『ドリトル先生と不思議な蛸』
第五幕 伊勢神宮
先生は動物の皆に伊勢神宮に行きました、まずはそこにある川に行きましたがそこには沢山の鯉達がいます。
どの鯉も奇麗な錦鯉で白や赤、金色と見事な彩です。しかもどの鯉も物凄く大きくて動物の皆は驚いて言いました。
「大きいね」
「こんな大きな鯉はじめて見たよ」
「一メートルある鯉いるね」
「鯉って大きくなると一メートルになるって言うけれど」
「そんな鯉を実際に見るなんて」
「神社には鯉や亀が多いけれどね」
先生が皆にお話します。
「ここは本当にね」
「日本で第一の神社だから」
「いる鯉も凄いんだ」
「彩も奇麗で」
「大きいんだ」
「そうなんだね」
「そうだよ、そしてね」
先生はさらにお話しました。
「この鯉は神様の鯉だから」
「伊勢神宮の」
「天照大神のだね」
「だから神聖な鯉だね」
「そうなのね」
「そうだよ、この鯉達はね」
まさにというのです。
「大事なものだよ、だから僕達もね」
「大事にしないと駄目ね」
「何としても」
「迂闊に何かしたら駄目だね」
「そのことも」
「そうだよ、それじゃあ中に入ろうね」
社のとです、こう言ってでした。
皆は先生に案内されて社に入りました、するとそこは普通の神社ではなく。
とても広い場所に数多くの社の建物がありとても大きな木々の中を進んでいく様な場所でした。皆その中に入ってです。
歩きながら周りを見回して言いました。
「こんな神社あるんだ」
「これまで色々巡ってきたけれど」
「一つの山というか林自体が神社みたいな」
「そんなところね」
「何かいつも自然と白い霧がかかっているみたいだし」
「不思議なところだね」
「そうだね、僕もはじめて来たけれど」
先生もです。
「ここはね」
「神聖だね」
「もうそんな世界だね」
「本当に」
「この神社は」
「うん、流石は日本第一の大社だよ」
先生は感激さえしています、そうして言うのでした。
「この伊勢神宮はね」
「そうだよね」
「日本には数多くの神社があるけれど」
「この神社は違うね」
「本当にね」
「特別だよ」
「格が違うというか」
先生はこうも言いました。
「そうした場所だね」
「全くだね」
「こんなところがあるなんてね」
「神様の場所」
「日本の神様の場所だね」
「そうだね、ではその神様の場所をね」
その伊勢神宮の中をというのです。
「観て回ろうね」
「うん、しかし大きな木だね」
チーチーは自分達の傍の木達のうちの一本を見て言いました。
「この木も」
「どの木も大きいけれど」
ポリネシアも言いました。
「この木もよね」
「何か僕達よりずっと前からここにある」
「そうして生きている木達だね」
オシツオサレツは上を見上げて言いました。
「この木にしても」
「もう人間や普通の生きもの達よりもね」
「ずっと神様の世界で生きているのね」
ダブダブも思うことでした。
「この木も他の木達も」
「そう思うと凄いものがあるね」
ホワイティの言葉もしみじみとしています。
「この木は織田信長さんも観ているのかな」
「それって四百年以上前だね」
「織田信長さんとなると」
チープサイドの家族が言いました。
「そんな頃だね」
「そんな頃からここにいてね」
そしてとです、トートーも言いました。
「歴史も見ていたんだろうね」
「歴代の天皇陛下も参拝されているから」
老馬はこのことを考えるのでした。
「やっぱり明治天皇も昭和天皇も」
「そう思うと歴史があるね」
ガブガブもその木を見ています。
「この木にも」
「江戸時代も伊勢参りがあったし」
ジップはこの時代のことを思うのでした。
「この木達はその人達も観ていたんだね」
「そう、この木達は皆かなりの樹齢だよ」
先生も答えます。
「それこそ何百年のね、だからね」
「織田信長さんも観ていて」
「江戸時代の伊勢参りの人達もそうで」
「歴代の天皇陛下も」
「そうなんだね」
「そうだよ、そう考えると僕もね」
先生にしてもというのです。
「ここに来てそのことについてもね」
「思いが入るよね」
「歴史についても」
「そうよね」
「そうだよ、本当にね」
まさにというのです。
「素晴らしいところに来たよ」
「神聖で歴史のある」
「そうした場所だね」
「それがこの伊勢神宮で」
「そうした意味でも特別な場所だね」
「そうだよ」
まさにというのです。
「この場所はね、そしてね」
「そして?」
「そしてというと」
「まだ何かあるの?」
「ここには」
「うん、鶏も観ようね」
この鳥もというのです。
「それに馬も」
「ああ、そうした生きものもいるんだ」
「鶏も馬も」
「そうなんだ」
「この神社には」
「そうだよ、彼等にも会おうね」
こうお話してです、先生は皆と一緒に厩に行って見事な姿の馬に会って鶏にも会いました。そうして彼等からお話を聞きますと。
まず馬が先生に言いました。
「ここには確かに神様がおられるよ」
「そうだね」
「天照大神がね」
この神様がというのです。
「僕達もはっきり感じるから」
「ここにいたらだね」
「うん、いつも神聖な気持ちになって」
そしてというのです。
「そうしてね」
「いつもだね」
「神妙な気持ちにね」
「なっているんだ」
「この神社にいる人達と同じで」
宮司さん達と同じくというのです。
「いつもね」
「そうした気持ちになっていて」
「神様にお仕えしてね」
そうしてというのです。
「日々を過ごしているんだ」
「そうなんだね」
「僕もだよ」
今度は鶏が言ってきました。
「ここにいるとね」
「神様を感じて」
「お馬さんと一緒で」
「神聖な気持ちになってだね」
「そうして日々を過ごしているよ」
「そうなんだね」
「本当に宮司さん達と同じくね」
まさにというのです。
「ここの自然と共ね」
「神様にお仕えして」
「日々を過ごしているよ」
「そうだね、日本の神様はね」
先生はここでこんなことを言いました。
「自然と共にあるね」
「森羅万象のね」
「そうだね」
「うん、そしてこの神社でもだね」
馬と鶏に応えてさらに言います。
「それは同じだね」
「そうだよね」
「この林の中に沢山の社があって」
「その中に僕達もいて」
「神様にお仕えしているんだ」
「日本はあらゆるものに神様がいるから」
それでというのです。
「自然もまただね」
「神様だよ」
「神様がいるんだよ」
「他のあらゆるものもだけれど」
「自然の神羅万象にもだよ」
「そうだね、そして君達もその中にいるね」
馬も鶏もというのです。
「そうだね」
「本当にそうだね」
「神様と共にあって神様にお仕えする」
「それがこの社にいる人達で」
「僕達もだよ」
「全く以てその通りだね」
先生は笑顔で言いました、そうしてです。
馬それに鶏とお別れをして社の中をさらに歩いていきます、そのうえでこんなことを言うのでした。
「日本の神様はあらゆるものに宿っているね」
「それぞれの神様がね」
「八百万の神様っていうし」
「本当に色々なものに宿っていて」
「凄いことになっているね」
「そうだよ、そしてね」
それでというのです。
「自然も神様とそして人とね」
「一つだね」
「それがこの神社でも感じられるわね」
「自然と人は対立しない」
「自然と神様も」
「そうだよ、それが日本の神道なんだ」
そうだというのです。
「そのことをよく感じるね」
「うん、本当にね」
「ここにいたらよくわかるわ」
「他の神社にいてもそうだけれど」
「ここは特にね」
「キリスト教の考えがあって」
先生はクリスチャンとしても言いました。
「そしてね」
「それでだよね」
「日本の神道の考えもある」
「それがこの神社にいてもわかるね」
「それもよく」
「うん、参拝してよかったよ」
先生は心からこうも思いました。
「本当にね」
「全くだよ」
「ここに来てどれだけよかったか」
「それじゃあね」
「この中を最後まで巡っていこうね」
「そうしようね」
こう言って皆とさらにその中を巡っていきます、そしてです。
その後で先生は社の前にある横丁に行きました、そこで伊勢うどんを食べますがそのおうどんを見てです。
動物の皆歯目を丸くさせて言いました。
「おつゆ真っ黒じゃない」
「もう墨汁みたい」
「量は少ないけれどね」
「とても辛そう」
「しかもおうどんが太くて柔らかくて」
「他のおうどんと違うわ」
「うん、これがね」
先生は皆にお話しました。
「伊勢うどんだよ」
「変わったおうどんだね」
「本来の大阪のおうどんは柔らかいけれれど」
「このおうどんもかしら」
「麺が柔らかいんだ」
「大阪のおうどんより太くて」
「そうだよ、じゃあね」
それならとです、先生はさらに言いました。
「これからね」
「うん、今からだね」
「このおうどんを食べるのね」
「伊勢うどんを」
「そうするのね」
「けれど」
皆ここでこうも思いました。
「こんなに黒いとね」
「辛くないかな」
「そのことが心配だけれど」
「大丈夫?このおうどん」
「辛くない?」
「大丈夫みたいだよ、適度らしいから」
その辛さがというのです。
「だからね」
「食べていいんだね」
「このおうどんも」
「そうなのね」
「そうだよ、じゃあ食べようね」
皆に言ってでした。
先生と動物の皆はいただきますをしてから伊勢うどんを食べました、その太くて柔らかい麺と真っ黒のおつゆの組み合わせのおうどんをです。
皆で食べます、すると皆驚いて言いました。
「あれっ、思った程辛くなくて」
「適度な辛さで」
「この麺とよく合っていて」
「美味しい」
「これはかなり」
「そうだね」
「そうだね、これは美味しいね」
先生も食べて言います。
「このおうどんは」
「そうだよね」
「このおうどん美味しいね」
「どんな味かと思っていたら」
「これがかなりね」
「うん、美味しいね」
本当にとです、先生はとても美味しそうに食べながら言いました。
「このおうどんは」
「そうだね」
「じゃあおかわりする?」
「これだけ美味しいなら」
「そうする?」
「いや、ここは食べ歩いたらどうかな」
先生は皆に笑顔で提案しました。
「この場所をね」
「他にも美味しそうなお店があるから」
「そうするのね」
「伊勢うどんだけじゃなくて」
「他のものも食べるの」
「そうしよう、そしてね」
そのうえでというのです。
「心から楽しもうね」
「それがいいね」
「確かに他のお店も美味しいし」
「それじゃあね」
「そうしましょう」
皆も頷いてです、そのうえで。
先生と皆は伊勢うどんを食べた後とても豪華なてこね寿司やステーキライスを食べたりもしました、そうしたものを食べてです。
先生は最後にみたらし団子を食べながら皆に言いました。
「いやあ、今日もね」
「食べ過ぎたね」
「美味しいものをね」
「そうして満喫したわね」
「うん、満足したよ」
笑顔で言う先生でした。
「本当にね」
「僕達もだよ」
「ここにも来てよかったわ」
「いい場所に来たよ」
「神様を感じてね」
「そして美味しいものも食べて」
「神聖な気持ちを感じることも大事だけれど」
それだけでなくというのです。
「こうしてね」
「美味しいものも食べる」
「このことも大事ね」
「人も生きものも」
「そうだね」
「そうだよ」
本当にというのです。
「だからね」
「こうしてだね」
「しっかりと美味しいものも食べる」
「そのことも大事だね」
「僕達にとっては」
「そう思うよ、僕は」
こう皆にお話してです。
先生はお茶を飲んで皆にさらに言いました、今度言ったことはといいますと。
「また鳥羽に戻るけれど」
「その時はなんだ」
「何かあるのね」
「鳥羽でも」
「うん、参拝した時の気持ちを忘れないで」
それでというのです。
「自然を感じ取りながらね」
「調査していくんだ」
「自然の中で」
「そうしていくの」
「そうしていこうか、それとね」
それにというのです。
「神様もいることをね」
「ああ、日本のね」
「あらゆるところに神様がいるから」
「当然海や岩にもいるし」
「そしてそこにいる生きもの達にも」
「そのことを感じながら」
そうしてというのです。
「調査していこうかな」
「そして赤くない蛸も探す」
「そうしていくのね」
「明日からは」
「そうしていこうとね」
その様にというのです。
「考えているよ」
「いいことだね」
「じゃあそうしていこう」
「明日からはね」
「明日からの調査では」
「そうするよ、学者も信仰を持って」
神様を感じてというのです。
「そしてね」
「学んでいくべきだね」
「調査もだね」
「それもしていくことだね」
「学者さんも」
「うん、人よりも素晴らしいものが存在している」
即ち神がというのです。
「それを忘れたらね」
「よくないよね」
「そこに驕りが出たりして」
「謙虚さを忘れてね」
「そうした学問はね」
謙虚さを忘れたそれはというのです。
「大変なことにもね」
「なるわね」
「そうもなるから」
「だからだね」
「信仰は忘れない」
「学問をするにも」
「そうだよ、これは学問だけでなくね」
他のことにもというのです。
「創作でもだよ」
「小説とか漫画とかゲームとか」
「そういうことにもなんだね」
「信仰はあった方がいい」
「そうなんだね」
「若しそれがないと謙虚さを忘れて」
「それでだね」
「大変なことになる」
「そうなんだ」
「自分が一番偉いと思ったら」
そう思ったらというのです。
「もうね」
「その時はだね」
「よくない作品になるんだ」
「創作をするにあたっても」
「そうなんだね」
「その時は」
「そうだよ、若しもね」
本当にというのです。
「謙虚さ、人間は人間でね」
「偉くない」
「神と比べたら小さなもの」
「所詮と言っていい位のもので」
「偉くないんで」
「そのことを頭に入れて創作しないと駄目ね」
「そうだよ」
まさにというのです。
「創作でもね、そしてね」
「学問でもだね」
「謙虚さを忘れたら」
「その時はね」
「大変なことになるね」
「そうだよ、そんな学問は間違ったことになりかねないから」
だからだというのです。
「気をつけないとね」
「信仰って大事なのね」
「神様の存在を感じて信じる」
「そのことが大事だね」
「本当にね」
「僕はそう思うよ、僕は神学も学んでいるけれど」
先生は神学者でもあるのです、しかも博士号まで持っていてそちらの学問についてもかなりの造詣があるのです。
「そのことを実感しているよ」
「そうだよね」
「先生もよく実感していることだね」
「神様は確かに存在していて」
「神様を感じることがどれだけ大事か」
「そのことを理解して」
「それで学問もしているんだ」
こう皆に言うのでした。
「いつもね」
「そういえば神様を信じない人の創作って変な場合あるね」
「あの新聞記者が主人公の料理漫画もそうだね」
「あの作品の原作者さん神様を信じていないそうだけれど」
「登場人物が全員おかしいよ」
このことを皆が言いました。
「やたら短気で下品で粗暴で教養がなくて」
「野蛮な人ばかりだね」
「本当に変な人ばかりで」
「展開もケダモノ呼ばわりした人が食べもので普通に許すとか」
「幾ら何でも知らない人にいきなりケダモノはないよ」
「自分と考えが違うだけでね」
「言った人の人間性どうなのかな」
こう口々に言うのでした。
「品性を疑うよ」
「疑うというかおかしいよ」
「そんな人ってね」
「普通に名誉棄損だから」
「訴えられても文句言えないよ」
「人間としてね」
まさにというのです。
「それが簡単に許されるかな」
「食べもの出した位で」
「常識的に有り得ないよ」
「というかの漫画主人公やりたい放題だし」
「お料理が自分の口に合わないだけでお店の中で騒ぐし」
「人間としておかしいよ」
「ヤクザ屋さんと変わらないよ」
その主人公のお話もします。
「日本の新聞記者っておかしな人多いけれど」
「あの主人公もそうだよね」
「物凄く偉そうで反省しないし」
「やっぱり短気だしね」
「文字通りの無頼漢だけれど」
「あんな人がいい人とかね」
「普通に有り得ないから」
無頼漢が主人公ということはというのです。
「肝心のお料理とか食べものでもおかしなこと多いよね」
「かなり反文明的でね」
「野蛮な人ばかり出てるけれどそっちもそうだね」
「どうも野蛮で」
「ハウス栽培批判してたけれど」
「それもよく調べたらおかしいのよね」
「先生も言っているし」
食べもののことも皆言います。
「神様を信じていないと」
「下手をすると自分が一番偉いと思って」
「それでだね」
「創作もおかしくなるんだね」
「例えばだよ」
先生はこうしたお話もしました。
「神様を信じない、信じるのは自分の力だけと言って」
「何か恰好いいけれどね」
「その言葉は」
「言葉自体はそうよね」
「漢も感じるわ」
「うん、けれどそんな人がね」
そう言う人がというのです。
「日本の皇室は反対で北朝鮮の世襲制の共産主義の独裁はいいって言うから」
「ああ、それは駄目だね」
「それ聞いてすぐにわかったわ」
「その人絶対に失敗するね」
「自分の力で生きるって言っても」
「そんなこともわからないならね」
もうそれこそというのです。
「駄目だよ」
「僕もそう思うよ、あの国のことは子供でもわかるからね」
先生も言いました。
「果たしてあの世襲の共産主義と日本の皇室どちらがいいか」
「それ言うとイギリス王室も駄目ね」
ダブダブは言い切りました。
「日本の皇室が駄目なら」
「そうなるね、それは一つの意見でもね」
トートーが続きました。
「そこで北朝鮮がいいとかね」
「あそこ共和国だよね」
チーチーは北朝鮮のことを言いました。
「国名そうだよね」
「それに共産主義って世襲ないよ」
「間違ってもね」
チープサイドの家族はこのことを指摘しました。
「もうね」
「それはないよ」
「そんな国がいいとかね」
老馬も首を傾げさせます」
「その時点でないよ」
「それで日本の皇室は駄目?」
ホワイティも訳がわかりません。
「それ思いきり矛盾してるよ」
「あっちの国民の人達が支持してるか言っても」
このことはポリネシアが言いました。
「あの国にそんなのないしね」
「それ言ったら日本の皇室も国民が支持しているよ」
ジップも指摘します。
「まさか自分は支持していないから駄目とか言うのかな」
「何か色々おかしな人だね」
ガブガブが見てもです。
「自分の力だけで生きる力は絶対にないね」
「そんな人なれるって運動家かな」
「それ位かな」
オシツオサレツは沖縄にいた人達を思い出しました。
「もうね」
「そんなところだね」
「ちなみにこの人自衛隊もいらないって言ってるよ」
先生は皆にこのこともお話しました。
「前に震災があって大変だった関西の人でね」
「あの時自衛隊の人活躍したのに」
「それも見ていないんだ」
「そんな人が自分の力だけで生きるって」
「普通に無理だね」
「謙虚さも感じられないしね」
「まあ沖縄の基地の前にテントを張るとか」
そうして日々暮らしている人達です。
「そうした人になるね」
「まあ普通に生きていけないね」
「そんな人だとね」
「自分の力だけとか言っても」
「神様を信じていてもおかしな人はいても」
それでもと言う先生でした。
「僕はこうした人をこの目で見たからね」
「神様を信じていないとね」
「人はおかしくなりやすい」
「人間ひいては自分が一番偉いと思って」
「そうなるのね」
「自分の間違いも認めないからね」
自分が一番偉いと思ってというのです。
「さっきお話した漫画原作者の人もだしね」
「そうだよね」
「そんなおかしなことばかりの作品でもね」
「おかしいと思わないとか」
「そんなことってね」
「本当に駄目だから」
「時々でもね」
それでもというのです。
「神社やお寺、教会に行って神仏を感じることもね」
「いいよね」
「そうだよね」
「それで謙虚な気持ちを持って」
「それで神様を感じて」
「人が小さなものだと理解することも大事ね」
「そう思うよ、人間は本当に小さいよ」
先生は言い切りました。
「本当にね」
「そうだよね」
「人間も他の生きものも小さいよ」
「僕達にしてもね」
「この伊勢神宮でも感じたわ」
「神様の大きさと僕達の小ささをね」
「そのことは本当に大事だよ、皆小さいんだよ」
神様の前ではです。
「そのことはよくわかっておかないとね」
「その漫画の原作者さんとかね」
「今お話した北朝鮮好きな人みたいになるね」
「人はそうなったらおしまいだね」
「もうそれで」
「全くだよ、というか北朝鮮なんてね」
この国についてです、先生歯首を傾げさせて言うのでした。
「本当に誰が見てもおかしいよ」
「世襲制の共産主義でね」
「とんでもない独裁政治で階級国家で」
「国民の人達は餓えていて」
「体制守る為に軍隊にばかりお金使っていて」
「将軍様の贅沢のお金で国家予算の二割とか」
「それで国際条約は全く守らないから」
皆で北朝鮮のそうしたことをお話していきます。
「偽札に覚醒剤に手を出していて」
「テロもやるし」
「そんなことばかりでね」
「何処が支持出来るのか」
「誰もがおかしいって思うよ」
「そんな国の体制はよくて日本の皇室は駄目なのは」
このことはというのです。
「どう考えても矛盾しているね」
「誰がどう見てもね」
「この伊勢神宮でも思うわ」
「ここはその皇室の社だし」
「余計にね」
「僕は絶対にこんな人になりたくないってね」
その様にというのです。
「その人、まだ二十歳位だったけれどその人と話をして思ったよ」
「二十歳でそれ?」
「子供でもわかることがわかっていないのに」
「その二十年どうして生きていたの?」
「おかし過ぎるよ」
「だから思ったよ、こうはなるまいってね」
その人を見てというのです。
「お話をしたその時にね」
「そうだよね」
「そんな人が学問してもおかしなことにしかならないし」
「もう根っこがおかしいから」
「そうしかならないわ」
「どう考えても」
「そう思うからね」
それだけにというのです。
「僕はこうした人には何があってもなってはいけない」
「そう思ったのね」
「いいことだと思うわ」
「正直そんな人になったらね」
「カルト教団を信じる人と同じだから」
「それはそれでね」
「そう、カルトを信じてもいけないし」
それと共にというのです。
「無神論から間違ってもね」
「同じだね」
「全く違う様でね」
「それはそれで同じ」
「そういうことね」
「そう肝に銘じているよ」
ただ思うだけでなくというのです。
こうしたお話もしてです、先生は鳥羽に戻りました。鳥羽に戻るとすぐにその海が目に入りました。
その海、夕方の海を見て先生は言いました。
「やっぱり奇麗だね」
「そうよね」
「鳥羽の海はね」
「凄く澄んでいてね」
「しかも今は夕暮れの光で赤くなっていて」
「赤と銀でね」
「この波の銀もいいね」
皆もその海を見て先生に続きます。
「普通に奇麗よね」
「じゃあこの海を見てね」
「ホテルに戻ろう」
「そしてまた美味しいものを食べて」
「それでお酒も飲もうね」
「そうしようね、今日のお刺身は何かな」
もうそのことが楽しみになっている先生でした。
「一体ね」
「伊勢海老、ハマチだったし」
「今度は何かしらね」
「鯛かもね」
「あのお魚も美味しいし」
「そうだね、お造りといっても色々だけれど」
それでもというのです。
「お魚の種類は」
「海老もあるしね」
「それも貝も」
「色々あるから」
「楽しみだね」
「全くだよ、あとお昼にはね」
こうも言う先生でした。
「洋食や中華もね」
「そうそう、食べたいよね」
「夜は和食なら」
「それならね」
「洋食や中華もいいね」
「そちらも」
「うん、それでね」
先生はさらに言いました。
「楽しんでいこうね」
「そうしたお料理もね」
「そうしていこう」
「お昼は」
「朝はいつも日の出と共にお仕事しんてね」
「ホテルの朝ご飯は食べてないけれどね」
「今朝は食べたけれど」
これは調査をしているからです、先生は日の出と共に調査をしているので朝はホテルでは食べていなくてコンビニとかで買ったお握り等を食べているのです。
「それでもね」
「うん、そうしてるね」
「海の調査は朝がいいからね」
「だからそうしているけれど」
「お昼はね」
「そうしていこうね」
こうお話してです、皆はホテルに向かいましたが。
ホテルに戻ってお風呂に入ってからです、先生は晩ご飯を待っていると王子から携帯でこんなことを言われたのでした。
「ああ、その場合はね」
「どうしたらいいかな」
「もうそうした人達は無視していいよ」
こう王子に言うのでした。
「だってその人達はその犬を捨てたんだね」
「うん、保健所にね」
「それはもうね」
それこそというのです。
「その人達が権利を放棄した」
「そうなるね」
「家族なのにいらないって言ってだね」
「それで保険所で里親を募集してね」
王子もお話します。
「新しい飼い主さんがダンスを教えてね」
「犬が踊ってネットの動画で人気になって」
「自分達が飼い主と言ってね」
そう主張してというのです。
「新しい飼い主さんに言ったんだ」
「うん、それはもうね」
「元の飼い主の人達にはだね」
「権利はないよ」
一切という言葉でした。
「もうね」
「それこそだよね」
「だってその犬を捨てたんだよ」
「保健所にね」
「保健所がどんなところか言うまでもないね」
「殺処分だってあるね」
「そうなっていいとまで思って」
そうしてというのです。
「捨てたんだよ」
「それで芸をして人気になったから返せとか」
「はっきり言ってね」
先生は眉を曇らせて言いました。
「こう言ったら何だけれど」
「虫がいい?」
「恥を知っていたらね」
それならというのです。
「もうね」
「最初からそんなこと言わないね」
「言う筈がないよ」
それこそというのです。
「その時点でね」
「やっぱりそうだよね」
「そんな人達の言うことは」
それこそというのです。
「聞いたら駄目だよ、それで新しい飼い主さんは何て言ってるのかな」
「即座に追い返したよ」
元の飼い主の人達をというのです。
「家にまで来て言ってきたそうだけれど」
「それでいいよ」
「けれど訴えるって言うからね」
「王子がその人と知り合いでだね」
「僕に相談してきたけれどね」
「もうそんな人達は人間として最低だけれど」
それと共にとです、先生は言うのでした。
「法律的にもね」
「根拠がないね」
「飼育権を放棄しているからね」
保健所に捨ててというのです。
「もうね」
「その時点でだね」
「法的根拠がないから」
それでというのです。
「訴えられてもね」
「裁判で勝てるね」
「相当おかしな人でないと」
こうも言うん先生でした。
「そんな人の申し出を受ける弁護士さんもいないだろうね」
「どう見ても法的根拠がないから」
「そうだと思うよ」
「そうなんだね」
「というか最初は可愛がっていて飽きたらだね」
「邪魔者扱いしてね」
その犬をというのです。
「保健所に送ったんだ、いらないって言ってね」
「そんな人達は絶対に生きものを飼ったらいけないよ」
先生は断言しました。
「それこそね」
「生きものを何と思っているのか」
「そしてお付き合いもね」
こちらもというのです。
「したくないよ」
「ペット、家族にそうするならね」
「人に対してもだよ」
それこそというのです。
「利用出来るだけ利用して」
「それで役に立たないとか思ったら」
「平気で切り捨てるからね」
そうした人達だからというのです。
「お付き合いもね」
「したくないんだね」
「そう思うよ」
「先生もそうした人を知っているんだね」
「そうだよ、そしてやっぱりね」
どうしてもというのです。
「そんな人達とはね」
「お付き合いしたくないね」
「あまりにも酷いからね」
そう思う人達だからだというのです。
「こうした人達は平気で人を傷付けてね」
「それで自分達の都合次第でだね」
「擦り寄ってきて」
そうしてというのです。
「また利用しようとね」
「してくるんだね」
「そんな人達とはね」
「お付き合いしたくないね」
「そうだね」
「うん、あまりにも卑しいから」
そう思うからとです、王子は先生に答えました。
「そう思うよ」
「僕も同じだよ」
「じゃあそうした人達とは」
「もうすっぱり縁が切れる様にして」
「二度と家に近寄らない」
「そこまで言って聞こうとしないなら」
相手の人達がというのです。
「もうね」
「弁護士さんを立ててだね」
「法律で退ける」
「そうしてもらうんだね」
「そうだよ、そしてね」
それでというのです。
「犬もだよ」
「守るべきだね」
「そもそも家族なんだから」
犬、ペットもというのです。
「飽きたとか言って平気で捨てるなんて論外だよ」
「人間として最低だね」
「その時点でだね」
「まして有名になったから返せなんて」
そうしたことを言うことはというのです。
「もっと酷いよ」
「最低よりもだね」
「さらに酷いよ、日本の仏教で言う餓鬼だよ」
「あの卑しい人達がなる」
「もう生きていながらそうなっているよ」
まさにというのです。
「そこまで酷い人達だから」
「それでなんだ」
「徹底的にすべきだよ」
「そうなんだね」
「うん、犬の新しい家族の人達にはそう伝えておいてね」
「わかったよ」
「どうしてもというのなら僕もお話させてもらうよ」
先生もというのです。
「法学の博士号も持っているしね」
「法律にも詳しいね」
「イギリスのものが専門だけれど」
それでもというのです。
「日本の法律も学んでいるから」
「だからだね」
「その時は弁護士さんと一緒にお話させてもらうよ」
「宜しくね」
王子は携帯の向こうで笑顔で頷きました、幸いこの件は弁護士さんも先生も出さずに済みました。全ての動物のお友達である先生はこうしたことにも力を発揮するのです。