『ドリトル先生の落語』




                第四幕  笑えると

 先生は王子が研究室に来て昨日観たテレビのお話をしてきたのを受けました、王子は先生にある落語の番組のことをお話しました。
「咄嗟に題材からね」
「お話を出すことがだね」
「難しいと思うけれど」
 先生にミルクティーを飲みつつお話するのでした。
「それをどの人もね」
「やってみせるんだね」
「その時で面白いかどうかがあって」
「ああ、よかったら座布団が増えてね」
「駄目だとね」
 その場合はといいますと。
「座布団一枚とかね」
「取られるんだね」
「これが何でもない様でね」
「笑えるね」
「いいんだよね」
 実際に先生に笑って言います。
「そのくすりとかかなりね」
「笑えるんだね」
「多少落ち込んでいても」
「笑えるね」
「そうなるからね」
 だからだというのです。
「いいんだよ」
「僕もあの番組はいいと思うよ」
 先生もミルクティーを飲みつつ答えます。
「本当にね」
「そうだよね」
「いや、題材を出されて」
「そこからネタを考えてね」
「それを言うのがね」
「即興でね」
「即興で面白いお話を考える」
 それがというのです。
「あの番組の醍醐味でね」
「落語としてよくて」
「落語家さん自身にもね」
「いい勉強になるよね」
「なるよ」 
 実際にというのです。
「だからね」
「あの番組はいいんだね」
「僕も時々観ることがあるけれど」
「面白いよね」
「うん、共演者の人をネタにしてもね」
 その時もというのです。
「ちゃんと親しみのあるね」
「いいお話にしてるね」
「だからね」 
「観られるね」
「まあかつては知ったかぶりばかりする」 
 先生はここでもこの落語家さんのお話をしました。
「自称野球通の人も出ていたらしいけれどね」
「僕も知ってるよ、あの他の人のお家に上がり込んでご飯を漁る人だね」
「しゃもじを持ってね」
「品性も知性も全くない」
「あの人だよ」
「あの人巨人ばかりで」
 野球通と言ってもです。
「実は野球のことなんかね」
「全く考えていないね」
「巨人のことしか考えていないよ」
「そうなんだよね」
「巨人さえよかったらね」
「他のチームがどうなってもいいよ」
「酷いよね、巨人が弱いと」 
 この忌まわしい邪悪に満ちたチームがというのです。
「世の中いいことばかりなのにね」
「巨人が負けるのを観てね」
「皆元気が出てね」
「頑張れるけれど」
「それがね」
 まさにというのです。
「あの人は別で」
「巨人さえよかったら」
「他のチームがどれだけ弱くなっても最悪潰れても」
「いいよね」
「あの人の思う野球は巨人だけだよ」
 先生は断言しました。
「それでいてね」
「ああしてだね」
「知ったかぶりばかりしてね」
「出て来る時私を野球に連れてってをかけるんだね」
「あれはあの名曲への冒涜だよ」
 それに他ならないというのです。
「野球を愛していないむしろ害になる様なことしかしないし言わない様な人があの曲を演奏させるなんて」
「そんなことはだね」
「全く以てね」 
 まさにというのです。
「冒涜だよ」
「あの名曲への」
「そして野球へのね」
「そんな人だね」
「そしてそんな人がね」
「出ていたけれど」
「けれどね」
 それでもというのです。
「もう出ていないしね」
「いいよね」
「そうだよ、もう二度とね」
「あの番組に出るべきじゃないね」
「あの人は落語家というかお笑いに向いてないから」
「そうだね、昔巨人が強くて」
 今ではずっと最下位で弱くて仕方ないチームにもそんな時代があったのです、遥かな昔のことですが。
「権力があった頃は」
「球界の盟主を自称してね」
「もうやりたい放題で」
「そんな時は巨人という権力を笠に着てだよ」
 そのうえでというのです。
「自分と違う意見の他のチームの選手の人をね」
「馬鹿にしていたんだね」
「実際に討論番組で共演して」
「議論をした時にだね」
「思い切りね」
 その醜い心を全開にしてというのです。
「馬鹿にして」
「そしてね」
 そのうえでというのです。
「貶めて嘲笑していたから」
「そうしたことをしたから」
「お笑いをやるなら」
 それならというのです。
「こんなことはね」
「絶対にしたら駄目だね」
「何があってもね」
「先生の言う通りだよ」
 王子もその通りだと頷いて応えました。
「あの人はお笑いに向いてないね」
「僕は権力がどうとか言うことはね」
「殆どないね」
「よく日本では権力は国家、政府だと言うね」
「そう主張する人いるよね」
「けれどね」 
 それがというのです。
「権力って色々とね」
「あるよね」
「そうだよ、一口に言っても」
 それでもというのです。
「実はね」
「色々あるよね」
「学校の先生も権力出しマスコミだってね」
「権力だね」
「その場その場でね」
「権力ってあるよね」
「だから一口に言えないよ、けれどどんな権力でも」
 権力は色々あるというのです。
「その権力に媚び諂って」
「笠に着て」
「それでね」
 まさにというのです。
「自分と違う意見、まして本気で野球のことを考えて動いている人を馬鹿にして嘲笑して貶めることは」
「他にはたかが選手とかいう言葉にも頷いて」
「巨人のオーナーのね」
「一理あるとかも言ってたね」
「新聞社という権力を持ったね」
「もう完全に権力についてたんだね」
「それでそんなことを言ったんだから」
 それでというのです。
「僕はあの人はね」
「権力に媚び諂う人で」
「そしてね」
 それでというのです。
「他の人を馬鹿にして貶めて嘲笑する人だよ」
「卑しい人だね」
「お笑いは権力とは別というか」
「その権力を風刺する様な」
「そんなものでないとね」
「駄目だね」
「その風刺もね」
 これもというのです。
「ユーモアのある」
「そんなものでないと駄目だね」
「そう、貶めるのとね」
「風刺はまた違うね」
「そうなんだ、言論の自由とイエロージャーナリズムは違うしね」
 先生はこちらのお話もしました。
「イエロージャーナリズムはやりたい放題だよ」
「何でも書く」
「そうしたね」
「悪質なものだよね」
「そうだよ、タブロイド紙なんかはね」
「やりたい放題だよね」
「まともな取材なんかしないで」
 そうしてというのです。
「権力に諂ったり自分の嫌いな相手を貶める」
「そんな記事ばかりだね」
「そんな記事で戦争になったこともあるんだ」
「ああ、アメリカで」
「アメリカとスペインの戦争も二次大戦も」
「アメリカのイエローペーパーが煽ってね」
「なってしまった一面があるからね」
 こうした事実があったというのです。
「それでだよ」
「イエロージャーナリズムは危険で」
「言論の自由とは違っていて」
 それでというのです。
「風刺もね」
「知性と品性を守ってだね」
「そしてね」
 そのうえでというのです。
「ウィットとユーモアのある」
「そうしたものでないと駄目だね」
「そうしたものがない人が風刺をしても」
「相手を貶めるだけだね」
「そんなものは何でもないよ」
 先生は断言しました。
「まさにイエローーペーパーとね」
「同じだね」
「そうだよ、そしてお笑いも」
 これもというのです。
「権力に諂うんじゃなくて」
「むしろ風刺する」
「そんなもので自分と意見が違う人にそんなことは絶対にしない」
「それが大事だね」
「だからあの落語家さんはね」
「お笑いに向いていないね」
「むしろお笑いをしたら駄目だよ」
 先生は言いました。
「お笑いを穢して貶めるからね」
「そうなるからだね」
「絶対にやったら駄目だよ」
「そうした人だね」
「学校の先生で剣道部の顧問で」
 その立場でというのです。
「中学生に突きしたり」
「中学生はまだ身体が成長途中で整ってないからしたら駄目なんだよね」
「それも試合では絶対に出したら駄目なリンチ技を嬉々として出して」
 生徒である中学生相手にです。
「床の上で背負い投げをしたり竹刀を蹴飛ばしたり罵ったり生徒の背中に竹刀を突っ込む様な」
「そんな人に剣道をする資格があるか」
「王子はどう思うから」
「全部暴力でしかないよ」
 王子は言い切りました。
「何処が剣道なのか」
「それが答えだね」
「そんな人は剣道を教えるどころか」
「剣道をする資格がないね」
「僕そんな先生見たら言うよ」
「剣道をしたら駄目だってだね」
「そう言うよ」
 先生に約束する様に答えました。
「絶対にね」
「そうだよね」
「けれどそんな先生もいるね」
「日本にね」
「酷いことだね」
「こうした先生とその落語家さんは同じで」 
 それでというのです。
「落語もお笑いもね」
「したら駄目だね」
「それじゃあ何をしたらいいかだけれど」
「思いつかないね」
「うん、けれど少なくともね」 
 先生は言いました。
「お笑いはね」
「したら駄目だね」
「その資格がないからね」
「権力に諂って自分と違う意見の人を馬鹿にする様なら」
「もうそれは太鼓持ちだよ」
 そうでしかないというのです。
「お笑いと太鼓持ちもね」
「また違うね」
「そうだからね」
 それ故にというのです。
「お笑いをするにも」
「太鼓持ちになったら駄目だね」
「そうだよ、権力に諂うんじゃなくて」
 そうでなくてというのです。
「風刺する」
「そうだよね、風刺も必要だよね」
 老馬は先生の今のお言葉に頷きました、皆も研究室で先生達と一緒にミルクティーを楽しんでいます。
「時には」
「これが上手くはまるとね」
 ジップも言います。
「物凄く笑えるからね」
「いいよね、貶めるんじゃなくて」
 ポリネシアも言いました。
「ユーモアを利かせる」
「ウィットもね、品性と知性もね」
 こうしたものもとです、ホワイティは言いました。
「あるとね」
「いいものになるよ、逆に言うと」
「そうしたもの全部が必要ね」
 チープサイドの家族も言いました。
「風刺には」
「それも結構な量の」
「そうしたものが全部あるとちゃんとした風刺になって」 
 トートーは思いました。
「ないと只の誹謗中傷だね」
「剣道もちゃんとしたものがないと暴力になるしね」
 ガブガブは先生がお話した学校の先生のことを思いました。
「厳しくするのと虐待も違うしね」
「そこを間違えると大変よ」
 こう言ったのはダブダブでした。
「取り返しのつかないことにもなるわ」
「お笑いもまた然り」
「そういうことだね」 
 オシツオサレツも二つの頭で言います。
「まさに」
「権力に媚びるんじゃくて風刺する」
「知性、品性、ユーモア、ウィット全部を使って」
 そしてと言ったのはチーチーでした。
「笑いにするものだね」
「そうだよ、だからイエローペーパーの風刺画とかはね」 
 先生は皆にもお話しました。
「そうなっていないんだ」
「ただ相手を貶める」
「そんな酷いものになるんだね」
「自分達は風刺をしているつもりです」
「そうなっているんだね」
「そうだよ、本当にこの落語家さんみたいな人は風刺も出来ないし」
 とてもというのです。
「そもそもお笑いにもだよ」
「向いていないんだね」
「落語にも」
「そうした人だね」
「太鼓持ちに過ぎなくて」
「そうだよ、まあその卑しさから嫌われて昨今のご時世もあって」
 それでというのです。
「最近は殆どお仕事がないらしいけれどね」
「いいことだね」
「そんな人は淘汰されないとね」
「日本じゃそうなることは消えるっていうけれど」
「消えるべきだね」
「僕はこうしたことは殆ど思わないけれど」
 心優しくて公平な先生はです、ですがそれでも先生は何が正しくて何が悪いか分別もはっきりわかっている人です。
 だからです、こう言うのでした。
「この人は消えるべきだと思うよ」
「全くだね」
「人を不愉快にさせるだけだし」
「そんな人だとね」
「消えた方がいいね」
「お笑いやってるのに全く向いていないから」
「そう思うよ、お笑いはね」 
 まさにというのです。
「人の心を楽しませるものなんだよ」
「そのことを忘れたらいけないね」
「笑わせる」
「そして風刺もすることもある」
「自分と違う意見とかそういうので馬鹿にしない」
「そうしたことが大事だね」
「そうだよ、そうしたものを守って」
 そしてというのです。
「やっていくべきだよ」
「どの国でもそうだよね」
「お笑いはね」
「日本でもそうだよね」
「そうしたものだね」
「つくづく思うよ」 
 先生は心から思いました、そしてです。
 そのうえで、です。また王子に言いました。
「あの番組は座布団を取られるのもね」
「あれはあれで面白いよね」
「自分の失敗とかもね」 
 そうしたものもというのです。
「笑いの種にするのがね」
「本物のお笑いだね」
「自分を貶めたりするんじゃなくて」
「ネタにするんだね」
「横山やすしさんもしていたしね」 
 この人もというのです。
「本物のお笑いはね」
「自分の失敗もネタにする」
「座布団を取られることも」
 この番組でというのです。
「これもまたね」
「面白い様にすることだね」
「そうだよ、だからあの番組はね」
「尚更いいんだね」
「失敗も面白いネタにすることもね」
「そうだね」
「そう、けれど自分を貶めるとね」
 先生は微妙なお顔になってこうも言いました。
「卑屈になるからね」
「よくないね」
「そうなんだ」
 こう言うのでした。
「それはそれでね」
「そうなんだね」
「そこから自分を哀れむと」
「どうなるのかな」
「この前読んだ漫画であったよ」
「漫画で?」
「うん、そこで主人公が先輩に言われていたんだ」
 そうだったというのです。
「自分を哀れんだらそこからは無間地獄だってね」
「地獄でも一番辛い地獄だね」
「そこに入ってしまうってね」
「そうなるんだ」
「自分を哀れむよりは他の人を憎んだ方がいい」
「憎むことってよくないよ」 
 王子はそのことは頭から否定しました。
「絶対にね」
「そうだね、人を憎むとね」
「それが人でなくてもね」
「それはとても悪い感情で」
「嫌う以上にね」
「心を蝕んでいくよ」
「そして憎しみに心を支配されると」
 その時のこともです、先生は言いました。
「復讐鬼になるね」
「復讐鬼だね」
「そうなるとね」
 先生は王子に深刻なそれでいて哀しさを含んだお顔でお話しました。
「もうね」
「碌なことにならないね」
「それこそかちかち山の兎になるよ」
「日本の童話のだね」
「あの童話の狸も確かに酷いけれどね」
「兎はやり過ぎだよね」
「卑怯で残酷で陰湿だよね」
 先生はその兎のことも言いました。
「お婆さんの仇討ちにしてもね」
「やり方が酷いね」
「これは太宰治が言ってたけれど」
 昭和の日本を代表する小説家の一人であるこの人がというのです。
「あの兎は仇討ちにしてはおかしいんだよ」
「日本の仇討ちって正面から出て来て名乗り挙げてね」
「堂々となるね」
「そうだよね」
「太宰もそれを言っていてね」
「あの兎はおかしいっていうんだね」
「そこからあの人なりのかちかち山を書いたけれど」
 そうしたけれど、というのです。
「あの兎は復讐鬼なんだよ」
「憎しみに心を支配された」
「そうなんだ、憎しみに心を支配された」
「そうした兎なんだね」
「あの兎を見てどう思うか」
「普通はやり過ぎだって思うね」
「卑怯で残酷で陰湿でね」
 先生も言います。
「執拗だってね」
「仇討ちってさっきも言ったけれど名乗りを挙げてね」
 王子はまたこう言いました。
「正面から正々堂々向かって」
「刀でばっさりとだね」
「終わらせるよ」
「相手を苦しめないね」
「普通はそうだよね」
「けれどあの兎はね」
 本来の仇討ちはそうであると思われるのにというのです。
「延々とね」
「騙して惨いやり方でやっていくからね」
「薪背負ってる時に後ろから火を点けて」
「あれは酷いね」
「その後で火傷の後に芥子とか混ぜたのを入れてね」
「さらに苦しめて」
「挙句はだよ」
 最後はというのだ。
「やっぱり騙してね」
「泥舟に乗せて溺れさせて」
「助けるふりをして楷で何度も叩いてね」
「溺れ殺すね」
「ここまでするのはおかしいね」
「世界の童話でもちょっとないよね」
「日本は残酷な話がかなり少ない国だけれど」
 それでもというのです。
「このお話はね」
「かなり残酷だよね」
「これは本当にね」
「兎が憎しみに心を支配されているからだね」
「復讐鬼になっているからだよ」
「つまり憎むと」
「最悪あの兎みたいになるよ」
 先生は苦いお顔でお話しました。
「だからね」
「憎むことはだね」
「とてもよくないことだよ」
「そうだね」
「けれど憎む方がね」
 例えかちかち山の兎の様になってもというのです。
「自分を哀れむよりはね」
「いいんだね」
「そうなったら」
 自分を哀れむ様になると、というのです。
「そこから先は地獄も地獄」
「最悪の地獄だね」
「無間地獄だってね」
「漫画であったんだ」
「そうだよ、だから自分をネタにしても」
 お笑いのです。
「そこは注意しないとね」
「自分を蔑まないことだね」
「これがお笑い、笑わせるならね」
「自分をネタにだね」
「して笑わせる」
「そういうことだね」
「自分をそうするので蔑んだり貶めない」
 時分自身をというのです。
「そしてそこからね」
「自分を哀れんだりしないことだね」
「本当に自分を哀れんだら終わりだから」
「復讐鬼になるより」
「またかちかち山の兎のお話をするけれど」
 先生歯こう前置きして言いました。
「あの兎はいい結末を迎えるかな」
「いい死に方をするか」
「どうかな」
「まずないね」
 王子は紅茶、ミルクティーを飲みつつ言いました。
「あんなことしたら」
「そうだね」
「因果って巡るからね」
「自分の行いはね」
「そうなるからね」
 だからだというのです。
「まずね」
「結末はいいものじゃないね」
「いい死に方しないよ」
「復讐鬼は憎しみに心を支配されていてね」
 そうなっていてというのです。
「それで最後はその憎しみに自分もね」
「飲み込まれて」
「心はどんどんおかしくなって」
「いい結末を迎えないんだね」
「そうなるよ」
「憎んでもそうなるから」
「本当に自分を哀れむことはね」
 これはというのです。
「しないことだよ」
「そうなんだね」
「お笑いにはこのことも大事かな」
「落語でも漫才でもだね」
「どれでもね、まあ他の人の不幸は蜜の味というのも」
 こうした考えについても言う先生でした。
「よくないけれどね」
「日本のドラマであったね」
「人の不幸は楽しい」
「自分のことでないと」
「それなら」
「うん、そうした考えもね」  
 先生は動物の皆にも言いました。
「よくないよね」
「人の不幸より幸せを笑え」
「喜んでね」
「妬んだりもせず」
「そうしないとね」
「そうも思うよ、ただ本当に自分をネタにすることは」
 このことはというのです。
「やっぱり笑えるし」
「それならいいね」
「他の人をそうするより」
「それならいいよね」
「そうだよ、お笑いは何でもありで」
 それでいてというのです。
「やっていいことと悪いことがある」
「それも大事だね」
「良質なお笑いと悪質なお笑いがある」
「その区分があるね」
「何でもありでいて」
「そういうものでもあるね」
 こうも皆に言う先生でした。
「やっぱり、しかしね」
「しかし?」
「しかしっていうと?」
「何かあるのかな」
「いや、またうちの大学の落語研究会の落語を聞きたくなったよ」
 先生は皆に言いました。
「今ね」
「面白かったからね」
「それでだね」
「先生もそう思うのね」
「また聞きたいって」
「寄席に行って」
「そうしたいと思ったよ」 
 まさにというのです。
「あらためてね」
「うん、皆流石にプロの人程じゃなかったけれど」
「名人と呼ばれる人の足下にも及ばなかったけれど」
「それでもね」
「一生懸命やっていて」
「笑わせよう楽しませようと必死でね」
「よかったよ、だからまた聞きたいよ」
 先生は心から思って言いました。
「本当にね」
「全くだね」
「また寄席行こうね」
「八条大学落語研究会のそれに」
「是非ね」
「そうしようね、あと落語を学ぶことも」
 今度は学者さんとして言う先生でした。
「しようかな」
「それいいね」
「落語を学ぶことも」
「落語は日本文化で」
「日本文化を学ぶことにもなるし」
「それもまたいいね」
「そうだね、僕は学問は楽しむものだと思っているし」
 これが先生の学問への考えです、先生はこう考えてそのうえでいつも学問を行っているのです。様々な分野のそれを。
「それでね」
「それで落語もだね」
「学ぶのね」
「そうするんだね」
「その歴史も長いしね」
 落語のそれもというのです。
「学びがいがあるかもね」
「広い世界みたいだしね」
「古典落語もあれば現代落語もある」
「そうしたものだからね」
「次の次の論文は落語にしようか」
 こうも言う先生でした。
「それもいいかな」
「そうだね」
「それもいいかもね」
「じゃあそっちも学んで」
「楽しむんだね」
「そうしようかな」
 まだ決まっていないそれはというのです。
 こうしたお話をしてでした、先生はお昼にご飯を食べてから大学構内にあった落語の本を買いました。そうして読んでみましたが。
 そうしてです、こんなことを言いました。
「うん、こうして読んでも奥が深いね」
「また随分専門的な本買ったね」
「そうね」
 チープサイドの家族は先生が読んでいる本を見て言いました。
「いきなりそうした本からってね」
「また凄いね」
「学問を考えてなのね」
 ダブダブはどうして先生がそうした本を買って読んでるのかを見て考えました。
「それでなのね」
「そうだとすると先生らしいね」
 ホワイティはこう思いました。
「本当に」
「そうだね」
「入門書じゃなくて専門書を読むってね」 
 オシツオサレツも言います。
「学者さんらしくて」
「まさに先生らしいよ」
「そうした本を読んで学ぶ」 
 こう言ったのはポリネシアでした。
「先生らしいね」
「しっかりと学んで読むんだね」
 ガブガブは先生を見て言いました。
「そうするんだね」
「そして論文を書く」
 こう言ったのはチーチーでした。
「そういうことだね」
「先生の落語の論文がどんなものか」
 トートーの言葉は期待している感じでした。
「果たしてね」
「先生って書くの速いし尚且つしっかりと学んで書くから」
 それでといったのは老馬でした。
「いいんだよね」
「じゃあ落語の論文も楽しみにしているよ」
 ジップは先生に言いました。
「僕達もね」
「期待してもらると嬉しいよ」 
 先生も笑顔で応えます。
「じゃあ頑張っていくよ」
「僕も期待しているよ」 
 王子も言います、王子は先生が本屋さんに行っている間自分も執事さんと一緒にご飯を食べてそれから研究室に戻ってきたのです。
「どんな論文かね」
「王子もだね」
「うん、どうも日本のお笑いでね」
 そちらでとです、王子は今もミルクティーを飲みつつ言いました。
「先生は落語が一番気に入ったのかな」
「そうかも知れないね」
 先生も否定しませんでした。
「言われてみると」
「そうなんだね、やっぱり」
「うん、落語の話し方と間にそれに」
 先生はさらに言いました。
「沢山のお話があるけれどそのよさがね」
「いいんだね」
「好きになったよ」
 こう言うのでした。
「だからね」
「落語が一番だね」
「漫才や新喜劇も嫌いでなくて」
 それでというのです。
「コントもね」
「嫌いじゃないんだ」
「漫画やアニメでもそうだし」
「けれどお笑いがだね」
「一番だよ、しかも奥が深いから」
「尚更好きなんだね」
「僕としてはね、それに落語は教養にもね」
 こちらにもというのです。
「なるしね」
「教養だね」
「そうだよ、そして人生の知恵も」
 これもというのです。
「得られるよ」
「ただ笑えるだけじゃないんだね」
「そうだよ」
 こう王子にお話します。
「落語はね」
「そうしたものなんだね」
「本当に素晴らしいものだよ」
「只のお笑いじゃないんだ」
「そうだよ、だからこれを機にね」
 本を手にしてお話します。
「学ばせてもらうよ」
「じゃあ論文も」
「この本を読むまで考えて」
「読み終わったら」
「その時にね」 
 まさにというのです。
「決めるよ」
「落語の論文を書くかどうか」
「そうするよ、そして他の本もね」
 落語のというのです。
「これからね」
「読んでいくのね」
「落語の本を」
「そして論文を書くと」
「その時はだね」
「いい論文を書くよ」
 こう言うのでした、そして今は本を読んでいきました。読んでいると何度か笑う先生を見て動物の皆も笑いました。
「何かね」
「先生楽しそうね」
「落語の本を読んで」
「それもかなり」
「うん、面白いお話が多くてね」
 それでと答える先生でした。
「ついついね」
「笑ってしまうんだね」
「先生としても」
「そうなんだね」
「そうだよ、これはもう決まりかもね」
 次の次に書く論文はというのです。
「落語でね」
「いいかもね、それも」
「今の先生見たら思うわ」
「先生は落語の論文書くべきだって」
「僕達もね」
「そうなんだね、じゃあ飲むお茶は」 
 先生は飲みもののお話もしました。
「日本のお茶にしようかな」
「落語だしね」
「落語の本を読んでるからね」
「それならね」
「飲むお茶もね」
「日本のお茶ね」
「そうだよ、それを飲みながらね」
 そうしつつというのです。
「読むよ、あと僕は江戸つまり東京の落語よりも」
「上方落語だね」
「つまり大阪とか京都だね」
「関西の方ね」
「そっちの落語だね」
「そちらの方がいいね」
 こう言うのでした。
「やっぱりね」
「関西にいるからね」
「やっぱりそうなるわよね」
「僕達もそうだし」
「落語を聞いたら」
「こっちの方がいいよ」
「お笑い自体がね」
 皆も言いました。
「日本にいても」
「それでもね」
「お笑いは上方だよね」
「関西の方がいいね」
「関西に住んでるからね」
 それでとです、先生は笑って言いました。
「そうなるよね」
「そうそう」
「自然にね」
「お笑いも関西のものがいい」
「落語だってね」
「そうなるよ」
「そうだね、東京のものも悪くないけれど」
 それでもというのです。
「関西にずっと住んでいるとね」
「そうなるよね」
「関西にお笑いの芸能事務所の大手があるし」
「それも幾つも」
「そのこともあるしね」
「そうだね、何かテレビのお笑いは面白くなくなっても」
 バラエティー番組のそうしたものはというのです。
「けれど舞台やユーチューブだと健在でね」
「それでだよね」
「実際に面白いし」
「関西の方のものも」
「いいよね」
「いいと思うよ、女の人の落語もね」
 こちらもというのです。
「面白いよね」
「所謂落語女子?」
「そういえばそうした漫画もあったね」
「落語をやる女の子の漫画も」
「アニメにもあったし」
「お笑いは面白いこと、笑えることでね」
 それが大事でというのです。
「性別はね」
「関係ないよね」
「昔はあったかも知れないけれど」
「今はないよね」
「性別に関係なく」
「それでやればいいね」
「そうだよ、女の人もどんどんだよ」
 それこそと言う先生でした。
「本当にね」
「落語していいよね」
「女の人がするな」
「そんなことは言うものじゃないね」
「絶対に」
「僕にはそうした考えもないしね」
 先生ご自身にです。
「やって楽しいならね」
「やるべきだね」
「そうだよ」 
 まさにというのです。
「落語もね」
「他のものもそうで」
「お笑いも然り」
「そして落語もだね」
「やっていくことだね」
「そうだよ、面白ければね」
 そうであるならというのです。
「本当にね」
「やるべき」
「まさに」
「そうだね」
「男の人も女の人も」
「皆が」
「やったらいいよ、特別なことがないと」
 さもないと、というのです。
「日本人でなくても恩あの人でもね」
「落語をすればいいね」
「楽しめばいいね」
「他のことも」
「そうだね」
「そうだよ、そして面白かったら」 
 その人のお笑い特に今のお話では落語がというのです。
「それでいいと思うよ」
「そういうことだね」
「じゃあ皆で落語や漫才を楽しめばいいね」
「面白いと思ったら」
「それで」
「そうだよ、それでいいんだよ」
 先生は笑顔でお話しました。
「皆でね」
「そうだよね」
「それじゃあね」
「僕達も観て楽しもう」
「日本のお笑いをね」
 皆も先生のお話に頷きます、そうしてでした。
 先生はその皆に囲まれたうえで落語の本を読んでいきました、そしてどんどん落語の素晴らしさを知っていくのでした。








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