『ドリトル先生と不思議な蛸』
第十一幕 神戸に帰って
伊勢の海の調査を全て終えた先生はレポートも書いてでした。
伊勢から神戸への帰路につきました、その時に先生は皆に貨物列車の動物用の車両の中で皆に言いました。
「いや、今回も色々あったね」
「実際にヒョウモンダコは見付かったし」
「水族館にも行ってね」
「伊勢神宮にも参拝して」
「それで色々なものを飲んで食べて」
「楽しかったね」
「そうだね」
実にとです、先生は皆に言いました。
「本当にね」
「真剣なお話もあったけれどね」
「それでもだよね」
「楽しい旅だったね」
「そうだったね」
「そして神戸に戻ったら」
先生はそれからのこともお話しました。
「ヒョウモンダコのことをね」
「お話するんだね」
「水族館の人達に」
「伊勢の海にもいて」
「それでどう対処すべきか」
「そのことを」
「そうするよ」
皆に笑顔で言いました。
「是非ね」
「神戸に戻ってからのそのお仕事が残ってるね」
「ちゃんと」
「だから何とかするんだね」
「そうするのね」
「そうだよ、まだお仕事はあるよ」
このことは事実だというのです。
「ヒョウモンダコについてのね」
「そうだよね」
「じゃあ神戸に戻ったらね」
「もう一仕事しようね」
「そして終わろうね」
「そうしようね、そして今から」
先生は皆に明るい顔になってこうも言いました。
「お弁当を食べようね」
「うん、そうしよう」
「是非ね」
「駅弁食べようね」
「列車に乗ったからには」
「駅弁を食べないとね」
「そうしようね、駅弁はね」
心から言うのでした。
「偉大な食べものだよ」
「日本で生まれたね」
「素晴らしい食べものだね」
「じゃあそれを食べながら」
「神戸への鉄道の旅を楽しみましょう」
「そうしようね」
こう言ってでした。
先生は実際に動物の皆と一緒に色々な駅弁を食べました、そして蟹の駅弁を食べながらこんなことを言いました。もう列車は出発しています。
「また来る日までだね」
「うん、伊勢にね」
「今はさらばだね」
「また来る時があればね」
「楽しむんだね」
「そうしようね」
その駅弁を食べつつ言うのでした。
「また伊勢に来る時があったら」
「そうだね」
「色々楽しんだしね」
「また来る時があればね」
「また楽しもう」
「皆でね」
「是非ね、今回はトミーも王子も一緒じゃなかったけれど」
それでもというのです。
「今度はね」
「そうだよね」
「今度は二人も一緒だよ」
「トミーも王子も一緒で」
「伊勢を楽しみましょう」
「そうしたいね、旅は楽しむべきで」
先生はウイスキーを飲みながらお話しました。
「そしてね
「それでだよね」
「トミーも王子もいたら」
「それでだよね」
「余計に楽しくなるから」
「是非だね」
「二人もね」
「一緒にね」
伊勢に行きたいというのです。
「そうしたいよ、そのことを願いながら」
「そうだね」
「それじゃあね」
「今は帰ろう」
「神戸までね」
「そうしようね」
こう言ってでした、先生はまたウイスキーを飲みました。アイスボックスでよく冷やしたものでとても美味しいです。
そのウイスキーを飲んでまた言いました。
「しかし思うことは」
「思うことは?」
「思うことはっていうと」
「何かな」
「一体」
「うん、僕達は奈良県を通って大阪府から兵庫県に帰るね」
神戸のあるその県にです。
「そうするね」
「うん、そうだね」
「僕達の帰り道はそうだね」
「この三重県から奈良県に入って」
「そこから大阪府を通ってね」
「兵庫県に戻るね」
「こうしたらね」
この道ならというのです。
「早いけれど」
「それでもっていう口調だけれど」
「どうしたのかな」
「一体何があるのかな」
「これがJRだとね」
こちらの鉄道を使うというと、というのです。
「名古屋まで行って」
「愛知県だね」
「ますはそこに行って」
「それからだね」
「そして普通の車両で帰るにしても新幹線で帰るにしてもね」
どちらでもというのです。
「その名古屋からね」
「岐阜県に出てね」
「滋賀県、京都府と進んで」
「そして大阪府に入って」
「兵庫県だね」
「そうなるからね、遠回りになるよ」
こちらの道はというのです。
「どうしてもね」
「鉄道だとそうだね」
「車なら安心して行けるけれど」
「八条鉄道は奈良県から三重県にも通ってるけれど」
「JRは違うからね」
「近鉄は通ってるけれどね」
この鉄道会社の路線はというのです。
「JRはないからね」
「そうだよね」
「八条鉄道はちゃんと通ってるからね」
「全国に路線を展開していて」
「そうなっているから」
「いいんだよ、こうして貨物列車に乗って」
八条鉄道のそれにです。
「神戸まで皆と一緒にね」
「近道で神戸まで帰れるね」
「奈良県と大阪府を通って」
「そのうえで」
「それが出来るよ、日本は東北から南西に細長い地形だから」
それでというのです。
「道は一直線に見えるけれど」
「そうじゃない場合もあるね」
「どうしてもね」
「遠回りになる場合もあるね」
「これが」
「イギリスだとね」
先生は生まれた国のお話もしました。
「首都のロンドンから国の各地に行ける様になっているね」
「そうそう、ロンドンが交通の要でね」
「鉄道でもそうでね」
「もうそこから各地に線路が伸びているよ」
「そうなっているよ」
「日本もそうだけれど」
今いるこの国もというのです。
「東京からね」
「そうだよね」
「言わずと知れた日本の首都からね」
「各地に行ける様になっているね」
「西にも東にも」
「そして北にも」
「そうだけれど細長い地形だから」
イギリスと違ってです。
「それでね」
「線路も車道も血管みたいになっていて」
「一直線な様に見えてね」
「それでも遠回りする場合もあるね」
「これがね」
「それは山が多いからだよ」
日本はというのです。
「だからだよ」
「そうそう、日本って山多いね」
「もう国土の七割位が山だったわね」
「それだけ山が多いから」
「だからね」
「そう、山が多くてね」
その為にというのです。
「人が少なかったり線路を通しにくいから」
「だからだね」
「完全に一直線とはいかなくて」
「遠回りすることもあるね」
「時として」
「伊勢から神戸までの道もね」
これもというのです。
「JRだと近く一直線には行けないよ」
「遠回りになって」
「それでね」
「時間がかかるね」
「その分ね」
「今は新幹線があるけれど」
日本が誇るこの鉄道がというのです、物凄く速くてしかも揺れない安定感抜群の素晴らしい鉄道です。
「昔はね」
「そうはいかなかったね」
「列車を使うにも」
「三重県から奈良県の間の山は険しいから」
「どうしてもね」
「その険しい山にも線路を敷いているけれどね」
日本という国はです。
「けれどね」
「それでもだよね」
「山は山だから」
「奈良県と三重県の境は山が険しいから」
「近鉄は通っているけれどね」
JRはというのです。
「若し八条鉄道がないと」
「こうして一直線に帰れないね」
「そうだね」
「本当にね」
「遠回りになっていたね」
「そうなっていたよ」
先生は蟹のお弁当の次はイクラのお弁当を食べます、イクラの素敵な味を楽しみつつそうして言うのでした。
「今回もね」
「新幹線もいいけれど」
「それでも遠回りだからね」
オシツオサレツは二つの頭で言いました。
「どうしてもね」
「そこが問題だね」
「遠回りも楽しい時があるけれど」
「早く行きたい時は困るわよ」
チープサイドの家族も言います。
「どうしてもね」
「その時はね」
「だから三重県と奈良県に列車が通っていると有り難いね」
チーチーの口調はしみじみとしたものでした。
「列車で兵庫県や大阪府に行きたいなら」
「愛知県、岐阜県、滋賀県、京都府を通るとか」
トートーは言いました。
「やっぱり結構な遠回りだね」
「実は日本って結構広い国だし」
このことはホワイティが言いました。
「遠回りも結構だよ」
「というかイギリスより広いし」
日本はとです、ダブダブは言いました。
「日本ってね」
「だから遠回りも結構な距離になるわよ」
ガブガブはその距離のことを思いました。
「これがね」
「というか日本って何処が狭いのかしら」
ポリネシアは首を傾げさせました。
「欧州だと明らかに広い方の国よ」
「そうそう、ドイツよりも広いしね」
老馬も言います。
「実は」
「山が多くて住みやすい平地が少ないからそう言ってるだけじゃないかな」
ジップはこう考えました。
「その実は」
「日本が狭いというのは日本人の主観だね」
それに過ぎないとです、先生は言いました。
「アメリカや中国やロシアと比べてね」
「どの国も滅茶苦茶広いよね」
「もう大陸って言っていい位に」
「そんな国々と比べたら」
「流石にだよ」
「そうだね、そしてその結構広い日本で遠回りになると」
それならというのです。
「結構時間がかかるからね」
「今回はこうして帰るんだね」
「行く時と同じで」
「そうするんだね」
「そうだよ、この貨物列車に乗って」
そうしてというのです。
「神戸まで帰ると」
「のんびりとね」
「お弁当食べて景色を楽しんで」
「そうしながらね」
「そうしようね」
こう言ってでした。
先生は皆と一緒に駅弁を食べてウイスキーを飲んで車窓から見える景色を楽しみながら鉄道の旅を楽しみました、その中で。
動物の皆は大阪に入ったところで先生に言いました。
「大阪もいいよね」
「素敵な街よね」
「ざっくばらんで賑やかで」
「あったかくてね」
「しかも食べものが美味しくて」
「そうだね、大阪は面白い街だよ」
先生もこう言います。
「とてもね」
「そうだよね」
「お笑いの芸能事務所もあるしね」
「そうした意味でも面白いね」
「大阪ってね」
「神戸も好きだけれど」
先生が今住んでいる街もです。
「けれどね」
「大阪もいいんだよね」
「あの街はあの街でね」
「素敵な街でね」
「ずっといたい位だね」
「いつもそう思うよね」
「だから僕もよく行ってるね」
その大阪にというのです。
「そうだね」
「うん、そうだよね」
「確かによく行くわね」
「それも大阪のあちこちにね」
「色々行ってるね」
「難波も道頓堀もよくてね」
こうした場所もというので。
「梅田もいいね」
「大阪城もね」
「四天王寺だっていいわよ」
「晴明神社だってあるし」
「それに住吉大社」
「通天閣にも行けるし」
「どんな場所もね」
大阪はというのです。
「素敵だね、鶴橋や都島や天下茶屋もね」
「いいよね」
「そうした市街とか商店街もね」
「賑やかで活気があって」
「そして砕けていて」
「中に入るとすぐにね」
それこそというのです。
「馴染む街だね」
「もうずっといたくなる」
「そうなってしまうわ」
「そんな素敵な街でね」
「ずっといたくなって」
「神戸に戻る時は」
まさにその時はというのです。
「またすぐにってなるね」
「行きたくなるね」
「そして楽しみたい」
「そんな街だね」
「本当にね、それでだけれど」
先生はこうも言いました。
「また大阪に来たらその時はたこ焼きを食べたいね」
「そうそう、たこ焼き」
「大阪と言えばね」
「何といってもたこ焼きよ」
「お好み焼きに焼きそば、そして串カツもあるけれど」
「たこ焼きだよね」
「大阪といえばね、まあ中の蛸はね」
それはといいますと。
「ヒョウモンダコはないけれどね」
「それは絶対にないね」
「普通の蛸だよね」
「たこ焼きの蛸は」
「そうだよ、もう蛸が大発生したら」
先生はこうも言いました。
「日本人はすぐにやって来て」
「その蛸を全部捕まえて」
「そして食べてしまうね」
「たこ焼きにしたり」
「酢蛸にもお刺身にもして」
「そうして食べるね」
「そうするからね、随分昔にフランスの海で蛸が大発生して」
現実にそうしたことが起こってというのです。
「そして牡蠣に被害が出るって心配されたんだ」
「蛸って牡蠣食べるからね」
「そうするからね」
「だからだよね」
「問題だよね」
「けれど日本の漁船団が来て」
そしてというのです。
「その蛸を全部捕まえたんだ」
「そいうして食べたんだね」
「その蛸を」
「そうなのね」
「そうだったんだ」
実際にというのです。
「これがね」
「そんなこともあったんだね」
「日本人はフランスの牡蠣を救ったんだ」
「蛸を食べて」
「そうしたのね」
「そうなんだ、本当に困った生きものが大発生したら」
その時はというのです。
「ただ単に駆除するよりもね」
「食べる」
「それがいいわね」
「ただそうするよりも」
「それよりもね」
「そう思うよ、ただ食べるといっても」
それでもというのです。
「粗末な乱獲は駄目だよ」
「そうしたこともあったしね」
「人類の歴史において」
「もう幾らでもいるからって獲り尽してね」
「いなくなったことが」
「そんなこともあったから」
だからだというのです。
「やっぱり食べるにしてもね」
「考えてだね」
「獲り尽さない様にする」
「そうしないとね」
「本当に」
「そう、さもないとね」
そうしなければというのです。
「取り返しがつかなくなるからね」
「そうだよね」
「いなくなってからじゃ遅いよ」
「しまったと思ったら」
「もうその時は」
「だからだよ」
こう皆に言うのでした。
「食べるにしてもね」
「考えてだね」
「そうしてだね」
「やっていかないと駄目だね」
「どんな生きものも」
「そうだよ、さもないとね」
それこそというのです。
「本当に取り返しがつかなくなるからね」
「食べる形の駆除はいいけれど」
「食べ過ぎても駄目ってことだね」
「自然のことを考えたら」
「どうしても」
「そうなんだ、これがね」
イクラの次は鮭の駅弁を食べてでした。
先生は皆とさらにお話してです、遂に神戸に帰って来ました。先生は懐かしい我が家に戻るよりも前にでした。
大学に行って理事長さんのお部屋に向かいました、ここで皆は言いました。
「お家に戻るよりもだね」
「ヒョウモンダコのことをお話するんだ」
「まずはそれからだね」
「それで理事長さんにお会いするのね」
「そうだよ」
その通りだとです、先生も答えました。
「レポートも提出するしね」
「ああ、先生がずっと書いていたね」
「ホテルでも書いていたわね」
「それも提出して」
「ヒョウモンダコのお話もするんだ」
「そうするよ」
こう言うのでした。
「だから皆には悪いけれどお家に帰る前に」
「一仕事だね」
「それをして」
「そしてだね」
「そのうえでだね」
「お家に帰ろうね」
そうしようと言ってでした。
先生は学園とその施設全体の責任者である理事長さんのお部屋に行きました、そしてその理事長さんにです。
レポートを提出してヒョウモンダコのことを詳しくお話しました、すると理事長さんは先生に言いました。
「わかりました、では水族館の方もです」
「お話してくれますか」
「はい、そうした蛸がいて」
そしてというのです。
「そのうえで、です」
「水族館からも注意喚起をして」
「そしてです」
そのうえでというのです。
「多くの人があの蛸について注意する様にしましょう」
「それでお願いします」
「そして出来れば」
理事長さんはさらに言いました。
「水族館でそのヒョウモンダコをです」
「飼育しますか」
「そして実際に水族館に来た人に観てもらって」
その目でというのです。
「目でもです」
「知ってもらいますね」
「はい」
そうしようというのです。
「そうしてもらって研究もです」
「水族館で飼育して」
「行いましょう、ですが」
「はい、毒を持っていますので」
先生は理事長さんにこのことを言いました。
「ですから」
「それで、ですね」
「飼育そして研究にはです」
「十分以上にですね」
「注意が必要です」
先生は理事長さんにもこのお話をしました。
「絶対に」
「そうですね」
「本当に噛まれると命に関わりますから」
「そこまで危険な蛸ですね」
「そうです、海の生きものの中でもとりわけ危険と言っていいので」
それだけにというのです。
「絶対にです」
「十分以上の注意が必要ですね」
「そうです、くれぐれも」
「先生がそこまで言われるなら」
理事長さんもでした。
「そのことは」
「飼育した際はですね」
「気をつけます」
「宜しくお願いします」
「非情の個体数は少ないとのことですが」
「何しろ九州で目撃される話が多いとです」
先生は理事長さんにこのこともお話しました。
「言われる位ですから」
「毒を持っている海の生きものといってもですね」
「オコゼやガンガゼでこうは言われないですね」
「そうですね、目撃されることが多いなぞ」
「個体数が本当に少ないので」
それもかなりです。
「目撃されることも稀で」
「それが多いとまで、ですね」
「言われます」
その様にというのです。
「実際に」
「そうですか」
「ですから」
それでというのです。
「飼育する為に捕獲することも」
「難しいですか」
「そうです、ですが」
「それでもですね」
「飼育、研究が出来るなら」
それならというのです。
「行うべきです、オーストラリアの海にもいますから」
「オーストラリアですか」
「はい、あちらでは事故も起こっていますし」
「噛まれてですか」
「命を落とした人もいますので」
実際にそうした事件が起こっているからというのです。
「ですから」
「だからですね」
「はい」
まさにというのです。
「オーストラリアならです」
「当学園はオーストラリアとも関係が深いです」
「留学生を多く受け入れていて」
「研究員もですし」
「文化の研究も行っていますね」
オーストラリアのそれもです。
「アボリジニーの人達のそれも」
「そして生きものの研究も」
「でしたら」
それならとです、先生は理事長さんにお話しました。
「あちらのつてを使って」
「そしてですね」
「ヒョウモンダコを水族館に迎え入れ」
そしてというのです。
「そのうえで」
「さらにですね」
「飼育し研究をです」
「していくことですね」
「そうしていきましょう」
先生はヒョウモンダコのお話していきました、そしてです。
理事長さんは先生のお話に頷いてその通りにしていくことをしました、そしてそのうえでなのでした。
お話を終えるとようやくお家に帰りました、そのうえで。
ティータイムに入ると皆が先生に言いました。
「いや、遂にだね」
「遂にお家に帰ったね」
「それもお茶の時間に間に合ったし」
「よかったわね」
「全くだね」
笑顔で応える先生でした。
「三時のこのお茶はね」
「先生は絶対だから」
「十時も飲んでるけれど」
「三時は特にだね」
「絶対だから」
「そう、若しもね」
それこそというのです。
「僕は三時のこのお茶がないとね」
「もう残念で仕方ないね」
「毎日楽しんでるし」
「お茶を飲んでお菓子を食べて」
「そうしてね」
「この通りね」
今お茶を飲んで言いました。
「そうしているよ」
「今日は和風ね」
ポリネシアが言ってきました。
「お茶は麦茶で」
「そしてお菓子は水羊羹に」
食いしん坊のダブダブが見るのはこちらでした。
「それに三色団子ときんつばだね」
「いや、水羊羹がいいね」
ジップはそちらを見ています。
「夏らしいよ」
「夏は夏のお菓子がある」
ホワイティの言葉はしみじみとしたものでした。
「それも日本のいいところだね」
「水羊羹は素敵なお菓子だね」
「普通の羊羹もいいけれど」
チープサイドの家族もお話します。
「水羊羹もいいわね」
「つるりとした食感でね」
「しかも甘いし」
ガブガブはその甘さが好きみたいです。
「とても食べやすいのよね」
「その甘さがまたあっさりしているんだよね」
チーチーは水羊羹を食べながら言いました。
「それで余計にいいんだよね」
「そうそう、糖分もそれ程高くないし」
こう言ったのはトートーでした。
「健康的でもあるんだよね」
「食べ過ぎたら流石によくないけれど」
老馬が言いました。
「程々ならいいしね」
「じゃあ今日もね」
「皆で食べよう」
オシツオサレツは二つの頭で今回も言います。
「そして飲もう」
「お茶もね」
「是非ね」
先生は笑顔で言ってでした。
今日のティータイムを楽しみます、その中で皆はこんなお話もしました。
「トミーへのお土産も買ったし」
「赤福餅ね」
「勿論王子の分も買ったよ」
「そして日笠さんの分もね」
「全部買ったからね」
「うん、だからね」
それでというのです。
「皆喜んでくれるよ」
「伊勢といったら赤福餅だけれど」
「これがまた美味しいんだよね」
「そうそう、こし餡とお餅の組み合わせが絶妙で」
「何とも言えないね」
「そうだね、伊勢で食べたけれど美味しかったし」
それにというのです。
「お土産にも最適だね」
「そうよね」
「トミー達も喜んでくれるわよ」
「このお土産には」
「赤福餅にはね」
「伊勢に旅行に行ったらよくあるお土産らしいけれど」
それでもというのです。
「美味しいことは事実だね」
「そうだよね」
「それじゃあトミーが帰ってきたらあげようね」
「そして王子のお家にも行って」
「日笠さんにもね」
「日笠さんは動物園に行ってね」
日笠さんが勤務している学園の中にある動物園に行ってというのです。
「そいうしようね」
「そうだね」
「是非そうしましょう」
「先生が自分で言って直接手渡しする」
「僕達も一緒だけれどね」
「そうしようね、ただね」
ここでこんなことも言う先生でした。
「皆日笠さんには直接渡す様に言うね」
「先生が何処かに行ったらね」
「その時のお土産はね」
「日笠さんには何があっても」
「そう言うね」
「お土産は直接渡すことが一番いいよ」
このことは事実だというのです。
「本当にね」
「そうだよね」
「そのことはね」
「そして特にね」
「日笠さんにはだよ」
「皆日笠さんには特にって言うね」
実際にというのです。
「そうだね」
「だってね」
「そうしたことは守る人だけれど」
「それでもね」
「日笠さんには絶対にだよ」
「何といってもね」
「そう、だからね」
それでというのです。
「僕もね」
「実際にだからね」
「それでだよ」
「日笠さんについては」
「先生は特によ」
「気をつけないと駄目だよ」
「何で駄目なのか」
それはというのです。
「僕はわからないよ、お友達なら誰でもね」
「お土産は直接手渡しして」
「それでどうぞって言う」
「それが礼儀だね」
「そのことは事実だね」
「だから特にというのは」
日笠さんにはというのです。
「僕はわからないよ」
「それがわからないのが先生だね」
「本当にね」
「そこでどうしてって言うのが」
「本当にね」
「何かね」
どうにもとです、先生はまた言いました。
「皆日笠さんのことは特に言うね」
「言うよ、実際に」
「これからもね」
「先生に対してね」
「そうしていくよ」
「そうなんだね、どうもね」
先生はまた言いました。
「僕は皆のその考えがわからないよ」
「他のことならね」
「何でもわかる先生だけれど」
「ことこうしたことは、だから」
「何度も言うよ」
「ずっとね」
「そうなんだね、まあ日笠さんにもね」
あの人にもというのです。
「ちゃんとね」
「そうそう、お渡してね」
「明日動物園に行って」
「そしてね」
「そのうえでね」
「そうさせてもらうよ」
先生もこう言ってでした。
実際に明日日笠さんに赤福餅を直接渡すことにしました、そのお話をしてからそのうえでなのでした。
トミーがお買いものから帰ると赤福餅を渡しました、するとトミーはぱっと明るい笑顔になりました。
「いいですね」
「トミーは餡子好きだよね」
「はい、粒あんもこしあんも」
そのどちらもというのです。
「好きです、それで王子の分もですね」
「買ってきているよ」
「じゃあ王子も呼びましょう」
「今だね」
「はい、お家に」
「王子は来てくれるかな」
「今日は暇らしくて。あと今日の晩ご飯ですが」
トミーはそちらのお話もしました。
「ざるそばとサラダです」
「ざるそばなんだ」
「はい、そうです」
「それとサラダだね」
「夏らしく」
「いいね、夏はお素麺もいいけれどね」
ざるそばと聞いてです、先生は笑顔で言いました。
「ざるそばもね」
「いいですよね」
「昔は夏のお蕎麦はね」
「味がよくないと言われていましたね」
「そうだったよ」
それはというのです。
「昔はね、お蕎麦は秋に収穫するから」
「それで、ですね」
「そう、夏はね」
「お蕎麦の保存状態も悪くなって」
「それでね」
「夏のお蕎麦はですね」
「かなり味が落ちていたんだ」
「そうだったんですね」
「けれど今は保存技術も上がったから」
だからだというのです。
「普通に美味しいよ」
「そうですね」
「だから夏にざるそばもね」
「美味しいんですね」
「秋も美味しくて」
それでというのです。
「夏もなんだ」
「そうなったんですね」
「そして晩ご飯はだね」
「はい、ざるそばです」
「それにサラダだね」
「王子も呼んで」
そしてというのです。
「食べましょう」
「それではね」
「それで王子にもですね」
「赤福餅を渡すよ」
トミーにそうしたのと同じ様にというのです。
「そうするよ」
「そうですね」
「うん、しかし帰ったら帰ったらでご馳走なんてね」
先生はにこりとしてこうも言いました。
「僕は幸せだよ」
「幸せですか」
「凄くね」
「そんなにですか」
「うん、とてもね」
「ざるそばもサラダも普通にあるお料理で」
トミーはにこにことしている先生にお話しました。
「これといってです」
「特にご馳走と言ったりだね」
「幸せと言うまでには」
そこまではというのです。
「思いますけれど先生はそう言われますね」
「そう、美味しければね」
それならというのです。
「ご馳走でその美味しいものを食べられたら」
「幸せですね」
「それだけでね」
「先生にとっての幸せは」
「もう周りにね」
ご自身の身の回りにというのです。
「幾らでもね」
「ありますね」
「そうなんだ」
これがというのです。
「僕の場合はね」
「そうですね」
「何でも幸せだって感じられたら」
「不平不満なく」
「いいよね」
「はい、確かに」
トミーもその通りだと頷きます。
「そのことは」
「そうだよね」
「幸せは周りにですね」
「そう、すぐ近くにね」
「沢山あるんですね」
「その幸せを見付けてね」
そうしてというのです。
「楽しめばいいんだよ」
「それがいいんですね」
「そう、それが出来ないとね」
「幸せでなくなりますか」
「世の中どう見ても満ち足りていて」
そうした生活を送っていてというのです。
「不平不満ばかりの人もいるね」
「そうですね」
「中には自分のことしか考えなくて」
そしてというのです。
「好き勝手してね」
「それでもですね」
「不平不満ばかりの人もね」
「いますね」
「こうした人はもうね」
それこそというのです。
「何があってもね」
「幸せにはですね」
「なれないよ、なる為にはね」
「近くの幸せをですね」
「見付けてね」
そうしてというのです。
「そのうえで」
「楽しむことだね」
「そうだよ」
こうトミーにお話しました。
「まさにね」
「それがいいんですね」
「そう、そうしたらね」
「幸せになれますね」
「どんな環境にいても」
「お金があって地位があってですね」
「そしていいものや人に囲まれていてもね」
それでもというのです。
「幸せを見付けられないとね」
「幸せになれないんですね」
「そうだよ」
まさにというのです。
「だからね」
「幸せを見付けて楽しむことですね」
「それが出来ればね」
その時はというのです。
「人も誰もがね」
「幸せになれるんですね」
「そうだよ、だからね」
それでというのです。
「そうして幸せになろうね」
「わかりました」
トミーは先生のその言葉に頷きました。
「覚えておきます」
「宜しくね、しかし本当に大勢のいい人に囲まれていて」
そしてというのです。
「満ち足りた生活をしているのに」
「不平不満ばかりの人はですね」
「いるけれどね」
「そうした人は幸せじゃなくて」
「そして何故それでね」
そうした状況でというのです。
「不平不満ばかりか」
「先生にはわからないですか」
「うん」
そうだというのです。
「そうした人が実際にいるけれどね」
「そうした人はですね」
「何でそうなのか」
それはというのです。
「僕にはわからないよ、通うお店の文句も多くて」
「クレーマーですか」
「それに近くてお家の中でもね」
「不平不満ばかりですか」
「そうした人はね」
「どうして不平不満ばかりかですね」
「わからない時があるよ」
こうトミーに言うのでした。
「本当にね」
「その人にしかわからないことでしょうか」
「どうもね」
これがというのです。
「そうみたいだね」
「そうですか」
「うん、それはね」
「どうにもですか」
「そう、本当にね」
それはというのです。
「その人のことだろうね」
「内面ですか」
「人の心は幾ら学問をしても極めて分かりにくいよ」
これが先生が今言うことでした、そしてです。
王子が来るとこれまた赤福餅を出しました、そうしてそのうえで王子とも楽しくお話をしたのでした。