『ドリトル先生とタキタロウ』




                第二幕  外ならぬその湖に

 イワナを食べた次の日にでした。
 先生は研究室で今度はタキタロウ自身についてインターネットで検索してそのうえで学んでいました。
 そうしていて動物の皆にお話しました。
「タキタロウは大鳥池に棲息しているね」
「山形県のね」
「そちらにいるんだよね」
「そうよね」
「大鳥池はお池というけれど湖でね」
 そちらでというのです。
「結構大きいんだ」
「だから大きなお魚もいられるんだね」
「タキタロウみたいなお魚が」
「そうした場所なのね」
「そうなんだ、それで鶴岡市というところにあって」
 その詳しい場所のお話もします。
「山に囲まれてるんだ」
「そこネス湖と同じかしら」
「ネス湖も山に囲まれているし」
「それじゃね」
「そこは似てるね」
「寒冷地にあるのも一緒だね、けれどね」  
 それでもというのです。
「お水の中だしね」
「寒くてもいられるね」
「それにイワナかマスっていうから」
「どちらも寒い場所のお魚だし」
「大丈夫なんだね」
「そうだよ、それでね」
 先生はパソコンの画面を観つつさらにお話します。
「数自体は少ないみたいだね」
「だから見たって人も少ないんだね」
「おられることはおられても」
「それでもだね」
「個体数が少ないから」
「見た人も少ないんだね」
「一つの種類が存続するには最低でも十つがい二十頭が必要だけれど」
 先生は生物学でよく言われていることもお話に出しました。
「少なくともそれ位は棲息していても」
「それでもなんだ」
「数は少なくて」
「それでその大鳥池にしかいないんだ」
「そうなのね」
「そうみたいだね、他の場所では目撃例がないみたいだね」 
 調べてもありませんでした。
「どうも」
「じゃああのお池にいるだけで」
「あのお池を調べたらタキタロウのこともわかる」
「そうなんだね」
「そうだね、本当にいることは間違いないよ」
 その大鳥池にです。
「それでこのお池は日本にはよくあるけれど」
「山に囲まれていて」
「ちょっと行きにくい場所だね」
「それで寒い」
「そうした場所にあるのね」
「そして大鳥池は堰き止め湖なんだ」
 このこともお話しました。
「閉鎖的な湖なんだ」
「ああ、川がない」
「そうした湖ね」
「大鳥池ってそうした意味でも隔絶してるんだ」
「そうした場所なのね」
「うん、ただ川はあって」
 それでというのです。
「赤川とつながってはいるよ」
「完全に隔絶されていないんだね」
「他の場所と」
「お水は止まっていないんだ」
「だからお水の質は悪くないみたいだね」
 川とつながっているからだというのです。
「さもないとお水が完全に止まってね」
「そうそう、やがてそこに色々と溜まってね」
「土とか木の葉とか」
「それで沼になるんだよね」
「湖から」
「そうなるからね、だから隔絶した場所にあっても」 
 大鳥池がです、タキタロウがいる。
「それでもだよ」
「お水は濁ってなくて」
「水質はいいんわね」
「そうなのね」
「それで周りは花崗岩なんだ」
 今度は土壌のお話をしました。
「これは日本では珍しいね」
「へえ、そうなんだ」
「日本では花崗岩の湖少ないんだ」
「それは知らなかったよ」
「日本ではそうだったんだ」
「その意味でも大鳥池は独特の湖なんだ」
 そうだというのです。
「これがね」
「成程ね」
「それは面白いね」
「そうした事情もあるなんて」
「それはまた」
「そうだね、調べれば調べる程面白い湖だよ」
 先生はこうも言いました。
「生物学的にも地理的にもね」
「土壌のことを調べても」
「そうした湖なのね」
「それが大鳥池なんだ」
「タキタロウだけじゃないんだ」
「しかも宗教的には女人禁制だったんだ」
 このこともあったというのです。
「今は違うと思うけれどね」
「ああ、日本には結構あるね」
「女人禁制の場所が」
「逆に男子禁制の場所も」
「宗教的な理由でね」
「それで大鳥池もなんだ」
 こちらもというのです。
「女人禁制だったんだ」
「何か色々あるね」
「色々ある湖だね」
「お池って名前なのに湖だし」
「堰止湖でもあって」
「これは何かと調べて」 
 学問的にというのです。
「論文も書きたいね」
「じゃあ機会があったら現地調査して」
「そして書きたいね」
「そうしたいわね」
「そうだね」
 先生は調べつつ真剣なお顔で言いました、そうしたお話をしてです。
 この日のお昼はお蕎麦を食べました、大学の食堂の一つでそうしたのですが先生はかけそばを食べつつ言いました。
「東北はお蕎麦なんだよね」
「東京もそうだ」よね」
 ガブガブが応えました。
「あちらも」
「関東はそうだよね」
 ジップも言います。
「大体は」
「うどん文化圏とそば文化圏があって」
 トートーはこう言いました。
「西はおうどん、東はおそばだね」
「日本は麺類でも文化圏があって」
「それで東はおそばなのよね」 
 チープサイドの家族もこうお話します。
「お醤油も違っていて」
「関西では薄口なんだよね」
「日本って地域差かなりあるね」
 ホワイティはこのことについて思いました。
「何かと」
「そうだね、そこはイギリスと同じかもね」  
 チーチーは自分達の祖国を思い出しました。
「大きく分けて四つの国だからね」
「イングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランド」
 ダブダブはその四つの国の名前を出しました。
「この四つでそれぞれの地域があるわね」
「日本だと関西、山陽、山陰、北陸、東海、関東、四国、九州で」
「東北と北海道、あと沖縄だね」
 オシツオサレツは二つの頭で言いました。
「沖縄は琉球だったし北海道はアイヌの人達の場所で」
「元々関東や東北は沖縄で別だったね」
「そう思うと日本の地域差も凄いわね」
 ポリネシアはしみじみと思いました。
「何かと」
「そうだね、それでおそばは関東とか東北だね」
 ホワイティも言いました。
「そちらだね」
「そういえばこっちはおうどんをよく食べるよ」 
 老馬は食堂の中を見回しました、確かにおうどんとお蕎麦ではおうどんを食べている人の方が多いです。
「大阪なんか特にだしね」
「大阪に福岡に香川は特にだね」
 先生もそうだと答えます、尚先生はかけそばを食べていますがそれと一緒に鯖味噌に親子丼にほうれん草のおひたしも食べています。
「おうどんだね」
「そうそう、大阪なんかはね」
「完全におうどんだね」
「おうどんの場所よね」
「きつねうどんもあるしね」
「それで僕もおうどんをよく食べるけれど」
 それでもというのです。
「タキタロウのお話をしたからね」
「タキタロウは東北にいるから」
「東北もおそばだから」
「だからだよね」
「おそばが食べたくなって」
「それで今はだね」
「こちらにしたんだ」
 おうどんでなくというのです。
「それでこちらもいいね」
「確かにおそばも美味しいよね」
「おうどんもいいけれど」
「そばもね」
「いいわよ」
「うん、ただ関西のおつゆだからね」
 先生は今度はおつゆのお話をしました。
「関東のおつゆは違うからね」
「そうそう」
「関東のおつゆって真っ黒だよね」
「文字通り墨汁みたいで」
「しかも味が辛いのよ」
「関西のおつゆと比べたら」
「関西のおつゆには昆布が使われているんだ」
 関西では非常にポピュラーです、日本のお料理のだしとなると関西では本当に昆布がよく使われるのです。
「けれど関東ではだよ」
「使ってなくて」
「あとお醤油の味も違って」
「それでだね」
「あんなに黒くて」
「それで辛いのよね」
「そうなんだ」
 まさにというのです。
「僕もお話は聞いたけれど」
「実際に東京に行って」
「それで見てみると本当のことで」
「黒くて辛い」
「そうだったからね」
「あとおそばやおうどんをおかずにしないね」 
 ご飯のそれにというのです。
「そうだね」
「ああ、そういえば」
「あっちではそれないよね」
「関東の方では」
「うどんと丼ないわ」
「先生いつも食べてるけれど」
「お好み焼き定食もないね」
 先生は大阪の定番メニューも出しました。
「焼きそば定食も」
「そうそう」
「どっちもないね」
「関東には」
「おそばはおそば」
「それだけだね」
「丼も丼でね」
 そうしてというのです。
「もんじゃもだね」
「もんじゃだけでね」
「ご飯のおかずにはしないよ」
「おやつみたいな感じで食べてるわね」
「おそばにしてもそんな時あるね」
「そう、おそばは間食でね」
 まさにそれでというのです。
「小腹が空くとだよ」
「食べていたんだ」
「そんな時にで」
「だから量も少ないんだ」
「あちらのおそばは」
「それで時代劇とかでお蕎麦が出てもね」
 その時もというのです。
「間食みたいな感じだね」
「そういえばそうだね」
「丼と一緒に食べないで」
「主食か間食か」
「そんな感じだね」
「おかずにはならないんだ」 
 そこが違うというのです。
「本当に」
「関東では」
「それで東北でもよね」
「おそばはおかずにはならない」
「そうなってるんだ」
「もう主食なんだ」
 そうなっているというのです。
「ご飯がない時に食べていたんだ」
「それでおそばよく食べるんだ」
「関東とはまた違った理由で」
「東北でもおそばだったんだ」
「そうなのね」
「そうだよ、それでよく食べてね」
 それでというのです。
「麺のお蕎麦だけでなく蕎麦がきもあったんだ」
「ああ、あのお料理もなんだ」
「東北でできたんだ」
「そうだったの」
「そしてわんこそばもあるね」
 今度はこちらのお蕎麦のお話もしました。
「岩手の」
「そうそう、盛岡の」
「あのわんこそばだね」
「わんこそばはいいね」
「先生も関西にわんこそば出たら食べに行く時あるね」
「好きでね」
 そのわんこそばがというのです。
「それでだよ」
「食べるんだよね」
「わんこそばも」
「それでわんこそばも東北で」
「名物になってるんだね」
「そうだよ、だから東北に行ったら」 
 その時はというのです。
「お蕎麦を食べたいね」
「いいね」
「その時は食べようね」
「東北のおそばを」
「そうしましょう」
 動物の皆も応えます、そうしてです。
 皆でお昼ご飯を楽しみました、その後で。
 先生は講義を行って学問を続けました、そうして数日後研究室に学園の中にある水族館の館長さんが先生の研究室を訪れました。
 館長さんは先生にお会いするとこうお話しました。
「実は今度山縣健の大鳥池に調査チームを派遣することになりまして」
「鶴岡市のですか」
「ご存知ですか」
「実は先日調べていました」
 先生は館長さんに一緒にミルクティーを飲みつつお話しました。
「タキタロウに興味を持ちまして」
「それはお話が早い、実はです」
 館長さんは先生にまさにというお顔で答えました。
「タキタロウのこともです」
「調査しますか」
「そして大鳥池のことを生物学部や地質学部もです」
「大学のですね」
「一緒です」
「水族館とですね」
「そして先生もです」 
 ドリトル先生もというのです。
「生物学の権威であり地質学でも博士号を持っておられ」
「だからですか」
「よくご存知なので」
 その為にというのです。
「医学部の方ですが」
「僕にも同行をですか」
「お願いしたいのです」 
 是非にというのです。
「それで今回お邪魔しました」
「そうでしたか」
「はい、それでお願い出来ますか」
「それは何時ですか」
 先生は調査の時期を尋ねました。
「それで」
「それはです」
 館長さんはその時期をお話しました、すると先生は笑顔で応えました。
「嬉しいです、その時は時間があります」
「それでは」
「丁度現地調査をしたいと思っていました」
 その大鳥池をというのです。
「タキタロウについては」
「学ばれていて」
「興味を持ったうえで、これはです」
 先生歯笑顔のまま言いました。
「渡りに舟です」
「そうなのですね」
「はい」 
 まさにというのです。
「有り難いことです」
「これは神様の配剤ですか」
「そうも思います」
 こう館長さんに答えるのでした。
「心から。ではです」
「参加して頂けるのですね」
「心から喜んで」
「わかりました、ではお願いします」
「そうさせて頂きます」 
 先生は笑顔で応えました、そして館長さんとお話をした後でお話を聞いていた動物の皆に満面の笑顔で言いました。
「今から教会に行こう」
「神様に感謝しにだね」
「大鳥池に行かせてくれるから」
「それでだね」
「感謝しないとね」
 そうしないと、というのです。
「いけないよ」
「そうだよね」
「このことはね」
「本当に神様に感謝しないとね」
「行きたいと思っていたら早速だったから」
「これを神様の配剤と言わずして何と言うか」
 それこそというのです。
「どうなのかな」
「そうよね」
「もうこれこそ神様の配剤よ」
「他に言う言葉はないよ」
「他に考えられないよ」
「丁度その時期に先生も時間があるし」
「そのことも含めてね」 
 まさにと言う先生でした。
「神様に感謝して」
「お礼を言わないとね」
「じゃあ今から教会にい行こう」
「学園の中の教会にね」
「そうしようね」
「是非ね。しかしここは日本だからね」 
 今暮らしている国のお話もしました。
「僕は国教会でね」
「プロテスタントの教会に行くけれど」
「牧師さん国教会の人じゃないからね」
「ルター派なんだよね」
「カトリックの神父さんもおられてね」
「カトリックの教会もあるけれど」
「流石にカトリックの教会には行けないよ」 
 国教会はプロテスタントになるからです。
「けれどプロテスタントでもね」
「宗派が違うんだよね」
「そこが問題だよね」
「日本で国教会の人殆どいないから」
「そのことがね」
「そこがちょっとね」
 困るとです、先生は苦笑いになって言いました。
「困るね」
「牧師さんとてもいい人で」
「信仰心も確かだけれど」
「宗派が違うんだよね」
「プロテスタントでもね」
「そこをこだわらないのが日本と言えば日本だね」
 そうなるというのです。
「カトリックとプロテスタントの違いを知らない人も多いし」
「そうだよね」
「神父さんと牧師さんの違いもね」
「それも知らない人いるわよね」
「しかも結構」
「かなり違っていて」
 先生は欧州生まれであることから言いました。
「戦争もしたしね」
「血生臭いね」
「酷い戦争したね」
「イギリスでも散々揉めて」
「政治のお話にもなっていたよ」
「深刻な問題だけれど」
 欧州ではです。
「しかし日本ではね」
「キリスト教はキリスト教」
「宗教の一つでね」
「神様のうちの一柱」
「そんな考えだからね」
「そこがね」 
 どうもというのです。
「欧州とは違うね」
「それも全くね」
「神様についての認識が違うね」
「宗教のそれが」
「本当に違うね」
「日本人のそれは」 
 皆も言います。
「キリスト教なら一緒」
「カトリックもプロテスタントも」
「そして正教もね」
「同じキリスト教で」
「神父さんも牧師さんも然程違わないっていうね」
「異端という考えがないんだよ」
 日本人にはというのです。
「キリスト教については。仏教でもね」
「ないと言えるね」
「あれだけ宗派があってね」
「その宗派の違いはかなりだけれど」
「それこそ宗教が違う位に」
「臨済宗と浄土真宗と真言宗では全く違うね」 
 先生は三つの宗派のお話をしました。
「そうだね」
「うん、全く違うよ」
「同じ日本の仏教でもね」
「禅と念仏と密教でね」
「同じ仏様を信仰していても」
「全く別だよ」
「そこまで違ってもね」
 それでもというのです。
「目立った対立はないね」
「宗教戦争なんてないよ」
「もうお互いを殲滅し合う様な」
「そんな戦争なんてなかったしね」
「日本では」
「一向一揆も大名が敵だったしね」
 戦国時代のこの人達もというのです。
「織田信長さんと戦ったね」
「本願寺がね」
「浄土真宗だったね」
「あの人達も他の宗派を攻撃したかというと」
「本願寺自体が勢力でね」
「戦国大名みたいなものだったからね」
 一向一揆はというのです。
「他の宗派を殲滅することはなかったね」
「そうだったね」
「そう思うとだよね」
「十字軍とかとは違うね」
「宗教戦争でもないね」
「そうだよ、宗教戦争は日本ではなくて」
 それでというのです。
「神様についての考えがね」
「全く違っていて」
「宗派の違いはほぼ意識されないね」
「だから感謝をするにも」
「国教会の教会でも聖職者の人でなくてもいいね」
「そこが気になるけれど」 
 それでもというのです。
「神様にはね」
「うん、感謝しようね」
「今回のことをね」
「それをしに行こうね」
「今からね」
「信仰は大切にしないとね」
 先生は心からこう言ってでした。
 実際にプロテスタントの教会に行って牧師さんの前で神様に感謝の言葉を述べて牧師さんも笑顔で祝福してくれました、そして牧師さんは先生に笑顔でお話しました。
「東北に行かれるとは素晴らしいことです」
「そう言って頂けますか」
「この季節はとてもいいです」
「今はですか」
「冬は大変ですが」
「寒くて雪が多くてですね」
「そうです、何かと大変ですが」
 それでもというのです。
「この季節はです」
「いいですね」
「食べものも美味しいですし」
「そちらもいいですね」
「特に仙台に行かれたら」
 この街ならというのです。
「牛タンにずんだ餅もありますが」
「他にもあります」
「笹かまぼこにです」
 それにというのです。
「ほやですね、海の幸もです」
「そちらもいいんですね」
「青森の八戸に行ってもです」
「海の幸がいいのですね」
「是非楽しまれて下さい、勿論日本海側も」
 そちらもというのです。
「山形が主ならです」
「そちらにも当然行きますね」
「海の幸がいいので」
「楽しめますね」
「はい」
 こう先生に言うのでした。
「是非そうして下さい」
「そうさせて頂きます」
 先生も笑顔で応えます。
「そちらも」
「先生は来日されてから海の幸を楽しまれてると思いますが」
「はい、かなり」
 その通りとです、先生も笑顔で答えました。
「イギリスにいた時より遥かに」
「そうですよね」
「お話は聞いていましたが日本は」
「海の幸が豊富ですね」
「他の食材も素晴らしいですが」
 それと共にというのです。
「海の幸もそうで」
「それが豊かで」
「はい、ですから」
「よく召し上がられていますね」
「伊勢でも北海道でも松山でもでした」
「そしてこの神戸でも」
「そうでして東北でもですね」
 先生は牧師さんに尋ねました。
「楽しむといいですね」
「是非そうされて下さい」
「そうさせてもらいます」
「ほやのお話をしましたが」
 牧師さんはこの食べもののお話をしました。
「かなり癖がありますが」
「実は食べたことがあります」
「如何でしたか」
「美味しいですね」
 にこりと笑っての返事でした。
「ほやは」
「そう言って頂けるならです」
「大丈夫ですか」
「そうです、では東北に行かれて時間がありましたら」
「仙台等にですね」
「行かれて」 
 そうしてというのです。
「学ばれて」
「美味しいものもですね」
「楽しんで下さい」
「そうさせて頂きます」
「しかしタキタロウですが」
 牧師さんは先生が調査することを楽しみにしているこのお魚のお話もしました、牧師さんも子のお魚を知っているみたいだと先生は内心思いながら応えました。
「私もお話を聞いたことがあります」
「そうなのですか」
「本当にいるのですね」
「それは間違いないですね」
 先生も応えました。
「タキタロウは」
「そうなのですね」
「ですがあの湖にしかいない様で」 
 大鳥池にというのです。
「個体数もかなりです」
「少ないですか」
「最悪二十匹しかです」
 それだけしかというのです。
「棲息していません」
「そうですか」
「突然変異で大きくなったイワナかマスか」
「その可能性もありますか」
「はい、ただ常にいますので」
 それでというのです。
「突然変異種がそのまま種類になった」
「その可能性もありますか」
「大鳥池に魚群探知機を入れますと」
 牧師さんにこのお話もするのでした。
「水深三十メートル程のところで反応があったので」
「タキタロウのですが」
「大型のものが数匹」
「では間違いなく存在していて」
「種類として存在しているかと」
「そうですか」
「そのことは間違いないのですが」
 それでもというのです。
「あの湖は山の中にあり」
「人里離れていますね」
「近くに人家もないので」
 そうした場所だからだというのです。
「目撃例も少なく調査もです」
「進んでいませんか」
「その様です」
「そうですか」
「ですが実在は間違いないので」
 先生は牧師さんに言いました。
「調査が楽しみです」
「湖自体の調査もしてですね」
「タキタロウもそうします」
「そうですか、では」
「楽しんで学んできます」 
 先生はこう言ってでした。
 牧師さんとタキタロウそれに東北のお話をしました、そうして研究室に戻ってまた学問に励みました。
 そのうえでお家に来ていた王子それにトミーに東北それも行きたいと思っていた大鳥池に行けることになったとお話しました。
 するとです、王子は先生に笑顔で言いました。
「先生は本当に運がいいね」
「いつもだけれどね」
「行きたいと思っていた場所に行けることになったんだから」
「そうだね」
「うん、本当にね」
 先生とちゃぶ台を囲んで一緒に夕食前のお茶を楽しみながら言います。
「先生は運がいい人だよ」
「他のことでもね」
「先生は日頃の行いがとてもいいから」
「神様が運を授けてくれるのかな」
「そうだよ」 
 こう先生に言うのでした。
「間違いなくね」
「先生みたいないい人いないよ」
 ホワイティが言ってきました。
「そうそうね」
「うん、間違いなくそうだね」 
 老馬はホワイティの言葉に頷きました。
「先生はかなりいい人だよ」
「そして日頃の行いときたらよ」
 ダブダブが言いました。
「学問と人の為にすることばかりだから」
「親切で公平で謙虚でね」 
「困ってる人はいつも助けるし」
 オシツオサレツも二つの頭で言います。
「そんないい人だから」
「神様も見ていてくれてね」
「幸運を授けてくれるんだ」
 ガブガブは笑顔で言いました。
「そうしてくれるんだよ」
「こんないい人が運が悪いとね」 
「神様はお仕事してるのってなるわよ」
 チープサイドの家族はこう言いました。
「若しそうだったら」
「間違いなくそうだね」
「事実先生はいつもピンチを乗り越えてるね」
 このことはトートーが指摘しました。
「何かあったり誰かが助けて」
「若し運が悪いならどうにもならなかったわ」
 ポリネシアはそうした時を振り返って言います。
「そんな時がどれだけあったか」
「そう思うと先生は本当に運がいいよ」
 チーチーは先生ご自身に言いました。
「それもかなりね」
「先生の幸運は神様が授けてくれるんだ」
 ジップは断言しました。
「その善行に対してね」
「そう、先生みたいないい人こそに幸運は授けられるんだ」
 王子はまた言いました。
「そうなるんだよ」
「そうなんだね、じゃあこれからも行動を慎んでいいことをしていくよ」
 先生も言いました。
「そうしていくよ」
「それがいいよ、日頃の行いが悪いとね」
「そうした人はだね」
「実際にだよね」
「報いを受けるね」
「それに皆に嫌われて」
 王子はこうも言いました。
「誰からもだよ」
「悪く扱われてね」
「いざという時も」
 その時もというのです。
「助けてくれないんだよ」
「そうだね」
「運がいいというのは誰かが助けてくれる場合もあるよね」
「うん、確かにね」
「悪いことばかりして自分のことしか考えなくて底意地が悪くて威張っていて人をけなしてばかりだと」
 そうした人はといいますと。
「誰がよくするか」
「嫌われるからね」
「もう困ってもね」
「助けないね」
「助けるどころか怨みを持ってる人がね」 
 そうした人がというのです。
「ここぞとばかりにだよ」
「攻撃してくるよ」
「だから日頃の行いが悪いとね」
「幸せになれないね」
「嫌われるというのはそういうことだよ」
 王子は先生に言いました。
「そして先生は」
「日頃の行いがいいとなんだ」
「皆が先生を好きでね」
「何かあったら助けてくれるんだね」
「神様も見ているから」
「こうした幸運をだね」
「授けてくれるんだ、だから行いがいいと」
 それならというのです。
「周りも神様もよくしてくれるから」
「二重にだね」
「幸運が来るんだよ」 
 そうなるというのです。
「逆に悪い人は二重にだよ」
「悪くなるね」
「うん、運が来ないんだよ」
「そういうことだね」
「そして先生東北に行ったら」
 王子は先生にあらためて尋ねました。
「その時はずっと大鳥池にいるのかな」
「調査に専念するかどうかだね」
「そうするのかな」
「いや、時間は結構あるからね」
 先生は王子に答えました。
「だからね」
「それでなんだ」
「他の場所に行くよ」
「時間がある時に」
「可能な限りね」
「そうするんだね」
「そしてね」 
 そのうえでというのです。
「学んで食べてね」
「楽しんでくるんだね」
「お酒も飲んでね」
「東北のものをだね」
「そうしてくるよ」
「そうするんだね、そういえば秋田に行ったら」
 王子はここで思い出しました。
「きりたんぽがあるね」
「あの食べものだね」
「うん、棒にご飯を付けて作るね」
「あれが名物だね」
「秋田のね」
「あれも食べたいね」
 先生も応えました。
「お蕎麦もで」
「わんこそばもだね」
「盛岡に行ったら」
 その時はというのです。
「食べたいね」
「そうだね」
「牧師さんから仙台や八戸の海の幸も薦められたしね」
「そちらもだね」
「食べたいしね」
 このお話もするのでした。
「是非ね」
「何かと食べたいんだね」
「そうしたいね」
「じゃあそうしたらいいよ」
「そうしてくるね、本当に色々食べるのが楽しみだよ」
 先生は王子に嬉しそうにお話しました。
「今回もね」
「そうしてきてね。しかしね」
「しかし?どうしたのかな」
「先生もすっかり食道楽になったね」 
 こう先生に返すのでした。
「日本に来てから」
「そうなったね」 
 先生も否定しませんでした。
「来日してからね」
「そうだね」
「日本に馴染んでね」
「すっかりね」
「国籍も日本になったしね」
 そうもなってというのです。
「食べることについてもだよ」
「楽しむ様になったね」
「イギリスにいた時はね」
「ただ食べられるといいって感じだったね」
「何を食べようかとか」
 そうしたことはというのです。
「考えなくてね」
「メニューも味もね」
「殆どこだわらなかったよ」
「そうだったね」
「イギリスは食べものについては有名だからね」
「悪い意味でね」
「食に絶望した国とさえ言われているから」
 そこまでだったというのです。
「それでだよ」
「先生もね」
「食事にこだわらなくて」
「食べることもだね」
「ほぼ無関心だったよ、しかしね」 
 それでもと言う先生でした。
「今はね」
「食道楽だね」
「そうなったよ」
 実際にというのです。
「それでだよ」
「東北でもだね」
「食べてくるよ」
「そうしてきてね」
「是非ね。あと最近考える時に頭で使う言葉は」
 先生はこのお話もするのでした。
「完全に日本語になってきたよ」
「そうなんだ」
「来日した時はいつも英語だったけれど」
「イギリスのだね」
「キングスイングリッシュだったけれど」
 それがというのです。
「今はね」
「日本語だね」
「それも関西弁なんだよ」
「それになったんだ」
「王子もじゃないかな」
「そうだね」
 王子もそうだと頷きました。
「今は僕もだよ」
「日本語で考えているね」
「そうなっているね」
「もう僕達も日本にいて長くてね」
「自然とそうなってきたね」
「触れている言葉が日本語だから」
 日常の中で、です。
「徐々にだよ」
「そうなったね」
「そして同じ人でもね」
 先生はさらにお話しました。
「頭の中で使う言語が違うとね」
「違う考えになるね」
「そうなんだ、言語はそれだけ重要なんだ」
「そうしたものだね」
「それで日本語は特に独特だから」
 言語の中でもというのです。
「思考に使うとね」
「かなり独特になるね」
「英語で考える場合とね、同じことについて考えても」
「違ってくるね、僕もね」
「そうなっているね」
「文字も一つじゃないしね」 
 このこともあってというのです。
「そうなっているよ」
「そうだね」
「平仮名と片仮名がって」
「漢字もあってね」
「しかも漢字の読み方が音読みと訓読みがあるんだよ」
「非常に複雑だね」
「そんな言語を使っていると」
 頭の中でというのです。
「何かとね」
「独特の考えになるね」
「そうだね、日本人はかなり独特の考えを持っているというけれど」
「それはどうしてかというとね」
「日本語の存在も大きいんだね」
「そう、日本語は非常に変わった言語だよ」
 先生は言いました。
「その文章といい文字が複数あることといいね」
「言葉一つ一つがだね」
「独特だからね」
「その日本語を使って考えると」
「考え方もだよ」
 こちらもというのです。
「そうなるんだ、そして僕達は今はね」
「日本語でものを考えているからね」
「そうした意味でもだね」
「日本に馴染んでいるね」
「そうなっているね」
「そうだよ、そして東北に行けば」 
 先生は王子に笑顔でお話しました。
「東北の言葉もね」
「聞いてだね」
「学びたいね」
「日本語の方言もだね」
「そうしたいよ、東北のそれもね」
 こう言うのでした、東北に行くことが決まった先生はもう東北のあらゆることを現地で学ぶことが楽しみで仕方ありませんでした。








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