『ドリトル先生と牛女』
第八幕 順調に回復していて
先生はまた牛女さんの歯を治療しました、そして牛女さんに笑顔で言いました。
「あと一回で完治ですね」
「そうですか」
「はい、ですから」
それでというのです。
「あと一回だけ我慢して下さいね」
「わかりました」
牛女さんも笑顔で応えました。
「それでは」
「宜しくお願いしますね」
「それでこれからはですね」
「はい、歯磨きは大丈夫ですが」
「ライムジュースや歯によくないものはですね」
「お水の様に飲まれたりすることはです」
「控えるべきですね」
こう先生に言いました。
「やはり」
「そこはお願いします」
「わかりました」
「それで大丈夫ですから」
「それでは。ただ」
「ただ?」
「今回は反省しました」
先生にこうも言うのでした。
「本当に」
「虫歯になられて」
「それで」
「そうですか」
「これまでなったことがなかったので」
それでというのです。
「本当にです」
「ではその反省を活かされて下さい」
「これからは」
「反省もまた健康の為に必要ですから」
先生は微笑んで言いました。
「ですから」
「それで、ですか」
「それが取り返しのつくものならいいですから」
「だからですね」
「どうぞ。ですが」
「ですが?」
「これが取り返しのつかないものなら」
この場合ならというのです。
「残念ですし」
「そうした病気になった場合はですね」
「糖尿病や脳梗塞になりますと」
「後が大変ですね」
「ですから」
それ故にというのです。
「お話する僕自身もです」
「気をつけておられますか」
「はい」
実際にというのです。
「これでも」
「そうなのですね」
「イギリスにいた時より毎日ずっと歩いて」
そしてというのです。
「食生活もです」
「よくなっていますか」
「お酒はよく飲みますが」
「それでもですか」
「炭水化物やお肉だけでなく」
そういったもの中心の食生活でなくというのです。
「お野菜やお魚もです」
「よく召し上がられていますか」
「そうなっています」
日本に来てからそうなっているというのです。
「僕も」
「そうですか」
「それでイギリスにいる時よりもです」
「健康ですか」
「随分と。脂肪率もかなり減って」
そしてというのです。
「血圧も血糖値もよくなって乳酸値もです」
「よくなりましたか」
「はい」
先生は笑顔で答えました。
「そうなりました」
「それは素晴らしいことですね」
「それだけ日本の食生活がいいのでしょう、あとです」
「あと?」
「いつも論文を書いて講義をして」
大学教授もっと言えば学者さんとしてそうしてというのです。
「頭をかなり使っていますと」
「そちらでもですか」
「カロリーをかなり使っていまして」
「学問でもカロリーを使いますね」
「それがいつもですと」
それならというのです。
「もうです」
「そちらでもカロリーを使われて」
「かなりです」
「健康になられましたか」
「はい」
実際にというのです。
「日本に来てから」
「先生は来日されてよかったのですね」
「そう思います」
先生は牛女さんに即座に答えました。
「心から」
「それは何よりですね」
「こんないい国だったとは思わなかったですし」
それにというのです。
「こんなに健康になるともです」
「思われなかったですか」
「イギリスの食生活はよく味が酷いと言われますが」
「健康でもですか」
「実は日本以上に肥満が問題になっていまして」
「そうなのですね」
「僕もお世辞にもいいとは言えない食生活でした」
そうだったというのです。
「今みたいによくお豆腐を食べたりです」
「お豆腐美味しいですね」
「お野菜も少なくお魚もです」
「召し上がられなかったですか」
「イギリスでは鱈やニシン、鮭や鰻は食べますが」
「日本の様にですか」
「沢山の種類の魚介類をいつも食べないので」
それでというのです。
「その分です」
「そうでしたか」
「イギリスでは蛸も烏賊も食べないです」
「えっ、本当ですか!?」
牛女さんは先生の今のお話に驚いて先生に聞き返しました。
「蛸も烏賊もですか」
「そうなのです」
「あの、どちらも日本では」
「普通に食べられていますね」
「はい」
実際にというのです。
「そうですが」
「たこ焼きもありますね」
「いか焼きもあります」
「関西では二種類ありますし」
「それがですか」
「イギリスではどちらも食べないです」
そうだというのです。
「他の色々な魚介類も」
「そうでしたか」
「ですから魚介類もよく食べる様になって」
「魚介類も身体にいいですね」
「さらに健康になりました」
「そうでしたか」
「血もさらさらだとか」
先生は笑顔でお話しました。
「嬉しいことに」
「それは何よりですね」
「ですからこれからもです」
「日本におられてですね」
「健康的な生活を楽しみます」
「気をつけられて」
「そうしていきます」
先生は笑顔のままでした、そうしたお話をしてです。
牛女さんとお別れをしてこの日はお家に帰りました、この日は冷奴に枝豆そしてハマチのお刺身を楽しみつつ白ワインを飲んでいましたが。
動物の皆にです、先生はこう言われました。
「確かに健康的だね」
「今のおつまみは」
「どれもね」
「凄くヘルシーね」
「うん、こうしたものを食べてるとね」
実際にとです、先生も答えます。
「健康になるね」
「お酒の飲み過ぎはよくなくても」
「それでもね」
「おつまみ自体は健康的で」
「凄くいいね」
「大豆にお魚はね」
その枝豆を食べつつ言います。
「本当に身体にいいね」
「先生お豆腐も好きだしね」
ガブガブが言ってきました。
「日本に来てからそうなったね」
「美味しくて食べやすい」
ポリネシアも言います。
「いつもそう言ってるわね」
「豆乳も飲んでるしね」
ジップはこの飲みもののお話をしました。
「そちらでも健康だね」
「そういえば豆乳もイギリスではメジャーでないね」
ホワイティはこのことを言いました。
「身体にいいし美味しいのに」
「大豆は凄く身体にいいから」
「しかも美味しくて」
チープサイドの家族も言います。
「日本ではこうしてよく食べるけれど」
「イギリスではどうもだったね」
「最近枝豆を何かと食べる感じにしても」
こう言ったのはダブダブです。
「まだ定着していないわね」
「日本料理の一つで」
イギリスでの枝豆のポジションはそうだとです、トートーは言いました。
「イギリス料理じゃないね」
「まあイギリス料理って世界的に評判悪いし」
「今もそうだしね」
オシツオサレツは二つの頭で言いました。
「栄養的にもね」
「ただ食べるって感じかな」
「色々文化も発展したけれど」
チーチーは難しいお顔で述べました。
「こと食文化だけはだったからね」
「ティーセットと朝食はいいけれど」
最後に老馬が言いました。
「それ以外は、だからね」
「そこは改善していくべきだけれど」
それでもと言う先生でした。
「難しいことだね」
「イギリスの場合はね」
「どうしてもね」
「ことお料理のことについてはね」
「そうだよね」
「本当に最近になって少しよくなってきたかな」
先生の見たところです。
「味も栄養的にも」
「そうだといいね」
「長い間評判悪かったし」
「実際によくなかったから」
「食べることも大事だしね」
「それでもビーフシチューやカレーが日本のお料理に影響を与えているから」
評判が悪くてもです。
「決してね」
「筋は悪くない?」
「イギリス料理も」
「カレーは日本で凄い人気で完全に定着してるし」
「ビーフシチューも定着してるしね」
「ビーフシチューから肉じゃがも生まれたし」
「だから悪い筈がないんだ」
先生は白ワインを飲みました、お箸でおつまみを食べながらそのうえでグラスにあるワインを楽しんでいます。
「ちゃんと調理すれば美味しい筈だよ、ただハギスはね」
「ああ、あれね」
「スコットランドのお料理ね」
「怪獣とかジョークで言われるけれど」
「あれはだね」
「どうかな」
ハギスについてはというのです。
「一体」
「あれだけはちゃんと調理しても」
「果たしてどうか」
「わからないんだね」
「うん、あと鰻のゼリーもね」
このお料理もというのです。
「アレンジが必要かな、ニシンのパイもね」
「あの丸ごと入れて焼いたね」
「あれもだね」
「アレンジが必要だね」
「あのままじゃなくて」
「そう思うよ、けれどちゃんとアレンジしたら」
それでというのです。
「よくなる筈だよ」
「イギリス料理でも」
「きっとそうなるね」
「絶対によね」
「うん、ちゃんと味付けと火加減をしてね」
そうしてというのです。
「調理したらね」
「よくなるわね」
「そのイギリス料理も」
「きっとね」
「僕はそう思うよ、しかしこうして和食で白ワインを飲むと」
今度は冷奴を食べています、おろした生姜と刻んだ葱それに鰹節を上に乗せてそこにお醤油をかけています。
それを食べてです、先生は言うのでした。
「いいね」
「日本酒もいいけれど」
「白ワインもいいね」
「そうなのね」
「かなりね」
そうだというのです。
「僕はお勧めだよ」
「魚介類には白ワインだけれど」
「欧州ではそうよね」
「けれど和食にもそうだよね」
「ワインだと白ね」
「日本酒が苦手な人もね」
そうした人でもというのです。
「こうしてね」
「白ワインならいい」
「お酒を楽しめる」
「そういうことだね」
「それも健康にね」
ただ美味しいだけでなくというのです。
「そうなるよ」
「先生が食べているお料理はどれも普通に居酒屋にあるね」
「日本の居酒屋の定番ね」
「それを食べるとね」
「凄く健康的でもある」
「そうなのね」
「うん、健康にもいいものはお酒のおつまみでもそうだし」
こちらにも言えることだというのです。
「もっと言えばお酒もね」
「ワインは健康にもいいんだよね」
「お酒の中では」
「そうよね」
「うん、アルコールの摂り過ぎはやっぱりよくないけれど」
それでもというのです。
「ワインはお酒の中ではかなりいいから」
「先生も今飲んでるね」
「先生色々なお酒飲むけれど」
「今はワインだね」
「それを飲んでるよ、それとね」
先生はさらに言いました。
「僕は煙草は吸わないからね」
「そうそう、先生煙草吸わないよね」
「もう一切ね」
「それは絶対に吸わなくて」
「そのことでも健康よね」
「煙草はね」
どうしてもというのです。
「健康に悪いからね」
「若し煙草をかなり吸ってるとね」
「それだけで健康に良くないね」
「本当にね」
「ヘビースモーカーの人だとね」
こうした人はといいますと。
「それだけでね」
「健康に不安があるね」
「実際リスクあるし」
「タバコは吸わない方がいいわね」
「どうしてもね」
「うん、だから僕も吸わないし」
先生はそうしているというのです。
「他の人にもね」
「薦めないよね」
「喫煙は」
「そうだったね」
「そうだよ、まあ昔は吸う人も多くて」
それでというのです。
「作家さんや軍人さんはかなりだったね」
「どっちも吸う人多かったのよね」
「あと漫画家さんもね」
「煙草吸いながら書いたりしていたね」
「軍人さんも戦いや訓練の合間に吸っていたね」
「そうしていたんだ、けれど最近はね」
煙草についてよく言われる様になってです。
「そうした人も減ったね」
「作家さんでもだね」
「そして自衛官の人でも」
「煙草を吸う人は減っていて」
「主流じゃなくなってるわね」
「そうなっているよ」
実際にというのです。
「会議の時でも吸わなくなっているみたいだしね」
「軍隊、今の日本だと自衛隊だね」
「自衛隊の会議でもそうなのね」
「煙草を吸わなくなっている」
「そうなっているのね」
「そうだよ、昔のドイツ軍をモデルにした軍隊が出ているアニメだと」
こちらの創作ではどうかといいますと。
「会議の場面で普通に皆葉巻を吸ってるけれどね」
「かつてはそれが普通だったからね」
「皆煙草を吸う」
「そうしたものだったからね」
「それでワインもあったんだ」
会議の場にです。
「それで喉を潤しながらね」
「会議していたんだね」
「昔のドイツ軍がモデルだと」
「煙草にお酒」
「その二つがあったね」
「だから煙草を吸わなくてお酒も飲まなかったヒトラーは凄く目だったんだ」
独裁者だったこの人はです。
「もう異様な位にね」
「皆会議で煙草吸ってワインを傍に置いていたのに」
「ヒトラーはどちらも口にしなかった」
「確かにそれはかなり目立つね」
「だからだよ」
その為にというのです。
「今も言われているんだ」
「菜食主義者でも有名だったし」
「会議で煙草吸っていなくて」
「お酒もとなるとね」
「そうだったんだ、それどころかヒトラーの前では誰も煙草を吸えなかったんだ」
そうだったというのです。
「彼は煙草嫌いだったからね」
「皆吸っているのに」
「それは辛いね」
「会議の場で吸えないと」
「本当にね」
「そうだよ、それとね」
さらにお話する先生でした。
「ヒトラーは甘いものが好きでね」
「あっ、虫歯」
「虫歯だったんだ」
「それがあったの」
「それで随分苦しんでいたんだ」
そうだったというのです。
「あの人は」
「煙草を吸わなくてお酒は飲まなかったけれど」
「それでもだね」
「甘いものは好きで」
「虫歯だったの」
「そうだったんだ」
これがというのです。
「甘いもののせいでね」
「そういえばこのお話前にしたかな」
「ヒトラーは誰でも知ってる人だしね」
「菜食主義者で煙草もお酒も嗜むことがなくて」
「甘いものが好きだってね」
「そうだったね、しかしお酒を飲まなくて」
それでと言う先生でした。
「お魚を食べないと」
「先生としてはだね」
「どうにも残念だよね」
「煙草はともかくとして」
「そうだね」
「うん、それは困るね」
こう言って白ワインをまた飲みます、ここでトミーは先生の前にホッケを焼いたものを持ってきて言いました。
「どうぞ」
「あっ、ホッケだね」
「先生こちらもお好きですね」
「大好きだよ、食べやすくて」
そしてというのです。
「物凄く美味しいからね」
「だからですね」
「大好きだよ、しかしイギリスにはね」
「ホッケもなかったですね」
「来日してはじめて食べたよ」
このお魚もというのです。
「河豚や秋刀魚や鯖と同じくね」
「そうですよね」
「鱧にしてもね」
「鱧も美味しいですよね」
「うん、日本は本当に魚介類が豊富だよ」
「お陰でいつも楽しめますね」
「イギリスにいたままだと」
それこそというのです。
「こうまではね」
「楽しめませんでしたね」
「絶対にね」
こうトミーに言います。
「僕達は」
「そうでしたね」
「それとね」
先生はさらにお話しました。
「今河豚のことを言ったけれど」
「あのお魚ですね」
「信じられない位美味しいね」
「凄いですよね、あの美味しさは」
「お刺身にしてもお鍋にしても唐揚げにしても美味しいよ」
「まさに何にしても」
「絶品だよ」
そこまでたというのです。
「本当にね」
「全く以てですね」
「毒があってもね」
「そうそう、河豚って毒があるのよ」
ダブダブが言ってきました。
「それが怖いのよ」
「常識で考えて毒があったら食べないよ」
ホワイティも言います。
「もうね」
「その時点で、だね」
チーチーはホワイティに続きました。
「普通は食べないね」
「それでも日本では食べるから」
トートーは感心している感じです。
「凄いよ」
「しかも猛毒でね」
「あたったら死ぬから」
チープサイドの家族はこう言いました。
「鉄砲って言われる位だから」
「鉄砲も弾にあたったら死ぬってことで」
「そんな怖いお魚を喜んで食べる」
ジップはしみじみとして言いました。
「こんなこと普通に出来ないよ」
「それをやっていて楽しんでる日本人って」
老馬は言いました。
「昔からだっていうからね」
「昔から大阪や下関では食べていたんだったね」
「あと博多でも」
オシツオサレツも言います。
「そうだったね」
「そして古代から」
「そんな怖いお魚僕でも食べないよ」
食いしん坊のガブガブでもです。
「そのままはね」
「ちゃんと調理して毒のある部分を取って食べる」
最後にポリネシアがいいました。
「そうなのよね」
「うん、そうして食べるんだ」
先生はホッケをとても美味しそうに食べつつ皆に答えました。
「河豚もね」
「日本人はね」
「確かに物凄く美味しいし」
「そうしてるのよね」
「昔から」
「貝塚、昔の人が食べた後の貝殻やお魚の骨を捨てた場所から河豚の骨も出ているんだ」
日本の縄文時代の遺跡からもというのです。
「だから日本では本当に昔からね」
「河豚を食べていて」
「それでだね」
「楽しんでいたのね」
「あの美味しさを」
「確かに物凄い犠牲が出たけれど」
それは事実でもというのです。
「やっぱりね」
「食べていたんだ、河豚を」
「そうだったのね」
「かなりの犠牲が出ても」
「それでも」
「そうだよ、そして僕もね」
先生もというのです。
「河豚が大好きになったよ」
「そうだよね」
「あと先生オコゼや鮟鱇も好きだしね」
「変わったお魚も」
「そちらも」
「オコゼや鮟鱇の美味しさもね」
こちらもというのです。
「凄いね」
「そうだよね」
「どちらも美味しくなさそうなのに」
「食べたらこれがね」
「滅茶苦茶美味しいのよね」
「オコゼも毒があるけれどね」
このお魚もというのです。
「鰭にね」
「こちらは刺す毒だね」
「それがあってよね」
「物凄く危ない」
「そうだったね」
「そうなんだ」
これがというのです。
「だから気をつけないといけないけれど」
「お料理にしたら美味しい」
「毒があって顔も怖いけれど」
「それでもね」
「絶品だよ、というかイギリスにはこうしたお魚が全くないことがね」
どうかと言う先生でした。
「日本にいいると残念に思えて仕方ないよ」
「それはね」
「来日して実感するね」
「もう常にね」
「そうなるわね」
「全くだよ、ニシンは日本でも食べるけれど」
それでもというのです。
「イギリスのより美味しいね」
「お料理の仕方がね」
「どうしてもね」
「そうなってるね」
「オマール海老も」
こちらもというのです。
「それもね」
「日本でのお料理の方がね」
「どうしてもね」
「美味しいよね」
「イギリスのものより」
皆しみじみとした口調です、そしてです。
ここで、です。先生はこうも言いました。今度は枝豆を食べていますがそれでもお魚のことを思うのでした。
「シーフードは遥かにいいね」
「もっと言えば他のお料理もね」
「常に思うね」
「というか日本じゃイカも蛸も普通に食べるのに」
「イギリスじゃ食べものと思われてないし」
「怪物扱いだし」
「外見が不気味とかね、これがね」
その蛸やイカの外見もというのです。
「日本人は見たらすぐに美味しそうだし」
「そうそう、怖いって思わず」
「もう即座にそう思って」
「映画とかで巨大な蛸やイカが出ても全く怖がらなくて」
「たこ焼きとかイカ焼きのお話するから」
「日本人は鮫は怖がってもね」
それでもというのです。
「欧州人程じゃないしね」
「ちゃんと鮫の捕まえ方知ってるし」
「弱点も」
「それで鮫も食べるしね」
「そうしてるしね」
「そして鮫も結構美味しいし」
このお魚もというのです。
「エイだってね」
「エイも美味しいね」
「あの平たいお魚も」
「あれで結構ね」
「怖そうでね」
「そして蛸やイカなんて」
それこそというのです。
「完全に食べものでね」
「怖いって思う日本人いないね」
「この神戸でも」
「食べものとしか思わなくて」
「不気味とも思わないね」
「それが日本人だね、あの人達に聞いても」
その日本の人達にです。
「怖いと思ってないからね、食べものとしかね」
「図鑑読んでもですしね」
トミーも言ってきました。
「どうして食べたら美味しいかって書いてますし」
「ミズダコでもね」
「ミズダコって大型で人も襲いますね」
「それが日本人の殆どは知らなくて」
ミズダコのこのことをです。
「完全に食べものとしか思っていないよ」
「蛸壺を置いて捕まえて」
「それで食べるとしかね」
「それが日本人ですね」
「実際にミズダコも怖いと思わないからね」
「そうですね」
「最初のそのお話を聞いて驚いたけれど」
先生にしてもです。
「今はね」
「来日されて日本に住まれて」
「もうね」
それこそというのです。
「僕もその考えになったよ」
「イカや蛸は美味しい」
「怖いとか不気味とかね」
そうした認識はというのです。
「最初から思ってなかったけれど」
「先生にとって生きものは皆友達ですから」
「そうだったけれど」
「今ではですね」
「美味しいと思う様になったよ」
そうなったというのです。
「本当にね」
「左様ですね」
「そうだよ、じゃあ今日はボトル三本かな」
白ワインの飲む量はというのです。
「それだけ飲んでね」
「そうしてですね」
「飲み終わったら歯を磨いて寝るよ」
「そうしますね」
「そして明日も頑張るよ」
先生はお刺身もお豆腐も枝豆もホッケも食べました、そうして魚肉ソーセージも食べてそれからでした。
白ワインも実際に三本空けて飲みました、それからです。
歯を磨いてお布団に入って次の日は朝ご飯を食べて学校に行きましたが研究室に来た王子が先生から昨夜のお話を聞いて言いました。
「そうそう、日本人って色々なお魚を食べるよね」
「河豚もオコゼもね」
「毒があってもね」
「そして蛸やイカもだね」
「僕イギリスでは魚介類は殆ど食べてなかったよ」
王子もそうだったみたいです。
「ましてや蛸とかイカなんて」
「食べられるともだね」
「思っていなかったよ」
「そうだね」
「それが日本だとね」
今自分達がいるお国ではというのです。
「皆喜んで食べるからね」
「そうだね」
「しかもこれが美味しいからいいね」
「全くだよ」
「特にイカの姿焼きとね」
それにというのです。
「たこ焼きはね」
「美味しいね」
「たこ焼きは恐ろしい食べものだよ」
こうまで言う先生でした。
「本当に」
「あまりにも美味しいからだね」
「うん、ついつい食べて」
そうしてというのです。
「止まらなくなるよ」
「一旦食べだすとね」
「そうなるよね、たこ焼きは」
「僕もだよ」
「大阪名物だけれど」
「あれは凄いね」
先生もたこ焼きが好きなので言います。
「日本を代表するお料理の一つだね」
「大阪だけじゃなくてだね」
「そうだよ、ただね」
「ただ?」
「串カツでも魚介類が沢山あって」
その具の中にです。
「よく食べるね」
「海老にキスにね」
「ほたて貝にね」
「その蛸やイカも」
「色々あるね、シーフードも」
「そうだね」
先生も頷いて応えます。
「よくあるね」
「お肉だけじゃなくてね」
「それで僕もなんだ」
「先生串カツも好きでね」
「ネタでそちらもよく食べるよ」
魚介類もというのです。
「そうしているよ」
「そうだよね」
「妖怪も海にいる種類が多いし」
「ああ、そういえば」
王子も頷きます。
「日本ではそうだね」
「そうだよね」
「海坊主とかいるよね」
「磯女とかね」
「船幽霊もいるし」
「船幽霊は怨霊だね」
「日本は何か幽霊と妖怪の区別が曖昧だけれど」
それでもというのです。
「船幽霊は妖怪と言ってもいいかな」
「まあそうだね、人間が妖怪になる場合もあるし」
「そうだったね」
「というか怨霊が魔王になって」
「それでとんでもない力を持つね」
「日本では悪魔よりも妖怪よりも怖いよ」
怨霊の方がというのです。
「王子もそれはわかるね」
「天神様もだね、大宰府の」
「菅原道真さんだね」
「あの人は怨霊になったって言われているね」
「それで物凄い祟りだったとされているから」
「そのことを見ても」
「そう、怨霊はね」
実際にというのです。
「日本では一番怖いんだ」
「悪魔よりもで」
「当然妖怪よりもね」
「遥かに怖いんだね、ただ妖怪の総大将で」
こうも言う王子でした。
「ぬらりひょんがいるけれど」
「あのお話は戦後からだから」
「あっ、そうなんだ」
「あの妖怪漫画の大家の人が漫画の設定で出して」
それでというのです。
「定着したんだ」
「そうなんだね」
「僕は姫路城のお姫様もそうだし牛女さんもだけれど」
「妖怪ともお付き合いがあるね」
「日本の妖怪も日本にいるから」
それでというのです。
「皇室に敬意を持っているね」
「あの方々にはだね」
「そして勿論ね」
「陛下にもだね」
「そう、あの方にもね」
「日本の皇室は妖怪も敬う位だね、僕もね」
一国の跡継ぎである王子もというのです。
「あの方々にはね」
「敬意を持っているね」
「世界の王室であの方々に敬意を持っていないなんて」
それこそというのです。
「そんな人いないよ」
「共和制の国でもだしね」
「そうした方々だからだね」
「うん、妖怪の皆もね」
彼等もというのです。
「敬意を持っているよ」
「姫路城のお姫様にしても」
「あの人が播磨今の兵庫県の妖怪の棟梁らしいけれど」
それでもというのです。
「そのお姫様でもね」
「敬意を持っているとなると」
「妖怪の主、というか妖怪もいる日本の国家元首はね」
「天皇陛下ということだね」
「じじつぬらりひょんさんは日本の妖怪の中でかなり高い地位にいるらしいけれど」
「そのぬらりひょんもだね」
「日本の皇室にはね」
この方々にはというのです。
「敬意を持っているみたいだよ」
「つくづく凄いお家だね」
「全くだね、ただね」
「ただ?」
「日本の皇室は河豚は絶対に食べられないんだ」
「毒があるからだね」
「そうなんだ」
まさにその通りだというのです。
「だからなんだ」
「何かあったら駄目だから」
「とんでもなくご多忙で食事も決められたものばかりでね」
「河豚も食べられないなんてね」
「王子は食べられるね」
「僕も事前に毒見や厳重なチェックがされからだけれどね」
「食べられるね」
「うん、まだね」
それは出来るというのです。
「僕は食べられるよ」
「そうだね、けれど日本の皇室は」
「それが出来ないんだね」
「どうしてもね」
「河豚が食べられないとか」
王子はあらためて言いました。
「不自由だね」
「そうだね」
「僕は日本の皇室にはいられないね」
「王子もだね」
「どの王家にいても制約や義務は多いけれど」
それでもというのです。
「あの方々には負けるよ」
「それはイギリス王家もだよ」
「イギリス王家はもっと自由だね」
「スキャンダルが出る位にね」
「スキャンダルが出る位はまだ自由があるよね」
「そう、それが出ないとなると」
それこそというのです。
「修道院の様にだよ」
「制約が多いってことだね」
「そして義務もね」
こちらもというのです。
「かなりあるんだよ」
「そういうことだね」
「伝統も凄いしね」
日本の皇室のそれはというのです。
「皇紀は二六〇〇年以上とされているから」
「ローマ帝国より前だしね」
「まだ中国で始皇帝も出ていないよ」
「イギリスも僕の国も」
「そう、他の国がなにもない様な時代から存在していたよ」
「日本と皇室は」
「歴史ではっきり記録が残っているのは飛鳥時代だね」
「その前から皇室は存在していたね」
「うん、そんなとてつもなく古い家で」
それでというのです。
「伝統もね」
「凄いね」
「そうなんだ」
「そんな伝統があると」
「もうそれだけでかなりだね」
「僕も王室の人間だからわかるよ」
それも跡継ぎであるだけ尚更です。
「本当に」
「そうだね」
「日本の皇室の伝統はかなりで」
それでというのです。
「恐ろしいものがあるよ」
「その皇室のことを考えると」
「あのお家はね」
「凄いものがあるなんてものじゃないね」
「うん、そして河豚はね」
「食べられないんだね」
「残念なことにね」
そうだというのです。
「というか好きなものを召し上がるなんてね」
「出来ないんだね」
「そうだよ、あの激務でプライバシーもなくてね」
「つくづく大変な方々だね」
「その中でいつも日本の為に頑張っておられるんだ」
「そうだね、そうした方々を見ているとね」
王子は先生に強い声で言いました。
「僕もね」
「気を引き締めてだね」
「あの方々をお手本にして」
そうしてというのです。
「やっていくよ」
「頑張ってね、そうしたらね」
「日本の皇室の方々みたいにだね」
「立派な国王になれるよ」
「絶対にそうなるよ、昭和天皇みたいな王様になるよ」
「おお、凄い方だね」
「あの方を一番尊敬しているから」
だからだというのです。
「それでね」
「特にあの方をお手本にしてだね」
「あの方みたいになるよ」
「そうなってね」
「うん、絶対にね」
王子は先生に約束しました、そうしてです。
先生とそれからも色々なお話をしました、そうして楽しい時間を過ごしました。