『ドリトル先生と牛女』




                第十幕  牛女さんの訪問

 この日は休日で先生はお家で論文の為の読書に励んでいました、その先生に動物の皆が言いました。
「今日は何の本読んでるのかな」
「前は医学書だったけれど」
「今度は何?」
「何の本を読んでいるの?」
「日本の脚気の歴史の本だよ」
 こちらだというのです。
「今よんでいるのはね」
「脚気なんだ」
「脚気の本読んでるんだ」
「そういえば先生脚気の論文書いてるね」
「そうだったね」
「そう、それでね」
 今はというのです。
「脚気の本を読んでいるんだ」
「その歴史をだね」
「日本人が随分苦しんだっていう」
「その歴史の本を読んでいるんだ」
「うん、読めば読む程ね」
 先生は皆にお話しました。
「日本で脚気は深刻な病気だったんだ」
「沢山の人がなってしまっていた」
「そうした病気だったんだよね」
「もう国全体でどうしようかとなっていた」
「深刻な問題だったのよね」
「日本は疫病は少ないけれど」
 それでもというのです。
「脚気がね」
「ペストとかなかったけれどね、日本って」
「天然痘はあったけれど」
「それでもね」
「脚気があったね」
「脚気に結核、梅毒がね」
 この三つの病気がというのです。
「江戸時代から明治にかけて日本の国民病だったんだ」
「癌みたいな?」
「今で言うと」
「そうした病気だったんだ」
「そうだったのね」
「癌もあったけれど」
 先生は皆に難しいお顔でお話しました。
「この三つの病気の方がね」
「深刻だったのね」
「沢山の人がなってしまっていた」
「そうした病気だったの」
「結核や梅毒と同じ位問題だったんだ」
「結核や梅毒はペニシリンが出来て」
 そしてというのです。
「克服されたけれどね」
「第二次世界大戦が終わって」
「それからだね」
「結核や梅毒は克服されて」
「命を落とす人もいなくなったのね」
「それまではどちらも深刻で」
 それでというのです。
「結核で命を落とした作家さんも多いよ」
「宮沢賢治さんもそうだったね」
「あの人も結核で」
「あと織田作之助さんもだったね」
「梶井基次郎さんも」
「あとそれが死因ではないけれど」 
 それでもというのです。
「太宰治さんや芥川龍之介さんもね」
「結核だったんだ」
「その人達も」
「そうだったのね」
「夏目漱石さんもだったしね」
 この人もというのです。
「あと森鴎外さんもね」
「その脚気でやらかした人もなんだ」
「結核だったんだ」
「この人も」
「それで亡くなっているよ」
 森鴎外さんもというのです。
「本当に結核が問題だったんだ」
「欧州でもそうだったけれど」
「日本でもなんだ」
「結核は深刻だったんだ」
「沢山の人が命を落とした」
「それで肺をある程度潰して」 
 そうしてというのです。
「助かった人もいるよ」
「ペニシリンがなくて」
「そうしたんだ」
「そんなお話もあるんだ」
「うん、結核は今もあるけれど」
 それでもというのです。
「日本ではずっと深刻だったんだ」
「脚気もそうで」
「梅毒もで」
「日本の三つの国民病だったんだ」
「明治の頃はね、幕末までは天然痘もあったよ」
 この病気もというのです。
「それで四つだったよ」
「さっき天然痘のお話も出たけれど」
「天然痘はもうないけれど」
「あの病気も怖かったのよね」
「命を落とす位に」
「助かっても顔があばただらけになるしね」
 このこともあるというのです。
「それで差別された人もいるし。さっき夏目漱石さんの名前出したけれど」
「あの人天然痘にもなってたんだ」
「そうだったのね」
「結核だけじゃなくて」
「天然痘にもなんだ」
「なってしまっていてね」
 それでというのです。
「お顔にあばたがあったんだ」
「あれっ、写真見たらないよ」
 ここでこう言ったのはトートーでした。
「あの人の写真には」
「そうそう、お札にもなってたけれど」
 ダブダブも言います。
「あばたないよね」
「天然痘のそれがね」
 ポリネシアも言いました。
「ないわ」
「どの写真でもね」
 ホワイティはこれまで見た夏目漱石さんのお顔写真のそれを思い出します、するとどの写真でもでした。
「あばたないよ」
「絵でもないし」
 ジップも言います。
「漱石さんの絵もあるけれどね」
「如何にも落ち着いた紳士だね」
「そうよね」
 チープサイドの家族も言います。
「お写真の漱石さんは」
「結構顔立ち整ってる?」
「芥川さんや太宰さんみたいな美形じゃないけれど」
 ガブガブはこの人達を思い出しました。
「悪い顔立ちじゃないね」
「そうそう、教養も感じさせる」
 チーチーも言います。
「そんなお顔立ちだよ」
「それでどの写真にもあばたないよ」
 老馬も指摘します。
「夏目漱石さんは」
「結核はわかったけれど」
「あばたはないから」
 オシツオサレツは二つの頭を傾げさせています。
「どのお写真にも」
「あったとはね」
「それはどの写真も修正してもらっていたからだよ」
 先生は皆にこうお話しました。
「だからなんだ」
「ああ、あばたはないんだ」
「写真修正してもらってたから」
「それでなの」
「今もする人いるけれど」
「漱石さんもなんだ」
「漱石さんはあばたのことをかなり気にしていたから」
 それでというのです。
「どの写真もなんだ」
「修正してもらっていたんだ」
「成程ね」
「だから写真の漱石さんにはあばたがないんだ」
「そういうことだったの」
「うん、あの人は他にも糖尿病や胃潰瘍もあったから」
 こちらの病気もというのです。
「大変だったんだ、鬱になった時もあるし」
「うわ、病気と縁がある人だったんだ」
「色々なっている人だったの」
「実は」
「大変だったのね」
「そうだよ、死因は胃潰瘍だったけれど」
 それでもというのです。
「兎に角ね」
「病気に苦しんだ人だったんだね」
「結核に天然痘に」
「そして糖尿病に胃潰瘍に鬱」
「病気のオンパレードだね」
「被害妄想もあったしね」
 こちらもというのです。
「かなり大変だったよ」
「ううん、不健康というか」
「病気の塊?」
「沢山の名作を残したけれど」
「ご自身は病気に苦しんだ人なんだ」
「そうした人だったんだ」
 こう皆にお話しました。
「夏目漱石さんはね」
「そうしたお話を聞くと健康第一だね」
「何と言っても」
「そこまで病気に苦しんでいたら」
「沢山の名作を残していても」
「自分自身が大変だよ」
「うん、どの病気にも気をつけてね」
 先生はお医者さんとして言いました。
「日々を過ごしていかないとね」
「そうそう」
「先生もそうしてるしね」
「それじゃあね」
「僕達も」
「是非ね、そういえば」
 ここで先生はこうも言いました。
「先日文学部の教授さんで痛風になった人がいたよ」
「痛風?」
「あの足の親指の付け根が痛くなるっていう」
「あの病気になったんだ」
「それは大変ね」
「どうもビールがお好きで」
 それでというのです。
「ついついね」
「飲み過ぎてなんだ」
「痛風になったの」
「そうだったのね」
「それで苦しんでいるそうだよ」 
 痛風になってというのです。
「足が痛いし風が少し吹いてもね」
「痛いっていうね」
「痛風になったら」
「身体を触られても痛い」
「泣きそうになる位に」
「僕はなったことがないけれど」
 それでもというのです。
「診察を受けたこともあるしね」
「だからだね」
「先生も痛風のこと知ってるね」
「お医者さんとして」
「うん、あの病気もなると大変だから」
 それでというのです。
「注意しないとね」
「駄目だよね」
「痛い思いをしたくなかったらね」
「最初から気をつける」
「そうしないと駄目だね」
「そうだよ、ビールの飲み過ぎに気をつけて」
 そしてというのです。
「コレステロールにもね」
「気をつけないとね」
「美味しいものを食べても」
「それでもね」
「そうだよ、そうした意味でもね」
 痛風のことを考えてもというのです。
「お魚を食べるといいよ」
「そうよね」
「お魚はコレステロールを減らしてくれるし」
「悪玉の方を」
「だからいいのね」
「そうなんだ、僕も日本に来て」
 そうしてというのです、先生ご自身も。
「お魚をよく食べる様になってね」
「コレステロール減ったね」
「そうなったね」
「先生にしても」
「そうよね」
「そうだよ、ただ僕もビールが好きだから」
 それでというのです。
「注意しないとね」
「そうだよね」
「確かに先生ビールも好きだし」
「飲む時も多いから」
「先生も注意しないとね」
「痛風はドイツでは国民病だけれど」
 この国ではそうなっているというのです。
「ビールにソーセージ、ベーコンにジャガイモにバターそれにケーキだから」
「確かケーキの生クリームもよくないね」
「そうよね」
「ドイツ料理は兎に角痛風によくなくて」
「なる人が多いのよね」
「特にビールだね」
 これがよくないというのです。
「やっぱりね」
「そうだよね」
「ビールがよくないよね、痛風には」
「何といっても」
「歴史的に痛風の人が多い理由も」
 その訳もというのです。
「ビールを好きな人が多いからだよ」
「何と言ってもビールなんだ」
「痛風によくないんだね」
「ビールは」
「そうだよ、最近はプリン体がないビールもあるから」
 だからだというのです。
「危ない人はこうしたビールを飲んだりして」
「注意することだね」
「本当に」
「さもないと痛風になるから」
「痛い思いをするから」
「まずはならないことだよ」
 このことが第一だというのです。
「どんな病気もそうだけれどね」
「痛風も然り」
「まずはならないこと」
「病気はそうなのね」
「脚気もそうでね」
 そしてというのです。
「虫歯もだよ」
「もうとにかくだね」
「病気はならない」
「それが第一ね」
「うん、健康が何よりも大事だよ」
 これが先生の結論でした。
「本当にね」
「そうよね」
「先生はそこは気をつけているし」
「それじゃあね」
「これからもよね」
「健康に気をつける」
「そうしていこうね」
「そうするよ」
 こう言うとでした、家のチャイムが鳴りました。皆その音を聞いてすぐに言いました。
「宅配の人?」
「いや、別に何も注文していないよ」
「そうよね」
「それじゃあお客さん?」
「王子かな」
「サラさんはまだ来るの先だしね」
「誰かな」
 皆首を傾げさせて言います、そしてです。
 玄関に行くとでした、そこには。
 牛女さんがお付きの人達と一緒にいました、そうして先生に言ってきました。
「今広島から戻ってきまして」
「そうでしたか」
「お土産を持ってきました」
 先生に礼儀正しくお話します。
「そうしてきました」
「お土産といいますと」
「先生、中に入ってもらいましょう」
 これまでお庭のお掃除をしていて今玄関に来たトミーが言ってきました。
「そうしてもらいましょう」
「今はだね」
「はい」
 こう先生に答えました。
「そうしてもらいましょう」
「それじゃあね」
「では」
「上がっても宜しいのですか」
 牛女さんは先生達のお話を聞いて言いました。
「そうしても」
「どうぞ」 
 先生は笑顔で応えました。
「そうして下さい」
「そうですか、では」
「お茶とお菓子を出しますので」
 その両方をというのです。
「どうぞ」
「お菓子まで、ですか」
「はい、お客さんですから」
「申し訳ないですね」
「いえ、遠慮なく」
 笑顔で言う先生でした。
「一緒におられる方も」
「私達もですか」
「あがっていいのですか」
「そうなのですか」
「はい、どうぞ」
 こう言ってでした、先生は牛女さん達にお家の中に入ってもらいました。そしてお茶とお菓子を出しましたが。
 牛女さんは奇麗に包装された大きな箱を出して先生に申し訳なさそうに言いました。
「実はお土産は紅葉饅頭でして」
「広島名物の」
「はい」
 そちらだというのです。
「そうなのですか」
「ではお菓子を出したのは」
「何といいますか」
「ああ、それもです」
「いいですか」
「そうかと」
 先生は牛女さんに笑顔で言いました。
「お菓子は幾らあってもいいものですね」
「そうですね、私も甘いものが好きですし」
「僕もです、ですから」
 それでというのです。
「いいかと」
「そうですか」
「はい、お菓子は羊羹ですが」
「羊羹もいいですね」
 牛女さんはその羊羹を見て笑顔で言いました。
「こちらも」
「それでは」
「はい、紅葉饅頭は受け取って頂けますか」
「喜んで」
 これが先生のお返事でした。
「むしろ謙遜を感じますが」
「受け取って頂けないと」
「そうですね、では」
「はい、では」
 笑顔でやり取りをしてでした。
 先生は紅葉饅頭を受け取ってそうしてでした、それから世間話になりましたがここで牛女さんは言いました。
「虫歯の方も」
「あと一回です」
「それで、ですね」
「完治します」
「そうですか。それは何よりです」
「はい、あと牛女さんの歯は虫歯になりましたが」
 それでもというのです。
「本来かなり丈夫ですから」
「だからですか」
「毎日歯を磨かれますと」
 そうすればというのです。
「大丈夫です」
「そうですか」
「ライムジュースの様なものをいつも口にしなければ」
 歯に悪いものをです。
「特にです」
「問題はないですか」
「はい」
 そうだというのです。
「そのことはご安心下さい」
「それでは完治すればですね」
「もう普通に過ごされていますと」
「安心していいのですね」
「そうです、ただライムジュースが随分お気に召されたのですね」
「実は」 
 そうだったとです、牛女さんは先生に答えました。
「本当に」
「前にもお話されましたが」
「そうです、あの味が病みつきになって」
「いつもですか」
「お水みたいに飲んでいました」
「そうでしたか」
「何しろ私は牛なので」
 だからだというのです。
「同じ体格でも人より飲む量が凄くて」
「ああ、そうだよね」
「牛さんってお水かなり飲むよね」
「草もかなり食べるね」
「子牛の時からね」
 動物の皆も言います。
「だったらね」
「牛女さんもだね」
「かなり食べてね」
「それで飲むね」
「それがいけなかったのですね」
 牛女さんはしみじみとして述べました。
「そうなのですね」
「そうですね、ですが」
「これからは気をつけるとですね」
「いいです」
 先生はまたにこりとしてお話しました。
「これからは」
「わかりました」
「はい、あとです」
「あとといいますと」
「紅葉饅頭ですが」
 先生は牛女さんにお土産のお話を笑顔でしました。
「実は大好きでして」
「そうなんですか」
「僕は甘いもの全般が好きで」
 それでというのだ。
「紅葉饅頭もです」
「お好きですか」
「カスタードやチョコのものも」
 そういった紅葉饅頭もというのです。
「好きです」
「それは何よりです、実はこれはという種類は全部です」
「お土産の中にあるんですね」
「はい」
「それは素晴らしい、それでは」
「これからですね」
「楽しませてもらいます」 
 是非にと言うのでした。
「後で」
「そうされて下さい」
「是非共、ただ」
「ただといいますと」
「いえ、紅葉饅頭は広島の厳島が一番有名ですね」
「元々あちらから出たそうですし」
 牛女さんも答えます。
「その様ですね」
「厳島の大社もまた素晴らしいですね」
「そうですね、海の中にあってです」
「潮の満ち引きによって出て来ますね」
「あれがですか」
「とても神秘的でかつ奇麗なので」
 それでというのです。
「この世のものとは思えません」
「それだけ素晴らしいですか」
「はい、まさに神の世界ですね」 
 先生は牛女さんに目を輝かせてお話しました。
「歴史にも出て来ますし」
「平家の守り神でした」
「あの源平の」
「そして毛利元就公もです」
 戦国時代の有名な戦国大名の一人です。
「あの人も信仰していましたし」
「そうでしたね」
「清盛公は神戸にも関わりがありますし」
「福原に都を移しましたね」
「そうしたこともありましたし。何かと言われる人ですが」
 それでもというのです。
「私は嫌いではないです」
「実は一族にも家臣にも優しい人でしたね」
「そうでしたし」
「僕もそう思います、むしろ頼朝さんよりもです」
「いい人でしたね」
「そうだったかと」
 こう言うのでした。
「あの人は」
「そうでしたね」
「ただ毛利元就さんは」
「あの人実は織田信長さんより凄かったんですよ」
 牛女さんは苦い顔でお話しました。
「姫路城の姫様も言われてますが」
「あの方は信長さんとも会われていますか」
「そうした機会があったそうで」
「信長さんを直接ご存知なのですね」
「そうです、お話では信長さんは実は気配りも出来る優しいところのある人で」
 言われている姿と違ってというのです。
「無闇な殺生もです」
「しない人でしたね」
「ですが姫様は元就さんとも会われたことがあったそうですが」
「あの人は、ですね」
「謀略ばかり使って」
 そうしてというのです。
「悪の限りを尽くした」
「そうした人でしたね」
「あの時は色々悪い人がいましたが」
 戦国時代はというのです。
「元就さんはその中でも」
「トップクラスの悪人でしたか」
「斉藤道三さんや松永久秀さんよりも」
 戦国時代でも有名な悪人達です。
「極悪非道だったとか」
「そうでしたか」
「ですが悪いことをしていると自覚していたそうで」
「神仏への信仰は強かったのですね」
「そうです、あと信長さんも」
 この人もというのです。
「実は信仰心はありました」
「無神論者ではなかったですね」
「あの人なりに神仏への信仰がありまして」
「お寺を建てて人を弔ったり」
「安土城の天主閣は色々な神仏を集めていましたし」
「あのお城の石垣は墓石でしたね」
「霊力を使った結界にと考えていまして」
 只の石と思わないで、です。
「実はです」
「あの日とも信仰心がありましたね」
「そうでした」
「そうでしたね、僕もそう思います」
 織田信長さんについてです。
「そうした人だと」
「そうですね」
「はい、ただ」
「ただといいますと」
「僕も一度です」
 先生は牛女さんに目を輝かせてお話しました。
「広島に行きまして」
「厳島神社にですね」
「行きたいですね」
「それはいいことです、では江田島にも行かれて」
「海上自衛隊のこともですね」
「学ばれて下さい」
 牛女さんは先生ににこりと笑ってお話しました。
「呉の方にもです」
「行ってですね」
「自衛隊をご覧になって下さい」
「そのことも学ぶべきですね」
「海軍の頃からの歴史がありますから」
「そうですよね」
「是非です」
 広島に行った時はというのです。
「そうされて下さい」
「わかりました、では」
「その時が来ることを期待しています」
「その言葉心に刻んでおきます」
「ただ野球は」
 牛女さんは今度は苦笑いで言いました。
「あちらは残念ですね」
「カープですね」
「やはり野球は阪神ですね」
「僕も野球は阪神です」
「私は戦争前からのファンですが」
「広島は、ですね」
「あのチームの地元なので」
 カープのというのです。
「ライバルですね」
「確かに。ですがよきライバルですね」
「そうですね、強敵ですが嫌いかと聞かれますと」
「嫌いではないですね」
「はい」
 実際にというのです。
「私も」
「左様ですね」
「いいチームなので」
 ライバルでもです。
「いつも必死に練習をしていてファンの人達も全力て支えている」
「そうしたチームですね」
「あの素晴らしさはです」
「阪神としてもですね」
「手本にしたいです」
 そこまでのチームだというのです、広島東洋カープというチームは。
「野球、勝利に対するひたむきさは」
「そうですね、僕もそう思います」
 先生は牛女さんに笑顔で応えました、そうしてです。
 それからも何かとお話をしてです、牛女さんが帰った後で皆と一緒に紅葉饅頭を食べました。その時にでした。
 王子も来ていましたがその紅葉饅頭を食べて言いました。
「ううん、日本はどれだけ美味しいものが多いのか」
「そこまで思えるね」
「そうだよね」
 先生にこう返しました。
「各地にこうしたお菓子があるんだから」
「そのことも素晴らしいね」
「全くだね」
「こうして各地に名物のお菓子があったら」
 食いしん坊のガブガブが言います。
「食べ歩きにも困らないよ」
「駅に行けば駅弁があるし」
 ジップはこちらのお話もしました。
「主な駅ごとでね」
「ラーメンもそうだね」
 チーチーは紅葉饅頭を食べつつ言います。
「各地にあるね」
「それでお菓子もで」
 ホワイティも言います。
「食べ歩きしても困らないね」
「実際先生食べ歩きも好きになってるし」
 老馬は笑ってこのことをお話しました。
「日本に来てからね」
「もうその土地に行ったら絶対にそこの名物食べてるよね」
「そうそう、沖縄でも長野でも北海道でも」
 オシツオサレツは二つの頭で言います。
「琵琶湖でも和歌山でもね」
「松山でもだったし」
「とにかく美味しいものがあちこちにある国ね」
 ダブダブも言いました。
「日本は」
「そうそう、それはお菓子もで」
 ポリネシアはダブダブに続きました。
「各地にあるのよね」
「それを全部食べていくだけでも」
 トートーはしみじみとした口調で言いました。
「大変なことだよ」
「どうしてここまで美味しいものが一杯あるのか」
「唸る位よ」
 チープサイドの家族も言いました。
「日本地がどれだけ美味しいものを求めているか」
「そのことも思うね」
「うん、色々食べることも」
 このこともと言う先生でした。
「食文化を学ぶことだけれど」
「学びきれないよね」
「ここまで多いと」
「ちょっとやそっとじゃね」
「そうよね」
「全くだよ、けれどじっくりと時間をかけて」
 そうしてというのです。
「やっていくよ」
「そうだよね」
「日本の食文化を学ぶことも」
「そのこともね」
「やっていくわね」
「そうするよ、あと広島にはね」
 牛女さんとお話したこともお話します。
「是非ね」
「行きたいよね」
「そうだよね」
「これから」
「機会があれば」
「そうしたいよ、広島城にも行って」
 そうしてというのです。
「広島市を巡って呉にも行って」
「江田島にも行って」
「そして厳島にも」
「そうするのね」
「特に厳島に行きたいかな」
 この場所にというのです。
「僕はね」
「厳島の大社だね」
「あの社に行きたいのね」
「是非共」
「そうしたいのね」
「今広島で一番行きたい場所だよ」
 先生としてはそうだというのです。
「本当にね」
「潮の満ち引きで海から姿を現す社なんて」
「ちょっとやそっとじゃないよ」
「この世にそんなものがあるとか」
「確かに凄いわね」
「これだけ神秘的な場所はそうないと思うから」
 それだけにというのです。
「行きたいね、あとあの社の神様も僕は大好きなんだ」
「厳島大明神よね」
「あの社の神様は」
「そうよね」
「平家の守り神だったこともあるけれど」
 平家に信仰されていてです。
「平家をずっと庇っていたんだ」
「源氏と戦って負けていても」
「それでもだったの」
「あの社の神様は平家を庇っていたの」
「そうなんだ、他の神々が怒ってもね」
 平家についてです。
「あの社の神様だけはね」
「平家を庇っていた」
「そうなのね」
「そうした神様なのね」
「自分を信仰してくれる人がどうなっても庇う様な」
 そうしたというのです。
「優しい神様でもあるんだ」
「ただ神秘的なだけじゃなくて」
「そうした神様でもあるのね」
「あちらの神様は」
「そうなのね」
「そう、だからね」
 それでというのです。
「僕はあの社が好きで」
「神様もなのね」
「先生は好きなのね」
「優しい神様だから」
「そうなんだ、だから一度ね」
 先生としてはです。
「行きたいと思っているよ」
「そうなのね」
「それじゃあね」
「機会があればね」
「あちらにも行きましょう」
「是非ね」
「それと瀬戸内海は」 
 トミーは広島の前のこの海のお話をしました。
「神戸も面していますけれど」
「あの海はどうかしたのかな」
「魚介類は豊富ですが潮流は複雑でしたね」
「うん、季節によって変わってね」
 先生も答えます。
「小島も多くてね」
「船の行き来が難しいですね」
「その船も多くて魚介類が豊富で漁業も盛んで」
 それでというのです。
「網や養殖場も多くてね」
「行き来が難しいですね」
「迷路みたいなところで」
 それでというのです。
「船での航海では凄く難しいんだ」
「じゃあ海上自衛隊も」
「帝国海軍の頃からいつもあの海を行き来しているから」
「航海技術が凄いんですね」
「瀬戸内海は世界屈指の難所だよ」
 航海にはというのです。
「本当にね」
「そうですよね」
「そこをいつも行き来しているから」
「海上自衛隊の公開技術は凄いんですね」
「そう、帝国海軍の頃からね」
「じゃあイギリス海軍よりも」
「そうした技術は上だろうね」
 先生は実際にと答えました。
「冗談抜きにね、海上自衛隊は他にも横須賀や舞鶴や佐世保、大湊と大きな港を持っているけれどね」
「確か横須賀と舞鶴は」
「横須賀は江戸湾だからね」
「船が多いですね」
「世界屈指でね、舞鶴は波が荒らいし」
「難所が多いですね」
「その難所をいつも航海しているから」
 それだけにというのです。
「海上自衛隊の航海技術は尋常なものじゃないよ」
「そうですか」
「というか日本の海はね」 
 ここはといいますと。
「難所が多いんだよ」
「瀬戸内海に江戸湾に日本海に」
「高知県の南もだしね」
「黒潮ですね」
「それもあるからね」
「あちらも難所ですね」
「あと佐世保も近くにね」
 先生はこちらのお話もしました。
「潮流がややこしくて大湊から北海道に行くけれど」
「あちらの海もですか」
「波が高いから」
「航海が難しいですか」
「そして横須賀や呉は出入港自体が凄く難しいと評判だよ」
 湊の時点でそうだというのです。
「出入港が船で一番難しいというけれど」
「もうそこもですか」
「難しくてね」  
 それでというのです。
「やっぱりね」
「そこでも技術が磨かれますか」
「そうなんだ」
「そう考えると海上自衛隊も大変ですね」
「あちらの人達もね」
「周りの海は難所ばかりで」
「だから必然的に技術が凄くなるけれどね」
 それでもというのです。
「実際かなり苦労しているよ」
「そうして技術を磨いていくんですね」
「そうなんだ、しかも訓練も多いから」
「それも昔からだよね」
 王子が言ってきました。
「帝国海軍の時からね」
「うん、海上自衛隊もね」
「いつも訓練しているね」
「陸上自衛隊も航空自衛隊もね」
「訓練は怠っていないね」
「規律も厳しいし。ただね」
「ただ?」
「流石に戦前の軍隊よりは訓練も気率も緩やかだよ」
 そうなっているというのです。
「帝国陸海軍よりはね」
「あの厳しい軍隊だね」
「そう、あの軍隊に比べたら」
 それこそというのです。
「かなりね」
「緩やかなんだ」
「そうなっているよ」
「流石にあの軍隊とは違うね」
「ロイヤル=ネービーも厳しかったけれど」
 イギリス海軍もです。
「けれどね」
「日本軍よりはだね」
「とにかく激しい訓練をいつもして」
「規律もだね」
「物凄く厳しくてね」
「自衛隊以上にだね」
「自衛隊も確かに厳しいけれど」 
 それでもというのです。
「桁が違っていたよ」
「そうだよね」
「武士道に基づいてね」
「厳しかったんだね」
「それでね」 
 そのうえでというのです。
「日本軍は物凄く強かったんだ」
「規律できちんとしていてだね」
「訓練も物凄くてね」
「そうだったんだね」
「そして海上自衛隊も」
「海軍程じゃなくても」
「凄いよ、そしてその海上自衛隊もね」
 是非にというのです。
「呉や江田島に行ったらね」
「見たいんだね」
「是非ね。僕は自衛隊は嫌いじゃないしね」
「むしろ学ぶべき対象であってね」
「いい組織だと思うし」
 それでというのです。
「一度ね」
「その目でだね」
「見たいよ」
「そういえば神戸は自衛隊はね」
「阪神基地隊があるけれど」
「震災の時は助けてもらったけれど」
 阪神大震災の時です、ただこの時は当時の知事さんが自衛隊に好意的でないので要請が遅れたと言われています。
「それでもだね」
「呉みたいに密接な関係はないよ」
「そうだね」
「けれど軍隊も必要な組織で」
「学ぶこともだね」
「出来るんだよ」
 こう王子にお話します。
「あの組織もね」
「そして自衛隊もだね」
「そうなんだよ、だからね」
「機会があればだね」
「あちらにも行きたいね」
 笑顔で言う先生でした、そうしてです。
 広島のことをさらにお話します、そうして今度行きたいとお話するのでした。








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