『ドリトル先生の落語』
第八幕 また会って
先生の研究室に八条芸能から電話が来ました、電話の相手は春琴さんのマネージャーの方でした。マネージャーさんは先生に申し出てきました。
「また春琴がです」
「僕とですか」
「お会いしたいと言っていますが」
「はい、ではお伺いしますね」
先生はマネージャーさんに笑顔で言いました。
「大阪に」
「いえ、私達の方からです」
マネージャーさんは明るい声で答えました。
「神戸までお伺いします」
「そうしてくれるのですか」
「はい、実は神戸の方でお仕事がありまして」
それでというのです。
「お伺いしてです」
「そしてですか」
「落語のお話をしたいとのことなので」
「同じイギリス生まれとして」
「そうです、そういうことで」
「それなら。しかし神戸でお仕事とは」
先生はそのことについて思いました。
「落語の席でしょうか」
「はい、それとグラビアの」
「そちらのお仕事もありますか」
「ポートピアの方で雑誌の撮影がありまして」
それでというのです。
「そのこともありまして」
「神戸に来られますか」
「そうです、女性用の雑誌で」
その雑誌はというのです。
「流行の服を着て」
「そのうえで撮影ですか」
「はい、春琴はそちらでも人気がありまして」
「その様ですね、写真集も出しておられますね」
「はい、今度二冊目が出ます」
「二冊目ですか」
「一冊目が好評で」
それでというのです。
「今度はです」
「二冊目ですか」
「そちらが出る予定です」
「二冊目とは」
「最初八条出版にいる大学時代の同期からお話があったんです」
マネージャーさんは先生にお話しました。
「春琴が奇麗でスタイルもいいので」
「グラビアのお仕事も出来るとですか」
「そう言われて」
「グラビアの方もですか」
「本人もそれで人気が出て」
そしてというのです。
「お仕事になるならと」
「引き受けてくれたんですね」
「最初から積極的で」
グラビアのお仕事にもというのです。
「今では落語もグラビアも」
「両方ですか」
「人気があります」
「落語は忘れないんですね」
「兎に角落語が大好きで」
そうした人でというのです。
「もう何があってもです」
「落語はしていますか」
「稽古を毎日何時間もしています」
「それは真面目ですね」
「はい、真面目なんですよ」
春琴さんはというのです。
「グラビアをするのでトレーニングもしまして」
「スタイルを維持していますか」
「健康管理も兼ねて」
「そうしたこともしていますか」
「そうです、それで同居しているお友達とも仲がよくて」
「そちらでもですか」
「楽しく過ごしていて」
プライベートでもというのです。
「悪い遊びもしませんし」
「そうした意味でも真面目ですか」
「そうなんですよ」
「それで第一は落語ですか」
「もう寄席が何よりも好きで」
それでというのです。
「毎日何時間も稽古をしたうえで」
「寄席で落語をされていますね」
「そうしています、では」
「はい、今度ですね」
「こちらに来ますので」
神戸にというのです。
「宜しくお願いします」
「それでは、それと僕も落語を聞いていいでしょうか」
先生はマネージャーさんに尋ねました。
「春琴さんのそれを」
「どうぞそうして下さい」
マネージャーさんは明るい声で答えてくれました。
「是非共」
「はい、ユーチューブでの落語は面白くて」
「よかったですか」
「とても。それでは」
「寄席来られて下さい」
「そうさせてもらいます」
是非にと言ってでした。
先生は実際に春琴さんとまたお会いしてそのうえでこの人の寄席にも行かせてもらうことにしました、ですが。
先生は電話の後で一緒にいる動物の皆に笑顔で言いました。
「皆も。それにトミーも王子もね」
「ああ、日笠さんと行ったら?」
「そうしたら?」
「先生なら誤解されないし」
「そんな人じゃないってわかってるしね」
皆は先生に言いました。
「そうしたらいいよ」
「折角の機会だしね」
「誘ったら?」
「それで一緒に行ったらどうかしら」
「日笠さんなんだ、皆がそう言うなら」
それならと頷く先生でした。
「あの人を誘うね」
「僕達はお家で留守番してるからね」
「二人で楽しく過ごしてね」
「そうしてきてね」
「うん、落語楽しんでくるよ」
先生は皆に明るい笑顔で答えました。
「そうさせてもらうよ」
「いや、違うから」
「楽しむのは落語じゃないから」
「全く、そう言うって思ってたけれど」
「先生は相変わらずだね」
「相変わらずって何がかな」
皆の言葉にです、先生は思わず首を傾げさせてしまいました。
「一体」
「だからそれがわからないからね」
「先生は駄目なのよ」
「あそこまではっきりしてるのにどうしてわからないのか」
「困ったことだよ」
「困った?まあ兎に角ね」
何もわからないまま応える先生でした。
「行って来るよ」
「そうしてきてね」
「二人でね」
「日笠さんも喜んでくれるから」
「是非ね」
皆は気付かないままの先生にやれやれとなりつつ応えます、ですが先生とマネージャーさんのやり取りから思いました。
「しかし出版社の方から声かかるなんてね」
「グラビアのお仕事が」
「そう思うと春琴さんって凄いね」
「アイドルみたいなお仕事も来るなんて」
「グラビアなんてね」
「だからそれもだよ」
先生は皆に今度は落ち着いた表情で答えました。
「芸能界にいるとね」
「お仕事としてあるんだね」
「奇麗だと」
「アイドルや女優さんでなくても声がかかる」
「そうしたものなんだ」
「そうだよ、いいか悪いか別にして」
そうしたことは関係なくというのです。
「グラビアは必須みたいなものだからね」
「普通だと考えていいんだ」
「グラビアのお仕事も」
「奇麗な服や水着を着て撮影してもらう」
「それも立派なお仕事だね」
「そうだよ」
まさにと言う先生でした。
「胸を誇っていいお仕事だよ」
「しかし日本ってグラビア多いかも」
チーチーはふと思いました。
「そのお仕事が」
「漫画雑誌とかだといつもあるしね」
ホワイティも言います。
「アイドルの人とかの」
「表紙にもなってるしね」
ジップは先生やトミーがお家で読んでいるそうした雑誌を思い出しました。
「よくね」
「もうアイドルイコールグラビアっていうか」
老馬はこう言いました。
「そんな風にもなってるね」
「ステージに握手会に」
ガブガブも言います。
「グラビアはアイドルの人達のお仕事の常だね」
「日本はアイドルの人も多いし有名だけれど」
「グラビアもその分多いね」
オシツオサレツは二つの頭で言いました。
「あらゆる雑誌で掲載されていて」
「百花繚乱って感じだね」
「色々な人がグラビアのお仕事して」
「その中に春琴さんも入っているのね」
チープサイドの家族はこの人もとなりました。
「そういうことね」
「そのうちのお一人だね」
「まあイギリスより多いわね」
ダブダブは自分達の故郷のことを思いました。
「日本のそちらのお仕事は」
「イギリスも結構あるけれど」
トートーはそれでもと言いました。
「日本の方が多いことは事実だろうね」
「そうね、コンビニ行ったらアイドルの人が表紙の雑誌は絶対に見るし」
ポリネシアも言います。
「その表紙を開いたらグラビアだから」
「まあビクトリア時代と比べたら」
イギリスのとです、先生は言いました。
「今の日本はあけっぴろげだね」
「そうだね」
「物凄くね」
「日本のグラビアは沢山あって」
「開放的な感じだよ」
「日本はこうしたことは昔から開放的だね」
先生はあらためて言いました。
「江戸時代からね」
「その傾向あるよね」
「言われてみると」
「明治からは堅物な感じもあったけれど」
「浮世絵とかもあったし」
「それも日本だよ」
先生は微笑んでお話しました、そしてです。
お昼ご飯を食べた後に動物園に行ってそのうえで日笠さんとお会いして寄席に誘いますと明るい笑顔で言われました。
「はい、是非です」
「一緒に来て頂けますか」
「先生と一緒なら」
それならというのです。
「何処でも」
「いや、そう言って頂いて何よりです」
先生は日笠さんが一緒にと言われてそれならと答えました。
「僕も」
「八条芸能の人達の公演ですね」
「お笑いのそれでして」
「実は私お笑いはあまり観ないですが」
それでもというのです。
「これも縁ですね」
「縁ですか」
「先生と一緒なので」
それでというのです。
「行かせてもらいますが」
「お笑いをその目で観られることは」
「はじめてです」
「そうなんですね」
「テレビやユーチューブで観て」
そしてというのです。
「それ位で」
「では僕と一緒に行くのがはじめてで」
「先生と一緒ですから」
「僕ですか」
「楽しみです」
「何かです」
先生は日笠さんのお話を聞いて思いました。
「日笠さん僕と行けて」
「いえ、お笑いを観られるので」
先生のお言葉にです、日笠さんは慌てて言い換えました。
「嬉しいですよ」
「そうですか」
「確かにあまり観ないですが」
それでもというのです。
「お笑い自体は嫌いではないです」
「そうなんですね」
「ですから」
それでというのです。
「楽しみです」
「そうなんですね」
「はい、では」
「それではですね」
「その時また宜しくお願いします」
「こちらこそ」
「それでなのですが」
日笠んさんは先生にあらためて尋ねました。
「落語ですね、先生が一番興味がおありなのは」
「実は春雨亭春琴さんとお知り合いで」
「あのイギリス生まれの女性落語家の」
「あの人とです」
「そうです、同じイギリス生まれということで」
「実はあの人がここに来られて」
先生は日笠さんにこのことを素直にお話しました。
「お話もしました」
「そうですか」
「いい人ですよ、明るくて真面目で」
「そうした人ですか」
「はい、落語だけでなくグラビアでもです」
「人気がおありですね、この前コンビニに行きますと」
日笠さんは先生にお話しました。
「あの人が雑誌に載ってました」
「そうだったんですか」
「グラビアですね、水着になっていましたね」
「どうも写真集も出ているそうで」
「奇麗な人ですからね、ただ」
「ただ?」
「先生は大丈夫ですが」
何か妙に気にする、そんな風で言う日笠さんでした。
「その人は先生に何もないですか」
「何もとは」
「お食事に誘われたとかは」
こうしたことはというのです。
「ないですね」
「いえ、別に」
これといってとです、先生は日笠さんに全く気付かないまま答えました。
「そうしたことは」
「それは何よりです」
日笠さんは先生の返答にほっとしたお顔になって答えました。
「よかったです」
「よかったですか」
「はい、本当に」
こう言うのでした。
「ではご一緒に」
「それでは」
先生は笑顔で応えました、ですが。
その後で、です。先生は講義に出てティータイムも楽しみましたがここで動物の皆は先生に困ったお顔で言いました。
「全く」
「先生は相変わらずだね」
「気付かないままだから」
「やれやれだよ」
「本当にね」
「もうちょっとね」
呆れた様に言います、それも皆で。
「わかってくれたら」
「そうだったらいいのに」
「それがわからないから」
「自分のことはね」
「皆日笠さんのことはいつもこう言うけれど」
先生は紅茶を飲みつつ言いました。
「何かあるんだね」
「あるから言うんだよ」
「私達にしてもね」
「それもいつもね」
「そうしているんだよ」
「そうなんだね、しかし日笠さんは何かね」
あらためて言う先生でした。
「春琴さんをかなり気にしていたね」
「それは当然だよ」
「先生とお知り合いなら」
「同じイギリス生まれだし」
「尚更だよ」
「同じ国に生まれても」
それでもとです、先生はティーセットを見つつ言いました。今日のセットは上段はドーナツ中段はチョコレート下段はプリンとなっています。
「別にね」
「これとってなんだ」
「何もないんだ」
「先生からしてみれば」
「僕は女性とのお付き合いはね」
そうしたことはというのです。
「全くね」
「縁がない」
「そうだっていうんだよね」
「それで春琴さんともだね」
「何もないんだね」
「ある筈がないよ」
それこそというのです。
「僕はね、幸いお友達には恵まれているけれど」
「それでもだね」
「交際相手にはならない」
「そうしたことに縁がないから」
「それでだね」
「そうだよ、僕がもてることはね」
女性に恋愛相手と思われてというのです。
「絶対にないよ」
「もてたこともない」
「子供の頃から」
「太っていて運動神経もない」
「それでだね」
「そうだよ、僕は全くね」
先生はさらに言います。
「もてないよ」
「そう言うね」
「先生としては」
「それで今もだね」
「日笠さんもお友達だね」
「春琴さんもね、皆いい人達で何よりだよ」
お友達として言うのでした。
「本当にね」
「先生もいい人だよ」
「素敵な紳士よ」
「しかも公平で優しくて気遣いも出来ている」
「そんな人はもてると思うけれど」
「この外見だからね」
それでというのです。
「それはないよ」
「またそう言うし」
「先生は」
「やれやれだよ」
「全く以て」
「だからもてないことは」
このことはとです、先生はまた言いました。
「僕にとっては絶対と言っていいよ」
「絶対ってそうそうないけれど」
「先生の絶対はそれだね」
「もてない」
「そうだっていうんだね」
「そうだよ、もてることはね」
また言うのでした。
「僕はないよ」
「先生は紳士で公平で優しくて」
「しかも物凄い教養もあって」
「学者さんとして凄くて」
「ちゃんとしたお仕事もあるのね」
「それでも僕はもてないよ」
あくまでこう言うのでした。
「本当にね」
「やれやれだよ」
「何があってもこう言うし」
「ちょっとは自分を振り返ったらどうかな」
「客観視出来るのも先生の長所だけれど」
「そうしたらどうかな」
「客観視してだよ」
先生ご自身はこう思っているのです。
「僕が言うのはね」
「どうかな」
「先生そこもっと考えてね」
「そうしてね」
「一度でもいいから」
「客観視してだよ」
先生としてはです。
「僕は言ってるんだけれど」
「どうだか」
「先生諦めてない?」
「そして先入観ない?」
「恋愛についてね」
「自分自身の」
「いや、ないよ」
本当に自覚がない先生でした。
「僕はね。もてないことは事実だからね」
「まあね、今言ってもね」
「先生はそうした人だし」
「僕達もわかっているから」
「悪く言わないけれどね」
「何かこうした時皆の言うことがわからないよ」
先生は今度はぼやく様に言いました。
「けれど皆が僕を気遣ってくれてることはわかるよ」
「そうしてるわ」
「それで応援してるし」
「それにフォローしていくから」
「何があってもね」
皆もこのことは変わりません。
「先生にはもっと幸せになって欲しいし」
「ずっとね」
「だからだよ」
「これからもね」
「私達は先生の傍にいるわよ」
「うん、そうしてね」
笑顔で応えた先生でした、皆の言っていることはわからなくても好意はわかりました。そうしてなのでした。
先生はティータイムも楽しみました、そしてまた学問に励みますが。
この日の晩ご飯は鯖を焼いたものに野菜炒めそしてもやしのお味噌汁でしたが先生は鯖を見て皆に言いました。
「こちらの落語には鯖も出て来るね」
「へえ、そうなんだ」
「このお魚もなんだ」
「落語に出るの」
「そうなのね」
「大阪では昔からよく食べるからね」
その鯖を食べつつ皆にお話します。
「だからだよ」
「それでなんだ」
「鯖も落語に出るんだ」
「成程ね」
「食べものもネタになるけれど」
「鯖もなんだ」
「そうなんだ、それでこうしてだよ」
先生は鯖の上に乗せた大根おろしも食べて言いました。
「今も食べていてね」
「ネタにして」
「落語家さん達はお話してくれるんだね」
「そうなんだね」
「そうなんだ、それとね」
先生はさらに言います。
「バッテラってあるね」
「あっ、お寿司だね」
「鯖を使った四角いお寿司」
「握り寿司とはまた違う」
「箱寿司っていうのよね、あれ」
「そうだったわね」
「バッテラもね」
このお寿司もというのです。
「大阪のものだよ」
「他の地域にはないんだ」
「大阪名物だったんだ」
「そうだったのね」
「船場ではお吸いものもあるしね」
鯖のというのです。
「大阪は鯖もだよ」
「よく食べるんだ」
「バッテラにもして」
「そしてお吸いものにも」
「そのうえで落語のネタにもする」
「そういうことだね」
「そうなんだ、あと河豚もね」
このお魚もというのです。
「食べていたしね」
「そうそう、鉄砲」
「当たると死ぬからそう呼んで」
「それでも食べていたね」
「大阪だと」
「江戸では禁じられていて」
こちらではというのです。
「食べていなかったけれどね」
「大阪じゃ違ったんだ」
「河豚も食べていたんだ」
「昔から」
「こちらでも禁止されていたみたいだけれど」
それでもというのです。
「ほら、大坂は町人の街でね」
「ああ、お侍さんが少ない」
「それこそお侍さんに一生会ったことがない人がいる位」
「それじゃあ警察だった奉行所の目もね」
「あまりなくて」
「こっそり位ならね」
それならというのです。
「食べる人がいたみたいだよ」
「成程ね」
「大阪じゃそうだったんだね」
「鯖も食べて」
「河豚もだったんだ」
「他には牡蠣の土手焼きもあってね」
こちらのお料理もというのです。
「それで鯨もあるし蟹だってね」
「海の幸豊富だね」
「伊達に前に瀬戸内海あってね」
「水の都とは呼ばれてないね」
「海にから川を使って海の幸を運んで」
「それでそちらは豊富なんだね」
「それも昔からね」
まさに大坂という名前だった頃からというのです。
「そうなんだよ」
「成程ね」
「いい勉強になるわ」
「しかし先生本当に詳しいね」
「大阪の食文化のことにも」
「学ばせてもらうと」
それならという先生でした。
「わかってくるよ」
「先生みたいにだね」
「学問をしていったら」
「そうしたらだね」
「よくわかるんだね」
「そうなのね」
「そうだよ、大阪はね」
この街のことはというのです。
「織田作さんのことを学ばせてもらう時もね」
「ああ、あの人だね」
「あの人はもう生粋の大阪人だし」
「あの人のことを学ぶと」
「大阪のこともよくわかるね」
「そうなるわね」
「だからね」
それでというのです。
「そちらからも詳しくなったかもね」
「成程ね」
「織田作さんのこともあって」
「それで尚更なんだ」
「大阪のことに詳しいんだ」
「そうなったんだね」
「そうだよ、大阪も学びがいがあるよ」
先生はお味噌汁の中のもやしも食べて言いました。
「本当にね」
「それじゃあこれからもだね」
「大阪のこと学んでいくんだ」
「先生としては」
「そうしていくよ、それにね」
さらに言うのでした。
「落語の食べもののお話もね」
「面白いんだね」
「鯖にしても」
「そうなのね」
「そうなんだ、だからね」
それでというのです。
「そちらも学んでいくよ」
「落語も学問だから」
「それでだね」
「そちらも学んでいって」
「楽しむのね」
「そうするよ」
是非にという先生のお言葉でした。
「これからもね」
「いや、そう言うのが先生だね」
「本当にね」
「いつも学問に励んで」
「そしてそれを楽しむのがね」
「そう言ってくれると嬉しいよ」
先生にしてもです。
「本当にね」
「ただ、ですね」
トミーは納豆を出して言ってきました。
「納豆ですが」
「ああ、昔は大阪ではね」
「食べていないですね」
「だから昔の大阪の人達はね」
「納豆食べない人達がですね」
「多かったんだ」
そうだったというのです。
「これがね」
「そうでしたね」
「関西自体にね」
「納豆はなかったですね」
「関西の納豆といえば」
それはといいますと。
「甘納豆だったんだ」
「お菓子の」
「そちらだったんだ」
こうトミーにお話します。
「そうだったんだ」
「甘納豆ですか」
「昭和まで嫌いな人がね」
「糸を引く納豆は」
「本当に多くて」
それでというのです。
「ネタにもなっていたよ」
「お笑いの」
「関西人と納豆のね」
「美味しいですけれどね」
「しかも身体にいいしね」
「大豆ですからね」
「そうだけれど」
それでもというのです。
「何しろ糸を引いていて」
「匂いも凄くて」
「抵抗があったんだ」
「大阪では」
「そうだったんだ、外国の人達だって」
日本以外の国のというのです。
「抵抗ある人いるしね」
「和食でもですね」
「梅干しや海苔もだけれど」
「納豆もですね」
「和食と言ってもお寿司やお刺身だけじゃないよ」
こうも言うのでした。
「納豆みたいなものもね」
「ありますね」
「そしてね」
そのうえでというのです。
「食べられていることはね」
「理解すべきですね」
「そうだよ、じゃあ僕もね」
先生はその納豆を見つつ言いました。
「いただいていいかな」
「はい、どうぞ」
トミーは笑顔で応えました。
「納豆も」
「それじゃあね」
「いや、慣れるとこの匂いがいいのよね」
ポリネシアが言ってきました。
「納豆は」
「食欲をそそるね」
チーチーも言います。
「美味しいって」
「ご飯にかけると最高だよ」
老馬はこう言いました。
「やっぱりね」
「身体によくて美味しくて」
「最高の食べものよね」
チープサイドの家族もこう言います。
「そのうちの一つね」
「そう言っていいね」
「大阪は何でも食べる街だけれど」
ジップはやや首を傾げさせて言いました。
「納豆は違ったんだね」
「長い間食べてなくて入って来ても拒否反応あって」
ホワイティは考えつつ言いました。
「中々定着しなかったんだね」
「まあそうしたものもあるね」
トートーは肯定する言葉を出しました。
「大阪でもね」
「癖が強いと言えば強いわよ」
ダブダブははっきりと言いました。
「納豆は」
「匂いも外見もね」
ガブガブも言います。
「そうなんだよね」
「だったらね」
「仕方ないね」
オシツオサレツは二つの頭で言いました。
「大阪では長い間受け入れられなくても」
「当然と言えば当然だよ」
「それでも大阪人は今ではね」
先生はその納豆を掻き混ぜつつ言いました。
「納豆を食べるよ」
「そうだね」
「今ではね」
「そうしていて」
「美味しい思いをしているね」
「基本ヨーグルトと同じだよ」
納豆はというのです。
「実はね」
「発酵させてるからね」
「納豆もヨーグルトも」
「そうだしね」
「そう言われると同じなのよね」
「そうだよ、だからね」
それでというのです。
「そんな悪く言うことはね」
「ないよね」
「やっぱり」
「特にね」
「そうなんだよ、僕はお寿司にしても好きだよ」
納豆巻きもというのです。
「こちらもね」
「ああ、あれ美味しいよね」
「それもかなり」
「先生も好きでね」
「魚介類の握りと一緒に食べてるね」
「そうしているよ」
実際にというのです。
「僕はね」
「そうだね」
「じゃあまただね」
「楽しく食べるね」
「お寿司屋さん行った時に」
「そうするよ」
納豆をかけたご飯を食べつつ言います。
そしてです、こうも言ったのでした。
「納豆も落語にね」
「なるね」
「そうなるね」
「さっき抵抗あったっていうし」
「大阪では」
「そうなったからね」
だからだというのです。
「ネタにもなるよ」
「そうだね」
「落語のネタにもなって」
「面白くお話出来るわね」
「納豆は」
「そうなるよ、創作落語もね」
古典落語だけでなくです。
「どんどんやっていいしね」
「そうだよね」
「昔のものもいいけれど」
「今のものもいい」
「落語はね」
「そうだね」
「そうだよ、どちらも落語で」
それでというのです。
「大事にしていくことだよ」
「どちらも馬鹿にしないで」
「大事にお話していく」
「そして聞いていく」
「学んでいくことだね」
「それがいいよ、そしてね」
さらに言う先生でした。
「僕もどちらも好きだしね」
「先生はそうした人だね」
「何でもありのまま受け入れる」
「納豆にしてもそうだし」
「落語だってね」
「だからね」
それでというのです。
「納豆だってね」
「落語にしていい」
「そうだね」
「何でもネタにしていいね」
「創作落語も頑張っていって」
「そう、ただ絶対に忘れてはいけないことは」
それはといいますと。
「誰かを馬鹿にしたりね」
「貶めたりだよね」
「見下したりしない」
「そうだね」
「だから自称野球通の知ったかぶりの人はね」
こちらの落語家のつもりの人はというのです。
「落語家失格どころかね」
「お笑いをする資格もない」
「自分は人を笑わせるお仕事をしているって」
「そういう資格もないのね」
「あの人は」
「そうだよ、野球通と言ってもね」
自称でというのです。
「権力者に媚び諂ってそのイエスマンになって」
「何も考えないで」
「その人の言う通りにしろ」
「そう言うのはだね」
「この人教養もないけれどね」
このことも明らかだというのです。
「リア王も読んで欲しいね」
「ああ、道化だよね」
「リア王の」
「あの人だね」
「あの作品の道化は人を笑わせようとしながら」
そのうえでというのです。
「リア王を批判もしているね」
「そうだったね」
「権力者であるリア王を」
「そうしていたね」
「あくまでリア王を思って」
「凄く味のある役なんだよね」
「あああるべきでね」
お笑いはというのです。
「権力者の太鼓持ちになってだよ」
「異論を言う人を馬鹿にする」
「そして嘲笑する」
「そんなことをしたら駄目だね」
「絶対に」
「お笑い以前として人間として醜いよ」
まさにと言う先生でした。
「だからあの人はね」
「駄目なんだね」
「お笑いをしても」
「面白い以前で」
「凄く卑しく見えるんだね」
「しゃもじを持って人の家に上がり込んでご飯を食べる」
そうしてというのです。
「それも下品なことこのうえない顔でね」
「そんなの面白くないね」
「それも全く」
「そうだよね」
「そんなことをしても」
「そう、僕はあの人の落語に面白さを感じないよ」
全くというのです。
「不愉快に思うだけでね」
「人相も悪いしね」
「無茶苦茶卑しい感じだよね」
「笑ってもどんな表情しても」
「人間性が出てね」
「あれが本当に卑しい人だよ」
先生ははっきりと言い切りました。
「皆覚えておいてね」
「忘れられないよ」
「あんな卑しい人相そういないから」
「知ったかぶりばかりでね」
「権力のある人に媚び諂う」
「そうした生き方が出ているから」
「うん、ああなるとね」
まさにというのです。
「お笑いも面白くなくなるよ」
「そうだね」
「卑しさが出るとね」
「面白くなる筈がないね」
「不愉快になるだけだね」
「そもそも笑わせようなんてね」
そうしたというのです。
「もうね」
「ないよね」
「どんな人も笑わせる」
「そんなつもりなんてね」
「そんな人にある筈ないね」
「絶対に」
「僕は面汚しなんて言葉は滅多に使わないけれど」
それでもというのです。
「あの人はそう言えるよ」
「落語家の面汚し」
「お笑いをしている人の」
「そして野球を愛する人達の」
「全てのね」
まさにというのです。
「そうした人だよ」
「そうなったらね」
「人間としてどうか」
「物凄く嫌だね」
「全く以てね」
「ああした人はお笑いをしていなくてもね」
それでもとです、先生は言いました。
「反面教師にすべきだよ」
「そうだね」
「ああはなるまい」
「いつもそう思って」
「ああはならないことね」
「そうすべきだよ、媚び諂い自体がどうかだし」
人としてそう思われる行為でというのです。
「それを背景に自分と違う意見の人を馬鹿にして嘲笑するなんて」
「品性下劣ね」
「まさにそう言っていい」
「最低の行いだね」
「そんなことをする人がお笑いをしてもね」
落語でも何でもというのです。
「何もいいことはないよ」
「笑える筈ないね」
「不快になるだけよ」
「そんな人が何しても」
「お笑いだけでなくて」
「そうだよ。あんな風になったら駄目だよ」
先生は皆に言いました、そのうえでさらに落語のお話をしていくのでした。