『ドリトル先生とタキタロウ』
第三幕 いざ東北へ
東北に出発する日が来ました、先生は動物の皆と一緒に出発の準備を整えてお家を後にしようとしますが。
トミーは王子と一緒に先生を見送って言いました。
「留守は任せて下さい」
「うん、頼むよ」
「お掃除はちゃんとしていますので」
「そうしてだね」
「先生が帰られたら」
お家にです。
「笑顔でお迎えします」
「その時も楽しみだよ」
「それでは行って来て下さい」
「先生楽しんできてね」
王子も先生に言います。
「そうしてきてね」
「うん、是非ね」
「そしてタキタロウもね」
先生が今とても関心を持っているこのお魚もというのです。
「学んでね」
「是非そうさせてもらうよ」
先生は満面の笑顔で応えました。
「是非ね」
「そういうことでね」
「では行って来るよ」
先生はお家の玄関で見送ってくれたトミーと王子に動物の皆と一緒に手を振って一時のお別れをしました。
そしてこの時皇子の執事さんが先生に言いました。
「先生、日笠さんへのお土産はです」
「はい、皆さんの分もです」
「いえ、私共はいいのです」
執事さんは先生に畏まってお話しました。
「それよりもです」
「日笠さんにはですか」
「くれぐれも忘れないで下さい」
「お土産を送るのですね」
「そうして下さい」
「そうそう先生、僕達のことは忘れていいけれど」
王子も言いました。
「日笠さんについてはだよ」
「忘れては駄目なんだね」
「そうだよ」
このことはというのです。
「くれぐれもね」
「忘れたら駄目なんだね」
「うん、日笠さんにだけはね」
「ううん、もうおお土産は何を買って誰に送るか決めているからね」
先生は右手をご自身の顎に当てて考えるお顔になって答えました。
「メモも取っているしね」
「忘れないっていうんだね」
「そうするよ」
「そのことはいいけれどね」
「それでもなんだね」
「日笠さんのことは絶対にだよ」
王子は念を押して言いました。
「忘れないでね」
「そうするよ」
「それじゃあ行って来てね」
お土産のお話もしてでした。
先生は動物の皆と一緒に水族館のスタッフの人達と合流してそのうえで東北に向かいました。神戸の空港から飛行機で一気にです。
まずは仙台に着きました、先生は飛行機から降りると動物の皆にお話しました。
「今日はこの仙台でだよ」
「一日過ごすんだ」
「そうするんだね」
「うん、そしてね」
そのうえでというのです。
「明日山形に向かうんだ」
「大鳥池にだね」
「そうするのね」
「明日行くんだね」
「そうだよ、今日は史跡研修なんだ」
それを行うというのです。
「仙台のね」
「それも学問だよね」
「湖の水質や生きものや周りの地質や植物のことを調べて」
「そして歴史も学ぶ」
「どれも学問だから」
「今日はだね」
「仙台で学ぼうね」
この街の歴史をというのです。
「そうしようね、そして仙台といえばね」
「やっぱり伊達政宗さんだよね」
「この人抜きで仙台は語れないわね」
「もう仙台と言えば政宗さん」
「そうよね」
「そう、だからね」
まさにそうだからだというのです。
「仙台城に行ってね」
「伊達政宗さんのことを学んで」
「仙台の歴史も学ぶ」
「そうするのね」
「うん、そうしようね」
こう言って水族館のスタッフの人達と一緒にです。
先生は動物の皆を連れて仙台城に行きました、そしてそこで皆で伊達政宗さんの銅像を観ました。するとです。
動物の皆は馬に乗り具足姿の政宗さんを観て口々に言いました。
「恰好いいよね」
「そうだよね」
「独眼竜って言うけれど」
「眼帯まで恰好いいね」
「実にね」
「そう、政宗さんは右目が見えなくてね」
先生は政宗さんのその目のお話をしました。
「そのことでも有名なんだ」
「実際に片目だったんだね、政宗さんって」
チーチーは銅像を観つつ言いました。
「よく言われている通りに」
「柳生十兵衛さんとそこが違うわね」
ダブダブはこの人のことを思い出しました。
「あの人実は両目共見えていたそうだから」
「時代劇だと隻眼だけれどね」
ジップも言います。
「あの人は」
「それが実は両目見えていて」
「あれは創作のことだったのよね」
チープサイドの家族もお話しました。
「隻眼じゃなかったのよね」
「あの人は」
「創作と史実は違っていたりするけれど」
トートーも言いました。
「政宗さんは本当に隻眼だったんだね」
「片目だと何かと大変だっただろうね」
ガブガブは政宗さんのこの苦労のことを思いました。
「お母さんにもそれで嫌われたそうだし」
「片目だからどうしたのって私達は思うけれど」
ポリネシアは自分達の考えをお話しました。
「政宗さんのお母さんは違ったのよね」
「それで家督を弟さんにとかいうお話も出てね」
「大変だったんだよね」
オシツオサレツは政宗さんのこのことを言いました。
「お家騒動ってよくあるけれど」
「政宗さんにもあったんだね」
「恰好いいイメージが強いけれど」
老馬は政宗さんの銅像を少し悲しい目になって見て言いました。
「大変なこともあったんだね」
「そうだよ、政宗さんはお家騒動もあったしね」
先生も皆に政宗さんのお話をします。
「幼い頃に天然痘に罹ってね」
「それで右目が見えなくなったんだよね」
「最初は見えていたんだよね」
「それがあの病気に罹ってしまって」
「そうなったのよね」
「そうだよ、天然痘は今はないけれどね」
根絶された病気だというのです。
「長い間怖い病気だったね」
「そうそう」
「沢山の人が罹ってね」
「命を落としてるんだよね」
「政宗さんも罹ってしまってね」
そうしてというのです。
「右目を失明してね」
「そのせいせお母さんに嫌われて」
「逆に弟さんが可愛がられて」
「弟さんに家督をってことにもなって」
「大変だったのよね」
「そう言われているけれど実は親子中は悪くなかったみたいだよ」
先生は皆にお話しました。
「政宗さん贈りものしたりお家を失くしたお母さんを自分のお城に迎え入れているから」
「あっ、そうなんだ」
「実はそうなの」
「お母さんに嫌われていたと思っていたら」
「違っていたんだ」
「そうみたいだよ」
こうお話するのでした。
「実はね」
「そこが創作と違う?」
「そういうこと?」
「このことこそが」
「いや、ずっとそうだと言われていたんだ」
政宗さんはというのです。
「お母さんに嫌われていたってね、けれど最近の研究でね」
「それがわかったんだ」
「実は嫌われていなかった」
「そうだったって」
「そうなんだ、歴史も調べていくとね」
そうしていけばというのです。
「色々新たな事実がわかっているんだ」
「今言われていることが絶対じゃない」
「そうなんだね」
「調べると色々なことがわかる」
「そうしたものなんだね」
「そう、だからね」
それでというのです。
「どんどん学ぶべきなんだ」
「ただ言われていることを頭に入れるんじゃなくて」
「学ぶことだね」
「それが大事なんだね」
「歴史については」
「そう、まずは知ってね」
今現在の学説をです。
「それが正しいかもっとよくなるか」
「そう考えて」
「自分で研究していく」
「それが大事なんだね」
「そうすることが」
「そうだよ、それが学問なんだ」
まさにというのです。
「同じことでも何度も調べてね、新たな文献を探して調査もして」
「確かめていくんだね」
「今そうだとされていることでも」
「何度も調べることだね」
「そうすることだよ」
こう言うのでした。
「政宗さんについてもね」
「そして実際に調べて」
「それでだね」
「そうしたこともわかったのね」
「政宗さんとお母さんのことも」
「そうだよ、あと政宗さんはお料理にも造詣が深くて」
それでというのです。
「腕も確かでずんだ餅も作ったそうだし高野豆腐にも関係があるよ」
「ああ、あの食べものだね」
「高野山で生まれた」
「あのお豆腐にも関わってるんだ」
「武田信玄さんにもお話があるけれど」
この戦国大名の人もというのです。
「仙台ではこの人が生み出したとも言われてるんだ」
「あれっ、高野山からじゃないの?」
「だから高野豆腐じゃないの?」
「違うんだ」
「仙台ではそう言われていて山梨では信玄さんになっていてね」
生み出した人はというのです。
「こちらじゃ凍り豆腐というんだ」
「一旦凍らせて水分を取ってね」
「それでああしたものにするから」
「だから凍り豆腐なんだ」
「そうした名前なんだ」
「こちらではね。同じ食べものでも名前が違うんだ」
そうなっているというのです。
「そうしたこともあるね」
「ええ、他の国でもあって」
「日本でもね」
「それで高野豆腐や凍り豆腐になっていて」
「政宗さんが作ったと言われているんだ」
「そうだよ、政宗さんには逸話が多いけれど」
先生は政宗さんの銅像、馬に乗っているそのお姿を観つつ皆にお話しました。
「その中にはだよ」
「そうしたお話もあるんだ」
「食べものについての逸話も」
「そうなのね」
「そうだよ、あと政宗さんは格好良さでもね」
皆が言うこのこともというのです。
「有名だったんだ、男伊達って言葉があるね」
「そう、あるね」
「格好いいって意味だよね」
「ダンディとかね」
「そんな意味の言葉だね」
「その語源になっただけあってね」
それでというのです。
「政宗さんはそのことでも有名だったんだ」
「格好良さでも」
「実際この銅像も恰好いいしね」
「鎧といい兜といい羽織ってるものといいね」
「この羽織ってるもの陣羽織だったね」
「鎧は具足といったね」
「そうだよ、この具足や兜も有名でね」
そうしたものも観つつお話するのでした。
「兜はあのダースベイダーのモデルにもなったよ」
「ああ、あの映画の」
「スターウォーズの悪役ね」
「そういえば似ているね」
「そうよね」
「それだけ格好いいってことだよ」
伊達政宗さんはというのです。
「映画の登場人物のモデルになる位ね」
「それは凄いね」
「実際この銅像恰好いいしね」
「今にも動きそうな位だし」
「そこまでなんだね」
「そうだよ、戦いでは騎馬隊に鉄砲を持たせて」
そうしてというのです。
「鉄砲騎馬隊で有名だったんだ」
「騎馬隊の速さに鉄砲ってね」
「当時だとかなりだね」
「そんな戦い方も考えたんだ」
「政宗さんはそうして戦っていたんだ」
「それで奥羽、今で言う東北で名を馳せて」
そうなってというのです。
「朝鮮出兵にも参加したし関ケ原では東軍について東北で戦って大坂の陣でもだよ」
「戦ったんだ」
「まさに戦いの人生ね」
「流石戦国だね」
「大坂の陣では真田幸村さんとも戦ったよ」
この人ともというのです。
「長野に行った時お話に出たね」
「うん、覚えてるよ」
「真田十勇士を率いていたね」
「大坂の陣で大活躍してね」
「物凄く強くて立派な人だったね」
「そう、あの人とも戦ったんだ」
政宗さんはというのです。
「ゲームのことじゃなくてね」
「ああ、そんなゲームあるよね」
「日本のゲームでね」
「幸村さんが赤で政宗さんが青で」
「ライバル同士のゲームあるね」
「確かにお二人は大坂の陣で戦ったけれど」
先生はこのゲームのことは少し苦笑いでお話しました。
「別にライバル同士じゃなかったよ」
「そうだよね」
「あれはあくまでゲームのことだね」
「そうだったね」
「実際は」
どうかといいますと。
「今お話した通りであまり接点はね」
「なかったんだね」
「幸村さんと政宗さんは」
「その実は」
「そうだよ、ただ幸村さんのご家族が大阪の陣の時に伊達家に保護されてね」
そうなってというのです。
「次男さんの家系が伊達家の家臣になっているよ」
「あっ、そうなの」
「そんなこともあったんだ」
「それは意外な縁だね」
「そうしたこともあったの」
「あと天下人への野心があったか」
このこともよく言われているけれど、というのです。
「これも疑問みたいだね」
「へえ、そうなんだ」
「政宗さんって野心家ってイメージがあって」
「それで東北で戦っていたと思ったら」
「実はそうなの」
「天下取りの野心はなかったんだ」
「そうかも知れないね、当時天下人になろうとはっきり思っていた人は」
その人はといいますと。
「織田信長さん、そしてね」
「その後の豊臣秀吉さん」
「その人達位だったんだ」
「そうだったんだ」
「武田信玄さんもそう考えていたか」
この人にしてもというのです。
「どうかな、今川義元さんもね」
「天下人を目指して上洛を考えて」
「大軍を率いて進んで」
「そこを信長さんに攻められて敗れて」
「桶狭間で命を落としたのよね」
「この時も果たして京都を目指してね」
都と呼ばれたこの場所をというのです。
「天下人になろうとしたと言われているけれど」
「それも本当かどうか」
「それはわからないのね」
「あの人にしても」
「そうだよ、もう本当にね」
先生はさらにお話しました。
「はっきり天下人を目指したって言えるのは」
「当時は織田信長さんか豊臣秀吉さん位で」
「伊達政宗さんはわからないんだ」
「武田信玄さんや今川義元さんも」
「はっきり言えないのね」
「そうだよ、ただね」
それでもと言う先生でした。
「政宗さんがかなりの勢力を築いたことは確かだよ」
「沢山の戦いに勝って」
「そうなったんだね」
「そのことは事実だね」
「天下を目指していなくても」
「そう、そして会津からこちらに移されて」
この仙台にというのです。
「今の仙台の基礎を築いたんだ」
「仙台って東北一の街だけれど」
「東北で一番人の多い」
「その仙台を築いたのは誰か」
「もうそれはね」
「政宗さんが秀吉さんに転封させられて」
この仙台にというのです。
「それでだよ」
「はじまったんだね」
「その時から」
「そうなのね」
「伊達家は本来代々福島の方に土地があってね」
そうであってというのです。
「そこで暮らしていたから」
「元々仙台とは縁がなかったね」
「転封させられるまでは」
「秀吉さんにそうさせられるまでは」
「そうだったんだ、けれど仙台に移って」
そうなってというのです。
「政宗さんは城下町も築いて水田開発も行って」
「仙台の基礎を築いて」
「これだけの街になる様にした」
「そうだったんだね」
「戦いも強いと言ってよくて格好良くてお料理にも造詣があってね」
そうしてというのです。
「政治もだよ」
「よかったんだね」
「そう思うと凄い人だね」
「政宗さんは」
「だから仙台の英雄なんだ」
そうなっているというのです。
「今もね」
「それだけのことをしたから」
「今の仙台の基礎も築いたから」
「仙台の英雄なんだね」
「大阪で豊臣秀吉さんが英雄である様にね」
この人の様にというのです。
「政宗さんは仙台でだよ」
「英雄だね」
「だから銅像も建てられているんだ」
「こうして」
「そうなんだ、仙台で政宗さんを悪く言う人は」
それこそというのです。
「まずいないだろうね」
「大阪でもそうだしね」
「秀吉さんは英雄よ」
「元々名古屋の人でも」
「今の大阪の基礎を築いてくれた人だから」
「そういうことだよ、そしてこのお城もね」
仙台城もというのです。
「青葉城とも呼ばれているけれどね」
「政宗さんが築いたんだね」
「仙台の象徴の一つだけれど」
「そうなったんだね」
「全ては政宗さんからだね」
「仙台はね、政宗さんは最初えらく不満でね」
仙台に転封となってです。
「一揆を煽動したとも言われてるしね」
「それまずいよね」
「若し秀吉さんにことが露見したらね」
「お取り潰しだよね」
「そうでなくても警戒している人がいてね」
それでというのです。
「色々あったよ、それで天下も伺ってたとかね」
「言われてたんだ」
「その辺りは不明でも」
「そんな話もあったんだ」
「そうだったんだ、けれど内政はしっかりしていて」
それでというのです。
「さっき話したけれどね」
「今の仙台の基礎を築いたんだね」
「城を築いて街を整えで」
「水田開発もして」
「そうしてだね」
「仙台藩は大藩だったんだ」
政宗さんがはじまりとなるこの藩はというのです。
「江戸時代の間ね」
「それはどうしてか」
「それはだね」
「まさに政宗さんがあってこそ」
「それでだね」
「そうなんだ、そして今の仙台があるのも」
「全て政宗さんあってだから」
「そのことを考えるとね」
「政宗さんって偉大だよね」
「仙台の人達にとって」
「だから皆好きなんだよ」
仙台の人達はというのです。
「間違いなく地元のヒーローだからね」
「それだけに格好いいね」
「この像も」
「今にも動きだしそうだし」
「仙台と街の人達を見守っているんだね」
「そうだよ、政宗さんは今でもこの仙台にいるよ」
先生は隻眼の銅像を微笑んで観ながら笑顔でお話しました、そうして仙台城や他の歴史ある場所を巡ってです。
それから夜はスタッフの人達と早い晩ご飯を食べてです。
お風呂に入ってから飲みに出ました、そして仙台のある居酒屋で。
仙台の海の幸に笹かまぼこにです。
牛タンのお料理とでした。
「ほやだね」
「これまで何度か食べてるけれどね」
「今回は地元で食べるのね」
「そうするんだね」
「そうだよ、一度地元で食べたいと思っていたんだ」
先生は皆に笑顔で応えました。
「是非ね」
「そうだよね」
「先生言ってたしね」
「仙台ではほやも食べたい」
「そうね」
「晩ご飯の時にずんだ餅は食べたね」
こちらはというのです。
「デザートで出て」
「そうそう」
「あれも美味しかったね」
「枝豆を潰してあんにしたお餅も」
「そちらもね」
「そう、だからね」
それでというのです。
「今はだよ」
「ほやだね」
「それを食べるのね」
「仙台の海の幸に笹かまぼこに牛タン」
「それとだね」
「そうするよ」
お刺身に天麩羅にです。
かまごこに牛タンの塩焼きにそれがあります、先生は日本酒を手にしてです。
皆と一緒にほやを切ったものを食べます、そして食べてからにこりとしてそのうえで言ったのでした。
「美味しいね」
「そうだよね」
「まさに珍味だよね」
「不思議な味よ」
「ほやはね」
「そうだね、実はね」
先生はほやをお刺身の様に食べつつお話しました。
「政宗さんはこのほやとも関りがあるんだ」
「そういえば食べものにも縁があったね」
「そうした人だったわね」
「お料理の腕は確かで」
「ずんだ餅や凍り豆腐も作った」
「そんな人だったね」
「そうだからね」
それでというのです。
「ほやとも関係があるんだ」
「ううん、ほやでも出て来るなんて」
「流石政宗さんだね」
「ほやにも出て来るなんて」
「流石と言うべきかしら」
「ほやはお汁まで飲め」
この言葉を出すのでした。
「家臣の人達まで言われたんだ」
「そうそう、ほやってお汁も美味しいよね」
「そちらまでね」
「ほや自体も美味しいけれど」
「お汁もね」
「ほやは栄養価が高くて」
そしてというのです。
「お汁もそうだからね」
「それでお汁も飲めって言ったんだ」
「政宗さんは」
「成程ね」
「そこまで考えて言ったんだ」
「そうだよ、だから僕もね」
先生はほやをさらに食べつつお話しました。
「ほやはお汁まで飲んでいるよ」
「そうしてるんだね」
「じゃあ今もだね」
「お汁まで飲むね」
「そうするのね」
「そうするよ」
笑顔で言ってでした。
先生はほやを食べます、そこで先生はこうも言いました。
「しかし仙台は噂通り木が多いね」
「木の都だったね」
トートーが応えました。
「仙台は」
「そう言われてるんだよね」
チーチーも言ってきました。
「昔から」
「大阪は水の都で実際に川や堀が多くてね」
ガブガブはよく行くこの街のことを思い出しました。
「仙台は木が多いから木の都だね」
「織田作さんは大阪は木の都と言ってたわね」
ダブダブは前にお会いしたこの人のことを思い出しました。
「それは織田作さんの周りが木が多かったせいで実際に大阪も結構木が多い場所があるわ」
「けれど仙台は本当に木が多いね」
「そうだったわね」
チープサイドの家族がお話しました。
「確かに」
「実際に見てみるとね」
「そのことを実感したね」
「仙台の街を観て回ってね」
オシツオサレツは二つの頭でお話します。
「そうだったね」
「仙台は木が多いよ」
「そのせいか奇麗だったよ」
ジップはしみじみとして言いました。
「仙台の街はね」
「木が奇麗に飾ってね」
老馬も言います。
「空気も奇麗にしてくれて」
「やっぱり木が多いっていいね」
ホワイティも言いました。
「街でも何処でもね」
「そうだね、この木の多さが仙台の特徴で」
それでと言う先生でした。
「奇麗にもしているね」
「そうだよね」
「神戸だと木は後ろにあるのよね」
「すぐ後ろの山に」
「街自体にもあるけれど」
「やっぱり仙台の木は後ろだよ」
「後ろの山にあるものよ」
皆も言います。
「それで大阪はお寺や神社や公園にある」
「そうなっているね」
「それで大阪はそうした場所も多いから」
「わりかし木が多いね」
「そうなってるね」
「そうだね、僕達の住んでいる神戸はそうでね」
先生も言います。
「大阪はそうでね」
「そしてだね」
「仙台は全体的に木が多いね」
「他の街と比べて」
「それで木の都だね」
「そうなっているね、しかしね」
先生は少し苦笑いになってこうもお話しました、その間も皆と一緒に飲んで食べて楽しくしています。
「木が多いのはいいけれど杉の木がね」
「そうそう、多くてね」
「毎年春先は花粉のお話が出るね」
「先生も私達も花粉症じゃないけれど」
「困っている人がいるね」
「戦後の発展があって」
そうしてというのです。
「その中で木材が大量に必要だと思われてね」
「何かと木って使うからね」
「本当にね」
「もうそれこそね」
「使わないってことないからね」
「木材は」
「だから日本中で植林する時にね」
まさにその時にというのです。
「杉の木を植えたんだ」
「本当に日本中に植えて」
「至るところ杉の木だらけ」
「そうなったのね」
「日本は」
「けれど海外の木材の方が安く沢山手に入れられる様になって」
そうなってというのです。
「日本の木はそのままになって」
「そうしてだね」
「杉の花粉が春先に沢山出る様になって」
「そのうえでなのね」
「今花粉症が問題になっているんだ」
「そうなんだ」
まさにそうなったというのです。
「日本は山が多い国で」
「その山は殆ど全部木が植えられているわ」
「もう山が連なる限り」
「禿山って日本殆どないよ」
「そしてその木は」
「杉が多いね、それだけにね」
まさにそのせいでというのです。
「花粉症もだよ」
「問題になってるね」
「杉の木を使おうとしたらそのままになって」
「そのせいで」
「それで今大変になっているよ」
日本ではというのです。
「杉の木も確かに必要だけれど」
「多過ぎるとね」
「それはそれで問題だね」
「そうなるわね」
「そうなんだ、ただ日本人は本当に植林に熱心で」
このこともお話する先生でした。
「日本本土だけじゃなくて台湾でも朝鮮半島でもだったよ」
「そうそう、昔は台湾も朝鮮半島も日本だったよ」
「第二次世界大戦が終わるまでは」
「それで統治していて」
「植林もしていたのね」
「植林をすると山の土砂崩れも防げて木材も確保出来てね」
そうしたいいことがあってというのです。
「そこに沢山の生きものが住んで生態系も豊かになるからね」
「いいんだよね」
「植林は」
「そうだよね」
「そうだよ」
先生は学者さんとして答えました。
「だから植林はいいことでね」
「日本人は昔から熱心で」
「日本本土に大々的にそうして」
「花粉症のことは残念でも」
「それで台湾や朝鮮半島でもそうしたのね」
「そうなんだ、そして朝鮮半島ではね」
こちらではといいますと。
「合せて六億本もだよ」
「そんなに植林したの」
「六億本も」
「そうしたのね」
「そうだよ、当時あちらは禿山がとても多かったけれど」
それでもというのです。
「道路や堤防、ダムを築いて学校を建てて」
「植林もした」
「随分丁寧な統治をしたのね」
「日本は」
「そうだよ、近代法や土地制度も導入したしね」
そうしたこともしたというのです。
「そして衛生もしっかりして」
「植林もして」
「何とその数六億本」
「そこまで植林したのね」
「ある意味凄いね」
「僕もその話を知って驚いたよ」
先生もというのです。
「そんな大々的に植林したんだってね」
「日本人の植林への意気込みって凄いね」
「そこまで木を植えるんだ」
「日本の至るところに杉を植えて」
「台湾にもそうして」
「朝鮮半島では六億本もなんだ」
「そうなんだ、木は切ったらね」
そして木材に使ったらというのです。
「その後でだよ」
「植えないとそのままだけれど」
「その後でちゃんと植える」
「そうしていくものだね」
「そうだよ、そして仙台も沢山の木を植えたから」
そうしたからだというのです。
「見た通りにだよ」
「木が多いんだね」
「木の都と言われるまでに」
「そうなのね」
「そうだよ、あと日本人は桜が大好きで」
今度はこの木のお話をしました。
「学校でも公共施設でも公園でも植えるね」
「もう絶対にね」
「桜の木を植えるわね」
「そして春になるとお花見だよ」
「それを楽しんでいるわ」
「これは自衛隊の基地でも同じでね」
こちらでもというのです。
「桜の木が沢山あるね」
「ない基地ないよね」
「だから春になると満開だよ」
「自衛隊の何処の基地でも」
「そうなっているわ」
「何かあったら邪魔になりそうな場所にもだね」
所謂有事にはです。
「桜があるね」
「これが他の基地ならないんだよね」
「木自体がね」
「アメリカ軍なんか特にそうだよ」
「司令部の前に木を並べたりしないよ」
「日本は桜を並べるけれど」
「そうしたことを度外視してもね」
そうしてまでしてというのです。
「日本人は桜の木を植えるね」
「そうだよね」
「自衛隊の基地にまで」
「本当に何処まで桜が好きなのか」
「桜のお花が」
「春は桜があるからで」
日本ではというのです。
「本当に至るところにあるね」
「勿論この仙台でもね」
「桜の木って多いね」
「本当に日本の何処でも桜はあって」
「この目で見るね」
「桜がないとね」
さもないと、というのです。
「日本人は嫌なんだよ」
「そうそう、もうね」
「私達にもわかるわ」
「日本人は桜がないと駄目」
「春が来た気がしないのよ」
「僕も今ではそうだよ」
先生もというのだ。
「春が一年のはじまりでね」
「それには桜」
「桜がないとね」
「春は来ないよね」
「先生にしても」
「そうした意味でも日本人になったよ」
お箸を使ってお刺身や天麩羅を食べてです。
流暢な日本語で、です。先生は言いました。
「僕はね」
「そして僕達もね」
「そうなったね」
「日本語で考えてね」
「喋るだけじゃなくて」
「そうなったね」
「そうだね、今の僕達は」
まさにというのです。
「国籍だけじゃなくて」
「頭の中で自然に日本語を使う様になって」
「それでだよね」
「桜の木も愛する様になって」
「そうしたことからも」
「僕達は日本人になったね」
そうなったというのです。
「本当に」
「全くだよ」
「そのことを思うと」
「先生は日本人になって」
「僕達もだね」
「そうなったね、日本に馴染むどころか」
それに留まらずというのです。
「日本人になったね」
「そうだよね」
「そしてだよね」
「僕達もだね」
「日本人になったね」
「そうだね」
「そう言えるよ、だから」
先生はさらにお話しました。
「桜も楽しみにしようね」
「是非ね」
「その様にしようね」
「春が来たら」
「桜を楽しもう」
「そうしようね」
まさにと言うのでした。
「春が来ると」
「そうだね、ではね」
「また皆で桜の木を見て」
「そうして楽しみましょう」
「お花見をしてね」
「春先には花粉もあるけれど」
杉の木のです。
「それが終わった頃にね」
「そうそう、その時に」
「まさにその時にね」
「桜の花が咲いて」
「春が来たってことを教えてくれるね」
「一年のはじまりも」
「まさにね。カレンダーでははじまりは一月だけれど」
一年のそれはです。
「学校がはじまるのもそうだしね」
「四月だからね」
「それでだね」
「四月はね」
「桜が咲いてね」
「そうなるね」
「そしてね」
そのうえでというのです。
「皆で楽しもうね」
「それじゃあね」
「その様にしようね」
「春は」
「来年も」
「そうしよう」
皆で言います、そして先生はお酒を飲みますが。
ここで、です。また言いました。
「仙台のお酒はいいね」
「先生日本酒もお好きだけれど」
「仙台のお酒って美味しいんだ」
「そうなんだ」
「うん、凄くね」
実際にというのです。
「美味しいよ、だからね」
「今日も飲んでるね」
「それも楽しく」
「そうしているわね」
「日本酒の美味しさも」
このこともというのです。
「日本に来て本格的にだよ」
「知ったんだよね」
「日本種の美味しさも」
「そちらも」
「そうだよ、だから今日もね」
まさにというのです。
「飲むよ」
「そうするね」
「じゃあ僕達もだよ」
「先生と一緒に楽しむよ」
「今夜もね」
「皆でそうしようね」
こう言ってです。
先生はほやに仙台の海の幸と名物そしてお酒を楽しんでです。
この夜は楽しみました、そうして朝になると山形に向かうのでした。