『ドリトル先生と幸せになる犬』




                第五幕  ボランティアの人のアドバイスで

 先生は大学で学問を行いながら保護された生きものの為にボランティアもしています、その中で保護された犬や猫の去勢や不妊手術にです。
 健康チェックもしています、今日はボランティア団体の施設で健康診断をしていますがその時にでした。
 団体のスタッフの人が先生からふわりのお話を聞いて暗いお顔で言いました。
「そうしたことはです」
「ありますね」
「残念ですが」
 今も動物の皆と一緒にいる先生に答えました。
「そうです」
「左様ですか、やはり」
「イギリスでもありますね」
「はい」
 先生も残念なお顔で答えました。
「僕の祖国でも。そしてです」
「他の国でもで」
「日本でもですね」
「中には自分が旅行に行きたいから」
 たったそれだけの為にというのです。
「猫を保健所に送るなんて人もです」
「それはあんまりですが」
 先生だけでなく動物の皆も嫌なお顔になりました、先生はその中でスタッフの人に答えました。声も暗くなっています。
「やはりです」
「そうした人はですね」
「何処でもいますね」
「やはりそうですね」
「人間の嫌な面の一つです」
「この人は保健所の人に殺処分されると言われてもです」
 自分が旅行に行きたい為にというのです。
「平気で。娘さんが泣いてもです」
「可愛がっている猫が殺されるからですね」
「娘さんに怒鳴ったそうです」
「ご自身のですか」
「そうです、旅行か猫どちらか選べとです」
 その様にというのです。
「怒鳴って迫ったそうです」
「最早人間ですらないですね」
 先生はそのお話を聞いて確信しました。
「その人は」
「鬼畜や外道と呼んでいいですね」
「そう思います」 
 先生も答えました。
「実際に」
「そしてその人の奥さんも」
 その人だけでなくというのです。
「また新しい猫を飼うと」
「娘さんに言いましたか」
「そうです」
「その夫婦は生きものを二度と飼ってはいけません」
 先生は言い切りました。
「そして出来れば娘さんもです」
「引き離すべきですね」
「生物学的に親であっても」
 それでもというのです。
「人間としてです」
「親になれないですね」
「とてもです」
 そうした人だというのです。
「命を全く何とも思っていません」
「そうした人に子育てはですね」
「出来る筈がありません」
 全くというのです。
「そしてです」
「さらにですか」
「その夫婦は注意して見ておいて下さい」
 そうしないといけないというのです。
「そこまで命を粗末に出来て娘さんにも冷酷なら」
「それならですか」
「もうどんな悪事をしても平気です」
 そんな人達だというのです。
「自分達以外は何とも思っておらず倫理観もです」
「ないですか」
「サイコパスの可能性すらあります」
 先生は心理学者で精神科医でもあります、その立場から言いました。
「自分達の下らない理由でどんな悪事もです」
「働きますか」
「そうする人達です」
 まさにというのです。
「ですから」
「要注意ですか」
「はい」
 そうだというのです。
「まことに」
「そういえば」
 先生に言われてです、スタッフの人もはっとなって応えました。
「生きものを虐待する人はやがて」
「人にもですね」
「そうします」
「異常犯罪者や凶悪犯にも特徴がありまして」
「命を粗末にする人はですか」
「人にも命はありますので」
 だからだというのです。
「普通にです」
「人も粗末にします」
「その夫婦は既に娘さんも粗末にしています」
「怒鳴って猫を死なせることに同意させようと迫っていますね」
「自分達が旅行に行きたい為に」
 まさに自分の欲の為にというのです。
「こうした人達はです」
「どんな悪事を犯しても平気ですか」
「そして悪事がばれても訴えられないとです」
「平気ですか」
「世の中そんな人達もいますから」
 こうスタッフの人にお話しました。
「そして裁判にかけられても罪悪感もなく」
「そこに至っても」
「嘘や言い逃れに終始します」
「罪だけは逃れようとしますか」
「他の人をどれだけ騙してもです」
「本当に罪悪感がないんですね」
「命をどう思うかは良心のパラメーターの一つではないか」 
 その様にというのです。
「僕は考えています」
「ではこの夫婦はですね」
「良心がありません」
「それがサイコパスで」
「はい、自分達の都合で」 
 それがどれだけ自分勝手で下らないことでもというのです。
「平気で悪事を犯し人を踏み躙ります」
「だから要注意ですか」
「若し悪事を行えば」
 その時はといいますと。
「容赦なく通報すべきです、見逃しても」
「反省もしないですか」
「絶対にしないです」
 そうした人はというのです。
「そして躊躇なくです」
「悪事を繰り返しますか」
「ですから」
「警察に通報すべきですか」
「確かな証拠を掴めば尚更いいです」
 その時はというのです。
「まことにです」
「そうした人はですね」
「注意することですね」
「はい」
 先生は強い声で答えました。
「実に」
「わかりました、そうします」
 スタッフの人も答えました。それも真剣なお顔で。
「先生の言われる通り」
「お願いします、それが犯罪を減らし」
「可哀想な生きものを減らすことにもなりますね」
「こう思いたくないですが」
 先生はこう前置きしてお話しました。
「世の中あまりにも人間性が酷く」
「それで、ですか」
「生きていてはいけない」
「そうした人もいますか」
「生きているだけで害毒を垂れ流し迷惑を撒き散らす」
 そうしたというのです。
「碌でもない人もいます」
「生きものや人を虐待する人もで」
「はい、人間として徳分を備えることも磨くこともせず」
「悪徳ばかり身に着ける人もですね」
「います、創作でもそうした人は出ますが」 
 先生は文学のことも思い出しました。
「ですが」
「現実でもですね」
「そうした人はいます、自分だけしかなくて」
「自分以外の命を平気で踏み躙る」
「そんな人達もいるのです」
「それはですね」
 スタッフの人はここまで聞いて言いました。
「その娘、ふわりちゃんでしたね」
「はい、そうです」
「ふわりちゃんの前の飼い主の人達も」
「若しかしてです」
「そうした人達かも知れないですか」
「そうかも知れないですね、そうではないとです」
 その様にというのです。
「思いたくないですし」
「反省もですね」
「僕はして欲しいです」
 そう考えているというのです。
「実は」
「そうですか、ただふわりちゃんはペットショップにいたんですね」
「そうです」
「そのお店はわかりますか」
 スタッフの人は先生に尋ねました。
「生体販売自体に問題があると言えばありますが」
「それでもですね」
「心あるお店ならこうしたことをお話しますと」
「対応もですね」
「検討して実際にです」
「実行に移してくれますね」
「そうしてくれるでしょうから」
「わかりました、では今の飼い主の人達に聞いてみます」
 ふわりの今の飼い主の人達にとです、先生も答えてでした。
 実際にふわりの今のお父さんに電話で聞きました、するとご主人は先生にふわりの血統書からふわりがいたお店だけでなくです。
 ふわりの実の両親とその両親の飼い主まで調べました、血統書にふわりの両親とその飼い主それにふわりがいたお店まで書いてあったのです。有り難いことにそうした血統書だったのです。
 それで先生はまずはふわりがいたお店に行くことにしましたが。
 ここでチープサイドの家族が言いました。
「ふわりって血統書あるんだ」
「そうした娘なのね」
 こう言うのでした。
「だから百万近くしたのね」
「そのこともあって」
「血統書があるとね」
 どうかとです、ポリネシアも言いました。
「やっぱりペットとしては価値が出るわね」
「ティーカッププードルの女の子は人気があるし」
 こう言ったのはトートーです。
「やっぱり値段も結構だね」
「お金のお話じゃないけれど」
 それでもとです、ガブガブは思いました。
「けれどね」
「そこまでして買った娘捨てる?」
 ダブダブはそれがわかりませんでした。
「そもそも」
「おもちゃでも高いものだと大事にするよ」
 ホワイティも言います。
「それを飼育放棄してポイとか」
「元々ものの有り難さもわかってなかったんじゃなかな」
 チーチーは首を傾げさせました。
「ふわりの前の飼い主の人達は」
「お金の大事さもわかってないんじゃないの?」
「百万近くって相当だよ」
 このことはジップが言いました。
「それだけで買った娘を平気で殺処分になってもいいとか」
「本当に自分達だけの人?」
「他のものに何の価値も感じていない」
 オシツオサレツも思いました。
「命についてもものについても」
「お金についても」
「そうだね、命どころかね」
 それこそと言う先生でした。
「もう自分達以外はね」
「価値がない」
「可愛がってる、愛情を持っている様に見えても」
「大事にしている様に見えても」
「それはおもちゃで遊んでるだけ」
「それもおもちゃも粗末にする」
「そんな人達だとね」
 先生はペットショップに向けて歩きながら言いました。
「やっぱりね」
「思うよね」
「どうしても」
「そんな人達だとね」
「もう何でもするね」
「自分達の赤ちゃんにも」
「正直に言ってそうした人達が反省するか」
 先生が願っていることです。
「それはね」
「どうもだよね」
「望み薄よね」
「現実は」
「そうだよね」
「うん、可能性は殆どないだろうね」
 ふわりの前の飼い主達が反省するそれはというのです。
「やっぱりね、けれどね」
「望みは捨てないんだね」
「その可能性が僅かでも」
「それでも」
「そうだよ、可能性が零でないなら」
 それならというのです。
「絶対にだよ」
「捨てないことだね」
「僅かでもやってみる」
「それも学問だね」
「僅かな可能性があるならその可能性を実現しようと努力する」
 そうしたことがというのです。
「やっぱりね」
「学問だよね」
「むしろ不可能と言われていることを本当に不可能か確かめる」
「そして可能ならやってみる」
「そうして進歩するのも学問だね」
「そうしたものだからね」
 それでというのです。
「今回もだよ」
「やってみるんだね」
「僅かな可能性があるなら」
「それなら」
「そうしてみるから」
 これも先生の信念だからです。
「やってみるよ」
「それじゃあね」
「やってみようね」
「ふわりの前の飼い主の人達についても」
「そうしていこうね」
「是非ね」
 こう言う先生でした、そしてです。
 先生は皆と一緒にふわりがいたペットショップに行って店長さんにふわりのことをお話しました、すると。
 店長さんは暗いお顔になって言いました。
「そうしたこともあると思っていました」
「そうでしたか」
「こうした仕事をしていますと」
 ペットショップを経営していると、というのです。
「当店はチェーン店でして」
「八条グループの管轄ですね」
「そうです、八条グループはペット業界にも進出していて」
 そしてというのです。
「ペットショップもです」
「全国に展開していますね」
「はい、ただペット達はです」
 肝心の彼等はといいますと。
「皆大事にしています」
「ちゃんと育てていますね」
「ペットもしっかりした契約しているブリーダーの人達からです」
「オークションを経て」
「購入してです」
 そうしてというのです。
「そのうえで、です」
「育てていますか」
「はい、命ですから」 
 だからだというのです。
「そうしています」
「生きものは命ですね」
「確かに売買はしています、売れ残った子達も」
「安くしたりして」
「売っています、それでも売れ残っても」 
 そうした子達もというのです。
「八条グループ運営の犬猫ランドに行ってもらっています」
「そうしていますね」
「命ですから」
 店長さんは特にこのことを強く言うのでした。
「ですから」
「大事にされていて」
「買う人達も事前によくです」
「生きものを家族に迎えることについて」
「お話して納得してです」
 そうしてというのです。
「命を大事にすることの誓約書もです」
「サインしてもらって」
「そうしたことがない様にしていますが」
「その誓約書に法的根拠がなくてお店にも連絡しないと」 
 それならとです、先生は答えました。
「それならです」
「こちらにもですね」
「お話がいかなくて」
 それでというのです。
「どうにもなりません」
「そうですね、これからはもっとです」
「お話もよくして」
「誓約書のことも考えて」
 店長さんは先生にさらに言いました、大柄でアフロヘアの穏やかな顔立ちの中年の男の人です。その人が言うのでした。
「そうしてです」
「若し捨てられても」
「わかる様にします、保健所と連絡を取る様にして」
「お願いします」
「生きものと人が幸せになれる」
 そうしたというのです。
「そうした状況になって欲しい」
「そう思われるからですね」
「うちのお店は経営されています」
「そうですね」
「確かに利益は考えています」
 店長さんもこのことは否定しません。
「お店でして働いている人もいます」
「だからですね」
「ペット業界も産業ですから」
 こうも言うのでした。
「そこには多くの人が関係しています」
「それも現実ですね」
「はい、そこで多くの人が生きていることも」
「左様ですね」
「ですから」
「それのよし悪しは置いておいて」
「そうです、ですから」
 それでというのです。
「利益は求めています」
「左様ですね」
「ですが」
 それでもとです、店長さんは先生にお話しました。
「生きもののことは」
「考えてくれていますか」
「はい、それでこの娘ですね」
 店長さんは先生のスマートフォンからふわりの画像を観てさらに言いました。
「この娘のことはよく覚えています」
「今の名前はふわりといいますが」
「うちに来たトイプードル系の子で一番可愛かったですから」
「そうなのですか」
「はい、タイニープードルやティーカッププードルも含めて」
「この娘はティーカッププードルで」
「特に可愛かったので」
 だからだというのです。
「覚えています、性格も頭も凄くよくて」
「そのこともあってですね」
「これはいい娘だ、絶対に幸せになると」
「思われていましたか」
「それで一目惚れしたという優しそうな夫婦に買われて」
 それでというのです。
「お話もして誓約書も書いてもらって」
「絶対にですか」
「幸せになると」
 その様にというのです。
「思ったのですが」
「それがですか」
「こんなことになっているなんて」
 店長さんは項垂れて言いました。
「正直ショックです」
「そうですか」
「二度とこんなことが起こらない様にします」
 先生に約束しました。
「本社の方にもお話して」
「そうしてですね」
「はい、それでよかったら」
 店長さんは先生にこうも言いました。
「その娘ともう一度会いたいですが」
「お店に連れて来てですね」
「そうしていいでしょうか」
「はい、実はふわりの実の両親と両親の飼い主にもお話しようとです」
「お考えですね」
「その時にふわりも連れて行こうとです」
 その様にというのです。
「考えてますので」
「ではその時に」
「お願いします」
 こうお話してでした。
 先生は店長さんとお話してそうしてでした。
 この時はお店を後にしました、ですが。
 先生はお家に帰るとお家に来ていた王子にもお話しました。トミーも一緒です。
「こうしたことがあったんだ」
「ペットショップの考えからもだね」
 王子は難しいお顔で応えました。
「どうもね」
「考えるべきだね」
「あの、命を売買することも」
「このこと自体がね」
「どうかって議論があるよね」
「極端に言うと」
 先生はこう前置きして言いました。
「奴隷売買にもね」
「近いね」
「確かに人類の歴史には奴隷が存在していて」
 先生は暗いお顔でお話しました。
「僕の祖国イギリスでもね」
「十九世紀まであったね」
「そうだったよ、アメリカの奴隷解放の話は有名だけれど」
「多くの文明であったね」
「今でも酷いところだとね」
「あるね」
「そうした待遇を受けている人達はね」
 実際にというのです。
「存在しているよ」
「そうだね」
「日本には奴隷制度はずっとなかったよ」
「江戸時代でもね」
「江戸時代の前の安土桃山時代では豊臣秀吉さんがね」
 太閤さん、この人がというのです。
「海外に売られて奴隷にされていた多くの日本人を助けているんだ」
「わざわざ買い戻してだね」
「そのお話を聞いてすぐにね」
「秀吉さんは奴隷制反対だったんだ」
「そうだよ、この人の最大の善行の一つだよ」
 奴隷制反対論者で多くの奴隷の人を救ったことはというのです。
「そうした歴史もあってね」
「日本では奴隷はいなかったね」
「そうだよ、けれどね」
「その日本では」
「最近廃止、禁止されていっている国が増えている」
「ペットの生体販売がまだ行われていて」
「それでね」
 そうした制度があってというのです。
「多くの人が手軽にペットを買ってね」
「家で飼ってだね」
「家族として愛して楽しい日々を過ごしているけれど」
「それでもだね」
「中にはね」
「そんな酷い飼い主がいるね」
 王子はふわりの前の飼い主について言いました。
「そうだね」
「身勝手で無責任なね」
「生きものの命を何と思っていない」
「そんな人達もね」
「ペットショップに出入りして」
「そして無自覚にね」
 本当に軽い気持ちでというのです。
「命を買ってね」
「勝手な理由で捨てるんだね」
「そうだよ」
 実際にというのです。
「ふわりの様な子がね」
「いるんだね」
「どの国でもそうしたことはあっても」
「日本ではだね」
「お金さえ出せばね」
 それでというのです。
「何の責任感も覚悟もなくて」
「簡単にペットを買って」
「簡単に買ったから」
 それでというのです。
「おもちゃとしか思ってなくてね」
「捨てるんだね」
「そうなんだ、けれどね」
「捨てられるペットにとってはたまったものじゃないね」
「ふわりの気持ちは話したね」
「物凄く悲しかったのがわかるよ」
「今頃捨てた家族は平気な顔して暮らしているよ」 
 チーチーはとても忌々し気に言いました。
「五月蠅いおもちゃがなくなったってね」
「どうせそんなのだろうね」
 ダブダブも言いました。
「周りからそのことで相当嫌われているみたいだけれど」
「嫌われてもその原因なんてわかってないね」
「絶対にそうね」
 チープサイドの家族は確信しています。
「もうね」
「そんな筈ないよ」
「それで新しいおもちゃで毎日遊んでるわね」
 ガブガブの口調も否定そのものです。
「自分達の赤ちゃんっていうね」
「だからもう前のおもちゃはいらない」
 ポリネシアの口調も厳しいです。
「それだけね」
「だから親戚や会社でも平気で捨てたって言えるんだね」
 ホワイティの口調も咎めるどころではありません。
「おもちゃとしか思ってないから」
「命って自覚は全くなくてね」
「家族とも思ってなかったんだね」
 オシツオサレツも二つの頭で言います。
「お金かかったにしてもね」
「お金も価値があるとは思ってないね」
「つくづく最低だね」
 ジップは苦いお顔で言いました。
「その家族は」
「自分達以外はどうなってもいい」
 老馬も言います。
「そんな人達だね」
「そうだね、そんな人達はペットを飼ったらいけないよ」
 王子もまた言いました。
「絶対にね」
「そうした人達が考えをあらためるか」
 若しくはと言う先生でした。
「若しくはね」
「最初から飼えない様にする」
「そうしていかないとね」
「そうだね、けれど先生としては」
「考えをあらためてもらうことがね」
 それがというのです。
「理想だとね」
「思ってるね」
「それが一番いいとね」
「先生の性格はそうだね」
「僕は甘いのかな」
「優しいんだよ」
 そちらだというのです。
「先生は」
「そうなんだね」
「だからね」 
 それでというのです。
「そう言うんだよ」
「そうなんだね」
「だからそう考えてね」
「一番だと言うんだね」
「そうだよ、けれど世の中ね」
「僕みたいな考えの人ばかりじゃないね」
「うん、だからね」 
 王子は戦士絵に言いました。
「そうした人達が最初から飼えない」
「そうした風にするね」
「それが理想だとね」
 その様にというのです。
「その様にするんだよ」
「法律もそうして」
「そしてお店もね」
 こちらもというのです。
「規制していくんだよ」
「法整備は必要だね」
 先生もこのことについてはこう言いました。
「やっぱりね」
「そうだよね」
「そしてお店の方もね」
「先生のお話を聞いてだね」
「より飼う前にね」
「講習とか持ってだね」
「こうしたことがない様にするってね」 
 その様にというのです。
「お話してくれたよ」
「一目惚れしかとか言ってもね」
「それで自分達の子供出来たら鳴き声が五月蠅いってね」
「捨てたらね」
「それは最低だからね」
「人間としてね」
「だからね」 
 それ故にというのです。
「僕としてもね」
「お店がそうすることはだね」
「いいことだと思うよ」
「それで保健所からもお話がいくことは」
「いいことだよ」
 このこともというのです。
「本当にね」
「そうだね」
「あの、鳴き声が五月蠅いって」
 トミーも言ってきました。
「それは」
「犬だとね」
「普通に吠えますよね」
「そうだよ」
 その通りだとです、先生も答えました。
「犬の習性だから」
「そうですよね」
「もうそんなことはね」
 それこそとです、先生はトミーに言いました。
「飼う以前にだよ」
「犬という生きものを知っていれば」
「常識だよ」
 そうしたものだというのです。
「本当に」
「そうですよね」
「そして一日中ケージに入れてね」
「閉じ込めてですね」
「お散歩に連れて行かない、ブラッシングもしない、当然時々出すこともしない」
「無視してですね」
「自分達の子供で遊んでばかりでね」
 育てているととは言いませんし考えてもいません、先生はそうした人達のことがもうわかっているからです。
「そして遊んであげたり遊ばせることもね」
「しないんじゃ」
「鳴くね」
「どんな子でもそうなりますね」
「人間だってだよ」
「一日中檻に入れたら」
「そうなるよ」
 人間もというのです。
「そうなるよ」
「そうですよね」
「ましてあの娘はね」
 ふわりはといいますと。
「ストレスが溜まって鳴いていなかったよ」
「それは我慢していましたね」
「驚く位我慢強い子でね」
 お姉ちゃんになる、なったから我慢していたことを先生はよく知っています。そのことも素晴らしいというのです。
「それでね」
「そのことは我慢して」
「ずっと飼い主達を呼んでいたんだよ」
「自分はここにいるって」
「聞こえないのってね」
「それでもですね」
「性格が変わってね」
 その性格のお話もです、先生は言いました。
「自分達が望む様な」
「それも一切振り向かないで」
「それで朝から晩まで吠える」
「それが五月蠅い」
「口実は自分も赤ちゃんも参る」
「産まれたばかりの」
「実は邪魔になってね」
 それでというのです。
「殺処分になってもいいだよ」
「本当に最低ですね」
「そんな人達が考えをあらためてくれれば」 
 心から思う先生でした。
「本当にそう思うよ」
「そこまで人間として駄目いや人間失格になってるとね」
 王子はこう思うのでした。
「もうね」
「考えをあらためないね」
「どうにもならないよ」
 これが先生の思うところでした。
「どうしようもない人達だよ」
「殆どの人がそう思うね」
「千人いたら九百九十九人が思うよ」
 それこそというのです。
「もうね」
「そうなってだね」
「そう、そしてね」
「そのままだね」
「堕ちるだけだよ、今でも最低だけれど」 
 それでもというのです。
「下には下があるから」
「さらにだね」
「堕ちてね」
「それでだね」
「どうしようもなくなるよ」
「僕もそうなる可能性は極めて高いと思うよ」
 先生もでした。
「世の中どんな宗教や哲学でも救えない人がいるから」
「あまりにも酷くてだね」
「そう、救われるにもある程度のものが必要なんだ」
 人間にはというのです。
「それだけの能力や人格がね」
「そうした能力や人格すらないと」
「もうね」
 それこそというのです。
「救われないよ」
「そうだよね」
「人間はね。けれどそんな人達は」
「多分だね」
「もう最初からね」 
「人格も能力も」
「救われる位もね」
 あらゆる宗教や哲学でもというのです。
「例え救われる場所に連れて行ってもらっても」
「それでもだね」
「そこでも考えをあらためないで」
 それでというのです。
「反省しないでね」
「結局はだね」
「救われないんだ」
「そうなんだね」
「そしてふわりの前の飼い主の人達も」
「おそらくだね」
「そう思ってるよ、ただ僅かでも可能性があるなら」
 それならというのです。
「僕はそこからね」
「やってみるんだね」
「そう思ってね」
「今のご家族にもお話したんだね」
「そうだよ、あとふわりの両親と彼等の飼い主の人達のところにも」
 そちらにもというのです。
「行くよ、あとペットショップもふわりは嫌いじゃなかったし」
「そうした場所だったから」
「だからね」
「その娘を連れて行くんだね」
「そう、そしてね」 
 それでというのです。
「ふわりを両親とその飼い主達にもね」
「再会してもらうんだ」
「ふわりはまだ赤ちゃんだったから覚えていないかも知れないけれど」 
 それでもというのです。
「こうした問題を広く考えてもらって」
「そしてだね」
「知ってもらいたいから」
 多くの人にというのです。
「だからだよ」
「そうしていくね」
「これからね」
「そうするんだね、僕もね」
 王子もというのでした。
「こうしたことにね」
「関わっているね」
「既にね、けれどここまで真剣に考えたことは」 
 そのことはといいますと。
「実はね」
「ないんだね」
「そうだよ」 
 こう先生に言うのでした。
「僕もね」
「そうなんだね、王子も」
「うん、命のことは大事だね」
「本当にね」
「そのことは誰もが知っておかないと」
 そうでないと、というのです。
「よくないよ」
「その通りだね」
「考えてね、そして命を何とも思わない自分だけしかない人は」
「絶対に嫌われるね」
「ふわりの前の飼い主達がそうだよ」
 この人達がまさにそのサンプルだというのです。
「本当にね」
「そうだね」
「自分達しかないとね」
「他の人も邪険に扱うからね」
「自分達の都合でね」
「そんな人達は救われないね」
「それが出るから」
 だからだというのです。
「嫌われるよ」
「そうだよね」
「この人達はおそらく普通にね」
「これまでもだね」
「人にもそうしてきたし」
 それにというのです。
「そうした性格を見抜かれているよ」
「可愛がっていた犬をもういらないから捨てたとか平気で言う様じゃね」
「あまりにも無神経だしね」
「思いやりもないから」
「そうした性格を人が見たら」
 それこそととです、先生は言いました。
「普通の人はその場でだよ」
「嫌いになるね」
「だから法事の場でね」
「そう言った途端にだね」
「親戚全員から縁を切られたんだ」
 そうなったというのです。
「それぞれのご両親やご兄弟からもね」
「親兄弟からその場でそうなったということは」
 トミーはこのことから言いました。
「それじゃあ」
「そう、それはね」
 まさにというのです。
「既にね」
「そうした行いが常で」
「ご両親やご兄弟も観ていてね」
「これは駄目だと思っていて」
「もうふわりを捨てたことが決定打となって」
「縁を切られたんですね」
「ご両親やご兄弟からもね」
「お祖父さんやお祖母さんもいたんでしょうね」
「そうだろうね、こうした縁の人達はずっと観ていてね」
 その人達をです。
「絆があって情も感じていてね」
「いい面も観ていて」
「それで普通はこうした時も庇うよ」
「けれどこれまでがあまりにも酷くて」
「それでね」
 そのせいでというのです。
「もうね」
「その娘を捨てたと知って」
「完全に駄目だとわかって」
「親兄弟からも縁を切られたんですね」
「だからこれまでもよっぽど酷かったんだよ」
 ふわりの前の飼い主の若い夫婦はというのです。
「おそらくね」
「多分それは」
「間違いないっていうんだね」
「はい、ですから」
 それでというのです。
「そこで、です」
「普通はこうした時でも親兄弟なら庇うからね」
「その人達もその場で怒って縁を切ったなら」
「以前からね」
「行いが酷かったんですね」
「ペットを捨てて来たかはわからないけれど」
 それでもというのです。
「昔からね」
「そんな人達で」
「酷いことをね」
「繰り返してきたんですね」
「そう思うよ、しかしね」
 先生はあらためて思いました。
「こうした人達はね」
「これからもですね」
「少しでも考えをあらためてもらって」 
 そうした人が増えてというのです。
「ふわりの様な子が減る」
「そうなって欲しいですね」
「そう思うよ」 
 先生は心から思いました。
「本当にね」
「全くだね」
 王子も言いました。
「そのことは」
「しかしあの夫婦子育ては出来ないね」
「絶対にそうだよね」
「ふわりにそんなことしたし」
「前からそうなら」
「それこそね」
 動物の皆はここでこう言いました。
「出来る筈ないよ」
「実際おもちゃとして遊んでるみたいだし」
「それじゃあね」
「とてもだよ」
「赤ちゃんも育てられないね」
「その赤ちゃんこれからどうなるか」
「心配だね」
 先生も言いました。
「その子のことも」
「確か女の子よね」
「ふわりの今の飼い主さんそう言ってたね」
「前の飼い主の子供は女の子だって」
「その娘もどうなるか」
「心配ね」
「おもちゃとして扱っていないからね」
 だからだというのです。
「もうね」
「未来はわかるね」
「育児放棄だね」
「その未来しかないね」
「最悪の未来だよ」
「そんな人達が親だと」
「その事態も防ぎたいから」
 先生としてはです。
「だからね」
「反省してもらう」
「そうしてもらうんだね」
「あの人達には」
「うん、そしてね」
 そのうえでというのです。
「もう二度とね」
「生きものにふわりにした様なことをしない」
「そうなってもらうんだね」
「自分達の赤ちゃんにしても」
「そうしてもらうんだね」
「そうなってもらうよ、命の大事さを知って」
 そしてというのです。
「思いやりや愛情もね」
「知ってもらう」
「そうなってもらうんだね」
「それじゃあだね」
「ここは」
「うん、国崎さん達にはそうしてもらうよ」
 ふわりの今の家族の人達にはというのです。
 皆でそうしたお話もしました、そして先生はさらに動くのでした。








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