『ドリトル先生とめでたい幽霊』
第六幕 大阪の中でも
先生はまた大阪に来ました、そして今は高津神社にいますが。
その神社の境内で先生は皆に言いました。
「この神社もなんだ」
「織田作さん由縁の場所だね」
「ここにも織田作さんが来て」
「作品にも出ているんだ」
「そうした場所ね」
「そうだよ、織田作さんはここにも来ていたんだ」
この高津神社にもというのです。
「そして作品にもだよ」
「出ているんだね」
「何かそう言われるとね」
「織田作さんの登場人物がいて」
「それで動いていそうだね」
「この辺りのことも書いているよ」
当時のというのです。
「湯豆腐のこととか書いていて周りに薬屋さんが多いとかもね」
「へえ、そんなことまでなんだ」
「織田作さん書いているんだ」
「作品に」
「そうなんだ、当時の大阪の状況も」
これもというのです。
「わかるんだ」
「そうなのね」
「当時の大阪がどんな街か」
「そしてどんな人がいるか」
「そんなこともだね」
「書いているんだ」
織田作さんはというのです。
「それで湯豆腐のことを話したけれど」
「うん、今からだね」
「湯豆腐を食べるんだね」
「そうするのね」
「そうしよう、湯豆腐のことをお話したからね」
こう言ってでした。
先生は実際に皆を湯豆腐屋さんにも案内しました、そしてそこで湯豆腐を食べるのですがここで、でした。
先生は湯豆腐を食べつつ笑顔で言いました。
「美味しいね、湯豆腐も」
「そうだよね」
「あっさりしていてね」
「それで食べやすくて」
「本当に美味しいわ」
「そうだね、冷奴もいいけれど」
それと共にというのです。
「湯豆腐もいいね」
「湯豆腐っていうと京都だけれど」
「京都はお豆腐が有名だから」
「南禅寺の湯豆腐なんか有名だけれど」
「大阪の湯豆腐も美味しいわね」
「そう思うよ、大阪らしく気取ってなくて」
このこともあってというのです。
「いい感じだね」
「京都だとね」
「独特の気取りがあるよね」
「それに高いしね」
「湯豆腐でも」
「京都の湯豆腐より安くてね」
そしてというのです。
「気取ってもなくて」
「いいよね」
「それで織田作さんもこの湯豆腐食べていたんだね」
「そうしていたんだ」
「そうだよ、本当に織田作さんは食い道楽だったと」
先生は湯豆腐を食べつつ笑顔で言いました。
「思うよ」
「そうだよね」
「カレーに善哉に鰻丼にね」
「関東煮に山椒昆布」
「それに湯豆腐とね」
「食い道楽の日本の作家さんだと谷崎潤一郎だけれど」
それでもというのです。
「織田作さんもだね、そして織田作さんはね」
「大阪の食べものでね」
「気取っていない普通のもの」
「それを食べていたね」
「庶民的なものを」
「そう、高い食べものはね」
そうしたものはというのです。
「織田作さんは基本食べていなくてね」
「庶民的なものだね」
「大阪のそうしたものを食べて」
「それで作品にも出していた」
「そうだったんだね」
「そうだよ、そしてね」
それでというのです。
「この湯豆腐もね」
「食べていたんだ」
「そうだったんだ」
「織田作さんも」
「そして作品にも書いていてね」
それでというのです。
「僕達も食べているんだ」
「食い道楽でも決して高くない」
「それでいて美味しいお店だね」
「大阪にある」
「そうしたものを食べていたんだね」
「そして作品にも出しているんだね」
「お酒は飲まなかったけれど」
それでもというのです。
「食べることは好きなんだ、あと関東煮だけれど」
「あの食べもの美味しかったね」
「かなりね」
「関東のおでんだっていうけれどね」
「薄口醤油で鯨のころも入っていて」
「それで美味しかったね」
「あれは調べたら何でも関東からかっていうと」
あちらから入ったかというと、というのです。
「違うみたいだよ」
「あれっ、そうなんだ」
「関東から入ったから関東煮と思っていたら」
「違ったんだ」
「そうだったの」
「関東じゃなくて広東で」
それでというのです。
「それが言葉がなまってね」
「関東になったんだ」
「本当は中国の広東なの」
「そうだったんだ」
「どうもね、そして広東にああしたお料理があって」
先生は湯豆腐をぽん酢で食べつつ言いました。
「日本に入ってね」
「そうしてなんだ」
「関東煮になったんだ」
「そうなんだ」
「そして大阪のおでんは」
こちらはといいますと。
「お味噌だよ」
「それだよね」
「本来はそちらで味付けしていて」
「関東煮とは違うね」
「そうよね」
「そうだよ、しかし僕も前に来た時は知らなかったよ」
大阪にというのです。
「関東煮は実は広東だったなんてね」
「先生も知らないことあるんだ」
「それだけ博識なのに」
「それでもなんだ」
「人の知識は僅かだよ」
先生は皆に笑ってお話しました。
「大海の中の小匙一杯だよ」
「よくそう言うけれど」
「先生もそうなんだ」
「その知識は少しなんだ」
「世の中で」
「そうだよ、本当に少しでね」
それでというのです。
「だからこそいつも学んでいるんだ」
「知らないから学ぶ」
「知る為に」
「そういうことなのね」
「そうだよ、本当に知らないことがね」
それがというのだ。
「僕もとても多いよ」
「まさに大海の中の小匙一杯」
「まだまだ知るべきことがある」
「そうなんだね」
「そうだよ、本当にね」
それこそというのです。
「僕の知識も少しだよ」
「博識でもそうなんだ」
「知っていることは少しなの」
「本当に世の中の少し」
「それだけしか知らないのね」
「そうだよ」
こう皆に言うのでした、そして。
高津神社から今度は飛田大門というところに来ました、そこにはもう門はないですがここで先生は言いました。
「ここに夫婦善哉の主人公達のお店があったんだ」
「へえ、ここなんだ」
「難波も歩いたけれど」
「ここにお店があったのね」
「そうだったんだね」
「そうだよ、ここにあってね」
お店がというのです。
「商いをしていたんだ」
「ここもまた作品の舞台で」
「それで主人公達のお店があった」
「そう思うと感慨深いね」
「そうよね」
「僕もそう思うよ」
先生は皆に笑顔で言いました、そして。
そこからまた難波の街を歩きました、その中で三時になったのでティータイムとなりましたがここで。
先生は喫茶店に入ってティーセットを注文して紅茶を飲みながらこんなことを言いました。
「織田作さんも喫茶店が好きだったんだ」
「そういえば自由軒の写真でもコーヒーが一緒にあったね」
「そうよね」
チープサイドの家族もそれはと頷きました。
「あの写真にある通りに」
「コーヒーが好きだったんだ」
「都会の人だったし」
「それで喫茶店もよく行ったんだ」
オシツオサレツも二つの頭で言いました。
「食べることも好きで」
「コーヒーもだったんだ」
「じゃあこの辺りでもだね」
トートーも言います。
「織田作さんはよく喫茶店にも入っていたんだね」
「当時から残っている喫茶店あるかしら」
ポリネシアはこう考えました。
「織田作さんが入った様な」
「そこはどうなのかな」
ジップも言いました。
「昔からあるお店は喫茶店でもあるかな」
「大阪はその頃からのお店も残ってるけれど」
ガブガブも考えます。
「喫茶店はどうかしら」
「若しあったら行きたいね」
チーチーは心から思いました。
「僕達も」
「織田作さんに縁のあるお店はこれまで行ったけれど」
ホワイティも言います。
「喫茶店でもあるかな」
「自由軒や夫婦善哉はあるけれど」
ダブダブは具体的なお店の名前を出しました。
「喫茶店だとどうかな」
「あったら行こう」
老馬も言いました。
「是非ね」
「京都には残っているみたいだね」
先生はこの街ならと答えました。
「どうもね」
「京都?」
「そういえば織田作さん京都の学校にも行ってたね」
「今の京都大学にね」
「三高と言われた頃に」
「そうだったね」
「結核になってから学校に行く気が薄れてね」
そうしてというのです。
「よく喫茶店に行く様になったけれど」
「その時の喫茶店はあるんだ」
「まだ残ってるんだ」
「そうなのね」
「そうなんだ、そちらはね。けれど大阪だとどうかな」
この街ではというのです。
「まだそこまで調べていないよ」
「残っていたらいいね」
「そうだよね」
「残っていたら行って」
「そこで飲もう」
「そうしよう」
「そうしようね、僕は紅茶派でも」
それでもというのです。
「そうしたお店があったらね」
「行きたいね」
「そのお店に」
「そして織田作さんを学ぶ」
「そうするね」
「是非ね」
こうも言うのでした、そして。
先生はお店から外を見てこんなことも言いました。
「アーケード街だね、ここは」
「そうそう、屋根があってね」
「雨でも普通に歩けるわ」
「そこもいいよね、ここは」
「やっぱり当時はね」
その織田作さんの頃はというのです。
「屋根もなかったよ」
「そうなんだね」
「昭和十年代は」
「まだそうしたものはなくて」
「雨が降ったらそのままだったんだ」
「そうだったよ、そこも違うね」
当時とはというのです。
「大阪は、あと地下もね」
「虹の街だね」
「あそこもいいところだね」
「色々なお店があって」
「大阪は地下街もいいね」
「それもなかったしね」
そうだったというのです。
「今とは随分違うよ、ビルだってね」
「ここまでなかったね」
「難波パークスなんかかなりだけれど」
「そのビルもなかったんだね」
「織田作さんの頃は」
「戦争があって空襲もあって」
先生はそこからお話しました。
「大阪も焼野原になったからね」
「それ神戸もなんだよね」
「大阪も神戸もかなり空襲でやられたね」
「東京は特に酷くて」
「もう何もなくなったね」
「それで結構後になっても不発弾が発見されたんだ」
大阪ではというのです。
「昭和五十年代後半にもなってね」
「戦争が終わって三十年以上経っても」
「それでもなんだ」
「不発弾発見されていたんだ」
「そうだったのね」
「大阪城の周りがかなりの空襲を受けたのは話したね」
このことはというのです。
「そうしたね」
「うん、天守閣だけだったね」
「天守閣だけが残ったけれど」
「周りはもう瓦礫の山で」
「天守閣は奇跡的に残ったね」
「激しい空襲を受けたから」
それでというのです。
「もうね」
「不発弾もよく見付かったんだ」
「それもずっと後になっても」
「そうだったんだね」
「それで環状線も止まったりしたよ」
大阪の中心を走るこちらもというのです。
「線路の下に見付かったりして」
「それで難波もなんだ」
「この辺りも空襲でかなり酷いことになったんだ」
「焼野原になったんだね」
「そうだったんだ、もう大阪中がね」
それこそというのです。
「東京と一緒でね」
「焼野原で」
「もう何もなくなって」
「それでなんだ」
「そこから建て直したから」
「当時と今じゃ大阪も違うのね」
「そうなんだ、まあ大阪は台風が多いから」
今度は災害のお話でした。
「常に建物や橋が壊れてね」
「なおしていて」
「その都度変わっていたんだ」
「そうでもあったんだ」
「うん、くいだおれというけれど」
先生はこの言葉も出しました。
「食い倒れという場合と杭倒れという場合があるんだ」
「杭倒れ?」
「食い倒れじゃなくて」
「何で杭なの?」
「どういうこと?」
「建物をなおす時に杭を使うね」
先生は自分のお話に首を傾げさせた皆にお話しました。
「そうだね、昔の大坂は橋が壊れたらお金持ちの人がお金を出してなおしていたんだ」
「台風で橋が壊れたりしたら」
「そうしていたんだ」
「大坂は町人の街だから」
「お金持ちの人がそうしていたんだ」
「豪商の人がね、けれど橋をなおすのにもお金がかかるから」
だからだというのです。
「それでお金がなくなる人が多かったからだよ」
「それで杭倒れ」
「そう言うんだ」
「食い倒れと違って」
「そうだよ、それで台風が多かったから」
ここでお話を戻すのでした。
「それでね」
「よく建物や橋が壊れて」
「なおしていって」
「その都度変わっていたんだ」
「大阪の街は」
「そうだよ、だから空襲がなくても」
それでもというのです。
「大阪は変わっていっているよ」
「成程ね」
「それも大阪なんだね」
「常に変わっていっているんだ」
「織田作さんの頃より前から」
「そうでもなくても日本は災害が多いね」
先生は大阪だけでなく日本全体のお話もしました。
「そうだね」
「無茶苦茶多いよね」
「台風だけじゃなくてね」
「地震、雷、噴火にね」
「火事もあるし」
「東京なんて何度も廃墟になっているよ」
その災害でというのです。
「関東大震災はあったし幕末にも大地震があってね」
「あとあそこにも台風来るし」
「それと火事もあったね」
「江戸の火事って凄くて」
「本当に江戸全体が焼けたそうだし」
「兎角災害が多い国でね、大阪もね」
「災害が多くて」
それでというのです、先生も。
「その都度建物や橋を建て替えていてね」
「変わっていっているんだ」
「日本全体がそうで」
「大阪もだね」
「僕も最初調べていて驚いたんだ」
紅茶を飲みながらお話するのでした。
「日本の災害の多さにね」
「イギリスも火事はあるけれどね」
「ロンドンもそれで大変なことになったね」
「歴史にあるけれど」
「けれど地震や台風になると」
「あまりないからね」
「そうだね、日本はあらゆる災害がね」
それがというのだ。
「数多く起こるから」
「それが怖いね」
「素晴らしい国だけれど」
「災害の多さがね」
「困るよね」
「災害については」
まさにというのです。
「日本は多くの国より上だよ」
「そうだね、それで台風もあるから」
「建物もよく建て替えていて」
「それでなんだ」
だからというのです。
「万物は流転とする言うけれど」
「日本は街並みがよく変わるんだ」
「そうなんだね」
「大阪にしても」
「そうなんだね」
「そう、だからね」
それでというのです。
「江戸時代の大坂と織田作さんの頃の大阪は違っていて」
「今の大阪とも違う」
「街並みは変わってるんだね」
「そうなんだね」
「そうだよ、本当に日本の街は他の国の街よりもね」
大阪にしてもというのです。
「建物も景色も変わっていくよ」
「数百年ある様な建物って滅多にないけれど」
「そうした事情があるんだ」
「災害が多くて」
「すぐに壊れるから」
「戦争は殆どなくても」
それでもというのです。
「災害が多いからね」
「そうした事情があって」
「古い建物は少ないんだね」
「長い歴史の割には」
「そうなのね」
「木造だから定期的に建て替えたりもするね」
その場合もあるというのです。
「伊勢神宮にしても」
「ああ、そういえばね」
「そうしたケースもあるわ」
「木造だとそのうち壊れるしね」
「木が老巧化して」
「そうだね、だからね」
それでというのです。
「どうしてもなんだ」
「古い建物が少ないのね」
「街並みも変わる」
「そうなんだ」
「これから通天閣に行くけれど」
先生は皆に次に行く場所のお話もしました。
「通天閣も二代目だよ」
「あっ、そうなんだ」
「通天閣って二代目だったの」
「大阪城と並ぶ大阪の象徴だけれど」
「通天閣もなんだ」
「そうなんだ、大阪城の天守閣は三代目でね」
そうしてというのです。
「通天閣はね」
「二代目なんだ」
「ずっと大阪にあると思っていたら」
「実は違うんだ」
「そうなんだ、本当に時代によってどんどん変わるのがね」
それがというのです。
「大阪であってね」
「日本の街だね」
「じゃあそうしたことも頭に入れながら」
「通天閣にも行こう」
皆こう言ってでした。
実際に通天閣のところに行きました、そして中に入りましたが。
先生は通天閣の中を巡ってそのうえで大阪の街を見回しながら皆に対して笑顔でこう言ったのでした。
「初代は戦争中に焼けたんだ」
「というと空襲で」
「それでなの?」
「大阪城も酷くなったし」
「それじゃあ」
「いや、昭和十八年に近くの映画館が火事になって」
それでというのです。
「その火が燃え移ってね」
「それでなのね」
「焼けてしまったんだ」
「戦争中に」
「それで戦後再建することになったけれど」
それでもというのです。
「最初は出来ないとか言われてお金も集まらなかったりね」
「苦労したんだ」
「二代目を建てることについては」
「そうだったの」
「しかも初代のあった場所はもう民家が建ち並んでいたから」
それでというのです。
「ここになったんだ」
「場所も違ったんだ」
「それは知らなかったよ」
「いや、そうした事情があったんだね」
「そうなのね」
「そう、そしてね」
それでというのです。
「紆余曲折があって建てられて」
「今この場所にあるんだ」
「そうなんだ」
「通天閣にもそうした歴史があるんだ」
「今じゃ大阪の象徴だけれど」
「色々あったんだ、ただ初代にも多分ね」
その頃の通天閣にもというのです。
「織田作さんは行ってるだろうね」
「やっぱりね」
「大阪の人だから」
「通天閣にも行ったんだ」
「そうだったんだ」
「そう、そしてね」
先生はさらにお話しました。
「織田作さんは大阪城にも天王寺動物園にもね」
「行ってるんだ」
「大阪の他の場所にも」
「そうしてるんだ」
「そうだと思うよ、大阪に住んで」
そしてというのです。
「大阪のあちこちを歩いて知って愛していた人だから」
「それでだね」
「通天閣にも行って」
「それでこうして大阪の街を見ていたんだ」
「そうだったんだ」
「そうだと思うよ、若しも」
先生は少し悲しいお顔になってお話しました。
「結核が治って長生き出来ていたら」
「二代目の通天閣にも入って」
「それで観ていたかも知れないんだね」
「それで戦後の大阪の街も書いていた」
「そうだったのね」
「そうだったと思うよ、何しろ三十四歳で亡くなってるから」
その若さでというのです。
「昭和が終わってもね」
「平成になっても」
「まだ生きていたかも知れないんだね」
「結核でなかったら」
「そして結核が治っていたら」
「結核はずっと助からない病気で」
それでというのです。
「今も危険だけれどね」
「それで昔の日本でも罹る人多かったんだね」
「織田作さん以外もね」
「色々な人が罹って命を落としていて」
「怖い病気だったんだね」
「新選組の沖田総司さんや志士の高杉晋作さんもだったけれどね」
結核だったというのです。
「本当に梅毒と並んで」
「怖い病気だったんだね」
「日本においても」
「それで織田作さんもそれで命を落としているから」
「先生としても」
「残念だよ、あと十年早かったら」
ペニシリンの開発と普及がです。
「織田作さんも助かっていたよ」
「あと十年」
「その十年が恨めしいね」
「十年早いと」
「織田作さんは長生き出来て」
「もっと多くの作品を書けたかもね、そしてね」
先生はさらに言いました。
「織田作さんは大阪を楽しめて愛し続けていられたよ」
「無念だね」
「そう思うと尚更だよ」
「もっと大阪を楽しんで欲しかったね」
「そして書いて欲しかったね」
「心から思うよ」
先生は残念な気持ちで言いました、その後で新世界の洋食屋に入ってそこでオムライスを食べましたが。
先生は笑顔でこう言いました。
「オムライスはとてもいいね」
「これ反則よ」
ポリネシアはこう言いました。
「美味し過ぎるわ」
「他の国にないよ」
ホワイティも言います。
「こんな食べものは」
「オムレツの生地の中にチキンライスがあってね」
ジップは皆と一緒にとても美味しそうに食べています。
「ケチャップも上からかけて食べるけれど」
「これがまた美味しいんだよね」
「そうそう、有り得ない位にね」
チープサイドの家族も食べています。
「もうこの組み合わせがね」
「最高なのよ」
「見た目もいいしね」
トートーはこちらのお話をしました。
「これがね」
「しかもボリュームもあってね」
ガブガブはこちらのお話をしました。
「安い、最高よ」
「よくこんなもの考え付いたよ」
ダブダブは太鼓判を押しました。
「本当にね」
「オムレツはあるけれど」
老馬はオムレツの元の食べものの一つのお話をしました。
「それをチキンライスと合わせるなんて」
「凄い発想だよね」
「これだけでも凄いよ」
オシツオサレツは二つの頭で言います。
「しかも滅茶苦茶美味しいから」
「日本全体で定着するのも当然だね」
「その中でもこのお店のオムライス美味しいよ」
チーチーはこう言いました。
「かなりね」
「ここのオムライスも有名なんだ」
先生は笑顔でお話しました。
「だから新世界に来たのなら」
「そう思ってなんだ」
「僕達を案内してくれたんだ」
「それで今食べてるんだ」
「そうなんだね」
「そうだよ」
こう言うのでした。
「新世界も串カツが有名だけれどね」
「もうここになるとね」
「大阪の中の大阪だからね」
「そう言っていい場所だから」
「それでだね」
「そうだよ、だからね」
それでというのです。
「串カツのお店もね」
「実際にあるしね」
「いい風情のお店が」
「もうここで食べると絶対に美味しい」
「そう思わせるお店がね」
「あるね、けれどね」
それでもというのです。
「今回はあえてね」
「串カツはこの前食べたしね」
「そうそう、上本町で」
「だったらね」
「今は見送って」
「それでよね」
「そう、オムライスにしたんだ」
この食べものにというのです。
「そして実際にだね」
「うん、美味しいね」
「じゃあ食べよう」
「このオムライスを」
「そうしましょう」
「そうしようね、しかしね」
こうも言う先生でした。
「僕は大阪に来るといつも色々食べているね」
「これもフィールドワークだけれど」
「織田作さんを学ぶ為の」
「けれどそれを差し引いても」
「かなり食べてるね」
「そうだね、神戸にいる時よりも」
さらにというのです。
「食べているね」
「実際にそうだね」
「カレーに鰻丼、善哉にね」
「きつねうどんに串カツ」
「たこ焼きにいか焼き」
皆も言います。
「関東煮や山椒昆布にね」
「湯豆腐食べて」
「それで今はオムライスだからね」
それでというのです。
「食べてばかりだね」
「しかもまだ食べるよね」
「そのつもりだよね」
「先生としては」
「豚まんにアイスキャンデーにね」
それにと答える先生でした。
「お好み焼き、ラーメンもだよ」
「ああ、あのラーメンね」
「難波に何軒もある」
「金龍ラーメンも食べるのね」
「そうするんだね」
「そのつもりだよ、ここまで食べると」
笑顔で言う先生でした。
「僕は太るね」
「それは私達もよ」
「僕達も食べてるから」
「先生と一緒にね」
「だったらね」
「同じく太るよ」
「そうなんだね、太り過ぎはよくないからね」
先生はにこにことして言います。
「日本に来てから体重も脂肪率も減って」
「それでだよね」
「健康診断の結果もよかった」
「そうだったけれど」
「それでもだよね」
「ここまで食べると」
「太るだろうね、しかも炭水化物多いしね」
食べているものの中にです。
「甘いものもあるしね」
「そうだね」
「だったらね」
「太るね」
「どうしても」
「そうだね、しかし大阪の人もあまり太ってないね」
先生はこのお話もしました。
「他の日本の地域と同じで」
「あっ、確かに」
「美味しいものばかりなのに」
「そうした街なのに」
「それで食い倒れって言うのに」
「太ってる人少ないね」
「そうだよね、日本の食事はやっぱり」
先生は心から思うのでした。
「健康的でね」
「カロリーも低いから」
「それで食べものの街なのに痩せてる人多いんだ」
「そうなんだね」
「そうだろうね、イギリスと比べても」
先生の祖国と、です。
「太ってる人かなり少ないからね」
「そうだよね」
「そのことは驚きだよ」
「本当にね」
「そしてそれがどうしてかというと」
「日本の食事が健康的だからだね」
「そうだと思うよ」
こう言うのでした、そしてです。
オムライスを食べてから神戸に戻りましたが。
トミーは通天閣のお話を聞いてそれはというお顔になって言いました。
「二代目だったんですね」
「そうなんだ、これがね」
「それで初代とある場所も違いますか」
「そうだよ」
「それは知りませんでした」
本当にというのです。
「僕も。ただ」
「ただ?」
「通天閣の下は新世界で賑やかで中もお店が一杯あって」
「そうなんだ」
「楽しい場所なんですね」
「うん、かなりね」
「そうですか、なら僕も」
トミーもというのです。
「一度です」
「行ってみたいね」
「大阪にじっくりと」
「それはいいことだね」
「そうですね」
「大阪はとてもいい街でね」
先生はトミーに笑顔でお話しました。
「学びがいもあるからね」
「だからですね」
「是非ね」
「じっくりとですね」
「学んでね」
「そうさせてもらいます」
「色々な場所を巡ってね」
そうしてというのです。
「楽しんでね」
「学ぶことですね」
「そうしたらいいよ」
「それじゃあ。それでなんですが」
トミーはさらに言いました。
「今日の晩ご飯はいい鱧が手に入ったので」
「鱧なんだ」
「鱧のあらいと天麩羅です」
「それはいいね」
「そして頭はお吸いものにしました」
「頭も食べるね」
「そうしました」
こう先生にお話します。
「それとお豆腐と菊菜を和えました」
「そちらもいいね」
「メインは鱧です」
「素晴らしいね、鱧もね」
「美味しいですよね」
「神戸でも食べるけれど」
鱧はというのです。
「大阪でもね」
「食べますね」
「一番有名なのは京都だけれど」
「大阪でもですね」
「食べるよ」
そうだというのです。
「関西だからね」
「関西は鱧を食べますね」
「そうだよ、関東では食べないけれどね」
「採れないんですか」
「そうでもないけれど」
それでもというのです。
「今はね、それでもね」
「関東では食べないですか」
「鱧を食べる習慣はないよ」
「そうですか」
「関東と関西では食文化が違うからね」
「お醤油も違いますし」
「関西は薄口醤油でね」
こちらのお醤油でというのです。
「そして鰻の切り方もね」
「それも違うんですね」
「大阪では腹から切るけれど」
「関東、東京ですね」
「あちらでは背中から切るんだ」
「そうですか」
「腹から切ると切腹になるからね」
だからだというのです。
「東京、江戸は武士の人が多かったから」
「切腹はよくないですね」
「そう、だからね」
その為にというのです。
「背中からね」
「切っているんですね」
「そうなんだ」
これがというのです。
「あとあっちじゃ昆布も食べないしね」
「だしにも使わないですか」
「そうだよ」
「本当に違うんですね」
「鱧だけでなくね、あと大阪は鯖もよく食べるね」
「ですね」
実際にとです、トミーも頷きました。
「あちらは」
「そのこともだよ」
「特徴ですね」
「そうだよ」
大阪の食文化のです。
「お寿司でもバッテラがあるしね」
「あれは大阪のお寿司ですね」
「他の地域にはないんだ」
バッテラもというのです。
「実はね」
「そうなんですね」
「色々なものがね」
大阪ではというのです。
「独特なんだ」
「食文化にしても」
「そうだよ、ではね」
「これからですね」
「鱧を食べようね」
このお魚をというのです。
「そうしようね」
「それでは」
「楽しみだよ」
鱧もというのです。
「食べることがね」
「それは何よりです」
「活きがいいんだね」
「はい」
そうした鱧だったというのです。
「これが」
「だから買ってくれたんだね」
「そうです、鱧はイギリスどころか」
「関東にもないからね」
「本当にそうですね」
「イギリス人で鱧を知っている人どれだけいるかな」
先生はふと思いました。
「一体」
「殆どいないでしょうね」
「鰻は知っていてもね」
「それでもですね」
「穴子は知らなくて」
それでというのです。
「もう鱧になると」
「殆ど、ですよね」
「そして調理の仕方も知らなくて」
「食べると美味しいこともね」
「知らないですよね」
「まず確実にね」
「というか」
さらに言うトミーでした。
「僕も最初鱧を見てです」
「食べられるとはだね」
「思いませんでした」
「顔も怖くてね」
「しかも小骨も多いですから」
「しかし小骨を切って食べると」
これがとです、先生は言いました。
「最高に美味しいね」
「本当にそうですね、では今夜は」
「その鱧をね」
「皆で食べましょう」
「そうしようね」
笑顔でお話してでした。
先生も皆も鱧を食べるのでした、日本の関西でしか食べないそのお魚もとても美味しいものでした。