『ドリトル先生とめでたい幽霊』
第二幕 難波を満喫
先生は動物の皆そして王子と一緒に大阪に来ました、大阪の難波に入ると王子は先生ににこにことして言いました。
「やっぱり大阪はいいね」
「王子も大好きだよね」
「こんないい街はないよ」
なんばパークスの前で言います、タワーと公園が合わさった様な素敵な景色が活気に満ちた街の中にあります。
「本当にね」
「そうだね、僕も大好きだよ」
先生も笑顔で応えます。
「活気に満ちていて賑やかでね」
「お笑いも美味しいものもあってね」
「こんな楽しい街はないね」
「世界でもね、それでだけれど」
ここで王子はそのなんばパークスを見て言いました。
「ここは昔球場だったんだよね」
「大阪球場だね」
「そうだったね」
「そこに古書街や食べもののお店やスケート場もあってね」
「賑やかだったんだね」
「その頃からね、南海ホークスの本拠地で」
このチームのというのです。
「多くの選手がここで戦ってきたんだ」
「そして数勝負の名勝負が繰り広げられてきたね」
「野村さんや杉浦さん、門田さんや広瀬さんが活躍してね」
「皆南海の人だね」
「そして稲尾さん、中西さん、鈴木さんや山田さん、福本さんに江夏さん、榎本さんや山内さんそれに土橋さんや大杉さんもね」
他のチームの人達もというのです。
「ここで戦ってきたんだよ」
「まさに古戦場だね」
「そうだよ」
まさにというのです。
「この球場はね」
「そうした場所なんだね」
「そうだよ、今はお買いものや食事を楽しむ場所で」
「それでだね」
「そう、昔はね」
「野球をしていたんだね」
「そしてここの九階にね」
なんばパークスの九階にというのです。
「南海ホークスのコーナーがあるよ」
「記念館かな」
「そうだよ、じゃあそこにもね」
「これからだね」
「行こうね」
こう言ってでした。
先生は皆をなんばパークスの中に案内しました、そしてエスカレーターで登っていって九階に着くとでした。
そこには緑と白の世界がありました、動物の皆はその世界を見て言いました。
「南海って今のソフトバンクだね」
「その前はダイエーで」
「福岡のチームでね」
「黒と黄色がカラーだよね」
「けれどこの頃は」
「緑と白だったんだ」
「そうだよ、南海のユニフォームはそうだったんだ」
先生は九階のその南海ホークスの資料を観て回る皆にお話しました、王子もそこにいて一緒に観て回っています。
「チームカラーは緑でね」
「それで緑と白だね」
「そのユニフォームなんだね」
「かつてはそうだったんだね」
「それがね」
先生はさらにお話しました。
「九州に行ってなんだ」
「チームカラーが変わったんだ」
「あの黒と黄色の感じになったんだ」
「本当に全く違う感じがするね」
「今とは」
「ホークスは福岡に移ってかなり変わったよ」
そうなったというのです。
「九州に根付いて野球のスタイルもね」
「そうそう、今のホークスって力だよね」
「圧倒的な力で相手を捻じ伏せる」
「そうしたチームだよね」
「やっぱりね」
「鶴岡さんの時も強かったけれどね」
その鶴岡さんのお写真とユニフォームを観てお話します。
「この頃は今みたいにワイルドな感じじゃなかったみたいだよ」
「幾ら強くても」
「また違うタイプの強さだったんだ」
「南海時代は」
「そうだったんだね」
「何もかもが整えられた感じの強さだったみたいだね」
その頃はというのです。
「今は本当にワイルドだからね」
「そうだよね」
「物凄く強いけれど」
「やっぱり九州のカラー出てるのか」
「ワイルドな感じは否定出来ないね」
「本拠地が変わったことがね」
大阪から福岡にというのです。
「大きいね」
「そういうことだね」
「今のホークスは福岡のチームだから」
「やっぱり福岡のカラーが出て」
「ああしたチームになっているんだね」
「そう思うよ、当時の南海は鶴岡さんが創り上げて率いてきたチームで」
それでというのです。
「やっぱり鶴岡さんの存在もね」
「大きかったんだ」
「そういえば今のホークスにも王さんがおられるね」
「あの人の存在大きいね」
「何といっても」
「福岡に加えてね、そして今ここで紹介されているのがね」
先生は皆にお話しました。
「昭和の頃の。大阪にあった頃のホークスだよ」
「南海ホークスだね」
「緑と白のチームだね」
「ここにあった大阪球場を本拠地としていたチームだね」
「そうなんだ」
皆にこうお話してでした。
先生は皆と一緒に南海ホークスについて観て回りました、そこには昭和の大阪の息吹もありました。
その中で野村克也さんの資料も観て先生は言いました。
「まさに偉大な野球人だったね」
「そうだよね」
「色々トークも面白くて」
「口が悪い様で何処か憎めなくて」
「素敵な人だったわ」
「現役時代の殆どを南海で活躍していたんだ」
野村さんはというのです。
「キャッチャーで主砲で後には監督まで兼任して」
「それでだね」
「凄く活躍して」
「南海にも貢献して」
「それで素晴らしい成績も残したんだね」
「そうだよ、この人も南海におられたんだ」
その野村さんもというのです。
「そのことも覚えていこうね」
「そうだね」
「野村さんも南海におられてね」
「物凄いことをした」
「そのことも覚えておこうね」
「是非ね」
こう皆にお話してなんばパークスからです。
難波の自由軒という洋食屋さんに入りました、すると動物の皆は先生に満面の笑顔でこう言うのでした。
「いや、やっぱりね」
「難波に来たらここで食べないとね」
「ご飯とルーが最初から一緒になってるカレー」
「そのカレーをね」
「うん、僕も大好きだよ」
先生も笑顔で応えました。
「ここのカレーはね」
「昔からこうなんだよね」
王子も言ってきました、その昔ながらの造りのお店の中で織田作之助さんの写真や由来の言葉が書かれているお店の中で、です。
他のお客さんはカレーを食べています、王子はその姿も見て言います。
「戦争前から」
「まさに織田作之助さんの頃からね」
「そうだよね」
「その昔ながらの味をね」
「今から食べようね」
「そしてね」
先生はさらに言いました。
「今日はここからね」
「さらにだね」
「いづも屋にも行って」
鰻丼のそちらにもというのです。
「鰻も食べてね」
「そしてだね」
「善哉もね」
こちらもというのです。
「食べようね」
「食べることがだね」
「そしてお店とお店の間を歩いていくこともね」
このこともというのです。
「今回の目的だよ」
「フィールドワークだね」
「そうなんだ」
「先生いつも言ってるわね」
ガブガブが言ってきました。
「学問は本を読むだけじゃないって」
「歩くことも学問だってね」
ホワイティも言います。
「いつも言ってるね」
「現場に足を運んでその目で見る」
「フィールドワークも大事だって」
チープサイドの家族もお話します。
「いつもそう言って」
「実際にそうしてるからね」
「本を読むだけでは不十分だってね」
老馬も言います。
「そう言ってそうしてるね」
「そして今回もなのね」
ポリネシアも言います。
「難波を歩いて回るのね」
「織田作之助さんが実際に歩いた場所だね」
ジップはこの人のことを思うのでした。
「お店とお店の間を」
「作品にも出て来たんだよね」
トートーは先生に尋ねました。
「そうだったね」
「夫婦善哉でね」
まさにその作品でとです、チーチーは言いました。
「そうだね」
「あの頃と今じゃ街も全く変わってるね」
「戦争前だっていうしね」
オシツオサレツはここでも二つの頭で言いました。
「それじゃあね」
「全然違うね」
「それでもこのお店に織田作之助さんがいて」
ダブダブはお店の中を見回して言うのでした。
「あのカレーを食べていたんだね」
「そうだよ、そして今宮という場所もね」
この場所もというのです。
「作品で書かれているよ」
「確か南海線で新今宮ってあったね」
「その駅がね」
「じゃああの辺りかな」
「そうかな」
「うん、世相という作品に出て来たんだ」
こうお話するのでした、ここで。
そのカレー達、皆のそれが来ました。気さくで明るいお店の人達もとても大阪らしい人達と言えます。
「その場所はね」
「その作品に出て来るんだ」
「じゃあそこにも行こうね」
「また機会を見て」
「そうしようね」
「うん、あと大阪市に出身校もあるんだ」
ご飯とルーが最初から一緒になっていてです。
真ん中に生卵があるカレーの卵のところにおソースをかけます、そのうえで生卵とカレーを混ぜてからです。
カレーを食べます、そうして先生は言いました。
「上本町の方にね」
「織田作之助さんのお墓があるっていう」
「あそこになんだ」
「出身校があるんだ」
「そうなんだね」
「高津高校って言って大阪の公立高校ではかなり有名だよ」
このこともお話するのでした。
「そちらにも行くよ」
「出身校にも行くんだね」
「織田作之助さんのそちらにも」
「何か色々と行くね」
「本当に」
「そうだね、けれどそれがね」
先生はカレーを食べながら言います、その味はかなりのものです。
「学問だよ」
「フィールドワークだね」
「それになるんだね」
「それじゃあだね」
「そちらにも行くんだね」
「そうしようね」
是非にというのです、そして。
皆でカレーを食べます、そのカレーは他のお店にはない独特なそれでいて昭和の懐かしささえ感じさせる味でした。そのカレーを皆で食べて。
それから今度はいづも屋に行きます、そこではです。
鰻がご飯の中にあります、先生はその鰻丼を食べながら皆にお話しました。
「ここも作品に出てね」
「夫婦善哉にだよね」
「その作品に出ていて」
「それでだね」
「主人公達が食べていて」
「織田作之助さんもなんだ」
「食べていたんだ、作品では主人公と旦那さんが行くんだけれど」
先生はその鰻丼を食べつつ皆にお話します、これまた他にない味です。
「実は旦那さんは結婚していて家庭あるんだ」
「じゃあ不倫だね」
「要するにそれだね」
「結構あれだよね」
「今だとね」
「実際に旦那さんはだらしない人なんだ」
家庭を持っていて主人公と付き合うその人はというのです。
「むしろ主人公の方がね」
「しっかりしていてだね」
「頑張ってるんだ」
「そうなんだね」
「お店をやっていてそれを次々と変えるんだけれど」
作品の中ではというのです。
「主人公がしっかりしていて」
「旦那さんはだらしなくて」
「それで困ってるんだ」
「そうなんだね」
「それで大阪の街を彷徨う感じなんだ」
それが夫婦善哉だというのです。
「お家はあってもね」
「ああ、何かふらふらとしてだね」
「二人で彷徨ってる感じなんだ」
「放浪しているっていうか」
「そうした風なのね」
「それが織田作之助の特徴なんだ」
この人の作品のというのです。
「大阪の中を放浪して流れ流れてね」
「そうなるんだ」
「何かあてもない感じで彷徨って」
「それでなんだね」
「うん、最後は落ち着くんだ」
そうなるというのです。
「仮寝みたいなところでもそこにってね」
「彷徨った挙句に」
「流れ流れて」
「それでその最後になんだ」
「落ち着くんだ」
「そこで作品が終わることが多いんだ」
織田作之助の作品はというのです。
「基本ハッピーエンドだね」
「落ち着くからだね」
「そうなるんだね」
「ハッピーエンドはいいよね」
「それなら」
「そうだね、それならね」
ハッピーエンドならというのです。
「いいね、だらしない主人公が多いけれどね」
「憎めなくて」
「それででも生きていて」
「それであちこち渡り歩いて」
「それで最後は落ち着く」
「そこで終わるんだ」
「読んでいたらその落ち着いたところでね」
まさにそこでというのだ。
「留まる感じだね」
「じゃあやっぱりハッピーエンドだね」
「終わりよければ全てよしだし」
「そこで終わるならね」
「落ち着いたところで幸せに暮らすなら」
「うん、だから読んでいてもほっとするんだ」
そうなるというのです。
「最後は落ち着くからね」
「そう聞くと僕も読みたくなったよ」
王子は鰻をご飯の中から出してです。
それとご飯にかけてあるタレでご飯を食べながら先生に言いました、食べる表情はとても明るいです。
「織田作之助さんの作品を」
「読むといいよ、文章は読みやすいし一作一作短いしね」
「短編なんだ」
「短編作家なんだ」
実際にというのです。
「その辺りは芥川や太宰と同じだね」
「二人共短編多いしね」
「太宰で長めの作品は斜陽や人間失格だけれど」
「どちらも太宰の代表作だよね」
「どちらもすぐに読めるよ」
長めでもというのです。
「そして織田作之助の作品はね」
「もっと短いんだ」
「そうなんだ」
これがというのです。
「だから読もうと思ったらね」
「すぐに読めるんだね」
「一作一作ね」
「じゃあ夫婦善哉も」
「短めだから」
代表作と言っていいこの作品もというのです。
「すぐに読めるよ」
「しかも文章は読みやすいんだね」
「そうなんだ」
実際にというのです。
「これがね」
「読んでみるね」
王子は笑顔で応えました。
「ここで話すよりも」
「それよりもだね」
「本は読むことだからね」
「その通りだよ」
「そうだね、読むよ」
織田作之助の作品もというのです。
「僕もね」
「そうしてね、ちなみにね」
先生はさらにお話しました。
「夫婦善哉の主人公のモデルは作者のお姉さんらしいよ」
「織田作之助の?」
「うん、随分しっかりとして織田作之助を可愛がっていたらしくて」
「それでなんだ」
「作品の主人公のモデルにもね」
そちらにもというのです。
「したらしいよ」
「そうなんだ」
「大阪の女の人だけれど」
夫婦善哉の主人公はというのです。
「まさにその人がね」
「作者のお姉さんなんだ」
「実際はこの人はしっかりとした家庭を持って」
不倫はしないでというのです。
「ご主人としっかりお店を切り盛りしていたらしいけれど」
「作品ではなんだ」
「不倫をしてね」
「それで頼りない人と一緒になって」
「その人を助けたり怒ったりしながらね」
そうしつつというのです。
「大阪の街を彷徨いつつもね」
「しっかり生きていくんだ」
「そうした人なんだ」
「成程ね」
「ちなみに旦那さんの実家のお店の入り婿でお店を継いだ人は」
この登場人物はといいますと。
「お姉さんのご主人みたいだね」
「その人はなんだ」
「うん、生真面目で融通が利かなくて主人公達に冷たいけれど」
「お姉さんのご主人とは折り合い悪かったのかな」
「そうみたいだね」
どうもと答える先生でした。
「織田作之助は」
「成程ね」
「ちなみに織田作之助自身も彷徨っていたよ」
作者であるこの人自身もというのです。
「大阪の中学を出て京都の三高今の京都大学に進学したけれど」
「当時だと凄いよね」
「もう将来を約束された位にね」
「そうだよね」
「けれここで結核になって」
それでというのです。
「身体が悪くなって勉強する気も失って学校にも行かなくなってね」
「彷徨いだしたんだ」
「うん、そこで奥さんになる人とも会って」
そしてというのです。
「その人が危ない人と付き合っていたり」
「そんなこともあったんだ」
「別れさせる為に動いたり東京で就職したりね」
「東京にいたこともあるんだ」
「そうなんだ、けれどね」
それでもというのです。
「やっぱり生粋の大阪人でね」
「だからだね」
「大阪に戻ってね」
「それからはだね」
「大阪に住んで」
そしてというのです。
「大阪で暮らしてね」
「お仕事もだね」
「こちらの新聞社に就職したりしていたんだ」
「そうしていたんだ」
「それで暮らしていて」
それでというのです。
「執筆もはじめてね」
「作家さんになったんだ」
「そうだったんだ、ただ結核はずっとね」
「あったんだね」
「そうだったんだ、けれどその中でね」
「書いていって」
「昭和十年代からそうでね」
それでというのです。
「終戦を経ても」
「その間も書いていたんだ」
「作品は大阪を舞台にしていて」
今度は作風のお話もしました。
「今お話した通りにね」
「大阪の中を彷徨って」
「それで最後に落ち着く」
「そうなるんだね」
「彷徨い方はそれぞれだけれどね」
「お家を転々としたり」
「お仕事をそうしたりね」
そうしてというのです。
「転々として。その中でお金や女の人と何かあったり」
「ああ、夫婦善哉みたいに」
「そうなんだ、お金を持ち逃げする様なこともね」
「あるんだ」
「夜逃げみたいなこととかね」
「あまり清廉潔白でないんだね」
「根っからの悪人でなくても」
それでもというのです。
「ついつい悪いことをしてしまう」
「それも人間だよね」
「それで困っている人を助けたりもね」
「あるんだね」
「そうした清濁があって」
そしてというのです。
「人間臭いね」
「そんな大阪の人達をなんだ」
「書いているんだ」
「そうだよ、猿飛佐助もね」
この忍者ものもというのです。
「人間臭いよ」
「そう言われると夏目漱石や森鴎外とは違うね」
王子もここまで聞いて思いました。
「どうも」
「そうだね」
「うん、漱石さんも人の弱さも書くけれど」
「また違うね」
「清濁併せ呑むというか」
「織田作之助の作品は本当に泥臭いんだ」
そうした作風だというのです。
「ありのままの市井の人でね」
「洗練さはなくて」
「泥臭くてね、弱くて時に悪いこともして」
「彷徨って」
「いいこともしたりして」
「最後は落ち着くんだね」
「そうなんだ」
こうした人達が書かれているというのです。
「それで言葉もね」
「大阪だからだね」
「そっちだよ」
「随分と親しみが持てる感じだね」
「織田作之助自身その中にいたから」
大阪の人達のというのです。
「だからね」
「書けたんだね」
「そうだよ」
「それは本当に面白しろそうだね、じゃあ」
「読んでね」
「そうさせてもらうよ」
こう言ってでした。
王子は今は鰻丼を食べました、そしてです。
鰻の後はそこから歩いて法善寺横丁に行ってです、夫婦善哉に入りました。こちらも昔ながらの趣のお店で。
動物の皆はそのお店の中で注文した善哉を食べながら言いました。
「何かこうね」
「昔の昭和の日本を感じるね」
「大正から昭和になって少し経ったみたいな」
「木造でね」
「それで親しみの持てるね」
「いい雰囲気だよね」
先生は皆に微笑んで応えました。
「これもまた」
「そうだよね」
「このままこのお店にいたいよね」
「そうだよね」
「暫くの間ね」
「横丁の雰囲気もいいしね」
お店のあるそちらもというのです。
「凄く」
「そうだよね」
「昔の日本があって」
「今の日本も素敵だけれど」
「昔の日本もいいのね」
「日本の魅力は一面だけじゃないんだ」
今だけではないというのです。
「過去の。色々な時代の日本もそうで」
「昭和のはじめの頃の日本もだね」
「こうして魅力的なのね」
「自由軒やいづも屋もそうだったけれど」
「それでなんばパークスの前にあった大阪球場も」
「そうだよ、こうしたものを見ながら」
そうしえというのです。
「今はね」
「夫婦善哉だね」
「それを食べて」
「そしてだね」
「楽しむのね」
「そして織田作之助さんを学ぼうね」
この人をというのです。
「そうしようね」
「確かこのお店になんだよね」
ここでチーチーが言いました。
「主人公と旦那さんが入るんだったね」
「旦那さんが病気になってね」
老馬も言います。
「退院してから暫く何処かに行っていて」
「それでふらっと帰ってきて」
「美味いもの食べに行こうって言って」
チープサイドの家族も言いました。
「それでこのお店に来たんだね」
「二人でね」
「それで食べるんだよね」
トートーの言葉には感慨があります。
「このお店で」
「作品の事実上の最後の場面だったわね」
ガブガブはこう言いました。
「後で少し続く感じだったけれど」
「前に続編があってそっちが発表されたけれど」
それでもと言ったのはポリネシアでした。
「二人で食べに来た印象的な場面なのは時事うtね」
「本当に色々あって彷徨って」
そしてとです、ジップは言うのでした。
「最後に落ち着く感じだね」
「その場所がこのお店なんだね」
ホワイティはお店の中を見回しています。
「二人が落ち着いた場所だね」
「そこから二人は別府に行くんだよね」
「九州の方にね」
オシツオサレツは続きのお話をしました。
「けれどね」
「大阪でそうなる場所だね」
「そこに僕達はいるんだね」
ダブダブも今は食べることより作品のことを考えています」
「そうなんだね」
「そうだよ、では今からね」
先生は皆にあらためて言いました。
「その善哉を食べようね」
「そろそろ来るね」
「それじゃあ皆で食べよう」
「カレー、鰻丼と続いて」
「織田作之助さんの作品の食べものをね」
「そうしようね、ちなみにあのカレーは名物カレーというんだ」
自由軒のカレーはというのです。
「混ぜカレーともいうけれど」
「あのお店の名物だから」
「それでなのね」
「名物カレーだね」
「そう呼ばれるんだね」
「そうなんだ」
このこともお話してでした。
皆で遂に来たその善哉を食べます、二つのお碗にそれぞれ入ったそれはまさに夫婦そのものでした。
その善哉を食べて先生は笑顔で言いました。
「いいね」
「甘くてあったかくて」
「心まで温もりそうだよ」
「普通に美味しいけれど」
「それが二杯もあるのがね」
「余計にいいね。デザートにね」
カレーに鰻丼を食べた後にというのです。
「いいね」
「織田作之助さんを満喫したみたいで」
「確かにいいわね」
「じゃあそれを食べて」
「そしてね」
「今回のフィールドワークは終わりだよ」
そうなるというのです。
「他にも色々歩くけれどね」
「次の機会だね、じゃあ今日は」
王子が言ってきました、勿論この人も食べています。
「これで神戸にだね」
「帰るよ」
「そうするね」
「うん、ただね」
「ただ?」
「何度も来るからね」
大阪にはというのです。
「楽しんでやっていこう」
「それじゃあね」
「皆でね、ただね」
「ただ?」
「いや、今僕達は神戸に住んでいるけれど」
それでもというのでした、ここで。
「しかしね」
「それでもなんだ」
「うん、大阪に住むことも」
「ああ、悪くないね」
「そうだね」
「僕もそう思うよ、住んでいるだけで」
ただそれだけでというのです。
「素敵な街だからね」
「だからだね」
「それが可能なら」
「大阪にだね」
「ずっといたいね」
「そう思わせてくれる街だね、だからね」
そうした街だからだというのです。
「織田作之助さんもだよ」
「大阪が好きだったんだね」
「愛していたんだ」
「この街を」
「そう、そしてね」
そのうえでというのです。
「ずっと書いていたんだよ」
「大阪の人達を」
「だから東京で亡くなったけれど」
それでもというのです。
「大阪に帰った時にあらためてお通夜やお葬式がね」
「行われたんだ」
「大阪でね、それでお墓も」
「大阪にあるんだね」
「上本町にね、それで上本町の方にも行くし」
大阪のそちらにもというのです。
「それで産まれた場所にもね」
「行くんだ」
「銅像もあるから見るよ」
こちらもというのです。
「そうしようね」
「行く場所は多いね」
「だから楽しめるよ」
「そうなるね」
王子は笑顔で応えました、そうしてです。
皆で夫婦善哉の善哉も食べました、そちらも美味しくて皆は三度舌鼓を打ちました、そうしてでした。
神戸のお家に戻ってから先生はトミーに言いました。
「今度は粕汁や関東煮も食べたいね」
「関東煮って何ですか?」
トミーはその料理について尋ねました。
「一体」
「おでんだよ」
「おでんですか」
「うん、関西のおでんは本来はお味噌を入れていたんだ」
「そうだったんですね」
「それで普通のだしのものはね」
「関東煮ですか」
こう言うのでした。
「そう呼んでいたんですか」
「そうなんだ」
「そうでしたか」
「そこが違っていてね」
それでというのです。
「昔の大阪では分けられていたんだ」
「織田作之助さんの頃はですね」
「それで主人公達もそのお店をやっていたこともあるんだ」
「その関東煮のですね」
「そうですか」
「それで今度はね」
次に言った時はというのです。
「粕汁にね」
「その関東煮もですね」
「食べたいね、そちらのお店も作品に出るから」
だからだというのです。
「楽しみにしてるよ」
「フィールドワークで行くのも」
「そうなんだ」
「フィールドワーク自体がお好きですが」
「今回は特にね」
「そうですか」
「うん、凄くね」
まさにというのです。
「楽しんでいるよ。大阪の街自体も楽しいし」
「いい街ですよね」
「凄くね」
「そうした街ですよね」
トミーも笑顔で応えました。
「大阪は」
「そうだよね」
「何処も楽しいですね」
「あんないい街はないよ」
「僕もそう思います」
トミーにしてもです。
「本当に。あと大阪は水の都といいますね」
「うん、そうだよ」
先生はトミーの今の質問にも答えました。
「川が多くてね」
「その中に街がありますね」
「そうだよ、その川の多さを利用して」
そしてというのです。
「秀吉さんもお城を築いたしね」
「大阪城ですね」
「あのお城は石垣も城壁も高くて多くの門や櫓が巧みに配されていて」
「難攻不落でしたね」
「そうだよ」
まさにというのです。
「そう言われていたんだ」
「当時世界屈指の要塞で」
「もう攻め落とそうと思ったら」
「不可能と言われていたんですね」
「そこまでだったんだ」
大阪城はというのです。
「本当にね、大坂の陣で陥落したけれど」
「それは堀を埋めたからですね」
「それが大きかったよ」
「そのお水ですね」
「周りが多くの川に囲まれていて」
大阪城はというのです、秀吉さんの頃は大坂城と書かれていましたが先生はあえて今の書き方で通しています。
「そしてね」
「堀もあって」
「難攻不落だったんだ」
「それだけ川が多いんですね」
「船場という地名もね」
「船着き場だったからですね」
「傍に海があって」
そしてというのです。
「淀川があってそしてその中に沢山の川があって」
「水運がとてもよくて」
「商業が栄えたんだ」
「それが大阪の発展の理由ですね」
「だから水の都と呼ばれていて」
そしてというのです。
「橋や堀にちなんだ地名も多いんだ」
「日本橋や道頓堀ですね」
「特に橋の地名が多いですね」
「本当に多いですね」
トミーもその通りだと頷きました。
「大阪は」
「市全体で」
「それもだよ」
「それだけ川が多いということですね」
「そして川が多いと」
「橋が多くなりますね」
「必然的にそうなりますね」
先生の言葉に頷きました。
「そうですね」
「それで江戸は八百八町と呼ばれていたけれど」
それがというのです。
「大阪ではね」
「八百八橋ですか」
「それだけ橋が多かったんだよ」
「そういうことですね」
「大阪ね、ちなみ人口は江戸よりもね」
「大阪の方がですか」
「多かったみたいだよ、あと町人の町で」
大阪はというのです。
「武士は少なかったんだ」
「江戸は百万の人口のうち半分が武士でしたね」
「各藩からも来てね」
「武家の町でもありましたね」
「武家の町の場所も多くてね」
江戸にはというのです。
「武家屋敷もね」
「並んでいたんですね」
「そうだったよ、けれどね」
それがというのです。
「大阪はね」
「武士の人が少なかったんですか」
「江戸時代はね、大坂城代の人がいて」
幕府のこの役職の人はです。
「奉行所もあったけれどね」
「江戸は南北で大坂は東西ですね」
トミーもこのことは知っていました。
「確か」
「そうだよ、それで武士の人もいたよ」
「いるにはですね」
「けれど何十万の中で数百人位しかね」
「いなかったんですか」
「だから死ぬまで武士を見なかった人もいるんだ」
そうした人もいたというのです。
「大阪はね」
「町人の町といいますが」
「そこまでだったんだよ」
「それで織田作之助さんもですね」
「その中で生まれてね」
そしてというのです。
「ずっとね」
「暮らしていたんですね」
「そのこともね」
「織田作之助さんについては」
「重要なんだ」
そうだというのです。
「東京とは全く違う世界に暮らしていた」
「そうだったんですね」
「根っからの町人で商売人の家にね」
「産まれていて」
「育って暮らしてその中にいたんだ」
そうだったというのです。
「だから作品にもね」
「出ていますね」
「そのことが。それも濃くね」
ただ出ているだけでなくというのです。
「そうだったんだ」
「そこも重要ですね」
「大阪という町を知って理解する」
先生は穏やかですが確かな声で言いました。
「そのこともね」
「織田作之助さんを理解することですね」
「そうだよ、それとこの人は西鶴さんの影響もね」
「あの古典の」
「最初は読んでいなかったけれど」
それがというのです。
「作風が似ているとも一脈通じているとも言われてね」
「それで、ですか」
「読む様になってね」
「影響もですか」
「受ける様になったんだ、実は近現代の文学は古典の影響も受けているんだ」
日本のそれはというのです。
「実はね」
「そうだったんですね」
「芥川龍之介は今昔物語を題材にした作品が多いし」
この文豪のお話もしました。
「太宰治は御伽草紙、三島由紀夫は能を言われているね」
「三島由紀夫もですか」
「そして谷崎潤一郎も源氏物語を訳しているよ」
この人もというのです。
「そして井伏鱒二や石川淳、円地文子もね」
「古典から影響を受けていますか」
「作家と古典という本があって」
「その本で、ですか」
「書かれていたんだ」
こうトミーにお話しました。
「そうしたこともね」
「近現代の作家さんと古典ですか」
「関係ない様でね」
「関係があるんですね」
「古典は重要な教養で」
そしてというのです。
「そして非常にいい執筆の資料、素材だからね」
「作品の元にもなる」
「だからね」
「多くの作家さんが読んでいるんですね」
「そうだよ、夏目漱石なんかもね」
この人もというのです。
「イギリス留学の経験だけじゃなくて」
「古典の素養もあったんですか」
「漢詩にも造詣があったし多くの俳句も残しているよ」
「俳人でもあったんですね」
「そうだよ、あの人もかなりの教養人だったんだ」
文豪であっただけでなくというのです。
「そして森鴎外もね」
「あの人はドイツ留学をしていましたね」
「それと共にね」
「やっぱり相当な教養があったんですね」
「古典のね、だから江戸時代の文章で書いた作品もあるよ」
「江戸時代のですか」
「候文のね、そもそも舞姫の頃は古典的な文体だったしね」
今度は文体のお話もしました。
「それを変えていっているし教養もね」
「凄かったんですね」
「そうだよ、だから作家さんと古典の関係もね」
こちらもというのです。
「学ぶと面白いよ」
「そうですか」
「これは他の国でも同じだよ」
「イギリスでもですね」
「勿論、アーサー王やシェークスピアもだね」
「言われてみますと」
まさにとです、トミーも頷きました。
「そうですね」
「古典には無限の叡智があってね」
「それを学ぶことは現代作家にも有益ですね」
「とてもね、そして織田作之助さんもね」
この人もというのです。
「井原西鶴さんの影響があると言われて」
「それで読みはじめて」
「次第にね」
「影響を受けたんですね」
「最初は読んでいなかったみたいだけれど」
それでもというのです。
「読む様になってね」
「影響を受けたんですね」
「そうだよ、今回の論文ではそのこともね」
織田作之助と井原西鶴の関係もというのです、先生はトミーに穏やかでかつ知性を感じさせる笑顔でお話しました。
「書いていくよ」
「そうしていきますね」
「そうだよ、じゃあこの後も」
「本を読まれて」
「論文を書いていくよ」
笑顔で言う先生でした、先生と織田作之助の関りはさらに深まっていくのでした。