『ドリトル先生とタキタロウ』




                第十二幕  論文を書いて

 遂に大鳥池を発つ時が来ました、先生はその時に湖を見て言いました。
「ここでも素晴らしい学問が出来たね」
「そうだね」
「本当によかったわ」
「タキタロウのことを調べられて」
「湖とその周りのことを調べられて」
「実りが多かったね」
「うん、タキタロウのことはまだまだわかっていないけれど」 
 実際にいることはわかってもです。
「それでもね」
「イワナだと思っても」
「先生はそう考えていても」
「確かにはわかっていないね」
「詳しい生態系も」
「まだだよ、けれどね」
 それでもというのです。
「実在は間違いないから」
「そうだね」
「そのことはわかったし」
「よかったね」
「詳しい生態系とかはこれからだね」
「これから調べることね」
「そうなるよ、では神戸に戻ろう」
 皆に笑顔で言いました、そうしてでした。
 湖を後にしました、そのうえで。
 先生は仙台に着いてから皆にお話しました。
「ここに来るまでがね」
「大変だよね」
「仙台に来るまでも」
「大鳥池って山の中にあるから」
「行き来は難しいね」
「うん、あの湖に行くことは」
 どうしてもというのです。
「大変だね」
「だからタキタロウは余計にわからないんだよね」
「山奥の湖にしかいないから」
「思えばかなり辺鄙な場所にいるね」
「行き来したら実感出来るよ」
「ネス湖の様にはいかないよ」
 とてもというのです。
「ネス湖も山の中にあるけれど」
「それでもだよね」
「あちらは車道が通っているから」
「結構行き来するのが楽だよ」
「案外ね」
「それに世界的に有名だから」
 ネス湖はというのです。
「そうなったけれどね」
「それでもだよね」
「タキタロウはネッシー程有名でなくて」
「しかも車道があんなに通っていなくて」
「それでだよね」
「見たって人も少ないね」
「しかもね」
 さらにというのです。
「結構深い場所にいるから」
「尚更だね」
「タキタロウはわかっていないことが多いね」
「どうしても」
「そうなっているね」
「そうだよ、けれどこれからもね」
 是非にというのです。
「調べていくべきだよ」
「タキタロウについて」
「具体的にどんな生きものか」
「調べ続けていくべきだね」
「そうだね」
「そうだよ、調べていくべきだよ」
 先生は皆に確かな声でお話しました。
「ずっとね」
「先生の言う通りだね」
「じゃあそうしていこう」
「これからも」
「是非ね」
「そうしようね」 
 先生は皆に言いました、そうして仙台からです。
 帰りは飛行機で神戸まで戻りました、先生はその足で皆と一緒にお家に入りました。そうするとでした。
 トミーと王子が待っていて迎えてくれて言ってきました。
「サラさんが来週に来られるそうです」
「日本にね」
「今回もご主人のお仕事に付き添って」
「それでここにも来るそうだよ」
「あれっ、そうなったんだ」
 先生は二人のお話を聞いて少し驚きました。
「また急だね」
「はい、急にです」 
 トミーは先生に答えました。
「お仕事で行くことが決まったそうで」
「そうなんだね」
「それで、です」
「来週来日してだね」
「こちらにも来られるそうです」
「わかったよ、しかしサラもよく日本に来るね」 
 先生はしみじみとして言いました。
「本当に」
「そうだね」
 王子は先生のそのお話に頷きました。
「何ヶ月に一回は来てるね」
「三ヶ月か四ヶ月でね」
「そうだよね」
「そのせいか最近日本語が上手になったそうだよ」
「日本によく来ているから」
「それでだね」
「そうらしいよ、日本語は難しいけれどね」 
 それでもというのです。
「かなり身に着いてきたそうだよ」
「日本語の難しさはかなりだね」
「そうよね」
 チープサイドの家族も言います。
「いつも思うけれど」
「こんな難しい言葉ないよ」
「他の言葉と文体違うしね」
 トートーはこのことを指摘しました。
「英語や中国語と」
「しかも文字三つもあるわ」
 ガブガブはこのことを言いました。
「漢字に平仮名、片仮名って」
「こんな言葉他にないから」
 ポリネシアも言います。
「物凄く難しいわ」
「こんな難しい言葉他にないよ」
 ホワイティが本気で言いました。
「もうね」
「こんな言葉あるんだってね」
 ジップは首を傾げさせて言いました、
「最初驚いたよ」
「悪魔の言語って言われてるらしいね」
 チーチーは言いました。
「あまりにも難しくて」
「実際に難しいよ」
 老馬もこう言います。
「日本語は」
「難し過ぎて学ぶにも大変だよ」
 こう言ったのはダブダブでした。
「しかも新しい言葉もどんどん出て来るし」
「先生もそうだけれど」
「サラさんもよく覚えられたね」 
 オシツオサレツは二つの頭で言いました。
「他の人達もね」
「そうだよね」
「僕も覚えるのに苦労したよ」
 王子も言ってきました、皆今はお家の居間でお茶を飲みながらくつろいでいます。その中でお話をするのでした。
「日本語は」
「そうだね、難しくて」
「あまりにもね。中国語の方がずっと楽だよ」
 学ぶにはというのです。
「文字が違うだけで一種類しかないからね」
「漢字だね」
「そうだからね」
「そう、本当にね」
 それでというのです。
「僕もだよ」
「学ぶのに苦労したんだね」
「そうだったよ、一番学ぶのに苦労した言語だよ」
「先生がそう言うんだから凄いね」
「うん、けれどずっと日本にいてね」
 そうしてというのです。
「今では頭の中で考える言葉もだよ」
「日本語だね」
「そうなっているよ」
 実際にというのです。
「今ではね」
「それ僕もだよ」
「僕もです」
 王子もトミーも言ってきました。
「最近はです」
「日本語で考える様になっているよ」
「そうなったのも」
「日本にずっといるからだね」
「そうだね、実は僕は来日してから暫くは頭の中では英語で考えていたんだ」
 先生はこのことをお話しました。
「そうだったんだ」
「それは当然だよね」
「先生元々イギリス生まれでね」
「イギリスで育ってきたし」
「それは当然だね」
「英語で考えるのは」
 皆も言います。
「イギリスにいるとね」
「やっぱりそうなるよ」
「他の言葉を喋られても」
「そうなるね」
「そう、頭の中で思考に使う言葉はね」
 それはというのです。
「生まれ育ってきた国の言語であることが普通だね」
「それで先生は英語で考えていたけれど」
「それはだね」
「今はだね」
「日本にいて長くなっているから」
「日本語で考えているよ」
 そうなっているというのです。
「本当にね」
「そうだよね」
「今の先生はね」
「日本語でものを考えているわね」
「そうなったよ、そして思考に使う言葉によってね」
 それ次第でというのです。
「同じ人が同じことを考えても結論が違ったりするんだ」
「それ凄いよね」
「同じ人が同じことを考えてもね」
「思考に使う言語が違うなら結論が違うなんて」
「そうなるなんてね」
「驚くことだよ」
「そうだね、それで今の僕は日本語で考えているから」
 だからだというのです。
「英語で考えている時とはね」
「同じことを考えていても」
「結論が違っていたりするのね」
「先生にしても」
「そうなんだ、ただサラは頭の中で使っている言葉は」
 それはといいますと。
「英語だろうね」
「そうでしょうね」
「何だかんだでイギリスにいるしね、サラさん」
「日本にはよく来ても」
「それでもね」
「そうだろうね、じゃあサラが来たら」
 先生は笑顔で言いました。
「山形のお菓子をあげよう」
「そうしようね」
「沢山買ったしね」
「サラさんにもプレゼントする予定だったし」
「その分もあるしね」
「あげようね、それとね」
 先生はこうも言いました。
「ほやも買ったしどうかな」
「ほや?仙台の?」
 王子はほやと聞いて怪訝なお顔になって先生に尋ねました。
「あの」
「そう、そのほやだよ」
 先生は王子に明るく答えました。
「海のね」
「やっぱりそれだけ」
「王子は食べたことがあるかな」
「あるけれど不思議な味だね」 
 王子は少し難しそうなお顔になって先生に答えました。
「ほやは」
「珍味と言っていいね」
「僕は食べられるけれど」
「それでもだね」
「かなり癖の強い味だから」
 こうも言うのでした。
「好き嫌いが分かれるところだね」
「そうだね」
「日本人の間でもそうだね」
「好きな人は好きだけれどね」
「苦手な人はだね」
「どうしてもだよ」
 それこそというのです。
「食べられないよ」
「そうだよね、ほやは」
「イギリスではないですね、ほやは」 
 トミーは祖国のことを思い出しました。
「そうですね」
「ないよ、というかイギリスの海産物は」
「イギリス人あまり食べないですね」
「そうだからね」
7烏賊も食べない位だから」
 それでというのです。
「ほやなんて若しイギリス近海にいても」
「沿岸部にね」
「食べないですね」
「そうだろうね」
「海鼠も食べないですし」
 この海の幸もというのです。
「凄く美味しいですが」
「海鼠いいよね」
「美味しいよね」
「それもかなりね」
「そうだよね」
「その海鼠もね」
 これもというのです、先生も。
「イギリス人は食べものと思っていなかったしね」
「もう何これだよね」
「イギリス人にとっては」
「もうね」
「そうだよね」
「だからほやなんてね」 
 それこそというのです。
「食べられるなんてだよ」
「思わないね」
「もう夢にも」
「そうだよね」
「イギリス人は」
「そうだよ、果たしてサラに出しても食べるか」
 先生は心から思いました。
「わからないね」
「食べたら面白いけれどね」
「サラさんがね」
「珍味でしかも身体にもいい」
「そうしたものだけれどね」
「伊達政宗さんも食べていてね」
 この人もというのです。
「お汁まで飲む様に家臣の人達にお話していたんだ」
「仙台っていうと政宗さんだよね」
 王子はその人のお名前を聞いて言いました。
「何といっても」
「そうだね」
「うん、仙台があそこまで発展している土台を作ったね」
「仙台藩の藩主としてね」
「それで今でもだね」
「仙台というとあの人だよ」 
 先生は王子に笑顔でお話しました。
「まさに」
「そうだよね」
「青葉城もね」
 仙台のお城もというのです。
「あの人が築いてね」
「今もあるんだね」
「そうだよ、本当に仙台はね」
「あの人がいてこそだね」
「あれだけの街になったんだよ」
「東北一の街になったね」
「そうだよ、そして今の仙台には」 
 先生はさらにお話しました。
「東北楽天ゴールデンイーグルスも本拠地にしているね」
「ああ、あのプロ野球チームだね」
「すっかり仙台に定着したね」
「東北が本拠地のチームって暫くなかったんだよね」
「一時ロッテがそうだったけれど」
「今は楽天があるね」
「そして東北の人達から愛されているよ」
 そうなっているというのです。
「ずっとね」
「そうだよね」
「あの赤いユニフォームいいよね」
「独特の赤がね」
「恰好いいよね」
「そうだね、カープの赤もいいけれど」
 先生はもう一つの赤いユニフォームのチームのお話もしました。
「楽天の赤もいいよね」
「そうそう」
「あの赤が東北の赤って感じするね」
「広島の赤はカープの赤で」
「東北は楽天の赤だね」
「そうだね、昔はプロ野球のチームは関西と関東にばかり集中していたけれど」
 それがというのです。
「今は九州にもあってね」
「ソフトバンクだね」
「あのチーム強いよね」
「しかも完全に九州に定着して」
「九州の人達に愛されているね」
「そして東北と北海道にもあるから」 
 それぞれの地域にというのです。
「地域に密着して人気が出ているよ」
「いいことだよね」
「昔は巨人ばかりでね」
「日本全国皆巨人」
「プロ野球のチームがない地域はね」
「そんな風だったわね」
「それが変わったんだよ」
 今ではというのです。
「楽天もそのうちの一つだよ」
「東北を本拠地として活動して」
「東北に密着している」
「それはとてもいいことだよね」
「日本のスポーツにとって」
「巨人だけなんて面白くないからね」
 先生は言いました。
「そうだね」
「全然面白くないよ」
「猫も杓子も巨人なんて」
「石を投げれば巨人ファンに当たるとか」
「そんなのはないよ」
「そうだね、だからね」
 先生はさらに言いました。
「今のこの状況はね」
「いいよね」
「それぞれの地域にプロ野球のチームがあって」
「それぞれの地域の人達が応援することは」
「本当にいいよね」
「喜ぶべき状況だね」
「そう思うよ、僕もね」
 先生は今も笑顔でした。
「アメリカ位にそれぞれの地域にプロ野球のチームがあっていいよ」
「全くだね」
「というか関西と関東に集中していたんだね、昔は」
「今以上に」
「そうだったのね」
「一九八〇年代は関西と関東で十球団だったんだ」
 十二球団のうちのというのです。
「かなりだね」
「殆どじゃない、それって」
「十二球団のうち十球団って」
「確か関西に四球団で」
「関東に六球団だね」
「それだけあったんだね」
「それが今の状況になったんだよ」
 二十一世紀はというのです。
「そしてインターネットも普及して」
「そちらで観戦も出来て」
「テレビ放送だけじゃなくて」
「インターネットでどのチームの試合も観戦出来る様になった」
「そのこともいいことだね」
「そうだよ、これまでテレビ放送なんて巨人の試合ばかりだったけれど」
 それがというのです。
「今ではだよ」
「インターネットでどのチームの試合も観戦出来る」
「いいことだよね」
「だからそれぞれのチームにファンがついてるのね」
「そうなっているんだね」
「その通りだよ、もうね」
 今ではというのです。
「巨人だけじゃないんだ、完全にね」
「マスコミのゴリ押しも通じなくなって」
「巨人刷り込みも意味が為さなくなった」
「昔はそれでファンになる人もいたのよね」
「巨人ファンに」
「それも終わったよ、今一番人気のあるチームは」
 それは何処かといいますと。
「何といってもね」
「阪神だよね」
「阪神タイガースよね」
「何といっても」
「そうだよ、長い間関西ローカルだったけれど」
 そうしたチームだったというのです。
「それがだよ」
「今ではね」
「インターネットでも阪神の魅力が伝わって」
「日本全体に」
「それでよね」
「今では日本一の人気チームだね」
「そうなったよ」
 まさにというのです。
「今の阪神は」
「そうだよね」
「もう今の阪神は日本全土にファンが沢山いるわ」
「それで日本一の人気チームだよ」
「そうなっているよ」
「いいことだよ、マスコミの洗脳が通じなくなって」
 そうしてというのです。
「本当に魅力のあるチームの人気が出ることはね」
「素晴らしいことだよ」
「こんないいことはないわ」
「それじゃあね」
「私達も阪神を応援していきましょう」
 皆も笑顔でお話します、そしてです。
 そうしたお話をしてです、皆は東北から帰った後の憩いの時を楽しみました。そして次の日はです。
 先生は大学の研究室で論文を書きはじめました、その論文はといいますと。
「へえ、タキタロウなんだ」
「タキタロウについての論文を書いてるんだ」
「そうなのね」
「そうだよ、大鳥池の調査の時に色々まとめておいてね」 
 先生は動物の皆にパソコンで書きながらお話しました。
「それでだよ」
「今書いているんだ」
「調査をしてまとめたものを書いて」
「そうしてなんだ」
「そうだよ、僕はタキタロウはイワナ属だと考えているから」
 調査の結果です。
「そこからだよ」
「書いているんだね」
「何故イワナ属だと考えるか」
「そのこともだね」
「そして大きさや外見のことも書いて」
 そうしてというのです。
「そのうえで生態系もね」
「書くんだ」
「そうするんだ」
「その論文で」
「そうだよ、わかっている限りね」
 それだけというのです。
「書かせてもらうよ」
「そうしてね」
「頑張ってね」
「そして書き終わったら」
「その時は」
「発表するよ」
 学会でというのです。
「そうするよ」
「そうしてね」
「僕達はこれまで通りサポートしていくね」
「先生の傍にいて」
「そうしていくね」
「お願いするよ、それとね」 
 先生はさらに言いました。
「大鳥池自体のこともね」
「書くんだ」
「そちらのことも」
「論文にするんだ」
「そうするよ、論文を書いてこそね」
 そうしてこそというのです。
「学者だからね」
「そうだよね」
「自分で調べて学んで」
「そのうえで論文を書く」
「それでこそ学者だね」
「本当の意味での学者だね」
「僕はそう考えていて本物の学者になりたいと思っているから」
 それ故にというのです。
「これからもだよ」
「書いていくね」
「今回もそうしていって」
「これからもよね」
「そうしていくね」
「そうするよ、そしてね」 
 そのうえでというのです。
「タキタロウの研究についてだよ」
「一つの説を出す」
「そうしていくね」
「そうだね」
「先生は」
「そうするよ」
 こう言ってでした。
 先生は論文を書いていきます、そうしてです。
 その中で、です。先生はタキタロウの剥製の画像自分のパソコンの中に入れているそれを見て言いました。
「何度見てもイワナだね」
「どのお魚かって言われたら」
「イワナだね」
「タキタロウって」
「マスというよりかね」
 むしろというのです。
「イワナだよ」
「そっちだよね」
「特に頭のところは」
「タキタロウってイワナだね」
「その大型のものだね」
「そうだと思うよ、食べるとかなり美味しいというけれど」
 このことからもお話します。
「イワナも美味しいね」
「うん、かなりね」
「イワナって美味しいわ」
「あちらでもかなり食べたけれど」
「よかったよ」
「そのことからも見てもね」 
 タキタロウが美味しいと言われイワナもそうであることからです。
「イワナだと思うよ」
「タキタロウは」
「大型のイワナで」
「イワナの大型の種類なのね」
「大鳥池だけにいる」
「そうだろうね、ただね」
 ここで先生は書きながら皆にお話しました。
「イワナも淡水魚でタキタロウもだから」
「何かあるの?」
「淡水魚ってことが」
「それが何かあるの?」
「いや、生で迂闊に食べることはね」 
 先生が今お話するのはこのことでした。
「よくないよ」
「あっ、そうだったね」
「タキタロウにしてもそうだし」
「イワナだってそうよね」
「淡水魚は寄生虫が危ないから」
「迂闊に生で食べたら駄目ね」
「火を通して食べるか」
 しっかりとです。
「徹底的に冷凍するかしてね」
「寄生虫を殺して」
「そして食べないとね」
「そうしないと駄目だね」
「そうだよ、さもないとね」
 寄生虫を殺しておかないと、というのです。
「その時はよくてもね」
「後が怖いからね」
「大変なことになるからね」
「寄生虫は大変なことになるから」
「命に関わることだってあるし」
「そうだよ、目にいくと失明するしね」
 そうなるというのです。
「脳まで達すると脳の動きに異常をもたらすし」
「怖いよね」
「当然内臓にも栄養の摂取にも影響するし」
「激しい腹痛に襲われる危険もあるし」
「寄生虫は怖いよ」
「だから気をつけないとね」
「それでイワナを食べる時も注意が必要でね」
 それでというのです。
「若しタキタロウを食べる機会があっても」
「その時もだね」
「タキタロウを食べるのは危険だね」
「迂闊で生で食べることは」
「そうだね」
「そのことは間違いないよ」
 先生は確かな声で言いました。
「食べることも何かと注意しないとね」
「先生ってそうしたこともわかっているからね」 
 ダブダブは嬉しそうに言いました。
「いいんだよね」
「流石お医者さんだよ」 
 ジップは先生を見て尻尾をぱたぱたと振っています。
「寄生虫のこともお話してくれるね」
「そちらの論文も書いていたね」
 ホワイティも言いました。
「そういえば」
「寄生虫についての論文もあるんだね」
 チーチーの口調はしみじみとしたものでした。
「そうなんだね」
「何でも学問だから」 
 それでと言う老馬でした。
「寄生虫についても論文を書けるんだね」
「そういえば寄生虫っていっても多いよ」
「多彩だね」
 オシツオサレツは二つの頭で思いました。
「回虫とかサナダムシとか」
「アニサキスもいるし」
「どんな寄生虫がいてどんな影響を及ぼすか」
 トートーは考えるお顔で言いました。
「覚えておかないとね」
「どんな生きものにいるかもね」
 ポリネシアはトートーに続きました。
「覚えておかないとね」
「そう思うと寄生虫のことも知っておくことね」
 ガブガブは今真剣に思いました。
「それも詳しく」
「知識は武器になるっていうね」
「自分のことを護る」
 チープサイドの家族もお話します。
「そう考えるとね」
「寄生虫についても知っておかないとね」
「そうだよ、寄生虫は気持ち悪いと言う人が多いけれど」
 外見やその行動がです。
「ちゃんと知っておいてね」
「対策を立てておくべきだね」
「それも常に」
「気をつけないとね」
「そうだよ、そしてね」
 そのうえでというのです。
「身体の中に入れないことだよ」
「全くだね」
「そうしたこともしないとね」
「ちゃんとね」
「それで自分の身は自分で守らないとね」
「駄目だよ、特に日本人は生ものが好きだね」
 このことも言うのでした。
「そうだね」
「そうそう、お刺身とかお寿司とか」
「日本人って生ものが好きだよ」
「お店でもよく売ってるし」
「お魚をよく生で食べるよ」
「泉鏡花さんは必ずよく火を通していたけれどね」
 この人のお話もするのでした、明治から昭和にかけて活躍した作家さんのことを。
「それも一つの対策だよ」
「イワナにしてもそうだしね」
「淡水魚も」
「よく火を通して食べることも」
「それも寄生虫対策だね」
「先生さっき言ったけれど」
「寄生虫じゃなくても殺菌になるからね」
 この効果もあるというのです。
「だからだよ」
「是非だね」
「よく火を通して食べることも大事だね」
「中華料理なんてそうだしね」
「よく火を通すしね」
「中華料理がそうなったのも殺菌からだしね」
 見れば先生はタキタロウの味についてのことも論文に書いています、そして淡水魚なので寄生虫の心配があるとも。
「元々は」
「そうそう、何でもね」
「昔は中国でも今以上に生ものが食べられていて」
「お刺身もだよね」
「元々は中華料理だった位で」
「そこから日本に入った」
「そう言われているね」
「そのことを見てもね」
 まさにというのです。
「中華料理はかつてはだよ」
「生ものを食べていた」
「そうしたお料理があった」
「そうだね」
「ところが生ものから疫病が流行ってね」 
 そうなってというのです。
「それからぢだよ」
「生ものを食べないで」
「よく火を通す様になったんだね」
「今の中華料理になった」
「そうだね」
「そうだよ、だからね」
 それでというのです。
「火を通すことは正しいんだ」
「そうだよね」
「寄生虫のことを考えても」
「お野菜にだって虫が付いてたりするし」
「火を通すといいね」
「そうだよ、ただ今は冷凍技術も発達していて」
 先生はこちらのお話もしました。
「だからね」
「生ものを食べてもいいね」
「そうしても」
「お魚もカチコチに凍らせて」
「中の寄生虫を殺せばいいわね」
「寄生虫は火を通しても死ぬし」
 それと共にというのです。
「冷凍でもだよ」
「死ぬね」
「熱消毒というけれど」
「冷凍殺菌もあるから」
「そちらを使えばね」
「生でも食べられるね」
「そうだよ、冷凍殺菌の後でね」
 それからというのです。
「解凍すればね」
「それでいいね」
「もう安心だね」
「保存も利くしね」
「冷凍技術っていいよね」
「その通りだよ。だから鯉にしてもね」
 このお魚にしてもというのです。
「冷凍をしてね」
「そうして寄生虫を殺して」
「そのうえで食べればいいね」
「鯉のあらいも」
「そうすればいいわね」
「そうだよ、鯉はね」 
 まさにというのです。
「冷凍すればね」
「カチコチにしたら」
「それで生で食べられるね」
「解凍したら」
「そうすれば」
「そうだよ、生で食べたいのなら」
 鯉もというのです。
「そうすればいいんだよ」
「そうよね」
「それじゃあだね」
「そうした時は凍らせて」
「それから解凍すればいいね」
「そういうことだよ、今回は鯉は食べなかったけれど」
 東北に行った時はというのです。
「また食べる時もあるからね」
「そうだね」
「その時はそうして食べよう」
「生で食べたかったら」
「その時はね」
「是非ね」
 こうしたお話もしながらです、先生はタキタロウの論文も大鳥池のそちらも書いていきます。そうしてでした。 
 サラが来ると丁度お昼ご飯だったので仙台の牛タン料理にです。
 ほやも出しました、そのほやを一口食べてです。
 サラは難しいお顔になって言いました。
「物凄い匂いね」
「潮のだね」
「それで味もね」
 こちらもというのです。
「何かね」
「かなり癖が強いね」
「日本にはこうした食べものもあるのね」
「東北の方にね」
「凄いわね、納豆にも驚いたけれど」
 こちらの食べものにもというのです。
「このほやもね」
「凄いんだね」
「私は食べられるけれど」
「それは何よりだよ」
「食べられてもね」
 それでもというのです。
「あまりね」
「好きじゃないんだ」
「癖が強過ぎるわ」
「そうなんだね」
「ええ、ただ好きな人は好きなのね」
「僕にしてもね」
 先生は妹さんに微笑んで答えました。
「結構ね」
「そうなのね」
「そうだよ、しかしね」
「しかし?」
「いや、食べられるだけでもね」
 それだけでというのです。
「よかったよ」
「そうなの」
「うん、サラもね」
「多分これから食べることはないわね」
「積極的にはだね」
「おそらくね。納豆とあとくさやもだけれど」
 こうした食べものもというのです。
「積極的にはね」
「食べないんだね」
「自分からはね。兄さんは納豆も好きよね」
「そうだよ」
 先生はサラと一緒に食べつつ答えました。
「よく食べるよ」
「そうよね」
「あの匂いと外見もね」
「いいのね」
「好きになるとね」
 そうなると、というのです。
「あれはあれでね」
「いいのね」
「そうなんだ、ウォッシュチーズもいいね」
「日本の人達は逆にそっちが駄目な人が多いわね」
「そう、けれどね」
 それでもというのです。
「僕はそちらも好きなんだよね」
「匂いのするものも好きってことね」
「好き嫌いはないね」
 食べもののというのです。
「本当に。ほやにしてもね」
「兄さん美味しそうに食べてるわね」
「実際に好きだよ」
 先生はお箸をほやを取ってお口の中に入れて笑顔でお話します。
「ほやもね」
「そうなのね」
「お酒にも合うしね」
「日本酒ね」
「サラも日本酒はいけるよね」
 先生は妹さんにほやを食べながら応えます、ただお昼なのでお酒は飲んでいません。
「そうだね」
「そちらはね、ただね」
「ただ?」
「兄さんどんどん日本に馴染んで」
 そうなっていてというのです。
「日本人に見えてきたわ」
「実はもう頭の中で考える言葉もね」
 先生はサラにもお話しました。
「日本語になってるんだ」
「そこまで日本に馴染んでるの」
「そうなんだ」
「あんな難しい言葉で考えるの」
「来日してから徐々にそうなってね」 
 そしてというのです。
「今ではね」
「日本語でなのね」
「考えているんだ」
「そうなったのね」
「漢字に平仮名と片仮名でね」
 三つの文字を使ってというのです。
「そうしているよ」
「凄いわね」
「凄いかな」
「かなり凄いわ、私はかなり喋られる様になったけれど」
 サラはお箸で牛タンを焼いたものを取ってそれでご飯を食べつつ言います、見ればお箸の使い方も先生の方が上手です。
「それで読めるけれど」
「書く方もだね」
「出来る様になったけれど」
 それでもというのです。
「考えることはね」
「ないんだね」
「英語を使っているわ」
 そうだというのです。
「あんな難しい言葉は他にないから」
「あとバスク語も難しいね」
「スペインの」
「そうだけれどね」
「日本語とバスク語は有り得ないわ」
 こうも言うサラでした。
「難し過ぎるわ」
「かなり特殊な言語なのは間違いないね」
「そうだね」
 先生も否定しませんでした。
「僕も思うよ、そして今はね」
「日本語で考えているのね」
「そうなんだ」
 そうなっているというのです。
「今の僕はね」
「そうなのね。そういえばタキタロウっていう名前も」
 サラは先生が調査したそのお魚の名前も出しました。
「そのまま日本語ね」
「そうなんだよね、これが」
「何か片仮名で書いてるけれど」
「平仮名だとたきたろうになるね」
「そうよね」
「漢字だと滝太郎かな」
 先生はこちらもと言いました、
「そうなるかな」
「三つも文字があるからそうなるのね」
「それがまた難しいね」
「ええ、その日本語を頭の中で考えることに使う様になるなんて」
 サラは驚きつつ先生に言いました。
「兄さんもすっかり日本に馴染んだわね」
「そうなったね、本当に」
「嬉しいのね、そのことが」
「これはこれでね、だからこれからもだよ」
「日本で暮らしていくのね」
「皆と一緒にね」
 先生はサラに緑茶を飲みつつ答えました。
「そうしていくよ、幸せに」
「満足しているのね」
「そうだよ、これ以上はないまでにね」
「後は結婚だけね」
「結婚?もう充分過ぎる程幸せだしね」
 それでと返す先生でした。
「それに相手もいないから」
「いいのね」
「うん、別にいいよ」
「相手はいないというのはどうかしらね」 
 サラは微笑んで言いました。
「果たして」
「いや、いないよ」
「兄さんがそう思っていてもよ」
 それはわからないとです、サラは先生に言います。ですが先生はこのことはあくまでわからなくてです。
 また笑ってです、妹さんに答えました。
「どう考えてもそれはないよ」
「兄さんだけよ、そう思っているのは」
 サラはやれやれといったお顔で返します、ですがそれでもでした。
 その先生とお話をしていきます、幸せに包まれている先生にさらに幸せになれると。そしてこうも言いました。
「また何かあればね」
「その時はだね」
「知らせてね、あとタキタロウはね」 
 このお魚はといいますと。
「これから調査していけばね」
「わかっていくね」
「そうなるわね、そのことも知らせてね」
 こう言ってイワナの焼き魚を食べました、タキタロウの仲間だと先生が言うそのお魚はとても美味しかったです。


ドリトル先生とタキタロウ   完


                      2022・5・11








▲頂きものの部屋へ

▲SSのトップへ



▲Home          ▲戻る