『ドリトル先生のダイヤモンド婚式』




                第十幕  パーティーを前にして

 ご夫婦のダイアモンド婚式の日が近付いてきました、先生は研究室のカレンダーでその日を確認しました。
 そうしてです、生きものの皆にこう言いました。
「あと少しでだね」
「そうだよね」
「ダイアモンド婚式だね」
「その日になるね」
「いよいよね」
「お二人は凄く楽しみだろうね」
 先生は皆にこうも言いました。
「そうだろうね」
「絶対にそうだね」
「この六十年一緒にいてね」
「それでその記念日が来るから」
「そう思うとね」
「感慨があるよね」
「六十年って長いからね」
 先生の口調はしみじみとしたものでした。
「本当に」
「人間五十年って言うからね」
「織田信長さんがそう言ってたね」
「その五十年が金婚式でね」
「六十年ってそれより十年も長いから」
「それだけ一緒にいるとなると」
「やっぱり感慨があるよ、だってね」
 先生はここではでした。 
 少し悲しいお顔になってです、皆にこのことをお話しました。
「平均寿命よりも長く生きないと無理だしね」
「そうだよね」
「二十歳で結婚しても八十歳だよ」
「日本の成人男性の平均寿命って七十八歳位だったね」
「八十歳ってそれ以上に長いから」
「三十歳だと九十歳よ」
「それだけ長いから」
 本当にというのです。
「ちょっとね」
「中々難しいよね」
「しかもその間離婚もしないとか」
「相当に難しいわよ」
「若くして亡くなってしまう人もいるからね」
 先生のお顔にある悲しさは増していました。
「どうしても」
「そうだよね」
「長生きしたいと思っていても」
「それでもよね」
「事故や病気でね」
「そうした人も多いわ」
「だからダイアモンド婚式がどれだけ素晴らしいか」
 六十年の間夫婦でいられることがというのです。
「本当にね」
「お二人共そこまで長生きして」
「それで離婚もしない」
「それがどれだけ難しいか」
「それで有り難いか」
「一人の人が長生きするだけでも中々難しいのに」
 それがというのです。
「お二人共でね」
「離婚もネックだよね」
「何度も離婚する人いるしね」
「そこも問題だよね」
「かなりね、だから本当にね」
 ダイアモンド婚式まで迎えられることはというのです。
「素晴らしいことだよ」
「そうだよね」
「だから是非お祝いしないとね」
「それで先生もプレゼント用意したしね」
「扇子と置き時計をね」
「うん、どれも大切に保管しているから」
 扇子も置き時計もというのです。
「後はその日になるだけだよ」
「それまで待っていようね」
「僕達は」
「それでその日が来れば」
「プレゼントしましょう」
「そうしようね」 
 こう言うのでした、そしてです。
 先生は外を見てから皆にあらためてお話しました。
「しかし寒いね」
「うん、かなりね」
「日本の冬も冷えるね」
「欧州よりはましでも」
「そうよね」
「欧州はまた違うからね」
 この地域の寒さはというのです。
「パリで宗谷岬まで北だからね」
「ロンドンなんてパリより北だからね」
「余計に寒いんだよね」
「そう思うとね」
「欧州の冬はまた別格だよ」
「相当に寒いよ」
「そうだけれど日本の冬もね」
 こちらもというのです。
「寒いよね」
「この神戸だってそうだよね」
「神戸の冬も寒いわよ」
「只でさえ冷えるのに六甲おろしもあるから」
「尚更冷えるよ」
「だからスキー場もあるんだよ」
 六甲の方にです。
「兎に角冷えるからね」
「そうだよね」
「これだけ冷えるとね」
「雪だって降るし」
「それも積もるから」
「そうなるからね」
 だからだというのです。
「寒さは本物だよ」
「その寒さにどう対するか」
「暖かい服を着て暖房も入れる」
「それに尽きるね」
「そうよね」
「それで今はヒーターを入れているけれどね」
 だから研究室の中はとても暖かいです、もうそれこそずっとここから出たくない位までの暖かさです。
「お家だとストーブがあって」
「それでこたつがあるね」
「どてらを着てこたつに入る」
「日本の冬はこれよね」
「最高だよね」
「こたつは素晴らしい発明だよ」
 先生はにこりと笑ってお話しました。
「まことにね」
「もう病み付きになるっていうか」
「出られなくなるよね」
「あんまりにも暖かくて」
「それでね」
「あんまりにもそうでね」
 それでというのです。
「お部屋が暖かくないと出られないね」
「だからいつもストーブも入れてるんだよね」
「こたつと一緒に」
「そうしているんだね」
「こたつから出られない人がいても」
 それでもというのです。
「お部屋を暖かくしたら出られるよ」
「北風と太陽だね」
 ホワイティがまさにそれだと言いました。
「あの童話と同じだね」
「寒いから出られないなら暖かくすればいい」
 ガブガブも言います。
「簡単なことよね」
「実際こたつに入るのは寒いからだからね」
 ダブダブも考えて言います。
「それなら暖かいと出るね」
「あの童話って凄い参考になるね」
 こう言ったのはジップです。
「暖かいと服を脱ぐ以外にもこたつからも出られるね」
「こたつの魔力は確かに凄いわ」
 ポリネシアも認めることです。
「けれどずっと出ないことは問題だからね」
「出る為にはどうするか」
「暖かくすればいいってことね」 
 チープサイドの家族もお話します。
「童話の知恵はこうした時も生きるのね」
「そう思うと読むべきだね」
「童話の知恵を出してくれることも先生ならではだね」
 チーチーは先生のその知恵に唸っています。
「いつも有り難いよ」
「じゃあお家に帰ったらね」
「お部屋のストーブも点けよう」
 オシツオサレツは二つの頭で言いました。
「電気ストーブもあるし」
「そうしようね」
「幸いうちのブレーカーはかなり高くなってるからね」
 トートーはこちらのお話をしました。
「ストーブとこたつでも落ちないからね」
「そこで灯りを点けてパソコンをしても大丈夫だからね」 
 先生も言います。
「安心してね」
「そうしたことが出来るね」
「こたつにストーブを一緒に使うことも」
「そのことも出来るからね」
「丁度いいね」
「そう思うよ、だからね」
 それでというのです。
「帰ったらそうして暖かく過ごそうね」
「そうしようね」
「それで神戸の冬も安心だよ」
「確かに寒いけれど」
「それで大丈夫だよ」
「そうだよ、寒くても服と暖房をしっかりすればね」
 それでというのです。
「寒くないよ」
「そこに温かいものも食べれば」
「もう完璧だよね」
「じゃあ今日もね」
「温かいものを食べましょう」
「是非ね」 
 こうお話してです、先生は今学んでいるスコットランドの自然についての論文を書いていきます。その中でネス湖のことも書きますが。
 先生はネス湖について皆に書きながら言いました。
「ネス湖と言えばネッシーだね」
「そうそう、あの未確認動物だよね」
「ネス湖の代名詞だよね」
「スコットランドもそれで有名よね」
「ネッシーでスコットランド知った人もいるわよ」
「僕はネッシーはいると考えているよ」
 先生はご自身の考えもお話しました。
「そうね」
「先生前からそう言ってるよね」
「ネッシーはいるって」
「間違いなくって」
「うん、季節によってネス湖には沢山の鮭が入って来るからね」
 このお魚がというのです。
「いつもネス湖にいなくてもね」
「その鮭を追って海からネス湖に入って来る」
「そうした大型の生きものだね」
「それがネッシーだって言うんだね」
「恐竜の可能性は低くても」
 それでもというのです。
「けれどね」
「それでもネッシーはいるって言うね」
「それが先生の持論だね」
「以前からの」
「イギリスは日本より寒くてね」
 先程のお話もします。
「スコットランドは特にだよ」
「寒いんだよね」
「緯度が北にあって」
「ネス湖の辺りもどれだけ寒いか」
「だから陸地で恐竜はいられないけれど」
 先生はそれはないとしました。
「けれどお水の中、海や湖だとね」
「生きられるからね」
「それでもね」
「実はあの辺り未確認生物のお話多いのよね」
「北海はね」
 スコットランドが面しているこの海はというのです。
「実はネス湖の周りの湖にも未確認動物の話があって」
「アイルランドやアイスランドにもあって」
「ノルウェーにもあるんだよね」
「あと一次大戦の時に沈められた船の爆発で大きな鰐みたいな生きものがそれで海の上高くに打ち上げられたり」
「そうしたお話が多いね」
「だから僕はネス湖にいつもいなくても」
 ネッシーがというのです。
「それでもだよ」
「ネッシーはいる」
「そう考えているね」
「そうだよね」
「鮭が海に出たらまた追ってね」 
 そうしてというのです。
「ネス湖を出るんだ」
「だからいつも目撃される訳じゃないんだね」
「それで死体とか骨も見付からない」
「ネス湖にいない時も多いから」
「それでだね」
「巨大なウミウシとかの軟体動物説があるけれど」
 具体的な説も出しました。
「これなら陸地での目撃例や骨が見付からない説明にもなるよ」
「それなら死体も底に沈んでヘドロみたいになってね」
「何かわからないわね」
「じゃあネッシーは軟体動物?」
「恐竜じゃなくて」
「大きなアシカやアザラシや鰻みたいなお魚という説もあるけれど」
 それでもというのです。
「僕は一番有力な説はね」
「軟体動物なんだ」
「そういえば角があったり水面に出るコブの数がその都度違ったり」
「それを考えるとね」
「形がよく変わると考えた方がいいね」
「それとネッシーは一種類じゃない」
 先生はこの説も出しました。
「そうとも限らないね」
「これまで恐竜、軟体動物、アシカやアザラシ、お魚ってあったね」
「あと流木もあるし」
「悪戯もあるし」
「一種類じゃないんだ」
「そうだよ、ネッシーが一種類しかいないなんてね」
 この考えはというのです。
「断言出来るかな」
「出来ないね」
「言われてみれば」
「幾つもあるよ」
「そう考えていいわ」
「考えてみれば」
「そうだね、だから恐竜のネッシーがいるかも知れないし」
 多くの人がそうではないかと期待している様にです。
「僕の言う軟体動物かも知れないし」
「アシカやお魚かも知れない」
「そこは色々だね」
「そうなんだね」
「勿論流木も含まれるよ」
 これを生きものと見間違えたというのです。
「その場合もね」
「しっかり考えてみると一種類とは限らないわね」
「言われてみれば」
「本当に」
「ネッシーの種類も」
「そうなんだ、あと昔鯨類の可能性もあるよ」
 この生きもののお話もしました。
「今の鯨と違った外見のね」
「その鯨は細長かったんだよね」
「今の鯨よりもずっと」
「恐竜に近い外見でね」
「後ろ足は鰭でもモササウルスに似てたって」
「そんな風の姿でこの生きものも未確認動物に入っているから」
 今も生きているかも知れないというのです。
「だからね」
「その生きものの可能性もあるんだ」
「何か色々だね」
「ネッシーと一口に言っても」
「そうだよ、ネッシーはそれ自体が学問なんだ」
 そう言っていいというのです。
「未確認動物の中にあるね」
「一体どういった生きものか」
「それでどうして暮らしているのか」
「そのことを考えて検証していく」
「立派な学問なのね」
「そうだよ」
 まさにというのです。
「だから僕はそちらも学んでいるんだ」
「先生はあらゆる学問をしているけれど」
「未確認動物もだね」
「そちらも学んでいて」
「それでだね」
「今スコットランドの自然環境を学んでいてね」
 そうしてというのです。
「そのことも思ったんだ」
「スコットランドっていうとネス湖は一番有名な湖だしね」
「他ならぬネッシーのことで」
「それでネッシーのことを今僕達とお話したんだね」
「そういうことだね」
「そうなんだ、日本にも未確認動物の話は多いけれどね」
 今自分達がいる国にもというのです。
「北海道に行った時クッシーのお話をしたね」
「あの湖に行った時にね」
「そうだったね」
「残念ながら見ることは出来なかったけれど」
「クッシーのお話もあるね」
「九州の池田湖にはイッシーがいるしね」
 この未確認動物がというのです。
「陸地でもツチノコやヒバゴンの話があるね」
「西表島にはイリオモテヤマネコ以外にもネコ科の生きものいるっていうし」
「先生が動物園に連れて帰ったヒヤンやハイも元々そうだったし」
「ニホンオオカミだってその扱いだったわ」
「絶滅したと言われていて」
「日本は山が多くて湖も川も多いからね」 
 そうした自然環境だからだというのです。
「そして四方は海だからね」
「未確認動物の話も多いね」
「海で大きなお魚もいるし」
「長崎の海でモササウルスの死骸引き揚げたってお話もあったね」
「ある漫画家のお兄さんが漁師さんで」
「そうしたお話もあって存在が間違いないのは」
 その未確認動物はといいますと。
「タキタロウだよ」
「東北のある湖にいるんだよね」
「見た人もいるし魚群探知機にも反応があるし」
「食べた人もいたね」
「そうだったね」
「そうだよ、だからね」
 それでというのです。
「今度機会があったらね」
「その湖に行って」
「それでタキタロウを確認したいんだ」
「そう考えているんだね」
「そうなんだ、その時はね」
 まさにというのです。
「是非共ね」
「タキタロウを調べたいんだね」
「あの未確認動物を」
「そうしたいんだね」
「是非共」
「そう考えているんだ、だから行きたいよ」
 先生は目をキラキラさせて言いました。
「何時かはね」
「その時は僕達も一緒だよ」
「一緒に行って楽しもうね」
「そうしようね」
「是非ね、東北も凄いんだ」
 学者さんとしてのお言葉です。
「学べることが多いんだ」
「タキタロウだけじゃないね」
「他にも先生の興味があるものが多いね」
「そうなのね」
「そうだよ、歴史も面白いし農業もそうで文化もね」 
 そういったものもというのです。
「それでね」
「自然も面白くて」
「タキタロウもその中にあって」
「それでだね」
「行きたいんだね」
「そうなんだ、タキタロウ以外にも男鹿半島のナマハゲに」
 そうしてというのです。
「それで遠野にも行きたいよ」
「あの河童や座敷童の」
「あそこにも行きたいんだ」
「そうして学びたいんだね」
「津軽に行けばね」
 今度はこの地域のお話をしました。
「太宰治さんについて学べるからね」
「津軽ってあの人の故郷だったね」
「津軽の大地主さんの家に生まれてね」
「お家の人今もあちらに住んでいて」
「政治家の人もおられるわね」
「その太宰さんのこともね」  
 東北に行けばというのです。
「学べるからね」
「だからだね」
「機会があれば行きたいんだ」
「先生としては」
「そうだよ、行きたいよ」
 本当にというのです。
「関西全域に北海道は巡ったけれどね」
「東北はまだだったね」
「あちらは」
「あと山陰山陽や九州も」
「そうしたところもね」
「東海の殆どもだったね」
「結構日本に来て長いけれど」
 先生は皆にお話しました。
「けれどね」
「それでもだよね」
「関西は全部行ってね」
「北海道や沖縄に行って」
「色々巡ったけれど」
「それでもね」
 先生はさらに言いました。
「まだまだ行っていない地域は多いよ」
「是非行きたいよね」
「日本にいるなら」
「それならね」
「そうしたいよね」
「本当にね」
「そう考えてるよ」
 こう言うのでした、そうしてです。 
 先生はお家に戻って置時計を見ました、そして言いました。
「もうすぐパーティーの日だからね」
「その日に備えてね」
「大事にしておかないとね」
「壊さない様にね」
「保管していよう」
「是非ね」 
 お家の中でも皆に応えます。
「そうしようね」
「だから今から箱に入れるね」
「プレゼントを入れるそれに」
「それでそうしてだね」
「パーティーの日までその中だね」
「そうだよ、扇子もね」 
 そちらもというのです。
「そうするよ」
「箱に置いてね」
「そうしてだね」
「壊さない様にして」
「守っていくね」
「そうするよ」
 こう言ってでした。
 先生は置き時計を箱の中に入れました、その後はトミーがお祝いの紙に包んでそのうえでリボンで飾りました。
 そうしてからです、トミーは先生に言いました。
「これでよしですね」
「そうだね」 
 先生はトミーにも笑顔で応えました。
「これでね」
「ダイアモンド婚式の時にですね」
「ご夫婦にプレゼントするよ」
「そうしますね」
「扇子もね」
 こちらもというのです。
「ちゃんとね」
「箱に入れて」
「そして飾ってくれるかな」
「そうさせてもらいますね」
「是非ね」
「ではそうしましょう、しかしいい時計ですよね」
 トミーは今は箱の中にあるそれを見て言いました。
「これはまた」
「いいデザインだね」
「しかもちゃんと動いてね」
「素晴らしい時計ですよね」
「うん、掘り出しものというか」
「神様が用意してくれましたね」
 トミーもこう言いました。
「まさに」
「本当にそう思うよ」
「そうですよね」
「うん、だから神様に教会で感謝させてもらったよ」
「そのこともいいことですね」
「本当にね」
 先生はこうも言いました。
「こうしたことにこそね」
「神様に感謝することですね」
「素晴らしい出会いを用意してくれてね」
「本当にそうですよね」
「人は信仰心があるとね」
「感謝を感じやすいですね」
「若し信仰心がないと」
 それならというのです。
「歯止めがないからね」
「自分の心にね」
「敬うものがないとね」
「自分の力だけってなると」
「もう自分が一番偉いになって」
「思い間違いをするね」
「そうなったらね」
 それこそというのです。
「とんでもないことになるよ」
「先生が前にお静さんとお話した人みたいにね」
「とんでもない人になるね」
「もう頭が悪いって言うか」
「どうしようもない人だね」
「人間はね」
 先生は皆にお話しました。
「何か敬うものがあって」
「感謝をして」
「謙虚な気持ちを忘れない」
「そうじゃないとね」
「徹底的に増長して」
 そうしてというのです。
「間違えてもね」
「それに気付かない」
「そしてどんどん愚かになっていく」
「そうなるね」
「だから僕は信仰も大切にしているんだ」
 そうしているというのです。
「教会にも行ってるしね」
「お布施もしてるね」
「そうだよね」
「それもしてね」
「神様に感謝しているね」
「そのお布施で牧師さんも暮らせるからね」
 そうなるからだというのです。
「人を助けることになるから」
「いいことだよね」
「本当にね」
「だったらね」
「先生みたいになるべきだね」
「信仰も忘れてはいけないね」
 皆も言います。
「幾ら何でも日本の皇室は反対で北朝鮮の世襲の独裁は支持ってね」
「頭大丈夫ってなるよ」
「共産主義で世襲っておかしいよ」
「それ自体がどうかなのに」
「愚か過ぎるよ」
「ちなみにその人は君主制自体が反対でね」
 それでとです、先生は皆にお話しました。
「立憲君主制は民主主義じゃないって言ってるよ」
「じゃあ北朝鮮駄目じゃない」
「世襲なんだから」
「どう見ても共産主義じゃないし」
「あそこ君主制だよ」
「どう考えてもね」
「それでもそう言ってるんだ」
 立憲君主制は民主主義でないと、というのです。
「だから日本も民主主義じゃないし」
「イギリスもだよね」
「ある意味凄い考えだね」
「それで北朝鮮が民主主義なんだ」
「もうどう突っ込んでいいかわからないわ」
「どんな頭の構造かな」
「それで民主主義がどうとか言うからね」
 そうも言うというのです。
「凄いよ、同じタイプで権力に反対するならテロも殺人もいいって人いたよ」
「問題外だね」
「それ被害者の遺族の人に言えるかな」
「むしろ遺族の人達の前に突き出したいね」
「是非ね」
「そうした人は自分が被害に遭ったら怒るよ」 
 そうなるというのです。
「間違いなくね」
「そうだよね」
「そうした人はね」
「問題外だよね」
「そうした人って」
「人間としてね」
「例え権力に反対してもね」
 そうした人達でもというのです。
「テロや殺人は駄目だね」
「普通はそう考えるよ」
「まずね」
「殺された人はどうなるんだよ」
「殺されなくても被害に遭った人は」
「残された遺族の人はどれだけ悲しいか」
「そうしたことは考えないしね」
 そうした人達はというのです。
「痛みもね」
「感じないんだね」
「どうでもいいんだね、そんなことは」
「本当に」
「愚か者という言葉はあるけれど」 
 先生は残念そうに言いました。
「まさにね」
「そうした人達が愚か者だね」
「当然のこともわかってない」
「そして人の痛みや悲しみをわかろうともしない」
「そうした人達こそだね」
「日本ではそうした人に無神論者が多いんだ」 
 そうだというのです。
「これがね」
「そう思うと無神論に反発覚えるね」
「そんな酷い人が多いと」
「どうしてもね」
「ちなみにその権力に反対するならテロも殺人もいいと言った人はね」 
 あらためてその人のお話もしました。
「あるお店の店員さんだったよ」
「よくお店も雇ったね」
「そんな人を」
「人の痛みや悲しみがわからなくて接客出来るのかな」
「まともに」
「そう思うね、そのお店はその人を採用して数年語潰れたよ」 
 そうなったというのです。
「これがね」
「そうなったんだ」
「まあそうだろうって思うわ」
「そんな馬鹿な人採用するなんて」
「幾ら何でも」
「人間として最低どころじゃないよ」 
 先生は言いました。
「絶対にそうなりたくないよ」
「そんな人にはね」
「当然のことがわからない」
「人の痛みや悲しみをわかろうともしない」
「そんな人になったらね」
「人間としておしまいだよ」
「そうした人はやっぱりいるからね」
 このことは悲しいお顔で言いました。
「けれど見てああはなるまい」
「そう思うことだね」
「そうした人達を見て」
「あまりにも酷い人達でもね」
「見てああはなるまい」
「そう思うことだね」
「そうだよ、この人達は下の下の下以下だけれどね」 
 そんな人達だというのです。
「ああはなるまいと思うことだね」
「反面教師だね」
「文字通りの」
「人間として最低と言うにもおこがましい」
「そんな人達になりたくないからね」
「だからああした風にならないと思って」 
 そうしてというのです。
「僕達もやっていかないとね」
「本当にそうだね」
「絶対にそんな人達になりたくないわ」
「間違っても」
「最低と言っても足りないからね」
「だから僕は日本に来て余計に信仰を大事にしないとって思ったんだ」
 まさにそうした人達を見てというのです。
「こうした人達を知ったからね」
「神様を信じるのも大切だね」
「というか自分の力を頼るのはいいけれど」
「そこまで頭が悪いとどうにもならないわ」
「間違えるから」
「事実とんでない間違いをしているからね」
「他人を思いやれないでね」 
 そうした人がとです、先生は皆に言いました。
「例え結婚しても長い間一緒にいられるかな」
「出来る筈ないね」
「他の人の痛みや悲しみをわかろうともしないで」
「そんなのだとね」
「絶対に無理だよ」
「同じレベルの人と結婚してもね」
 そうなってもというのです。
「そうした人達って努力しないしね」
「成長しなくて」
「しかもそんな人達がいつもお顔を突き合わせていたら」
「喧嘩ばかりでね」
「長くいられないね」
「人は同じレベルの人達が集まるものだけれど」
 それでもというのです。
「酷過ぎる人達だとね」
「一緒にいられないね」
「長い間はとても」
「離婚するね」
「ふわりの前の飼い主の人達もだよ」
 先生はこの人達のお話もしました。
「同じだよ、今も二人でお酒に溺れているけれど」
「もうあのまま二人共死ぬだろうね」
「絶対に身体壊してるし」
「ずっと飲んでるし」
「それじゃあね」
「そうじゃなかったらね」
 一緒にお酒に溺れていなければというのです。
「あそこまで命を何とも思わない人達だから」
「だからふわりも捨てたし」
「下の娘が生まれたら上の娘もほったらかしにしたから」
「それじゃあね」
「そんな人達だとね」
「もうね」
 それこそというのです。
「お互いに言い合って」
「それでだよね」
「喧嘩ばかりする様になって」
「離婚していたね」
「餓鬼は集まっていても仲良くはないよ」
 ふわりの前の飼い主達他ならぬその人達のことを見てまさに餓鬼だと思ったそのことからお話しました。
「ただ餓えて渇いて」
「自分のことしか考えていない」
「そうした人達でね」
「集まっていても仲よくない」
「ただそこに大勢いるだけね」
「そうしたレベルの人達も同じだよ」 
 餓鬼と、というのです。
「そこまで他の人、命を思いやれないなら」
「もうそうなるね」
「餓鬼と同じで」
「自分のことしか考えない」
「そうだね」
「だから一緒になっても」 
 結婚してもというのです。
「すぐに言い合ってね」
「喧嘩して仲違いして」
「それで別れて」
「六十年なんて無理だね」
「どうしても」
「そこまで一緒にいられるには」 
 六十年、ダイアモンド婚式を迎えるまでです。
「お互いに長生きすることも大事で」
「人格も必要だね」
「それだけ一緒にいられる」
「仲良く出来る位の」
「お互いにそれだけの人格が必要だね」
「さもないと六十年なんて一緒にいられないよ」
 とてもというのです。
「そもそも普通の人なら今お話している人達と付き合えないね」
「心の奥底から軽蔑してね」 
 トートーが言ってきました。
「そうなってね」
「どうしても付き合えないわ」
 ガブガブは首を横に振って述べました。
「そんな酷い人達とは」
「北朝鮮をそう言う人達も」
「権力に反対するならテロも殺人もいいって言った人達もね」
 チープサイドの家族は具体的に言いました。
「そしてふわりの前の飼い主の人達も」
「皆そうだね」
「まともな人なら付き合えないわ」 
 ポリネシアはそれがどうしてかを言いました。
「何この人って思って」
「そんな人達と付き合えるってやっぱり同じレベルの人達で」
 ホワイティも思うことでした。
「そこまで酷いと誰とも仲良く出来ないからね」
「それじゃあね」
 まさにと言うジップでした。
「結婚出来ても喧嘩ばかりだよ」
「それで離婚するしかないよ」
 チーチーもこう言います。
「一緒に暮らしていけなくなってね」
「それかどっちかが両方かが問題起こしてね」
 ダブダブも言うことでした。
「別れるよ」
「餓鬼は誰とも仲良く出来ない」
「何故なら自分のことしか考えないから」
 オシツオサレツは二つの頭で言いました。
「覚えておかないとね」
「このことはね」
「いや、そう思うと今回のご夫婦は立派だよ」
 老馬は心から思いました。
「六十年一緒にいられるだけのものがあるんだからね」
「長生きすることも難しくてね」
 それでと言う先生でした。
「ずっと一緒にいられる」
「そのことも凄いね」
「長生きと一緒に」
「だからダイアモンド婚式までっていうのは」
「どれだけ素晴らしいか」
「これ以上はないまでだよ、その間色々あってもね」
 それでもというのです。
「そうしたことも乗り越えて」
「ずっと一緒だったんだから」
「素晴らしいことで」
「是非お祝いしないとね」
「本当にね」
「そう思うからね」
 先生もというのです。
「僕もお静さんからお話を聞いてね」
「お祝いすることにして」
「プレゼントも考えて」
「遂にそのプレゼントを手に入れた」
「そうなったね」
「そういうことだよ、よかったよ」
 先生はにこりとして述べました。
「何かとね」
「そうだね」
「神様の配慮で」
「それが出来てね」
「よかったよ」
「素晴らしいことだったわ」
「だから感謝したんだよ」 
 またこう言う先生でした。
「僕もね」
「そうだね、それじゃあね」
「その日が来たらプレゼントしよう」
「パーティーに出たら」
「その時はね」
「そうしようね、しかし昭和からね」
 しみじみと思った先生でした。
「平成、令和となって世の中変わったね」
「お二人が結婚したのが昭和三十年代」
「最初の東京オリンピック前で」
「まだテレビも普及しだした頃で」
「冷蔵庫も洗濯機もで」
「そのテレビも白黒テレビだね」
「自家用車なんて夢だったよ」
 その頃はとです、先生は皆にお話しました。
「もうね」
「そうだったね」
「そんな頃でね」
「オート三輪なんてものがあって」
「新幹線もまだ」
「工事中だったわね」
「そう思うと大昔だよ、けれどね」 
 それでもというのです。
「その大昔でもね」
「それでもだよね」
「お二人はその頃から一緒だね」
「そんな今から見ると想像出来ない時代から」
「そうされてるんだね」
「そうなんだ、今の子供は白黒テレビは知らないだろうね」
 とてもというのです。
「コンピューターだってね」
「その頃なんて滅茶苦茶大きくて」
「物凄く大きくて立派な組織の本部にしかなくて」
「特別なことを調べて計算する」
「そんなものだったね」
「今じゃ大抵のお家にあるよ」
 そうなっているというのです。
「コンピューターもね」
「全く違うね」
「コンピューターについても」
「本当に」
「その頃と今を比べたら」
「別物だよ」
 皆も言います。
「むしろテレビとか以上にね」
「変わったね」
「お部屋一つ分位あったのがね」
「もう一人で楽々持てる位の大きさだよ」
「そうなっているわ」
「そうだよ、だからね」
 それでというのです。
「尚更実感出来るよ」
「そうだよね」
「本当に変わったよ」
「昭和から比べるとね」
「随分ね」
「しかもご夫婦は戦争中にお生まれになっているね」
 先生はこのこともお話しました。
「そうだね」
「そうそう、それで昭和三十年代に結婚されてるね」
「お生まれになったのはその時だね」
「大変な時だったわ」
「イギリスもそうだったけれど」
「日本もね」
「そうした時でね」
 それでというのです。
「その頃と昭和三十年代を比べてもね」
「かなり違うね」
「そうなってるね」
「戦時中と三十年代を比べても」
「同じ昭和でも」
「街並みも服装も生活用品もね」
 こうしたものもというのです。
「戦時中はまだ井戸も多かったしね」
「そうそう、水道の普及もね」
「三十年代程じゃなくて」
「井戸が多かったね」
「そうだったね」
「江戸時代の江戸は町全体を流れている川それに堀を利用して水道があったけれどね」
 それでもというのです。
「やっぱり井戸もね」
「多かったね」
「戦時中は」
「そうした状況だったね」
「勿論電気もまだまだで」
「夜も暗かったね」
「空襲を警戒して灯火管制をしていなくても」
 それでもというのです。
「電気もね」
「普及していなくて」
「ラジオだけだったね」
「そう思うと全く違うわ」
「同じ昭和でも」
「それでプロ野球もね」
 先生はこちらのお話もしました。
「当時は職業野球と言っていたしね」
「戦時中はね」
「そういえばユニフォームも違ったね」
「何か野暮ったい?」
「そんな感じで」
「お二人が過ごされた八十年の間にね」 
 先生はしみじみと思いました。
「世の中は本当に変わったね」
「全くだね」
「お生まれになってダイアモンド婚式を迎えるまでに」
「何もかもが変わったね」
「そうだよね」
「そのことも思うと余計に感慨があるよね」
 先生はしみじみと思いました、そうしてダイアモンド婚式が行われるその日を心待ちにするのでした。








▲頂きものの部屋へ

▲SSのトップへ



▲Home          ▲戻る