『ドリトル先生とタキタロウ』
第八幕 皆に知って欲しいこと
先生はバスが動きはじめた中で皆にお話しました。
「アール=ウォーレンという人は複雑な人で実は日本というか日系人とも関係が深いんだ」
「そうなんだ」
「日系人の人ともなの」
「アメリカ人だから日系アメリカ人だね」
「その人達となんだ」
「そうなんだ、元々北欧系の人で苦学しながら法律家になってね」
先生はウォーレンという人の経歴をお話しました。
「エリートでなくて叩き上げと言っていい人なんだ」
「苦学っていうと働きながら学校に通って」
「それで身を立てたんだ」
「そうした人なのね」
「そう、そしてね」
そのうえでというのです。
「カルフォルニア州で知られる様になったんだ」
「法律家として」
「そうなったんだね」
「アメリカのあの州で」
「そうなんだね」
「そしてね」
そのうえでというのです。
「政治家にもなったんだ、ただね」
「あっ、先生暗くなったよ」
「お顔が暗くなったよ」
「今そうなったよ」
「何かあるんだね」
「そうなんだ、第二次世界大戦があったね」
今度はこの戦争のお話をするのでした。
「そして日本とアメリカも戦争をしたね」
「そうそう、太平洋戦争」
「欧州も激しかったけれどこっちも激戦で」
「日本とアメリカが戦って」
「海と島で物凄い戦争になったわ」
「その時にカルフォルニア州で日系人の抑留が行われて」
この戦争の中でというのです。
「日本人の血を引いているというだけで家を追われて強制収容所に入れられたんだ」
「明確な人種差別政策だね」
「そう言うしかないわね」
「どう言っても」
「本当にね」
「十万もの日系人、当時アメリカ西海岸に住んでいた人達が家を追われて」
そうなってというのです。
「砂漠の収容所に入れられたんだ」
「戦争の時はあることでも」
「今じゃ絶対に許されないことだね」
「そんなことしたらとんでもないことになるよ」
「ナチスと同じじゃない」
「日系人というだけで犯罪者扱いだったからね」
人種差別によってです。
「その前にも開戦と共にとんでもない迫害が起こっていたしね」
「戦争の時はあるからね」
「戦争は憎しみを駆り立てるものだから」
「どうしてもね」
「そうしたことはあるね」
「その前にマスコミが日系人への偏見や憎悪を煽っていたしね」
このこともあったというのです。
「悪質なタブロイド紙がね」
「日本でもあるけれどね」
「そうしたタブロイド紙って」
「イギリスにもあるし」
「アメリカでもあるんだね」
「そうしたものはどの国でもあるからね」
先生は悲しい目でお話しました。
「アメリカではハーストという会社があって」
「そうしたタブロイド紙を出していて」
「日系人への偏見や憎しみを煽っていたんだ」
「それが日系人への差別になっていて」
「抑留にもつながったんだ」
「開戦と同時にそれが爆発したんだ」
日系人の人達への憎悪がというのです。
「そして抑留につながってね」
「そこにその人も関わってるんだ」
「アール=ウォーレンという人も」
「そうなんだ」
「しかも差別した側でね」
そちらの方にいたというのです。
「当時カルフォルニア州の地方検事だったけれどね」
「完全な法律家だね」
「政治のことは法律だから発言に力があるね」
「そうなるわね」
「そこでその強制収容を積極的に支持したんだ」
そうしたというのです。
「アメリカの価値観や伝統に馴染もうとしないと言ってね」
「それって僕達がイギリスの風習を保ったら日本政府に逮捕されるってことだよね」
「そんなの考えられないよ」
「確かに先生日本にすっかり馴染んでるけれど」
「そうじゃないと逮捕されたらとんでもないわ」
「今はそうなるね、けれどね」
それでもというのです。
「そう言って支持してさらに言ったんだ」
「まだあるんだ」
「罪をまだ重ねたんだ」
「そうだったのね」
「日系人が日本に協力して破壊活動を行わないのはどうしてかと言う話があってね」
その時にというのです。
「攻撃がはじまる予定時間を待っているって言ったよ」
「それ根拠あるの?」
「法律家なら根拠出さないとね」
「さもないと法律家失格よ」
「そう言うしかないね」
「出さなかったよ」
その根拠をというのです。
「それでジャップ共とも言ったよ」
「戦争中なら使われる言葉でも」
「今じゃ絶対に許されないわ」
「若し今そんなこと言ったら」
「それだけで批判されるよ」
「そうだね、そしてどんな法的手段を使っても日系人をカルフォルニアに舞い戻らせないと言ったんだ」
先生は皆にこのこともお話しました。
「そう言って支持したんだ」
「法律家?本当に」
「そのタブロイド紙の記者じゃないよね」
「とんでもないこと言うね」
「よくそんなこと言って法律家になれたね」
「差別主義全開じゃない」
「そしてカルフォルニア州の知事になっても言っていてね」
地方検事からそうなってもというのです。
「アメリカの知事さんの権限は大きいけれど」
「当時は人種差別主義者でもそうなれたんだ」
「今思うと凄いね」
「アドルフ=ヒトラーがカルフォルニア州知事になったの?」
「状況が許せばアウシュヴィッツもしかねないね」
「そんなとんでもない法律家がいたんだ」
皆あまりもの酷さに呆れてしまいました。
「アメリカでもそうなんだ」
「ヒトラー並の人種差別主義者が知事さんになれたんだ」
「物凄いね」
「強制収容所を支持するなんて」
「それも法律家が」
「左腕にハーケンクロイツ巻いてたのかしら」
「巻いていないよ」
それはなかったというのです。
「けれどそこから副大統領候補で大統領選挙に出たり大統領候補の選挙に出たりね」
「アメリカ政界のトップだね」
「それになりかけたんだ」
「人種差別主義者なのに」
「聞いてるだけで嫌になるわ」
「ここまではね」
ここで、でした。先生は。
一旦言葉を置いてです、皆にあらためてお話しました。
「アメリカで公民権運動が起こったね」
「アフリカ系の人達の権利拡大の運動だね」
「分けられていたのを一つにする」
「そうした運動だったね」
「キング牧師が後見した」
「その公民権運動に対しても関わったんだ」
アール=ウォーレンその人はというのです。
「今度はアメリカ連邦最高裁判所長官としてね」
「ああ、キング牧師最大の敵になったんだ」
「人種差別主義者として」
「事実そうだしね」
「日系人の人達を強制収容所に送れって言った人だしね」
「キング牧師はこの人種差別主義者に勝ったんだ」
「そしてアフリカ系の権利を獲得したんだ」
「いや、それが違うんだ」
これがというのです。
「この人はキング牧師と同じだけこの運動の成功に貢献したんだ」
「えっ、嘘だよね」
「人種差別主義者なのに」
「そんな人がキング牧師の側に立つ訳ないわ」
「キング牧師みたいな立派な人と」
「そんなことは有り得ないよ」
「けれど事実なんだ」
このことはというのです。
「この人は人権擁護の為の判決を次々と出したんだ」
「最高裁判所長官として」
「そうしたんだ」
「嘘みたい」
「日系人を迫害したのに」
「アフリカ系の人達の為に働くなんて」
「公立学校の人種隔離を違憲としたんだ」
その判決を下したというのです。
「ブラウン判決と呼ばれるけれどね」
「そうなんだ」
「嘘みたいよ」
「人種差別を支持した人がそうするなんて」
「それも積極的に支持したのに」
「けれど選挙でもアフリカ系そして有色人種の人への制限にも判決を下して」
そうしてというのです。
「投票価値の平等を確立したんだ」
「選挙にもそうしたの」
「学校だけじゃなくて」
「そんなこともしたんだ」
「そしてね」
さらにあるというのです。
「警察の取り調べに先立って被疑者の権利告知を義務付けたよ」
「色々していたんだね」
「何か嘘みたい」
「日系人にそんなことしたのに」
「それが今度はそうするなんて」
「公民権運動はキング牧師そしてマルコムエックスの存在が大きいけれど」
実際に活動した人達のというのです。
「この人の存在も非常に大きいんだ」
「法律家としてアフリカ系の人達の未来を開いたんだ」
「キング牧師達と一緒に」
「そうしたのね」
「そうだよ、だからキング牧師も深く感謝したんだ」
アール=ウォーレンその人にというのです。
「そうしたんだ」
「成程ね」
「嘘みたいなことだよ」
「戦争の時とは別人みたいだよ」
「信じられないよ」
「けれど同じ人の行動なんだ」
それぞれ別の人のものにしか思えなくてもというのです。
「これがね」
「そうなんだ」
「人種差別をした人が人種差別を撤廃したんだ」
「そうしたのね」
「そうだよ、実はこの公民権運動の中で過去が批判されているよ」
先生はこのことを確かな声でお話しました。
「日系人への差別そのもの発言や政策がね」
「まあそうだよね」
「批判されて当然だね」
「その時はよくても」
「人種差別が解消されるとなるとね」
「それで激しく批判されてね」
そうなってというのです。
「自伝の中で間違っていた、深く後悔していると言っているよ」
「本当かしら」
「批判されて立場が悪くなってそう言う人っているしね」
「口だけかも知れないわ」
「けれどキング牧師と一緒に差別を撤廃しているし」
「そのことを見たら」
「わからないね、僕もわからないよ」
先生もというのです。
「この人の本心は。けれどね」
「日系人を迫害しても」
「アフリカ系の人達の未来を切り開いたんだ」
「キング牧師やマルコムエックスと一緒に」
「そうしたんだ」
「十万の日系人の人の生活を名誉を奪ったけれど」
人種差別を支持してというのです。
「積極的に法律家として政治家として」
「けれど法律家としてアフリカ系の人達の未来を切り開いて」
「今のアメリカにつなげたんだ」
「今じゃアフリカ系の多くの人達が活躍しているけれど」
「そのはじまりにもなったんだ」
「そうなんだ、二千万のアフリカ系の人達の未来を切り開いて」
法律家としてそうしてというのです。
「今のアメリカの人種意識も変えて沢山の少数の人達の社会進出を保証したんだ」
「そこに日系人も入ってるよね」
「アメリカの目立つ場所に日系人の人多いけれど」
「メジャーでも野茂選手やイチロー選手が活躍したし」
「そのことにもつながってるのかな」
「野茂選手はイチロー選手の国籍は日本のままでもね」
それでもというのです。
「やっぱり公民権運動がなかったら」
「成功していなかったら」
「若しそうだったら」
「野茂選手もイチロー選手も出て来なくて」
「今話題の大谷翔平選手もだね」
「確かに大谷選手は凄いよ」
先生が見てもです。
「もう超人と言っていいよ」
「そうだよね」
「あの人は別格よ」
「本当に超人だよ」
「何と言っても」
「その大谷選手の活躍も」
このこともというのです。
「若し公民権運動が成功していなかったら」
「なかったかも知れない」
「そう思うとアール=ウォーレンって人の貢献は大きいね」
「キング牧師だけじゃ成功しなかったかも知れないし」
「最高裁判所長官のこの人がそうした判決を下さなかったら」
「本当にどうなっていたか」
「僕はこの人は本当に改心してね」
自分の行いを反省してというのです。
「公民権活動に貢献したと思うよ」
「人種差別をした過去を恥じて」
「そうしてなのね」
「それで差別撤廃の為に働いた」
「そうしたんだ」
「そうだと思うよ、そう思うとね」
それならというのです。
「この人は罪はあってもね」
「功績は大きいね」
「それもかなり」
「確かに十万の日系人の人達を迫害したけれど」
「二千万のアフリカ系の人達の未来を切り開いて」
「今のアメリカの人権にもつなげたから」
「凄い貢献だね」
「そしてその人が言ったんだ」
まさにというのです。
「法律はこの日この時と無関係ではない」
「法律は生きものだっていうし」
「変わるものだね」
「普遍じゃない」
「そうよね」
「だからブラック企業やDVを昔の感覚で語るとね」
そうすればというのです。
「間違えるよ」
「そうなるね」
「今は今の考えがあるから」
「そのことを踏まえて考えないと」
「ブラック企業は労働問題でもあるし」
「そのことも頭に入れてね」
「そして暴力はね」
これはというのです。
「今と昔じゃ考えが違うしそれに自分が殴られたらどうかな」
「理不尽にね」
「ちょっとしたことで怒鳴り散らされたり何度も殴られたり」
「そんな目に遭ったらどうか」
「そうなるよね」
「本当にね」
「そうだからね」
それでというのです。
「今の基準で今の問題を考えないとね」
「全く以てそうだね」
「ブラック企業もDVも」
「アール=ウォーレンさんも言ったし」
「そうね」
「だからね、しかし思うことは」
先生はまた遠い目になってお話しました。
「アール=ウォーレンという人への評価は難しいね」
「とんでもない人種差別主義者と思ったよ」
「最初聞いたらね」
チープサイドの家族が言います。
「法律家であってはならない」
「ナチスにいた方がいい人だってね」
「けれど公民権のお話を聞いたら」
ホワイティは複雑な表情になっています。
「そうじゃないからね」
「全然違う人に思えたよ」
チーチーはきっぱりと言いました。
「驚いたよ」
「けれどそれが事実なのね」
ガブガブの言葉はしみじみとしたものでした。
「同じ人がしたことね」
「こんな人もいるんだ」
トートーの言葉は驚きを隠せないものでした。
「歴史の中には」
「差別主義者から人権の擁護者になるなんて」
ポリネシアの声も驚いたものです。
「想像も出来ないわ」
「しかも多大なる貢献を残したんだよ」
ダブダブの声は興奮で上ずっています。
「行動にも移して結果も出しているからね」
「公民権運動のことを見たら天国に行けるけれど」
それでもと言うジップでした。
「日系人の人達へのことは地獄行きかな」
「判断が難しいね」
「全くだよ」
オシツオサレツは結論を出しかねています。
「人種差別主義者か人権獲得の為に活躍した人か」
「どうもね」
「善悪の判断は難しいけれど」
老馬も考えていますが結論は出ません。
「この人は特にだね」
「アメリカの名誉も汚したよ」
その人種差別によってです。
「けれどアメリカの名誉も高めたよ」
「同じ人がそうしたから」
「本当に判断がつきかねるね」
「人間いいこともすれば悪いこともするけれど」
「こんな人になると判断が難しいよ」
「お前が変わろうともお前の罪は消えない」
先生はこうした言葉も出しました。
「こう考えたらこの人への糾弾は楽だね」
「うん、ただその人の悪事だけ見てね」
「思いきり怒りと憎しみをぶつけたらね」
「こんな楽なことはないよ」
「何の心のストッパーもなく攻撃出来るよ」
「けれどそんな考えで人を攻撃したらね」
その人の改心や反省を考慮しないでその罪や悪事だけを見てです。
「もう超えてはならない一線を超えてしまうよ」
「復讐鬼だよね」
「もうそう言っていい人になるね」
「怒りや憎しみに心を支配されて」
「例え相手の人に直接何かされてなくても」
「何かされてたら確実にもっと酷くなるけれど」
「そうなったら復讐鬼になってね」
そう呼ぶしかない人になってというのです。
「その人を何の良心の咎めもなく容赦なく攻撃し続けるけれど」
「そうなったらね」
「終わりだよ」
「人間としてね」
「決定的に間違えてるわ」
「復讐鬼の末路は知れたものだよ」
先生はまた悲しい目になってお話しました。
「憎しみに心を支配されたらね」
「人間憎しみに心を支配されたら復讐鬼になるしかない」
「先生よく私達のお話してくれるわね」
「そうなったらもう怖いって」
「いい結果はならないって」
「何処までも憎んだ相手を攻撃して止まらなくなるとね」
そうなればというのです。
「人が見てどう思うかな」
「よく思う筈がないよ」
「どう考えても」
「そんな風になったら」
「絶対にね」
「そう、だから人も離れてね」
そうなってというのです。
「孤立して自分も荒んでいって」
「もうその結末は」
「いいものにはならないのね」
「憎しみに心を支配されたら」
「その時は」
「そこから脱却しないとね」
憎しみ、それからというのです。
「そうなるよ、だから間違った人や自分に何かした人がいてもね」
「憎まないことだね」
「そして憎しみに心を支配されない」
「そうだね」
「世の中悪人もいてね」
こうもお話するのでした。
「先にお話した自分の下らない目的にために命を粗末にして娘さんを泣かせる」
「あの父親だね」
「確かに悪人だけ」
「それも生粋の」
「そんな人は」
「自分の下らない目的の為にどんな悪事でも平然と行う」
命を粗末にすることからこう言うのでした。
「生粋というのは生まれついてじゃないよ、この場合は」
「あっ、心の底からだね」
ダブダブはすぐにわかりました。
「つまりは」
「もう根っこまで悪人ならね」
トートーも言いました。
「まさに骨の髄と言っていいからね」
「確かに生粋ね」
ガブガブも言いました。
「そう言えるわね」
「どんな生きものも最初は真っ白でもね」
「そこからどんどん染まるわ」
チープサイドの家族はこうお話しました。
「それで善人にも悪人にもなるわ」
「生粋の悪人にもね」
「悪い人と付き合って悪いことばかりしていったら」
ジップは考えるお顔で言いました。
「悪人になるよ」
「そして生粋の悪人になるのもね」
ポリネシアも言うのでした。
「そんな生き方しているからだね」
「それで根っこからも悪人になったら」
チーチーは警戒する様に言いました。
「どんな酷いことでも平気で出来るんだね」
「ふわりの前の飼い主の人達もそうだね」
ホワイティはこの人達のことを思い出しました。
「根っこから卑しい悪人だったね」
「餓鬼になるのはもう心が完全に餓鬼になっている」
「それでなるんだったね」
オシツオサレツは二つの頭で言いました。
「悪い人卑しい人と親しくして」
「悪いこと卑しいことばかりしているとなるね」
「そしてそうした悪人が生粋の悪人だね」
老馬は理解したお顔になっています、そのうえでの言葉です。
「生まれついてじゃなくて」
「赤ちゃんから悪人なんて有り得ないよ」
先生は断言しました。
「そんなことはね」
「そうだよね」
「泣いてるか寝てるばかりで」
「そんな赤ちゃんが悪人か」
「そんな筈がないよ」
「それは人生で決まるんだ」
その人のです。
「だから極悪人はね」
「まさに悪い生き方をしてきた」
「それでなるものね」
「ヤクザ屋さんも悪いことばかりしてるから悪人になるし」
「そうなるのね」
「そう、そして悪人はね」
世の中にいるそうした人達はです。
「人の憎しみを煽ったりするからね、偏見も」
「さっきお話したタブロイド紙とかだね」
「イエロージャーナリズムと呼ばれる」
「そんな人達だね」
「そして自分達の思う通りに動かしたりするんだ」
人の憎しみを煽ってというのです。
「そうするからね」
「注意が必要だよね」
「煽る人って本当にいるし」
「アジテーターて言うけれど」
「世の中いるね」
「平気で嘘を吐く人もいるからね」
だからだというのです。
「気をつけないとね、そして憎しみに心を支配されたら」
「もうその時は」
「復讐鬼になって」
「攻撃し続けて」
「その結果として」
「今お話した様にいい結末にはならないよ」
決してというのです。
「そうだよ」
「例え相手が悪人でも」
「許せないと思っても」
「駄目なんだね」
「悪人は必ず裁きを受けるよ」
そうなるというjのです。
「神様は見ているからね、それに普通の人は悪人と見たら近付くかな」
「そうだね」
「その通りだね」
「訴えることもするね」
「そうよね」
「法律で裁かれずとも」
それでもというのです。
「誰も近寄らなくなって糾弾するからね」
「同じだね」
「法律に触れることしていなくても」
「それでもだね」
「神様が見ているから」
「同じだよ、だから悪人を攻撃し続けることはしなくていいんだ」
憎しみに心を支配されてです。
「覚えておいてね」
「うん、わかったよ」
「憎しみには気をつけることね」
「復讐鬼になったらいけないわね」
「そうなったら」
「人間はね。人が変わったならそれでいいとね」
そう認識してというのです。
「刃を収める」
「そうしないと駄目だね」
「人間は」
「変わっても罪は消えないとかね」
「考えたら駄目だね」
「その考えを行うと無限に復讐が出来るけれど」
精神的にそうなるけれど、というのです。
「もうこの考えに至るとね」
「本当に復讐鬼だね」
「復讐鬼になるね」
「そうなるね」
「そうなるからね」
それ故にというのです。
「やったら駄目だよ、しかしブラック企業のお話からね」
「かなりお話したね」
「先生もね」
「人種問題のお話にもなって」
「憎しみのことにも」
「そうだね、しかしアール=ウォーレンという人は本当に複雑な人だったよ」
先生は遠い目でまた語りました。
「差別を自ら政治として先頭に立って行って」
「裁判官として差別を否定した」
「確かに複雑な人ね」
「同じ人がしたこととは思えないよ」
「全く」
「うん、若し名前が違ったら」
そうであるならというのです。
「本当にね」
「違う人がしたってね」
「そう思うよ」
「その時は」
「本当にね」
「そんな人もいたんだ」
人間の歴史の中にはです、こうお話してでした。
先生は皆と一緒にバスに乗って大鳥池に戻りました、そして大鳥池に着いてから皆にあらためてお話しました。
「さて、では湖に出て」
「また調査だね」
「それにあたるね」
「そうするのね」
「そうしようね、水質とね」
それとというのです。
「生態系に魚群探知機も使って」
「タキタロウの調査だね」
「それも行うんだね」
「そうするんだね」
「それをしようね」
朝ご飯のパンをミルクティーと一緒にお腹に入れながらお話します、そうしてその後で湖に出てでした。
そのうえで、です。先生は魚群探知機を見てお話しました。
「やっぱりね」
「反応があるんだね」
「そうだね」
「タキタロウのそれが」
「そうなんだね」
「イワナやマスでは絶対にないね」
そうしたというのです。
「大きさのね」
「お魚の反応があるんだね」
「つまりタキタロウの」
「それがあるんだね」
「確かに」
「そうだよ、あってね」
そうしてというのです。
「しかも一つや二つじゃないよ」
「幾つもあるんだ」
「じゃあタキタロウはやっぱりいるんだね」
「前の魚群探知機でも反応があったし」
「それじゃあね」
「そうだよ、それがあってね」
先生は魚群探知機の反応をさらに見つつお話します。
「幾つもある、これはね」
「間違いない」
「タキタロウはいる」
「この大鳥池に」
「それも一匹や二匹じゃないね」
「二十匹はいないと種として存続出来ないけれど」
それでもというのです。
「これはそれだけの数がね」
「いるんだね」
「この大鳥池に」
「間違いなく」
「うん、ただ水深が三十メートルから五十メートルだから」
それだけの深さだからだというのです。
「そこまで潜らないとね」
「見ることは出来ないね」
「結構深いね」
「ダイバーの人が潜る方法もあるけれど」
「それでもね」
「今回はダイバーの人はいないし」
それにというのです。
「そうして調べる人もまだいないね」
「そういえばいないね」
「そこまで潜ってって人は」
「どうにも」
「やっぱりここは山奥にあってね」
そうしてというのです。
「辺鄙だしね、しかも水温も低いし」
「うん、低いね」
「確かにね」
「ここ水温低いよ」
「東北にあるしね」
「しかも山奥だからね」
ここにあるからだというのです。
「そのこともあるよ」
「標高もあるし」
「それだけにね」
「実際にこの辺り寒いし」
「そそれじゃあ水温もね」
「低いよ、特に冬はね」
この季節はというのです。
「そうだよ」
「それじゃあだね」
「ダイバーの人が入るのも難しいね」
「そうだね」
「この湖は」
「そうだよ、それでタキタロウの調査もね」
これもというのです。
「あまり為されていないんだ」
「ネッシーはかなりされてるけれどね」
「ネス湖に潜った人もいたし」
「それで水中写真も撮られたし」
「何かと為されているけれど」
「あれはネス湖がハイウェイに面する様になってね」
そうなってというのです。
「人の往来も増えたし有名になり過ぎたからね」
「うん、凄くね」
「世界的にね」
「そうなったからだね」
「ネス湖は調査されて」
「ネッシーもなんだね」
「それで今も言われているけれど」
それでもというのです。
「実在がね」
「実際にいるよね」
「ネッシーはね」
「先生はいつもそう言ってるし」
「僕達も思ってるよ」
「そう、ネッシーはいるよ」
先生は確かな声で答えました。
「科学的にも言えるよ」
「そうだよね」
「先生はね」
「ただ恐竜かどうかは」
「また別だね」
「そう、別だよ」
本当にというのです。
「ネッシーが実際にどんな生きものかまではね」
「まだ調べる必要があるね」
「そうよね」
「恐竜じゃない可能性もある」
「しかも高いね」
「そうも考えているよ、また一種類じゃないこともね」
このこともというのです。
「有り得るね」
「そうだよね」
「ネッシーが一種類とは限らないわ」
「よく考えてみたら」
「幾つかの種類も有り得るよ」
「そうだよ、大型の哺乳類でもお魚でもね」
その場合でもというのです。
「あるし軟体動物でもあるし」
「それに流木とか」
「何かの死骸かも知れないし」
「幾つかあってもね」
「おかしくないわね」
「そうだよ、おかしくないよ」
こう皆にお話するのでした。
「本当に」
「全くだね」
「そうしたことも調べるべきだね」
「ネッシーについては」
「これからも」
「有名な水面から首長竜の首が出ている写真はインチキでもね」
そうわかってもというのです。
「けれどだよ」
「あの写真以外にも一杯写真あるし」
「目撃もあるし」
「いると思う方が妥当だよね」
「科学的に考えても」
「一枚の写真が否定されても全ては否定出来ないよ」
先生はお話しました。
「それこそ全ての写真と目撃が否定されないとね」
「存在を否定出来ないね」
「ネッシーにしても」
「他の未確認動物もだね」
「その全てが」
「一枚の写真や一つの目撃が否定されて」
そうしてというのです。
「その全てを否定するのは暴論だよ」
「科学的じゃないね」
「総てを検証しないとね」
「一つを見て全部を言うとね」
「科学的じゃないよ」
「それが出来てこそ学者であってね」
そうしてというのです。
「知識人でもね」
「ないよね」
「そうだよね」
「肩書はそうでも」
「本当の意味じゃ違うね」
「そうだね」
「そうした知識人も多いけれどね」
世の中はというのです。
「今の日本でもね」
「今の日本の問題点だね」
「そんな知識人と言われる人が多いのは」
「困ったことだよね」
「どうしても」
「中には平気で嘘まで吐いて」
その様にしてというのです。
「人を騙そうとする人までいるよ」
「それ悪人だよね」
「先生がバスの中で言った」
「まさにそれよね」
「そうだよね」
「そうだよ、僕は悪人になりたくないし」
先生としてはです。
「また学者としてね」
「一つを見て全部を語らない」
「そうしてるね」
「だからネッシーについてもよね」
「全体を見て判断しているね」
「あの写真はインチキでね」
有名な水面から首長竜の首が出ているそれはです。
「他の写真や目撃談もおかしなものが多いけれど」
「実在を言える写真や目撃もあるね」
「その中には」
「そのことを考えたら」
「ネッシーは実在する」
「先生はそう言えるね」
「そうだよ、そしてタキタロウもね」
今先生が調べているこのお魚もです。
「ちゃんと目撃例があってこうして魚群探知機にも反応があるし」
「しかも剥製があるし」
「食べた人もいるし」
「それならだね」
「実在は間違いないね」
「そうだよ、ただどの種類かはね」
このことはというのです。
「はっきり言えないよ」
「まだ調べる必要があるね」
「実在は間違いなくても」
「それでも」
「そうだよ、ただ完全な淡水魚であることはね」
このことはというのです。
「僕は間違いないと思うよ」
「鮭とかじゃないね」
「海に行ったりするお魚じゃないね」
「そこは違うね」
「うん、違うよ」
それはと言うのでした。
「だってこの大鳥池は堰止湖だからね」
「川があってそこから海につながってるけれど」
「山奥にあるし」
「その川も細いし」
「海とのつながりはあまりないね」
「そう、ないよ」
実際にというのです。
「だからね」
「それでだよね」
「鮭みたいに海と川を行き来するお魚じゃない」
「完全な淡水魚ね」
「そうだね」
「だからマスの可能性は」
このお魚であることはというのです。
「ほぼないね」
「マスも海に行くしね」
「川と行き来するし」
「それじゃあだね」
「マスではないね」
「うん、イワナとかね」
そうしたというのです。
「そうした種類の大型のものだってね」
「先生は考えているんだね」
「タキタロウについては」
「大型の淡水魚」
「そうなのね」
「そうじゃないかなって考えているよ、それにね」
先生はさらにお話します。
「二メートルはあるっていうお話はね」
「それもないんだね」
「タキタロウについては」
「そこまで大きくない」
「そうなんだ」
「そうだと思うよ、一メートルあるかどうか」
それもというのです。
「そこまで大きくないんじゃないかな」
「大きいっていうけれど」
「二メートルもないのね」
「そうしたお話もあるけれど」
「実は一メートルあるかどうか」
「それ位なんだ」
「そうだと思うよ、だから日本最大の淡水魚は」
それは何かといいますと。
「ビワコオオナマズのままだろうね」
「琵琶湖に行った時に見た」
「あの鯰だね」
「八条学園の水族館にもいるし」
「あのお魚なのね」
「そうだろうね、タキタロウはおそらく七十センチ位だね」
今も魚群探知機を見つつお話します。
「実際に今の反応もそれ位だよ」
「水深三十メートルから五十メートル位にいて」
「何匹かいるけれど」
「それ位の大きさなんだ」
「そうなのね」
「そうだよ」
皆に見ながらお話します。
「この反応はね」
「未確認の生きものって色々なお話が出るね」
「外見や大きさについて」
「そして生態系についても」
「何かと」
「そうだね、噂になって」
そうなってというのです。
「噂は広まるにつれ尾ひれが付くからね」
「お話にね」
「そうなるからね」
「噂ってのは」
「あっという間に広まって」
「そこで尾ひれが付いていくね」
「そこで外見や大きさや生態がね」
それがというのです。
「物凄いことになるんだ」
「それは昔からだね」
「そうだよね」
「人の常の一つだね」
「このことも」
「そうだよ、そしてね」
それにというのです。
「実際の姿は全く違うからね」
「噂の常で」
「生きものについてもよね」
「未確認動物についても」
「本当にね」
「そうだからね」
先生は皆にお話しました。
「よく調べて見極めることだよ」
「タキタロウについても」
「それでネッシーについてもそうで」
「他の未確認動物も同じで」
「何でもよね」
「ちゃんと調べて見極めることだね」
「それが学問だよ、間違っても噂を鵜呑みにしたらいけないし」
それにというのです。
「イエロージャーナリズムの煽動なんかにはね」
「絶対に乗ったらいけないね」
「それで憎しみを煽られるとね」
「取り返しのつかないことをしてしまうわね」
「そう、悪人も世の中にいるからね」
だからだというのです。
「気をつけないとね」
「そうだよね」
「悪人も生粋のものになるとね」
「どんなことも平気でして」
「それで悪事がばれてもね」
「本当の悪人は悪事はばれないと全く平気でね」
それでというのです。
「ばれても訴えられないと平気で責任なんかね」
「取らないよね」
「イエロージャーナリズムも同じね」
「そうだよね」
「それで訴えられてもね」
「どんな手を使っても法の裁きを逃れようとするね」
「そうした手合いに騙されたら駄目だよ」
先生は言いました。
「だから自分でよく調べることだよ」
「全くだね」
「どんなことでもね」
「自分でよく調べて見極める」
「そうしないとね」
「それもまた学問だからね」
先生は皆に船の上でお話しました、船にある魚群探知機には今もタキタロウのものと思われる反応が幾つもあります。