『ドリトル先生の落語』




                第十幕  英語の落語

 八条大学に春琴さんが来ました、春琴さんは先生と大学のキャンバス内にある喫茶店の一つで先生とお会いして言いました。
「いや、ほんままた来られて嬉しいです」
「母校にだね」
「私がいた時と変わってないですね」 
 春琴さんはミックスジュースを飲みつつ言いました、先生が飲んでいるのはミルクティーで動物の皆が一緒にいます。
「この前も来て思いました」
「それがいいんだね」
「懐かしくて」 
 それでというのです。
「ほんまです」
「嬉しいんだね」
「はい、ただ」
「それでもだね」
「これから変わっていきますね」
「徐々にね、数年は変わっていない様に見えても」
「それが何十年になりますと」
 その単位になると、というのです。
「変わりますね」
「世の中は何でもね」
「そうですよね、それで大阪も」 
 春琴さんは今自分が暮らしている街のことをお話しました。
「変わってますね」
「織田作さんの頃と比べたら」
「昭和の戦争前の」
「かなりだってお話してるよ」
「そうですね、織田作さんの頃のお店は残っていても」
「何かとね」
「変わってますね」
「そうだよ」
「実際にですね」
「そうだよ」
「やっぱりそうですね」
「大阪も空襲に遭ったしね」
 このこともあってというのです。
「そのこともあったし」
「大阪も変わりましたね」
「そうだよ、そして大きくもね」
「なりましたね」
「昔は平野の辺りはね」 
 大阪市平野区はというのです。
「大阪市じゃなかったし」
「そうでしたね」
「だからね」
「大阪も変わっていってますね」
「そうだよ」
 まさにというのです。
「本当にね」
「そうなんですね、ただ」
「ただ?」
「いや、私大阪がどうなってもです」 
 どう変わってもというのです。
「好きです」
「これからもだね」
「はい、そして」 
 それでというのです。
「この街で住みます」
「そうして落語もだね」
「やっていきます」
 こう言うのでした。
「これからも」
「春琴さんがそうしたいならしていったらいいよ」
 先生はミックスジュースを飲みつつお話する春琴さんに言いました。
「これからもね」
「ほな、ただです」
「ただ?」
「この前英語で落語してるって言いましたけど」
「そのことだね」
「はい、それをもっとです」
 春琴さんは先生に言いました。
「していって」
「春琴さんの芸にするのかな」
「それもありますが」
 それと共にというのです。
「同じ位で落語のよさを世界に知ってもらいたくて」
「英語で、ですか」
「やっていまして」
「それを増やしてだね」
「もっと広めようとです」 
 その様にというのです。
「思ってます」
「そうなんだね」
「色々考えてますけど」
 春琴さんは先生にさらにお話しました。
「先生にもアドバイスして欲しいですけど」
「僕でよかったら」
 先生は笑顔で答えました。
「何でも」
「そう言ってくれますか」
「うん、英訳とかじゃないよね」
「それは私でしてます」
 春琴さんはそれはと答えました。
「何しろどっちもです」
「喋れて書けるからだね」
「そうですさかい」
 笑顔での返事でした。
「このことはです」
「いいんだね」
「はい、これが並の学校の先生やと」
 春琴さんは困ったお顔でこう言いました。
「日本の学校の先生って偉そうですけど」
「それだけだね」
「何の能力もなくてすぐに怒っていやらしい人が多くて」
「言い寄ってきたりとかかな」
「あの、日本の学校の先生ってめっちゃ助平多くないですか?」
 春琴さんは困ったお顔のままこうも言いました。
「マスコミの人と」
「僕もそれはね」
「思いますね」
「色々聞いてるよ」
「学校の先生とマスコミの人に助平が多いって」
「そうね」
「それもかなり悪い意味で」
 それでというのです。
「学生さんみたいに愛嬌があるのやなくて」
「陰湿だね」
「ほんまセクハラとか性犯罪者とか」
「そうしたことをしても隠蔽出来るからね」
「それでいやらしいおっさん多いんですね」
「日本で実は性犯罪が一番多い世界じゃないかな」
 先生はこうも思いました。
「学校の先生とマスコミはね」
「教育界とマスメディアですね」
「どっちも日本では質の悪い人が多い世界としてね」
「有名で」
「セクハラもね」
 この問題もというのです。
「多いからね」
「それで私にもですね」
「言い寄る人がいたら」
「学校の先生とマスコミの人ですね」
「俗に知識人と呼ばれる人達の一端でもね」 
 それでもというのです。
「戦後日本の知識人の質はとても悪くて」
「あの人達がそうですね」
「そうだよ、自分が支持する相手はどんな汚い擁護もするし」
 そうしたこともしてというのです。
「お金や権力にも貪欲で」
「それでセクハラもですね」
「そんな人達がね」
「そうした界隈は多いんですね」
「しかも能力もね」
 こちらもというのです。
「実は全く勉強していないから」
「聞いたらあかんって思いました」
 春琴さんはさらに言いました。
「そして近寄っても」
「学校の先生の多くはね」
「マスコミの人達も」
「うん、彼等の多くは信じたらね」
「あきませんね」
「そうだよ、僕も日本に来からわかったよ」 
 先生はこのことをとても残念そうに言いました。
「日本の知識人の質は凄く悪いってね」
「学校の先生もマスコミの人達も」
「ヤクザ屋さん並に質の悪い人達が多いってね」
 その様にというのです。
「わかったよ」
「いや、私も時々テレビのお仕事させてもらうんですが」
 春琴さんは言いました。
「八条テレビとその関連のBSはええんですが」
「他のだね」
「テレビ局の人はかなり高い割合で」
「酷い人が多いね」
「そうです、ほんま言い寄ったりです」
「してくるね」
「しかも偉そうで」 
 それでというのです。
「何も勉強しないで仕事ぶりもいい加減で」
「学校の先生と同じだね」
「それで番組自体も評判悪くて」
「八条テレビ以外ではなんだ」
「他のテレビ局ではお仕事しないです」
「それがいいね、本当にね」
 実際にと言う先生でした。
「日本のテレビはあんまりだからね」
「それで、ですね」
「うん、それで学校の先生に落語のことをだね」
「詳しいから教えるって言って来た先生何人かいたんですが」
 春琴さんはミックスジュースをストローで飲みつつ言いました。
「これが皆です」
「言い寄って来たんだね」
「それか私の身体ジロジロと」
「見てきたんだ」
「そうでした」
「本当にそうした人がね」
「学校の先生多いですね、そやけど先生はです」
 先生にも言いました。
「そうした人やないって評判でしかもです」
「同じイギリス生まれだからだね」
「しかも高名な学者さんやさかい」
 このこともあってというのです。
「私もです」
「会ってだね」
「これはええ人やとわかったんで」
 春琴さんご自身もというのです。
「それで、です」
「アドバイスをだね」
「させてもらいたかったんですが」
「僕の返事がよかったので」
「嬉しいです、ほな頼みます」
 春琴さんは笑顔で言いました。
「これから」
「それじゃあね」
「それとです」
 春琴さんはさらに言いました。
「具体的にはメールでユーチューブにあげる動画のチェックをです」
「イギリスや他の世界の人達が笑ってくれるか」
「その辺りをです」
「観て欲しいんだね」
「はい、そして」 
 それにというのです。
「返事欲しいです」
「それではね」
「私はええと思って事務所の人達も」
「いいと思ってもだね」
「私以外のイギリスの人達にもです」
「意見を聞きたいんだね」
「それも教養もあって落語もご存知の」
 そうしたというのです。
「人からです」
「そういうことだね」
「そう思いまして、ほなです」
「これからだね」
「宜しゅう頼んます」
「うん、これからね」
「喋る言葉は英語は砕けた」 
 春琴さんは笑ってお話しました。
「ガーターイングリッシュで」
「庶民的にだね」
「いきます、私元々それ喋ってましたし」
 それでというのです。
「それでいってますしこれからも」
「それがいいね、落語は庶民文化だから」
「英語にするとですね」
「そちらがいいね」
 ガーターイングリッシュがというのです。
「実際にね」
「そうですね」
「そしてね」
 さらに言う先生でした。
「他にも落語の細かいところを紹介したり」
「それはもうしてます」
 既にというのです。
「もう」
「そうなんだね」
「はい、最初に」
「それはいいことだね」
「やっぱり落語を知ってもらうことが」
「大事だからだね」
「そうさせてもらいました」
「いいことだよ、ではね」
「これからお願いします」
 笑顔でやり取りをしました、そして細かいお話をしてです。
 先生はその後で春琴さんと別れて研究室に戻りました、それで皆と春琴さんのことをお話しましたが。
「落語を本当にね」
「真面目に考えてるね」
「そうよね」  
 チープサイドの家族も思うことでした。
「英語でお話して」
「そして皆に知ってもらおうって」
「そうだね」
 ジップはチープサイドの家族の言葉に頷きました。
「英語でお話しているのは聞いていたけど」
「あらためて聞くとね」
 トートーは春琴さんのお話を聞いて思いました。
「そのことがわかったね」
「全くだね」
 実際にとです、チーチーも頷きます。
「落語を真面目に考えているね」
「そしてやっているよ」
 ホワイティも言うことでした。
「あの人は」
「その真面目さがね」
 それがとです、ダブダブは言いました。
「立派よ」
「お笑いは真面目で全力で」
 老馬は考えるお顔で言いました。
「そして笑わせるものだというけれど」
「春琴さんもだね」
 ガブガブは老馬に続きました。
「そうしているね」
「いや、何ていうか」
「真面目なお笑いは違うね」
 オシツオサレツは思いました。
「色々考えて」
「それでやるものだね」
「まさにそうであって」
 ポリネシアはオシツオサレツの言葉に頷きました。
「全力で、命を賭けてやるものだね」
「そうだよ、地位とかお金だけしか考えていないで」
 そしてと言う先生でした。
「やっているだけのお笑いはね」
「ああじゃないね」
「全力じゃない」
「ただやってるだけ」
「本当にそれだけよね」
「そんなお笑いがね」
 それこそというのです。
「面白いか」
「そんな筈ないね」
「それこそ」
「まさにそれが今のテレビのお笑いで」
「面白くないのも当然ね」
「本当に」
「うん、あとね」
 さらに言う先生でした。
「気を付けていないといけないのはふりだよ」
「ふり?」
「ふりっていうと」
「何かな」
「うん、イギリスの首相でいたね」 
 先生はどうかというお顔でお話しました。
「お茶の間の人気者で」
「ああ、あの人だね」
「わざととぼけた振りして」
「テレビで人気があったね」
「けれど女性問題あって」
「記事改竄したりしたね」
「元々物凄く素行に問題があってね」
 そしてというのです。
「それでその素顔もね」
「透けて見えるそれはね」
「物凄く悪いね」
「どうも信用出来ない」
「そんな人だね」
「道化師と言われて」
 そしてというのです。
「その素顔を見ないのはね」
「駄目だね」
「道化師の人達はメイクをしているけれど」
「その素顔はよく見ればわかるからね」
「あの人もそうだね」
「よくない人だね」
「お茶の間の人気者と言われても」
 そうした人でもというのです。
「その素顔を見ることだよ」
「イギリスのあの人もそうで」
「日本のテレビでもいたしね」
「というか日本の方が悪質かもね」
「キャスターの人達を見たら」
「そうかもね、ただ日本ではそうした人を首相に選ばなかったけれど」
 それでもというのです。
「イギリスはね」
「選んでしまったね」
「そしてその主張を鵜呑みにして」
「投票もしたね」
「テレビに出ている人達の言うことを鵜呑みにしたら」
 それこそというのです。
「どれだけ害毒かだよ」
「そうだね」
「そこは何処でも同じだね」
「日本でもイギリスでも」
「他の国でもだね」
「人のお顔のことは言うべきじゃなくても」
 紳士でありたいと思い周りからそうだと思われている先生はそうしたことはしません、ですが今はこう言うのでした。
「人相はね」
「ああ、元のお顔立ちでなくて」
「人相だね」
「それがだね」
「人相が悪いとね」
「日本の夜の十時から、十一時からの報道番組のキャスターの人達も」
 まずはこの人達のお名前を出しました。
「イギリスの首相になった人も」
「人相悪いね」
「よく見たら」
「いやらしそうだったり卑しそうだったり」
「そんなお顔の人達ばかりだね」
「人相は生き方が出ているからね」
 それでというのです。
「人相を見るとね」
「どんな人達かわかるからね」
「その生き方や性格が」
「ヤクザ屋さんだってそうだし」
「日本の学校の先生達だってね」
「もう人相見てもわかるのがね」
 それがというのです。
「実際だからね」
「テレビに出ている」
「それで人気がある」
「それだけでその人の言うことを鵜呑みにする」
「そうしたら駄目よね」
「そう思うよ、道化師のお笑いを楽しむのはいいことだよ」
 このこと自体はというのです。
「けれどね」
「その素顔を見る」
「それが笑っているならいいけれど」
「笑っていないとね」
「気を付けるべきだね」
「とぼけてもふりなら」
 それならというのです。
「何かあるとね」
「思った方がいいね」
「全くだね」
「素顔は見られるしね」
「メイクをしても」
「そう、メイクをしていても」
 先生もその通りと答えました。
「その実はね」
「素顔って見えるね」
「笑っているメイクでもね」
「口元や目を見たら笑っていない」
「そうしたことって見えるね」
「よく見ることだよ」
 まさにというのです。
「そうしたことも」
「道化師でもね」
「いつも笑っているか」
「本当に笑っているか」
「そうしたことまでね」
「道化師はホラー映画の定番だね」
 こうもです、先生は言いました。
「そうだね」
「あっ、そうだね」
「言われてみれば」
「道化師ってホラー映画の敵の一つだよ」
「日本の漫画でもアニメでも」
「ライトノベルでもね」
「それは一見笑っていて剽軽で」
 そうした風でというのです。
「その素顔は見えにくい」
「それが怖いからね」
「だから悪役の定番だね」
「そのうちの一つなのね」
「そういうことだね」
「これが仮面でもね」
 メイクでなくてもというのです。
「同じだよ」
「そうだよね」
「まさにね」
「仮面でもね」
「一見おどけていても」
「素顔は何を考えているかわからない」
「そういうのが出てね」
「怖いからね」
「そして道化師の悪役はね」
 今お話している彼等はというのです。
「凄くね」
「怖いんだよね」
「これがね」
「残酷だったりするし」
「不気味でね」
「そうだね、そんな道化師と言われる様な人の言うことを鵜呑みにして」
 そしてというのです。
「選んだらね」
「大変なことになるね」
「実際は碌なこと考えているかも知れないから」
「それでだね」
「政界の道化師と言われて」
 先生は難しいお顔で言いました。
「とぼけたふりをしてね」
「面白くて」
「一見親しみやすくて」
「いいと思っていても」
「それでもだね」
「その人をよく見ることだよ」
 まさにというのです。
「素顔をね、そうしたらね」
「記事を改竄したり」
「女性問題があったり」
「とんでもない人だったりするね」
「往々にして」
「ジャーナリストで記事を改竄することは日本では特によくあるかも知れないけれど」
 先生達が今いるお国ではというのです。
「言うまでもなくね」
「最低よね」
「そうした行いだよね」
「文句なしに」
「そうだよね」
「しかも女性問題まであるとか」
 そうしたというのです。
「信じられるか、人相を見て飼い犬と一緒にいても無理に引っ張ってる感じとか」
「もうアウトだね」
「相当問題のある人だね」
「少なくとも信用出来ない」
「そう思うべきだね」
「そうだよ、面白いとか思っただけで言うことを聞いたら」
 それこそとです、先生はまたこう言いました。
「後で大変なことになりかねないよ」
「その実ペテン師だったりね」
「自分のことしか考えていないとか」
「本当にあるからね」
「気を付けることだね」
「素顔を見ることだよ」 
 大事なことはというのです。
「お笑いでも面白くてもね」
「うん、わかったよ」
「僕達もそうしていくね」
「これからも」
「是非ね」
「僕も気を付けていくよ」
 先生ご自身もというのです。
「これからもね」
「特に目ですよね」 
 トミーも言ってきました。
「先生よく言われますが」
「うん、本気でお笑いをしていないかね」
「騙そうとしている人はですね」
「目が笑っていないよ」
「一見面白くても」
「他にもカルトの人はね」
 そちらの人達はといいますと。
「目がおかしいんだよ」
「笑っていなくて」
「何か得体の知れない」
 そうしたというのです。
「狂信的な」
「そうした目ですね」
「だからそうした人達の目もだよ」
「見ることですね」
「目は口程にものを言うと言うけれど」
「そういうことですね」
「そう、目が笑っていない人は」
 本当にというのです。
「冗談抜きでね」
「危険ですね」
「そういうことだよ」
「そのこと覚えておきます」
 トミーも確かな声で応えました。
「僕も」
「そうしていてね」
「そう思うとテレビは気を付けないといけないですね」
「どの国でもね、新聞や雑誌は文章を読んで」
 そうしてというのです。
「頭の中でどういった状況か考えるね」
「そうなりますね」
「けれどテレビは映像と音声でね」
 その両方でというのです。
「目と耳から頭の中に直接入るから」
「効果が強いんですね」
「ヒトラーやスターリンの演説をまともに見てね」
「物凄く影響を受けましたね」
「それが視聴者全員に一気に来るから」
 目と耳からというのです。
「その影響力ここでは悪影響だけれど」
「それは絶大ですね」
「だからテレビは問題があって」
「注意しないといけないですね」
「それだけにマスメディアの中でも絶大な権力を持って」
 そしてというのです。
「そちらに出演することがね」
「かなりのステータスにもなったんですね」
「そうだたんだ、けれどその権力を悪用して」
「腐敗していって」
「その結果ね」 
「今の状況があるんですね」
「そうだよ」
 まさにというのです。
「放送していれば視られる」
「それで適当な番組を制作していって」
「いい加減な芸人さんばかり出してね」
「どんどん面白くなくなって」
「そしてね」
 その結果というのです。
「インターネットでユーチューブが出て」
「ニコニコ動画とかもありますしね」
「そちらに面白いものがどんどん観られる様になってだよ」
「テレビから人が離れましたね」
「そうなったんだ」
 まさにというのです。
「そしてスポンサーも離れて」
「お金もなくなって」
「貧すると窮すると言って」
 先生はこの言葉も出しました。
「それでね」
「余計にですね」
「悪いことになって」
 そしてというのです。
「今に至るんだよ」
「これからも未来はないですね」
「そうだよ、このままだとね」
「やっぱりそうですね」
「実際テレビ番組は変わらないからね」 
 先生は腕を組んで言いました。
「今もね」
「面白くないままですね」
「それどころかね」
 トミーにどうかというお顔でこうも言いました。
「さらにね」
「面白くなくなっていますか」
「そんな気がするよ」
 こう言うのでした。
「お笑いもね」
「もう誰?って人ばかりでね」
 チーチーが言ってきました。
「何処がどう面白いのかわからない芸だね」
「何か先生が落語の論文書く前と今を比べても」 
 ホワイティも言います。
「さらにつまらなくなってるね」
「変に政治的なこと言うお笑いの人もいるけれど」
 ジップはどうかというお顔で首を傾げさせました。
「何がどう面白いのか」
「その政治的な発言も酷いね」  
 老馬も言います。
「運動家の人達みたいで」
「いや、面白くなくて的外れって」
「いいところないよね」
 オシツオサレツもこう言うしかありませんでした。
「本当にね」
「お笑いの芸磨けばいいのに」
「お笑いの人の本分はそちらだよね」
 ガブガブはこのことを指摘しました。
「何と言っても」
「品性もないしね」 
「お笑いは下品なのもあるって言っても」
 チープサイドの家族もどうかというお顔です。
「人間として下品だと」
「お笑いとしてどうかってなるね」
「そうした人達ってインターネットでも酷いこと言うのよね」 
 ダブダブも首を傾げさせています。
「面白いどころか不快な」
「人を不愉快にさせるお笑いの人ってどうなのかしら」
 ポリネシアの言葉には疑問符が見えました。
「笑わせるのが目的なのに」
「全く、テレビって酷いね」
 トートーが見てもです。
「お笑いも」
「うん、人が離れることも当然だよ」
 先生が見てもです。
「あれではね」
「全くよね」
「番組制作の人達も出ている人達も面白いと思っていないならね」
「面白い筈がないし」
「誰それっていう不愉快なだけの人達ばかりでも」
「面白い筈がないわ」
「そうだね、そういえば僕達もね」
 先生はちゃぶ台のテレビを観て言いました。
「最近チャンネルを点けてもBSとかばかりだね」
「時代劇チャンネルとかね」
「スポーツの実況とかね」
「そういうのばかりで」
「普通の民放観ないね」
「NHKも番組によるわ」
「そうだね、兎に角ね」
 先生は眉を曇らせて言いました。
「今のテレビはね」
「面白くない」
「それに尽きるね」
「民法は特にね」
「そう言うしかないね」
「そうだね」
 こうお話してです。
 皆で晩ご飯のお話をしようとしたらトミーが言いました。
「実は王子から電話がきまして」
「王子からなんだ」
「日本の料理人の方から河豚を貰ったそうで」
「河豚なんだ」
「それを持って来てくれるそうで」
「へえ、そうなんだ」
「それで河豚鍋をしようとなりまして」
 それでというのです。
「僕がお鍋の食材を買っておきました」
「もうだね」
「お葱に白菜にお豆腐に茸に糸蒟蒻をです」
 こうしたものをというのです。
「全部です」
「買っておいたんだ」
「それで今晩は皆で」
「河豚鍋だね」
「そうなります、てっさもです」
 こちらもというのです。
「あるそうです」
「お刺身だね」
「そうです」
「いや、落語でもね」
「河豚は出ますね」
「そうなんだよね、これが」
 先生はトミーに笑顔でお話しました。
「面白いことに」
「本当に面白いですね」
「それでね」
 先生はさらにお話しました。
「あたるお話もね」
「やっぱりありますね」
「そうみたいだよ」
「そうなんですね」
「それで僕が面白いと思うのは」
 河豚についてというのです。
「鉄砲と呼ぶところだよ」
「こちらで、ですね」
「そう、関西でね」
「あたると死ぬからですね」
「鉄砲もあたると死んで」
 そしてというのです。
「河豚もね」
「あたると死ぬということで」
「そう呼ぶのがね」
「面白いですね」
「いい語呂合わせだよ」
「駄洒落みたいですね」
「言葉遊びといえばね」
 そう考えると、というのです。
「これはね」
「まさにそれですね」
「そしてね」
 さらに言う先生でした。
「河豚にも歴史があって」
「こっちでは昔から食べてましたね」
「大阪ではね、戦争前は免許を持っていなくても」
 河豚を調理するそれがというのです。
「自分で捌いてね」
「食べる人がいたんですか」
「大阪の街にはね」
「そうだったんですね」
「そんなお話も聞いたよ」
「その辺りおおらかだったんですね」
「昔はね、まあ今もお店で捌かないなら」
 それならというのです。
「別に河豚を捌いて食べてもね」
「いいんですね」
「危ないけれどね」
「そうした知識がないと」
「知識があったらいいけれど」
 それでもというのです。
「河豚の毒は危ないから」
「迂闊に調理したら危ないですね」
「鉄砲だからね」 
 まさにそれだからだというお言葉でした。
「気を付けないとね」
「いけないですね」
「イギリスで河豚を食べることはね」
「想像もしなかったですね」
「最近日本料理のお店でメニューであるかも知れないけれど」
 それでもというのです。
「まあイギリスはね」
「うん、食べものの評判悪いからね」
「それも世界的に」
「世界一まずいとかね」
「悪評高いのよね」
「他の国のお料理も」
「だからね」
 それでというのです。
「あたらなくてもね」
「どんな代物が出るか」
「わかったものじゃないね」
「それこそ」
「あちらだと」
「お寿司も日本人が観たら何それだし」
 そう言う様なものでというのです。
「本当にね」
「河豚だってね」
「そもそもイギリス人で河豚食べるって発想ある人少ないね」
「食べものと思ってる人も少ないね」
「烏賊もそうだったし」
「蛸も食べないし」
「そうしたお国で河豚を食べると」
 それならというのです。
「どうなのかな」
「うん、心配だね」
「むしろね」
「河豚が出ても」
「あたらなくてもね」
「いや、イギリス生まれでも」
 それでもと言う先生でした。
「お料理はね」
「紅茶とティーセット」
「あと朝ご飯」
「そうしたものはいいけれど」
「他のものはね」
「僕から見ても」 
 どうにもというのでした。
「残念かなってね」
「言うしかないね」
「特に日本に住む様になって」
「そのことを実感するわね」
「心から」
「全くだよ、日本は落語でも食文化が豊かなことがわかるから」
 そうしたお国だからだというのです。
「余計に思うよ」
「その河豚だって食べられるしね」
「いいよね」
「鉄砲っていう呼び名もあって」
「面白さもあってね」
「心から思うよ、じゃあ今夜は」
 先生は皆に笑顔で言いました。
「河豚を楽しもうね」
「お酒はどうしますか?」
 トミーが聞いてきました。
「そちらは」
「白ワインにしようかな」
「日本酒じゃないんですか」
「日本のお鍋だと日本酒だよね」
「その組み合わせがオーソドックスですが」
「最近よく飲んでるからね」
 日本酒をというのです。
「それでなんだ」
「今夜はですか」
「うん、白ワインにして」
 そしてというのです。
「楽しもうかなとね」
「そうお考えですか」
「日本酒もいいけれど」
 それでもという先生でした。
「和食には日本酒もあるからね」
「今夜はそちらですね」
「あるよね、白ワインも」
「はい、ボトルで二本」
 トミーは笑顔で答えました。
「あります」
「じゃあそれを頂くよ」
「わかりました」
「お酒はないとね」
 先生にとってはです。
「寂しいよ」
「先生お好きですからね」
「うん、煙草は吸わないけれど」
「お酒は大好きですね」
「どんなものでもね、ただね」
「ただ?」
「朝から飲むことはなくなったね」
 これはというのです。
「僕も」
「それはそうですね」
 トミーも頷きます。
「イギリスにおられた時は朝起きて」
「飲むこともあったね」
「はい、食欲がない時とかは」
「ドイツ風にね」
 トミーに笑ってお話します。
「生卵を入れて」
「飲むこともありましたね」
「そうだったけれど」
 それがというのです。
「今はね」
「飲まれないですね」
「夜にならないと」
 さもないと、というのです。
「お酒はね」
「飲まれないですね」
「まあブランデーをね」
 このお酒をというのです。
「紅茶に入れて」
「飲まれることはありますね」
「けれどね」
「夜ですね」
「その時にね」
「お酒を飲まれる様になりましたね」
「朝からは」 
 それはというのです。
「本当にね」
「なくなりましたね」
「日本では朝寝朝酒朝風呂はね」 
 これはというのです。
「物凄くね」
「駄目なことですね」
「そうされていて」 
 そしてというのです。
「それでね」
「普通はしないですね」
「だからね」
 それでというのです。
「僕が飲まないこともね」
「いいことですね」
「夜お仕事をしていないなら」
 それならというのです。
「朝寝朝酒朝風呂はね」
「しないことですね」
「そうだよ、だから僕も今では」
「夜ですね」
「この時にね」
 こう言うのでした。
「飲んでいるよ」
「そうされていますね」
「楽しくね、ではね」
「今夜はですね」
「皆で河豚を食べて」
 そうしてというのでした。
「日本酒をね」
「楽しみますね」
「そうしようね、日本にいたら」 
 そうだというと、というのです。
「本当にね」
「そうしたものも楽しめますね」
「そうだよ、河豚も日本酒も最高だよ」
 先生は笑顔でこうも言いました。
「どちらもね」
「そうですね、じゃあ」
「うん、一緒にね」
「皆で、ですね」
「楽しもうね」 
 こうお話してでした。
 王子が来たところで皆で河豚とお酒を楽しみました、そして先生はその中でいつもの笑顔を見せたのでした。








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