
その一環だというのです。
「だからね」
「それでだね」
「先生も食べたいのね」
「そのラーメンを」
「黄門さんが食べたラーメンをね、それが出来るしね」
それ故にというのです。
「文献が残っているしね」
「どういったレシピか」
「それをだね」
「ちゃんと残っていて」
「再現出来るから」
「それで水戸の方では出してくれるお店があるんだ」
そのラーメンをというのです。
「だから一度水戸に行くか」
「再現するか」
「こちらで」
「どうするかだね」
「そこを考えようかな、今水戸に行く予定はないしね」
そのラーメンを食べられるお店にです。
「実は」
「そうだよね」
「ここ暫く何処かに行く予定なくて」
「水戸にもだね」
「行く予定ないね」
「だからね」
それでというのです。
「水戸に行くことはね」
「ないね」
「わざわざラーメン食べに行くにもね」
「この神戸から水戸まで遠いよ」
「どうにもね」
「だからだよ」
先生ご自身も言います。
「僕としてもね」
「行けないよね」
「わざわざね」
「遠いから」
「どうしても」
「ラーメンを食べる為だけにね」
まさにそれだけでというのです。
「神戸から水戸までって」
「新幹線を使っても結構時間かかるし」
「日帰りで行けても」
「新幹線もお金かかるしね」
「運賃がね」
「そうしたことも考えると」
どうにもというのです。
「行きにくいよ」
「全くだね」
「じゃあ水戸に行く機会があれば食べてみるか」
「こっちで再現するか」
「どちらかだね」
「そうなるね、ただね」
さらに言う先生でした。
「本当に食べてみたいとはね」
「思ってるね」
「先生も」
「そうだね」
「そう思ってるよ」
まさにという先生でした、そうしたお話をしてです。
お昼まで学問に励んでその後でお昼ご飯となりましたが。
「今日はラーメンじゃないね」
「最近ラーメンのお話よくして食べてもいるけれど」
「それでもね」
「うん、それはね」
どうしてもというのです。
「今は止めておくよ、ラーメンばかり食べてもね」
「偏食でね」
「よくないよね」
「そちらも」
「それで今は鯖味噌定食だよ」
こちらを食べているというのです。
「美味しいよ」
「そうだね」
「鯖味噌定食もいいわね」
「このお料理もね」
「美味しいから」
「ラーメンだけでなくて」
他にもというのです。
「食べてこそね」
「いいね」
「栄養バランスもよくて」
「それで色々な味も楽しめる」
「そうだからね」
「今日のお昼はこちらだよ」
その鯖味噌定食を前にして言うのでした。
「それで夜はね」
「トミーが作ってくれた晩ご飯を食べる」
「今夜は麻婆豆腐だって言ってたわ」
「じゃあそれを食べてね」
「楽しみましょう」
「そうしようね、麻婆豆腐もいいね」
このお料理もというのです。
「本当に」
「そうだよね」
「美味しいし栄養があるから」
「お豆腐だしね」
「とてもいいね」
「お豆腐も好きになったよ」
先生は笑顔で言いました。
「日本に来てからね」
「イギリスでも日本料理店で出て」
「中華街でも食べられるけれど」
「基本アジアの食べものなのよね」
「日本とか中国の」
「元々中国の食べものでね」
お豆腐はというのです。
「日本に伝わって」
「僕達も食べてるね」
「それも美味しく」
「そうしてるわね」
「そうだよ」
その通りだというのです。
「まさにね」
「そうだよね」
「じゃあお昼はそれ食べて」
「鯖味噌定食を」
「夜は麻婆豆腐」
「そうしましょう」
「是非ね、それとね」
さらに言う先生でした。
「お豆腐はお酒にも合うんだよね」
「そうなんだよね」
「あっさりしていてね」
「冷奴でも湯豆腐でも合うし」
「麻婆豆腐でもね」
「お酒に合うんだよね」
お豆腐のこのことについてもお話するのでした。
「そのことも嬉しいよ」
「それで今日はだね」
「麻婆豆腐をおかずにして」
「お酒のおつまみにもする」
「そうするんだね」
「そのつもりだよ、お酒は紹興酒だね」
このお酒だというのです。
「そちらになるね」
「中国のお酒だね」
「中華料理で」
「その組み合わせだね」
「それでいくんだね」
「そうさせてもらうよ、お酒も色々飲めると」
それならというのです。
「尚更幸せになれるね」
「そうだよね」
「ウイスキーやビールだけじゃなくてね」
「その都度色々なお酒飲めたら」
「その分幸せね」
「そうだよ」
こう言うのでした。
「本当にね」
「イギリスにいた頃はね」
「あの時も結構あったけれどね」
「お酒はね」
「ただ日本酒とか焼酎とかね」
「紹興酒もだね」
「あまりなくてね」
それでというのです。
「今はそのことも嬉しいよ」
「そうだよね」
「じゃあ今晩はお豆腐だね」
「麻婆豆腐食べるね」
「そうするね」
「是非ね」
こう言ってでした。
先生はこの夜はトミーが作ってくれた麻婆豆腐でご飯を食べてから紹興酒を楽しみました、ぴりりと辛いそのお豆腐を食べてです。
先生は紹興酒をロックで飲んでトミーに言いました。
「いいね、この組み合わせも」
「麻婆豆腐と紹興酒も」
「とてもね、ただね」
「ただ?」
「いや、このお豆腐は日本のものだね」
こう言ったのでした。
「そうだね」
「はい、そうですが」
「お豆腐も国によって違うからね」
「中国のお豆腐ってもっと硬いですよね」
「お水の関係でね」
使っているそれのというのです。
「そうだね」
「アメリカで食べてもそうでしたね」
「硬水を使うとね」
お豆腐のお水にです。
「そうするとだよ」
「お豆腐も硬くなりますね」
「そうだよ」
そうなるというのです。
「お豆腐はその殆どがお水だからね」
「そうなりますね」
「うん、それでね」
「中国の麻婆豆腐はもっと硬いですね」
「それはそれで美味しくて」
「日本のものもですね」
「今食べてね」
にこにことしてです、先生はトミーに言いました。
「そのことを実感しているよ」
「そうですよね」
「そして紹興酒を飲んで」
ロックのそれもお口に入れます。
「そうしてね」
「尚更ですね」
「美味しく感じるよ」
「沢山作ってよかったですよ」
トミーもにこりとして応えました。
「おつまみにもしてくれて」
「美味しくて栄養があってね」
「いいお料理ですね」
「そう思うよ」
「関西はお水がいいんで」
それでとです、トミーは言いました。
「お豆腐もいいですね」
「京都なんかそうだね」
「あちらは有名ですね」
「お水は大事だよ」
「お料理にも」
「麺類だってね」
こちらの食べものもというのです。
「お水が大事だよ」
「よく言われますね、そのことも」
「うん、だからラーメンもね」
今先生がよくお話しているこのお料理もというのです、とはいっても今はテーブルの前にラーメンはありません。
「何といってもね」
「お水ですね」
「これ次第でだよ」
「かなり変わりますね」
「そうだよ」
こう言うのでした。
「やっぱりね」
「そうですね」
「だから若し同じラーメンを作っても」
そうしてもというのです。
「例え同じ作り方でも」
「日本と中国ではですね」
「お水が違うからね」
「味が違いますね」
「そうだよ」
こうトミーに言うのでした。
「本当にね」
「そうですね」
「だからね」
それでというのです。
「そのこともね」
「覚えておくことですね」
「そうしたらいいよ、ただね」
「ただ?」
「いや、どちらが美味しいかは」
「また別ですか」
「それぞれ美味しいよ」
こう言うのでした。
「僕は中国にも行ってね」
「麺を食べてきましたね」
「そうしたら美味しい麺ばかりだったからね」
それでというのです。
「日本のものにもね」
「負けていないですね」
「流石麺の発祥の国だけあるよ」
こうまで言う先生でした。
「中国はね」
「そのことは大きいですね」
「うん、昔からそれぞれの地域で色々な麺を作って来ただけあって」
「美味しいですね」
「イタリアのパスタもいいけれど」
「やっぱり麺とくれば中国ですね」
「そうなるよ」
トミーに笑顔で答えました。
「本当にね」
「そうですか」
「そして日本の麺も」
また麻婆豆腐を食べて言いました。
「いいね」
「中国の麺もよくて」
「最近ラーメンの話をよくするけれど」
それでもというのです。
「おうどんやお蕎麦もね」
「いいですね」
「焼きそばだってね」
こちらもというのです。
「いいね」
「ああ、焼きそばもいいですね」
「焼きそばを食べてビールを飲む」
先生はとても楽しそうに言いました。
「こちらもいいね」
「先生そっちも好きだよね」
「焼きそばもね」
「それで結構食べてるね」
「カップ焼きそばも」
「インスタントラーメンはそれも生み出したんだよ」
先生は動物の皆に笑顔で応えました。
「カップ焼きそばもね」
「言うならインスタントラーメンの亜種だね」
「カップ焼きそばってそうなるね」
「カップ麺のお湯を捨ててそこにおソースをかける」
「そうしたものだね」
「そうだよ、これがまたね」
実にというのです。
「美味しくてね」
「先生も好きだね」
「カップ焼きそばも食べるね」
「それで一杯」
「そうした風にも楽しむね」
「時にはね、普通の焼きそばだってね」
こちらもというのです。
「いいしね」
「そうそう、それもまたね」
「いいよね」
「僕達も食べるけれどね」
「いけるよ」
「大阪に行くと」
賑やかなこの街にというのです。
「よく食べられるね」
「というか大阪名物?」
こう言ったのは老馬でした。
「焼きそばは」
「お好み焼き、たこ焼き、串カツと並んでね」
ポリネシアも言います。
「大阪名物かしら」
「豚まん、アイスキャンデーもあって」
ホワイティはこうしたものも出しました。
「麺だときつねうどんと並ぶね」
「勿論日本のあちこちに焼きそばあるけれど」
それでもと言うトートーでした。
「やっぱり大阪かな」
「大阪って味だね」
「焼きそばってね」
チープサイドの家族もこうしたお話をします。
「そうよね」
「そんな味だね」
「おソースを利かして」
そしてと言うジップでした。
「思い切りコテコテの味にするんだよね」
「お好み焼き屋さんには絶対にあるね」
「もうセットだよ」
オスチオサレツは今回も二つの頭で言いました。
「何といってもね」
「外せないよ」
「マヨネーズもかけるのよ」
ガブガブはこちらもと言いました。
「そうしたらもっとコテコテの味になるわ」
「何かそうしたお話したら」
それならとです、チーチーは先生を見て思いました。
「先生も食べたくなるかな」
「先生今麻婆豆腐食べてるけれど」
ダブダブも先生を見ています。
「どうかな」
「悪くないね、ただ僕は明日またラーメンを食べたくなったよ」
先生は皆に笑顔で答えました。
「論文を書く際の参考にしている文献を読んでね」
「そうなんだ」
「焼きそばじゃなくてラーメンなんだ」
「今の先生は」
「豚骨ラーメンをね」
こちらのラーメンをというのです。
「食べたくなったよ」
「ああ、あの白いスープの」
「博多のラーメンだね」
「言わずと知れた」
「大学の食堂でもあるから」
そのラーメンはというのです。
「だからね」
「それでだね」
「じゃあ明日のお昼はそのラーメンね」
「豚骨ラーメン食べるのね」
「麺は細い麺でね」
そちらでというのです。
「いただくよ」
「いいね、それも」
「まさに九州って感じで」
「神戸にいてもね」
「そのラーメンを食べるのね」
「そうするよ、その時ばかりはね」
先生は笑ってこうも言いました。
「タイガースじゃなくてホークスになるね、僕も」
「あっ、九州っていうとね」
「まさにホークスだからね」
「しかもあのチーム本拠地福岡で」
「まさに博多がある場所だから」
「野球だとそうなるわね」
「だからね」
それが為にというのです。
「明日のお昼はね」
「ホークスだね」
「タイガースでなくて」
「あのチームになるのね」
「そういえば」
ここでトミーが自分のグラスに紹興酒を入れる先生に言いました。
「ホークスは元々は」
「あのチームは?」
「大阪が本拠地でしたね」
「そうだよ、難波の大阪球場がね」
「そうでしたね」
「まさにね」
先生も答えます。
「大阪のチームだったんだ」
「そうでしたね」
「阪神は本社は野田阪神にあってね」
「大阪ですね」
「けれど球場は西宮にあるから」
甲子園球場はです。
「大阪のチームでもね」
「球場は西宮ですね」
「そうしたチームだけれど」
それでもというのです。
「ホークスはかつてはね」
「正真正銘の大阪のチームでしたね」
「親会社が鉄道会社で」
「南海ホークスでしたね」
「最初はね、それがね」
その歴史があってというのです。
「親会社がダイエーになって」
「九州に本拠地を移転して」
「そしてね」
そのうえでというのです。
「今もね」
「本拠地はあちらですね」
「そうだよ」
そうなっているというのです。
「親会社がソフトバンクになってもね」
「そうですね」
「そうした歴史があるんだ」
「じゃあラーメンも」
「その頃は金龍ラーメンかな」
「難波に何店舗もある」
「あのラーメンかな」
「あのラーメンも豚骨ラーメンですね」
トミーは笑って言いました。
「そうですね」
「そうだね、麺は違うけれど」
「そうですね」
「あちらもね」
「それでよく食べられてますね」
「そうだね」
「立って食べることも出来ますし」
金龍ラーメンはというのです。
「独特の風情がありますね」
「大蒜やキムチは入れ放題で」
「そのことも嬉しいですね」
「韮だってね」
こちらもというのです。
「薬味としてね」
「あのラーメンも大阪名物だよね」
「言わずと知れた」
「いやあ、大阪名物って多いね」
「流石食い倒れの街だね」
皆も言います。
「そして明日はね」
「九州風の豚骨ラーメンだね」
「お昼に食べるのね」
「そうするんだね」
「是非ね」
こう言ってでした。
先生はこの日は麻婆豆腐と紹興酒を楽しみました、そしてそのうえで次の日のお昼に実際になのでした。
博多風の細い麺の豚骨ラーメンを食べました、すると。
「いやあ、いいね」
「美味しいよね」
「博多の豚骨ラーメンも」
「白いスープに細い麺」
「その組み合わせもね」
「最高にね」
実にというのです。
「いいよ」
「そうだよね」
「それじゃあだね」
「今日のお昼はこれだね」
「堪能するのね」
「おかわりもして」
そしてというのです。
「楽しむよ」
「ああ、替え玉だね」
「それもするね」
「後で」
「おかわりで」
「そうするよ、まさに博多風でね」
それでというのです。
「楽しむよ」
「いいね、それも」
「じゃあ楽しんでいこう」
「そうしていこう」
「そうするよ、しかしね」
先生はその細い麺をすすりつつこうも言いました。
「濃厚な豚骨スープにね」
「細い麺が合うよね」
「いい組み合わせだよね」
「とてもね」
「そう思うよ、金龍ラーメンもいいけれど」
それでもというのです。
「博多のこの組み合わせもね」
「いいよね」
「それじゃあだね」
「どんどん食べてくね」
「替え玉もしていって」
「そうするよ、ホークスもいいね」
笑顔でこうも言った先生でした。
「タイガースもよくて」
「そうだよね」
「あのチームも魅力あるよね」
「阪神とはまた違った魅力がね」
「それがあるね」
「僕は阪神が好きだよ」
何といってもというのでした。
「日本に来て野球を知って」
「それでだよね」
「阪神というチームも知って」
「すぐに大好きになったね」
「あのチームの魅力を知って」
「華があるね」
阪神にはというのです。
「そうだね」
「そうそう、何があってもね」
「それが絵になるんだよね」
「しかも華がある」
「阪神ってそんなチームなのよ」
「どんな勝ち方負け方でも」
それでもというのです。
「阪神はね」
「それが絵になって華があって」
「見事なんだよね」
「例え何があってもそうとか」
「そんなスポーツチームそうそうないから」
「これが巨人だとね」
全人類普遍の敵であり邪悪そのものと言っていいこのチームはというのです。
「勝ったらね」
「絵にならないよね」
「妙に違和感あるんだよね」
「巨人が勝ってもね」
「そうなっても」
「負けてね」
そうなってこそです。
「巨人は絵になるよね」
「そうそう、凄くね」
「巨人は負けてこそだよ」
「それも無様に負ける」
「それが巨人にとって絵になるんだね」
「巨人には無様な負けがよく似合う」
先生はこの言葉も出しました。
「よく言われるね」
「その通りだしね」
「巨人は負けないとね」
「恰好悪くて恥ずかしくて情けなくて無様でみっともない」
「それこそ巨人だよ」
「マイナスこそ似合っているよね」
「プラスの要素はね」
先生はラーメンの麺についているスープの味も楽しみつつゥ言いました。
「全くだよ」
「巨人には似合ってないよね」
「本当に悪いことしかしないしね」
「そんなチームだしね」
「巨人は恰好悪い」
「そうでないとね」
「うん、似合わないよ」
こう言うのでした。
「あのチームはね」
「昨日横浜に負けたよね」
「それも完全試合、十四点差で」
「毎年完全試合負けしてるけれど」
「今年も達成したね」
「今年も最下位間違いなしだよ」
先生は断言しました。
「あれではね」
「うん、二十年連続でね」
「それもずっと勝率一割台だし」
「巨人はああでないとね」
「駄目だよね」
「そうだよ、阪神は何があっても絵になってね」
そうしてというのです。
「巨人はね」
「負けて恰好悪くて」
「それでこそ絵になる」
「それが巨人だね」
「まさに」
「そして巨人が負けると」
そうなると、というのです。
「世の中いいね」
「そうそう、巨人が負けるの見て皆頑張って」
「会社の業績も上がって」
「いいんだよね」
「勉強も頑張るしね」
「日本での頑張りが世界にも影響してね」
そうなってというのです。
「世界も元気になるから」
「巨人は負けないとね」
「これからもずっとね」
「未来永劫最下位でないと」
「弱くて恥ずかしくてみっともなくて情けない巨人でないと」
「駄目なんだよ」
先生はまた断言しました。
「あのチームはね」
「そうだよね」
「ずっと偉そうにしていてね」
「やりたい放題してきたし」
「お金や権力を横暴に使って」
「酷いことばかりしてきたから」
「あれこそ本物の悪だよ」
先生は言い切りました。
「それも腐敗しきったね」
「そうだよね」
「巨人って親会社がマスコミだけれど」
「マスコミが実はどんなものか」
「そのこともわかるね」
「情報が集まるね」
マスメディアについてもです、先生はお話しました。
「マスコミはそれを伝えるのが役目だし」
「そうそう」
「情報が真っ先に集まるよね」
「下手したら政府よりもね」
「そうなるわね」
「情報を知ればそれで以て動けるから」
そうなるからだというのです。
「大きいよ、そしてね」
「それでだよね」
「その情報を流す」
「それも意図的にも出来るよね」
「どんなことでも」
「そうなると力を持つよ」
情報を手に入れて流せるならです。
「絶大な、そして情報はお金も生むから」
「お金も集まるね」
「それもかなり」
「そうなるわね」
「しかも情報を流す時に皆見るから」
その情報をです。
「そこに広告も出せば」
「そうそう、企業も宣伝になるし」
「企業も利用するから」
「企業も逆らえないし」
「広告代も手に入って」
「尚いいよ、そしてお金も凄く入るから」
そうもなるからだというのです。
「マスメディアの権力と財力はね」
「絶大なものになるね」
「まさに国を動かせるだけ」
「そうなるね」
「しかもその権力と財力を誰もチェック出来なくて」
そうした状況でというのです。
「逆らうこともね」
「出来なかったよね」
「マスコミに嫌われたらどんな報道されるかわからないし」
「それじゃあね」
「独裁者みたいになるよね」
「そう、戦後の日本はまさにね」
先生はさらに言いました。
「マスメディアが絶対者として君臨した」
「そんな世界だったね」
「マスコミが物凄い力を持っていて」
「やりたい放題やっていた」
「そんな国だったのね」
「そしてそのマスコミを親会社に持っていたからね」
だからだというのです。
「巨人もね」
「あんな風になったね」
「邪悪なチームになって」
「やりたい放題やってたのね」
「そうだよ、けれどインターネットが登場して」
そうなってというのです。
「そのマスメディアがチェックされてそちらでも情報が集まって流されて」
「そうなってね」
「マスコミの実態が明らかになって」
「しかも情報がマスメディアに頼らなくてもよくなった」
「そうなったら」
「そう、マスメディアの力が弱まって」
そうしてというのです。
「今じゃ嘘を吐く意図的な報道をするってね」
「信用されなくなったね」
「新聞も雑誌も」
「そしてテレビも」
「信用されないと力もなくなるよ」
そうなるというのです。
「誰も信じなくなって見向きしなくなって」
「肝心の新聞や雑誌買わなくなって」
「テレビ観なくなるから」
「皆インターネットにいって」
「実際そうなってるしね」
「だから巨人の親会社も弱まってね」
そうなってというのです。
「必然的に巨人もね」
「弱くなったね」
「権力もお金もなくなったから」
「しかも他のチームの選手掠め取ることばかり考えていて」
「それも出来なくなって」
「選手の育成とか設備とか全くだったからね」
先生は巨人のこのことも指摘しました。
「それで他のチームから選手を掠め取れなくなったら」
「弱くなるよね」
「選手を育てること出来ないし設備も駄目だと」
「監督やコーチもまともな人いなくなったし」
「弱くなるわね」
「実際に弱くなって」
そしてというのです。
「それでだよ」
「ああしてだね」
「万年最下位のチームになって」
「何もいいところはない」
「最低のチームになったね」
「そうだよ、けれどあれは自業自得因果応報だから」
そうしたものだからだというのです。
「もうね」
「同情の余地はないね」
「悪いことをした報いだから」
「それでよね」
「そうだよ、巨人はずっと弱いままでいいんだよ」
万年最下位でとです、先生は言うのでした。
そして巨人の試合のチェックをしますと。また惨敗していて皆またいいことが起こったと喜んだのでした。