『ドリトル先生とタキタロウ』
第六幕 岩も期も
先生の動物の皆を連れてそのうえでスタッフの人達と一緒になっての大鳥池の調査は進みます、その中で。
動物の皆は今は木々の間を歩いている先生に尋ねました。
「本当に人がいないね」
「僕達以外には」
「誰にもね」
「そうだね」
「ここは秘境だね」
「やっぱりね」
「そう、東北はどうしても人が少ないし」
先生は皆にこのことからお話します。
「関西や関東と比べるとね」
「東北で人が多いのは仙台だけれど」
「その仙台からも離れてるしね」
「山形県って仙台のある宮城県より人少ないしね」
「尚且つここは深い山の中だから」
それでと言う先生でした。
「もうキャンプのシーズンでないとね」
「人が来ないね」
「もう滅多に」
「そうだよね」
「だから今もね」
「人は少ないね」
「僕達以外にはね」
先生は笑顔でお話しました。
「今はいないんだ」
「そうだね」
「木々だって鬱蒼としてるし」
「車でなら来られるけれど」
「それでも街から遠いし」
「どうしても人は少なくなるね」
「だから秘境と言うとね」
そう言うならというのです。
「秘境にもね」
「なるよね」
「そうだよね」
「日本によくあるね」
「山奥の誰も来ない場所だね」
「そうだよ、民家もないしね」
この大鳥池の周りにはというのです。
「人も少ないよ」
「だからタキタロウもあまり見られないんだね」
「そうだね」
「今僕達が調べているお魚も」
「どうしてもね」
「目撃されなくて」
「詳しいことがわかっていないんだね」
皆も言いました。
「それも当然だね」
「他の湖にはタキタロウはいないし」
「この湖だけで」
「しかもこんな人気のない場所だしね」
「見られないことも当然だね」
「そうだよ、そしてこの森もね」
先生は今自分達がいる場所のお話もしました。
「人がいないよ、けれど生きものはね」
「生きものは結構いるね」
「そうだね」
「この辺りはね」
「日本の他の地域の自然通りね」
「そうだよね」
「そうだね」
まさにというのでした。
「いい感じだよ」
「こうして自然が守られているとね」
「有り難いね」
「本当に」
「そうだね、ただね」
ここで先生は皆にこうもお話しました。
「熊がいることもね」
「考えた方がいいね」
「それで若し熊に出会ったらね」
「気をつけた方がいいね」
「熊を刺激しないことだよ」
このことが大事だというのです。
「まずはね」
「そうそう、それだね」
「熊は刺激しない」
「他の野生動物と同じで」
「熊も刺激しない」
「それが第一だね」
「そうだよ、日本の熊は北海道以外はツキノワグマでね」
先生は熊の種類のお話もしました。
「小さくて大人しいけれどね」
「そうだよね」
「ツキノワグマは大人しいよね」
「しかも熊としては小さくて」
「危険は少ないけれど」
「けれど刺激したらよくないよ」
それはというのです。
「やっぱりね」
「そうそう、熊は熊だよ」
「だからね」
「気をつけないといけないね」
「ヒグマよりは危険は少ないけれど」
「それでもね」
「ツキノワグマでも襲われたら大怪我をするからね」
そうなってしまうからだというのです。
「気をつけないと駄目だよ」
「そうだよね」
「若し変なことしたらね」
「本当に大怪我するから」
「刺激したら駄目だね」
「うん、それはね」
先生は森の地表を見て土壌にです。
生きものの糞も見ます、そしてでした。
そのうえで、です。先生はこうも言いました。
「うん、色々な種類の生きものが沢山いるね」
「そういうの糞でもわかるからね」
「糞って大事だね」
「本当に」
「そして野犬や野良猫もいないよ」
こうも言った先生でした。
「糞を見るとね」
「捨て犬も捨て猫もいない」
「そのこともいいことね」
「昔は山に捨てる人とかいたそうだけれど」
「そうした人もいなくて」
「本当にいいね」
「そのこともね」
皆も先生と一緒にそのことを喜びます。
「日本は山が多いから」
「犬や猫をそこに捨てるんだよね」
「そうした悪い人もいるんだよね」
「残念なことに」
「ふわりの前の飼い主の人達は絶対に許されないことをしたけれど」
それでもというのです。
「あの人達以上に酷い人達もいてね」
「保健所に預けないで」
「山に捨てるんだよね」
「昔の姥捨て山みたいな感じで」
「そうするのよね」
「流石にそうした行いは駄目だって考えが浸透してね」
日本にというのです。
「する人は物凄く減ったけれどね」
「自分が捨てられたらどう思うか」
「そのことを考えて欲しいね」
「全く以て」
「犬や猫を捨てるより」
「そうだよ、皆命があるんだ」
先生は言いました。
「そのことを忘れたら駄目だよ」
「知らないなら知る」
「そうだね」
「そうしないと駄目だね」
「聞いた話だと自分達が旅行に行きたいからね」
ただそれだけの為にです。
「家の猫を捨てる家族がいるらしいよ」
「それペットホテルや知り合いの人に預かってもらえばいいよ」
「それだけで捨てるの?」
「猫はおもちゃじゃないよ」
「何それ」
「そしてその家の父親が酷くて」
先生はお顔を曇らせてお話しました。
「まだ子供の娘さんが泣いていたらね」
「どうしたの?」
「そんな理由で命粗末にする人だから碌なことしないね」
「残念だけれどそれがわかるわ」
「よくね」
「うん、猫と旅行どっちか選べって怒鳴ってね」
そうしてというのです。
「娘さんに捨てることを選ばせたんだよ」
「もう人間じゃないね」
「人間の心ないね」
「鬼か悪魔だね」
「物凄い冷酷さだね」
「それで母親も酷くて」
父親だけでなくというのです。
「猫はまた新しいの飼うって言ったんだ」
「それでまた旅行に行く時捨てるんだ」
「冗談抜きで命何と思ってるのかな」
「そんな両親持って娘さん大丈夫?」
「まともに育つ?」
「心配だね、ただこの両親とは絶対に付き合ったら駄目だよ」
先生は断言しました。
「命をそこまで粗末に出来て娘さんにそんなこと言える人達なんてね」
「しかも自分の下らない欲の為にね」
「そんなこと平気でする人達なんてね」
「何するかわからないわ」
「自分達の都合でね」
「そう、自分達の下らない理由でね」
そうしたものでとうのです。
「誰でも平気で裏切って切り捨てるよ、そして逆にね」
「都合がよくなったらね」
「前に何してもへらへらと近寄って来るね」
「そうして利用しようとするね」
「そうだね」
「そんな人達だから」
それでというのです。
「どんな悪事も躊躇なくするからね」
「自分の都合でね」
「ばれないと何でもするね」
「そんな人達は」
「それこそ」
「生粋の悪人だよ」
先生はまた断言しました。
「そうした人達は」
「そうだね」
老馬も怒った声で言います。
「本当に自分しかないね」
「それこそ娘さんでも誰でも利用するだけね」
ダブダブもかなり怒っています。
「自分以外は何でもないのよ」
「もう他の命なんかどうでもいい」
「それで捨てても利用しても平気」
オシツオサレツも怒っています。
「暖かさなんかない」
「それも微塵もね」
「人に近寄るのは利用するだけ」
ジップにもわかりました。
「感謝もしないし恩義にも感じないね」
「絶対に何かあったら裏切って背中からでも撃ってくるね」
「そうしても何も思わない人達ね」
チープサイドの家族も断言しました。
「どんな悪事をしても全く平気」
「命なんてものと同じでね」
「いや、ふわりの前の飼い主の人達も酷かったけれど」
チーチーは言葉がないという感じです。
「その人達は邪悪さしかないね」
「あの人達は餓鬼だったけれど」
トートーはまずふわりの前の家族からお話しました。
「その人達は地獄に堕ちるね」
「可能なら娘さんにお前が自分達の代わりに地獄に行けって言うわね」
ポリネシアは確信しました。
「親が地獄に行ってもいいかって言って」
「そうした人達って閻魔さんの前でも言うね」
ガブガブもいつもの陽気さはありませんでした、怒っています。
「娘が代わりに地獄に行くからとかね」
「そうだね、いやどの場所でもどの時代でも悪人はいるけれど」
それでもと言う先生でした。
「ここまでの悪人だとね」
「絶対にお付き合いしたら駄目だね」
「近寄っても」
「本当に自分しかないから」
「平気でどんな悪事でも働くから」
「そうだね、残念だけれどこんな人達は生きていたら駄目だよ」
先生はこうまで言いました。
「悪いことしかしないからね」
「間違ってもいいことしないね」
「誰かの為に何かしないね」
「人間の心なんてないしね」
「それも微塵もね」
「そしてこうした人達が現代の日本ではね」
先生達が今いる国ならというのです。
「活動家や学校の先生に多いんだよね」
「そうそう」
「何でかね」
「そうした人達ってそうしたお仕事だね」
「そうした人達に支持されている政治家とか」
「そんな人達に多いね」
「口では奇麗ごとを言ってもね」
それでもというのです。
「その実はだよ」
「自分しかなくて」
「他の人は利用するだけでね」
「徹底的に冷酷でね」
「悪いことをしても平気だね」
「自分しかない人は倫理観もよ」
そうだというのです。
「極端になるとね」
「自分さえよければいいならね」
「もう倫理観なんかないよね」
「他人がどうなってもいいなら」
「自分さえ利益になるなら悪事を働いても平気なら」
「そうだよ、だから娘さんにもそんなこと言えるし」
猫と旅行どっちか選べとです。
「泣いている娘さんにね」
「猫に愛情あるのにね」
「だから泣いてるのにね」
「自分達が旅行に行きたいから捨てろ」
「死なせろ、愛情を捨てろなんて言うなんてね」
「こんな人達は倫理観なんてないから」
全くという口調での言葉でした。
「絶対に近寄ったらいけないしそうした人達のお仕事は」
「日本だとね」
「学校の先生とか活動家に多くて」
「それでそうした人達が支持している政治家だね」
「そんな人達だね」
「そんな人達だからね」
さらにお話する先生でした。
「熊本の牛の病気の時あったね」
「そうそう、何か入国前の検査をしない様にしてね」
「その時の政府が」
「それで熊本の牛に病気が蔓延して」
「沢山の牛が殺処分になったんだね」
「その時政府は何もしないでね」
大変なことになっていてもです。
「当時の農林水産大臣が酷くて」
「そうそう、責任者なのに」
「問題が起こっている最初の大切な時点で外遊に行ってね」
「自分のはじめてってことで」
「対策全く立てなくて」
「それで後でさっさと殺しておけばよかった」
「そう言ったんだよ」
先生が怒気を出していません、ですが明らかに怒っていました。
「この大臣もその時の政府の多くの人達もね」
「自分だけ」
「自分以外の命はどうでもいい」
「そんな人達だね」
「その時の政府、与党を支持していたのがね」
まさにその人達がというのです。
「学校の先生や活動家それに学者やマスコミの人達でね」
「捏造もしてね」
「平気で嘘を吐いて」
「そうした人達だから」
「先生もその両親のことをそう思うのね」
「そのお仕事はね」
まさにというのです。
「活動家かね」
「学校の先生だね」
「そうした人達じゃないかって」
「そう思うんだね」
「そうだよ、だから活動家の人達は無法な人が多くて」
まずはこの人達のことをお話しました。
「学校の先生も生徒をゴミみたいに扱うんだ」
「そんな人が多いんだね」
「そしてそんなことを家でもするのね」
「自分達の下らない理由で命を粗末にして」
「娘さんにそんな非道が出来るんだ」
「そうだろうね、あと学校の先生で活動家もしている人もいるよ」
兼ねている人もいるというのです。
「これがね」
「ああ、いるね」
「そうした人達もね」
「何かといるね」
「そうだね」
「そんな人達にはなったらいけないし」
それにと言う先生でした。
「近寄ってもね」
「いけないね」
「しかし何で日本ではそうなのかな」
「活動家や先生に酷い人多いのかしら」
「どうしてかしら」
「マルクス主義が歪んでね」
そうしてとです、先生は考えつつ言いました。
「元々革命の為には人命なんてどうでもいい」
「そんな考えで」
「元々自分のことだけ」
「そんな風にもなりやすい思想なのね」
「それでね、革命が何時の間にか自分になって」
そうなってというのです。
「自分さえよければね」
「他の命はどうでもいい」
「悪事もいい」
「何をしてもいいってなったのね」
「そうかもね、日本はマルクス主義の害毒を強く受けた国の一つだよ」
こうも言う先生でした。
「そう考えるとね」
「学校の先生って言うと日教組だけれど」
「日教組なんてマルクス主義だけれど」
「北朝鮮とも関係深いし」
「とんでもない組織だね」
「北朝鮮はもうマルクス主義でもないけれどね」
先生はこの国についてはこう言いました。
「世襲で階級まで定めている共産主義なんて有り得ないよ」
「そうだね」
「普通にないね」
「そんなことはね」
「他の共産主義国家もないし」
「けれど看板として掲げているだけで」
実態はそんな国でもです。
「絶賛して支持していたのが日教組でね」
「おかしいのも当然だね」
「そんな国を支持しているなら」
「しかもそんな封建国家をマルクス主義なんて言うなら」
「それならね」
「そう、だから今の様にね」
まさにというのです。
「なったんだ」
「日本の学校の先生は」
「おかしな人が増えて」
「活動家の人達も北朝鮮好きな人多いし」
「それでだね」
「そうかもね、北朝鮮を支持出来る人はおかしいよ」
先生はまた断言しました。
「日本にいたらね」
「そうよね」
「拉致もあったし」
「核兵器も持ってるし」
「偽札や麻薬の話もあるし」
「問題ばかり起こすしね」
「そうした国を支持している人達がね」
まさにというのです。
「活動家や学校の先生には多くてね」
「今お話している両親みたいな人もね」
「そうしたお仕事かも知れないんだ」
「その可能性が高いんだ」
「そう思うよ、何処にもいい人も悪い人もいるけれど」
それでもというのです。
「日本ではそうしたお仕事の人達に多いことはね」
「覚えておかないといけないね」
「そのことはね」
「そうした人達は思想もおかしくて」
「好きな人もおかしいんだね」
「そうだよ、日本と北朝鮮のどちらがいい国か」
この二国を比べてというのだ。
「一目瞭然だね」
「日本だよ」
「どう考えても」
「そんなこと言うまでもないわ」
「もうね」
「そうなんだけれどね」
普通の人ならというのです。
「けれどね」
「それがだよね」
「中にはおかしな人達もいて」
「日本では学校の先生に多い」
「そういうことね」
「そうだよ、そしてそんな人達は自分しかなくて」
そうしてというのです。
「他の命にもだよ」
「平気で酷いことをする」
「自分の下らない目的の為に娘さんに鬼の様に言う」
「とんでもない決断をさせる」
「そうするのね」
「そんなことが出来る人こそ本物の悪人ということもね」
このこともというのです。
「覚えていこうね」
「わかったよ」
「僕達そんな人達には近寄らないよ」
「絶対にね」
「何があってもね」
「僕もそうするよ」
先生は全ての生きもののお友達としてお話しました、そうしながら大鳥池の周りを歩いてそうしてです。
生態系も調べました、朝早くから夕方までじっくりと歩いて。
調査しました、そして先生は夜にテントの中江調査の結果をテントの中の灯りを使ってノートパソコンで書いていきますが。
その先生にです、皆は尋ねました。
「先生、ご飯だよ」
「今日はカレーよ」
「飯盒使ってご飯も炊いたわ」
「食べないの?」
「もうできてるわよ」
「あと少しで終わるからね」
先生は皆に執筆をしながら答えました。
「だからね」
「あと少しだね」
「書いてだね」
「そうしてなのね」
「ご飯ね」
「そうしようね、しかしね」
先生は書きながらこうも言いました。
「自然と筆が進むね、カレーの匂いを嗅ぐと」
「だってね、美味しそうだから」
「カレーの匂いってね」
「凄く独特だしね」
「嗅ぐと早く食べたいと思って」
「自然に手が動くよ」
「お仕事終わらせようとするわ」
皆は先生に笑顔でお話します。
「そういうことだよ」
「だからだよ」
「先生も手が進むのよ」
「そうなっているんだよ」
「そうだね、じゃあどんどん書いて」
そうしてと言う先生でした。
「早く食べようね」
「そうしようね」
「そして皆でカレーを食べよう」
「そうしよう」
「早くね」
「そうしようね、しかしお風呂があってよかったね」
ここで先生はこのこともお話しました。
「そうだね」
「うん、キャンプ場の近くの旅館にあってね」
「そこで入られるからね」
「よかったわ」
「お陰で昨日も入ったしね」
そうして身体を奇麗にしてというのです。
「今日もだったしね」
「調査が終わってすぐに入ったね」
「フィールドワークの後で」
「そうしたらすっきりしてね」
「執筆もはかどるわね」
「そうだよ、お風呂はいいものだよ」
先生はにこりと笑ってこうも言いました。
「身体は奇麗になるし気分もだよ」
「すっきりするよね」
「それで気持ちよく寝られるね」
「だからだね」
「お風呂は毎日入るべきね」
「疲れも取れるしね」
身体のそれもというのです。
「だからいいんだよ」
「そうだよね」
「それじゃあ今は執筆が終わったら」
「皆でカレーを食べよう」
「そうしましょう」
「是非ね」
皆に笑顔で応えてでした。
先生は執筆を終えて皆と一緒にカレーを食べました、するとそのカレーは。
「茸に山菜のだね」
「うん、そうなんだ」
「今日はそうしたカレーにしたの」
「川魚にね」
「山荘で売ってた茸や山菜を使ってね」
「そうした皆で作ったんだ」
「そうしてくれたんだね、僕はね」
どうにもと言う先生でした。
「お料理は出来ないからね」
「だから僕達が作ったんだ」
「そうしたのよ」
「先生の為にね」
「そして皆で食べようと思って」
「有り難う」
先生は作ってくれた皆に笑顔で応えました。
「じゃあ今からね」
「うん、食べようね」
「今日もお腹一杯ね」
「そうして食べよう」
「皆でね」
笑顔で言ってでした。
皆でいただきますをしてからカレーを食べます、先生はそのカレーを一口食べて作ってくれた皆に答えました。
「美味しいよ」
「美味しいんだ」
「それは何よりだよ」
「僕達も美味しくなる様に作ったしね」
「食材切ってお鍋で煮てね」
「ルーで味付けして」
「あとご飯も炊いたからね」
皆は笑顔で応えました。
「そうしたからね」
「飯盒のご飯も美味しいよね」
「これって凄い発明だよね」
「コツさえわかれば美味しいご飯が沢山炊けるんだから」
「それも結構簡単にね」
「そうだよね、こんなものがあるなんてね」
先生は笑顔で言いました。
「流石日本だね」
「そうだよね」
「スタッフの人達も飯盒使ってるけれど」
「それで炊いているけれど」
「慣れてるわね」
「そして楽しく炊いているよ」
「全くだよ、けれど僕がしたら」
カレーを美味しく食べつつ少し残念そうにお話するのでした、見れば皆でカレー鍋を囲んで仲良く食べています。
「これがね」
「まあ先生はね」
「家事は全く駄目だからね」
「野外でもね」
「あとスポーツもだしね」
「そういうのはね」
全くと言う先生でした。
「出来ないからね」
「そうだね」
「先生の場合はね」
「こと家事とスポーツはね」
「全く出来ないね」
「そうなんだよね、僕は得手不得手がはっきりしているから」
先生はご自身のお話もしました。
「学問は出来てもね」
「読書と検証と執筆とね」
「分析もフィールドワークもね」
「全部得意だけれど」
「それでも家事やスポーツはね」
こうした身体を動かしたりするものはというのです。
「全く出来ない、生活力がないからね」
「だから僕達がいるんだよ」
「先生といつもね」
「一緒にいるのよ」
「先生ってそうした人だから」
「そのことがわかっているから」
「そうだね、だから皆がいてくれて嬉しいよ」
先生は心から言いました。
「王子にトミーもいてくれてね」
「若し皆がいないと」
「先生どうなってるかな」
「お掃除も出来ないし」
「服を畳むのも下手だし」
「うん、皆がいてくれないと」
先生はというのです。
「本当にだよ」
「どうしようもないわね」
「何も出来ないね」
「学問は出来てお仕事はあっても」
「家事は出来ないから」
「子供の頃からだからね」
それこそというのです。
「僕は」
「その頃から学問は出来ても」
「家事は全く駄目で」
「スポーツもだよね」
「そちらについても」
「そうだよ」
まさにと答える先生でした。
「得意なスポーツは全くないよ」
「それがいいんだよね」
ホワイティはここで先生にこう言いました。
「先生は」
「そうそう、どんな学問でも出来て何十ヶ国語も僕達の言語もお話出来て」
チーチーも言います。
「それで公平で温厚で謙虚な紳士だから」
「もう凄い人よ」
ポリネシアは先生を見て言いました。
「学問の万能選手で紳士なんて」
「完璧過ぎてやっかむ人もいるよ」
トートーは断言しました。
「先生には」
「けれどそれがね」
「実は家事とスポーツが全くだから」
チープサイドの家族も言います。
「人間誰しも苦手や弱点がある」
「先生はそれがはっきりしているからね」
「ああ、先生も人間なんだって思えて」
そしてと言うジップでした。
「そこがかえっていいんだよ」
「完璧ってかえって魅力ないよね」
老馬は言いました。
「何でもいいならね」
「そうよ、先生は学問は得意でもそういうのは駄目」
ダブダブは言い切りました。
「そうであるから魅力的なのよ」
「若し先生が家事もスポーツも出来たら」
「魅力がどれだけないか」
オシツオサレツは二つの頭で言いました。
「全くね」
「何の面白みもないよ」
「人間誰しも欠点があってね」
ポリネシアは先生にお話しました。
「先生は家事とスポーツが駄目ってことね」
「何か僕は欠点が魅力みたいだね」
先生も言いました。
「皆のお話を聞いてると」
「そうだよ」
「先生はそれでいいのよ」
「家事とスポーツが苦手でね」
「それでいいんだよ」
「先生の魅力だよ」
皆カレーを食べつつお話をします、飲みものも用意されていますがそれは牛乳で温かいそちらも楽しんでいます。
「まさにね」
「しかもその性格だしね」
「優しくて公平で穏やかで」
「しかも紳士だから」
「謙虚で平和的だしね」
「けれどその性格も」
素晴らしいというこちらもというのです。
「若し家事もスポーツも出来てね」
「そうした性格ならね」
「何かもう完璧過ぎて」
「今の先生程魅力的じゃないわ」
「とてもね」
「そうなんだね、僕の魅力は」
まさにと言う先生でした。
「得手不得手がはっきりしていることが大きいんだね」
「そうだよ」
「完璧過ぎる人は魅力に欠けるよ」
「何でも出来る人はじゃあ自分でやってねってなるから」
「それが得手不得手がはっきりしていたら」
「苦手なところを助けたいとも思うし」
それにというのです。
「実際に助けられてね」
「その分先生と一緒にいられるし」
「先生を助けられてよかったと思うし」
「心も優しくなれるよ」
「親しみも持てるのよ」
「だからこれからも一緒だよ」
皆で先生に言いました。
「先生、何かあったら任せて」
「僕達は先生の味方だよ」
「何時でも一緒よ」
「何があっても先生の味方だから」
「最後の最後までね」
こう言うのでした、そしてです。
皆は先生がカレーを完食した時に言いました。
「おかわりする?」
「もう一杯食べる?」
「そうする?」
「うん、頼むよ」
先生は皆に笑顔で応えてお皿を差し出しました、そうしてカレーをまた食べます。そのうえでこうも言いました。
「川魚も茸も山菜もだよ」
「美味しいよね」
「こうしたカレーも」
「川魚や山の幸を使っても」
「それでもね」
「そうだね、カレーはどんな食材も美味しくしてくれるよ」
先生は笑顔で言いました。
「本当にね」
「全くだね」
「カレーは魔法の食べものだよ」
「本当にどんな食材でも美味しくするから」
「素敵なお料理だね」
「そうだね、お酒とは合わないけれど」
それでもと言う先生でした。
「どんな食材でも美味しくするからね」
「牛肉も豚肉も鶏肉も」
「シーフードでもね」
「勿論お野菜もそうだし」
「ソーセージでもいいし」
「ハンバーグやカツやフライでもいいしね」
「うん、カツカレーなんてね」
先生はこのカレーのお話もしました。
「物凄く美味しいね」
「全くだよ」
「ご飯にカツレツを添えてその上にカレールーをかけて食べる」
「それがいいよね」
「凄く美味しいよね」
「あのカレーもね」
「むしろカレーに合わないものは何か」
先生は笑ってお話しました。
「一体ね」
「ないよね」
「それこそね」
「カレーでも美味しくならない食材なんて」
「他にないよ」
「僕も想像がつかないよ、蛸や烏賊とかね」
シーフードの中のそういったものも出しました。
「イギリスでは食べないものも合うね」
「イギリスで烏賊や蛸ってね」
「本当に食べないからね」
「悪魔だとか言う位で」
「モンスター扱いもするし」
「その烏賊や蛸もだよ」
まさにというのです。
「美味しくなるしね」
「まあどっちも美味しいけれどね」
「最初からね」
「いざ食べてみると」
「日本の人達の言う通りに」
「美味しいよ」
「しかしカレーに合うかどうかというと」
このことはというのだ。
「不安に思うけれど」
「これが合う」
「あと蟹とか海老とかお魚も」
「やっぱり合うのよね」
「貝だって」
「カレーはいいね、そのカレーを食べられて幸せだよ」
先生は笑顔でこうも言いました。
「全く以てね」
「先生ってこう言ってくれるしね」
「食べものは美味しいって」
「文句言わないからね」
「そのことも嬉しいよ」
「実際に美味しいよ、僕はまずいと思うことはね」
食べてというのです。
「あまりないね」
「そうだよね」
「これといってね」
「先生って食べてまずいって言うことないね」
「滅多にね」
「特に日本に来てからはね」
それからはというのです。
「ほぼないね」
「日本のものは美味しいからね」
「どんなものでも」
「イギリス料理ですら美味しいし」
「ティーセットなんかイギリス越えてるね」
「そんな風だからね」
だからだというのです。
「もう僕はだよ」
「まずいと言うことはないね」
「日本にいたら」
「尚更だね」
「美味しいものばかりなんで」
「そうなんだ、それに美味しいと思えれば」
それでというのです。
「いいよね」
「そうだよね」
「それで幸せと思えればね」
「もうそれで勝ちだよ」
「誰だってね」
「そして感謝出来れば」
そうも出来ればというのです。
「勝ちだね」
「うん、それでね」
「まさにね」
「それで勝ちよ」
「本当にね」
「そう、幸せなら勝ちと言ってよくね」
そしてと言う先生でした。
「僕は幸せだから」
「勝ってるね」
「もうそれでね」
「誰かに勝ってるかじゃなくて」
「人生の勝ち負けだね」
「勝ち組負け組ってのは幸せかどうかだろうね」
先生が思うにです。
「幾らお金があっても不満ばかりで幸せかな」
「違うよね」
「不満ばかり感じていたら」
「全然幸せじゃないよ」
「それじゃあ」
「そしてお金がなくても地位がなくても暮らしに満足しているなら」
それならというのです。
「もうね、幸せと感じるなら」
「勝ってるね」
「人生に」
「そうなるね」
「そして僕はいつも幸せだから」
そう感じているからだというのです。
「もうね」
「勝ってるんだね」
「そうなのね」
「そういうことだね」
「皆とトミーと王子とサラがいて」
そしてというのです。
「学問が出来てそしてお家とお仕事もあって暮らしていける」
「それでだね」
「もう先生は幸せね」
「そこまであったら」
「充分以上っていうのね」
「先生としては」
「しかも美味しいものをいつも楽しめてるんだよ」
それならというのです。
「もうね」
「充分以上に幸せで」
「満足している」
「そうよね」
「そうだよ、幸せなのが勝っているのなら」
それならというのです。
「僕は最高の勝ち組だよ、これ以上はないね」
「けれどまだ幸せになれるとね」
「僕達は言っておくからね」
「今度は結婚よ」
「素敵な恋愛をしてね」
「ははは、それはないよ」
先生はこれまた笑って応えました。
「恋愛だの結婚は」
「いや、あるから」
「そこでそう言うのが先生なんだよな」
「欲がないからこれだけで満足して」
「しかも恋愛についてはそう考えるのよね」
「けれど僕達も王子もトミーもいるから」
その皆がです。
「何時かはね」
「先生に気付いてもらって」
「今以上に幸せになってもらおう」
「そうなってもらいましょう」
動物の皆はこう話すのでした、そうして先生と一緒に調査を続けていくのでした。