『ドリトル先生とラーメン』
第一幕 ラーメンを食べて
先生はこの時大学の食堂でお昼ご飯を食べていました、今日のお昼は炒飯と焼き餃子に加えてです。
「ラーメンだね」
「先生ラーメンも好きだよね」
「時々食べてるわね」
「インスタントでもね」
「うん、ラーメンもいいよね」
先生はラーメンを食べつつ一緒にいる動物の皆に笑顔で応えます。炒飯や焼き餃子より先にそちらを食べています。
「美味しいよ」
「よくそう言ってね」
「先生ラーメン食べるわね」
「時々でもね」
「そうしているね」
「毎日みたいに食べる人もいるよ」
このラーメンをというのです。
「それが生きがいの人もいてね」
「へえ、ラーメンが生きがいなんだ」
「それも面白いね」
「確かに美味しいしね」
「そうした人もいるかな」
「日本にはね、僕はそこまで好きじゃないけれど」
生きがいにするまでです。
「けれどね」
「好きなことは好きだね」
「日本に来てからそうなったね」
「そうよね」
「うん、素敵な日本のお料理の一つだよ」
こうまで言う先生でした。
「ラーメンはね」
「そうだよね」
「日本は色々美味しいものが多いけれど」
「ラーメンもだよね」
「そのうちの一つだね」
「インスタントも含めてね」
今食べている生のラーメンだけでなくというのです。
「そうだよ」
「そうそう、インスタントもいいよ」
「インスタントラーメンもね」
「手軽に食べられて美味しい」
「値段もお手頃だしね」
「いいね、しかもね」
先生はさらに言いました。
「種類も多いね」
「凄くね」
「一口にラーメンといっても」
「それもインスタントでもね」
「物凄く多くてね」
「一つ一つ覚えきれない位よ」
「今僕が食べているのは醤油ラーメンだけれど」
観ればそうです、麺は縮れています。
「他にも色々あるね」
「塩ラーメンに味噌ラーメン」
「豚骨ラーメンもあるし」
「あとカレーラーメンもあるよね」
「兎に角色々あるね」
「そしてご当地ラーメンもあるね」
こちらのお話もしました。
「そうだね」
「そうそう、日本はね」
「それぞれの場所のラーメンもあるんだよ」
「札幌とか博多とか」
「何かとね」
「それも面白いよ」
実にと言う先生でした。
「ラーメンについてはね」
「そうだよね」
「種類も多くて」
「それぞれのご当地ラーメンもある」
「そのこともね」
「日本の食文化の中でもね」
その中でもというのです。
「面白いものの一つだよ」
「本当にそうだね」
「最もね」
「よくもここまでという位よ」
「カレーも凄いけれど」
「ラーメンだって負けていないよ」
「日本人は凝り性だからね」
この国民性も影響しているというのです。
「だからだよ」
「尚更だね」
「色々なラーメンが生まれて」
「それで一つの食文化になっている」
「そうだね」
「そうなんだ、これがおかずにもなってね」
ラーメンはというのです。
「炒飯とも一緒に食べられるよ」
「餃子ともね」
「ラーメン定食なんてのもあるしね」
「ラーメンをおかずにしてご飯を食べたりね」
「そんなこともするわね」
「そうだね、ただね」
こうも言う先生でした。
「まあこれは関西かな」
「ああ、東京辺りだとね」
「炭水化物をご飯のおかずにしないね」
「ラーメンとかおうどんおかずにしないし」
「焼きそばやお好み焼きだってね」
「これは基本関西だね」
炭水化物をご飯のおかずにすることはです。
「本当にね」
「そうだよね」
「そこは本当に違うね」
「同じ日本でもね」
「関東の方じゃラーメンはラーメンでね」
「そのまま食べるわ」
「若し東京でラーメンとご飯を注文して」
一緒にです。
「ラーメンをおかずにするならね」
「関西の人ね」
「そう思っていいね」
「それで方言が出たらね」
「余計にわかるね」
「そうだよ、僕も日本では関西にずっと住んでいるから」
神戸にある大学の中で言うのでした。
「食文化はね」
「関西だよね」
「先生にしても」
「やっぱりね」
「この通りね、ラーメンをおかずにして食べる炒飯も美味しいよ」
ラーメンの麺をおかずにしています。
「餃子もおかずになるし」
「そうだよね」
「いや、この組み合わせっていいね」
「先生が好きなのもわかるよ」
「美味しいよ」
「そうだよね」
こうしたお話をしながらでした。
先生はラーメンもその他の昼食も楽しみました、そうして食後はご自身の研究室に戻って論文を書きますが。
今度の先生の論文を見てです、皆は言いました。
「明治維新後における日本の中国文化の影響ねえ」
「先生の今度の論文はそうしたものなんだ」
「それを書いていくんだ」
「そうなんだ、その中には食文化もあってね」
それでというのです。
「僕がお昼に食べたラーメンや炒飯や餃子もだよ」
「そうそう、中国のものよ」
「それが日本に入ってね」
「中華料理店でも食べられてるね」
「そうだよ、それでね」
そのうえでというのです。
「そうしたことも論文に書いていくよ」
「成程ね、ただね」
ここでポリネシアが言いました。
「ラーメンって日本のお料理でしょ」
「日本の人達は違うっていうけれど」
それでもと言うトートーでした。
「中国の人達は違うって言うんだよね」
「元は中国のお料理かも知れないけれど」
「今じゃ完全に日本のお料理でしょ」
チープサイドの家族もお話します。
「焼き餃子だってそうだけれどね」
「レバニラ炒めなんかもね」
「日本に入って」
そうしてと言うガブガブでした。
「独自に進化したものでしょ」
「実際に中国でこうした麺なかったしね」
「そうなんだよね」
オシツオサレツは二つの頭でお話しました。
「色々な麺があるけれど」
「それでもね」
「中国のは拉麺だよ」
食べることが大好きなダブダブの言葉です。
「そちらだよ」
「これが違うんだよね」
ホワイティはダブダブの言葉に応えました。
「どうも」
「元は拉麺かも知れないけれど」
それでもと言うジップでした。
「日本で独自の進化を遂げたよ」
「そうそう、本当にね」
チーチーも言います。
「そうなったよ」
「カレーとかクレープとかね」
老馬も言いました。
「色々独自の進化を遂げたお料理の一つだね」
「うん、日本人がどう思ってもね」
それでもとです、先生も言いました。
「ラーメンは日本のお料理だよ」
「日本のラーメン屋さんにあるメニューは大体そうだよね」
「今やね」
「街の中華料理店とかにある様な」
「そうしたものはね」
「焼き餃子だって」
ラーメンと並ぶ日本人がよく食べる中国発祥の日本料理もというのです、先生はこちらも日本のお料理と言い皆も頷きます。
「そうだしね」
「中国で餃子ってね」
「水餃子とか蒸し餃子が主で」
「焼き餃子って水餃子の残りを焼いて食べるもので」
「中国でも東北の方位しかなくて」
「メジャーじゃないんだよね」
「ずっと日本で餃子っていうと焼き餃子で」
それでというのです。
「宇都宮市が餃子の街と言われてるけれど」
「焼き餃子なんだよね」
「こちらの餃子も」
「そうなんだよね」
「そうだしね」
だからだというのです。
「もうね」
「何といってもね」
「日本の餃子も日本のお料理よ」
「どう考えてもね」
「日本人がどう思っても」
「日本人は他の国のお料理をアレンジしても」
そうしてもというのです。
「けれどね」
「それでもなんだよね」
「その国のお料理だっていうんだよね」
「これが」
「中華料理以外にも」
「スパゲティだって凄くアレンジしていて」
日本人が好きな様にです。
「ナポリタンなんかそうだね」
「あのスパゲティイタリアにはないし」
「ナポリっていうけれど」
「その実はね」
「そうだしね」
「そうだからね」
それでというのです。
「このことについて日本人の主張と他の国の主張は違うよ」
「そうそう、お料理について」
「お饅頭だってそうだし」
「中華料理って言うけれど」
「中国に蓬莱の豚まんあるかな」
「ああしたお饅頭は」
「大阪のあの豚まんも華僑の人からはじまってるから」
だからだというのです。
「その起源はね」
「中国だよね」
「紛れもなくね」
「そのことは確かだね」
「けれど独自に進化をして」
日本人がアレンジしてです。
「それでね」
「独自の味になってるし」
「宝来の豚まんも日本のお料理だよね」
「大阪名物のね」
「そうだよね」
「あの辺りにはね」
先生はさらにお話しました。
「自由軒もあるね」
「カレーのね」
「織田作さんが好きなね」
「あのカレーだね」
「あのカレーはインド料理かな」
果たしてというのです。
「皆どう思うかな」
「違うよね」
「どう見てもね」
「あのカレーをインド料理というとね」
「無理があるよ」
「僕もそう思うよ、実際インドの人達が見てもね」
自由軒のカレーをというのです。
「果たしてね」
「インドはカリーだしね」
「殆ど牛肉使わないし」
「ルーも違うし」
「まして最初からルーとご飯を混ざてるとかね」
「おまけに生卵を入れるなんて」
「ないよ」
先生はそれはと言いました。
「本当にね」
「物凄い独自の進化だよね」
「自由軒のカレーも」
「そしてカツカレーもあるしね」
「スープカレーだってね」
「日本人のお料理のアレンジは凄いから」
それ故にというのです。
「元の国には到底ないものまで多く生まれてるよ」
「そういえば豚カツやコロッケだってそうだし」
「海老フライとかね」
「カレーと一緒に食べたりとか」
「そういうのもないし」
「そう、ないから」
だからだというのです。
「本当にね」
「まずないよね」
「日本のお料理だよ」
「そもそもカツカレーは日本人が考えたものだし」
「千葉茂さんっていう野球選手がね」
「博多の豚骨ラーメンなんてね」
博多の代名詞とさえなっているこのラーメンはというのです。
「中国にないしね、ラーメンというと亜種になるけれど」
「亜種?」
「亜種っていうと何かな」
「ラーメンのそれって」
「ちゃんぽんだよ、長崎が有名だね」
こう皆にお話しました。
「ちゃんぽんだと」
「ああ、長崎ちゃんぽんだね」
「長崎名物だね」
「何といっても」
「あのお料理も中国にはないから」
そうだというのです。
「長崎の中華街にはあるけれどね」
「普通にあるよね」
「名物としてね」
「ラーメンみたいに普通にね」
「長崎のあちこちで食べられて」
「中華街だってね」
「そうなんだよね」
これがというのです。
「本当にね」
「いや、何で日本人がそう思えるか」
「ちょっと不思議な位だね」
「ラーメンや餃子やカレーが他の国のお料理だって」
「ナポリタンにしても」
「アレンジしても他の国に起源があったら」
それならというのです。
「日本人はそう考えるということだね」
「ううん、謙虚なのかな」
「日本人らしく」
「そう考えていい?」
「どうなのかな」
「そこはわからないね、僕も」
先生にしてもです。
「どう言うべきか」
「まあそれも日本人の考えかな」
「はじまりがその国ならその国のもの」
「自分達がアレンジしただけ」
「元はそうだってね」
「そうだね、漢字だってね」
日本で広く使われているこの文字もというのです。
「元は中国だってはっきり言ってるしね」
「もうね」
「完全にそうだしね」
「その漢字から平仮名や片仮名も生み出したって」
「はっきり歴史の本でも書いてるしね」
「そのことはね」
本当にというのです。
「日本人はね」
「書いてね」
「自国のものだって言わないね」
「何があっても」
「自分達が起源と言っても」
それでもというのです。
「それでどうなるか」
「ならないしね」
「そもそも」
「そうだよね」
「そう、だからね」
それでというのです。
「そうしたことはちゃんとしていることはね」
「日本人のいいところだね」
「他の国の起源ははっきり言う」
「そのことはね」
「いいことだよ」
本当にというのです。
「日本人のね。ただそれでもね」
「ラーメンはもう日本のお料理だから」
「あそこまでアレンジされてると」
「それこそね」
「それを違うというのは」
それはというのです。
「本当にね」
「無理があるよね」
「どう考えても」
「逆にね」
「うん、まあ流石に納豆スパゲティをイタリア料理とは言わないけれどね」
その日本の人達もというのです。
「納豆は日本にしかないから」
「あんなの他の国にないからね」
「納豆なんてね」
「流石にね」
「そうだからね」
だからだというのです。
「日本人も言わないよ」
「スパゲティは兎も角ね」
「納豆はイタリアにないから」
「他の国にはね」
「とてもね」
「うん、僕も噂には聞いていたよ」
納豆のお話はです。
「それで実際に見てね」
「糸を引いていてね」
「凄い匂いがするし」
「噂通りだったよね」
「納豆はね」
「けれど食べたら美味しいからね」
納豆はです。
「これが」
「そうなんだよね」
「ご飯にかけると最高で」
「関西では今一つ人気がないけれど」
「美味しいよね」
「納豆もね」
「その納豆スパゲティはね」
あらためて言う先生でした。
「流石にね」
「イタリア料理とは言わないね」
「日本人も」
「納豆はどう考えても違うから」
「だからね」
「そうだよ、しかしね」
それでもと言う先生でした。
「日本人は基本そうだね」
「他の国にルーツがあるお料理はその国のものだね」
「その国のお料理って言うね」
「そうだね」
「そこがね」
まさにというのです。
「日本人の特徴だよ」
「だからラーメンもだよね」
「中華料理って言うね」
「その代表だって」
「そうだよ、それでね」
さらに言う先生でした。
「肉じゃがはもうね」
「肉じゃがって元はビーフシチューだけれどね」
「食材は同じだから」
「それを日本の調味料で作ってね」
「ああしたお料理になったのよね」
「あれは凄いよ」
先生は笑って言いました。
「本当にね」
「そうだよね」
「イギリスで知ったビーフシチューがね」
「まさかああしたお料理になるなんて」
「誰が思うのか」
「想像すら出来ないよね」
「誰も肉じゃがをイギリス料理とは言わないね」
先生は皆に言いました。
「そうだね」
「うん、流石にね」
「誰も言わないよ」
「どう見たってイギリス料理じゃないから」
「お醤油とみりん使ってるからね」
「おソースじゃなくて」
「そうだよ、あんな風にアレンジしてみせるのも」
このこともというのです。
「日本人の凄いところだよ」
「全くだね」
「とんでもないことだよね」
「それでラーメンだってね」
「物凄いことになってるね」
「元は中国の麺類でも」
それでもというのだ。
「独自の進化を遂げてるよ」
「それもそれぞれの地域で」
「インスタントラーメンもあるしね」
「袋とかカップのものも」
「かなりのことになってるね」
「そうなっているからね」
だからだというのです。
「こちらは特に凄いね」
「カレーと並んでね」
「それだけで漫画になったりする位だし」
「本当に凄いお料理になってるよ」
「日本でね」
「それで僕も食べてるけれど」
先生もです。
「インスタントラーメンで一杯なんてね」
「それもいいんだよね」
「これまたね」
「インスタントラーメンで一杯とか」
「それもね」
「そう、チューハイやビールをね」
こうしたお酒をというのです。
「飲む時にね」
「インスタントラーメンだね」
「袋のラーメンもいいしね」
「あとカップ麺」
「これもいいよね」
「うん、カップ麺は凄い発明だよ」
先生はこの食べものに対して太鼓判を押しました。
「蓋を開いてお湯を入れて三分」
「それで食べられるからね」
「かなりいいよね」
「この食べものは」
「いざという時にあれば」
カップ麺がというのです。
「どれだけ素晴らしいか」
「そうだよね」
「身体に悪いって言う人もいるけれど」
「食べ過ぎないといいしね」
「それならね」
「そうだよ、そしてね」
それでというのです。
「食料が不足している状況でね」
「あると違うよね」
「そうした場合でもね」
「災害が起こったりして」
「そうなった時も」
「あるとね」
それならというのです。
「違うよ、だからね」
「素晴らしいものよね」
「カップ麺もね」
「あるとね」
「袋のものもそうだけれどね、インスタントラーメンは偉大だよ」
こちらのラーメンはというのです。
「とある新聞記者が主人公の料理漫画では否定しているけれどね」
「あの漫画はね」
「そうした食べもの嫌いだよね」
「他には冷凍食品だってそうだね」
「電子レンジも嫌いで」
「ハウス栽培のお野菜もね」
「あの漫画には大きな特徴があるんだ」
先生は確かな声で指摘しました。
「文明や科学といったものが嫌いだよ」
「凄く原始的ってことだね」
「そこにある考えが」
「何か変なこだわりがあって」
「それでだね」
「そうだよ、さらにね」
先生はその漫画についてさらにお話しました。
「登場人物がおかしいからね」
「そのことも言うよね、先生」
「あの漫画については」
「おかしいって」
「うん、物凄く短気な人ばかり出て」
作品中にです。
「何でもないことで激怒するしね」
「何でそこで怒るのってね」
「そんな場面多いよね」
「しかも怒り方凄いよね」
「激怒しかなくて」
「それもね」
さらにというのです。
「教養がなくて野蛮だよね」
「何かとね」
「そんな人しか出ないよね」
「長い間続いた作品でも」
「それでもね」
「どうも原作者の人の人間性が出て」
そしてというのです。
「そのうえでね」
「ああなってるんだね」
「あの漫画については」
「そうなのね」
「かなり我が強いというか基本我しかない人みたいだからね」
「ああ、それだとね」
「作品にも出るよね」
「傍から見ておかしいと思われても」
「本人さんは目に入らないから」
「だからね」
それでというのです。
「あの人達はね」
「そうした漫画なのね」
「インスタントラーメンとか否定していて」
「と往生人物が皆おかしい」
「そんな人達なのね」
「そうだと思うよ、それでね」
先生はさらに言いました。
「僕はあの漫画の主張に全く賛成出来ないからね」
「だからだね」
「インスタントラーメンも食べるね」
「そうするのね」
「冷凍食品もね」
こちらもというのです。
「食べてるね」
「そうだよね」
「抵抗なくね」
「そうしてるね」
「うん、あの漫画が何を言ってもね」
それでもというのです。
「便利でしかも美味しいからね」
「食べてるんだね」
「そうしてるね」
「そうした意見は気にしないで」
「そうしているよ、あとね」
さらに言う先生でした。
「あの漫画はチェーン店や大企業も否定しているね」
「そうそう、何かね」
「いつも小さいお店ばかりだよね」
「そうしたお店も必要だけれど」
「そうしたところ嫌いだね」
「こうしたお店の食べものや企業の商品も美味しいよ」
そうだというのです。
「だって努力しているからね」
「いつも美味しいものを作ろうとね」
「そして食べてもらおうとね」
「売ってそれで利益を上げる」
「その為にもね」
「そう、利益を上げて何が悪いのか」
その行為がというのです。
「その為に努力してね」
「悪くないよね」
「それが生活につながるしね」
「お金がないと生きていけないしね」
「現実として」
「それが否定されるなら」
それならというのです。
「資本主義社会ではね」
「生きていけないよね」
「そうだよね」
「日本は紛れもなく資本主義社会なんだし」
「それを否定するなら」
「共産主義となるかな、けれどね」
それでもというのです。
「共産主義がどうなったか」
「ソ連崩壊したし」
「殆どの国は名前ばかりで実際は資本主義になってるし」
「北朝鮮はああたしね」
「そうだね、あの原作者の人は北朝鮮の組織が出している機関誌にも出ていたし」
先生はこのことも知っていました。
「どうもね」
「ああ、そうした考えだね」
「だから大企業とか嫌いで」
「文明とか科学とかも嫌いで」
「インスタントラーメンも否定してるんだ」
「そうなのね」
「学生運動の頃の考えのままでね」
それでというのです。
「ずっといるんだよ」
「ああ、活動家さんだね」
「所謂」
「あの革マル派とか中核派とかいった」
「赤軍派もあったね」
「そうした風な考えの人でね」
先生は暗いお顔で言いました。
「作品に出ているね」
「ああした人達ってね」
「無茶苦茶だからね」
「あの頃から考え変わってないし」
「とんでもなく偏っているから」
「それであんな作品になっているから」
だからだというのです。
「僕はね」
「否定的だね」
「それも極めて」
「それでだよね」
「先生も否定しているね」
「そうだよ、反面教師にしているよ」
そうした形で否定しているというのです。
「僕はね」
「そうだよね」
「ただ否定するのでなくね」
「反面教師にしているね」
「あの漫画は」
「そして原作者の人達を」
「しっかりと努力してね」
そうしてというのです。
「美味しいものを生み出すのなら」
「それでいいよね」
「チェーン店でも大企業でも」
「そして利益を得ても」
「そうしても」
「全く問題ないよ」
まさにというのです。
「僕はそう思うよ」
「全くだね」
「それじゃあインスタントラーメンも食べるね」
「これからも」
「そうしていくよ」
笑顔で言いました、そしてです。
先生は論文を書いていきました、そのうえで。
お仕事が終わるとお家に帰りました、そうしてトミーにインスタントラーメンのことをお話するとトミーは笑って言いました。
「うちにも買い置きありますしね」
「そうだよね」
「何かあった時に備えて」
そうしてというのです。
「先生のお酒のおつまみにも」
「出してくれているね」
「簡単にです」
それでというのです。
「作られて美味しいですからね」
「お値段も手頃だしね」
「ですから」
「うちにもあるね」
「足りない時は買って」
そうしてというのです。
「ストックしています」
「有り難いよ」
「袋麺もカップ麺も」
その両方をというのです。
「そうしています」
「そうだね」
「はい、いつも」
「それはそうと先生ってね」
ここでジップが言ってきました。
「袋麺も作れないしね」
「カップ麺も駄目だからね」
チーチーも言います。
「自分で作られないからね」
「お湯を入れるだけでも」
それでもと言う老馬でした。
「出来ないからね」
「紅茶にパックを入れてね」
「お湯を注ぐだけでも難しいからね」
オシツオサレツは二つの頭で言います。
「それすらね」
「先生にはだから」
「普通出来ない?」
ホワイティは思わず首を傾げさせてしまいました。
「カップ麺にお湯を入れる位」
「いや、先生家事とかは全くで」
ダブダブもどうかとなっています。
「生活力は駄目なんてものじゃないけれど」
「流石にそれはないよね」
「カップ麺も自分で作れないっていうのは」
チープサイドの家族も言います。
「生活力がないとかじゃなくて」
「不器用過ぎるかな」
「全く、私達がいないと駄目なんだから」
ガブガブはやれやれといった口調でした。
「先生は」
「そうそう、先生は昔からこうなのよ」
ポリネシアも言います。
「学問以外は駄目なんだから」
「そんな先生だから僕達は必要だね」
トートーは今使命を自覚していました。
「じゃあこれからも頑張らないとね」
「いや、昔からスポーツと家事は駄目でね」
先生ご自身も言います。
「世事のこともね」
「そうだよね」
「先生はそうなんだよね」
「学問は凄くて人柄も最高だけれど」
「それでもね」
「他のことはね」
「全くだから」
それでというのです。
「皆がいてくれて助かるよ」
「いや、若し僕達がいないと」
「先生果たしてどうなっていたか」
「一体ね」
「わからない位だよ」
「だからね」
先生はお話を続けました。
「僕としてもね」
「私達がいて嬉しい」
「そう言ってくれるんだね」
「先生にしても」
「そうだよ、だからこれからも宜しくね」
笑顔で言うのでした。
「皆とトミーそして王子にも言うよ」
「どうもです、それでなんですが」
ここでトミーがにこりと笑って言ってきました。
「今日の晩ご飯ですが」
「ああ、何かな」
「インスタントでないですが」
こう前置きしてお話しました。
「焼きそばです」
「ああ、あれだね」
「それとお野菜や茸を入れたお味噌汁です」
「そちらなんだね」
「もうたっぷりとです」
それこそというのです。
「お味噌汁にはお野菜や茸をです」
「煎れたんだね」
「豚汁やけんちん汁みたいね」
そこまでというのです。
「入れました」
「栄養の為だね」
「あと焼きそばはソーセージとおソースです」
こちらだというのです。
「ソース焼きそばです」
「そちらもいいね」
「そうですよね」
「トミーはいつも考えているね」
「どういったお料理がいいか」
「そうだね」
「考えてますから」
そうして作っているというのです。
「ですから」
「それでだね」
「先生に栄養がある美味しいものを食べてもらいたくて」
「そう考えて」
「それで、です」
「じゃあ楽しみに食べさせてもらうね」
「お酒はどうされますか?」
トミーはそちらのことをきいてきました。
「それで」
「そうだね、焼きそばだとね」
それならと言う先生でした。
「ビールがいいかな」
「そちらですね」
「うん、ビールもいいよね」
「焼きそばに合いますよね」
「チューハイも合っていてね」
それでというのです。
「ビールもだね」
「そうですよね」
「だからね」
それでというのです。
「今夜はね」
「ビールですね」
「いただくよ」
「それじゃあ」
「さて、焼きそばもいいけれど」
先生は笑顔でさらに言いました。
「ご飯もね」
「召し上がられますね」
「焼きそば定食だね」
「そうですね」
「いいよね、この定食は」
「先生他にお好み焼き定食もお好きですね」
「大好きだよ、炭水化物と炭水化物になるけれど」
その組み合わせになるというのです。
「けれどね」
「それでもですよね」
「この組み合わせもね」
「お好きですね」
「他の国にはそうはないけれど」
それでもというのです。
「日本でも西のもので」
「東の方にはないですが」
「それでもね」
けれど、というのです。
「好きだよ」
「先生もですね」
「まずはご飯を食べて」
焼きそばをおかずにしてというのです。
「それからね」
「ビールですね」
「そちらを楽しむよ」
「左様ですね」
「どうもまずビールというのはね」
お食事の時にです。
「そうする時もあるけれど」
「今はですね」
「その気分でなくてね」
「後で、ですね」
「飲ませてもらうよ」
「それでは」
「それとね」
さらに言う先生でした。
「明日はね」
「何を飲まれますか?」
「うん、アルコール度九パーセントのチューハイをね」
これをというのです。
「飲ませてもらおうかな」
「ストロング系ですね」
「そう、あちらとね」
さらに言う先生でした。
「おつまみはラーメンだね」
「インスタントですね」
「この組み合わせが合うからね」
だからだというのです。
「それでね」
「明日はですね」
「そちらを楽しむよ」
こう言うのでした。
「是非ね」
「そしてラーメンはね」
インスタントラーメンのお話もしました。
「塩ラーメンがいいね」
「定番ですね」
「サッポロのね」
「あの太めの麺がいいですね」
「味もあっさりしていてね」
「そうですね、それでは」
「明日はそちらにさせてもらうよ」
笑顔で言ってでした。
先生はこの夜はビールも楽しみました、それもまた美味しいものでした。