『ドリトル先生と幸せになる犬』
第一幕 ペットというもの
王子は今先生のお家に来てそうしてお話しました。
「最近犬より猫の方が人気だっていうね」
「日本ではそうらしいね」
先生は王子に応えました。
「そうだね」
「そうだよね」
「高齢化が進んで」
お年寄りが多くなってというのです。
「それでだよ」
「お年寄りが飼えるペットだからだね」
「猫が人気があるんだ」
そうなっているというのです。
「今の日本はね」
「成程ね」
「そういえばそうだね」
ここでジップが言ってきました。
「最近獣医さんでも猫の患者さんが多いっていうね」
「犬も多いらしいけれど」
それでもとです、ガブガブは言いました。
「一番は猫になったそうね」
「ずっと犬が一番だったけれど」
「それが変わったんだね」
オシツオサレツは二つの頭でお話しました。
「これがね」
「そうなったんだね」
「お年寄りだとね」
チーチーはそれならと言いました。
「犬のお散歩とかも大変だしね」
「歩くのも大変な人も多いね」
「お年寄りはね」
チープサイドの家族もお話します。
「お身体が弱っていて」
「足腰もそうなっていてね」
「だからお年寄りが増えると」
それならとです、トートーは言いました。
「自然とそうなるんだね」
「猫は小さいしお家の中でも飼えるし」
こう言ったのはダブダブでした。
「お年寄りでも大丈夫だね」
「若い人でも大丈夫なペットもいるけれど」
それでもとです、ポリネシアは言いました。
「そうでないペットもいるから」
「足腰の弱いお年寄りには大きな犬は無理だよ」
ホワイティは言い切りました。
「お散歩に連れて行くにも」
「シェパードとかマスチフとかね」
老馬は具体的な犬の種類を出しました。
「お年寄りだとお散歩しにくいね」
「そう、本当にね」
先生も皆に応えます。
「体力のことがあるからね」
「家族にしても」
「それが難しいね」
「大きなペットは飼えない」
「だから犬より猫になってるのね」
「そうだよ、そしてね」
先生はさらにお話しました。
「犬を飼う人も小さい犬になってるね」
「柴犬とかね」
「日本だと柴犬だよね」
「柴犬はよく見るね」
「狼みたいな外見でそれでいて小さい」
「あの犬をね」
「柴犬は世界的にも人気があるね」
こう言ったのは王子でした。
「僕も好きだよ」
「日本文化は今や世界のトレンドの一つでね」
それでと言う先生でした。
「犬もその中にあってね」
「柴犬もだよね」
「うん、世界的に人気があってね」
そうしてというのです。
「愛されているんだ」
「そうだよね」
「当然日本でもね」
「人気があるね」
「広く愛されているよ」
そうした犬だというのです。
「本当に」
「だから街でもよく見るね」
「そういうことだよ」
「他の種類の犬も多いですね」
今度はトミーが言って来ました、皆居間で桜餅とお茶を楽しみながらそのうえでお話をしています。
「日本では」
「柴犬だけじゃないね」
「ええ、秋田犬や甲斐犬もいて」
そしてというのです。
「他にもね
「色々な犬がいますね」
「日本本来の犬もいれば」
「他の国から来た犬も多いですね」
「とてもね」
「そうですよね、ただ」
トミーは桜餅を食べつつ言いました。
「犬も小さい種類が多くなってますか」
「そうだよ、やっぱりね」
「高齢化ですね」
「その為にね」
日本のこれの為にというのです。
「どうしてもだよ」
「小さな種類の犬が多いですね」
「そうなっているよ」
「やっぱりそうですね」
「チワワにポメラニアン、シーズーにね」
先生は具体的な小さな犬の種類を挙げていきました。
「チン、チャウチャウ、ミニチュアダッグスフントにコーギーとね」
「コーギーは女王陛下もお好きですし」
王子はイギリスのお話もしました。
「日本でもですね」
「最近ね」
「小さいし外見も可愛いので」
「人気があるよ」
「そうですよね」
「マルチーズなんかもね」
この種類の犬もというのです。
「多いね」
「その種類の犬もですね」
「そして特にトイプードルが多いね」
「ああ、よく見るね」
まさにとです、王子は先生の今の言葉にはっとなって応えました。
「あの種類が一番」
「そうだね」
「人気があるんだね」
「小さくてしかも性格的に飼いやすいからね」
「お年寄りでもだね」
「しかも外見も可愛いから」
だからだというのです。
「日本でもね」
「人気があるんだね」
「そうだよ」
実際にというのです。
「一番人気と言っていいよ」
「犬の中で」
「実査にそう出ているしね」
「日本では一番人気のある犬なんだ」
「今はね」
「小さくて性格も付き合いやすいから」
「お年寄りでも飼いやすいし外見も可愛いからね」
こうした条件が揃っていてというのです。
「とてもね」
「人気があるんだね」
「そうだよ」
実際にというのです。
「トイプードルはね」
「だから神戸でもよく見るんだね」
「そういうことだよ。昔はプードルは高級というイメージがあったけれど」
それでもというのです。
「今は普通にね」
「多くの人が飼ってるね」
「そうなってるよ」
日本でもというのです。
「今は」
「成程ね、ただね」
ここで王子はこうも言いました。
「トイプードルって体格に結構違いがあるね」
「あっ、そうだよね」
「同じ種類でもそうだよね」
「大きさに違いがあるよ」
「大きな犬もいれば小さな犬もいるね」
「同じトイプードルでも」
「体格差がね」
動物の皆も気付いて言いました。
「結構あるね」
「毛色も色々だけれど」
「同じ種類の間でも体格差があって」
「足も長かったり短かったり」
「個体差ある種類なのかな」
「トイプードルといてもその中で種類があるんだ」
先生はまさにとお話しました。
「これがね」
「へえ、そうなんだ」
「同じ種類でもなんだ」
「その中で色々あるんだ」
「そうした種類の犬なんだ」
「普通のサイズのトイプードルがいて」
先生はトイプードルについて具体的なお話をしました。
「そこから徐々にタイニープードル、ティーカッププードル、マイクロティーカッププードルと小さくなっていくんだ」
「そうだったんだ」
「だからトイプードルにも大小があるんだ」
「個体差じゃなくて種類だったのね」
「そうだったんだ」
「そう、そしてね」
先生は皆にさらにお話しました。
「足の長さもあるんだ」
「それもなんだ」
「種類に加えて」
「それもあるのね」
「足の長いタイプにスクエアっていう均整の取れたタイプにドワーフタイプっていう足の短いタイプの子もいるんだ」
「種類にタイプね」
「それがある犬なんだ」
「同じトイプードルでも」
「そうだったんだ」
「そして毛色もね」
今度はこちらのお話でした。
「黒や白、シルバー、茶色に赤茶色、ダークブラウンにクリーム色とね」
「色も多いんだね」
「トイプードルは」
「毛も多彩で」
「本当に色々なんだね」
「そうした犬だよ、ただ日本では」
先生達が今いるお国ではといいますと。
「小さくて足が短くて茶色の子が人気かな」
「ええと、タイニープードルとか?」
「それでドワーフタイプだね」
「それで色は茶色」
「そうしたトイプードルが人気あるんだ」
「そう見るよ、タイニープードルかティーカッププードルだね」
トイプードルの種類ではというのです。
「それでドワーフタイプで」
「毛色は茶色」
「そうした外見が人気があって」
「それでなんだ」
「よく見るのね」
「そうだよ、それと毛は巻いていて量が多くて抜け毛が少ないんだ」
そうした毛の質だというのです。
「そのことも特徴だよ」
「直毛で毛が短いトイプードルはいないね」
実際にとです、王子は言いました。
「確かに」
「そうだね」
「それも大きな特徴だね」
「そう、毛の質はね」
「同じだね」
「種類や外見や毛の色は色々でもね」
それでもというのです。
「そこは同じだよ」
「それがトイプードルだね」
「それで可愛いと愛される子だけれど」
「何かあるのかな」
「実は元々狩猟犬だよ」
トイプードルはというのです。
「プードル自体がね」
「へえ、狩猟犬なんだ」
「水鳥とかを仕留めて持ってきたりね」
「その時に働いてもらう犬だったんだ」
「実はね、それでね」
「トイプードルもだね」
「狩りに使われていたんだ」
そうなっていたというのです。
「そうした歴史があるんだよ」
「あんなに小さくてもなんだ」
「それでもね」
「それは面白いね」
「そしてね」
先生はさらにお話します。
「お水の中にも入ったりしていたんだ」
「水鳥だから」
「そうしたこともあってね」
「泳いだりとかもだね」
「していたよ、活発な種類なのは」
「狩猟犬だから」
「それでだよ、だからよく動き回って元気なんだ」
トイプードルはというのです。
「それでジャンプしたりもね」
「よくするんだ」
「元気な子が多い種類だよ、よく吠えることも」
「狩猟犬だからだね」
「それでだよ」
「成程ね、狩猟犬だね」
「元々はね」
「成程ね」
「狩猟犬なのはよくありますね」
トミーはお茶を飲みながら言ってきました。
「欧州では」
「そうだね」
「日本でも秋田犬や甲斐犬は元々そうですし」
「世界的に見て結構あるね」
「牧羊犬だったり軍用犬だったり」
「犬によってね」
「色々ですね、そしてトイプードルは」
この種類の犬はというのです。
「狩猟犬ですね」
「今じゃ愛玩用、鑑賞用だけれどね」
「それは大抵の犬もそうなってますね」
「そして特にね」
「トイプードルみたいな犬は」
「そうなっているよ」
「そうですね、それで日本でも多くて」
そしてとです、トミーはさらに言いました。ですがここでトミーは少し暗いお顔になって言いました。
「ペットショップでも」
「売られているね」
「トイプードルが」
「他の種類の犬もね」
「猫も兎もハムスターも」
「実は生体販売はね」
先生も暗いお顔になってお話しました。
「日本では普通にね」
「行われていますね」
「合法的に」
「アメリカやイギリスとかね」
「ドイツでもですね」
「多くの国では行われていないけれど」
「日本ではですね」
「行われていてね」
そしてというのです。
「それでね」
「ペットショップでも売られていますね」
「多くの生きものがね」
「そうなっていて」
「そしてね」
それでというのです。
「色々問題もね」
「あるんですね」
「どんなことにも表と裏があってね」
「悪いこともですね」
「あってね」
「生きものがお店で売られているのは」
「商品としてそうなっているからには」
それならというのです。
「やっぱりね」
「それだけの裏がありますね」
「僕も話したくない位にね」
「酷いいんですね」
「一言で言うとどんな生きものにも命があるんだ」
先生はこのことは強く言いました。
「そうだね」
「そう、先生いつも言ってるね」
「そのことはね」
「どんな生きものにも命がある」
「そのことは忘れたらいけないって」
「命はどれも大切だって」
「そうだよ、だから食べる時もね」
先生は動物の皆に再びお話しました。
「その時もだよ」
「命に感謝する」
「命を貰って生きるから」
「それがどんな生きものでも」
「そうしないと駄目だって」
「これは植物でも同じなんだ」
動物だけでなくです。
「やっぱり命があるからね」
「大事にしないといけない」
「だから無闇に商品として扱っていいか」
「それが問題だね」
「売るにしても」
それでもというのです。
「命があることはね」
「忘れたらいけないね」
「若しそれを忘れたら」
「その時点で駄目だね」
「犬にしても猫にしても」
「どんな生きものでも」
「うん、だから日本のペット業界はね」
どうしてもというのです。
「僕も知ってるけれどお話したくない」
「そんな事情があるんだね」
「裏側に」
「そうなのね」
「そうなんだ」
これがというのです。
「このことは何とかしていくべきだね」
「日本も色々あって」
王子も深刻なお顔で言いました。
「そしてだね」
「ペット業界にもね」
「裏側があって」
「それはとても酷いものなんだ」
「先生がお話したくない位に」
「そこまでのものがね」
「ペットショップに行ったら簡単に買えるけれど」
そのペット達がです。
「そうであるには」
「裏に事情があるんだ」
「そういうことだね」
「あと一度家族に迎えたら」
それならとです、先生はさらにお話しました。
「やっぱり最後までね」
「一緒にいるべきですね」
「捨てるのは絶対に駄目だよ」
先生はトミーにお話しました。
「絶対に」
「そうですよね」
「それは人として許されないことだよ」
「絶対に」
「そう、だからね」
それでというのです。
「そんなことはね」
「してはいけないですね」
「誰でもね」
それこそというのです。
「これはどの国にもあるね」
「酷いことに」
「そして日本でもね」
「そしてそんなことはですね」
「許してはいけないよ」
何があってもというのです。
「家族を捨てるなんて」
「全くだね」
「どの国にもそんな人がいるね」
「悲しいことに」
「そんなことする人誰にもそうするね」
「自分の勝手でね」
「ペットを捨てる人は人間も捨てるよ」
先生は悲しいお顔で言いました。
「普通にね」
「そうするんだ」
「そんな人は」
「自分の勝手で人間も捨てるんだ」
「そうするんだね」
「だって生きものを捨てるってことは命を捨てることだよ」
そうすることだというのです。
「それならね」
「人間の命もなんだ」
「自分勝手に捨てるんだ」
「そんなこともするんだ」
「法律に触れて犯罪者にならない様に気を付けても」
それでもというのです。
「人にもそうするよ」
「自分の子供でもかな」
「友達でもそうするのかな」
「親兄弟でも」
「それでも」
「ペットは家族だよ」
このことから答える先生でした。
「家族を平気で捨てて後は死んでも殺されてもいいとかだと」
「うわ、そんな人なら」
「そう聞いたら答え出たわ」
「そんな人自分の子供でも切り捨てるよ」
「友達でもね」
「そして親兄弟でも」
「そう、自分だけの人だから」
そうした人はというのです。
「もう平気でね」
「自分都合で人を捨てる」
「そして自分だけがいい」
「そんな人なんだ」
「こんな人は信じたら」
そうすればというのです。
「本当に駄目だよ」
「裏切るから」
「それでだね」
「そうしてくるから」
「自分勝手に」
「自分に何か不都合があったら」
その時はというのです。
「そうした人はね」
「普通になんだ」
「裏切ってなんだ」
「そして自分だけがいい」
「そうするんだ」
「そんな人を信じたら」
本当にというのです。
「駄目だよ、自分しかない人なんてね」
「先生とは全く違うね」
「そんな人はね」
「先生はいつも皆のことを考えているから」
「それで誰も絶対に裏切らないから」
「自分勝手でもないし」
「うん、そんな人にはね」
絶対にとです、先生も言いました。
「僕もなりたくないよ」
「そうだよね」
「僕達もなりたくないよ」
「そんな心の持ち主にはね」
「自分だけしかないとか」
「そんな人にはね」
「浅ましい人だよ」
本当にとです、先生は項垂れて言いました。
「そんな人は」
「全くだね」
「自分しかないなんてね」
「それで自分以外の命を平気で切り捨てる」
「そんな人なんてね」
「そんな人のことを見たらいいよ」
こうも言う先生でした。
「絶対に周りに誰もいないから」
「それは当然だね」
王子はそのお話を聞いて頷きました。
「だって行動に出てね」
「人も見るからね」
「自分もそうなると、って思うし」
「しかもその自分勝手さを見るからね」
「誰もだね」
「そんな人は信じなくてね」
そうしてというのです。
「近寄らないよ」
「そして嫌うね」
「そうなるよ」
先生は王子にお話しました。
「間違いなくね」
「そうだよね」
「自分しかないというのはね」
先生はここで、でした。
少し間を置いてです、こう言いました。
「己に心だよ」
「漢字かな」
「うん、心に自分つまり己しかないと」
それならというのです。
「忌む、になるね」
「忌み嫌われるだね」
「そんな人は自然とね」
「嫌われるんだね」
「それもかなりね」
そうなるというのです。
「確実にね」
「人は見ているからだね」
「そんな人は他人にどう思われても気付かないけれどね」
「自分しかないからだね」
「そう、だから自分がどれだけ酷いことをして人がそれを見てどう思っても」
それでもというのです。
「気付かなくてね」
「平気なんだね」
「本当に酷い人はどんな悪事がばれても平気だよ」
そうだというのです。
「それこそ訴えられてもね」
「平気なんだ」
「訴えられても逃げられたらね」
それが出来ればというのです。
「もうね」
「それでいいんだ」
「そうだよ」
「全く平気なんだ」
「うん、自分の身が安全なら」
それでというのです。
「もうね」
「いいんだ」
「それが自分しかない人だから」
「訴えられてもなんだ」
「全く平気だよ」
「有罪にならないと」
「そうだよ」
こう王子にお話しました。
「そんな人はね」
「最低だね」
ダブダブもそのお話を聞いて思いました。
「そんな人は」
「もう人間ですらないね」
ジップは項垂れています。
「そこまで酷いと」
「悪いことしたら駄目だよ」
トートーはその根本を言いました。
「絶対にね」
「そして嫌われたらね」
「嫌よね」
チープサイドの家族もお話します。
「それに気付かないでね」
「平気でいられるのもよくないね」
「何かそんな人に何かしても」
チーチーはあることに気付きました。
「絶対に有り難いとは思わないね」
「それで絶対に自分がしたらしてあげただね」
こう指摘したのはホワイティでした。
「仕方なくやった、感謝しろだね」
「そんな人誰が好きになるのかな」
こう言ったのは老馬でした。
「僕達だって嫌いになるよ」
「しかも悪いことしても平気で」
「それで訴えられても有罪じゃないと平気とか」
オシツオサレツは二つの頭で言いました。
「良心がないってことだね」
「有罪になってもしまった、だね」
「罪悪感もないなんて」
ガブガブは言いました。
「人間でないわね」
「世の中そんな人もいると思うと」
ポリネシアは思わずお空を見上げてしまいました。
「残念ね」
「あの、そんな人滅多にいないですよね」
トミーは先生に尋ねました。
「流石に」
「大勢いたら大変だよ」
それこそとです、先生も答えました。
「流石にね」
「そうだよね」
「滅多にね」
「そんな人はいないね」
「命を平気で捨てられる、自分しかない人はそうそういたら」
トミーも思いました。
「もう」
「世の中は大変だよ」
「そうですよね」
「だからね、そんな人はね」
「滅多にはいないですね」
「そこまで良心のない人はね」
そうはというのです。
「いないよ」
「じゃあ大抵の人は」
「ある程度の良心はあるよ」
「それはいいことですね」
「良心があるとそれだけ大変なこともあるけれど」
先生は考える顔でこうも言いました。
「そこまで良心のない、一言で言うと性格の悪い人はね」
「そうはですね」
「いないから」
だからだというのです。
「安心してね」
「わかりました」
「そういうことでね」
「多くの人はいい人ですね」
「それぞれ短所もあるけれどね」
それでもというのです。
「いい人がね」
「大抵ですね」
「けれど本当に人でなくなった様な」
「そんな人もいますね」
「仏教では六道があるけれど」
今度は仏教のお話をしました。
「人間は人道にいますね」
「六道の上から二番目だね」
「天道、人道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道ってあって」
「人道は二番目にあるね」
「そしてその下にね」
「四つの世界があるね」
「生きもの、畜生になるけれど」
先生は今度はペットも入る彼等のお話もしました。
「命は同じだよ」
「人間と同じ」
「その命を捨てるなら」
「もうそれで」
「そう、畜生道よりも下の」
さらにというのです。
「餓鬼道にもね」
「堕ちるんだ」
「かなり酷いっていうけれど」
「そこに堕ちるんだね」
「そうなることもね」
それこそというのです。
「あるよ」
「そう思うと怖いね」
「人間でありながら餓鬼になるなんて」
「餓鬼って本当に酷いから」
「そうなったら」
「もう終わりだよ」
人としてとです、先生は悲しい顔で動物の皆に言いました。
「それこそね」
「そうだよね」
「その時点でね」
「餓鬼になったら」
「もうね」
「もう皆から忌み嫌われて」
そうなってというのです。
「そしてね」
「それで、だね」
「誰からも相手にされなくなって」
「避けられて」
「そして死んでもだよ」
死ぬまで嫌われてというのです。
「餓鬼に生まれ変わるんだよ」
「そうなるなんて」
「もう嫌だね」
「絶対になりたくないね」
「嫌われて死んで」
「そして餓鬼になるなんて」
「こんな残念なことはないからね」
だからだというのです。
「命を捨てる様なことはしたら駄目だし」
「良心は持っていないとね」
「さもないと餓鬼に生まれ変わるね」
「そもそも生きながら餓鬼だし」
「そうなっているから」
「地獄に堕ちるより悪いかも知れないよ」
こうも言う先生でした。
「餓鬼道に堕ちるなんてね」
「餓鬼になったらずっと餓えるんだよね」
「いつも餓えと渇きに苦しめられる」
「そうなるんだよね」
「餓鬼になったら」
「そうだよ、そして誰からも嫌われる」
餓鬼はというのです。
「不潔だしね」
「聞けば聞く程嫌だね」
「絶対になりたくないね」
「餓鬼になんてね」
「間違ってもなりたくないわ」
「誰だってそう思うよ、けれど心ない人はそうしたことも考えないから」
だからだというのです。
「なってしまうんだ」
「そういうことだね」
「考えない人もいるんだね」
「そんなことも」
「そして生きながら餓鬼になって」
「皆から忌み嫌われて」
「そして死んで餓鬼道に堕ちるんだ」
先生はまた皆に言いました。
「そうなるんだ」
「よくわかったよ」
「僕達も気をつけるよ」
「死んでからも先生と一緒にいたいしね」
「ずっとね」
「キリスト教の考えでは死んだら天国か地獄だけれど」
今度はキリスト教のお話でした。
「そんな人はどちらに行くか」
「地獄だね」
「地獄しかないね」
「どうしても」
「そちらに落ちるしか考えられないよ」
「キリスト教徒でも生まれ変わるって考えている人はいるよ」
先生はそうした人のお話もしました。
「そうだね」
「パットン将軍ですね」
トミーがその人の名前を出しました。
「そうですね」
「アメリカ軍の将軍だったね」
「第二次世界大戦の時に」
「そう、ジョージ=パットン将軍は」
「生まれ変わりを信じていて」
「自分をハンニバルの生まれ変わりと言っていたよ」
そうだったというのです。
「そしてピュルス大王もね」
「あの人の生まれ変わりでしたね」
「自分はそうだって言っていたんだ」
パットン将軍はというのです。
「実はね」
「そうでしたね」
「アンデルセンの童話でもそうしたお話があるし」
「やっぱり生まれ変わりはありますか」
「否定しないよ、実際にパットン将軍はそうだったかも知れないしね」
ご自身が名前を挙げた人達の生まれ変わりかも知れないというのです。
「仏教やヒンズー教ではそうしたお話も多いね」
「だからですね」
「僕も生まれ変わりは否定しないから」
「キリスト教でもですか」
「生まれ変わるかもね」
「それじゃあそうした人達は」
「生まれ変わったら」
その時はというのです。
「とても酷いことになるよ」
「酷いものに生まれ変わりますか」
「そうなるよ、絶対に」
「それこそ餓鬼みたいな」
「浅ましい存在にね」
そうしたというのです。
「生まれ変わるよ」
「そうなって苦しみますね」
「絶対にね」
生まれ変わりがあるならというのです。
「そうなるよ」
「悪い人は嫌われて悪いものに生まれ変わる」
王子の言葉は達観したものでした。
「この世の摂理ではあるね」
「そうだね」
「因果応報だね」
「自業自得とも言うよ」
「悪いことをしたら報いがあるね」
「それが悪ければ悪い程ね」
「それでペットを捨てる様な人も」
王子はここでお話を戻しました。
「きっとだね」
「悪いことになるよ、ただ捨てられたペットは」
「助けないと駄目だね」
「うん、僕もそうした活動をしている団体に寄付をしているんだ」
そうもしているというのです。
「実はね」
「いいことをしているね」
「あとインターネットで里親募集の犬や猫の紹介をして」
そしてというのです。
「そうした団体が保護している生きものの診察も無料でね」
「しているんだ」
「そうなんだ」
こう王子にお話しました。
「僕もね」
「先生は先生でだね」
「出来ることをしたいから」
そうして出来るだけ多くの命を助けたいからというのです。
「そうしているよ」
「先生らしい活動だね」
「ええ、先生ならではよ」
「先生は全ての生きもののお友達だから」
「そうしたこともしているのよ」
動物の皆も言います。
「そうしてこそだよ」
「先生だよ」
「そんな先生だから僕達も一緒にいるし」
「皆も好きなんだよ」
「そう言ってくれると嬉しいよ、これからもね」
是非にと言う先生でした。
「そうした活動も頑張っていくよ」
「学問とね」
「そうした活動もだね」
「していくね」
「そうしていくね」
「そうしていくよ、絶対にね」
こう言うのでした。
「きっとね、ただね」
「ただ?」
「ただっていうと」
「どうしたのかな」
「こうした活動は僕以外の多くの人もしていて」
そしてというのです。
「多くの命を助けているんだ」
「心ない人もいるけれど」
「心ある人もいる」
「それが世の中だね」
「そして人間だね」
「そうだよ、人間は悪い人もいればいい人もいる」
そうだというのです。
「そして大勢のそうした人達が力を合わせてね」
「沢山の命を救っている」
「そうしているんだ」
「先生だけじゃなくて」
「そのことは覚えておいてね」
是非にとです、先生は皆にお話しまsた。
「とても大切なことだから」
「そうさせてもらいます」
トミーは笑顔で応えました。
「そして僕もです」
「そうした活動にだね」
「入っていきます」
「僕もそうするよ」
王子も言いました。
「それがきっと多くの命を救うことになるから」
「そうしてくれるね」
「それが人としていいことだから」
それならというのです。
「きっとね」
「そうしてくれたら僕も嬉しいよ」
先生も笑顔で応えました。
「それじゃあね」
「うん、皆でだね」
「やっていこう」
多くの命を助けることをというのです。
「そうしていこう」
「是非ね」
「確かに生きものの種類はありますが」
トミーもまた言いました。
「それでも命はですね」
「皆持っているからね」
「命は大切にしないといけないですね」
「自分も大事にされたら嬉しいね」
先生はトミーに微笑んで答えました。
「そうだね」
「はい、それは」
その通りだとです、トミーも頷きました。
「僕も」
「だからだよ」
「それで、ですか」
「そう、僕達はね」
「命を大事にすべきですね」
「そうしていかないとね、そして命の尊さもね」
このこともというのです。
「当然ね」
「忘れないことですね」
「絶対にね」
そうしないといけないというのです。
「そのことはいいね」
「はい、それじゃあ」
「そういうことでね」
「やっていくことですね」
「皆でね」
笑顔で言う先生でした、ですがこの時まだ先生は知りませんでした。皆がその命のことについて実際に向かい合って考えて動くということを。