『ドリトル先生のダイヤモンド婚式』
第七幕 神戸の中華街
先生はご夫婦のダイアモンド婚式のプレゼントにする古風な西洋式の置時計を探し続けていました、その中で。
トミーは先生にお家の中でこう言いました。
「日本は色々な国の文化が残っていますね」
「そうそう、そのことは思うよね」
先生も応えました。
「本当にね」
「千数百年前からのそれが」
「奈良に行けば飛鳥時代や奈良時代のものがあって」
「平安の文化も残っていて」
「鎌倉時代や室町時代もね」
「戦国時代、安土桃山時代もそうで」
それでというのです。
「江戸時代なんかは特にですね」
「そうなんだよね、この国は」
「時代によって色々な文化がありましたが」
「その全てが残っているね」
「はい、それに」
トミーはここでこう言いました。
「今僕達が探している」
「置時計は明治からの文化のものだね」
「そうですね」
「日本は歴史が長いからね」
だからだとです、先生は言いました。
「それでだよ」
「文かも様々ですね」
「しかも戦乱も他の国に比べて少なかったからね」
「それだけ色々なものが残っていますね」
「そうだよ、古墳だって残っているしね」
こちらもというのです。
「そうだね」
「仁徳天皇陵もそうですね」
「そして関西を中心に各地にね」
「古墳がありますね」
「その文化の多彩さもね」
「日本の魅力ですね」
「他の国の人達は平安や江戸の頃の文化を言うけれど」
先生は今は国籍は日本です、それで日本人としてこう言いました。それも極めて流暢な日本語で、です。
「明治以降の近代のね」
「その頃の文化も素晴らしいですね」
「文学もいいし」
「ものもですね」
「いいよ、西洋の文化が入って」
そうしてというのです。
「それが日本で再現されて」
「実に素晴らしいものが出来ていましたね」
「あのギリシア数字で時間が書かれていることがね」
「お洒落ですよね」
「うん、時計の針のデザインも」
こちらもというのです。
「機能的な時計にない」
「独特のものがありますね」
「鳩時計にしても」
日本で造られたものです。
「何かこうね」
「独特のものがありますね」
「そしてその独特さがね」
「とてもいいですね」
「実に素晴らしい」
「文化ですね」
「それ自体がね、そこに日本の趣も入っていて」
西洋のものを造ってもというのです。
「いいんだよね、それで例えばね」
「例えば?」
「和服を着てね」
そうしてというのです。
「洋館に住んでその置時計を飾ってもね」
「それもまた絵になりますね」
「それが日本だね」
「洋風のものを和室に置いてもいいですよね」
「うん、それが不思議な対比にもなってね」
それでというのです。
「とてもいいよ」
「そうですよね」
「そう思えるからこそね」
まさにというのです。
「日本は素晴らしいよ」
「先生も心から愛されていますね」
「来日して日本にいればいるだけね」
まさにそれだけというのです。
「好きになってね」
「愛する様にですね」
「なっているよ」
「そうですよね」
「神戸だって」
今暮らしているこの街もというのです。
「そうだしね」
「この街は西洋の趣が強いですね」
「維新から外国の人が来ていてね」
「暮らしてもいて」
「そしてね」
それでというのです。
「中華街もあるね」
「中国の文化も入っていますね」
「それもいいね、それで今日は中華街に行くんだ」
神戸のそこにというのです。
「今神戸の街の文化史を調べていて」
「それで、ですか」
「フィールドワークでね」
それでというのです。
「行くんだ」
「そうですか」
「そう、そしてね」
先生はさらに言いました。
「あちこち歩くよ」
「中華街の中を」
「食べることもね」
先生はにこりとして言いました。
「忘れないよ」
「そちらもですね」
「日本はこちらもいいからね」
「食文化も」
「うん、そのこともね」
実際にというのです。
「素晴らしいね」
「それはその通りですね」
「だから楽しんでね」
「フィールドワークをされて」
「食べてくるよ」
こう言ってでした。
先生はこの日は中華街に出ました、この時も動物の皆が一緒です。そうして中華街の中を見回っていますと。
動物の皆は先生と一緒に歩きつつこんなことを言いました。
「中華街っていいよね」
「神戸は下町も洋館もあるけれどね」
「工業地帯もね」
「見事な港もあるし」
「色々な場所があって」
「中華街もあるのがいいね」
「全くだよ」
笑顔で言うのでした。
「この赤くて漢字に満ち溢れている雰囲気が」
「いいんだよね」
「この中国の街が入ってきたみたいな」
「そうしたのがいいよね」
「本当に」
「そうだよね、だから僕も好きなんだ」
こう言うのでした。
「中華街もね」
「うん、ただね」
ここで老馬が言いました。
「何か日本のカラーもあるよね」
「そうだね、ここの中華街ってね」
老馬の背中にいるホワイティが彼の言葉に頷きました。
「日本の趣もあるよ」
「お店の人達も普通に日本語喋ってるしね」
「お品書きとかも日本語だし」
チープサイドの家族も言います。
「中国の趣があっても」
「日本にあるからか日本もあるよ」
「周りにいる観光客は殆どが日本の人達だし」
こう言ったのはダブダブでした。
「日本語もよく聞くしね」
「何か中国だけれど」
それでもとです、ガブガブは言いました。
「日本の中に来たみたいだね」
「中華街って世界に沢山あるけれど」
トートーは中華街自体のお話をしました。
「その国独特の趣も入ってるね」
「それはあるね」
ジップはトートーの言葉に頷きました。
「アメリカでもイギリスでもだし」
「タイやマレーシアでもだね」
「そうそう、シンガポールは国自体がそうだけれど」
オシツオサレツは二つの頭で言いました。
「その地域の文化がね」
「あるね」
「それでここの中華街は日本ね」
こう言ったのはポリネシアでした。
「それが土壌にある感じよ」
「どうしてもその国の文化も入るんだね」
チーチーは腕を組んで述べました。
「中華街も」
「そうなるよ、中華街は7中国から来た人達のコミュニティだけれど」
それでもとです、先生は皆にお話しました。
「中国でなくそれぞれの国にあるからね」
「それでだね」
「それぞれの国のものも入るね」
「そうなるね」
「どうしても」
「そうだよ、そうならない筈がないんだ」
中華街にしてもというのです。
「それぞれの国の影響を受けない筈がないんだ」
「どうしてもだね」
「そうなるんだね」
「そこにある国も入って」
「そうしてだね」
「中国とそれぞれの国の文化が混在するんだ」
そうなるというのです。
「そしてそれがまたいい味を出してくれるんだ」
「こうしてだね」
「素晴らしいものを出してくれるんだね」
「この場所みたいに」
「そうなんだね」
「そうだよ、ただ中華街は色々な国にあるけれど」
先生はこうも言いました。
「長い間韓国にはなかったんだ」
「あっ、そうなんだ」
「あの国にはなかったんだ」
「欧州よりあめりかやアジアにこそ多いっていたけれど」
「そうじゃないんだ」
「戦争前はあったんだ」
第二次世界大戦まではというのです。
「日本の統治時代はソウルにね」
「へえ、そうだったんだ」
「その頃は韓国にも中華街あったんだ」
「それは意外だよ」
「あちらにもあったんだ」
「それもソウルに」
「けれど戦争が終わったらなくなってね」
そうなってというのです。
「長い間ね」
「なくて」
「それで今はある」
「そうなんだ」
「復活したってことね」
「ただ凄く狭いらしいね」
先生はこのことは残念そうに言いました。
「どうも」
「そうなんだ」
「あっても狭いんだ」
「そうなのね」
「日本の中華街は横浜と神戸、長崎にあってね」
この三つの街にというのです。
「横浜が一番大きいけれどどうも一角位しかないらしいから」
「一角って」
「それはまた寂しいね」
「この中華街より遥かにね」
「狭いじゃない」
「横浜とか比べものにならないわ」
「そうね」
「それがね」
狭いことがというのです。
「残念だね」
「ソウルって一千万も人いるよね」
「周り入れて二千万以上いてね」
「もう韓国の人口の半数位がいるらしいけれど」
「それだけの人がいるのに」
「中華街が一角なんて」
「寂しいわ」
皆そう聞いて言いました。
「それはね」
「ニューヨークなんか凄いのに」
「物凄く立派な中華街なのに」
「ああした感じじゃないだ」
「同じ位の人がいても」
「それだけなんだ」
「うん、僕もそう聞いてね」
それでというのです。
「寂しいと思ったよ、中華街も文化だよ」
「そうそう、中国のね」
「そしてそこにそれぞれの国の文化も入った」
「独特のものだね」
「それが一角しかないって」
「寂しいね」
「そう思ったよ、実は戦争前の日本も異文化に寛容で」
そうした国だったというのです。
「西洋文化を積極的に採り入れて」
「それで中国文化もあった」
「勿論日本の文化もあったし」
「様々な文化があったんだ」
「そうした国だったんだ」
「そうだったんだ、この国はね」
皆に中華街の中を歩いてです、フィールドワークをしつつお話していきます。赤くて漢字が沢山ある中を。
「それで横浜とかにも中華街が出来て」
「ソウルにもあったんだ」
「戦争前は」
「あの街にも」
「三十六年の統治の間に出来て賑やかになっていたけれど」
それでもとです、先生は言うのでした。
「それがね」
「戦争が終わって」
「それでなんだ」
「なくなって」
「やっと復活したんだ」
「けれど狭いのね」
「そうなんだ」
これがというのです。
「復活してもね」
「ソウルの街も変わったんだったね」
「その頃と比べて」
「なくなった中華街が復活しても」
「小さいんだ」
「そうなんだ、残念なことにね」
それがというのです。
「僕は中華街も好きだからそう思うよ」
「先生確かに中華街好きだね」
「もっと言えば中華街もだね」
「色々な場所が好きで」
「中華街もだね」
「そうだよ、じゃあお昼だし」
それでというのです。
「お店に入って食べようね」
「そうしようね」
「さて、何を食べようかな」
「中華料理は色々あるけれど」
「何を食べようかな」
皆も美味しいものを食べようと笑顔で応えます、そうして先生が入ったお店は北京料理のお店でそこで、でした。
先生は塩ラーメンを頼み天津丼と水餃子、海老のチリソース炒めにチンジャオロースそれとお豆腐とフカヒレが入ったスープにチンジャオロースにでした。
羊のお肉を炒めたものに杏仁豆腐を注文しました、それで皆と一緒に食べますがここで、でした。
先生はお豆腐とフカヒレのスープを飲んで言いました。
「このスープもいいね」
「うん、美味しいね」
「フカヒレっていいよね」
「身体にもいいっていうし」
「最高よ」
「そうだね、それとこのお店は北京料理だから」
こちらのお料理でというのです。
「羊料理もあるんだ」
「そうだよね」
「北京料理は羊だよね」
「そちらが有名だよね」
「だから先生も注文したんだ」
「そうだよ」
まさにというのです。
「それでラーメンもね」
「塩ラーメンだね」
「北京だから」
「それでだね」
「こちらのラーメンにしたんだね」
「そうなんだ、ちなみに中国にラーメンはないよ」
このお料理はというのです。
「拉麺だよ」
「そっちなんだよね」
「日本のはラーメンだからね」
「拉麺じゃないんだよね」
「そこが違うね」
「何でも明治の頃に入ってね」
そのラーメンがというのです。
「それで独自の発展を遂げたんだ」
「そうだったんだ」
「こちらも明治の頃からなんだ」
「そこからラーメンになったんだ」
「そうなんだね」
「最初は中華そばとか支那そばとか言われてたんだ」
そうだったというのです。
「ちなみに支那は中国の秦がなまっての言葉だよ」
「今でも使う人いるね」
「それにシナチクとか東シナ海とか言うし」
「インドシナ半島とかもあるしね」
「そこからの言葉だね」
「関東が支那そばで」
そう呼んでいてというのです。
「関西じゃ中華そばだったらしいよ」
「それでそれがだね」
「独自の発展を遂げて」
「今に至るんだ」
「そうなんだね」
「そうだよ、それで日本各地のラーメンが誕生して」
そうしてというのです。
「ちゃんぽんも生まれたんだ」
「ああ、長崎ちゃんぽん」
「あれもなんだ」
「ラーメンから生まれたんだ」
「そうなんだ」
「それで長崎の中華街だと」
ここではというのです。
「ラーメンよりもちゃんぽんなんだ」
「長崎ちゃんぽんだね」
「もう長崎だから」
「中華街でもだね」
「そうなってるんだね」
「これも日本にある中華街だからだね」
先生は笑って言いました。
「まさに」
「そうだね」
「まさにその通りだよ」
「中国の場所だけれどそれぞれの国にあって」
「それぞれの国の土壌の影響を受けていて」
「それぞれのお料理の影響を受けるんだね」
「そうだよ、だからラーメンもあるんだ」
日本で独自の進化を遂げたそれがというのです。
「こうしてね」
「そうなんだね」
「それじゃあだね」
「今から食べるんだね」
「この塩ラーメンも」
「そうしようね」
笑顔で応えてそうしてでした。
先生は皆でお料理も楽しみました、その後も中華街でフィールドワークをしていましたがここで、でした。
ふとです、お土産のお店で奇麗な中華風の扇子を見ました。すると皆は目を輝かせて先生に言いました。
「あれっ、この扇子いいね」
「うん、お洒落な感じがするね」
「それでいて豪華で」
「こうした扇子もいいね」
「日本のものもいいけれど」
「そうだね、ご夫婦にもね」
先生も言いました。
「いいかもね、ただね」
「ご夫婦がこうしたものをお好きか」
「それが問題だよね」
「どうしても」
「贈りものだから」
「そう、だからね」
それでというのです。
「今からお静さんに聞いてみるね」
「それがいいね」
「それじゃあまずはお静さんに聞こう」
「それでご夫婦がお好きなら買おう」
「それでプレゼントに入れましょう」
「時計とね」
それと合わせてというのです。
「そうしようね」
「うん、それじゃあね」
「早速お静さんに聞こう」
「そうしようね」
「そうするよ」
こう言って早速でした。
先生はお静さんにスマートフォンでご夫婦が中華風の扇子がお好きかどうか尋ねました。するとお静さんはこう答えました。
「実はかなりお好きで中華街にもね」
「よく行かれるんだ」
「そうなの」
「そう、だったらね」
「贈りものに入れるのね」
「そうさせてもらうよ」
お静さんに笑顔で答えました。
「今から買ってね」
「ではお願いするわね」
「是非ね」
こうしてでした、先生はご夫婦に扇子をあげることにしましたが。
ここで、です。先生は青と赤の二つの扇子を手に取りました。
「この二つにしよう」
「青がご主人のものだね」
「赤が奥さんのものね」
チープサイドの家族がここで言いました。
「それぞれそうね」
「そうだね」
「青は奇麗なコバルトブルーだね」
トートーは青い木製の扇子を見て言いました。
「いい色だね」
「それで赤はスカーレッドね」
ポリネシアも言いました。
「こちらもいいわね」
「似合う色を選ぶ」
ガブガブはこう言いました。
「このことも大事よね」
「それも気遣いだよね」
ホワイティも言います。
「似合う色を選ぶことも」
「決め付けて選んだら駄目だけれど」
チーチーはこのことは戒めました。
「けれどどうかと考えてはいいね」
「何でも決め付けはよくない」
ホワイティはこの言葉を出しました。
「そう言うしね」
「先生はそうした考えだからね」
ダブダブは先生自身に言いました。
「いいんだよね」
「先生のその考えが今回も出ているね」
ジップも先生を見ています。
「いいことだよ」
「そうした先生だから今回もいい選択をしたね」
「いいプレゼントを選べたね」
オシツオサレツも思うことでした。
「本当にね」
「そうだよね」
「それじゃあその扇子を買おうね」
老馬の目は笑っています、そのうえでの言葉です。
「プレゼントの為に」
「是非ね、そうするよ」
笑顔で言ってでした。
先生はその二つの扇子を買いました、中華風の奇麗な色のそれは木製で見事なデザインでした。そしてです。
先生は中華街をまだ見て回りましたが。
「お酒も買っていこうかな」
「それでお家で飲むんだ」
「そうするのね」
「お酒を買って」
「そうして」
「そうしようか、そのお酒は」
その種類のお話もします。
「桂花陳酒がいいかな」
「ああ、あの楊貴妃さんが好きだった」
「ワインをアレンジしたものだね」
「そのお酒を飲むんだ」
「ここで買って」
「そうしようかな、しかし楊貴妃さんは」
この人のお話もするのでした。
「絶世の美女として有名だね」
「そうだよね」
「世界三大美女って言われていて」
「クレオパトラと並ぶっていうね」
「そうだね」
「それで多くの漢詩にも詠われているね」
文学からもお話するのでした。
「そうだね」
「先生前にそのお話もしていたね」
「漢詩のお話も」
「それで漢詩でも楊貴妃さんは詠われていて」
「有名なのよね」
「李白も詠っているよ」
唐代で最も有名な詩人の一人であるこの人もというのです。
「それで残っているんだ」
「それで先生はそちらも学んだんだね」
「李白さんの詩も」
「そうだね」
「漢詩は実に素晴らしいからね」
それでというのです。
「僕も学ばせてもらってるよ」
「そうだよね」
「それで論文も書いてるしね」
「漢詩のそれも」
「そうしてるしね」
「そうなんだ、それで漢詩でもね」
先生はあらためて言いました。
「楊貴妃さんは詠われているんだ」
「奇麗な人だって」
「その様にだよね」
「詠われてるんだね」
「そうなんだ、それでその楊貴妃さんが好きだったのが」
それがというのです。
「ライチとね」
「桂花陳酒だね」
「そのお酒なのよね」
「まさに」
「そうだよ、中国のお酒は老酒や紹興酒が有名で」
そうしてというのです。
「ライチ酒やアンズ酒も有名だね」
「そのライチもお酒になってるのよね」
「楊貴妃さんが大好きだった果物のお酒も」
「そうなのよね」
「中国はお酒も多いね」
「それで桂花陳酒もなんだよね」
このお酒もというのです。
「これが」
「そうだよね」
「じゃあその桂花陳酒を買って」
「お家に帰って飲むんだね」
「そうするのね」
「そうしよう、焼売か肉まんを肴にしてね」
そのうえでというのです。
「楽しもうかな」
「いいね」
「じゃあそうしよう」
「そうしたものもここで買って」
「それで夜にお家で飲もうね」
「そうしようね」
先生は笑顔で応えて今度はお家で食べる為の焼売や肉まんを買いました。そして桂花陳酒も買おうとしましたが。
ここで、です。皆は先生に言いました。
「一本余分に買おう」
「そうしよう」
「それでその一本は日笠さんにプレゼントしよう」
「そうしたらいいわ」
「あっ、そうだね」
先生も言われて頷きました。
「日笠さんともお付き合いがあるからね」
「そうそう」
「日笠さんも喜んでくれるし」
「是非そうしよう」
「それでプレゼントしよう」
「日笠さんも僕の大切なお友達だよ」
先生は笑顔でこうも言いました。
「だからだね」
「ああ、違うよ」
「そこは違うから」
「そう言うと思ったけれど」
「先生、そこは本当に違うから」
「いい加減わかってね」
「あれっ、どう違うのかな」
先生は皆の言葉にきょとんとなって応えました。
「一体」
「だから、それがわからないからね」
「先生は駄目なんだよ」
「こうしたことについては」
「本当に駄目過ぎるわ」
「どうしようもない位にね」
「ううん、皆何を言っているのかな」
先生はどうかというお顔でこうも言いました。
「僕にはわからないよ」
「それがわかるのといいんだけれどね」
「まあそこはこれからだよ」
「ずっとこんな調子だけれど」
「それでもね」
「これからだね」
「こちらのことは」
皆はもうわかっているという感じで先生に応えます。
「これでも前より進んでるし」
「少しでもね」
「それじゃあね」
「このままいけばいいよ」
「とりあえず日笠さんに一本プレゼントしてね」
「そうしてね」
「そうするよ、実はあの人もお酒が好きらしくて」
日笠さんのこうしたことは先生もご存知です。
「それで色々飲まれるらしいからね」
「桂花陳酒もだよね」
「お好きでね」
「飲んでくれるね」
「きっとね、兎に角プレゼントは相手の人が喜んでくれること」
このことがというのです。
「大事なことはね」
「そうだよね」
「その通りだよね」
「プレゼントはね」
「ご夫婦もそうだし」
「日笠さんにしてもね」
「だからね」
その為にというのです。
「僕も日笠さんにはね」
「桂花陳酒だね」
「それをプレゼントするね」
「そうするんだね」
「皆が言ってくれたってね」
先生はにこりとして言いました。
「日笠さんにはお話するよ」
「それはいいから」
「先生が選んだって言えばいいから」
「僕達のことは言わなくていいよ」
「というか言わないでね」
「いやいや、皆が言ったから」
だからだとです、先生は自分達はいいと言う皆に答えました。そこには純粋な誠実さがありました。
「だからだよ」
「そうしたことは正直に言う」
「誰のアドバイスか」
「そうした気遣いも必要」
「そう言うんだよね」
「それが人として正しいと思うから」
だからだというのです。
「僕はそうするよ」
「そんなのいいのに」
「本当に先生はいい人でね」
「気配りもしてくれるけれど」
「こうした時はいいのに」
「そうしたことは言わなくても」
「言わないと駄目だよ」
またこう言う先生でした。
「本当にね」
「いや、だからね」
「本当にそうしたことはいいよ」
「先生一人の手柄にしたらいいのに」
「僕達のことは構わないで」
「皆のアドバイスなら皆の功績だよ」
先生は満面の笑顔で言いました。
「それならだよ」
「やれやれだね」
「これでも前進してるけれど」
「これじゃあね」
「中々ね」
「先は長いってね」
「思わざるを得ないわ」
皆は先生とは真逆にやれやれとなっています、ですがそれでもです。
先生は桂花陳酒のボトルを一本多く買いました、そのうえでお家に帰りました。そして晩ご飯を食べる時にトミーにお話しますと。
トミーもです、先生に言いました。
「僕も同じ考えですよ」
「皆とだね」
「はい、本当に」
鮭のムニエルと舞茸やシメジ、エリンギを切って炒めたもの、それにお野菜をたっぷり入れたポタージュとご飯を食べつつ言いました。
「そこは先生がです」
「選んだってなんだ」
「日笠さんにお話して」
そうしてというのです。
「プレゼントすべきです」
「そうなんだ」
「そう、それでです」
そのうえでというのです。
「日笠さんに喜んでもらうべきです」
「僕一人がかな」
「それがいいです」
「ううん、それは出来ないね」
先生はお箸で奇麗に鮭を切って摘んでお口の中に入れつつ言いました。
「やっぱり」
「先生としてはですね」
「だって事実だからね」
皆のアドバイスがあったことはというのです。
「だからね」
「その事実は隠したら駄目ですか」
「皆が善意でしてくれたことなら」
それならというのです。
「もうね」
「それをなかったことにはですね」
「したらね」
「駄目なんですね」
「だからね」
それでというのです。
「僕はね」
「それはしないですね」
「絶対にね」
何があってもというのです。
「しないよ」
「そうですか」
「だからね」
「日笠さんにはですね」
「お話するよ」
プレゼントのことはというのです。
「皆からのアドバイスからだって」
「どうしてもですね」
「皆の好意と善意を隠してはいけないよ」
絶対にというのです。
「本当にね」
「だからいいのに」
「僕達がそう言ってるのに」
「先生の手柄にすればいいのに」
「そこでそうしないから」
「絶対に」
「だからそうしたことはね」
どうしてもというのです。
「僕としてはね」
「嫌なんだよね」
「人の功績を隠すことは」
「まして自分だけがいいとか」
「そうしたことはしないね」
「そうだよ、だから日笠さんにもお話するよ」
絶対にというのです。
「そうね」
「そこまで言うならね」
「いつも通りそうしてね」
「僕達としては残念だけれど」
「確かにいいことだし」
「先生の長所でもあるしね」
「お話するよ」
先生は皆に笑顔で言いました、そうしてです。
実際に日笠さんに桂花陳酒をプレゼントする時に皆がアドバイスしてくれてのことだとお話しました。皆はそんな先生に困った笑顔になりましたが先生はにこにことしていました。そしてそんな先生を見て日笠さんも笑顔になりました。