『ドリトル先生とめでたい幽霊』




                第八幕  ごぼ天

 先生はこの日は皆を連れて天下茶屋に来ていました、南海本線の駅から結構歩いて中学校と小学校の前を歩いてです。
 もう一つの駅のところにある商店街に来ましたが。
 そこの天麩羅屋さんに行って皆にお話しました。
「これもだよ」
「そうそう、天麩羅なんだよね」
「大阪にはこうした天麩羅もあるんだよね」
「魚のお肉を練ってね」
「それで揚げた」
「大阪は前に海があるからね」
 先生はお店の前で注文したものが出来るのを立って待ちながら皆にお話します、見れば目の前で揚げられています。
「だから魚介類も豊富だね」
「そうだよね」
「だから昆布もあるしね」
「それでだしにも使うし」
「それでだよ」
 このことがあってというのです。
「こうしてなんだ」
「お魚を練って蒲鉾みたいにした天麩羅もあるんだね」
「はんぺんみたいなのが」
「生姜もあるし」
「こちらの天麩羅も美味しいんだよね」
「そしてこの天麩羅はね」 
 皆にさらにお話します。
「織田作さんの作品にも出ているよ」
「あれっ、そうだった?」
「カレーとか善哉とか関東煮は知ってるけれど」
「先生も行ってたけれど」
「鰻丼のことも」
「けれどこの天麩羅もなんだ」
「そうなんだ、夫婦善哉の最初にね」
 まさにこの場面にというのです。
「ヒロインのお父さんがこの天麩羅を焼いていてね」
「そうだったんだ」
「まさにこうしたお店をやってたんだ」
「それで焼いて売っていたんだ」
「そうなんだ、年中借金取りが出入りしたと書いてあって」 
 夫婦善哉の最初にです。
「それで焼いていたら買いに来た子供がはよ焼いてくれっていうんだよ」
「大阪弁でだね」
「まさにそれで」
「そうなんだね」
「そうだよ、河内弁でなくてね」
 そうでなくてというのです。
「大阪市の言葉なんだ」
「大阪市?」
「大阪の言葉も色々あるんだ」
「同じ大阪じゃないんだ」
「それが違うんだ」
 夫婦善哉の最初の場面の様にです、先生はごぼ天が焼き上がるのを待ちながらそのうえで皆にお話します。
「これがね」
「へえ、そうだったんだ」
「同じ様だと思っていたら」
「大阪の言葉も色々なのね」
「そうなんだ」
「明治になるまで大阪は三つの国だったね」
 このことからお話しました。
「摂津、河内、和泉の」
「あっ、そうだった」
「昔はそうだったわ」
「大阪は三つの地域に別れていて」
 皆も言います。
「摂津にこの大阪が入っていて」
「河内は八尾の方」
「そして和泉は堺だったね」
「その三つの地域が一つになって大阪府になっていてね」
 それでというのです。
「方言も違うんだよ」
「摂津と河内、和泉で」
「三国それぞれの方言がある」
「そうだったね」
「そうだよ、それでね」
 さらにお話する先生でした。
「織田作さんの作品ではね」
「大阪市の言葉だね」
「摂津の方の」
「それなのね」
「うん、吉本興業だと河内弁だね」 
 この事務所のタレントさん達の言葉はというのです。
「大阪市かというと」
「少し違うんだ」
「摂津の言葉じゃないのね」
「そうなんだね」
「うん、あまり違わないけれど」 
 それでもというのです。
「違うね、松竹芸能の言葉はね」
「摂津?」
「大阪市?」
「そっちなの」
「あちらは歌舞伎も扱っているから」 
 このこともあってというのです。
「だからね」
「上方歌舞伎ってあるしね」
「まさに大坂が舞台の」
「京都のものもあって」
「大坂のものもね」
「それでだよ」
 まさにその為にというのです。
「あちらの事務所はそちらかな」
「そうなのね」
「同じ大阪の事務所でも言葉が違うんだ」
「吉本興業と松竹芸能だと」
「それはそれで」
「あのなんばグランド花月の辺りは織田作さんもよく行ってたよ」
 その吉本興業の場所はです。
「傍にいずも屋もあるしね」
「あっ、確かにね」
「もう目と鼻の先だね」
「織田作さんのあのお店と」
「そうだよね」
「それでよく行っていて吉本興業のタレントさんも見られるけれど」
 ここで、でした。 
 天麩羅が焼き上がりました、先生は早速それを受け取ってです。
 皆と一緒に食べます、そうして言いました。
「織田作さんの頃はあんなに凄い事務所じゃなかったからね」
「織田作さんもあそこに通っていたか」
「それはだね」
「よくわからないんだね」
「うん、ただあの辺りにはよく通っていたよ」
 このことは間違いないというのです。
「あの人もね」
「成程ね」
「このごぼ天は織田作さんの作品に出ていて」
「それで織田作さんの作品の言葉は大阪市の言葉で」
「それで芸能事務所によって言葉も違う」
「摂津、河内、和泉でも」
「そうだよ」 
 こうお話してでした。
 先生は皆とごぼ天や生姜の天麩羅といった練られた天麩羅を食べてそうして商店街の中に入りますと。
 道は細くてしかもです。
 アーケード街の中に沢山のお店が並んでいます、そのお店を見て皆言いました。
「何か凄くない?」
「鶴橋みたいに昔を感じるよ」
「昭和っていうかね」
「その懐かしさを感じるよね」
「そうだよ、ここはそうした場所なんだ」
 先生も笑顔でお話します。
「昭和の大阪がそのまま残っているね」
「そうした場所なんだね」
「昔の趣が残った」
「懐かしささえ感じる」
「そうした場所なのね」
「このお店もそうだね」
 丁度おもちゃ屋の前に来ました、見れば今みたいに洗練された感じではなく本当に昔ながらのおもちゃ屋さんです。
「昭和の感じがするね」
「まるで漫画やドラマに出て来るみたいだよ」
「まさにそのままじゃない」
「これは凄いね」
「昭和の頃からタイムスリップしたみたいよ」
「それで他のお店もだね」
 こちらもというのです。
「そうだね」
「うん、確かに」
「どのお店も昭和からそのままあるみたいだよ」
「道も天井もね」
「懐かしい感じがするわ」
「終戦後出来て高度成長の中で発展していって」
 そうしてというのだ。
「こうなったね」
「まさにその場所だね」
「この商店街も」
「鶴橋と同じで」
「そうなっているんだ」
「そうだよ、それとね」 
 さらにとです、先生はさらにお話しました。
「さっきドラマのお話が出たけれどここは実際にドラマの舞台にもなったよ」
「あっ、そうなんだ」
「ここはそうなんだ」
「ドラマの舞台にもなってるんだ」
「そうだったんだ」
「うん、ふたりっ子という作品でね」
 このドラマでというのです。
「舞台になっているよ」
「成程ね」
「そうしたこともあったんだ」
「そう思うと尚更感慨があるね」
「この商店街も」
「そうだね、じゃあさっきごぼ天を食べたけれど」
 それでもと言う先生でした。
「ここでお昼にしようか」
「それじゃあね」
「今から何か食べよう」
「そうしましょう」
 その長い、結構別れていて入り組んでいる商店街の中で皆も応えました。
「色々なお店があるし」
「何か食べましょう」
「これからね」
「うん、丁度昭和のラーメン屋さんもあるし」
 見れば商店街の中にはそうしたラーメン屋さんがありました、本当に昭和の頃から変わっていない様なお店が。
「ここに入ろうか」
「そして昔ながらの中華料理を食べる」
「昭和のラーメンを」
「そうするのね」
「そうしようね」
 皆に笑顔で言ってでした。
 先生は皆と一緒にラーメン屋さんに入りました、そうしてラーメンや炒飯それに焼き餃子や八宝菜を注文しますと。
 本当に昔ながらの日本の中華料理が出てきました、一緒に頼んだビールも瓶のもので瓶には水滴があります。
 先生はその中華料理を見て笑顔で言いました。
「これが昔ながらの大阪の中華料理だね」
「うわ、日本に来て長いけれど」
「こうした中華料理は中々見たことがないよ」
 オシツオサレツも二つの頭で驚いています。
「日本ってラーメン屋さん多いけれど」
「中華料理屋さんもね」
「けれどこうした中華料理ってね」 
 実はとです、ガブガブも言います。
「私達あまり知らないのよね」
「中華料理屋さんの中華料理ってね」
 ホワイティも言いました。
「もう昔って感じがするね」
「昭和の趣ってね」 
 ジップはこのことから思いました。
「僕達これまであまり触れて来なかったね」
「もう三十年以上昔のことだから」
「私達も中々触れられないわね」
 チープサイドの家族も思いました。
「織田作さんの頃のことも文学で」
「僕達も史跡研修みたいな感じになってるね」
「だからこのラーメンも」
 ポリネシアは縮れた麺と茶色で上に油が浮いているスープを見ました。
「実はあまりね」
「そう、食べる機会がなかったよ」
 トートーははっきりと言いました。
「ラーメン自体は結構あってもね」
「このチャーシューにメンマも」
 チーチーはそういったもの見ています。
「ここまで昔ながらなのはね」
「そうそう見られないね」
 老馬にしてもです。
「今の日本だとね」
「こうしたラーメンって織田作さんの頃からかな」
 ここでダブダブは思いました。
「そうなのかな」
「うん、ラーメンは元々中華そばといったけれど」
 先生は皆にお話しました。
「関東じゃ支那そばと呼んだらしいけれどね」
「支那って中国のことだね」
「確かチャイナがなまってだったね」
「支那って呼んでいたんだね」
「昔の日本だと」
「清が倒れてね」
 王朝だったこの国がです。
「その後は終戦まで公でもだったよ」
「支那と呼んでいて」
「それで差別用語でもなくて」
「普通に使われていたね」
「大学の中国語学科も支那語学科となっていたんだ」
 こちらもというのです。
「永井荷風さんは東京外国語大学のそちらにいたよ」
「そうだったんだ」
「差別用語でもなくて」
「普通に使われていて」
「公だったんだね」
「そして関西ではそう呼んでいて」
 中華そばと、です。
「明治の終わりから大正に本格的に入ってね」
「それで定着して」
「この味でだったんだね」
「だから織田作さんの頃もなのね」
「このラーメンだったんだね」
「うん、その頃は中華そばともよく呼ばれていたけれど」
 それでもというのです。
「織田作さんの頃もね」
「昭和であって」
「このラーメンだったんだね」
「縮れた麺でトリガラスープ」
「そしてお醤油で味付けしているんだ」
「そうだよ、そして大阪だから」
 それ故にというのです。
「お醤油はね」
「薄口だね」
「薄口醤油で」
「それでだね」
「その味で」
「そうだよ、その味でこうしてメンマやチャーシューも刻んだお葱もあって」
 それでというのです。
「こうした風だったんだ」
「成程ね」
「じゃあ今から僕達はだね」
「そのラーメンを食べるんだ」
「織田作さんの頃のラーメンを」
「そうしようね」
 笑顔でお話してでした。
 皆で昭和の頃そのままのラーメンを食べてでした。
 そうして炒飯と焼き餃子それに八宝菜を食べました、そのうえでビールも飲みますがその組み合わせにです。
 皆笑顔になります、そして先生は言いました。
「こうした趣も残って欲しいね」
「そうだよね」
「どんどん新しくなっても」
「大坂の昔の趣はね」
「残っていて欲しいね」
「そう思うよ、日本の街はどんどん変わるけれど」
 それでもというのです。
「残って欲しいものは残って欲しいね」
「ラーメンもそうで」
「ごぼ天もだね」
「そして餃子もね」
「炒飯も八宝菜も」
「そう思うよ、まあ餃子はね」
 このお料理のお話もするのでした、それを食べてビールも飲みながら。
「入ったのはラーメンより後で満州今の中国の東北に日本人が行った時に」
「伝わったんだね」
「日本まで」
「そうだったんだね」
「そうだよ、そこの餃子がたまたま焼き餃子で」
 それでというのです。
「日本に伝わってね」
「日本じゃ焼き餃子が主流になって」
「それでなんだ」
「こうしたお店で出る餃子も焼き餃子」
「そうなんだね」
「そうなんだ、日本に水餃子や蒸し餃子が定着したのはずっと後だよ」
 そうだというのです。
「昭和も終わりになってね」
「それからだね」
「今に至るんだね」
「普通にそうした餃子も食べられる様になった」
「そうなんだ」
「そうだよ、けれどこの焼き餃子も美味しいね」
 先生は笑顔で言いました。
「そうだね」
「ビールともご飯とも合って」
「とてもいいよね」
「こうしたお店でも出て」
「美味しいね」
「そうだね、じゃあね」
 それならと言ってでした、先生は。
 餃子も食べて炒飯も八宝菜もそうしてビールも楽しんで、です。
 お店を後にしてです、長い商店街を出て電車で天王寺に向かいました、そこはJRのかなり大きな駅でしたが。
 そこから動物園に入って皆にお話しました。
「ここも古いんだ」
「この動物園もだね」
「昔からあるんだ」
「そうなんだね」
「うん、その証拠にね」
 先生は皆をでした。
 沢山の生きもの達が一緒にいるレリーフの前に紹介しました、そしてその前で皆に悲しいお顔で言うのでした。
「これは二次大戦の時に犠牲になった生きもの達もいるよ」
「ああ、あの戦争の時に」
「かわいそうな象ってお話があったけれど」
「この動物園でもあったんだ」
「そうしたことが」
「そうなんだ、その頃からあって」
 それでというのです。
「あの戦争でね」
「多くの生きものが犠牲になって」
「そうした悲しいこともあったんだね」
「そしてそれを忘れてはいけない」
「そうだね」
「そうだよ、そしてここにもね」
 この動物園にもというのです。
「ひょっとしたらだけれど」
「織田作さんも来ていたんだ」
「そうしたことがあったんだ」
「あの人も」
「織田作さんの時代にもあったからね」
 だからだというのです。
「それでだよ」
「そうだよね」
「同じ時代にあってね」
「大阪にあったものなら」
「織田作さんもね」
「一緒だったかも知れないね」
「そうかも知れないね」
 こう言ってでした。
 先生は皆と一緒に動物園の中も見回っていきました、そこにいるライオンや虎、狼や象、キリンにカバにペンギンやアシカ達を観てです。
 一通り楽しみました、そのうえで。
 先生は皆と一緒に神戸に戻りましたがお家の中でもお話しました。
「本当に大阪を巡ると何かとあるね」
「そうだよね」
「色々見る場所あるね」
「何かとね」
「本当に」
「大阪って街は」
「うん、それが大阪でね」
 それでというのです。
「見て回って飽きないね」
「むしろ見れば見る程好きになる」
「そうした街だね」
「それが大阪だね」
「つくづく思うわ」
「僕もだよ、それとね」
 さらに言う先生でした。
「戦争のことを話したけれど」
「動物園でね」
「何か大阪にいてもね」
「あの戦争のことは実感するね」
「何かと」
「そうなるね」
「うん、東京もそうだけれど」
 先生はしみじみとして言うのでした。
「大阪もね」
「そうだよね」
「大阪もね」
「学んでいると戦争のことを感じるね」
「どうしても」
「空襲があって街が復興してその中で変わって」
 そうしてというのです。
「そのうえでね」
「うん、そうだよね」
「動物園で犠牲になった生きもの達もいて」
「戦争のことを感じるね」
「今回は特に織田作さんのことを学んでいるからね」
 それだけにというのです。
「そうだね」
「あの人が戦争の頃も生きていて」
「その中で過ごしていたから」
「尚更」
「そうだよ、疎開もしていたしね」
 戦争の時はというのです。
「富田林の方に」
「あっちになんだ」
「疎開していたんだ」
「やがては」
「そうだったんだね」
「うん、戦争のことはね」 
 どうしてもというのです。
「出るね」
「成程ね」
「これまで大阪は何度も来たけれど」
「今回特に戦争を意識してるのはどうしてか」
「織田作さんが戦争の中に生きていたから」
「その時代にだったから」
「それでだよ、戦争の時の大阪のことも書いていて」
 そしてというのです。
「煙草がないとか検閲が厳しかったとか」
「書いているんだ」
「作品の中に」
「織田作さんも」
「それで終戦直後のことも書いているよ」
 その時のこともというのです。
「世相って作品でね、実は今日行った天下茶屋の商店街それにどうも鶴橋の方も元は闇市かそうしたものだったらしいけれど」
「闇市のことも書いているんだ」
「織田作さんは」
「そうだったんだ」
「そうだよ、その世相でね」
 この作品でというのです。
「夫婦善哉は二次大戦前で世相は終戦直後だよ」
「それぞれ書かれた時代が違っていて」
「それぞれの大阪が書かれているのね」
「そうなんだね」
「織田作さんの作品だと」
「そうだよ、そしてね」
 それにというのです。
「どの作品でも所謂だらしない人も出るね」
「織田作さんの作品は」
「そうなのね」
「先生前にもそう言ってたね」
「だらしなくてお金にいい加減で」
「お仕事やお家を転々として」
 そうしてというのです。
「大阪の街を彷徨って」
「それで最後に落ち着く」
「織田作さんの作品はそうしたものが多いって」
「そうなんだ、それが織田作さんの作風で」 
 それでというのです。
「それぞれの時代の大阪も書いていてね」
「闇市も書いているんだ」
「今は商店街になっている場所を」
「大阪のそうした場所を」
「終戦直後の」
「そうだよ、それで明日は京橋に行くけれど」
 今度はそちらだというのです。
「それと此花の方にもね」
「そこも大阪だよね」
「やっぱり」
「そうだよね」
「そうだよ、そうしたところも見ていこうね」
 笑顔で言ってでした。
 実際に先生は動物の皆今回は王子も一緒でまずは此花の方に来ました、そこには阪神の電車もあってそれで、でした。
 阪神の駅を見た王子が先生に言いました。
「やっぱり大阪はね」
「野球は阪神だっていうんだね」
「そう思ったよ」
「うん、パリーグは昔三球団あったけれどね」
「南海、阪急、近鉄だね」
「どのチームも親会社は鉄道会社でね」
 それでというのです。
「本社が大阪にあったんだ」
「そうだよね」
「けれどやっぱりね」
「阪神強いよね」
「関西全土でそうでね」
「今じゃ全国区だからね」
 阪神タイガースというチームはというのです。
「そうなっているからね」
「そうだね」
「だからもう大阪で野球は」
「阪神だね」
「そう言っていいよ」
 本当にというのです。
「何といっても」
「僕達が見ても華があるよね」
「外国人のね」
「あのユニフォームに甲子園球場だけでなくて」
 さらにというのです。
「不思議なんだよね」
「勝っても負けても絵になるからね」
「何があってもね」
「あれはもう阪神だけだよ」
「ネタにもなって」
「自然と人々を魅了して話題を提供してくれて記憶に残る」
「素敵なチームだよ」
 王子は笑顔で言いました。
「本当に」
「織田作さんの頃も阪神あったよね」 
 ここでこのことを言ったのはトートーでした。
「そうだったよね」
「確か昭和十一年に創設されてるから」
 阪神はとです、ジップも言います。
「それだったらだよね」
「そうそう、もう完全に時代そのままだよ」
 老馬も言いました。
「織田作さんの生きた時代だよ」
「丁度織田作さんが生きていた時代に阪神が創設されてるわね」
 ポリネシアはまさにと指摘しました。
「そうだね」
「丁度阪神の戦前強かった頃で」
「藤村さんの時代だったわね」
 チープサイドの家族はミスタータイガース伝説の背番号十を背負ったあのスーパースターのことを思い出しました。
「あと景浦さんだった?」
「この人も凄かっただんだよね」
「その時はむしろ巨人より強かったって聞いたけれど」
 こう言ったのはガブガブでした。
「織田作さんはその頃の阪神の世代ね」
「ううん、その頃の野球は詳しくないけれど」
 ダブダブだけでなく他の皆もそれは同じです。
「織田作さんがその時代の人なのは事実だね」
「プロ野球黎明期で」
「阪神もまさに創設したて」
 オシツオサレツは二つの頭で言いました。
「そんな頃だね」
「あの頃は」
「まさにそうだよ、阪神も出来たばかりで」
 実際にとです、先生もお話しました。
「まだまだね」
「チーム、球団として形成されていっていた」
「そうした時代で」
「まだ手探りだったのね」
「何もかも」
「日本のプロ野球自体もね、ラジオもまだ広く出回ってなくて」
 この媒体すらというのです。
「テレビはまだね」
「なかったよね」
「昭和三十年代からだから」
「織田作さんの頃にはテレビがなくて」
「野球は球場で観ていたんだ」
「それが主だったよ、その頃は阪神に藤村さんや景浦さんがいて」
 そしてというのです。
「活躍していたんだ、ただ景浦さんは残念だけれど戦争で」
「ああ、戦死しているんだね」
「この人は」
「伝説の人だけれど」
「巨人の沢村栄治さんとも名勝負を繰り広げて」
 この伝説の人と、というのです。
「戦前のスターだったけれど」
「あの戦争でなんだ」
「戦死したんだ」
「残念よね」
「そうだね、沢村さんもだったしね」
 藤村さんのライバルだったこの人もというのです。
「そう思うとね」
「戦争は嫌だね」
「素直に思うよ」
「大阪の街のことを考えても」
「野球のことを考えても」
「本当にね、だからね」
 それでというのです。
「戦争は起こらないに越したことがないね」
「全くだね」
「阪神タイガースを見てもそうだね」
「このチームから考えても」
「本当にね」
「そうだね、じゃあここでは沖縄料理を食べよう」
 このお料理をというのです。
「そうしよう」
「沖縄料理って?」
「大阪でも食べられるんだ」
「僕達沖縄にも行ってね」
「沖縄料理も楽しんできたけれど」
「大阪は結構沖縄から来た人も多くてね」 
 それでとです、先生は皆に笑顔で応えました。
「沖縄料理を楽しめるんだ、だからね」
「今からだね」
「沖縄料理を食べるのね」
「そうするんだね」
「うん、そうしようね」
 笑顔で言ってでした。
 先生は皆と一緒に沖縄料理のお店に入ってです。
 そーきそばやミミガーに足てびち、ゴーヤチャンプルそれにタコライスを食べました。それから福島区を経由して京橋に行きましたが。
 その京橋で、です。先生は言いました。
「いや、美味しかったね」
「そうだったね」
「大阪は美味しいお料理が多いけれど」
「沖縄料理もいいね」
「美味しかったよ」
「大阪にいたら美味しいものばかり楽しめて」
「食の都というだけはあるわ」
 皆も満足しています、色々なものを食べて。
 そして京橋に来ましたがここで王子が先生に尋ねました。
「先生、途中福島区通ったけれど」
「あの区のことかな」
「うん、何で福島区っていうのかな」
「実はあそこに福島正則さんの屋敷があったんだ」
 先生は王子に微笑んでお話しました。
「それでだよ」
「福島区っていうんだ」
「福島正則さんだからね」
「それでだね」
「そうだよ、この人は豊臣秀吉さんの重臣だったから」
 それでというのです。
「お屋敷もね」
「大坂城のすぐ傍にあったんだ」
「そうだったんだね」
「その頃の名前が今に生きているんだ」
「成程ね」
「そう、そしてね」
 先生はさらにお話しました。
「今僕達がいるね」
「京橋は、だね」
「わかるね」
「京橋っていう橋からだね」
「その名前になっているよ」 
 賑やかなその中を見てお話します。
「大阪ではよくあるけれどね」
「伊達に八百八橋じゃないね」
「うん、水運の街だけあって」
 それ故にというのです。
「橋やお堀の地名が多いだよ」
「京橋にしても」
「そうなんだ」
「船場もだよね」 
「そうだよ、だからね」 
 それでというのです。
「京橋という地名もね」
「大阪ならではだね」
「そうだよ、大阪にいたら」
「もう橋由来の地名はだね」
「触れないことはないよ」
「日本橋とか天満橋もだよね」
「うん、あとね」
 先生はここで、でした。
 住吉大社についてです、王子に言いました。
「住吉大社も海の神様を祀っているね」
「須佐之男命だったね」
「日本の神話で一番有名な神様の一柱だね」
「あの神様をだったね」
「昔はあの近くまでだよ」
「海があったんだ」
「そうだったからね」
 だからだというのです。
「あの大社もね」
「海と縁があって」
「そう、大阪はだよ」
「水の街だね」
「水の都と言われるんだ、ただ織田作さんは」
 この人はといいますと。
「大阪は木の都と言っていたね」
「木が多いかな」
「お寺や神社も公園も多いね」
「だからなんだ」
「木は決して少なくないよ」
「それで昔はなんだ」
「とりわけね」 
 この時はというのです。
「木が多くて」
「木の都だったんだ」
「織田作さんはそう呼んでいたよ、その作品でね」
「木の都だから」
「そうなんだ、しかし何といっても」
 先生は笑顔でお話しました。
「お水だよ」
「大阪はだね」
「水の街だね」
「川に海に堀にで」
「それで橋の地名も多いんだ」
「そういうことだよ、ヴェネツィアが水の都というけれど」
 それでもというのです。
「大阪もなんだ」
「そうだね」
「そう、だからね」
 それでというのです。
「橋も多いんだ」
「ヴェネツィアゴンドラで行き来するけれど」
「大坂は橋だったってことだよ」
「成程ね」
「そして町人の街で」
「飾らないんだね」
「そうだよ」
 先生は笑顔でお話しました。
「この街はね」
「お水が多くて飾り気もない」
「大坂はそこもいいよね」
「本当にそうだね」
「全く。こんな街にいたら」
 先生は笑顔のままさらに言いました。
「離れられなくなるよ」
「僕もそう思うよ、神戸もいい街だけれど」
 王子は今暮らしている街のお話もしました。
「けれどね」
「それでもだね」
「大阪は魅力的過ぎて」
「離れられないね」
「一度来たらね」
「それが大阪だよ、だから織田作さんも」
 この人もというのです。
「大阪を終生愛していたんだ」
「そうだね」
「そう、だから」
 それでというのです。
「大阪を終生愛していたんだ」
「そうだね」
「だからここにも来ていたと思うよ」
「京橋でもだね」
「そう思うよ」
 こう言った時にでした。
 ふとです、先生にでした。
「今もやで」
「!?」 
 擦れ違った誰かが言いました、そして。
 振り返るとマントを羽織ったボルサリーノに似た帽子を被った人の後ろ姿が見えました、その人はです。
 軽い足取りで歩いていきます、先生はその人を見て言いました。
「あの人は」
「あっ、確かに」
「あの人だよ」
「僕達が前に擦れ違ったのは」
「あの人だったよ」
「ハイハイタウンでね」
 動物の皆もその人を見て言います。
「また見たね」
「ここにもいるんだ、あの人」
「ああして大阪を巡ってるのかな」
「そうしているのかな」
「難波にもいたしね」
 王子も言います。
「あの人は」
「王子も見たよね」
「難波でね」
「まさにあの人だよね」
「帽子にマントで着流しの」
「その人だね」
「うん、あの人だよ」
 実際にとです、王子は皆に答えました。
「間違いないよ」
「そうだよね」
「上本町にいて難波にもいて」
「京橋にもいるんだね」
「大阪を巡ってるのかな」
 先生はもう見えなくなったその人がいたところを振るお帰ったまま言いました。
「あの人は」
「そうかも知れないね」
「それで楽しんでいるのかもね」
「この大阪を」
「そうかも知れないね」
「そうだね、そうだとしたら」 
 笑顔で言う先生でした。
「大阪をかなり楽しんでいてね」
「好きなんだね、大阪」
「あの人は」
「そうなんだね」
「そうだと思うよ、織田作さんと同じでね」
 この人と、というのです。
「そうだと思うよ」
「そうなんだね」
「織田作さんと同じで」
「あの人も大阪が好きなんだ」
「それで大阪を巡って」
「それで楽しんでいるんだね」
「そうだと思うよ」
 こうお話してです、先生は京橋もフィールドワークしました。そしてこうも言いました。
「織田作さんの論文を書いているけれど」
「その他にもだよね」
「大阪のあちこち巡ってるから」
「それじゃあね」
「大阪の他のことも学べるね」
「そうだね」
「そう、だからね」 
 それでというのです。
「実は今大阪の他のことでも論文を書いているよ」
「そこ先生らしいね」
「まさに生粋の学者さんでね」
「論文も物凄く書いてるね」
「そうしているわね」
「三週間に一回は発表しているからね」 
 あらゆる分野の学問についてです。
「専門の医学だけじゃなくてね」
「文学も言語学もでね」
「歴史学も社会学も」
「そして獣医学も薬学もで」
「工学だってね」
「この前地質学の論文も書いたけれど」
 そちらの学問もというのです。
「兎に角色々な分野の学問を書いているから」
「それでだね」
「色々な論文を書いていて」
「今は織田作さんの論文を書いていて」
「大阪の他のことも書いているんだ」
「そうなんだ、それで京橋も巡ったけれど」
 それでもというのです。
「いいフィールドワークになっているよ」
「それは何よりだね」
「先生にとってね」
「僕達も一緒にいられて嬉しいけれど」
「本当にね」
「全くだよ、それでね」 
 さらに言う先生でした。
「明日は玉造の方に行こうね」
「玉造?」
「明日はそちらに行くんだ」
「そうするんだ」
「そうしよう、あちらもね」
 玉造もというのです。
「実は近くに織田作さんに縁があると言えばね」
「あるんだ」
「そうなんだ」
「そうした場所なんだ」
「うん、ただ作品の主人公に縁がある」
 そうしたというのです。
「人なんだ」
「そうなの」
「前にも玉造に行って」
「それで真田幸村さんの像見たね」
「そうだったね」
「結構前だったけれど」
「その人なんだけれどね」
 その縁のある人はです。
「また見に行こうね」
「うん、それじゃあね」
「明日は幸村さんだね」
「あの人の像を見に行くんだ」
「もう一度」
「そうしよう、あの人も実は大阪にいたこと長いしね」
 そうだったというのです。
「大坂の陣の時以外にもね」
「あれっ、そうだったんだ」
「あの人大坂の陣で有名だけれど」
「あの時だけじゃなかったんだ」
「その他の時にも大坂にいたの」
「秀吉さんの頃にね」
 この人が天下人だった頃にというのです。
「そうだったんだ、実は故郷の上田にいるよりも」
「大坂にいた方が長い」
「そうだったんだ」
「それは意外だね」
「これまた」
「そんなことだったなんて」
「面白いね、そして大名でもあったんだ」
 このこともお話するのでした。
「実はね」
「へえ、大坂の陣じゃ浪人でね」
「長い間高野山にいたけれど」
「その前は大名だったんだ」
「真田家の次男だったからね」 
 その立場だったからだというのです。
「お父さんとお兄さんがいてね」
「ああ、お兄さんがお家を継いで」
「それで分家の形でなんだ」
「幸村さんも大名だったんだ」
「そうなっていたんだ」
「そうだったんだよ、それが大坂の陣で西軍についたから」
 それでというのです。
「お父さんと一緒に摂り潰されて」
「大名じゃなくなったんだ」
「そういえば幸村さんその時も西軍だったよ」
「大坂の陣の時もそうで」
「家康さんとは特に怨みもなかったみたいだけれど」
 それでもというのです。
「お家の関係や大坂の陣の時は浪人で」
「どちらの時も西軍で」
「家康さんと戦う立場で」
「家康さんと戦ったんだね」
「そうだよ、その幸村さんに縁がある人のことを書いていたから」
 それでというのです。
「明日は幸村さんのところに行くよ」
「わかったよ」
「じゃあ明日はそちらに行こう」
「その人が誰かも気になるし」
「それじゃあね」
 皆も頷きました、そうしてでした。
 皆はお家に戻りました、先生の織田作さんそれに大阪についての学問はさらに進んでいくのでした。








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