『ドリトル先生と不思議な蛸』




                第八幕  三重県の広さ

 先生は伊勢志摩の海の調査を行う中でふと皆にこんなことを言いました、今は丁度朝の日の出と共の調査をはじめた時でした。
「三重県も広くてね」
「そうみたいだね」
「僕達が今住んでいる兵庫県もそうだけれど」
「三重県も広いね」
「海だけでなく山も多くて」
「それぞれの地域があって」
「僕達が今いる伊勢や鳥羽にね」
 それにというのです。
「政庁のある津市、工業地帯の四日市市にね」
「あと松阪だよね」
「牛の有名な」
「そこもあるね」
「それにサーキット場のある鈴鹿もあって」
 この地域もというのです。
「江戸川乱歩さんが生まれた名張もね」
「ああ、あの推理小説の」
「あの人だね」
「少年探偵団を書いていた」
「あの人が生まれた場所もあるんだ」
「そして忍者の伊賀もね」
 伊賀上野市もというのです。
「あるよ」
「本当に色々だね」
「一口に三重県といっても」
「広いのね」
「この県は」
「うん、今回は伊勢にいるけれど」
 この地域だけでなくというのです。
「他の地域もね」
「色々あって」
「それぞれの地域の特色があるのね」
「そうなんだね」
「うん、それでそれぞれの地域のことを頭に入れることも」
 このこともというのです。
「面白いよ」
「そうなんだね」
「日本ってそれぞれの県で地域性があるけれど」
「三重県もだね」
「そういうことね」
「そう、そしてね」  
 先生はさらにお話しました。
「今回本当に行けないのが皆残念がっているけれど」
「伊賀だよね」
「さっきもお話に出したけれど」
「伊賀も三重県で」
「独自の地域性があるのね」
「そうだよ、もう忍者といえばね」
 それこそというのです。
「伊賀だね」
「そうそう、真田十勇士も忍者だけれど」
「長野県のね」
「あの人達のライバルでもあって」
「徳川家康さんにも仕えていたし」
「そうだね、ロマンがあるから」
 忍者にはというのです。
「その伊賀も三重県にあるから」
「機会があれば行きましょう」
「その伊賀にも」
「今回は無理だけれど」
「またの機会にね」
「是非ね、ちなみに忍者の武器で手裏剣があるけれど」
 先生はこの武器のお話もしました。
「実はあまり威力はないよ」
「へえ、そうなんだ」
「よく投げて敵を一撃でやっつけるけれど」
「実はそうなの」
「手裏剣って威力はないの」
「刃が短くてあまり刺さらないからね」 
 だからだというのです。
「投げてもね」
「そういえば刃はあまり長くないね」
「手裏剣って」
「星型のも卍のも八方あるのも」
「苦無にしても」
「それに鉄だから結構重かったし」
 このこともあってというのです。
「あまり多く持てなかったよ」
「漫画とかで一度に何発も投げてるのに」
「それでもだね」
「実は、なんだ」
「重かったんだ」
「だから鉄だから」
 どうしてもというのです。
「そんなにね」
「持てないんだね」
「漫画はあくまで漫画だね」
「最強の武器で何発も投げられる」
「そんなものじゃないのね」
「むしろ刃を使って穴を掘ったりものを切ったりする」
 そうしたというのです。
「道具だったんだよ」
「そうだったんだ」
「忍者の手裏剣って」
「武器というよりかは」
「道具の方に使っていたんだ」
「そうだよ、あと何メートルもジャンプしたり」 
 忍者がです。
「水遁の術でずっと隠れていたりもね」
「しないんだ」
「土遁とか火遁ともあるけれど」
「あと木の葉隠れね」
「そうしたこともないんだ」
「ないよ、分身の術とか姿を消したりとか」
 そうしたこともというのです。
「しないよ」
「魔法使いみたいだけれど」
「というか魔法より凄いかも」
「忍者の術って」
「けれど実は」
「確かに水遁の術とかはあったけれど」
 このことは事実でもというのです。
「人はシュノーケルがあってもずっとお水の中にいられないね」
「そうだよね」
「それだけでは難しいね」
「それに浮力もあって泳がないとお水から出るし」
「それで見付かるし」
「水面から姿も見えるね」
「だからそうそうずっとはね」
 水遁の術を使ってもというのです。
「隠れられなかったよ、土の中に隠れることも」
「ずっとは無理だね」
「言われてみたら土の中にずっとって辛いよ」
「そうそういられないわ」
「私達だってね」
「これもないしね、あと大蝦蟇を出すとかはね」
 こうしたものはというのです。
「もう完全にね」
「漫画だね」 
 ジップが言いました。
「流石にね」
「出来る筈がないね」
 トートーも言います。
「流石に」
「これは僕達もわかるよ」
「忍術じゃないし」
 チープサイドの家族も言います。
「もう妖術よね」
「そんなお話だよ」
「あれだよね、児雷也とかいう忍者だったね」 
 ホワイティは実際にそうした術を使う忍者の名前を出しました。
「蝦蟇を使うのは」
「あと天竺徳兵衛さんもよ」
 ガブガブはこの人の名前を出しました。
「外国から帰って大暴れする」
「どう見ても妖術なのに」
 ダブダブも首を傾げさせます。
「忍術になっているのかな」
「姿を消すと死角に入ってね」
 ポリネシアは実際のことから考えました。
「分身は素早く動いての残像ってわかるけれど」
「変身とか蝦蟇を使ったりとかは」 
 チーチーも言葉に疑問符が付いています。
「どう考えてもないから」
「何か忍術と妖術がごっちゃになっていて」
「変なことになってるね」 
 オシツオサレツは二つの頭で言いました。
「漫画とかゲームとか小説だと」
「どうにもね」
「壁を歩くとかムササビの術もないね」
 老馬は忍術のそうしたこともお話しました。
「流石に」
「壁をよじ登ったりはしたし壁と同じ模様の布を出して隠れたことはしても」
 それでもというのです。
「流石にね」
「壁を歩くとかね」
「ムササビもだね」
「なかったわね」
「流石に」
「ムササビの術は出来ても現実に空を飛ぶなんて機会もね」
 その機会がというのです。
「そうそうないしね、大凧に乗るのも」
「やっぱりないよね」
「あくまで漫画のことで」
「そもそも凧に乗ってる時にロープ切られたら終わりだし」
「リスク多いね」
「ムササビの術だって布に穴があったり縛っている部分が外れたら」
「あと突風で流れたりしたら」
 皆で想像して言います。
「危ないよ」
「そう考えたらね」
「忍術も現実にどうか」
「そこから考えるとね」
「漫画みたいなことはないよ」
 日本のというのです。
「魔法使いみたいなことはね」
「やっぱり現実はそうだね」
「忍者は実際にいたし」
「現実の動きをしていて」
「忍術もそうだったのね」
「無敵の存在でもなかったしね」
 そうした作品世界ではそこまで強くてもというのです。
「むしろ隠れる、逃げる存在で」
「戦うとなると」
「それは二の次で」
「まずは隠れる」
「そして逃げていたのね」
「それが忍者だったんだ、ただ織田作之助さんは」 
 先生はここで日本の昭和の頃に活躍したその作家さんの名前も出しました。
「そうした作品も書いているよ」
「ああ、あの夫婦善哉の」
「大阪を舞台にした作品を書いている人ね」
「あの人も忍者の作品書いていたんだ」
「そうだったのね」
「猿飛佐助では空を飛んでいてね」
 この作品ではそうなっていてというのです。
「ニコ狆先生では煙、煙草のそれで姿を消すんだ」
「そのまま創作の忍者だね」
「純文学でもそうだったの」
「昔は」
「ああ、純文学といっても小説だから」
 それでというのです。
「そんな堅苦しくはね」
「考える必要ないんだ」
「楽しんで読めばいいのね」
「そうなんだね」
「そうだよ、面白かったりためになったりすれば」
 それでというのです。
「いいからね」
「小説は」
「それでなんだ」
「織田作之助さんの作品も」
「堅苦しくならなくていいんだ」
「むしろこの人の作品は娯楽に徹した作品もあって」
 それでというのです。
「こうした作品はね」
「娯楽の忍者なんだ」
「空を飛んだり姿を消したり」
「そういったことが出来るんだ」
「そうなのね」
「うん、これがまた面白いんだ」
 織田作之助の忍者の作品はというのです。
「そしてその作品を読んでもね」
「忍者って魔法使いみたいなんだ」
「というか戦闘も出来る分忍者より強いね」
「まさにスーパーマン」
「そんな風だけれど」
「それは創作でね、しかしその創作を抜いても」
 それでもとです、先生は笑顔で言いました。
「忍者は面白いね」
「そうだね」
「ロマンがあるね」
「恰好良くて何処か陰があって」
「それでね」
「だから皆好きなんだよね、僕もね」
 先生ご自身もというのです。
「好きだよ」
「そうだよね、お話する時目がきらきらしていたよ」
「学問のことをお話するみたいで」
「先生も忍者が好きだって」
「そのことがよくわかったわ」
「そうだね、本当に忍者はね」
 先生はそのきらきらとした少年の様な目でさらにお話を続けました。
「侍と並ぶロマンだね」
「そうだよね」
「戦国時代から江戸時代にかけての」
「本当に日本のロマンだよ」
「憧れるわ」
「全く以て日本は不思議な国だね」 
 先生はこうも言いました。
「その長い歴史を見てみると」
「そうそう、神様に仏様がいて」
「そしてお侍に忍者もいて」
「お公家さんも僧兵もいて」
「海賊もいたりして」
「鬼や幽霊、妖怪のお話も多くて」
「そして地域性もあってね」
 動物の皆も言います。
「とても不思議な国だよ」
「ただ長い歴史を持っているだけじゃないから」
「物凄い国よ」
「イギリスではスパイがいて」
 先生は祖国のお話もしました。
「やっぱりスーパースターがいるけれどね」
「その名はジェームス=ボンド」
「ダンディでもてもてで強くて頭がいい」
「まさにスーパースターだよ」
「オリンピックの開会式でも出て来たし」
「女王陛下と一緒に」
「あのヒーローにも負けないよ」
 忍者はというのです。
「服部半蔵さんや風魔小太郎さん、真田十勇士はね」
「そうだよね」
「ボンドさんにも匹敵するね」
「そうした人達ね」
「本当に」
「そう思うよ、そして機会があれば」
 その時はというのです。
「是非ね」
「伊賀にも行きましょう」
「そしてその時は忍者を観よう」
「絶対にね」 
 皆でこうしたお話もしてでした、午前中全部使って海の調査をしました。その結果今回も色々な種類の海の生きものを観られてです。
 水質の調査も出来ましたが。
「今回もね」
「赤くない蛸はいなかったね」
「本当にここにはいないのかな」
「伊勢の海には」
「そうだね、ただ探すことはね」
 このことはというのです。
「期限までね」
「続けていって」
「そしてだね」
「探し続けるんだね」
「これからも」
「そうしよう」 
 実際にというのです。
「これが僕の今回のお仕事だしね」
「それじゃあね」
「このまま続けて」
「そしてだね」
「最後までね」
「やっていこう」
 こうお話してでした、先生はお昼になるとです。
 調査をしていた海辺からレストランに入りました、今日のお昼は海鮮サラダにスパゲティペスカトーレ、鮭のアクアパッツァにです。
 パンと鯛のアクアパッツァでした、先生はそのメニューを観ながら白ワインが入ったグラスを手にして笑顔になって言いました。
「うん、今日もね」
「海の幸だね」
「海の幸を楽しめるね」
「そうだね」
「それがいいね、サラダにスパゲティにカスパッチョに」
 さらにというのです。
「アクアパッツァもだよ」
「食べようね」
「今日のお昼は」
「スパゲティも食べて」
「そうしてね」
「そして午後も楽しむけれど」
 こうも言う先生でした。
「こうして魚介類だけでもね」
「普通にコースになるのよね」
「日本にいると」
「お肉がなくても」
「それでもね」
「成り立つね」
「今回はイタリア料理だけれど」
 それでもというのです。
「日本にいるとね」
「それも成り立つから」
「本当に凄いね」
「そうよね」
「うん、だから今からね」
 笑顔で言う先生でした。
「このシーフードのコースをね」
「楽しもうね」
「皆で食べて」
「是非そうしましょう」
「うん、シーフードはカロリーも少ないし」
 このこともあってというのです。
「美味しくヘルシーにね」
「食べられるからね」
「いいよね」
「それだけでコースにしてもね」
「問題ないね」
「うん、和食はメインディッシュのないフルコースだと言われているけれど」
 それでもというのです。
「これがどうしてね」
「美味しくてね」
「それで栄養も豊富で」
「凄くいいから」
「一度食べるとね」
「病みつきにもなるね」
「そうだね、そしてその日本だとね」
 和食のこの国ならというのです。
「こうしてね」
「イタリア料理でもね」
「シーフードだけでコースにしても」
「それでも問題なく楽しめる」
「そうよね」
「そう、日本に来て知った食べ方だよ」
 まさにそうだというのです。
「けれどそれがね」
「凄くよくてね」
「もういつもこれでもいい」
「そこまでなってるね」
「本当にね、じゃあ楽しもうね」
 笑顔で言ってでした。
 先生は皆と一緒にサラダにスパゲティ、カルパッチョにアクアパッツァを楽しみました。そうしてです。
 デザートも楽しんで、でした。満足して午後も調査をしました。その中で先生は沖の方にあるものを見ました、それは。
「あれはイルカだね」
「そうだね、イルカだね」
「群れでいるね」
「気持ちよさそうに泳いでるわね」
「背鰭も出して」
「そうしているね」
 時折見える背鰭も見て言います。
「伊勢も沖に出るとね」
「イルカもいるんだね」
「色々な海の生きものがいるけれど」
「イルカもなんだね」
「そうだね、そういえばね」
 こうもお話する先生でした。
「日本人はイルカも食べるね」
「鯨も食べてね」
「それでだよね」
「イルカも食べるね」
「鯨と同じ様に」
「鯨とイルカは同じ仲間だしね」
 このこともあってというのです。
「食べるね、ただどちらかというと」
「鯨だね」
「鯨の方をよく食べるわね」
「日本人は」
「鯨の方が美味しいのね」
「実際に食べてみてもね」
 先生ご自身がです。
「鯨の方が美味しいしね」
「そういえばそうだね」
「僕達も食べてみたけれど」
「イルカより鯨の方が美味しい?」
「やっぱり」
「そうだね、僕は捕鯨反対も言わないしね」
 先生は確かに環境を大事にします、ですがそれは言いません。それは一体どうしてなのかといいますと。
「それは文化だしね」
「日本のね」
「文化は大事にしないとね」
「それでだよね」
「先生は捕鯨反対しないね」
「そうだね」
「そう、そしてね」
 それでというのです。
「鯨を食べることもね」
「否定しないでね」
「先生自身食べてるね」
「日本に来てからだけれど」
「そうしているね」
「だから日本が捕鯨再開したことも」
 このこともというのです。
「正しいと思うよ」
「それでまた捕鯨が盛んになってね」
「日本の文化が守られるなら」
「それならいいのね」
「先生としては」
「そう思うよ、鯨も増え過ぎたらね」
 捕鯨を全くしなくなってです。
「海の生態系がおかしくなるしね」
「そうだよね」
「それはそれでね」
「鯨って凄く食べるから」
「身体が大きい種類もいるし」
「だからそこはしっかりしないと」
 捕鯨もというのです。
「本当にね」
「海の生態系がおかしくなる」
「捕鯨反対は環境の為だけれど」
「生きものを守る」
「その為のものだけれど」
「それでもそれで環境がおかしくなったらね」 
 海のそれがです。
「よくないからね」
「それでだよね」
「捕鯨も必要だね」
「そちらも」
「そして日本人もわかっているからね」 
 何がわかっているかもです、先生は言いました。
「環境のことは」
「だから捕鯨を再開してもね」
「乱獲はしないのね」
「そうなんだね」
「だからね」
 それでというのです。
「捕鯨再開はいいことだよ、そして食べることもね」
「いいよね」
「日本って鯨の身体のあらゆる部分を使うし」
「無駄なく」
「このこともいいね」
「うん、昔あるタレントさんが私は鯨無駄がないと言ったけれど」 
 この言葉も出すのでした。
「まさにね」
「その通りだよね」
「日本人はね」
「鯨を無駄なく使う」
「そうしているね」
「そのこともいいことでね」
 それでとです、先生は船の上で皆にお話しました。
「日本の捕鯨は問題ないよ」
「そうなるね」
「捕鯨といっても色々だけれど」
「日本の捕鯨は鯨を隅から隅まで使うから」
「無駄なくするからいいのね」
「僕はそう思うよ、そして鯨のお肉はね」
 今度はお肉のお話をしました。
「海のものだけあって低カロリー高蛋白でね」
「身体にもいい」
「そうなのね」
「それじゃあね」
「そっちも食べていい」
「健康面から見ても」
「そうなんだ、しかし不思議なことは」
 先生は首を傾げさせてです、こんなことも言いました。
「日本の捕鯨は反対するけれど」
「グリーンピースとかシーシェパードとか」
「国だとオーストラリアね」
「日本の捕鯨には反対で」
「ノルウェーやアイスランドだと反対しない」
「ちょっとおかしい?」
「韓国にもだし」
 そうしたことも皆でお話しました。
「何で日本だけってね」
「嫌がらせみたいに」
「それは本当におかしいね」
「どう考えても」
「やっぱりこうしたことはね」
 先生は穏やかですが真面目な声で言いました。
「どの国にもね」
「しっかりしないとね」
「真面目にしないとね」
「さもないと駄目よね」
「本当に」
「だから日本が捕鯨のことをお話する国際機関を出て」
 そうしてというのです。
「自国で捕鯨を再開したことはね」
「正しいんだね」
「日本だけそう言うし」
「そうした団体もいるから」
「それでなのね」
「それでよかったと思うよ」
 日本が独自の捕鯨を再開したことはというのです。
「そして日本人もこれから鯨のお肉を」
「今より食べられる様になる?」
「昔は一杯食べたそうだけれれど」
「これからはね」
「昔みたいに食べられるかも」
「そうなるかも知れないんだ」
「それはこれからの努力だけれどね」
 日本人が昔の様に鯨を食べられる様になるにはというのです、先生はこのことについてはこう言うのでした。
「けれどそうなる条件はね」
「揃ったね」
「捕鯨を再開して」
「そうなったんだね」
「そうだよ、だから機会があったら」
 そのイルカ達を見ながら言いました。
「その時はね」
「うん、皆でね」
「鯨食べよう」
「そうしようね」
「それも仲良くね」
「というかね」
 ここで、でした。トートーが言いました。
「捕鯨ってどの国もやってたね」
「昔はね」
 ガブガブも言います。
「鯨油を取る為に」
「鯨油がいい灯りの燃料になったから」
 このことはポリネシアが言いました。
「捕鯨をしていたね」
「コルセットに鯨の骨も使っていたし」
「そうだったわね」
 チープサイドの家族もお話します。
「貴族の人達のそれとか」
「そうだったね」
「それで今になって駄目とか言うのは」
 ジップも首を傾げさせます。
「自分達がしていたことでね」
「しかも碌に調べないで反対で」
 ダブダブも首を傾げさせています。
「日本にだけ言うのは」
「おかしいね」
 ホワイティは言い切りました。
「だから日本もそうした組織を出たんだね」
「何時かの国の大統領みたいにちょっと気に入らないとその組織出るのはどうかだけれどね」
 チーチーはある国の大統領を思い出しました。
「日本は滅多にそうしたことしないし」
「ちゃんと考えて脱退しているね」
 老馬も言います。
「そのこともいいね」
「しかも鯨を無駄なく使うから」
「いい捕鯨だし」
 オシツオサレツは二つの頭で言いました。
「問題ないね」
「そうだね」
「しかも鯨を食べることも文化だから」 
 先生はまたこのことを言いました。
「本当にいいよ」
「そうだよね」
「それを批判することもないね」
「これといって」
「そうだね」
「鯨のお刺身に揚げものにステーキに」
 先生は具体的なお料理を挙げました。
「さらしもベーコンもね」
「どれも美味しいよね」
「本当に無駄なく食べられるね」
「鯨って」
「牛肉みたいに」
「だからいいんだ、ベーコンなんてね」
 鯨のそちらはといいますと。
「豚のベーコンとはまた違ったね」
「美味しさがあるね」
「独特の味があって」
「歯触りもよくて」
「お酒にも合って」
「そちらでも絶品ね」
「うん、あの食べものを今以上に食べられるなら」
 それならというのです。
「僕も嬉しいよ」
「そうそう、じゃあね」
「本当に機会があったら食べよう」
「スーパーでも売ってるし」
「それじゃあね」
「また食べよう」
「鯨のベーコンをね」
 こうしたことをお話してでした。
 先生はイルカも見つつ午後も海の調査をしました、その結果はやっぱり赤くない蛸は見付かりませんでした。
 それで夜先生はこの時は蛸や烏賊そして貝類のお造りをメインに。
 栄螺や海草そしてお豆腐やお野菜の色々なお料理を食べて日本酒を飲みながら皆にこんなことを言いました。
「本当に若しいないならね」
「もうそれでだね」
「いいんだね」
「それはそれで」
「うん、生態系や水質の調査もしていて」 
 それでというのです。
「そちらのこともしているから」
「だからだね」
「赤くない蛸がいなければいないでいい」
「そうなのね」
「先生としては」
「うん、いたらね」
 それならというのです。
「その時はまたあるけれど」
「それでもだね」
「ないならだね」
「それもよし」
「そうなんだね」
「それでね、まあ元々数が少ない蛸だから」
 それでというのです。
「見たってお話も間違いかも知れないしね」
「それならそれでいい」
「この伊勢にいないなら」
「そしていたらだね」
「その場合は」
「皆に注意喚起をね」
 それをというのだ。
「県から出してもらうよ」
「駆除じゃなくて」
「そうしてもらう」
「それだけだね」
「そうだよ、そしてね」
 先生は皆にこうも言いました。
「その蛸は食べられないんだ」
「そうなの」
「日本人は蛸って食べものと思ってるけれど」
「その蛸は駄目なんだ」
「食べられないの」
「うん、他の蛸と違ってね」
 その蛸はというのです。
「食べられないんだ」
「そんな蛸もいるんだ」
「じゃあお刺身に出来なくて」
「今みたいに」
「唐揚げにも出来なくて」
「酢蛸も茹で蛸も駄目」
「勿論たこ焼きもね」
 このお料理もというのです。
「その蛸では無理なんだ」
「そんな蛸もいるんだね」
「日本にいたら本当に蛸イコール食べもので」
「それも美味しいもので」
「たこ焼きとかにするのに」
「その蛸はなんだ」
「本当に日本人は蛸や烏賊はイコール美味しいだけれど」
 笑って言う先生でした。
「その蛸はなんだ」
「食べられないんだ」
「そんな蛸もいるの」
「蛸っていっても色々だね」
「赤くなくて食べられない蛸もいるなんて」
「そうだね、イギリスとかでは蛸や烏賊は気持ち悪くてね」
 その外見がです。
「まさに悪魔の生きものだね」
「烏賊のことをデビルフィッシュとか言うし」
「本当に悪魔に思うね」
「烏賊にしても」
「それが日本人は烏賊は美味しい食べものだよ」
 その烏賊のお刺身を食べつつ言います、そのお刺身は薄く透ける位に切られていてとても美味しいです。
「この通りね」
「そうだよね」
「蛸と一緒に色々なお料理にするし」
「本当によく食べるね」
「日本人は烏賊も」
「そうしたお国柄で蛸もね」
 また蛸のお話をするのでした。
「食べものと思ってね」
「もう捕まえてね」
「そして食べようとするね」
「映画で大蛸が出ても何人分あるかだし」
「大烏賊でも」
「それでも食べられない蛸はいるんだ」
 この現実はあるというのです。
「そのことは覚えておかないとね」
「そして注意喚起をして」
「そしてだね」
「その蛸に注意する様に言う」
「そうしていくんだね」
「是非ね、そしてね」
 さらに言う先生でした。
「子供が悪戯心を起こしてね」
「近寄らない様にするのね」
「その蛸に」
「そうした風にもするんだね」
「蛇と同じだよ」
 先生は蛸のお刺身を食べながら言いました、生の蛸のお刺身もとても美味しくてしかもお酒にもよく合います。
「要するにね」
「蛇も近寄らないしね」
「普通の人は」
「毒があるから」
「噛まれると大変だから」
「注意しても悪戯して噛まれる人はどうにもならないけれど」
 そうした人はというのです。
「普通の人は近寄るなって言うと近寄らないね」
「そうだよね」
「変な度胸試しとか言って悪戯する人は兎も角ね」
「そんな馬鹿なことをする人は置いておいて」
「それでもね」
「普通の人は注意したらね」
 それでというのです。
「子供も近寄らないね」
「そうだね」
「だからだね」
「先生はその蛸を見付けたら」
「すぐに県庁の人にお話するんだね」
「そして注意喚起を出してもらうよ」
 そうしてもらうというのです。
「蝮みたいにね」
「蝮っていうとね」
「確かに怖いけれど」
「結構色々な場所にいるから」
「だからね」
「特に心配することはないね」
「大事なのは正しい知識を持つことだよ」 
 先生ははっきりと言いました。
「それが大事だよ」
「変に怖がるんじゃなくて」
「正しい知識を持つこと」
「その生きものに対して」
「それが大事だね」
「そうなんだ、だからね」 
 先生はお酒を飲みながら言いました、よく冷えた日本酒が今日のお料理にもとても合っていて美味しいです。
「僕は注意喚起は出してもらうけれど」
「その蛸を見付けても」
「それでもだね」
「怖がりはしない」
「そうなる様にするのね」
「恐れるのではなく知ること」
 先生はこうも言いました。
「それが大事なんだよ」
「そうだよね」
「先生はいつもその考えだけれど」
「その考えこそ正しいね」
「何事においても」
「幽霊もだね」
 皆が怖がるこの存在もというのです。
「知ることだよ」
「幽霊について」
「幽霊とは一体どんなものか」
「まずはそこからだね」
「人には魂があって幽霊はその魂が身体から出たものだよ」
 先生はまずはこのことからお話しました。
「だから人だよ」
「他ならぬね」
「まさにそれだね」
「それが幽霊だね」
「そう、そしてね」
 先生は飲みながら言います。
「人によって違うからね」
「性格はね」
「だからその人それぞれだね」
「幽霊にしても」
「マクベスの幽霊とハムレットの幽霊は違うね」
 ここで先生はイギリスの代表的な戯作作家の名前を出しました。
「そうだね」
「うん、そうだね」
「マクベスの幽霊は糾弾する感じでね」
「ハムレットの幽霊は知らせる感じで」
「同じ怨霊みたいな感じでも」
「それでもね」
「違うしね、それぞれの幽霊の性格や立場が出てね」
 それでというのです。
「また違うんだよ」
「そうだよね」
「言われてみればね」
「マクベスとハムレットじゃね」
「幽霊の性格が違うわ」
「同じ幽霊でもね」
「そう、だからそれぞれね」
 まさにというのです。
「知ることが大事なんだよ」
「そういうことね」
「大事なことは」
「それぞれを知ることで」
「赤くない蛸についても」
「知ることなんだ、気を付けても」
 それでもというのです。
「知ることが大事だよ」
「だから無闇に怖がらない」
「そのことが大事だね」
「本当に」
「その通りだよ、知ることが一番大事で一番の武器なんだ」
 先生は皆に微笑んで言いました。
「蛸や烏賊も美味しいってわかってるからだね」
「食べられるね」
「こうしてね」
「イギリスにいた時は知らなかったけれど」
「日本に来て知って」
「それで私達も楽しく食べているわ」
「こうしてね」
「そういうことだよ、まずは知ることなんだ」 
 先生は笑顔で言いました、そのうえで。
 その美味しいことを知った蛸や烏賊を食べて楽しみました、先生も皆も今夜も舌鼓を打ったのでした。








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