『ドリトル先生とめでたい幽霊』




                第十幕  織田作さんの文学

 先生は皆と一緒にこの日も大阪のフィールドワークを行っていました、今回は道頓堀にいてでした。
 食いだおれのおじさんの人形を見て皆に言いました。
「やっぱり大阪に来るとね」
「この人形だよね」
「この人形見たいとね」
「どうしても大阪に来た漢字しないよね」
「どうしても」
「うん、だからね」
 それでというのです。
「この前も見たけれど」
「それでもね」
「見る機会あったら見ないとね」
「大阪にはこれがないと」
「本当にね」
「うん、そしてね」
 それでというのです。
「この道頓堀だとね」
「エイリアンもいて」
「そして蟹だね」
「河豚もあって」
「そうした場所だよね」
「そう、そして今日のお昼は」
 先生はこちらのお話もしました。
「蟹道楽だよ」
「あっ、遂にだね」
「遂に蟹食べるんだね」
「何時か何時かと思っていたけれど」
「これからなのね」
「これまで大阪名物を色々食べてきてね」
 今回の織田作さんについての論文を書くフィールドワークの中で、です。
「そしてね」
「いよいよだね」
「蟹を食べるんだね」
「そうするんだね」
「これから」
「そうだよ、皆で食べようね」
 笑顔で言って実際にでした。
 先生は皆をそのお店に案内しました、そして蟹鍋を代表とする蟹料理を食べます。ここでなのでした。
 先生は皆にです、甲羅から蟹のお肉を出して食べつつ言いました。
「そういえばイギリスでもね」
「うん、蟹料理弱いよね」
「ロブスターは食べても」
「こうした感じじゃなくてね」
「何ていうか」
「イギリスがよく言われるけれど」
「そう、弱いんだよね」
 蟹料理はというのです。
「どうしてもね」
「そうだよね」
「イギリス料理はある意味で評判だけれど」
「海の幸はとりわけだよね」
「スーパーでも魚介類のコーナー狭いし」
「蟹だってなんだよね」
「そう、蟹もね」
 どうしてもというのです。
「あまりなんだよね」
「それは否定出来ないから」
「こうして蟹料理ってね」
「食べる機会ないよね」
「うん、だからね」
 それでというのです。
「こうして食べるだけでね」
「嬉しいよね」
「本当に」
「それで大阪なんてね」
「こうだからね」
「蟹も美味しいからね」
「CMでもだからね」
 笑顔で言う先生でした。
「言ってるしね」
「あのCMもいいよね」
「まさにそうした蟹を食べる」
「そうして食べてみると」
「物凄く美味しいよ」
「全くだよ、蟹は美味しいよ。特に」
 ここで、でした。先生は。
 蟹みそを食べてこう言いました。
「この蟹みそがね」
「あっ、そこが特にだよね」
「蟹って美味しいよね」
「卵と並んでね」
「そうよね」
「だからね」
 それでというのです。
「蟹みそを楽しむよ」
「うん、それじゃあね」
「蟹みそも食べよう」
「実際に美味しいしね」
「蟹を食べて」 
 先生は今度はお酒を飲みました、日本酒ですが。
 その日本酒を飲んでこうも言いました。
「お酒も飲んで」
「最高の組み合わせだね」
「日本にいるとね」
「こうした楽しみも出来るからね」
「やっぱり日本はいい国で」
「大阪は最高の街だね」
「うん、じゃあ次はあの場所に行こうね」
 お酒も飲みつつです、先生は皆と一緒に蟹を満喫してです。
 今度は道頓堀の橋のところに来ました、傍にグリコの広告が見えるあの橋です。その橋のところに来てです。
 先生は皆に笑顔で言いました。
「この橋は言うまでもないね」
「そうそう、法善寺横丁に行く時も通るしね」
「大阪に行くとよく通るしね」
「大阪の橋は多いけれど」
「一番有名な橋かもね」
「そしてね」
 先生はさらに言いました。
「ここは阪神が優勝すると」
「そうそう、皆飛び込むよね」
「阪神が優勝したら」
「その時はね」
「というかね」
 ここでガブガブが橋の下を見下ろして言いました。
「ここに飛び込むってね」
「衛生的に問題あるよ」
「どう見てもね」
 オシツオサレツも橋の下を見ています。
「かなり汚いね」
「ここに飛び込むと」
「確かだれだよね」 
 ホワイティも言います。
「昭和六十年の優勝の時からそうしているんだよね」
「それまでしてなかったんだよね」
「そうみたいね」
 チープサイドの家族も橋の下を見ています、そのうえでの言葉です。
「昭和三十七年と三十九年の時は」
「一度もね」
「あの時の優勝は凄く盛り上がっていて」 
 トートーが言います。
「それで喜びのあまりだね」
「ここに飛び込んで」
 そしてとです、老馬は言いました。
「はじまったんだね」
「あの時は日本一になったからね」 
 ポリネシアはこのことを言いました。
「余計に凄かったんだね」
「いや、あの日本一は伝説だよね」
 ジップは嬉しそうに言います。
「僕達も知っている位だし」
「日本の歴史に乗る位だし」
 チーチーも何処か嬉しそうです。
「凄かったんだね」
「それで皆あまりにも嬉しくて」
 ダブダブも橋の下を見ています。
「フィーバーして飛び込んだんだね」
「そうだよ、それから阪神が優勝したら」 
 先生も言いました。
「皆ここに飛び込む様になったんだよ」
「二十一年振りの優勝で」
「二リーグ制になってからはじめての日本一だったし」
「余計に嬉しくて」
「そうしたんだね」
「そうだよ、阪神はね」 
 先生はこのチームのお話もしました。
「本拠地は西宮でね」
「大阪じゃない」
「そうなんだけれどね」
「阪神は大阪のチームになってるね」
「一時期ユニフォームに大阪って書いてあったし」
「そうだよ、そしてね」
 それでというのです。
「今はもう完全にね」
「大阪のチームになっているね」
「ひいては関西全体のチームだね」
「それが阪神だね」
「日本に来て驚いたよ」
 先生はこうも言いました。
「こんなスポーツチームがあるんだって」
「阪神は強いかっていうとね」
「決してそうじゃないのよね」
「今じゃ毎年日本一になってるけれど」
「十二球団最強の投手陣とダイナマイト打線があってね」
「凄く強いけれど」
「あの優勝だって二十一年振りだよ」
 そうであってというのです。
「そうだったね」
「それまでもね」
「昭和三十七年と三十九年までね」
「二リーグ制になってから優勝してなかったし」
「ずっとね」
「阪神の歴史は色々なことがあって」   
 それでというのです。
「その中で色々あったけれどね」
「優勝した数は少なかったね」
「二リーグ制になってずっとその二回だけで」
「それであの時が二十一年振り」
「そうだったね」
「そうだったよ、そして日本一になったけれど」
 昭和六十年のその時もです。
「それからもだったね」
「というかそこからが凄かったね」
「二年後に最下位になって」
「もう滅茶苦茶弱くて」
「どうしようもなかったね」
「阪神は」
「星野さんが監督になるまで」
 まさにその時までというのです。
「どうしようもなかったね」
「僕達はこの目で見ていないけれどね」
「阪神のその時代は」
「暗黒時代と言われているけれど」
「その頃のことは」
「そうだよ、暗黒時代のことはね」 
 本当にというのです。
「阪神ファンというか野球ファンの間で今も語り草だけれどね」
「滅茶苦茶弱くて」
「特に打線が打たなくて」
「阪神って投手陣は伝統的にいいのに」
「打線が、だったからね」
「その打たなさは凄くてね」
 それでというのです。
「折角先発と中継ぎ、抑えが揃っているのに」
「それでもだよね」
「兎に角打たない」
「それで阪神は弱くて」
「暗黒時代だったね」
「そうだよ、打たないのをどうするか」 
 このことがというのです。
「阪神の課題だったけれど」
「今じゃ凄いよね」
「今シーズンも阪神首位だけれど」
「チーム防御率十二球団一でね」
「打線も好調」
「強くなったよ」
「弱点を補強したり克服すれば」
 そうすればというのです。
「強くなるんだよ」
「スポーツのチームもそうで」
「阪神にしてもそうよね」
「打線が弱いなら打線を強くすればいい」
「そうすればいいね」
「そうだよ、それを為したから」
 だからだというのです。
「阪神は強くなってね」
「今は黄金時代だね」
「若手の育成もよくなっているしね」
「打線の方も」
「阪神はピッチャーの育成はいいんだ」
 こちらはというのです。
「何時でも先発か中継ぎ抑えが揃うのを見てもね」
「あれ凄いよね」
「弱い頃でも揃っているのよね」
「特に中継ぎの充実なんて」
「そこが弱い時代なんてなかったんじゃないかな」
「抑えもいつもいてくれるしね」
 最後の九回を投げる人もというのです。
「それを見たらね」
「うん、先発もいつも揃っているし」
「阪神はピッチャーの育成いいね」
「そのことは確かだね」
「どう見ても」
「そう、けれどね」
 それでもというのです。
「幾ら投手陣がよくてもね」
「打たないとね」
「野球はピッチャーだけじゃないから」
「打つスポーツでもあるから」
「打ってくれないと」
「もっと言えば走って守れないとね」
「実は守備も伝統的にね」
 阪神はこちらもというのです。
「あまり、だったしね」
「折角ピッチャーが抑えてもね」
「エラーしたり凡打がヒットになったり」
「的確なアウトを取れないとね」
「その分失点につながるしね」 
 だからだというのです。
「問題だよ」
「そうよね」
「その場合もね」
「どうしても」
「それでだね」
「阪神は今一つ勝てなかったんだね」
「そうだよ、けれど打線を強くして守備もそうしたから」
 阪神はそうしたからというのです。
「今の強さだよ」
「星野さんが来てからね」
「見事にそうなったね」
「阪神は生まれ変わったわ」
「最強のプロ野球チームになったよ」
「文字通りの猛虎になったんだ」
 先生は道頓堀の先の方を見て言いました、繁華街が左右にあるお堀に橋が見えなくなる先まで連なっています。
「今はね」
「いいことだね」
「阪神が勝てば大阪そして関西が元気になるよ」
「ひいては日本全体が」
「今や全国区の人気チームだし」
「そうなるね」
「うん、そして巨人はね」 
 全世界の邪悪を一身に集めたかの様なこの忌まわしいチームはというのです。
「今ではね」
「お金に任せて補強ばかりして」
「育成も設備投資も怠って」
「技術のノウハウも完全に失って」
「お金がなくなったから」
 だからだというのです。
「今や毎年最下位」
「オンボロの球場でやる気のない選手ばかりで」
「百敗しないシーズンはなくて」
「防御率七点台で打率は二割そこそこ」
「エラーは年二百」
「物凄く弱くなったよ」
「ああなってはいけないよ」 
 今の巨人の様にというのです。
「まさに巨人は反面教師だよ」
「本当にそうよね」
「補強ばかりで強くならないね」
「他チームから選手を掠め取ったりばかりだと」
「お金がなくなってそれが出来なくなったら」
「ああなるのよね」
「そう、今じゃ人気も最下位だしね」 
 阪神と違ってです。
「本拠地の一塁側でもビジターの三塁側でもガラガラだね」
「そうだよね」
「あれこそ凋落だよね」
「悪いことばかりしているとああなる」
「まともな野球をしていないとね」
「人間普通の努力をしていないとああなるよ」 
 先生は皆にこうも言いました。
「巨人の様にね」
「その癖不祥事ばかり多くて」
「ダーティーなカラーだけ定着して」
「誰も巨人が球界の紳士とか思わないね」
「最早日本の邪悪の象徴」
「そうも言われているよ」
 皆もこう言います。
「戦後の日本で何であんなチームが持て囃されたか」
「考えないと駄目だよね」
「あんなどうしようもないチームが人気あったか」
「悪いことばかりしていたのに」
「そうだね、太宰治の話もしたけれど」
 先生は織田作さんのお友達だったこの人のお話もしました。
「あの人ももっと生きていたら巨人を嫌っていた筈だよ」
「そうした倫理観もあったのね」
「太宰治って人は」
「そうだったんだね」
「そうなんだ、太宰は卑怯じゃなかったんだ」
 そうした人だったというのです。
「確かに心中とかして生き方もいい加減だったと批判する人もいるけれど」
「それでもだね」
「卑怯じゃなかったんだね」
「そうだったんだね」
「だから第二次世界大戦でもしっかり言ったんだ」
 そうだったというのです。
「親が負けるとわかっている戦争に行くのについて行かない子供がいるが」
「親が日本だね」
「日本という国だね」
「そうだね」
「そう言っていて戦後急に戦争反対だったと言った人を嫌ったし皇室についてもね」
 この方々についてもというのです。
「天皇万歳と率直にね」
「言ったんだ」102
「終戦直後に」
「そうしたのね」
「若い頃は共産主義に傾いたけれど」
 それでもというのです。
「考えを変えてね」
「そう言ったんだ」
「何でもその頃急に共産主義が力を持っていたそうだけれど」
「その中に」
「中には議論している相手に革命が起こったら君の首に縄がかかるぞって恫喝した人もいたよ」
 そうした人もいたというのです。
「羽仁五郎って学者だったけれどね」
「酷いこと言うね」
「本当にね」
「これはないね」
「恫喝じゃない」
「完全に」
「全くだよ、けれど太宰はね」
 この人はというのです。
「そんなことを言わないで」
「そう言ったんだね」
「そんなご時世に」
「そう思うとね」
「太宰は卑怯じゃなかったね」
「あの人は」
「そんな中で太宰はそうした人達を嫌って」
 そうしてというのです。
「既存の文学もだったんだ」
「批判していたんだ」
「そうだったんだね」
「終戦直後のそうしたものを見て」
「そうした人達を見て」
「それでだったんだ」
「うん、織田作さんはまた違ったけれど」
 太宰治という人はというのです。
「そうだったんだよ」
「成程ね」
「作家さんの考えにも色々あるんだね」
「何かと」
「そうなんだね」
「そうだよ、ただ織田作さんはそうしたものを見たけれど」
 太宰と同じくというのです。
「太宰とは別の考えで批判していたね」
「既存の文学を」
「そうだったんだ」
「志賀直哉にしても」
「志賀直哉とは全く違っていたんだ」
 織田作さんはそうだったというのです。
「元々ね。織田作さんは大阪の市井の人だったけれど」
「志賀直哉はどうだったの?」
「この人は」
「何か凄い存在だったみたいだけれど」
「当時は」
「この人は仙台藩の家老の家に生まれてね」 
 そうしてというのです。
「学習院も出ているんだ」
「生まれがよかったんだ」
「武士のそれも身分の高い家の人で」
「育ちもよかったんだ」
「うん、武士の家に生まれて東京で育ってね」
 それが志賀直哉という人だというのです。
「兵隊さんにもなってるよ」
「あっ、織田作さんの作品って兵隊さん出ないね」
「織田作さんは軍隊とは関係なかったんだ」
「そうだったの」
「当時は徴兵制度があったけれど」
 戦前はそうだったというのです。
「これは体格がよくて健康で品行方正でないと合格しなかったんだ」
「厳しいね」
「誰でも無理にさせられたんじゃないんだ」
「徴兵っていうと誰でもって思うけれど」
「その実はだったんだ」
「クラスで一人か二人位しか合格しなくてね」
 それでというのです。
「なれる方が凄かったんだ」
「それで志賀直哉は兵隊さんになったんだ」
「徴兵に合格して」
「体格がよくて健康で」
「しかも品行方正だったんだね」
「すぐに耳が悪いからって除隊させられたけれどね」
 それでもというのです。
「その時の写真が結構残ってるよ」
「身分の高い武士の家の人で学習院みたいなところも出ていて」
「兵隊さんにもなっている」
「それで東京で育った」
「本当に織田作さんと違うね」
「実際にお家は裕福だったしね」 
 先生は志賀直哉のことをさらにお話していきます。
「強さが文学に出ていると言われてるよ」
「じゃあ全然違うね」
「織田作さんとはね」
「織田作さんの作品って強い人出ないね、聞いてると」
「悪いこともしたり彷徨ったり」
「そうしているから」
「完全に個性が違ったから」 
 だからだというのです。
「本質的にね」
「合わなかったんだね」
「織田作さんと志賀直哉は」
「そうだったんだね」
「そのこともあったし織田作さんも既存の文学に限界があると見ていて」 
 そうしてというのです。
「それでね」
「織田作さんも既存の文学を批判して」
「それで志賀直哉も批判して」
「そのうえで書いていたんだね」
「そうだよ、坂口安吾は生来の反発心やアウトロー的なところが強くて」 
 この人はそうで、というのです。
「太宰は芥川が背景にあったけれどね」
「確か太宰も凄いお金持ちの家だよね」
「青森の津軽の方のね」
「そうだったよね」
「この人も」
「そう、そのことも大きいし文学ではね」
 先生は皆にまさにとお話しました。
「お師匠さんにあたる井伏鱒二のこともあったけれど」
「芥川なんだ」
「その人の影響が大きいんだ」
「何といっても」
「太宰にとっては絶対の人だったんだ」
 芥川という人はというのです。
「それでそのことからもね」
「志賀直哉を批判したんだ」
「芥川の文学があったから」
「太宰の中に」
「太宰は芥川を終生敬愛していてね」
 そうしてというのです。
「批判をしたことはないよ」
「そこまでの存在だったんだね」
「太宰にとって芥川は」
「そこが織田作さんと違う」
「そうなのね」
「そうだよ、織田作さんはね」
 道頓堀を見つつ言うのでした。
「太宰とはまた違う」
「そうした無頼だね」
「同じ無頼派の作家でも」
「また違うんだね」
「そうだよ、そしてね」
 それでというのです。
「織田作さんはここも歩いていたんだね」
「この道頓堀も」
「自由軒やいずも屋から夫婦善哉に行くにはここを通るから」
「だからだね」
「ここを通っていたのよね」
「織田作さんも」
「かつてね、そのことを思いながら」
 そうしてというのです。
「今日も法善寺横丁に行こうね」
「それじゃあね」
「そっちに行こうね」
「今から」
「そして夫婦善哉も食べて」
「織田作さんも楽しもう」
「そうしようね」
 笑顔でこうお話してでした。
 先生は皆と一緒に法善寺横丁にも行ってでした。
 そのうえで夫婦善哉で善哉を食べますが皆温かくて甘い善哉を食べてほっこりとなって言いました。
「優しい甘さだね」
「本当にね」
「善哉の甘さっていいよね」
「温かくて包み込まれるみたいで」
「本当にいいよ」
「作品でも出ていたし織田作さんも通っていて」 
 先生は笑顔で食べつつお話しました。
「奥さんともだったんだろうね」
「そうそう、織田作さん結婚していたわね」
 ここで言ったのはポリネシアでした。
「あの人は」
「学生時代に知り合ってね」 
 トートーも言いました。
「一緒なったんだったね」
「結婚するまで色々あったんだったね」
「そうそう、奥さんが結婚する前危ない人に迫られていたか何かで」
 チープサイドの家族も言います。
「そしてね」
「揉めて一緒になったんだね」
「それで愛妻家だったのよね」
 ガブガブはこのことをお話しました。
「そうだったわね」
「それじゃあだね」
 ここで言ったのはジップでした。
「奥さんとここに来たんだね」
「それで夫婦善哉を食べていたんだ」
 ホワイティは感慨を込めて言いました。
「そうだったんだ」
「若しかしてこの席に座っていたのかな」
 こう考えたのはチーチーです。
「そうだったのかな」
「少なくともこのお店に奥さんと一緒に来ていたのは間違いないね」
「そうだね」 
 オシツオサレツはこのことは絶対だと思いました。
「夫婦で大阪の街を歩いて」
「それでここに来たんだね」
「夫婦善哉の二人みたいに」
 老馬も言いました。
「そうしていたんだね」
「そう思うと余計に思うところがあるね」
 ダブダブもそうした目になっています。
「本当に」
「うん、ちなみに夫婦善哉のヒロインは実は織田作さんのお姉さんなんだよ」
 先生は皆に微笑んでお話しました。
「そうだったんだ」
「あれっ、奥さんじゃないんだ」
「お姉さんだったんだ」
「そうだったの?」
「そうだよ、織田作さんはお姉さんに可愛がられて育って生きてきたからね」
 だからだというのです。
「お姉さんへの思い入れが強くてね」
「それでなんだ」
「夫婦善哉のヒロインはお姉さんだったんだ」
「奥さんじゃなくて」
「そうだよ、そしてね」 
 そのうえでというのです。
「書いていたんだ、外見や性格もね」
「お姉さんなんだ」
「あのヒロインは」
「そうだったんだ」
「旦那さんの実家のお婿さんは織田作さんの実家のお姉さんの旦那さんみたいだけれどね」
 この人のお話もしました。
「旦那さんの妹婿のね」
「設定は変えてるね」
「それも面白い具合に」
「そうして書いていたんだね」
「どうもお姉さんの奥さんとは折り合いが悪くて」
 それでというのです。
「いい印象を持っていなくて」
「それでなんだ」
「旦那さんの実家のお婿さんもだね」
「いい人じゃないんだね」
「そうなのね」
「そうなんだ、融通の利かない頑固な人としてね」
 そうした人としてというのです。
「出ているよ」
「あまりいい人じゃなくて」
「そうした人として出て」
「それでなんだ」
「作品の中じゃよく書かれていないんだ」
「そうなんだ、それにね」 
 先生はさらにお話しました。
「旦那さんはどうもね」
「ああ、織田作さん」
「織田作さん自身なんだ」
「そうなんだ」
「そんな節があるね、結核にもなっているし」
 このこともあってというのです。
「僕が思うにね、そして織田作さんは奥さんも書いているよ」
「若しかして競馬?」
「競馬のお話聞いてそう思ったけれど」
「そうだったの?」
「奥さんは」
「そうみたいだよ、愛妻家だったから」
 その為にというのです。
「奥さんをずっと覚えていてね」
「作品にも出していたんだ」
「お姉さんだけでなくて」
「奥さんも出していたんだ」
「織田作さんは」
「うん、織田作さんはね」
 善哉を食べつつさらにお話しました。
「大阪の人を書いていたけれど」
「男性ばかりじゃない」
「女性もだね」
「大阪の色々な人を書いていたんだね」
「あの人は」
「そうだよ、中には四十で孫が出来た人もいるよ」
 織田作さんの作品の中にはというのです。
「息子さんが主人公でやっぱり流れ流れてね」
「彷徨って」
「そうしてだね」
「息子さんが結婚して子供が出来て」
「そのうえで」
「そうなったんだ、男の人も女の人も彷徨って間違いもして」
 そしてというのです。
「最後はこのお店で善哉を食べる様に」
「落ち着くんだね」
「ある場所に」
「そうなるんだね」
「流れ流れて仮寝の宿にっていうけれど」
 先生はこうも言いました。
「その仮寝の宿がね」
「居場所になるんだね」
「それぞれの人の」
「そしてそこに落ち着いて」
「それで暮らすんだね」
「そうだよ、ただそうなるにも」 
 流れていってある場所に落ち着くにもというのです。
「それなりの人間性が必要だよ」
「だらしなくて間違いを犯しても」
「それでもなんだ」
「それなりの人間性が必要なのね」
「うん、若し完全に自分しかなくて怠け者で思いやりも恩義も感謝も努力もしなくて尊大で図々しくて厚かましくて不平不満だけですぐに怒って愛嬌もない人なら」
 そうした人ならというのです。
「落ち着ける場所なんてね」
「ないんだ」
「そうした人はどうしようもないの」
「聞いてる限り最低だけれど」
「そんな人は」
「落ち着く場所は自分が見付けるし」
 そうしてというのです。
「周りの人もいていいとなるけれど」
「そんな人だとね」
「いて欲しくないからね、誰も」
「だから落ち着く場所もない」
「流れるままなんだ」
「そうなるよ、だから織田作さんの作品の登場人物も」
 この人達もというのです。
「だらしなくて間違いもしてだけれど」
「それなりの人間性があるんだ」
「お世辞にもって人達でも」
「それでも」
「人間臭くて愛嬌もあるんだ」
 そうだというのです。
「等身大でね」
「そんな偉そうでもない」
「その人なりに生きている」
「そうした努力をしていて」
「恩義も感謝もしているんだね」
「そうだよ、間違っても奥さんと別れて」
 そうなってというのです。
「働かないでもずっとお料理も作ってくれていたのにそのお料理に文句ばかり言ってね」
「今先生が言った人だね」
「織田作さんの作品にも出ないね」
「そんな人だね」
「そうだよ、しかも奥さんが出て爪切りまで持って行ったとか」
 そうしたというのです。
「言う人はどうしようもないよ」
「織田作さんの作品でも出ない」
「落ち着ける場所もない」
「そんな人だね」
「だから落ち着く場所にいられるにも」
 織田作さんの作品の人達の様にです。
「ある程度の人間性が必要なんだ」
「幾らだらしなくて間違えても」
「お金や女の人にだらしなくても」
「仕事をすぐに辞めても」
「裏切りをしても」
「それでもだよ、そこにうしろめたさも感じているし」
 間違ったことをしてです。
「そんな、ね」
「奥さんにお世話になっていて別れて」
「爪切りまで持って行ったじゃね」
「爪切りまでお世話になっていて」
「そのことに感謝しないでそれを言う位器が小さくて」
「爪切りさえどうにもならない甲斐性なしで」
「それを人に言う無神経さじゃね」
 皆もそれはと言います。
「どうしようもないね」
「そんな人は」
「何をしても」
「それでもね」
「どうしようもなよ、けれどね」 
 それでもというのです。
「織田作さんの登場人物は」
「そこまで酷くない」
「ある程度で収まっていて」
「それで最後は助かるんだね」
「落ち着くべき場所があって」
「奈落に落ちる人はいないよ」
 そうだというのです。
「滅多にね」
「奈落に落ちないことにもそれなりの人間性が必要だね」
「助かるにも」
「落ち着く場所が見付かって」
「そこに受け入れてもらえるにも」
「そうだよ、六白金星という作品でも」 
 そこでもというのです。
「色々あった兄弟、弟さんが主人公でも」
「助かるんだ」
「そうなんだ」
「最後は弟さんが自分を受け入れて」 
 そうしてというのです。
「お兄さんを飲みに誘って二人で行くところでね」
「終わるんだ」
「何かその終わり方いいね」
「聞いていると」
「決して悪くないわね」
「温かい終わり方だね」
「そうだね、本当に織田作さんの作品の人達は褒められた人が少ないけれど」
 それでもというのです。
「憎めなくて一方的に批判出来ない」
「自分もそうかも知れない」
「そう思うところもあって」
「否定出来ないんだ」
「そして憎めない」
「そうした人達でね、だからこそね」
 先生の言うある程度の人間性があってというのです。
「助かるんだ」
「成程ね」
「助かるにもそれなりの人間性が必要ってことだね」
「例え悪いことをして酷いことをしても」
「それでも」
「世俗的でその垢に塗れていて」 
 大阪の街の中でというのです。
「読んでいてこれは駄目だとかやれやれとかしょうがないと思って」
「そうして読んでいくんだね」
「その人達の流れる様を」
「間違えて人を裏切って」
「転々としていく中を」
「一つの家で一つの職場で一つの家族で一生を過ごす」 
 そうしたことはというのです。
「織田作さんにはないよ、それは志賀直哉になるから」
「まさに町人と武士?」
「その違い出てる?」
「道頓堀で志賀直哉のお話もしたけれど」
「そうなる?」
「そこも正反対だね、けれど最低じゃないんだ」
 このことはと言うのです。
「誰からも見捨てられる様な人かっていうと」
「決して違っていて」
「何処か憎めなくて」
「愛嬌もあって」
「放ってもおかれないんだ」
「そうした人達なんだよ、しかし本当にね」
 先生は二杯目の善哉を食べながらお話しました、このお店の二杯同時の善哉の二杯目をそうしています。
「今言った人になると」
「織田作さんの作品にも出ない」
「どうしようもない人だね」
「最低と言っても差し支えない」
「救われない人ね」
「落ち着く場所もない」
「そして最後は奈落に落ちるんだ」
 そうなるというのです。
「そんな人はね」
「世の中そんな人もいるんだね」
「何か悪い見本だね」
「自分自身はどう思っていても」
「それじゃあ」
「そんな人が自分はこの世で一番偉いと思っているんだ」
 先生は皆にお話しました。
「根拠なくね」
「いや、どうしてそうなるの?」
「聞いてる限りじゃ最低だけれど」
「恩知らずで器が小さくて無神経で」
「そんな人の何が偉いの?」
「聞いていたら何もないし」
「自分を全く知らないからだよ」
 それ故にというのです。
「そして世の中もね」
「だからそう思えるんだ」
「自分が一番偉いって」
「そんな風に思えるんだ」
「そうだよ、本当にこんな人はね」
 どうにもというのです。
「救われないよ」
「そうなったら終わりだけれど」
「織田作さんでも書かなかった」
「何の愛嬌も見るところもない人は」
「落ち着く場所も見付からないんだ」
「周りに嫌われていられなくなって去り続けてね」 
 そうなってというのです。
「最後は今言った通りだよ」
「奈落ね」
「そこに落ちるよ」
「そうなるんだね」
「あまりにもどうしようもないと」
「そうした場所にも辿り着けなくて」
「落ちるだけだよ、そこまではね」
 流石にとです、先生は言いました。
「なったら駄目だね」
「全くだね」
「人間としてね」
「織田作さんの作品の人達も褒められた人は少ないけれど」
「もうそこまでいくとね」
「どうしようもないね」
「こうした人はずるいだけでね」
 それでというのです。
「悪い意味で要領はいいけれど」
「努力しないから」
「進歩しないし」
「しかも不平不満ばかりで」
「何もないしね」
「そう、偉そうにしていてもね」
 先生はそれでもと言うのでした。
「何もない人だから」
「それじゃあ何も出来ないよね」
「偉そうに言っても」
「実は何も出来ない」
「それで不平不満ばかりだとね」
「嫌われて」
「居場所なんてなくて奈落に落ちて」
 そうしてというのです。
「織田作さんの作品どころじゃないよ」
「そうなりたいね、僕達も」
「流石にね」
「やっぱり最後は救われたいね」
「何かあっても」
「僕もだよ、仮寝の宿にまで文句を言ったら」
 その時はといいますと。
「その仮寝の宿もなくすよ」
「そうなりたくないね」
「本当にそうね」
「そうなるよりもね」
「やっぱり落ち着きたいね」
「そうだね」
 先生もその通りだと頷きました、そのうえで善哉を楽しみました。その善哉には仮寝の宿の優しさがありました。








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