『ドリトル先生とタキタロウ』




                第十幕  エチケット

 今先生はスタッフの皆と一緒に大鳥池の周りをお掃除していました、勿論動物の皆も一緒にお手伝いをしています。
 先生はゴミ拾いをしつつ皆にお話しました。
「こうしたこともいいね」
「やっていて気持ちいいね」
「お掃除している場所が奇麗になるから」
「凄くね」
 皆もお手伝いをしながら笑顔で答えます。
「いいよね」
「場所がどんどん清々しくなってね」
「私達もその気持ちになるわ」
「そうだね、お掃除もね」
 これもというのです。
「大事だよね」
「ただ調査をするだけじゃなくて」
「折角こうした場所に来たし」
「お掃除もちゃんとして」
「奇麗にして」
「環境も守らないとね」
「環境保護もちゃんとしてこそね」 
 まさにとです、先生はゴミを拾ってゴミ袋に入れつつお話をします。
「紳士と言えるね、そして調査もね」
「環境を大事にしないとね」
「ちゃんとね」
「そうしないと駄目だね」
「そうだよ、調査をしても」
 それでもというのです。
「調査をする場所の環境は守る」
「それは絶対だよね」
「守らないといけないね」
「何をするにも」
「それもまた学問のあり方だね」
「そうだよ、だから皆今はこうしてね」 
 調査の合間にです。
「お掃除をしているんだ」
「いいことだね」
「場所は奇麗になるし環境も守れるし」
「こうしたこともちゃんとしないとね」
「本当に駄目だね」
「そうだよ、日本ではこうしたことにも力を入れているからね」 
 お掃除にというのです。
「いいんだよ」
「学校なんか毎日お掃除してるしね」
「それで奇麗にしてるしね」
「実際それで学校いつも奇麗だしね」
「日本の学校はね」
「それで調査に出ても」
 それでもというのです。
「こうしてだよ」
「奇麗にして」
「そしてだね」
「そのうえでだね」
「環境も守って」
「僕達もいいことを出来るし」
「こんな素晴らしいことはないよ、しかしね」
 こうも言う先生でした。
「今は僕達以外に人はいないのに」
「結構ゴミあるね」
「誰もいないのに」
「自然のものもあるし」
「結構汚れてるね」
「そうだね、人が来なくてもね」 
 それでもというのです。
「汚れるね、あと僕達がいるから」
「気をつけていてもね」
「場所が汚れるね」
「ゴミが出て」
「いつもお掃除していても」
「そうだね、あとね」 
 こうもお話する先生でした。
「一つ思うことは」
「一つ?」
「一つっていうと」
「何かあるの?」
「日本の場合マスコミの人達が来たら」
 その時はというのです。
「物凄く汚くなることが多いんだよね」
「そうだよね」
「マスコミの人達ってマナー悪いから」
「日本のマスコミの人達は特にね」
「普段からやりたい放題で」
「取材の時もそうだしね」
「それで自然の場所に来ても」
 そうしてもというのです。
「物凄くマナーが悪くてね」
「とんでもなく散らかして」
「それで汚くしてね」
「何もしないで帰って行って」
「そのうえで日本人のマナーはとか言うんだよね」
「またお話に出すけれど」
 こう前置きしてです、先生は皆と一緒にお掃除をしつつお話しました。
「某料理漫画の新聞記者の主人公なんてね」
「何しろ化学調味料使ってるだけで文句言ってね」
「お店の中で騒動起こすからね」
「そんな取材するからね」
「いきなり人をケダモノって罵倒する様な人だし」
「あんな人がやたら多いから」
 日本のマスコミにはです。
「取材に行くとね」
「交通ルール守らないし」
「何か言うと報道の自由だとか言ってね」
「順番だって守らないし」
「プライバシーの侵害も平気だし」
「場所も汚すよ、酷い場合はね」 
 日本のマスコミはというのです。
「自分達でサンゴ礁を壊してね」
「あっ、これだから日本人はってね」
「報道したんだよね」
「ある新聞が」
「自作自演で」
「こんなことを普通にやるからね」 
 日本のマスコミはです。
「酷いんだよ」
「こうしたところに来ても」
「ああした人達が一番環境を破壊するんだね」
「そうなんだね」
「そうなんだ、あと学者が学問の為とか言ってね」
 そう称してというのです。
「酷い調査をしたり剥製や標本の為に乱獲をすることもね」
「あったんだよね」
「これまでは」
「それで取り返しのつかないことにもなったね」
「そうだったね」
「そうだよ、だから気をつけないとね」 
 くれぐれもというのです。
「学問も」
「全くだね」
「もう日本のマスコミは自浄能力がないからどうしようもないけれど」
「僕達は注意しないとね」
「本当にね」
「そうだよ、彼等を反面教師にして」
 そうしてというのです。
「調査に来てもね」
「こうしてだね」
「現場を奇麗にする」
「お掃除もして」
「それで調査の間も気をつける」
「そうしないと駄目だね」
「そうだよ、しかしね」 
 こうも言った先生でした。
「何か汗をかいてきたよ」
「うん、熱心にお掃除をしているからね」
「自然と身体があったまってきたね」
「そうなってきたね」
「そうだね、本当にね」
 先生は笑顔で応えました。
「そうなってきたね」
「いい運動になるね」
「先生って運動しないけれど」
「これはいいカロリー消費になるね」
「そうなるね」
「そうだね」 
 笑顔でお話する先生でした、ですが。  
 皆はここで先生の靴を見て言いました。
「あっ、泥付いてるね」
「革靴にね」
「後で泥取ろう」
「靴磨こう」
「そうしようね」
 先生も応えます。
「じゃあ僕が磨くよ」
「いや、それはいいからね」
 トートーが笑って答えました。
「先生は何もしなくていいよ」
「靴のことはね」
 ダブダブも言ってきました。
「アイロンがけもだけれど」
「家事は私達に任せてね」
 ポリネシアの声は頼りになるものでした。
「いつも言ってる通りにね」
「靴は毎日僕達が磨いてるじゃない」
 ホワイティも言います。
「スーツのアイロンがけだってね」
「お洗濯にしろそうで」
「今日のお掃除は特別だけれどお家のお掃除もそうじゃない」
 チープサイドの家族もお話します。
「だからね」
「僕達に任せてね」
「先生家事は本当に駄目でね」
 ガブガブはこのことから言うのでした。
「靴磨きだってそうでしょ」
「もうしたら靴ズミだらけになるんだから」
 チーチーは仕方ないなというお顔で言いました。
「もう身体中がね」
「普通靴磨きであそこまでならないよ」
 ジップもその時の先生のことを言います。
「そうなるからね」
「先生、家事や身の回りのことは任せて」
「僕達にね」
 オシツオサレツの二つの頭での言葉は頼りになるものでした。
「その為に僕達がいるんだし」
「先生のお世話をするのが僕達のお仕事じゃない」
「だからいいね、靴磨きもね」 
 老馬も先生に言いました。
「僕達がするよ」
「いつもそうだね、身の回りのことは君達にしてもらっているね」 
 先生はその皆に申し訳なさそうに応えました。
「悪いね」
「悪くないよ」
「誰だって得手不得手があるじゃない」
「先生は家事が不得意ってことよ」
「そういうことだから」
「いいんだね、じゃあお願いするね」 
 靴を奇麗にして磨くことはというのです。
「お願いするね」
「そうしてね」
「日本じゃ自衛官の人達はそれぞれ靴を磨くけれどね」
「それでいつも奇麗にしてるけれど」
「先生には僕達がするからね」
「安心してね」
「そうさせてもらうね」
 先生も応えてでした。
 皆でお掃除をします、そしてそれが終わるとでした。
 皆先生の靴を磨いてそうしてお掃除の中で付いてしまった先生のスーツのゴミも取りました。そうしてです。
 その後で紅茶を飲んで皆に言いました。
「何かした後の紅茶は最高だね」
「最高の一服だよね」
「普通に飲む紅茶も美味しいけれど」
「お仕事が一段落ついた後はね」
「最高だよね」
「そうだね、ただね」
 ここで先生はこうもお話しました。
「何もしないで勝手に人の家に上がり込んで煎れてくれるかって言って飲むとね」
「それよくないね」
「そう言うなら自分で煎れないとね」
「勝手に上がり込んでそのお家の人に煎れろとかね」
「図々しいよね」
「そんな風にして飲んでもね」
 先生はどうかというお顔でお話しました。
「美味しくないよね」
「そうだよね」
「何でもね」
「紅茶に限らず」
「コーヒーだってそうだね」
「日本や中国のお茶だって」
「それは図々しくてね」 
 皆の言う通りにというのです。
「尊大かもね」
「そうかもね」
「少なくとも謙虚じゃないね」
「勝手に人のお家に上がり込む時点でね」
「ちょっとね」
「事前に行ってもいいかじゃなくて行くと言って」 
 そうしてというのです。
「上がり込んでね」
「それだとね」
「そのお家の人の都合も考えないで」
「いきなりそう言ってだとね」
「無神経でもあるね」
「そうした行いも紳士じゃないと思うよ」
 先生としてはです。
「どうしてもね」
「そうだよね」
「やっぱり謙虚じゃないとね」
「そうしたことする人ってどんな人生送ってきたのかな」
「あまりにも図々しいけれど」
「いい人生じゃなかったことは確かだね」
 先生はそれは間違いないと言いました。
「ちゃんと躾や教育を受けてなくてまともな経験もね」
「積んでこなかったんだ」
「人生のそれを」
「それでなんだ」
「謙虚さを備えなかったんだ」
「そうだろうね、子供でも家の前を通っただけで急に来て何か飲ませろだとね」
 そうだと、というのです。
「何だって思うね」
「うん、確かにね」
「そんな人も嫌になるね」
「やっぱり人間謙虚でないとね」
「ちゃんとした人生を送って経験を積んで学んでね」
「僕はそんなことはしないよ」 
 先生はです。
「そうする様に心掛けているつもりだよ」
「うん、先生はそうだね」
「凄く謙虚だよ」
「事前に行くじゃなくてお邪魔していいですかだし」
「お家に入っても煎れてくれるのを待ってね」
「自分から言わないしね」
「そうだよ、図々しいことはしたくないよ」
 先生としてもです。
「だから心掛けているよ」
「そうだね」
「じゃあこれからもだね」
「そうする様にしていくね」
「先生としては」
「是非ね、そして一人で飲むよりも」
 一緒に飲んでいる皆にお話しました。
「こうしてだよ」
「皆でだよね」
「飲むのがいいよね」
「そうだよね」
「先生としては」
「そうだよ、一人占めよりもね」 
 それよりもというのです。
「皆で飲んで食べるのがいいね」
「先生一人占めもしないからね」
「皆で分け合おうって絶対に言うから」
「自分さえよければの人じゃないから」
「そのこともいいね」
「若し堂々と自分さえよければいいって言ってみたらいいよ」
 先生は残念そうに言いました。
「その瞬間にというか既に態度に出ているからね」
「皆から嫌われるね」
「そんな人に誰も何もしないね」
「お付き合いしても内面凄く嫌うね」
「そうなるね」
「そうだよ、人間そんなことを言ったらおしまいだよ」
 最早というのです。
「そう考えることもよくないよ」
「全くだね」
「もう自分さえよければってなるとね」
「周りの人は誰もまともに付き合わなくなるね」
「表面はどうでも内心凄く嫌うね」
「そして日頃の行いも悪いから」
 自分さえよければの人はです。
「ここぞって時にだよ」
「報い受けるね」
「間違いなく」
「そうなるね」
「自業自得、因果応報はこの世の摂理だからね」
 それ故にというのです。
「そうなるよ、そこで反省したらいいけれど」
「反省しないとね」
「もっと報いを受けるね」
「そうなるわね」
「そうならない筈がないよ」 
 まさにというのです。
「悪事悪意は自分に返って来るからね」
「それも時には何倍何十倍にもなって」
「そうなるね」
「それで破滅する人もいるし」
「悪いことはするものじゃないね」
「悪いことばかりしている人がお店に入ったらどうなるか」
 その場合はというのです。
「顔と名前が知られていてね」
「お店の人も警戒するね」
「何をするかって」
「信用出来ないよね」
「絶対に」
「そうなるよ」
 絶対にというのです。
「普通にね」
「所謂札付きだね」
「そうした人ってことだね」
「悪いことばかりしていたら」
「お店にも普通に入られなくなるね」
「万引きされるかクレーム付けられるか」 
 若しくはというのです。
「暴れられるか」
「悪いことばかりしてると」
「お店の人もそうしてくると思って」
「それで警戒するね」
「そうなるね」
「信用もなくすよ」
 悪いことばかりしているとです。
「それが犯罪にならなくてもね」
「例え前科がつかなくても」
「人は見てるし」
「悪いことをする人だって」
「そう認識するから」
「そうもされるよ、だから気をつけないとね」
 是非にというのです。
「僕達も」
「全くだね」
「そこは気をつけないとね」
「私達にしてもね」
「そんな人達を見たら」
「駄目だと思う人を見たらそうはならないと思ってね」
 そうしてというのです。
「反面教師にすべきだよ」
「全くだね」
「そんな人達を見たらね」
「ああはなるまい」
「そう思ってね」
「反面教師にすべきだね」
「いい人はそのままお手本にしてね」
 そうしてというのです。
「悪い人はね」
「お手本とは逆で」
「反面教師だね」
「そうあるべきだね」
「そうして自分はそうあろうと努力すべきだよ」 
 こうお話してでした。
 先生は紅茶を飲んでまた言いました。
「努力していったらよくなるからね」
「人も生きものも」
「誰だってね」
「最初は何も出来なくても」
「出来る様になるね」
「努力していけば」
「だからね」
 それ故にというのです。
「僕達もそうしていこうね」
「そうだね」
「努力していこう」
「そうしていきましょう」
「努力しないと何にもなれないけれど」
「努力していけばなれる」
「何にでもね」
 こう皆にです、先生は言いました。
「成長は無限に出来るしね」
「限りなくよくなる」
「努力していったら」
「そうなるのね」
「お空に限りはなくてね」
 それでというのです。
「宇宙まで続いているね」
「そうだね」
「天井には限りがあるけれどね」
「お空には限りがないわ」
「何処までも続いているよ」
「それと同じだよ、命あるものの成長もね」
 これもというのです。
「生きている限り続けられるから」
「無限と言っていいね」
「命ある限りで」
「宗教によっては生まれ変わりもあるし」
「また次の人生で努力して成長出来るし」
「そう考えると無限ね」
「生まれ変わり、転生はインド等からはじまった考えで」 
 先生はこちらのお話もしました。
「仏教にもあってそこから日本にも入ったね」
「そうよね」
「キリスト教には基本ない考えだけれど」
「それでも日本やインドにあって」
「命は何度も生まれ変わるね」
「その中で無限に努力してね」 
 その様にしてというのです。
「何時か悟りを開いたりするね」
「そうしてだよね」
「仏様になって」
「その輪廻からも脱却する」
「そうなるね」
「そうなってもね」
 輪廻、生まれ変わりから脱却してもというのです。
「終わりじゃないからね」
「仏様になっても修行するね」
「弥勒菩薩さんなんかそうだね」
「五十六億七千万年後に備えてね」
「この世の全てを救う為に」
「そうしているんだったね」
「お釈迦様でもだね」
 先生は仏教を開いたこの仏様のお話もしました。
「そうだね」
「悟りを開いても修行していたね」
「ずっとね」
「まさに入滅する時まで」
「そうしていたね」
「それで今もだよ」
 入滅してからもというのです。
「修行を続けているよ」
「そう考えていると」
「努力は無限だね」
「ずっと続けるものね」
「そうしていけば成長出来るわね」
「そうだよ、だからね」
 それでというのです。
「僕達は無限に成長出来るから」
「努力していくことだね」
「心を磨くという意味でも」
「そうしていくものだね」
「そう思うよ、僕も人のこと言えないけれどね」
 そこまで立派ではないというのです。
「けれどね」
「いや、先生紳士だし」
「とても穏やかで優しいし」
「絶対に感情的にならないし」
「公平で偏見もないしね」
「立派な人だよ」
 皆でその先生に言います。
「謙虚で毎日学問に励んで」
「奇麗好きだし」
「先生はとてもいい人だよ」
「むしろそう言うことがね」
 自分は大したことがないと謙遜してというのです。
「いいよ」
「日本で言う天狗になっていないからね」
「凄くいいと思うわ」
「それだけでね」
「全く違うわよ」
「そうだといいけれどね」
 皆の言葉を受けて言うのでした。
「本当にね、じゃあ皆にそう言ってもらえる様に」
「これからもだね」
「その為にもなのね」
「先生は努力していくんだね」
「そうするのね」
「そうしていくよ」
 こう皆に答えました。
「僕もね」
「先生がそう言うならね」
「私達も同じよ」
「これからも努力していくよ」
「色々いいことをしていいことを聞いてね」
「いいことを考えてね」
 その様にしてというのです。
「心を磨いていくよ」
「先生と一緒にね」
「そうしていくよ」
「そうしようね。僕はキリスト教徒だけれど」
 それでもと言う先生でした。
「悟りを開くのならね」
「皆一緒?」
「皆でかな」
「悟りを開くんだ」
「そうなろうね」 
 こうお話するのでした。
「僕達はいつも一緒にいるからね」
「うん、そうなろうね」
「是非ね」
「トミーも王子も一緒にね」
「皆で悟りを開こうね」
「そうなろうね」
 こうお話するのでした、一服しながら。
 そして今度は一時的に捕獲した湖のお魚を水槽の中に入れて見ました、そのうえで一緒に見ている皆にお話しました。
「どのお魚も健康状態は悪くないね」
「食べものが豊富にあって」
「水質も悪くない」
「そういうことだね」
「食べものがないと痩せてね」
 そうなってというのです。
「水質が悪いとね」
「健康じゃないわ」
「どうしてもそうなるね」
「どうしても」
「棲息している数も種類も多いし」 
 健康状態だけでなくというのです。
「これはね」
「いいね」
「そうだね」
「そうした状況だね」
「これはいいよ、こうだとね」 
 それならというのです。
「この状況を維持しないとね」
「環境を守る」
「そうしないと駄目だよね」
「皆が努力して」
「湖とその周りを汚さない様にして」
「乱獲もしない様にして」
「そうだよ、乱獲もね」
 今度はこの問題をお話するのでした。
「環境に深刻な影響を与えるからね」
「乱獲された生きものが減ったりいなくなったら」
「それだけで環境破壊になるからね」
「生態系のバランスが崩れて」
「そうなるから」
「僕はニホンオオカミを発見したけれど」 
 奈良県と和歌山県の境でのことです。
「このことはお話しているね」
「うん、日本でニホンオオカミがいなくなって」
「主にジステンバーのせいで」
「それで山の生きものが増え過ぎて」
「食べものが少なくなって畑に出て」
「それで荒らしてるんだね」
「食べてね。日本の獣害は深刻でね」
 農業におけるそれはです。
「猟師の人もそういないしね」
「日本って銃の規制厳しいしね」
「それも世界一かもっていう位に」
「猟師さんもそうそうなれないし」
「しかも農村だと高齢化が問題になっていて」
「猟師さんもお年寄りばかりで」
「少なくなっているわね」
 皆も言います。
「だから余計にだね」
「日本の農業では獣害が深刻で」
「どうにかしないといけない」
「そうした状況だね」
「そうだよ」
 実際にというのです。
「これがね」
「昔はニホンオオカミがいて」
「山の生きものを食べて」
「生態系を維持していたんだったね」
「そうだったのよね」
「そうだよ、だから増え過ぎることはなくて」 
 それでというのです。
「畑も荒らされることが少なかったんだ」
「だから日本では狼は有り難い存在だったんだよね」
 ジップが言いました。
「畑を荒らす生きものを食べるから」
「『おおかみ』は『大神』だったね」
 トートーは日本語の呼び方からお話しました。
「偉大な神様、有り難いってことだね」
「日本はあらゆる生きものが神様になる国にしても」
 老馬はしみじみと思いました。
「その中でも狼はかなりだったんだね」
「農業の国だからね、日本は」
 そこから言うホワイティでした。
「だから畑を荒らす生きものを食べてくれると有り難いね」
「欧州では牧畜をしていてね」
「家畜の羊や山羊を襲う狼は脅威だったけれど」
 チープサイドの家族は自分達が住んでいた地域のお話をしました。
「日本じゃ牧畜しなかったからね」
「牛や馬は農業や乗るのに使ったしね」
「狼は実は人を襲わないのよね」
 ポリネシアはこのことをお話しました。
「だから犬にもなったし」
「それじゃあ日本で怖がられる筈がないよ」
「そうだね」
 オシツオサレツは二つの頭で言いました。
「だから欧州の童話みたいに悪役で出ないね」
「そんなお話殆どいないね」
「日本の童話の悪役って鬼ね」
 ガブガブは日本のことを指摘しました。
「生きものだと狐や狸だけれど悪戯しかしないわ」
「その悪戯も些細なことでね」
 チーチーは童話の狐や狸のそれのお話をしました。
「全然怖くないね」
「むしろ愛嬌があるよね」
 ダブダブはチーチーに続きました。
「憎めないよ」
「そうだね、日本人は狼はかえって有り難いと思っていたんだ」
 先生もそうだと言います。
「そしてその狼がいなくなって」
「獣害も増えた」
「そうなったから」
「生態系も守らないとね」
「しっかりと」
「これからニホンオオカミは保護されてね」
 そうしてというのです。
「数を増やして徐々にでもね」
「日本全土に広まってもらう」
「もう一度」
「そうなってもらうんだね」
「そうだよ、あと北海道にも狼がいたね」 
 この地域にもというのです。
「そうだったね」
「エゾオオカミだね」
「北海道の狼だね」
「キタキツネやエゾタヌキやエゾシカと同じで」
「本州や四国の生きものの亜種で」
「そうだね」
「そのエゾオオカミも絶滅したと言われていて」
 それでというのです。
「やっぱり生態系にね」
「影響が出ているね」
「そうだね」
「何かとね」
「あちらでも」
「そうなっているんだ、ただね」 
 先生は皆に湖のお魚や他の生きもの達の状況を確認しつつ言います、お話も出来るので実際に状態を聞いてもいます。
「エゾオオカミを見たという人がいるんだ」
「へえ、そうなの」
「エゾオオカミもいるの」
「ニホンオオカミと一緒で」
「若しかしたら」
「いるのね」
 そうだというのです。
「車を運転していたら」
「その時になんだ」
「見た人がいるんだ」
「そうなんだ」
「それで映像にも撮られているから」 
 それでというのです。
「これはね」
「まだ生き残っている」
「そうかも知れないのね」
「エゾオオカミも」
「うん、だからエゾオオカミも生き残っていたら」
 それならというのです。
「是非保護してね」
「そうしてだね」
「そのうえでなのね」
「もう一度北海道全土に広まってもらって」
「生態系を維持してもらうのね」
「そうしてもらわないとね」 
 さもないと、というのです。
「やっぱりね」
「そうだよね」
「乱獲はそうした意味でも止めないとね」
「絶滅した生きものもいるし」
「減るだけでも大変なことだし」
「それも戒めないとね」
 こうお話するのでした、そしてです。 
 先生は見てかつお話も聞いた湖の生きもの達を棲み処に戻してです、そのうえで湖の穏やかな水面を見ましたが。
 その水面を見てです、先生は皆に今度はこう言いました。
「河童はいないね」
「いや、いないでしょ河童は」
「ここには」
「流石に」
「そのお話は聞かないね。けれどね」
 それでもとお話するのでした。
「河童もね」
「いるよね」
「妖怪は実際にいるし」
「姫路城の宴の時もいたかな」
「河童は」
「河童は日本全土にいるけれど」 
 それでもというのです。
「東北も有名だからね」
「ああ、遠野だね」
「あちらに出るんだったね」
「そうだったね」
「そうだよ、東北は座敷童や雪女が有名だけれど」
 こうした妖怪と一緒にというのです。
「河童も有名でね」
「関東や九州も有名だけれど」
「東北もで」
「若しかしたらここにも」
「そう思ったんだね」
「そうなんだ、まあいないね」
 笑って言う先生でした。
「やっぱり」
「いそうな場所でもね」
「この湖にはいないみたいね」
「けれど若しいたら」
「その時は」
「胡瓜を置いていようかな」 
 河童の好きなというのです。
「そうしようかな」
「そうだね」
「河童といえば胡瓜だし」
「それじゃあね」
「若し河童がいたら」
「胡瓜を置いていようね」
 皆も先生のお話に頷きました。
「河童がいたら」
「本当にその時は」
「そうしましょう」
「河童の為にね」
「是非ね」
 こうお話してでした。
 先生は山の方も見ました、今度は緑を見て言うのでした。
「河童だけじゃないね」
「ここにいそうな妖怪は」
「山が深いし」
「それじゃあね」
「他の妖怪もいておかしくないね」
「そう思ったよ、東北の妖怪も面白いから」
 それでというのです。
「会ってお話が出来たらな」
「それならだよね」
「嬉しいよね」
「妖怪とも会えてお話出来たら」
「それが出来たら」
「妖怪も素敵な存在だからね」
 先生はにこりとしてお話しました。
「人や生きものそして妖怪も一緒にいるのが」
「それがだよね」
「日本だよね」
「日本の一面だよね」
「妖怪も一緒にいるのが」
「その区分があまりなくてね」
 そうしてというのです。
「家族の様に共存しているね」
「日本はそうしたところあるね」
「妖怪がとても身近にいて」
「自然の中に普通にいる」
「そうした国だね」
「妖怪は自然そのものと言うしね」 
 こうもお話するのでした。
「それと共に街にもいるね」
「そうそう、日本の妖怪は」
「街にもいるね」
「人と人の中に」
「お静さんだってそうだし」
「そして山には特にいて」
 日本の自然の中にというのです。
「今ここにいても思うね」
「妖怪がいるんじゃないか」
「それも至るところに」
「そうね」
「そうだね、妖怪は怖い存在じゃないし」
 狼と同じくというのです。
「親しめばいいよ」
「そうよね」
「妖怪についても」
「自然と親しんで」
「それと共にね」
「妖怪に親しめばいいよ」
 こうお話するのでした。
「どんな妖怪かそれぞれ知ってね」
「妖怪と言っても多いしね」
「物凄い数と種類だよね」
「イギリスの妖精よりも多いかも」
「物凄い種類がいるね」
「今も出てきているしね」
 日本の妖怪はというのです。
「トイレの花子さんに口裂け女にね」
「人面犬もいるね」
「あとテケテケも」
「今も妖怪は出て来てるね」
「そうだね」
「そして都市伝説があるけれど」
 こちらのお話もするのでした。
「あれは怪談でね」
「今のね」
「そしてそこからもだね」
「妖怪は生まれてるね」
「そうなっているね」
「今も出て来て」
 そうなってというのです。
「増えていってるね」
「だから日本の妖怪は多いね」
「どんどん生まれてきてるから」
「今も尚」
「都市伝説もあって」
「それを学ぶこともね」
 学問からもお話するのでした。
「面白いね」
「そうだよね」
「日本は」
「自然のことも妖怪のことも」
「どれもね」
「日本に来てよかったよ」 
 しみじみとして言うのでした。
「僕はね」
「そうだよね」
「私達もそう思うわ」
「日本に来てよかったよ」
「そしてこの国に住んで」
「そうしてね」
 皆も先生に同意でした。
「だから今ここに来て」
「色々なものを観られているよ」
「タキタロウだってね」
「そうだね、タキタロウもその中にあるね」
 日本のというのです。
「そうだね」
「そうだよね」
「タキタロウも日本の中にあって」
「日本に来たからこそ知ることが出来て」
「調べられるね」
「そして学べているわね」
「そうだよ、タキタロウに巡り会えたこともね」
 今のこのこともというのです。
「嬉しいよ」
「そうなんだね、それじゃあね」
「これからも調査続けていこうね」
「この大鳥池の」
「そしてタキタロウのね」
「そうしていこうね」
 笑顔でお話してでした。
 先生は環境のことも考えながら調査を続けていきました、勿論スタッフの人達もそうしていて大鳥池とその周りは奇麗なままでした。








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