『ドリトル先生のダイヤモンド婚式』




               第十二幕  ダイアモンド婚式

 遂にダイアモンド婚式の日が来ました、その日の朝です。
 先生は朝ご飯を食べて歯を磨いてからです。
 お風呂に入りました、そうして着替えたのですが。
「今日はお祝いの日だからね」
「いつものスーツじゃないね」
「先生はいつもスーツだけれどね」
「紳士だからね」
「けれど今日は違うね」
「特別な日だから」
「そう、この服を着てね」
 見ればタキシードです、普段のスーツよりさらに立派です。
「そして蝶ネクタイにね」
「シルクハットだね」
「先生よく似合ってるよ」
「着こなしもいいよ」
「いや、久し振りに着るからね」
 先生は少し恥ずかしそうに皆に言いました。
「着こなしているか似合っているか普段だけれど」
「いやいや、様になってるよ」
「凄くね」
「もう普段のスーツと同じ位だよ」
「着こなし出来ているわよ」
「そうだといいけれどね」
 先生は生きものの皆のお話を聞いて笑顔になりました。
「それならね」
「やっぱりあれね、先生は普段からスーツと帽子だからね」 
 ガブガブは先生の服装からお話しました。
「紳士の身なりをしているから」
「それでだよね」
 チーチーはそのガブガブに応えました。
「タキシードも着こなせるね」
「スーツは正装でね」
 トートーも言います。
「やっぱりちゃんと着るものだからね」
「人前に出る為のもので普通に格式のある場所も行くことが出来るから」
 ジップもスーツについてお話します。
「いいんだよね」
「だから先生はタキシードも様になるのよ」
 ポリネシアは先生を素直に褒めました。
「いつもスーツだからね」
「正装と礼装はやっぱり違って」
「礼装の方が格式あるけれどね」
 チープサイドの家族もお話します。
「けれど近いと言えば充分近いし」
「普段から正装だと礼装も問題ないよ」
「先生の礼儀正しさがここでは生きているね」
 ジップはこう言って尻尾をぱたぱたと振りました。
「普段からスーツなのがね」
「実際よく似合っているよ」
「先生いい感じだよ」
 オシツオサレツも太鼓判を押します。
「まさに紳士」
「何処に出てもおかしくないよ」
「ここまで紳士服が似合う人ってそうはいないよ」
 ホワイティはオシツオサレツに続きました。
「本当にね」
「僕達もお風呂に入ってブラッシングしたしね」
 ダブダブは自分達のお話をします、皆王子が外で用意した車で朝早くから生きもの用のお風呂がある八条学園の中の動物園に行ってお風呂を借りたのです。
「もうピカピカだよ」
「先生も奇麗になったし僕達もなったからね」
 老馬の目は笑っています。
「じゃあ心置きなく出発出来るね」
「僕もこの通りだよ」
 王子もタキシード姿です、そこにアフリカの礼装も入っています。
「奇麗にしてきたよ」
「僕もです」
 トミーもタキシードを着ています。
「お風呂にも入りましたし」
「そう、清潔にしてね」
 先生はお二人にも笑顔でお話します。
「身だしなみを整えたらね」
「誰でもだよね」
「お祝いの場所に出ていいですね」
「そして祝福出来るんだ、身分とかじゃなくてね」
 それは関係ないというのです。
「奇麗にしているかどうかだよ」
「そうしていればいいんだね」
「お招きしてもらったわ」
「身分とかじゃなくて」
「清潔にしているかどいうかだね」
「招待された人を身分とかで差別して来るなとか言ったら」
 そうしたことはといいますと。先生は皆にお話しました。
「それはやっぱりね」
「間違ってるよね」
「ユーチューブの漫画動画で結構あるけれど」
「平社員とか高卒とか」
「それであれこれ言うことは」
「そうだよ、お祝いの場に汚い格好で出るのは失礼だから」
 それでというのです。
「然るべき服装で赴くべきだけれど」
「そうして来た人は差別しない」
「来るなと言わない」
「やっぱりそうだね」
「そうしないとね」
「そんなことを言ってやる人は間違っているよ」
 先生は断言しました。
「だから僕はそうしたことはしないしね」
「言わないね」
「というか先生は汚い身なりの人が来てもそう言わないね」
「決して」
「汚いなら奇麗にすればいいよ」
 それだけだというのです。
「お風呂に入って着替えた人が不潔かな」
「そんな筈ないよね」
「誰だってそうすれば清潔だよ」
「奇麗になっているわ」
「もうそれでね」
「そうしたものだからね」 
 それ故にというのです。
「僕だってそんなことは言わないよ、奇麗にしてきて参加すればね」
「それでいいよね」
「もうそれだけで」
「だからだよね」
「来るなとか出て行けとは言わないね」
「そうだよ、じゃあ今からプレゼントを持ってね」
 お二人の為に用意したそれをというのです。
「行こうね」
「扇子持ってね」
「それで置時計も持って」
「それで行きましょう」
「今からね」
「僕も持って来たよ」 
 王子もにこりとして言ってきました。
「僕が遅らせてもらうプレゼントをね」
「王子も用意したんだね」
「そして今車の中にあるよ」 
 王子が乗っているそれにというのです。
「だからね」
「これからだね」
「皆で行こうね」
「そうしようね」 
 笑顔で言ってでした。
 先生は王子とトミーそれに生きものの皆と一緒にでした。
 お二人のダイアモンド婚式が行われる八条ホテルに向かいました、そこの式場に入ると沢山の席が用意されていて。
 先生と皆の席もありました、そしてお二人のご家族や親戚の人達に親しい人達も集まっていてです。
 お静さんもいます、お静さんは人間の姿愛嬌のある感じの黒髪の三十代の丸い感じの着物の女の人の姿で先生のところに来て挨拶をしました。
「いらっしゃい、先生」
「こちらこそね」
 先生は笑顔で挨拶を返しました。
「今日も宜しくね」
「こちらこそね」
「うん、それでね」
「それで?」
「お静さんはもうプレゼントはお渡ししたのかな」
「それは最後でしょ」
 お静さんは先生に笑顔で答えました。
「あらかた終わってね」
「それでだね」
「皆で順番にね」
「プレゼントをお渡ししていくね」
「そうよ、だからね」
「今はだね」
「用意はしているけれど」 
 それでもというのです。
「お渡しするのはね」
「先のことだね」
「そうよ、先生もだよ」
「そのつもりだよ」
「そうよね、それじゃあね」
「まずはね」
「お二人のダイアモンド婚式をね」
 まさにそれをというのです。
「お祝いしましょう」
「それじゃあね」
 笑顔で応えてでした。
 先生は皆と一緒にダイアモンド婚式に参加しました、式はお二人を中心に実に穏やかで楽しく進みますが。
 映像に映し出されるお二人の結婚生活にです、皆はしみじみと思いました。
「時代を感じるね」
「そうよね」
「六十年のね」
「お二人共最初は若くて」
「背景も昭和だね」
「お家も建物も古いよ」
 そうしたものだというのです。
「写真は最初は白黒だし」
「お二人の子供の頃とか」
「戦争中なんてね」
「それがカラーになっても」
「年代を感じさせるものだし」
「後ろの電線とか電柱も今と違うし」
「テレビのアンテナも」
 こうお話するのでした。
「アンテナのないお家もあったりして」
「オート三輪もあるし」
「服だって昔のもので」
「髪型だってね」
 見ればそうでした。
「お子さんが産まれてお孫さんもで」
「その中で周りも服装も変わっていってるね」
「ベルボトムのズボンとか」
「親戚で長髪のビートルズみたいな人もいたり」
「あの人だね」
「今じゃすっかりお爺さんの」
 写真に出ていると紹介されているお二人の親戚も白髪頭のお爺さんを見てそのうえでお話をするのでした。
「あの人も昔はああだったんだ」
「信じられないけれど」
「あの人さっきの写真じゃマッシュルームカットだったし」
「それもビートルズだね」
「ビートルズは日本でも人気があったからね」
 先生は写真のもう半世紀は前のお二人がはじめて買った車を見ながら言いました、それもしみじみとした目と声で。
「だからね」
「それでだね」
「ビートルズの恰好する人もいたのね」
「日本でも」
「そうだね」
「そうだよ、それも時代だよ」
 ビートルズもというのです。
「そしてその後でね」
「お子さんが大きくなって」
「昭和も進んできたね」
「五十年になるとすっかり変わってるね」
「服装も街並みも」
「車も随分とお洒落になったわ」
「そしてね」
 先生はさらに言いました。
「お子さん達が被っている阪神の帽子も変わってきてるね」
「変わっていない様で」
「随分変わってるね」
「時代によって」
「阪神の帽子も」
「そうだよ、そしてね」 
 それでというのです。
「お孫さんが産まれる頃になると」
「昭和が終わって」
「それでだね」
「平成になって」
「何か徐々に変わってきたね」
「うん、街並みが変わってきたね」
 昭和の趣がなくなってきてというのです。
「洗練されてきたね」
「これまで以上にね」
「昭和三十年代はまだ泥臭い感じだったのが」
「それがね」
「今に近付いてきたわね」
「そうだね、ただね」
 ここで、でした。
 震災のお話も入りました、写真もそちらの時のものになりました。
「神戸にはね」
「そうそう、平成に入ってね」
「大震災があったからね」
「街が滅茶苦茶になって沢山の人が犠牲になった」
「この地震があったよ」
「空襲を乗り越えてもね」 
 お二人が産まれてすぐにです。
「復興して繁栄していると思ったら」
「それがだよね」
「地震で一瞬で崩壊して」
「瓦礫の山になったね」
「これが地震なんだ」
 先生は悲しいお顔でお話しました。
「恐ろしいものだね」
「イギリスではないからね」
「こんな恐ろしい地震はね」
「凄いって言われる地震が日本じゃほんの小さなもので」
「何でもないよ」
「それが日本ではこうだよ」
 まさにというのです。
「非常に恐ろしいものなんだよ」
「そうだね」
「他には台風や火事、噴火、津波、大雨、大雪、雷ってあるけれど」
「日本は兎に角災害が多いけれど」
「その中でもだね」
「地震が一番怖いね」
「日本にいると災害は避けられないけれど」
 このことはどうしてもというのです。
「けれどだよ」
「それでもだね」
「その中でもよね」
「一番恐ろしいのは何か」
「やっぱりこれだね」
「地震だよね」
「僕もそう思うよ、日本に来て怖いものが何かって聞かれたら」
 その時はといいますと。
「災害特に地震だとね」
「言える様になったのよね」
「それは僕達もだよ」
「こんな怖いものはないよ」
「恐ろしい妖精や悪魔より怖いよ」
「何よりもね」
「荒ぶる神と言うけれど」
 先生はこうも言いました。
「まさにね」
「そうだよね」
「災害はそれだよね」
「色々な国で荒ぶる神の力と言われるけれど」
「日本でもそうだね」
「日本では怨霊が災害を起こしたりするからね」
 そうも言われるというのです。
「そうしたお話もあるね」
「それも日本だよね」
「怨霊も恐れられていて災害も恐れられている」
「そしてその中で一番怖いのはっていうと」
「地震だね」
「うん、その地震で神戸は崩壊して」
 そうなってというのです。
「それからだったね」
「復興して」
「かつての繁栄を取り戻したね」
「前の東北の時もそうだったけれど」
「大変なことになっても」
「復興したね」
「日本は災害の多い国だから」
 今お話している様にというのです。
「それだけに災害を知っていて負けることもね」
「ないね」
「起こってもう終わりとは思わないで」
「復興してきたね」
「いつもね」
「そうだよ、東京だってそうだね」
 首都であるこの街もというのです。
「復興してきたね」
「そうだったよ」
「江戸時代の頃からね」
「あそこは火事も多くて富士山や浅間山の噴火にも襲われて」
「雷も台風も襲ってきて」
「何度もとんでもない大地震が襲ったけれど」
「その都度復興してきたよ」 
 何度も大災害に見舞われてもというのです、その中には地震もありました。
「関東大震災もね」
「あの地震なんて凄かったね」
「歴史に残っているからね」
「お話聞いても驚くしかないよ」
「その規模と犠牲になった人の数に」
「人類の歴史に残る災害じゃないかしら」
「そう、けれどその災害からだよ」
 まさにというのです。
「東京は復興してきたし他の地域でもだよ」
「復興してきたね」
「どんな災害にも負けなかった」
「それが日本人だね」
「災害への強さでは他のどの国にも負けないだろうね」
 先生はこうまで言いました。
「そしてこの神戸もだよ」
「復興したね」
「その大地震から」
「大変なことになったけれど」
「それでも」
「そうだよ、この通りね」
 写真が変わっていきました、廃墟からです。
 復興していきます、そして驚くべき速さで元の神戸に戻っていました。
「すぐにだよ」
「復興したね」
「あれだけ破壊されたのに」
「期間見たら凄い速さだよ」
「本当に」
「そしてお二人もその中におられたんだ」
 復興のその中にというのです。
「大変な災害に見舞われてもね」
「お二人共無事だったけれど」
「やっぱり苦労していたんだね」
「今そのお話してるし」
「被災して」
「幸い親戚も家族も皆無事でね」
 そうしてというのです。
「親しい人達も殆どね」
「無事だったけれど」
「それでもだよね」
「やっぱり大変だったね」
「被災して」
「その苦労を乗り越えてね」
 被災のそれをというのです。
「そしてだよ」
「そうだよね」
「それを何とか乗り越えて」
「そのうえでね」
「二十一世紀を迎えたね」
「二十一世紀になったら」
 そうなればというのです。
「もう昭和三十年代と全く違うね」
「同じ国とは思えないわ」
「最早ね」
「日本なのはわかるけれど」
「それでもだよ」
「何か別の国みたい」
「そうなったね、しかも二十一世紀の間も」
 その世紀に入ってもというのです。
「街並みも服装も車も変わっていくね」
「身の回りのものもね」
「写真も変わったし」
「カラーはカラーでも奇麗になったわ」
「最初のカラーと比べると違うよ」
「技術が発展したんだ」 
 その結果だというのです。
「まさにね」
「そうだよね」
「それでここまで変わるね」
「何もかもが」
「カラー技術までも」
「それで日進月歩でね」
 その勢いでというのです。
「変わっていっているんだ」
「そうなんだね」
「復興して二十一世紀になって」
「世の中はさらに変わっていく」
「そういうことだね」
「そして僕達が来てね」
 先生は自分達もここでお話に入れました。
「直接見る様になったんだ」
「それからも変わってね」
「そう言われるとね」
「日本もそうなったね」
「神戸の街もね」
「そしてお二人もね」
 見ればでした、写真の彼等も。
「六十年の間に」
「お子さん達お孫さん達が産まれて」
「曾孫さん達もで」
「日本は変わって」
「お二人も変わったね」
「お若かったのがね」
「お年寄りになったね」
 先生は笑顔で言いました。
「そうなったね」
「そうだね」
「六十年の間にね」
「お二人はそうなられたわね」
「そう思うとね」
「凄い時間が経ったね」
「十六年は一昔と言うね」
 先生は暖かい目で遠くを見つつ言いました。
「そうだね」
「確か歌舞伎の言葉だった?」
「一ノ谷の」
「丁度この神戸のすぐ近くのお話だね」
「源平の戦いの時のことだね」
「そうだよ、その戦いで活躍した熊谷直実さんが主人公の作品でね」
 先生も皆にそうだと答えます。
「そこで熊谷さんがそう言うんだ」
「十六年はだね」
「一昔よ」
「一口に言っても長いよ」
「本当にね」
「けれど六十年はその一昔の四倍位だから」
 そこまで長いというのです。
「だからね」
「お歳を召されるのも当然だね」
「六十年も経ってると」
「一口にそう言っても」
「相当なものだね」
「そうだよ、そしてそれだけの間一緒にいられたことは」
 その六十年をというのです。
「何度も言うけれどどれだけ素晴らしいか」
「そうだよね」
「とても素晴らしいよね」
「十六年どころじゃないから」
「こうしてお祝いすべきことだね」
「うん、昭和の三十年代からその長い昭和も終わってね」
 そうなってというのです。
「平成に入って地震があって」
「そこから復興して」
「二十一世紀に入って世の中はどんどん進歩して」
「そして今は令和だけれど」
「その間ずっと一緒だったからね」
「とても素晴らしいよ、だから皆でお祝いしよう」
 先生はその素晴らしい式の中で皆に笑顔でお話しました、そうしてです。
 式は幸せに包まれた中で進んでいきました、家族や知り合いの人達のお祝いの言葉や歌それにご馳走に美味しいお酒もあってです。
 皆満喫しました、そのうえでプレゼントをお渡ししました。
 先生はご夫婦に置き時計が入った飾られた箱と扇子が入った同じ様な箱をお渡ししてこう言いました。
「つまらないものですが」
「いえ、先生も来られてです」
「お祝いしてくれるなんて」
 ご夫婦はプレゼントを謙虚に出した先生に静かにお礼の言葉を述べました。
「子供や孫達にそうしてもらって」
「曾孫達も親戚も知り合いもそうしてくれて」
「先生もとは」
「何と言っていいか」
「六十年一緒にいられることはそれだけ素晴らしいことなのです」 
 先生は謙遜するお二人に笑顔でお話しました。
「ですから遠慮なくです」
「プレゼントを受け取っていいですか」
「そうなのですね」
「はい、そうされて下さい」
「悪い気がしますが」
「こんなに頂いて」
「幸せと善意は素直に受け取っていいのです」
 先生はまだ謙遜するお二人にこうも言いました。
「ですから」
「それで、ですか」
「今はですか」
「受け取って下さい、僕のものも。そして」
「そして?」
「そしてといいますと」
「お二人が喜んで頂ければ何よりです」
 ご自身のプレゼント達でとです、こう言ってでした。
 先生はプレゼントを渡しました、そしてでした。
 自分の席に戻ってお食事に戻りました、そのメニューを見ますと。
 蛸と鱧があります、蛸はお刺身にされていて鱧はお吸いものです。どちらも和食で皆それを見て言いました。
「お二人の好きなものだね」
「その蛸と鱧だね」
「どちらも美味しいね」
「お二人が好きだからメニューにあるんだね」
「そうだね」
「絶対にそうだね、いやどちらもね」
 先生はにこにこと食べつつ言いました。
「とても美味しいね」
「そうだよね」
「凄くいいね」
「じゃあそのどちらも食べていこうね」
「他のものもね」
「本当にイギリスにはないからね」
 先生は食べつつこうも言いました。
「蛸も鱧も」
「そのどちらもね」
「どうしてもね」
「それがないから」
「だからね」
「余計に美味しく感じるよね」
「うん、それにお寿司もあるね」
 先生はテーブルの上のこの料理も見ました、見れば鮪や鮭、ハマチに海老に鰻にと様々なネタがあります。
「こちらもいいね」
「天麩羅もあるしね」
「豪勢よね」
「日本にいる」
「そう実感出来るね」
「そうだよね、お食事にも満足出来るよ」 
 本当にというのです。
「この式は」
「全くだね」
「とてもいいよ」
「じゃあ皆で食べよう」
「心から楽しんでね」
「是非ね」 
 鱧のお吸いものを食べてでした。先生は皆にさらにお話しました。
「お二人もお食事にも喜んでおられるしね」
「何しろお好きなものだから」
「それでだよね」
「楽しんでおられるね」
「心から」
「そうだね、それとね」 
 先生は今度は鱚の天麩羅を食べて言いました。
「お酒もいいよね」
「日本酒だね」
「上等のお酒だからね」
「こちらもいいね」
「先生も楽しんでおられるし」
「日本に来てこのお酒のよさもわかったから」
 日本酒のそれもというのです。
「今も飲ませてもらうよ」
「お二人に乾杯だね」
「お二人のダイアモンド婚式に」
「六十年一緒にいられたことに」
「そうするんだね」
「そうだよ、心からね」
 先生はこう言ってお酒も飲みました、そして実際に乾杯の仕草をしました。その後で笑顔で言いました。
「人の幸せが肴のお酒は最高だよ」
「先生いつもそう言うわね」
 ポリネシアがここでこう言いました。
「人の幸せは最高の調味料とかね」
「それで今は肴だね」 
 ダブダブも言います。
「そう言って人の幸せを喜ぶね」
「それも先生のいいところだね」
「そうよね」
 チープサイドの家族もお話しました。
「人の幸せや業績を素直に喜ぶ」
「嫉妬なんかしなくてね」
「先生って嫉妬しないからね」
 ジップも先生のそのことについて言います。
「本当にいつも喜ぶね」
「妬んだりひがんだりしない」
 ホアイティも言います。
「素直に喜ぶって素晴らしいことだよ」
「他の人が立派なことをしてもおめでとうよね」
 こう言ったのはガブガブでした。
「そう思えたらその人も幸せよね」
「実際に先生は思えるからね」 
 だからだとです、老馬は言いました。
「幸せだね」
「妬んだりひがんだりしたらね」
「それだけで不幸せだよね」
 オシツオサレツは二つの頭で言いました。
「そう思うだけで」
「だからそんなことは思わないことだね」
「というか人の幸せや立派な行いを悪く思って自分がどうにかなるのかな」
 首を傾げさせてです、言ったのはチーチーでした。
「一体」
「ならないよ」
 こう言ったのはトートーでした。
「絶対にね」
「その通りだよ、他の人の幸せとか素晴らしい行いにあれこれ思うより」
 先生も言います。
「まずはだよ」
「自分がどうかだよね」
「自分が努力する」
「そして詩文が幸せになるかね」
「素晴らしい行いをするかだね」
「そうだよ、妬んでもひがんでもいいことはないよ」
 全くというのです。
「本当にね」
「先生の言う通りだよ」
「先生はそれがちゃんと出来ているからね」
「妬んでもひがんでもね」
「それでどうにもならないから」
「本当にね」
「人の幸せや行いは素直にいいと思って喜んでお祝いしてね」
 そうしてというのです。
「自分もだよ」
「幸せになればいいね」
「そして素晴らしいことをする」
「それに尽きるね」
「人間必死にやっていればね」
 そうすればというのです。
「多くの人は妬みとかひがみとかはなくなるよ」
「そうだよね」
「そんな暇なくなるね」
「努力していればね」
「何かに」
「そうしたものだからね」
 それでというのです。
「僕も努力しているつもりだよ」
「うん、学問にね」
「楽しみながらね」
「先生はいつも学問に努力しているね」
「そうだね」
「そうだといいね、学問は楽しくてやっているだけだから」
 先生としてはです。
「そしてだよ」
「努力とは感じていないんだね」
「先生にとっては」
「そうだよね」
「うん、ただそれが僕の生活の糧になってるしね」
 お仕事になってというのです。
「いいことだよ、あと人については」
「そうだよね」
「人に優しくしているね」
「気遣いも忘れないで」
「公平であろうとして」
「紳士であろうとしているね」
「そのことは気をつけているよ、ただね」
 それでもというのでした。
「僕は努力しているかな」
「その通りだよ」
「先生はしっかりしているよ」
「努力しているよ」
「楽しんでいるけれど努力しているよ」
「だからね」
 皆は先生に言いました。
「幸せになっていて」
「素晴らしい行いもしているよ」
「その努力の結果を得てね」
「そうなっているよ」
「神様にそうさせてもらっているね、ただ本当に僕は人を妬んだりひがんだり」
 そうしたことはというのです。
「全くないね」
「その通りだね」
「先生は本当に他の人を嫉妬しないよ」
「その人に何があっても」
「幸せになっても素晴らしいことをしても」
「嫉妬しなくて」
「ひがまないよ」
 皆はまた先生に言いました。
「だからいいんだよね」
「尚更ね」
「そうしたマイナスの感情がないから」
「余計に幸せなんだよ」
「そうかもね、そうした感情はわからないからね」 
 妬んだりひがんだりはです。
「最初からないから」
「そうだね」
「それはないよね」
「全くね」
「先生の場合はね」
「運動が出来る人を見てもね」
 運動は全く出来なくてもです。
「自分は出来ないと思うだけでね」
「そうした人を羨むこともなかったんだね」
「ひがむことも」
「ただ学問に勤しんで」
「それだけだったね」
「そうだよ、他のことはね」
 これといってというのです。
「なかったよ」
「それで幸せだったね」
「本当に妬んでもひがんでもね」
「何かあるのか」
「そこから努力は出来るけれど」
「それなら自分もって思ってね」
「ただ妬んでひがんでは何にもならないし」
 それにというのです。
「そこからそう思う人を陥れたら最悪だよね」
「確かにね」
「まさにその通りよ」
「それでどうなるのか」
「一体ね」
「そう思うからね」
 それでというのです。
「僕は自分にそうした感情がないことに感謝しているよ」
「幸せは素直におめでとう」
「他の人のそれはそう言っていいね」
「それと言って思うことはない」
「そうだよね」
「そうだよ、素直に喜べばいいんだ」 
 そうすればというのです。
「本当にいいよ」
「まさにそうだね」
「だから今もお二人を祝福出来るね」
「それも素直に」
「その通りだね」
「全くだよ、じゃあ一緒にお祝いしようね」
 こう言ってでした。
 先生は皆と一緒に笑ってお二人を祝福しました、そうしてご自身も幸せな気持ちになりました。そして暫く経ってです。
 先生はお家に来たサラに言われました。
「よかったわね、プレゼントも喜んでもらえたのね」
「そうなんだ」
 先生はサラに満面の笑顔で応えました。
「有り難いことにね」
「それは何よりね、ただね」
「ただ。どうしたのかな」
「兄さんもダイアモンド婚式を迎えたいわ」
「それを言うならサラがじゃないかな」
 先生は紅茶を飲みながらサラにこう返しました。
「だって結婚してるんだし」
「私もで兄さんもよ」
 サラは先生にこう返しました。
「私が言いたいことはね」
「僕もって言うけれどね」
「どうせ自分は結婚というか恋愛には無縁だって言うんでしょ」
「うん、そうだからね」
「そう思うのが駄目なのよ」
 先生に少し怒って告げました。
「兄さんはね」
「それでなんだ」
「そう、そうしたことは思わないで」
 そうしてというのです。
「自分もって思えばいいのよ」
「恋愛をしてなんだ」
「そしてね」 
 そのうえでというのです。
「結婚してよ」
「ダイアモンド婚式までだね」
「幸せに過ごせばいいのよ、兄さんは長生きするわよ」
 サラは先生にこうも言いました。
「絶対にね」
「健康だからかな」
「しかもいつも気をつけているからよ」
 健康なうえにそれを害さない様にというのです。
「だからよ」
「僕は長生き出来るんだね」
「そう、しかも穏やかな性格でね」
 このこともあってというのです。
「怒ることも少ないわね」
「人間怒るとね」
 どうしてもと言う先生でした。
「健康に影響が出るよ」
「そちらも大丈夫だから」
「僕は長生きするんだ」
「間違いなくね」
 こう先生ご自身に言います。
「それで相手の人もよ」
「その僕と一緒だと」
「健康になれて」 
 そしてというのです。
「いつも穏やかな気持ちでいられるから」
「長生き出来るんだね」
「百歳まで普通に生きられるわよ」
 先生はというのです。
「だからね」
「ダイアモンド婚式もなんだ」
「充分に迎えられるわよ」
「だからサラにだね」
「兄さんもよ」
 是非にというのです。
「結婚して」
「ダイアモンド婚式をだね」
「迎えればいいのよ」
「そうなんだね」
「そうよ、というか兄さんがその気になったら」
 それこそというのです。
「すぐに結婚出来るわよ」
「そうなのかな」
「そうよ、即座にね」
 まさにというのです。
「出来るわよ」
「相手の人がいないのに?」
「イギリスにいる私でもわかるわよ」
「今は日本に来ているけれどね」
「いつも通りお仕事でご主人と来日して来たね」
「ええ、けれどお家はイギリスにあるから」
 それでというのです。
「イギリスにいるってね」
「言ったんだね」
「そうよ、そしてね」 
「そのサラでもなんだ」
「よくわかるわ」
「僕がすぐに結婚出来るって」
「そうよ、もう即座にね」 
 先生に断言して言います。
「結婚出来るわ」
「だから相手の人がいないのに」
「そう思ってるだけよ」 
 先生がというのです。
「だからね」
「それでなんだ」
「そう、もうね」
 それこそというのです。
「ちょっと周りを見たらね」
「相手の人がいるかな」
「いるわよ、だから私でもわかるのよ」
 普段はイギリスにいて先制の詳しいことを知らないサラでもというのです。
「兄さんがどれだけ結婚に近いか」
「すぐにかな」
「兄さんが周りを見てね」
 そうしてというのです。
「そしてね」
「相手の人がいるんだ」
「そのことに気付いたら」
 その時はというのです。
「結婚なんてすぐでね」
「ダイアモンド婚式までもなんだ」
「すぐよ」 
 本当にというのです。
「ダイアモンド婚式までは長いけれどね」
「六十年だからね」
「けれどその前の段階の結婚はよ」
「すぐだね」
「ええ、それにとてもいい人だから」
 サラはこのこともわかっています。
「浮気とか喧嘩もなくね」
「穏やかにだね」
「結婚生活を過ごせるわ」
「六十年の間なんだ」
「そうよ、だから周りを見ることよ」
 まずとはというのです。
「いいわね」
「そうすればいいんだね」
「兄さんはね」
「ううん、周りだね」
 先生はサラの言葉を聞いて考えるお顔になって言いました。
「僕が見るべきは」
「そう、見たらね」
 そうすればというのです。
「本当にね」
「わかるんだね、僕も」
「見ればね」
「そうなのかな」
「普通の人はね」
 先生を見て言いました。
「まあ兄さんは尋常じゃない鈍感さだけれど」
「そうかな」
「そうよ、けれどいいわね」
 サラは先生にあらためて言いました。
「結婚するのよ、周りを見ればすぐだから」
「努力はするよ」
「そっちの努力もお願いするわ、そして兄さんも六十年よ」
 こう言ってサラは紅茶を飲みました、そのサラも先生もダイアモンド婚式を迎えることになりますがこの時サラはそれはかなり難しいと思っていました。


ドリトル先生のダイアモンド婚式   完


                  2022・1・11








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