『ドリトル先生と山椒魚』
第八幕 お迎えの準備
八条学園の中の動物園でオオサンショウウオ雌で今いる彼の奥さんになる彼女をお迎えする準備が進められています。
先生もそのお手伝いをしますが。
「僕は身体を動かす方はね」
「先生そういうの苦手だからね」
「肉体労働とか作業も」
「だからそっちはしてないね」
「今回も」
「そうなんだよね、よくないね」
先生は自分で反省してです、動物の皆に言いました。
「これは」
「日本って皆動くよね」
「立場に関係なくね」
「肉体労働するよね」
「作業だって」
「流石に自衛隊の幹部の人はしないけれどね」
この人達はです。
「それをすると指揮にまで目がいかなくなるからね」
「身体を動かすとね」
「もうそこに専念してしまうしね」
「そうなると肝心の指揮が執れないで」
「いざって時大変なことにになるからね」
「作業があっても」
それでもというのです。
「その時も監督つまりね」
「指揮に徹して」
「何かあれば指示を出す」
「そうしているね」
「自衛隊もやっぱり軍事組織だからね」
そうした組織だからだというのです。
「どうしてもね」
「指揮官が必要で」
「指揮官は指揮に徹しないとね」
「そうしないと駄目だから」
「それは違うよ、けれどね」
それでもというのです。
「会社の社長さんでもお掃除するしね」
「そうなんだよね」
「普通にね」
「立場ある人でもね」
「普通にそうするよね」
「作業服を着て」
そうしてというのです。
「自ら汗をかく」
「それが日本だよね」
「日本の特徴の一つで」
「それでだよね」
「どんな人達も身体動かすけれど」
「作業にあたるね」
「けれどね」
それでもというのです。
「僕はね」
「うん、先生ってスポーツとか家事は全く出来ないから」
「それで肉体労働も苦手だからね」
「作業も」
「そうした世事とか雑用はからっきしだから」
「それでなんだよ」
だからだというのです。
「僕は今回もね」
「そうしたことには関わらないで」
「頭脳労働に徹してるね」
「そうだね」
「だからね」
それでというのです。
「僕はその頭脳労働に頑張るよ」
「そうだね」
「それじゃあね」
「そっちで頑張ってね」
「先生のやれることをしてね」
「うん、自分のやれることを全力でやる」
そうすることがというのです。
「そうしないとね」
「出来ることと出来ないことがあっても」
「それでもだね」
「出来ることを全力でやる」
「そうすることだね」
「そうだよ」
こう言ってでした。
先生は環境をチェックしてです。
スタッフの人達にアドバイスをして詳しいレポートも書きました。日笠さんはそのレポートを読ませてもらって驚きました。
「素晴らしいレポートですね」
「そうでしょうか」
「はい」
先生に笑顔で答えました。
「細かいところまで見ておられて公平で」
「いいいのですか」
「そう思います、よくご覧になられてますね」
先生に笑顔で言いました。
「あとです」
「あと?」
「先生は作業の邪魔にならない様にされていましたね」
「はい、そこも見てです」
先生も答えます。
「動いて見ていました」
「そうなんですね」
「はい、ですから」
それでというのです。
「邪魔にならない場所にいる様にしていました」
「そうしたこともご覧になられてましたね」
「そうしていました」
「そこもお見事ですね」
「そうですか」
「何でもご覧になられてますね」
日笠さんは先生ににこりと笑って言いました。
「本当に」
「そう言って頂けるなら何よりです」
「有り難かったです」
「いえ、僕は肉体労働や作業が全く駄目でして」
このことは誰よりも自覚しています。
「ですから」
「意識してですか」
「邪魔にならない様にしています」
「そうですか」
「はい、ではです」
それでというのです。
「またレポートもです」
「書いて頂けますか」
「そうさせて頂きます」
日笠さんに笑顔で答えました。
「このことについても」
「ではお願いします」
「その様に、あとです」
先生はここで日笠さんにあらためてお話しました。
「間もなく三時ですね」
「そうですね」
日笠さんは先生が次に何を言うのかわかっていました、そのうえで応えました。伊達にお付き合いが長い訳ではありません。
「それでは今から」
「ティータイムなので」
だからというのです。
「よかったらご一緒しませんか?」
「そうしてですね」
「また働きませんか」
「そうですね、では」
「はい、楽しみましょう」
お二人は動物の皆とティータイムに入りました。この日は中国茶に杏仁豆腐に胡麻団子にマーラーカオで、でした。
中華風のティーセットを楽しみました、その後でです。
日笠さんはお仕事に戻りましたが皆は研究室に戻ってオオサンショウウオの奥さんを迎える準備の入念なチェックに入った先生に言いました。
「よかったよ、先生」
「ティータイムの時に日笠さんを誘ったことは」
「合格だったよ」
「とてもよかったよ」
「そうなんだね」
先生は皆の言葉に応えました。
「日笠さんが丁度一緒だったし」
「それでだね」
「お誘いしてだね」
「一緒に楽しんだね」
「それがいいんだね、家族やお友達とね」
そうした人達と、というのです。
「楽しむのがね」
「ティータイムだよね」
「だから僕達とはいつも一緒だね」
「毎日ね」
「楽しんでいるよ」
実際にというのです。
「やっぱり欠かせないからね」
「あのね、先生」
「何なら僕達席を外すよ」
ここでオシツオサレツが二つの頭で言ってきました。
「日笠さんと飲まれる時は」
「そうするよ」
「これはトミーも王子もよ」
ガブガブも言います。
「皆そうよ」
「先生のお知り合いならね」
ジップは強く言いました。
「誰だってそうするよ」
「先生そのことわかってね」
こう言ったのはホワイティでした。
「どうしてか」
「今すぐでなくてもだよ」
「わかって欲しいわね」
チープサイドの家族はしみじみとしています。
「何時かは」
「僕達がどうしてこう言うかね」
「本当にお願いするよ」
チーチーも先生に言います。
「このことはね」
「ティータイムは家族やお友達とだけじゃないでしょ」
老馬は先生にあえてこう言いました。
「そうだよね」
「こう言っても先生はわからないというかね」
ポリネシアの口調はやれやれといったものでした。
「気付かないんだよね」
「自分にはってね」
トートーはあえて言いました。
「頑なに信じているから」
「先生、僕達は皆何時でも先生の味方だけれどね」
ダブダブはそれでもと言いました。
「困っていることもあるんだよ」
「やっぱり僕は家事や世事や身体を動かすことはからっきしだからね」
全くわかっていなくてです、先生は言いました。
「それでだね」
「いや、違うから」
「何でそこでそう言うの?」
「家事は私達がいるでしょ」
「世事のことだってね」
「トミーも王子もいるから」
「身体を動かすことも」
こうしたこともというのです。
「全く以ていいから」
「違うことだよ」
「もっとね」
「先生が一番苦手というかね」
「駄目なことのことだから」
「ううん、恋愛は僕には縁がないし」
まさにそれを言う先生でした。
「だとしたらやっぱりね」
「家事や世事のことで」
「身体を動かすことって言うんだ」
「からっきしなのは」
「私達を困らせてることは」
「そうだと思ってるけれど違うんだね」
先生も違うことはわかります、それでこう言うのでした。
「そうなんだね」
「それはそうだけれど」
「本当にわかってくれないから」
「先生みたいないい人いないから」
「見ている人は見ていてくれてるのに」
「だからお友達は多いね」
先生はこう考えました。
「僕には」
「うん、お友達は多いね」
「それはそうだね」
「先生のお友達って人間も生きものも妖怪もで」
「多彩だよ」
「織田作さんもお友達だしね」
今は幽霊となっているこの人もというのです。
「そうだしね」
「それはそうだけれど」
「先生もっと考えてみて」
「周りよく見て」
「そうしてくれたら私達も嬉しいわ」
皆は先生と一緒に中華風のティーセットを飲んで食べつつ言います。
「本当にね」
「先生は皆が好きになってね」
「それはお友達に限らない」
「そうした人だってね」
「ううん、お友達や家族以外となると」
先生はお茶を飲みながら思いました。
「どういった関係かな」
「だからそこはね」
「皆わかってるから」
「周りの誰もがね」
「そこから考えて欲しいわ」
「そうなんだ、まあ兎に角日笠さんをお誘いしたことはよかったんだね」
先生は皆のお話を聞いて言いました。
「そうなんだね」
「うん、そのことはいいことだよ」
「貴重な第一歩だよ」
「だから進めていってね」
「少しずつでもね」
「日笠さんと仲良くだね、そうしていくよ」
先生はこう解釈しました。
「これからもお友達としてね」
「お友達じゃないけれど」
「まあ今はそう思っていいよ」
「先生はこうした人だし」
「僕達もわかっているから」
「何が何かわからないけれどね」
先生としてはです。
「日笠さんとはこれからもお付き合いしていくよ」
「そうしていってね」
「これからも」
「僕達も応援してるし」
「フォローもしていくから」
「宜しくね」
お友達と思ったまま頷く先生でした、そしてです。
チェックの後は論文も書いてでした、お家に帰りました。お家に帰るとこの日の晩ご飯は麻婆豆腐にです。
中華風の鶏肉とお野菜がたっぷりと入ったスープでした、先生はその鳥ガラスープを見て作ってくれたトミーに言いました。
「麻婆豆腐も素敵だけれど」
「スープもですね」
「うん、これもね」
まさにというのです。
「素敵だね」
「中華料理はお野菜も沢山使いますよね」
「ふんだんにね」
「栄養バランスがいいので」
「医食同源と言ってね」
「ですから僕も作る時はです」
その時はというのです。
「意識してです」
「栄養バランスを考えてだね」
「そうしてです」
「作っているんだね」
「麻婆豆腐もそうしています」
こちらのお料理もというのです。
「お豆腐に挽肉に」
「あと唐辛子にだね」
「山椒も利かせて」
そうしてというのです。
「健康にもです」
「いい様にだね」
「しています」
「そうだね。お豆腐はね」
先生はこの食べもののお話をしました。
「とてもだよ」
「身体にいいですね」
「そうだしね、それがメインでね」
「他にも入れると」
「尚更だよ」
「身体にいいですね」
「美味しくてね、ではね」
先生は笑顔で言いました。
「今から食べるよ」
「それでは。あとです」
トミーはさらに言いました。
「今晩は何を飲まれますか?」
「ワインにするよ」
お酒はそちらだというのです。
「白をね」
「そちらのワインですね」
「おつまみはチーズとクラッカーがあるから」
「そうしたもので、ですね」
「楽しむよ、チーズがあったら」
それならというのです。
「ワインで飲む時はかなり助かるね」
「いいおつまみになりますね」
「そうだよね」
「チーズは本当にそうですね」
「しかもチーズも身体にいいしね」
今夜はおつまみにするこの食べものもというのです。
「有り難いね」
「そうですよね」
「うん、ではね」
「晩ご飯の後は」
「白ワインを楽しむよ」
「そうされますね」
「是非ね」
こうトミーに答えました。
「そうさせてもらうよ」
「それでは」
トミーも頷きます、そうしてです。
麻婆豆腐とスープでご飯を食べた後は白ワインをチーズとクラッカーで楽しみます、その時にでした。
先生はワインをグラスで飲んでいますがその時一緒に飲んで食べているトミーに思い出した様に言いました。
「このワインは何処のワインかな」
「富良野です」
トミーは飲みながら答えました。
「あちらのものです」
「日本の北海道のだね」
「そうです」
「北海道にも行ったけれど」
「いいところでしたね」
「食べものも美味しくてね」
それでというのです。
「また行きたい位だよ」
「そこまでお好きですね」
「うん、それで富良野のワインも」
「美味しいですね」
「そうだね。いいね」
飲みながら言うのでした。
「本当に」
「それは何よりですね」
「北海道は産業もよくてね」
「それでワインも美味しいですね」
「それに自然もね」
こちらもというのです。
「素晴らしいよ」
「北海道独特の自然がありますね」
「本土とはまた違ったね」
「そうでしたね」
「生態系は本土と同じ様でも」
それでもというのだ。
「気候と島として離れていてね」
「微妙に違いますね」
「そうだよ、寒いしね」
北海道はというのです。
「そのこともあって」
「本州や四国、九州とはですね」
「また違う自然なんだ」
「そうですよね」
「キタキツネやエゾタヌキ、エゾシカにシマリスにナキウサギ、ヒグマがいて」
そうしてというのです。
「狼もね」
「ニホンオオカミじゃないですね」
「エゾオオカミというんだ」
北海道の狼はというのです。
「絶滅したと言われているけれど」
「まだ棲息していますか」
「目撃例があるから」
だからだというのです。
「僕は期待しているよ」
「ニホンオオカミの様に」
「そうだよ、ただ今研究しているオオサンショウウオはね」
この生きものはといいますと。
「西にいる生きものでね」
「日本のですね」
「東にはいなくて」
「北海道にもですね」
「いないよ」
そうだというのです。
「日本の生きものといってもね」
「日本全体にいるとは限らないですね」
「そうなんだ」
ワインを飲みながらお話します。
「これがね」
「そのことは覚えておくことですね」
「生物学的にね」
「日本にいてもですね」
「それぞれの生きものでね」
「分布があるんですね」
「そうなんだ、だからオオサンショウウオはね」
今学んで何かと関わっている生きものはというのです。
「西日本にいるけれど」
「東にはいない」
「このことを頭に入れておかないとね」
「駄目ですね」
「そうなんだ」
こう言うのでした。
「そのことを覚えておいてね」
「わかりました」
トミーは先生の言葉に頷きました。
「それもまた、ですね」
「生物学でね」
「オオサンショウウオの特徴ですね」
「そうなんだ」
こう言うのでした。
「だからこの兵庫県にも研究センターがあるんだ」
「それで研究されていますね」
「そして東にはそうした施設がないんだ」
「いないならですね」
「研究をしようにも」
そう考えてもというのです。
「肝心の生きものがいないとね」
「生物学だととんでもなく大きな支障が出ますね」
「だからね」
それでというのです。
「そうしたことを把握することも」
「大事ですね」
「そして生息していないと思っても」
「その地域にですね」
「棲息していたりするね」
「そうしたこともありますね」
「例えば四国に鳥はいないとかね」
先生はワインを飲みつつこうしたお話をしました。
「言われても」
「いないと思い込まないことですね」
「そもそもあらゆる可能性がある」
「それがですね」
「学問だしね」
だからだというのです。
「そうしたこともね」
「思いこまないで」
「生きものの調査で現地に入ったらね」
「どういった生きものもいる可能性がある、ですね」
「そう考えてね」
そのうえでというのです。
「調査すべきなんだ」
「そうだよね」
「そうしないと新たな発見もないよね」
「世の中それで色々な生きものが発見されて」
「今先生がお話してる分布だってそうよね」
「何処に分布しているかわからないし」
「いないと決め付けないことだね」
皆も口々に言います。
「決め付けはよくないけれど」
「学問でもだね」
「こうだって決めたらね」
「それで終わりだしね」
「そうだよ、だからね」
先生は皆にもお話します。
「僕は気を付けてるんだ」
「決め付けはしない」
「そのうえで学問にあたる」
「そうしようとだね」
「意識してるのね」
「そうなんだ、実際鳥は四国にもいるよ」
こちらにもというのです。
「ちゃんとね」
「そうだよね」
「鳥いるよね、四国にも」
「というか何でそんな言葉出たの?」
「不思議なんだけれど」
「長曾我部元親さんがいたね」
先生はこの人の名前を出しました。
「戦国時代の土佐今の高知県に」
「ああ、あの人?」
「四国の覇者になった」
「一代でそうして」
「後で豊臣秀吉さんに仕えた」
「あの人は強かったけれど」
このことは事実でもというのです。
「四国には当時他に強い人がいなかったんだ」
「だから四国を統一出来たんだね」
「他にこれといった人達がいなくて」
「それでなんだ」
「だから当時天下人だった織田信長さんが言ったそうなんだ」
この人がというのです。
「鳥のいないつまり強い人のいないね」
「ああ、そういう意味だね」
「それでそう言ったんだ」
「他に強い人がいない」
「飛ぶ鳥がいないことと同じで」
「そこで蝙蝠がいたら」
飛ぶこの生きものがです。
「唯一飛ぶから」
「もう蝙蝠だけ目立つね」
「お空は蝙蝠のものだね」
「そうなるね」
「そうだよ、そうした意味の言葉で」
それでというのです。
「実際は四国にも鳥はいるし」
「そこでその言葉を鵜呑みにして」
「四国に鳥はいない」
「そう思って研究するとね」
「駄目ってことだね」
「そうだよ、学問に決め付けや偏見は禁物だよ」
絶対に駄目だというのです。
「そうして考えて研究していかないとね」
「駄目だね」
「本当にそうだね」
「そうすると間違える」
「そういうことね」
「そうだよ、よく覚えておいてね」
こう言うのでした。
「このことは」
「うん、わかったよ」
「僕達も覚えておくわね」
「そのこともね」
「ちゃんとね」
「だから僕は未確認動物も否定しないし」
それにというのです。
「魔術や錬金術、オカルトもね」
「否定しないよね」
「物凄く熱心に研究しているよね」
「実際に」
「そうだよ、科学が万能でもないしね」
先生はこのお考えもお話しました。
「決してね」
「そうだよね」
「この世に万能のものもないしね」
「それこそ神様以外にね」
「そうだからね」
「そうしたものはないと思って決め付けて」
そうしてというのです。
「考えから排除したら駄目だよ」
「オカルトにしてもそうで」
「他のこともだね」
「学問の中で排除しない」
「そうしないと駄目だね」
「だって月に人はいたね」
先生は皆にかつて月に行った時のことをお話しました。
「そうだったね」
「あれは驚いたよ」
ジップも言うことでした。
「まさか月から人が来て」
「そうそう、僕達が月に行ってね」
チーチーも言います。
「そこでお仕事をするとかね」
「しかも月から地球に帰るなんてね」
ダブダブも言いました。
「夢みたいなことだよ」
「けれど夢じゃなくて」
それでと言うホワイティでした。
「本当のことだったしね」
「何しろ起きても月にいたんだから」
それでとです、老馬も言います。
「夢じゃなかったよ」
「そうしたこともあったし」
「月に人がいたから」
オシツオサレツはこの時も二つの頭で言います。
「どんなことも否定出来ないね」
「有り得ないと思っていることでも」
「いや、あの時の不思議な体験ときたら」
ガブガブも月から人が来て月に行って帰って来るまでのことを思い出しています。
「絶対に忘れられないわ」
「他にも僕達は色々と不思議なことを経験してきたし」
トートーも言います。
「有り得ないとか決め付けて偏見を持つと駄目だね」
「実経験として言えるね」
「そうよね」
チープサイドの家族もお話します。
「学問においては禁物で」
「他のことでもそうだね」
「あらゆる可能性を考える」
ポリネシアの言葉はとても理知的なものでした。
「それが大事なのね」
「そうだよ、幽霊はいないと言ってもいるね」
先生はクラッカーの上に苺のジャムを置いてです。
それを食べてです、それをおつまみにワインを飲んで言いました。
「織田作さんにしても」
「そうだよね」
「ちゃんといるからね」
「幽霊にしても」
「いないと言っても」
「死後の世界だってあるしね」
こちらもというのです。
「織田作さんは何時でも行けるけれど」
「大阪が好きでね」
「ずっとあの街にいたいからね」
「死後の世界に行かない」
「そうなんだよね」
「そうだよ、だからね」
それでというのです。
「死後の世界もあるし」
「死ねば終わりじゃない」
「そのことも覚えておかないとね」
「本当にね」
「しっかりとね」
「本当にね」
「かつてのキリスト教は他の宗教を否定して共産主義は宗教自体を否定したけれど」
それでもというのです。
「僕はしないよ」
「だからお寺や神社にもお参りするし」
「学んでもいるよね」
「キリスト教以外の宗教も」
「そうだよ、そしてね」
そのうえでというのです。
「尊いとも思っているよ」
「それも先生だね」
「他の宗教も否定しない」
「キリスト教以外の宗教も」
「神学者でもあってね」
「そちらの博士号も持っているけれど」
「そうした考えだよ、実は日本に来て宗教を否定していてね」
先生はどうかというお顔になって言いました。
「自分の力だけでやっていくって人と会ったけれど」
「そうした人っているよね」
「無神論者だね」
「無神論も思想だしね」
「そうした考えもあるね」
「けれどその人が日本の皇室を否定して北朝鮮の世襲の共産主義は認めていたのを見てね」
そうしてというのです。
「無神論はこうなるのかってね」
「思ったんだね」
「そうした人が自分の力だけでやっていっても」
「絶対に失敗するよね」
「それじゃあね」
「普通の人は見てわかるよ」
それこそというのです。
「あの国の世襲制はあそこの人達が支持しているからいいって言ったけれど」
「それで本気で言ってるのかな」
「本気で言ってたらどうしようもないよ」
「あの国のことなんて世界の誰でも知ってるよ」
「支持とかそういうことが存在する国か」
「言うまでもないわよ」
「世界一と言っていい独裁国家だね」
先生は言いました。
「言論の自由なんてない」
「一切ね」
「とんでもない階級社会だし」
「そんな国に支持とかあるか」
「言わされている」
「それだけよね」
「そんな国だから」
それでというのです。
「支持なんてないよ」
「それで逆にね」
「日本は支持されてるよ」
「日本の皇室は」
「多くの人にね」
「そうされてるね」
「日本は民主主義だからね」
北朝鮮と全く違ってです。
「その人が日本の皇室を支持していないことは明らかでも」
「他の人は違うから」
「そこをちゃんとわからないとね」
「駄目よね」
「そうだね」
「その人民主主義は共和制か共産主義かって言ったけれどね」
先生はこのこともお話しました。
「日本やイギリスは民主主義じゃないって考えだね」
「色々間違え過ぎてない?」
「無茶苦茶おかしな人よね」
「そんな人が自分の力だけでやっていったら」
「絶対に道を間違えるね」
「確実に碌でもないことになるよ」
「そうした人を見たから」
それでというのです。
「僕は無神論には非常に懐疑的なんだ」
「そうなるよね」
「いや、凄い人だね」
「そんな人が運動家になるのね」
「そうしてヤクザ屋さん以下のことをするのね」
「そうなると思ったよ」
まさにというのです。
「本当にね」
「そうだよね」
「それなら宗教を信じた方がずっといいわ」
「そんな極端な考えになるよりは」
「誰が見たっておかしい考えには」
「北朝鮮がどんな国か子供でもわかってるよ」
それこそというのです。
「それがわからない様ならね」
「駄目よね」
「本当にね」
「そんな風になったら」
「駄目だね」
「僕は本気でその人と会ってこうはなるまいって思ったよ」
反面教師と認識したというのです。
「それで尚更だよ」
「信仰を意識する様にした」
「そうなんだね」
「先生にしても」
「そうだね」
「人間自分の力で生きようなんて思っても」
そう考えてもというのです。
「無理だよ」
「そうだよね」
「そんなこと無理だよね」
「そう思うとそうなる」
「子供がわかることすらわかってない」
「そんな人にだね」
「そうなると思うよ」
ワインを飲みながら思い皆にお話するのでした。
「人間は小さくて弱いものだからね」
「神様から見たらね」
「どんな凄いと思われる人でも小さいよ」
「まさに塵芥だよ」
「人から見たら」
「そんなものだよ」
人間についてこう言うのでした。
「だから自分の力で生きられるか」
「無理だよね」
「そんなことは」
「自分ではそう思っていても」
「出来ていると思っていても」
「それは主観だけだね」
「あくまでね」
それに過ぎないというのです。
「所詮ね」
「若しそれがわからないと」
「本当に駄目だね」
「人間は」
「ウェリントン公爵なんてね」
ワーテルローでナポレオンに勝利を収めイギリスを救ったこの人はです。
「この世で一番立派と言われてもね」
「馬鹿なことを言いなさんなでしたね」
トミーが応えました。
「そうでしたね」
「うん、あれだけのことをした英雄でもね」
「そう言われていましたね」
「それで自分だけで生きられるなんて」
「ことを為せるとは」
「思っていなかったよ」
「そうですね」
トミーも頷きました。
「そう考えていたからそう言いましたね」
「馬鹿なことを言うなってね」
「自分をこの世で一番立派と言われても」
「自分の力だけで為したと思ったら」
ワーテルローでの勝利もです。
「イギリスを救ってね」
「尊大になりますね」
「日本で言うと天狗になって」
尊大をこう表現しました。
「自分の功績を誇ってね」
「どうにもならなくなっていましたね」
「そうなっていたよ」
まさにというのです。
「ウェリントン公爵がそうした考えなら」
「そうですね」
「あのナポレオンを破った自分はね」
「そのナポレオンより凄い」
「そう考えてね」
そうしてというのです。
「そうなっていたよ」
「そうですね」
「世の中何もしていないのに自分がこの世で一番偉いと思っている人もいるしね」
「ウェリントン公爵とは真逆に」
「こうした人も信仰がないんだよ」
「神様を意識していないですね」
トミーは言いました。
「そうですね」
「だからそう思うんだよ」
「自分がこの世で一番偉いと」
「けれどそう考える人はね」
「実は、ですね」
「何でもなくて」
それでというのです。
「かなりね」
「駄目ですね」
「そうだよ」
実際にというのです。
「そうもね」
「信仰も忘れない」
「僕は心掛けているよ、あと分布はね」
このお話に戻るのでした。
「あくまで今で」
「頭に入れていても」
「発見で変わることはね」
このことはというのです。
「よくね」
「覚えておくことですね」
「そうだよ」
まさにというのです。
「さもないとね」
「失敗しますね」
「そうなるよ」
「学問として」
「だから若しかするとオオサンショウウオも」
「東にいるかも知れないですね」
「その可能性はゼロかというと」
それはといいますと。
「本当にね」
「ゼロではないですね」
「そうだよ、それが学問だから」
「分布を頭に入れても」
「そこにいないとはね」
決してというのです。
「決め付けないことだよ」
「それが大事ですね」
「そうなんだ、ではね」
先生はあらためて言いました。
「明日からもね」
「学んでいかれますね」
「そうしていくよ」
笑顔で言うのでした。
「これからもね」
「そうですか、では」
「うん、今日はお酒を飲んだら寝るけれど」
もうお風呂に入っています、それでなのです。
「歯を磨いてね」
「そうされますね」
「気持ちよくね、そして明日から」
「またですね」
「学問だよ」
「そちらに励まれますね」
「僕の生涯の楽しみの一つにね」
こうも言うのでした。
「そうするよ」
「それじゃあ」
トミーも頷きました、そしてです。
チーズを食べてこんなことを言いました。
「しかしこのチーズも美味しいですね」
「そうだよね」
「どんどん食べられます」
「そして飲めるね」
「そうですね」
「いい感じだよ」
先生もチーズを食べつつ言います。
「本当にね」
「そうですね、じゃあ今夜は」
「こうしてね」
「ワインを楽しまれますね」
「そうしていこう」
こうお話してでした。
先生はワインも楽しみました、そうしてまた次の日から学問を楽しむのでした。