『ドリトル先生と牛女』
第一幕 神戸の妖怪
この日先生のお家にお静さんが来ていました、今も普通に着物を着て猫の姿で先生とちゃぶ台を囲んでお話しています。
そこで、です。お静さんは先生に言いました。
「先生は妖怪にも詳しいわね」
「日本の妖怪にもだね」
「かく言う私も妖怪だしね」
その二本の尻尾を振りながら言います。
「猫又だしね」
「うん、それにイギリスはね」
先生の生まれたお国はといいますと。
「妖精と幽霊の国でね」
「それでよね」
「そうしたお話にはよく触れていて」
「知ってるわね」
「よくね」
そうだというのです。
「そのつもりだよ」
「そうね、日本の妖怪も多いでしょ」
「そうだね、幽霊のお話もかなり多いけれどね」
「妖怪もね」
「お静さんみたいな猫又もいるし」
まずはお静さんを見て言います、一緒にお茶を飲んでお饅頭を食べながらお話をしている彼女をです。
「河童に一つ目小僧、塗り壁に一反木綿に」
「多いでしょ」
「から傘、砂かけ婆、子泣き爺に呼ぶ子とね」
「何か結構挙げていくわね」
「日本は妖怪のことを勉強しやすくて」
それでというのです。
「すぐに知ることが出来たよ」
「妖怪の本も多いしね」
「幽霊の本もね、日本には」
先生はさらにお話しました。
「漫画家さんで凄い人がいたからね」
「ああ、あの人ね」
「うん、水木しげる先生がね」
この人がというのです。
「本当に妖怪について凄かったから」
「先生が見てもなのね」
「日本だけじゃなくて世界の妖怪にも詳しくて」
「あの人はそうだったわね」
「世界一の妖怪学者と言ってもね」
「いいのね」
「そう思うよ、もう妖怪のことなら」
それこそというのです。
「誰にも負けていないよ」
「そこまでの人よね」
「うん、だから」
それでというのです。
「あの人の本を読んでね」
「妖怪のことを勉強しているのね」
「幽霊のこともね」
「それで先生も詳しくなって」
「それでね」
そのうえでというのです。
「今もね」
「勉強しているのね」
「勉強は一生だしね」
そしてというのです。
「妖怪のことはこれからもね」
「学んでいくのね」
「そうしていくよ」
「そうなのね、じゃあね」
お静さんは先生のそのお話を聞いてこう言いました。
「牛女のことは知っているわね」
「この神戸、六甲の方にいる妖怪だね」
「やっぱり知っているのね」
「いるとは聞いているけれど」
「実際にいるのよ」
「そうなんだ」
「ええ、そしてね」
お静さんは先生にさらにお話します。
「あそこで元気にしているわ」
「そうなんだね」
「よかったら会ってみる?」
その牛女にもというのです。
「どうかしら」
「そうだね、機会があればね」
「それじゃあね」
「そうさせれてもらうよ」
「姫路城の姫様にもお会いしたし」
お静さんは先生にそのこともお話しました。
「先生は妖怪もどんどんお友達にしていっているわね」
「嬉しいことにね」
「そうそう、嬉しいって言うね」
「それがなんだ」
「その考えがね」
まさにというのです。
「私達も嬉しいのよ」
「そうなんだ」
「先生は人間も生きものも妖怪も分け隔てしないでしょ」
先生のその公平さを言うのでした。
「そうでしょ」
「僕は差別はしないよ」
「絶対にね」
「それはよくないと思っているよ」
「そして実際にそうしていっているところがね」
まさにというのです。
「皆が先生を好きになる理由なのよ」
「そうなんだね」
「じゃあよかったらね」
「牛女さんともだね」
「お友達としてね」
「付き合ってね」
「それじゃあね」
二人でこうお話しました、お静さんはそんなお話をしてから酒屋さんに帰りました。その後で、でした。
動物の皆先生がお静さんと一緒にお話をしている時も一緒にいた彼等は先生に対して尋ねました。その尋ねることはといいますと。
「牛女って誰?」
「神戸の妖怪って聞いたけれど」
「六甲の方にいるっていう」
「どんな妖怪なの?」
「一体」
「名前を聞くとね」
チーチーが言ってきました。
「牛の角が生えている人かな」
「そうした女の人かな」
ジップはチーチーに応えました。
「やっぱり」
「名前を聞くとそうだね」
トートーも言います。
「聞いた限りだと」
「そうね、まあ牛さんと関係あるのは間違いないわね」
ポリネシアもこう考えています。
「やっぱり」
「日本で牛の妖怪っていうと件かしら」
ダブダブはこの妖怪を思い出しました。
「牛の身体で人の頭の」
「予言するんだよね、件って」
「そう聞いているわね」
チープサイドの家族も件のお話をします。
「生まれてすぐにそうするって」
「これから何が起こるか言うっていうね」
「欧州じゃミノタウロスがいるけれど」
「牛の頭に人の身体の」
オシツオサレツはギリシア神話からお話しました。
「日本でも有名だね」
「ゲームでもよく出て来るね」
「そういうのかな」
ホワイティはポリネシアのお話に応えました。
「牛女って」
「まあ牛と関係が深いのは事実だね」
このことは間違いないとです、ガブガブは言いました。
「名前からして」
「僕達が今お話した中でそうした姿があるかな」
老馬はそこが気になりました。
「果たして」
「あるよ、牛女は身体は人間の女の人だけれど」
先生は皆に答えました。
「頭はね」
「牛なんだ」
「そうなんだ」
「じゃあミノタウロスね」
「あちらなんだね」
「そうなんだ、噂ではね」
先生は皆にさらにお話します。
「戦争中にはもういたらしいよ」
「ああ、第二次世界大戦だね」
「今の日本で戦争っていうとあの戦争だね」
「あの戦争の頃にはもういたんだ」
「そうだったんだ」
「それで有力者の人達の間を行き来していたらしいんだ」
こう皆にお話します。
「予言をすると言われていてね」
「件みたいに?」
「あの妖怪みたいになの」
「予言をしていたんだ」
「これから何が起こるのか」
「それで時の有力者の人達の間で匿われていて」
そしてというのです。
「予言していたらしいんだ」
「そうだったんだ」
「何かって思っていたけれど」
「予言する妖怪だったんだ」
「多分件と関係があるね」
先生が思うところです。
「牛と人の姿で予言もするしね」
「というか姿件の逆じゃない」
「件は頭が人で身体は牛だから」
「牛女さんは頭が牛で身体は人」
「まさに正反対だね」
「そこはね」
「これまた牛から生まれたらしいし」
その牛女はです。
「これも噂だけれど」
「じゃあ本当に件?」
「件と一緒?」
「そうなの?」
「そうかもね、それで空襲の時も色々な人に匿われていたらしいけれど」
それでもというのです。
「その中でね」
「空襲でその時匿われていたお家が焼けて」
「それでなんだ」
「外に出て六甲に逃れて」
「そうしてなんだ」
「今もいるらしいね」
その六甲にです。
「そう言われてるよ」
「そうだったんだ」
「何かって思っていたら」
「神戸にそうした妖怪がいるんだ」
「そうなんだね」
「僕が今勤務している八条学園もね」
この学園もというのです。
「妖怪や幽霊のお話が多いね」
「世界一の妖怪スポットって言われてるね」
「心霊スポットともね」
「あちこちに妖怪や幽霊が出るっていうお話があって」
「妖怪の種類も多いね」
「日本の妖怪だけじゃないし」
「世界各国の妖怪がいるね」
「あの学園は世界中から人が集まるから」
それでというのです。
「妖怪もね」
「多いんだね」
「世界中から集まって」
「そうなっているんだね」
「そうだよ、しかしね」
先生はさらに言いました。
「牛女のお話は学園にはないね」
「確かにそうだね」
「河童さんとかのお話はあっても」
「それでもね」
「僕達実際今はじめて聞いたしね」
「牛女さんのことは」
「若し機会があれば」
先生は皆にお話しました。
「その彼女ともね」
「お会いしてだね」
「お友達になる」
「先生はそう考えているんだ」
「僕は人間も生きものの妖怪も同じだと考えているからね」
これが先生の思想の特徴です、勿論人間の中の人種や宗教民族や文化の違いもあるにしても人間は同じだと考えています。
「だからね」
「それでだね」
「お静さんとも普通にお話してるし」
「姫路城のお姫様ともお付き合いがあるんだね」
「他の妖怪の人達とも」
「狐君や狸君達ともね」
彼等ともというのです。
「そうしているね」
「ああ、そうだね」
「日本って普通に狐や狸が化けるけれどね」
「動物と妖怪の境目って曖昧だけれど」
「先生はお付き合いしているね」
「化けたり妖術を使う生きものは変化というね」
日本ではです。
「そうだね」
「そうそう」
「そう呼ぶね」
「そうだよね」
「日本ではね」
「そして妖怪変化という言葉通りにね」
先生は皆にこの言葉も出してお話します。
「同じものと考えられているよ」
「妖怪と化ける動物は」
「一緒だね」
「動物でも妖怪と同じだね」
「化けると」
「だからね」
それでというのです。
「僕は彼等ともね」
「お友達になれるんだね」
「化ける動物とも」
「そういうことだね」
「お静さんにしても」
猫又である彼女のお話もします。
「猫だね」
「そうそう、猫が長生きした」
「五十年以上生きたんだよね」
「だから猫だね」
「尻尾が二本あって化けても」
「猫だね」
「妖怪ではあるけれど」
それでもというのです。
「猫かっていうとね」
「猫だね」
「このことは変わらないね」
「そうだね」
「日本では生きものが長生きすると」
先生は日本のそのお話をさらにします。
「妖怪になるからね」
「色々な生きものがね」
「そうなるね」
「そういえばものもなるね」
「日本ではね」
「付喪神だね、ものも長く使っていると心を持って」
そしてというのです。
「顔や手足が出て動いたりするよ」
「喋ったりね」
「日本ではよくあるね」
「ものでもそうだね」
「この国では」
「森羅万象に神様がいて」
それぞれのものにです。
「そして生きものもものもね」
「何でもだね」
「歳を経ると化けたりする」
「そうしたお国柄なんだね」
「それが日本だね」
「いや、そうしたことでも面白い国だよ」
先生の今の口調はしみじみとしたものでした。
「本当にね」
「そうだね」
「動物が妖怪になって」
「ものもそうなる」
「妖怪と生きものの区分があまりない」
「そうした国でもあるね」
「人間も妖怪になるしね」
その場合もあるというのです。
「日本では」
「何かそうしたお話もあるよね」
「幽霊のお話も多いけれど」
「人間も妖怪になるね」
「そうしたお国柄だね」
「生きものにもなるしものにもなるし」
人間がというのです。
「そこはね」
「それぞれだね」
「そうだね」
「誰でも妖怪になって生きものにもものにもなる」
「人間にもね」
「生まれ変われば」
先生はこのお話もしました。
「それこそだね」
「もうそれ入れたらね」
「仏教の考えも」
「それこそ幾らでもあるね」
「日本にはね」
「漫画だけれど」
創作の世界でと前置きして言います。
「戦国大名が犬に生まれ変わるものもあるよ」
「戦国大名が犬って」
「その発想は凄いけれど」
「考えてみたら日本ならではね」
「その考えも」
「そうだね、日本は生まれ変わりの考えもあって」
そうしてというのです。
「あらゆるものがね」
「歳を取ったりするとだね」
「色々なものになるんだね」
「人間も生きものもものも」
「人形が人間になる場合もあれば」
その場合もあればというのです。
「つららが妖怪になる場合もあるよ」
「ああ、つらら女」
「日本の妖怪だよね」
「雪女みたいな妖怪だったね」
「そうした妖怪もいるね、日本は」
「本当にあらゆるものが色々なものになる国で」
そしてというのです。
「妖怪もだよ」
「そうなるんだね」
「生きものがなったりする」
「ものもそうで」
「人間もだね」
「うん、そして牛女は」
この妖怪のお話に戻りました。
「どうもね」
「件と一緒だね」100
「予言する妖怪で」
「牛から生まれた」
「そうした妖怪なんだ」
「そうみたいだよ、そして今は神戸にいて」
そしてというのです。
「六甲の方にね」
「いてだね」
「そこに行けば会えるかも知れない」
「そういうことだね」
「見た人もいるよ」
六甲でというのです。
「どうやらね」
「そうなんだね」
「戦争ってもう二十世紀の半ばのことで」
「かなり昔のことよね」
「今となっては」
「七十年以上昔だよ」
「妖怪の寿命は僕達と違うからね」
先生はこのことは普通に言いました。
「それこそね」
「普通に何百年だしね」
「死なないとか言うし」
「病気も何にもないとか」
「歌にもあるね」
「まあ実際は死んだり病気もあるけれど」
それでもというのです。
「やっぱりね」
「かなり長生きだね」
「それこそ僕達よりも遥かに」
「何百年と生きていくから」
「七十年位だと」
「まだ若い位だよ」
妖怪にとってみればです。
「お静さんもそうだね」
「そうそう、あの人だってね」
「百年か二百年だった?」
「かなり長生きしてるのよね」
「そうだったわね」
「猫が五十年生きたら猫又になるから」
だからだというのです。
「もうね」
「少なくとも五十年は生きてるのね」
「猫又になるまでそれだけかかるから」
「じゃあもう牛女さんより長生き?」
「絶対にそうだね」
「それは間違いないね、狐が千年生きたら九本尻尾になるし」
所謂九尾の狐です。
「僕達なんかとてもね」
「及ばないね」
「その長生きさは」
「それこそね」
「比べ様がないね」
「何かもう死んだのかもって言う人がいるけれど」
牛女はです。
「今も目撃例あるしね」
「それでだよね」
「今だってあるなら」
「牛女さん今も六甲にいるね」
「そうだね」
「絶対にそうだよ」
先生は動物の皆に笑顔で答えました。
「あの人もね」
「じゃあ六甲に行くとね」
「その時はよね」
「僕達も牛女さんにお会い出来る」
「そうなんだね」
「その可能性があるよ」
先生は皆に笑顔でお話しました、そうしてこの日も学問に励みました。そして夜は王子がお家に来てでした。
先生にすき焼きの食材を持って来ました、勿論お肉もです。そうして先生に対してこんなことを言いました。
「神戸牛だから」
「美味しいんだね」
「うん、凄くね」
こう言うのでした。
「だから皆で食べようね」
「それじゃあね」
「じゃあ今からすき焼き作りますね」
トミーも言ってきました。
「そうしますね」
「それではね」
「いや、和牛はね」
王子は笑顔で言いました。
「滅茶苦茶美味しいよね」
「そうだよね」
「お肉が霜降りになっていて」
「柔らかくてね」
「あの美味しさときたら」
それこそというのです。
「牛肉だけれどね」
「それでもだね」
「牛肉を超えた」
「そこまでのものがあるね」
「僕ははじめて食べて感激したから」
その和牛のお肉をです。
「神戸牛のそれをね」
「だから僕にも紹介してくれたね」
「そうだったよ」
「そうだったね」
「そして先生に来日を勧めて」
「今の僕があるしね」
「そうだね」
「そう思うと僕と牛の縁は深いね」
先生の口調はしみじみとしたものでした。
「そうだね」
「もっと言えば動物皆とだね」
「うん、本当に僕はね」
「動物と先生の関係は」
「絶対のものだね」
「そうだよね」
笑顔でお話してでした。
皆で神戸牛のすき焼きを楽しく食べます、そこで先生は王子に尋ねました。
「神戸牛だから高かったね」
「いや、貰ったんだ」
「そうだったんだ」
「八条家の人からね」
「僕達の学園を運営している」
「あちらの人からかなり貰ったから」
それでというのです。
「僕は今回は買っていないよ」
「そうなんだね」
「そうだよ、この前日本の皇室に我が国で採れたダイアモンドをプレゼントしたら」
そうしたらというのです。
「あちこちからお礼ってことでね」
「貰っているんだ」
「それでその人からはね」
「神戸牛のお肉をなんだ」
「貰ったんだ」
「そうだったんだね」
「つまらないものですがって言われて」
そしてというのです。
「こんな凄いもの貰ったよ」
「その言葉は日本の礼儀だね」
「つまらないものって言うのは」
「それはね」
まさにというのです。
「日本のね」
「挨拶だね」
「そうだよ、しかしそんなに貰っているんだ」
「我が国はいいダイヤの鉱山があるから」
「ダイヤを贈ることは」
「何でもないことで皇室の方にもね」
日本のこのお家にもというのです。
「僕が日本でお世話になっているから」
「贈らせてもらったんだね」
「僕達にとってはささやかな贈りものだったよ」
「そうだったんだ」
「うん、けれどね」
それでもというのです。
「宮内庁から公にお礼の言葉が来たし」
「それは日本の宮内庁としてもね」
「当然のことなんだ」
「そうだよ」
「そうなんだね」
「そして王子ひいては王子の国が皇室に礼を尽くした」
このことはというのです。
「日本の多くの人が見て」
「そしてだね」
「贈りものをしているんだ」
「成程ね」
「王子もお国も立派なことをしたよ」
「本当に何でもないことだよ」
「いや、凄いことだったんだよ」
先生はとき卵に入れたすき焼きを食べつつお話しました。
「これがね」
「そうなんだね」
「そしてね」
「そして?」
「このお肉は本当に美味しいね」
先生は今度はこちらのお話をしました。
「とにかくね」
「ああ、そのことだね」
「うん、やっぱり和牛は違うよ」
「そして神戸牛は」
「そう思うよ」
「今では日本でも牛肉は普通に食べられますけれど」
トミーも言ってきました。
「それでもですね」
「多くは輸入肉だからね」
「アメリカやオーストラリアの」
「そうしたお肉もいいけれど」
「やっぱり和牛の方が美味しいですね」
「だから世界的に注目もされているんだ」
「そうですね」
トミーは先生に頷いて応えました、お話をしつつすき焼きの中のお豆腐をはふはふとしながら食べています。
「今では」
「美味しいものは」
本当にと言う先生でした。
「皆注目するよ」
「そうですよね」
「だから和牛もだよ」
「今では世界中で注目されていますね」
「そうなんだ」
まさにというのです。
「和食全体がそうだけれどね」
「日本酒もそうですよね」
「このお酒もね」
見れば先生はお酒も飲んでいます、そのお酒は日本酒です。
「そうだよ」
「そうですよね」
「美味しいから」
飲みながら言うのでした、すき焼きを肴に。
「今ではね」
「世界的に注目されていますね」
「ワイスワインとか呼ばれてね」
「お米から造るからですね」
「そう、ライスワインだよ」
そう呼ばれているというのです。
「これがね」
「そうですね」
「というかね」
ホワイティが言ってきました、動物の皆も先生達と一緒にすき焼きを食べて心から楽しんでいます。
「先生もだね」
「そうだね、もう何かと日本に馴染んで」
トートーも言います。
「食べものもだから」
「髪の毛や目の色はどうでも」
ポリネシアも言います。
「先生は日本人よ」
「国籍もそうなったし」
ダブダブも言いました。
「完全にね」
「最近は日本語で考えているんだよね」
「そうよね」
チープサイドはこのことをお話します。
「英語じゃなくて」
「そうなっているっていうし」
「もうそこまでいったら」
「日本人だね」
オシツオサレツも二つの頭で言います。
「着ている服も作務衣が多くなったし」
「座布団にも座るし」
「しかもお風呂大好きになったし」
ガブガブは先生の趣味のお話もします、毎日入浴しているのです。
「それならだよ」
「もう先生はイギリス生まれでも」
チーチーも言うことでした。
「日本人になったよ」
「ここまで日本人になるなんてね」
ジップの口調はしみじみとしたものでした。
「最初は思わなかったよ」
「日本のことも物凄く知ってるし」
最後に老馬が言いました。
「もう完全に日本人だよ、先生は」
「というかもう頭の中で考える時の言葉もですか」
トミーは先生に尋ねました。
「日本語ですか」
「かなり前からね」
「そうなっておられるんですね」
「そうなんだ、トミーもかな」
「そうですね、僕も今では」
「そうなっているね」
「英語で考える時もありますが」
それでもというのだ。
「最近はよくです」
「日本語でだね」
「考えています」
「そうなっているね」
「どうも」
「僕もだよ、国の言葉も英語も喋れてそれで考えられるけれど」
王子もでした。
「今はね」
「考える時の言葉はだね」
「日本語にね」
この言葉にというのです。
「なっているよ」
「そうなんだね」
「もうね」
それこそというのです。
「随分変わったよ」
「僕達と同じだね」
「というか」
王子はさらに言いました。
「日本に長くいて」
「それでだね」
「自然となるね」
「そうだね、僕も読む本はね」
「日本語のものが増えたね」
「そうなってきたよ」
実際にというのです。
「やっぱり学術書は世界中のものでね」
「言語もだね」
「英語も中国語もスペイン語もあってね」
「フランス語やドイツ語もだね」
「ロシア語やアラビア語の本も読むけれど」
それでもというのです。
「漫画やライトノベルはね」
「日本のものだね」
「そうなっているよ」
「成程ね」
「これが面白くて」
日本の漫画やライトノベルはというのです。
「凄くね」
「読んでいて」
「そしてね」
「読む量が増えていっているんだ」
「僕は読むのが速いね」
「そうだね」
先生の特徴の一つです、王子も知っていることです。
「実際にね」
「日本のライトノベルでもね」
「あっという間に読むね」
「それで色々な作品を読んでね」
「その量がだね」
「増えていっているんだ」
「そうなんだね」
「一日一冊は普通にね」
それこそというのです。
「読んでいるよ」
「そうなんだね」
「漫画もね」
「そちらもなんだ」
「うん、だからね」
それでというのです。
「日本語についてもね」
「頭の中でだね」
「考えている言葉になっているよ」
「成程ね」
「アニメもよく観るし」
こちらもというのです。
「確かに日本の文化にね」
「馴染んでいるね」
「そうなっているよ」
「そうなんだね」
「それとね」
「それと?」
「一つ思うことは」
それはといいますと。
「日本語はつくづくかなり独特な言語だね」
「そのことだね」
「うん、文字も三つあるしね」
「平仮名と片仮名、漢字だね」
「最近はアルファベットも使うし」
こちらの文字もというのです。
「そして文法もだね」
「確かに。英語や中国語と全く違います」
トミーも言ってきました。
「日本語は」
「そうだよね」
「それにです」
トミーは葱を食べながら言いました。
「単語ごとに分かれていないですし」
「それも日本語の大きな特徴だね」
「本当に」
「バスク語も特徴があるよ」
先生はこの言語のお話もしました。
「スペインのバスク地方のね」
「あの言語も有名ですね」
「うん、けれどね」
「日本語はですね」
「バスク語と同じ位かそれ以上にね」
「独特の言語ですね」
「まるで日本語だけ違う様な」
そこまでというのです。
「独特の言語だよ」
「文字が複数あることも」
「かなりのものだよ」
「そうですよね」
「その日本語を学ぶこともね」
「先生にとってはですね」
「学問になっているよ」
こう言いつつです、先生は。
お肉を茸と一緒に食べて言いました。
「最近はかなり重要なね」
「今日本語の歴史の論文も書かれていますね」
「そうしているよ」
「そうですか」
「そしてね」
「そして?」
「日本語は常に変わっていっているから」
ただ独特なだけでなくです。
「そこも学んでいるよ」
「古典の言葉とか現代文もですか」
「うん、例えば明治時代に文語から口語になっていくけれど」
「確か二葉亭四迷からですね」
「その二葉亭四迷の文章はね」
口語のはじまりというそれはといいますと。
「今から見ると文語にね」
「近いですか」
「口語といっても」
それでもというのです。
「かなりね」
「文語に近いんですね」
「そうなんだ」
これがというのです。
「そしてそこからね」
「変わっていくんですね」
「森鴎外の文章も」
この人のものもというのです。
「変わっていっているよ」
「あの人のものも」
「舞姫やうたかたの記と癌や高瀬舟でね」
同じ人が書いた文章でもというのです。
「かなりね」
「違うんですか」
「そうなんだ」
これがというのです。
「本当にね」
「時代によってですか」
「同じ人の文章でもね」
「変わるんですね」
「うん、そうしたことを学んでいくと」
先生は笑顔でお話しました。
「面白いんだ」
「そうなんですね」
「あと平仮名の日記もね」
「土佐日記ですね」
「このお話も面白いんだ」
土佐日記もというのです。
「女の人ということにして書いているけれど」
「読んですぐにわかるんだよね」
王子が笑って言ってきました。
「あの作品は」
「うん、もうそれこそね」
「丸わかりだね」
「これがね」
実にというのです。
「面白い位にね」
「わかるんだね」
「だからね」
それでというのです。
「日本語の歴史を学ぶことも」
「面白いんだね」
「そうなんだ」
「最初文字が幾つもあってね」
「困ったね」
「一つじゃないし漢字の読み方も」
これもというのです。
「音読みと訓読みがあるから」
「日本のものと中国のものがね」
「だからね」
それでというのです。
「何かと苦戦したよ」106
「王子もだね」
「そうだったよ」
「僕もね」
「先生もなんだ」
「最初はね」
先生にしてもというのです。
「戸惑ったよ」
「そうだよね」
「あれはね」
「他の国の人にしたらね」
「宇宙にある様な」
そのレベルでというのです。
「物凄くね」
「変わった言葉だよね」
「だからね」
それでというのです。
「僕もね」
「戸惑ったよ」
「先生は語学が一番凄いけれど」
それでもというのです。
「それでもだね」
「僕は語学は一番覚えやすいよ」
「その先生でも」
「どうも」
日本語はというのです。
「苦戦したよ」
「そうだったんだね」
「覚えるのに一番苦労したものだよ」
「言語以外のことでもなんだ」
「うん」
こう王子にお話します。
「そうだよ」
「そこまでなんだね」
「悪魔の言語とか言われるけれど」
「あまりもの難しさにね」
「その理由もわかったよ」
すき焼きの中の麩を食べつつ言います。
「本当に」
「確かにね」
「難しいよね」
「うん、けれど日本にいるうちに」
「頭の中で考える言語にもなったね」
「そうなんだよね」
「そこにいるとね」
そうすると、というのです。
「慣れて覚えていくものだよ」
「日本語でもだね」
「そして親しんでいくものだよ」
「そういうことだね」
「そうだよ」
「成程ね、じゃあね」
王子は一杯飲んでから先生に言いました。
「今日もね」
「こうしてだね」
「飲んで食べて」
そうしてというのです。
「楽しもうね」
「そうしようね」
先生も笑顔で応えます、そうしてでした。
皆ですき焼きに日本酒を楽しみました、神戸牛のすき焼き肉は絶品で先生も他の皆も堪能することが出来ました。