『ドリトル先生の落語』
第三幕 寄席を聞いて
先生は大学のキャンバス内にあるホールの一つで行われた八条大学落語研究会の寄席を聞きました。最初から最後まで聞いてです。
先生はお家に帰ってから皆にミルクティーを飲みつつ言いました。
「よかったね」
「面白かったね」
「かなりね」
「笑えたね」
「どの人もお話が上手で」
「言葉遊びも利いていてね」
「うん、大学生の人達は」
まさにというのでした。
「まだ若いから」
「ああ、落語にしても経験がね」
「まだ足りなくて」
「色々未熟な部分があるね」
「どうしても」
「そのことを考慮しても」
それでもというのです。
「凄くね」
「面白かったね」
「どの人もね」
「落語にひたむきで真面目で」
「そんな風で」
「よかったよ」
ミルクティーを飲みつつ笑顔で言いました。
「本当にね」
「そうだよね」
「観に行ってよかったよ」
「笑えて楽しめて」
「満足出来たわ」
「江戸時代からね」
先生は笑顔のまま言いました。
「ああしただよ」
「お笑いをやってるんだね」
「日本では」
「それで今もだね」
「やっているんだね」
「そうだよ、話し方の中にね」
先生はこうも言いました。
「間があるね」
「あっ、そうだね」
「どの人もお話で間取ってるね」
「それでお話してるね」
「その間の取り方にね」
「皆気を使ってるね」
「落語はそれが大事だって言われてるんだ」
間の取り方がというのだ。
「そのことも勉強していて」
「いい寄席だったね」
「皆笑わせようと思って」
「真剣にしていて」
「そうした風で」
「うん、まず大事なのはね」
そのことはといいますと。
「笑わせる」
「そう思うことだね」
「お客さん達を」
「まずはね」
「そうすることが大事だよね」
「何といっても」
「そこからはじまって」
そしてというのです。
「ネタも話し方も間の取り方もね」
「勉強する」
「それで日本語のこともだね」
「そうしていってるから」
「今日の寄席はよかったのね」
「そうだよ、テレビのお笑いよりもね」
それよりもというのです。
「ずっとよかったね」
「それ言えるね」
「バラエティ番組よりもずっと楽しめたわ」
「それで笑えたよ」
「本当にね」
「もうテレビはあのままだと」
微妙なお顔になって言う先生でした。
「先はないけれどね」
「今日の寄席は違ったわ」
「確かな面白さがあったよ」
「芯のあるね」
「そうしたお笑いだったよ」
「だからよかったんだ、芯のあるお笑いはね」
それはといいますと。
「何と言ってもね」
「笑わせる」
「そう思うことだね」
「そしてやっていくものだね」
「有名になるとかお金持ちになる」
「それは二の次だね」
先生は言い切りました。
「本来は」
「本当に面白いと後からついてくる」
「そんなものだよね」
「だからそれが目的だとね」
「お笑いも身に入らないね」
「そうだよ、笑わせようと思わないと」
さもないと、というのです。
「本当にね」
「駄目だね」
「何といっても」
「まずはそこからで」
「有名になりたいとかお金持ちになりたいとか」
「あと芸能界で偉くなりたいとか」
「そういうのが目的だとね」
それならというのです。
「例え求めるものを手にしても」
「中見ないよね」
「本職のお笑いもどうせ面白くないだろうし」
「身が入ってないから」
「それじゃあね」
「お駄目だよ、しかしね」
それでもというのでした。
「今日の寄席は違ったからね」
「面白かったね」
「楽しめたわ」
「観ていてよかったよ」
「本当にね」
「満足出来たよ」
「僕もだよ、それでよかったことは」
さらに言う先生でした。
「日本人以外の人も落語をやっていたね」
「半分位そうだったね」
「この学園保育所から学生さんも職員さんも半分位そうだけれどね」
「先生もね」
「それで落語やってる人達もだったね」
「半分位他の国の人だったね」
「落語という日本文化を学んで」
そしてというのです。
「笑わせようと努力していることはね」
「素晴らしいことだね」
「全く以て」
「いや、よかったよ」
「日本文化を学んで」
「そのうえで実践することもね」
「そうだね、しかし日本語以外で落語をしても」
こうも思った先生でした。
「いいかもね」
「そうだね」
「日本文化だけれどね」
「日本語以外でやってもね」
「面白いかもね」
「そうも思ったよ」
今丁度というのです。
「少しね」
「そうだね」
「英語とかフランス語とか」
「中国語でもね」
「スペイン語もいいかも」
「色々な言語でね」
まさにと言う先生でした。
「シェークスピアだって色々な言語で読まれ上演されているからね」
「イギリス人が着物着て正座してね」
笑って言うトートーでした。
「英語で落語するとかね」
「いいね、ケニア人の学生さんも落語してたしね」
ホワイティはさっき観た寄席のお話をしました。
「着物着て正座してね」
「扇子持って動かして」
このことはジップが言いました。
「面白かったしね」
「あとサウジアラビアの人もだったね」
「日本語それも関西弁でね」
チープサイドの家族もお話します。
「幽霊のお話してたわね」
「それも剽軽に」
「その落語を外国語でしても」
こう言ったのは老馬でした。
「いいね」
「日本文化は最近世界各国で広まっているし」
チーチーはこのことをお話しました。
「落語もいいね」
「これもクールジャパンだね」
ガブガブも笑っています。
「その一環だね」
「お笑いもクールジャパンになるのかしら」
ポリネシアは少し考えて言いました。
「そうなるのかしら」
「そう思っていいんじゃない?」
「別にね」
オシツオサレツはそのポリネシアに二つの頭で突っ込みを入れました。
「お笑いでもね」
「他の文化と同じで」
「実際にいい文化だからね」
ダブダブはこう結論を出しました。
「いいんじゃないから」
「うん、いいと思うよ」
実際にとです、先生も応えました。
「僕も今言ったけれど」
「落語も世界に知られて」
「それで世界中で催される」
「そうなってもいいんだね」
「日本だけじゃなくて」
「そうも思うよ、正座は慣れないとね」
こちらのお話もする先生でした。
「辛いけれどね」
「先生も苦手だしね」
「どうしてもね」
「正座については」
「日本に来て長いけれど」
「そうなんだよね、あれはね」
先生も正座については苦笑いで言います。
「僕も駄目だよ」
「そうだよね」
「正座については」
「どうしてもね」
「苦手だよね」
「あれだけは慣れないよ」
皆にも言います。
「本当にね」
「あれに慣れるかどうか」
「そこは難しいね」
「どうもね」
「そうだね、そこも落語の課題だね」
どうにもというのです。
「慣れないとね」
「そのことも苦労するけれど」
「仕方ないね」
「そのことは」
「どうしてもね」
こうしたお話もしてでした。
そうしてです、先生は今はミルクティーを楽しみました。そしてその後で晩ご飯となりますがこの日は鮟鱇鍋でした。
そのお鍋を食べつつです、先生はトミーに言いました。
「トミーは正座はどうかな」
「あっ、大の苦手です」
「ただ苦手なだけじゃないんだ」
「はい、どうしても出来ません」
先生に鮟鱇を食べつつ答えます。
「すぐに足が痺れます」
「慣れないね」
「どうしても」
「そうなんだよね」
先生もそれはと言いました。
「正座はね」
「難しいですよね」
「僕も苦手だよ、それにね」
「それに?」
「いや、体罰でさせる人がいるね」
「いますね、日本には」
「昔からね」
先生はどうかというお顔で言いました。
「あれはね、完全なね」
「体罰ですよね」
「体罰自体がよくないからね」
「させては駄目ですね」
「そして日本の学校はおかしな先生が多くて」
それでというのです。
「剣道部とかは正座するね」
「柔道部もですよね」
「武道だとね、それで長いお話聞く時にね」
「正座しろ、ですか」
「先生がそう言って」
そしてというのです。
「一時間以上の長話をね」
「正座で聞かせるんですね」
「そんなことをしてもね」
それでもというのです。
「足が痺れてお話が耳に入るかな」
「そんな筈ないですね」
「それじゃあ聞いても意味ないね」
「ただ足が痺れるだけですね」
「お話がされていても耳にも入らないならね」
「時間の無駄ですね」
「全くね、それにね」
先生はさらに言いました。
「そもそもだよ」
「そもそも?」
「生徒に正座させて自分は立っているとかね」
「学校の先生普通ですね」
「自分はいいのかってね」
「なりますね」
「こんな先生がいるからね」
だからだというのです。
「日本の教育はよくないんだ」
「そうですよね」
「こんな先生をどんどん辞めさせて」
「いい先生を入れるべきですね」
「そうだよ、日本のおかしなところは」
それはといいますと。
「本当にね」
「学校の先生ですね」
「いい鉄は釘にならなくて」
そしてというのです。
「いい人もね」
「学校の先生にならない」
「そんな状況がね」
「日本の教育を駄目にしますね」
「そうだよ」
まさにというのです。
「実際にしているよ」
「意味がない痛いだけのことをさせて」
「自分はしない」
「そんな先生本当にいなくなるべきですね」
「先生だから本来は人格に優れていて」
そしてとです、先生はお鍋の中のお豆腐それにお葱や白菜や菊菜を取ってでした。自分のお椀に入れて言うのでした。
「頭もよくないとね」
「駄目ですね」
「その筈だけれどね」
「日本ではですね」
「他の職場ではね」
それこそというのです。
「絶対に務まらない」
「そんな人格と頭の人がですね」
「なるものだよ」
「そう言っていい位酷いですね」
「だからね」
それでというのです。
「こんなことをさせる先生が大手を振って歩いていて」
「居座り続けてるんですね」
「これでよくなるか」
「そんな筈がないですね」
「そうだよ、実際にね」
「日本ではですね」
「そんな先生がいて」
それでというのです。
「問題を起こし続けていても」
「その問題も隠蔽されますし」
「教育自体がね」
「よくならないんですね」
「部活で試合に負けてね」
先生はこうしたお話もしました。
「生徒全員に丸坊主を強制して」
「それも体罰ですよね」
「けれど自分はしないとかね」
「自分に責任はない、ですね」
「責任は生徒にあるってね」
「本気で考えていますね」
トミーも呆れました、そのうえでお椀の中の茸を食べます。
「そう」
「自分の教えがね、そして自分より立場が下だから」
「何をしてもいいですね」
「暴力を振るってもね」
体罰は暴力です。
「一行にね」
「構わないんですね」
「そして丸坊主にした生徒が少ないとね」
「暴力を振るうんですね」
「その暴力の跡があっても」
それでもというのです。
「指導ということでね」
「終わりですね」
「こんなの日本でもね」
それこそというのです。
「普通の社会ならね」
「処分されますね」
「そうならない筈がないよ」
絶対にというのです。
「暴力の跡まであるんだよ」
「それが許されるのが学校の先生ですね」
「暴力的で責任感がなくて」
「自分より下と思ったら何をしてもいい」
「こんな人が大手を振って歩けるなら」
それならというのです。
「北朝鮮と変わらないね」
「あの独裁国家とですね」
「実際に日本の学校の先生はね」
「北朝鮮好きな人も多いですね」
「あの国の教育が理想とか言って」
そしてというのです。
「教壇にいるから」
「余計におかしくなりますね」
「そして暴力を振るう様な先生はね」
「今先生がお話されている様な」
「そんな先生こそね」
「北朝鮮が好きですね」
「そしてその教育をいいって言ってるんだ」
先生は極めて否定的にお話しました。
「冗談抜きでこんな先生はね」
「いなくなった方がいいですね」
「まさにね」
「公務員でもですね」
公立学校なら先生も公務員になります、トミーは先生にお豆腐を食べながらそのうえで応えたのでした。
「そうしないと駄目ですね」
「普通公務員でもそんなことしたらどうなるか」
「言うまでもないですね」
「辞めさせられるよ」
「懲戒免職ですね」
「そうなるから」
当然というのです。
「もうね」
「そうならないとおかしいですね」
「平然と人を殴ったり罵ったり」
「その跡があったら」
「それこそね」
まさにというのです。
「問題になるよ」
「絶対に」
「そうなることがね」
「普通ですね」
「その普通でないのがね」
「日本の学校の先生ですね」
「その先生が正座をさせて」
体罰でというのです。
「正座というものに悪い印象を与えることもね」
「よくないことですね」
「そうだよ、全くこうした先生はね」
「一人でも多くですね」
「処分されないとね」
「日本の教育はよくならないですね」
「そうだよ、正座を体罰にすることも」
このこともというのです。
「駄目だよ、しかし落語でも正座はしても」
「それは絶対ですか」
「本来はね、けれどね」
「それでもですか」
「どうしても無理だったり」
先生は考えつつお話しました。
「あと楽しんでもらって笑わせる」
「それが落語ですね」
「それで自分が苦しかったら」
落語をしてというのです。
「あまりね」
「よくないですね」
「そうだよ、考えてみればね」
こう言うのでした。
「だからどうしても無理なら」
「こだわらないですね」
「楽にしていいかもね」
正座をしなくてもというのです。
「少なくても人にさせて自分にしない」
「そんな人の言うことはですね」
「聞いても無駄だしね」
「人にあれこれ言う資格ないですね」
「今僕がお話したみたいな先生はね」
先生も鮟鱇を食べながら言います。
「絶対にね」
「いてはならないですし」
「そんな先生が関わっている場所にもね」
「いたら駄目ですね」
「どんな立派なものをやっている場所でも」
それでもというのです。
「そんな先生がまともに教える筈ないからね」
「殴って蹴って罵って」
「生徒を正しく教える筈ないね」
「むしろ傷付けるだけだね」
「トラウマ負わせたりね」
「するよ、だからね」
間違いなくそうなるからだというのです。
「そんな先生が顧問の部活はね」
「最初から入らない」
「入っても問題があるとわかったらすぐに辞める」
「そうすることだね」
「それが一番だよ」
こう言うのでした、そしてです。
そうした先生のお話をしてから鮟鱇鍋をさらに食べていきます、そこで先生は今度はこんなことを言いました。
「落語は食べものもよくネタになるって言ったね」
「はい、そうでしたね」
トミーも頷きました。
「そうしたものだと」
「だから僕達が今食べているね」
「鮟鱇鍋もですね」
「ネタにしていいよ」
「そうなんですね」
「それが面白いと思ったら」
他ならない鮟鱇を食べながら言うのでした。
「ネタにしていいんだよ」
「そうなんですね」
「そしてね」
先生はさらに言いました。
「笑ってもらう」
「お客さんにですね」
「そうしたらいいんだよ」
「本当に何でもネタに出来るんですね」
「俳句では正岡子規さんがね」
明治の俳人だったこの人がというのです。
「俳句の改革を訴えて」
「何でもですね」
「これだと思ったらね」
「俳句にしていましたね」
「そうだよ、それで俳句が変わったし」
正岡子規さんの行動によってというのです。
「だからね」
「落語もですね」
「そうしてね」
「どんなものでもネタにすることですね」
「古典落語も大事にしながらね」
そうしつつというのです。
「していったらいいんだよ」
「そうなんですね」
「大事なのは笑わせる、笑ってもらう」
先生は糸蒟蒻も食べて言いました。
「お客さんを下に見ない」
「馬鹿にしないことですね」
「そうだよ、本当に知ったかぶりばかりで」
「他の人を馬鹿にしていると」
「笑えなくてね」
そうした落語になってというのです。
「逆にお顔を見るだけで嫌われる」
「そうなるんですね」
「そうだよ、笑わせる」
「そう思うことですね」
「それが大事なんだ」
「そうなんですね」
「鮟鱇鍋でもね」
今食べているそれでもというのです。
「そう思ってね」
「ネタにするといいですね」
「そうなんだ、落語のネタをあらゆるものと場所に見出して」
そうしてというのです。
「見て聞いてくれたお客さんを笑わせる」
「そう思うことですね」
「常にね、まあ僕は偉そうなことを言ってもね」
「落語はですか」
「していないからね」
「実際にはですね」
「指導は出来ないよ」
そうだというのです。
「批評家でもないしね」
「そうなんですね」
「うん、批評家は言うだけで」
「何でもないですね」
「テレビで野球とかを観て偉そうに言って」
そしてというのです。
「自分は出来るか」
「プロでもないとですね」
「出来ないしね、それと同じで」
「先生もですか」
「実際は出来ないからね」
「今みたいにですね」
「言う位だよ、その具体的な内容までは」
そこまではというのです。
「言わないよ。あとその批評で辛辣なことしか言わない人いるね」
「文句みたいな」
「褒めないね」
「相当でもないと」
「そうしたひともね」
「実際にですね」
「出来るか」
それはといいますと。
「実際はね」
「わからないですね」
「そうしたものだしね」
「というかそう言う人程」
「うん、自分はね」
「出来ないですね」
「そうしたものだしね」
だからだというのです。
「僕としてもね」
「そうした人にはなりたくないですね」
「努力していない人程努力を認めないね」
こうもです、先生は言いました。
「何でも出来て当たり前」
「そう考えていて」
「結果だけ見てね」
そしてというのです。
「自分はどうか」
「出来てないですね」
「そんなものだしね」
「その実は」
「だからね」
それでというのです。
「僕はね」
「そんな人にはですね」
「なりたくないしね」
こう考えていてというのです。
「本当にね」
「厳しいことはですね」
「その人の姿勢や努力まで観てね」
「考えますね」
「そうするよ、他にもね」
先生は茸とお豆腐を食べて言いました。
「人に本を借りて」
「その本にあれこれ文句を言う」
「こんな人に貸したいか」
「思わないですね」
「自分が持っている本にね」
「あれこれ文句言われたら」
「不愉快に思う人もいるよ」
そうだというのです。
「そしてこう言われるよ」
「じゃあ読むなですね」
「借りてまでね、借りてやってるなら」
「何様ですね」
「そうなるからね」
そう言われるからだというのです。
「それでね」
「偉そうな批評は控えるべきですね」
「落語でも何でもね」
「そうなんですね」
「そうだよ、批評はする人も見られる」
「そういうことですね」
「辛口の批評家と言われて」
そしてというのです。
「自分はどうか」
「人の振り見て我が振りなおせですね」
「偉そうに言う人はね」
「自分はっていう人ばかりですね」
「他の人ばかり見て」
「自分のことはなおざりになるので」
「説教が好きな人に大した人はいない」
先生はこうも言いました。
「それは確かにね」
「ありますね」
「人に偉そうに言おうといつも考えていて」
「そしてそうしていて」
「自分は他の人や物事に偉そうに言って」
そしてというのです。
「立派だと思うだけでね」
「自分は磨いていないので」
「大した人じゃないんだ」
「むしろ中身がないですね」
「そして言われた人も嫌になって」
そしてというのです。
「見る人もね」
「何だと思って」
「嫌われるよ」
「そうなるんですね」
「偉そうには言わないことで」
それでというのです。
「批評もね」
「しないことですね」
「最初からね」
「それがいいですね」
「そうだよ」
まさにというのです。
「本当にね」
「最初からですね」
「そうすることだよ、見られるのは批評される人だけじゃなくて」
「批評する人もですね」
「見られるんだよ」
「世の中はそうですね」
「だからタブロイド紙は今批判されているんだ」
先生は葱を食べてから言いました。
「悪意ばかりでまともな取材もしていないから」
「そうそう、日本のタブロイド紙ってね」
「新聞も雑誌も酷いよね」
「どう見てもまともな取材とかしてなくて」
「悪意だけで記事書いて」
「北朝鮮のプロパガンダみたいになってるね」
「どれもね」
「そんなものは読めばわかるから」
先生は動物の皆にも言いました、一緒に食べている彼等に。
「批判されるんだよ」
「そうだよね」
「こんなもの読んでも駄目だって」
「面白く思うどころか不愉快に思って」
「批判されるんだね」
「タブロイドは元々品性とかは考慮していないよ」
そうしたマスメディアだというのです。
「面白おかしく書くよ、けれどね」
「笑わせるにしてもだね」
「良質なものと悪質なものがある」
「それでよね」
「そうしたマスメディアは悪質で」
「読んでも面白くないんだね」
「それどころか不愉快に思えるから」
それ故にというのです。
「読まないんだよ、皆ね」
「そういうことだね」
「読んで面白いかどうか」
「そのことは大事よね」
「何と言ってもね」
「そうだよ、観るにしても同じで」
このことはというのです。
「良質な、笑わせようとして」
「そして誰も貶めない」
「知ったかぶりしない」
「そんなお笑いが大事だね」
「そもそも酢豆腐の落語はそうしたものを戒めているね」
先生は皆に言いました。
「そうだね」
「あっ、そうだね」
「言われてみれば」
「偉そうに知ったかぶりする人をネタにして」
「それで笑いにして」
「戒めにもしているわ」
「だからね」
それ故にというのです。
「落語でそうしたことはね」
「しないことだね」
「間違っても」
「落語家さんが知ったかぶりしたら駄目だね」
「本末転倒だね」
「そうだよ、まさにね」
先生はまた言いました。
「本当にね」
「知ったかぶりをする位なら勉強だね」
チーチーは言いました。
「落語の」
「そして謙虚でいないとね」
こう言ったのは老馬でした。
「駄目だね」
「正座は辛くてもね」
それでもとです、トートーは言いました。
「あれは本来は礼儀正しい座り方だし」
「礼儀正しくなら謙虚にだね」
ガブガブも言います。
「そうでないとね」
「落語家さんは正座するのなら」
ダブダブも言います。
「謙虚さを備えていないとね」
「それを偉そうにして人をどんな時でも馬鹿にしたら」
ホワイティは思いました。
「その時点でどうかとなるね」
「いや、そのことを忘れたら」
「その時点で落語も曇るわね」
チープサイドの家族も思うことでした。
「そして濁って汚れる」
「そうした落語になるね」
「そう考えたら」
それこそとです、ジップは思いました。
「落語も難しいね」
「天狗になったら何でも駄目だけれど」
ポリネシアはこう言いました。
「落語は特にみたいだね」
「お笑い自体がそうなんだろうね」
「天狗になったら人を笑わせられないね」
オシツオサレツは二つの頭で言いました。
「その時点でね」
「そうなってしまうね」
「うん、確かに横山やすしさんは破天荒だったよ」
先生はまたこの漫才師さんのお話をしました。
「藤山寛美さんも昔の芸人さんだね」
「そうしたところがあって」
「それで今から見るとどうか」
「そんな人達だったけれど」
「それでもだね」
「あくまで笑わせるで」
そうしたスタンスでというのです。
「お客さんを下には見なかったよ」
「絶対にだね」
「そんな人だったんだね」
「やすしさんも寛美さんも」
「そうだよ、やすしさんはいい気になっていたところはあったかも知れないよ」
先生はやすしさんについてこうも言いました。
「お笑いの頂点に立ったのは事実だし」
「それでだね」
「そうしたところがあったかも知れないんだね」
「やすしさんは」
「後輩さんやお弟子さん達に滅茶苦茶で」
そうした風でとです、先生は日本酒を飲んで言いました。
「赤信号でも車を進ませろって殴ったりね」
「今だとアウトだね」
「もう絶対に」
「後輩さんやお弟子さんも大変だね」
「そんな風だと」
「けれど絶対にだよ」
それこそというのです。
「人やものを貶めたりね」
「馬鹿にしない」
「そうしたお笑いだったんだ」
「最後まで」
「そうだったんだ」
こうお話するのでした。
「あの人もね」
「成程ね」
「それがやすしさんで」
「そして寛美さんもだね」
「そんなお笑いだったんだ」
「だからいいんだ、自分をネタにすることはよくても」
それでもというのです。
「人を馬鹿にする様なら」
「そのお笑いは悪いものになる」
「そういうことだね」
「どうしても」
「そうなんだ、まあ流石にさっきお話した学校の先生達は論外だけれどね」
この人達はというのです。
「お笑い以前にね」
「人間としてだよね」
「失格だよね」
「そもそもね」
「そうよね」
「だからね」
その為にというのです。
「そうした人達は駄目でも」
「それでもだよね」
「やっぱり真面目にする」
「それが大事だよね」
「人を笑わせる」
「馬鹿にしたり下に見ないことだね」
「そうだよ、そう思うとあの野球の落語家さんは」
またこの人のお話をするのでした。
「つくづくね」
「駄目だよね」
「知ったかぶりして人を馬鹿にする」
「その時点で落語家失格だね」
「他の人のお家に上がり込んでご飯を漁ってもね」
そうしたことをしてもというのです。
「面白くないしね」
「そうだよね」
「そんなことしてもね」
「落語にも出るよね、人間性が」
「どうしても」
「やすしさんも寛美さんも目は優しかったけれど」
それでもとです、先生はまたお酒を飲んで言いました。
「この人は芽の光もよくなくて」
「人相も卑しい」
「まさに人間性や生き方が出て」
「それでだね」
「人は生まれで決まらないよ」
先生はまた言い切りました。
「決まるのはね」
「生き方だよね」
「それで決まるよね」
「やっぱり」
「リンカーンは人間は四十になったら自分の顔に自信を持てと言ったけれど」
アメリカの大統領だったこの人はというのです。
「それは四十にもなれば」
「生き方が人相に出る」
「そういうことだね」
「元の顔立ちじゃなくて」
「人相のことを言ったんだよね」
「その人相が悪いなら」
それならというのです。
「警戒もしていいよ」
「ヤクザ屋さんとかってそうしたお顔になるしね」
「人相悪くなるよね」
「あとよくドキュンと言われる人達」
「そんな人達もね」
「そう、いつも言っていることやっていることが」
まさにというのです。
「お顔に出るんだよ」
「そういうことだね」
「まさに」
「内面が外面に出る」
「そういうことよね」
「そうだよ、日本のテレビに出てるマスコミの人達に人相が悪い人達がとても多いこともね」
このこともというのです。
「そうした理由があるんだよ」
「わかりやすいね」
「そう言われると」
「それならね」
「悪いことばかり言ってやってるから」
「そうなるんだね」
「偉そうに批評やお説教ばかり言う人の人相も見るとね」
そうした人のお話もするのでした。
「よくないしね」
「そうした人達もだね」
「やっぱり人相悪いね」
「先生の言う通りに」
「そうだよね」
「確かに」
「それはお笑いの人もそうで」
それでというのです。
「気を付けて見ようね」
「お笑いの人達の人相だね」
「それを見る」
「確かなお笑いの人は人相もいい」
「そういうことだね」
「今お話した通りにね」
先生はまた鮟鱇を食べて言いました。
「そうだと思うよ」
「先生見ればわかるしね」
「先生人相いいしね」
「穏やかでいつもにこにことして」
「優しい感じでね」
「目の光もそうだしね」
「優しいからね」
皆は先生もと言いました。
「いつもね」
「実際怒ったことないし」
「誰かの悪口を言ったりね」
「やたら辛辣なことも言わないし」
「偉そうにも言わないしね」
「そうした性格じゃないからね」
先生はお酒を飲んでから答えました。
「僕は」
「それがいいんだよね」
「本当にね」
「先生はね」
「そうした人だから」
「人相にも出ているんだね」
皆に応えて言いました。
「そうなんだね」
「その通りだよ」
「先生も生き方が出ているよ」
「そのお顔にね」
「いい生き方をしていて」
「いい人だからね」
「行いもそうだしね」
それでとです、皆で先生に言います。
「だからだよ」
「先生も人相がいいんだ」
「とてもね」
「お笑いの人じゃないけれど」
「学者さんとして人間として」
「そうした人だからね」
「そうだといいね、人相がいいことは」
先生は笑顔で、です。皆に応えました。
「元のお顔がいいよりもね」
「いいことだよね」
「元のお顔がよくても人相で違うしね」
「それじゃあお顔立ちより人相がいい」
「その方がいいよね」
「ずっとね」
「そうからね、人相がいいなら」
それならというのです。
「何よりもね」
「いいよね」
「だから僕達の言葉にも喜んでくれるんだね」
「そうなんだね」
「そうだよ、そして人相がこのままいい様に」
その様にというのです。
「生きていくよ」
「そうしていってね」
「是非ね」
「先生の今の人相は他ならぬ先生が作ったものだからね」
「その性格と生き方が」
「だからね」
「うん、穏やかで満足して幸せに暮らして」
そしてと言う先生でした。
「人のことを考えて親切にしていいことをしていく」
「そうしていこうね」
「優しさを話すらないで」
「公平にね」
「そうして生きていくよ」
先生は皆に笑顔で応えました、そしてトミーと皆と一緒に鮟鱇鍋を美味しく楽しく食べていくのでした。