『ドリトル先生と琵琶湖の鯰』




                第十幕  ビワコオオナマズ

 河童とお話をした次の日です、先生は前日河童と会ったその波止場に行ってそのうえで河童が来るのを待ちました。
 後ろには田中さんが用意してくれた胡瓜を詰め込んだダンボール箱と山積みの西瓜があります。その胡瓜や西瓜を見てです。
 動物の皆は先生にこんなことを言いました。
「何かこうして見てみると」
「僕達も食べたくなるね」
「胡瓜も西瓜も」
「そうしたいね」
「その気持ちは我慢してね」
 先生は皆に微笑んでお話しました。
「お話の後でね」
「その時にだね」
「皆で食べればいいね」
「その時にね」
「そうすればいいね」
「うん、だからね」
 それでというのです。
「今は我慢しようね」
「そうするね」
「これは河童さん達へのプレゼントだし」
「それじゃあね」
「僕達は食べないよ」
「そうするよ」
「そうしようね、しかしね」
 ここでこうも言った先生でした。
「滋賀県は胡瓜も西瓜もいいね」
「そうだよね」
「琵琶湖のお陰だろうね、お野菜も」
「見たら質がいいしね」
「それだけで食べたら美味しいってわかるよ」
「そうだね、だからね」 
 それでというのです。
「僕達は後でね」
「河童さん達に渡して」
「それからだね」
「皆で食べる」
「そうするんだね」
「是非ね。胡瓜はお味噌を付けて」
 そしてというのです。
「食べて西瓜は切ってね」
「うん、そうしようね」
「是非ね」
「西瓜も食べようね」
「胡瓜に加えて」
「その時も楽しもうね」
 先生も食べたいですが今はです。
 河童が来るのを待っています、そんな中で先生は琵琶湖の穏やかな水面を見ました。青い水面に銀色の静かな波が見えます。
 その水面を見つつです、先生は皆にこうも言いました。
「河童さんの名前だけれど」
「あっ、佐吉さんって言ったね」
「そう名乗っていたね」
「そうだったね」
「石田三成さんの名前だね」
 安土桃山時代のこの人のというのです。
「佐吉というと」
「へえ、そうだったんだ」
「あの人佐吉っていう名前だったの」
「そうした名前だったんだ」
「そうだよ、前に話したと思うけれど昔は諱というものがあってね」
 人の名前のお話もするのでした。
「石田三成さんの場合は三成が諱なんだよ」
「それで誰もその名前では呼ばないんだよね」
「絶対に」
「そうした名前だったね」
「そうだよ、それに石田というのも本来の姓でなかったしね」
 こちらはそうだったというのです。
「日本の姓は四つとされていたんだ」
「確か源氏とね」
「あと平家と」
「藤原氏にね」
「橘氏だったね」
「この四つで」
 それでというのです。
「例えば織田信長さんもね」
「その名前ではだね」
「呼ばれなかったんだね」
「この人は平家だったから」
 それでというのです。
「平三郎となるんだ」
「そう呼ばれていたんだね」
「当時は」
「そうだったの」
「大抵は織田家だから織田三郎だったんだ」
 この呼ばれ方だったというのです。
「絶対に信長とは呼ばれなかったんだ」
「よくドラマや漫画や小説だとそう呼ばれているけれど」
「実は違ったんだね」
「信長さんはそう呼ばれていなかったんだ」
「だから徳川家康さんのお話でね」 
 先生はこの人のお話もしました。
「鐘に国家安康君臣豊楽と書かれたって豊臣家に抗議したとあるね」
「それ言い掛かりでね」
「そこから豊臣家との戦に持ち込んだってね」
「酷い話だよね」
「実はこれはなかったみたいだよ」
 この皆が言い掛かりだというお話はそれ自体がなかったことの様だとです、先生は皆に対してお話しました。
「これがね」
「その家康っていう名前が諱で」
「絶対に使うものじゃないから」
「それでなんだ」
「そうだよ、家康さんの方もこれはないってわかっていて」
 言い掛かりをつけたというこの人の方もというのです。
「それでね」
「そうしたことは言っていない」
「そうだったんだ」
「実は」
「まあこれは何かって豊臣家に聞いたかも知れないけれど」
 それでもというのです。
「すぐにわかったみたいでこの件は大事じゃなかった様だね」
「酷いお話と思ったら」
「実はそうしたお話がなかったとかね」
「歴史ではあるけれど」
「このこともなんだ」
「うん、問題は豊臣家はキリスト教を認めたから」
 このことをお話するのでした。
「それが幕府にとってはね」
「あっ、幕府キリスト教禁止していたからね」
「豊臣家がそれを認めたから」
「それが問題だったんだ」
「これが大坂の陣の直接の理由だったみたいだよ」
 戦争の原因はそちらだったというのです。
「どうもね」
「何かキリスト教の教えが幕府にとって邪魔だとか言われてたけれど」
「これも違うんだよね」
「キリスト教の布教から日本が乗っ取られることを警戒していて」
「何よりも民衆の人が海外で奴隷にされていたからだったわね」
「宣教師の人達に売られてね」
 そのうえでというのです。
「そうなっていることを豊臣秀吉さんが知ってね」
「物凄く怒ってだったね」
「キリスト教を禁止してね」
「海外で奴隷にされていた人達は買い戻してね」
「そうして助けたんだよね」
「家康さんは秀吉さんの重臣だったから」
 それでというのです。
「このことを知らなかった筈がないし」
「それでだね」
「家康さんもキリスト教禁止したんだね」
「そうしたんだね」
「そうだよ、そこで豊臣家がキリスト教認めたから」
 だからだというのです。
「もう幕府としてはね」
「見過ごせなくてだね」
「民衆の人達を奴隷として売られるから」
「それで看過出来なくて」
「戦になったんだ」
「そういう経緯だったみたいだね、あの鐘のお話はあったにしてもすぐに終わったお話だよ」
 これまでお話した事情によってです。
「本当に諱は使われないからね」
「それがわかっていないとね」
「日本の歴史は誤解するところがあるね」
「私達も日本に来て暫く知らなかったけれど」
「そうだったんだね」
「そうなんだ、それで佐吉さんと言うと」
 また河童の名前に戻りました。
「石田三成さんの名前だね」
「この滋賀県の人だし」
「まさにその人の名前だね」
「うん、実際に石田三成さんから付けられた名前かな」
 先生はこうも考えました。
「これは」
「そうかも知れないね」
「古い名前って思ったけれど」
「石田三成さんからかも知れないんだね」
「そのことを河童さん自身に聞いてみようかな」
「そうしてもいいわね」
 ダブダブが言ってきました。
「それも」
「そうだよね」
 ホワイティはダブダブの言葉に頷きました。
「河童さん自身にね」
「それじゃあ河童さんが来た時に聞こう」
「そうしたらいいわ」
 チープサイドの家族も賛成でした。
「もうすぐ来られるし」
「その時にね」
「河童さんがいいなら」
 それならとです、ジップも言います。
「教えてもらおうね」
「じゃあそのことも楽しみにしながら今は待とう」 
 トートーは先生にこう言いました。
「そうしていようね」
「あと五分位かな」
 チーチーは先生の時計をちらりと見て言いました、見れば先生は今は手に懐中時計を持っていてそれで時間を確認しています。
「河童さんが来られるまで」
「本当にあと少しだから」
 それでとです、ポリネシアも言います。
「ゆっくり待っていましょう」
「時間通りに来てくれるかな」
 こう言ったのはガブガブでした。
「河童さんは」
「日本人は時間通りに来るからね」
「妖怪さんもそうだと思うよ」
 オシツオサレツはガブガブに二つの頭で答えました。
「お静さんもそうだし」
「大丈夫だよ」
「こうしてお喋りをしていたらすぐに五分経つから」
 最後に老馬が言いました。
「待っていようね」
「うん、そうしていようね」
 先生も頷いてでした、皆とお喋りをしながら待ちました。そして五分経つと目の前の水面からです。
 河童達が出てきました、そうして先頭にいる河童が波止場に上がってきてそうして先生に言ってきました。
「先生、お待たせしました」
「時間通りだったので待っていないですが」
 先生は河童に笑顔で答えました。
「そこは、ですね」
「社交辞令ということで」
「日本の」
「はい、それとですが」
 ここでこうも言う河童でした。
「ビワコオオナマズですが」
「はい、そちらはですね」
「連れて来ました」
 幾人かの河童が大きな、もう何メートルもある水槽を出してきました。そこにです。
 一メートル位の物凄い大きさの黒い鯰が二匹いました、河童はその鯰を水かきのついた手で指し示しうつつ先生にお話しました。
「この鯰達がです」
「ビワコオオナマズですね」
「はい」
「そうですか、見ますと」
「大きいですね」
「かなり」
 実際にとです、先生は答えました。
「本当に一メートルありますね」
「本朝で一番大きな池や川の魚です」
「そう聞いていても」
「実際に見るとですね」
「やはり大きいですね」 
 先生は唸って言いました。
「オオサンショウウオを思い出しました」
「ああ、先生あの生きものも」
「はい、知っていまして」
「それで、ですね」
「今思い出しました」
 そうだったというのです。
「僕も」
「左様ですね」
「はい、それでなのですが」
 先生は河童にあらためてお話しました。
「これからですね」
「もう鯰達も承知しています」
「水族館に行くことを」
「むしろそちらでゆっくりとです」
「暮らしていきたいとですか」
「言っています」
「うん、そうだよ」
「私達もその考えよ」 
 水槽の中から鯰達も言ってきました、聞くと雄の声だけでなく雌の声もありました。
「夫婦で仲良くね」
「水族館で暮らしたいよ」
「安全だっていうし」
「お水もずっと奇麗だって聞いてるからね」
「そのことは保証するよ」
 先生は鯰達に微笑んで答えました。
「水槽の中でずっと安全にね」
「暮らせて」
「お水も奇麗なままなのね」
「そうだよ」
 その通りだというのです。
「だからね」
「うん、これからだね」
「私達は水族館に行くのね」
「すぐに車で神戸まで運んで」
 そうしてというのです。
「水族館の中で暮らしてもらうよ」
「それじゃあね」
「次はそちらで会いましょう」
「そういうことでね」
「じゃあね」
「先生またね」
 鯰達は先生と一時の別れの挨拶をしてでした。
 そうして田中さん達に引き渡されて水族館に向かいました、こうして遂にビワコオオナマズも八条学園の敷地内にある水族館に入りました。
 その後で、です。河童は先生達が用意してくれた胡瓜や西瓜達を見て言いました。
「これは多いですね」
「たっぷり召し上がって下さい」
「はい、いやここまで多いと」
 河童は先生に言うのでした。
「恐縮です」
「それだけのことをしてもらいましたから」
「いえ、私等がしたことは」
 それこそとです、先生にこうも言うのでした。
「少しのことなので」
「そう言われますか」
「はい、実際にです」
 河童は先生に自分達の考えをお話しました。
「鯰にお話して水槽に入れて持って来ただけで」
「それだけだからですか」
「ここまでは」
「いえ、僕達にとってはです」
 先生はその鯰に微笑んでお話しました。
「まだ足りないとさえです」
「思われていますか」
「それだけのことですから」
「遠慮なくですか」
「召し上がって下さい」
「そこまで言われるなら」
 それならとです、河童は先生に恐縮した態度で答えました。見れば他の河童達も恐縮していた態度です。
「喜んで」
「受け取ってそうして」
「いただきます」
「そういうことで、いややっぱりですね」
「胡瓜はですね」
「河童の大好物でして」
 それでというのです。
「我々はこれがあるとです」
「幸せですか」
「何よりも。それに西瓜も」
 こちらのお野菜もというのです。
「大好きで」
「それで、ですか」
「いただけるなら」
 それならというのです。
「これ以上幸せなことはないです」
「お金よりもですね」
「我々の暮らしにお金は然程大事でないので」
「そうした生活だからですね」
「本当にお金よりも遥かにです」
「胡瓜が大事ですね」
「それを頂けたら」
 それでというのです。
「幸せなのです」
「そうなのですね」
「はい」
 まさにとです、河童は先生に答えました。
「ですからこの度は」
「食べてくれますね」
「全てそうさせてもらいます」
「それでは」
「はい、それとですが」
 河童は先生にさらに言いました。
「全部滋賀県の胡瓜と西瓜ですね」
「それが何か」
「有り難いですね、最近実は滋賀県の胡瓜や西瓜はあまり食べていなかったので」
「他の都道府県のものをですか」
「それはそれで美味しいですが」
 それでもというのです。
「やはり昔から食べている郷里の味で」
「馴染みがありますね」
「私は特に佐和山のものが」
「佐和山ですか」
「実はそこの生まれで」
 それでとです、河童は先生に上機嫌でお話しました。
「名前は平佐吉公の三代前のご先祖に付けてもらったものです」
「石田三成さんですね」
「今はそう呼びますね」
「はい、そのことは知っています」
「あの方のお家は近江、今の滋賀県の土豪でして」
「そちらの家の方にですか」
「付けてもらいまして」 
 そしてというのです。
「その石田三成様、私達は治部様とお呼びしていますが」
「官職ですね」
「そちらで今もお呼びしていますが治部様には曽祖父様に名付けてもらった言うなら大叔父だとよくしてもらいました」
「そうでしたか」
「真面目で律儀でいい方でした」
「色々悪評が言われていますが」
「それは全部出鱈目で」
 嘘でというのです。
「実はです」
「とてもいい方でしたね」
「これは平三郎様、右大臣様も同じで」
「織田信長さんですね」
「剽軽で思いやりがあって冷静で」
 そうした人でというのです。
「いい方でしたよ」
「そうでしたか」
「私等があの方の船に上がったら柿や餅をくれて一緒に宴も楽しみましたし」
「胡瓜もその時に」
「食べました、ですが私等の酒を差し出しても」
「あの人はお酒は飲まれなかったとか」
「はい、ですから」
 その為というのです。
「お茶や甘いものがお好きで」
「お酒は飲まれなかった」
「とにかくです」
「お酒はですね」
「飲まれなかったです」
「史実で聞いていた通りでしたね」
 先生は河童のお話を聞いてしみじみと思いました。
「まことに」
「はい、あとです」
「あと、とは」
「比叡山とも仲がよくて」
 河童は先生に笑ってこうもお話しました。
「よく上がっています」
「そうでしたか」
「お参りもしています」
「昔からそうされていますか」
「人に化けて。ただあちらに長くいる方はご存知です」
 比叡山に長い間いる人はというのです。
「私達河童が比叡山に入っていることは」
「そしてお参りしていることは」
「日吉大社の方も」
「そうでしたか」
「化けると言っても変装位ですが」
「狐や狸の様にはいかないですか」
「私等はあそこまで上手に化けられないので」
 だからだというのです。
「それは無理です」
「そうですか、だから変装位ですか」
「そうなのです、ですが比叡山と我々琵琶湖の河童はそれこそ千年以上位から馴染みで」
「古いですね、千年以上とは」
「そうですね、そしてそれだけにです」
 千年以上のお付き合いがあるからだというのです。
「あちらの歴史にも詳しいつもりです」
「比叡山の方も」
「伝教大師の頃からですから」
「それは本当に古いですね」
「開山の頃からですので」
 もうその頃からと聞いてです、動物の皆は驚きましたが先生は至って冷静なままです。そうしてです。
 先生はそのまま河童のお話を聞いています、そうして言うのでした。
「では歴史の書には載っていないことも」
「いえ、実は」
「そこまでは、ですか」
「比叡山のことは昔からよく書かれていてです」
「歴史に細かく残っているからですか」
「誰かの日常位で」
 河童達が知っていることはというのです。
「歴史にあったお話の舞台裏等は」
「もう、ですね」
「歴史の書にある通りです」
「そうでしたか」
「はい、ですから」
 河童は先生にさらにお話します。
「特に先生が知りたい様なお話はです」
「ないですか」
「そうかと」
「そうですか」
「先程の織田信長さんのことですが」
「比叡山の焼き討ちですね」
「あちらは最近わかった通りで」
 それでというのです。
「山の全てを焼き尽くしたり虐殺したり等は」
「していないですか」
「あの人は確かに思い切ったことをする人でしたが」
「残酷でもですね」
「無道なことはしない人だったので」
 だからだというのです。
「むしろ室町幕府の六代の」
「足利義教さんですね」
「あの人の方がです」
 むしろというのです。
「酷かったですね」
「比叡山の焼き討ちについても」
「とにかくあの人は私等から見ても」
「苛烈過ぎましたか」
「見ていて何時かとんでもないことになると思っていましたら」
 そう考えていたらというのです。
「実際にです」
「ああなってしまいましたね」
「やはり酷いするべきではないですね」
「その通りですね、とはいっても」
 ここで先生はこうも言いました。
「我が国はもっと酷い国王陛下がおられました」
「そうなのですか」
「ヘンリー八世という方は」
 先生はここで河童達にその人のことをお話しますとさしもの河童達もそれはというお顔になって言いました。
「それはまた」
「酷いですね」
「幾ら何でも」
「もうそこまでいきますと」
「本朝ではいませんね」
 河童達は口々に言いました、佐吉さんだけでなくです。
「無茶苦茶ですね」
「何から何まで」
「よくそんな人がいられましたね」
「六代様より酷いです」
 その足利義教さんよりもというのです。
「まことに」
「あの方も無道でしたが」
「まさに暴君ですね」
「そう言っていいですね」
「そのせいかです」
 ヘンリー八世という人があまりにも酷い王様だったからというのです。
「我が国では以後ヘンリーという名前の王様は出ていません」
「王家の方にはおられましたね」
「はい、ですが」  
 それでもとです、先生は佐吉さんに答えました。
「本当に今まで」
「その人からですか」
「その名前の王様は出ていません」
「そこまで評判が悪いですか」
「特に女性に」
「それはなりますね、私の女房に話しても」
 佐吉さんは真面目にお話しました。
「そんな人は嫌いになりますよ」
「そうですね」
「あんまりです、浮気をして王妃を次々を交換するだけでもどうかですが」
「濡れ衣を着せて処刑していくことは」
「その都度揉めごとを引き起こしていますし」
 ヘンリー八世という人はです。
「しかもお金の使い方は酷くて家臣の人達もですね」
「沢山処刑しました」
「まさに暴君ではないですか」
「だから今ではとても評判が悪くて」
「その名前の人は出ていないですね」
「そうです」 
 実際にというのです。
「国王としては」
「それも当然ですね」
「そして日本ではですね」
「幸いそこまでの人は出ていないですね」
「そのことも日本にとっていいことですね」
「そう思います」 
 佐吉さんは心から言いました。
「いや、有り難いことです」
「そうですね」
「確かに六代様は暴君でしたが」
「ヘンリー八世程でなく」
「因果を受けましたし」
「ヘンリー八世は天寿を全うしたので」
「やはり暴君は因果を受けるものです」
 どうしてもとです、佐吉さんは強い声で言いました。そうしてそのうえで先生に対してあらためてお話しました。
「六代様の様に。織田信長さんは暴君ではなかったですが」
「むしろ名君でしたね」
「ですから民衆には凄く慕われていました」
 それが織田信長さんの真実だったというのです。
「善政を敷いていましたし」
「そこも本当に違いますね」
「浅井長政さんのことも最後の最後まで降ればです」
「助けるつもりでしたか」
「本当に暴君ではなかったです」
「そうでしたか」
「はい、ただ井伊直弼さんですが」
 佐吉さんは自分からこのことをお話しました。
「あの人は確かに評判が悪いですが」
「彦根以外ではそうですね」
「はい、ですが」
「それでもですね」
「最初はそうした人ではなかったです」
 佐吉さんは先生に遠い目になってお話を続けました。
「もう世に出ることはないと思ってずっと学問や武芸や芸術に励まれていて」
「埋もれていましたか」
「寂しそうにしている人でした」
「そのことは歴史にある通りですね」
「ですが藩主になられて」
「そしてですか」
「ああなった人で」
 それでというのです。
「道を間違えたんです」
「本来はああなる人ではなかったですね」
「はい」
 実際にというのです。
「藩主になって大老になられて」
「どうも幕府を守ろうと過度に意識して」
「ああなってしまったので」
「ヘンリー八世とは違いますね」
「その人の様まで無道ではないかと」
「僕もそう思います、あの人のしたことは許されることではないですが」 
 安政の大獄でしたことはというのです。
「ですが」
「それでもですね」
「元は世に出られないと諦めて己を高めようと努力しているだけの」
「寂しい人だったとですね」
「僕も思います、道を間違えた人でした」
「そうでしたね、ですが」
 それでもとです、佐吉さんは先生にお話しました。
「先生はよくご存知ですね」
「歴史のこともですか」
「この滋賀県の人達のことも」
「学問が好きなので」
「それで学ばれていますか」
「そうしています」 
 実際にというのです。
「それだけです」
「そうですか」
「そしてこれからも学問はです」
「続けられますね」
「僕の生きがいなので」
 先生は佐吉さんに微笑んで答えました。
「続けていきまして」
「滋賀県のこともですね」
「学んでいくつもりです」
「それもあらゆる学問をですね」
「そうしていきたいです」
「そうですか、応援させて頂きます」
 佐吉さんがそう言うと、でした。
 佐吉さんの後ろにいる他の河童達も笑顔で頷きました。応援しているという返事でした。
「先生のこれからについて」
「そうして頂きますか」
「是非。ではまた機会があれば」
「その時にまた」
「お会いしましょう。では胡瓜と西瓜は」
「楽しんで下さい」
 そちらはと言うお話もしてでした。
 先生達は河童達に胡瓜と西瓜を渡したことを確認したうえで別れました、その後でです。
 先生は波止場を後にしてまた水質調査をして三時にはティータイムを楽しみました。ミルクティーにスコーンとエクレア、苺のケーキの三段のセットです。
 それを楽しむ中で動物の皆は先生に言いました。
「無事にだね」
「ビワコオオナマズも水族館に来てもらったし」
「これでだね」
「安心ね」
「うん、これでね」
 まさにというのです。
「琵琶湖での仕事は終わったよ」
「そうだね」
「あと少しで滋賀県を後にしないといけないけれど」
「ビワコオオナマズも見付かったし」
「これで万々歳ね」
「うん、本当にね」
 実際にとです、先生は紅茶を飲みつつ笑顔でお話しました。先生が一番好きなお茶であるホットミルクティーは今日も美味しいです。
「よかったよ」
「そしてね」
 ここでホワイティが言ってきました。
「今は紅茶を楽しんでいるんだね」
「ティーセットもね」
 食いしん坊のガブガブも楽しんでいます。
「美味しいしね」
「やるべきことが終わって楽しむティーセットはね」
「また格別だね」
 オシツオサレツも心から楽しんでいます。
「ほっとして一服する」
「こんないいことはないよ」
「そうそう、じゃあね」
 今度はジップが言いました。
「今は楽しもうね」
「こうしてね」
 チーチーはスコーンを食べています。
「皆で食べて飲もうね」
「いや、しかしね」
 老馬が言うことはといいますと。
「やっぱり三時はこれだね」
「もうこれがないとね」 
 ティーセットがとです、ダブダブも言います。
「三時って気がしないわ」
「僕達はそうだね」
「先生も大好きだし」
 チープサイドの家族もティーセットを満喫しています、そのうえでの言葉です。
「だからね」
「皆で楽しみましょう」
「本当にお仕事が終わってほっとしてるし」
 トートーもくつろいでいます。
「こうした時には一番美味しいね」
「じゃあ今はくつろぎましょう」 
 最後にポリネシアが言います。
「皆でね」
「そうだね、僕も正直今凄くほっとしているよ」
 先生もこう言います。
「ビワコオオナマズの件が終わったからね」
「そうだよね」
「それじゃあね」
「皆でティーセットを楽しんで」
「そしてくつろぎましょう」
「そうしようね、しかし」
 先生は紅茶を飲みつつこうも言いました。
「一つ思うことはね」
「一つ?」
「一つっていうと」
「何があるのかな」
「この紅茶は琵琶湖のお水を使っているけれど」
 それで淹れた紅茶だというのです。
「実に美味しいね」
「うん、水質いいよ」
「だから凄く美味しいわ」
「大阪や京都は琵琶湖から流れる淀川の水を使っているけれど」
「いいお水ね」
「全くだよ、だからね」 
 それでとです、先生はさらに言いました。
「幾らでも飲めるよ」
「そうだよね」
「ここに来た時から美味しいって思っていたけれど」
「それでもね」
「今も思うね」
「素敵な味ね」
「本当にね、それでね」
 先生は皆にさらにお話します。
「皆もどんどん飲んでね」
「そうさせてもらうね」
「ほっとしているところで余計に美味しいから」
「それじゃあね」
「飲ませてもらうよ」
「是非ね、しかしこの美味しい琵琶湖のお水も」 
 先生は飲みつつ考えるお顔になってこうも言いました。
「一時は水質が問題になっていたからね」
「それだね」
「だから先生達も調査していたね」
「果たしてどうなのかって」
「今の琵琶湖の水質は」
「そうしていたしね」
「それは昔琵琶湖の水質汚染が問題になったからだよ」
 このことがあってというのです。
「それでだったんだよ」
「もうかなり汚れていて」
「それでだったね」
「必死に改善に乗り出して」
「それでだね」
「そう、やっとね」
 それでというのです。
「琵琶湖の水質がよくなったんだ」
「そうだよね」
「必死の努力の結果だね」
「汚れていたものを奇麗にした」
「そうしたね」
「そうだよ、汚したものは奇麗にしないとね」 
 このことはどうしてもというのです。
「そうだね」
「そこにいる生きものも大変なことになるし」
「それに人も困るしね」
「だからだよね」
「そう、環境のことはね」
 もうそれこそというのです。
「自分達の問題だからね」
「そうだよね」
「だからしっかりしないと駄目だね」
「しっかりと奇麗なままで維持する」
「それも自分達でね」
「そうしないと困るのは誰か」 
 それはといいますと。
「やっぱりね」
「自分達だよね」
「汚すのも人間ならね」
「奇麗にするのも人間だね」
「そういうことだね」
「そして奇麗な場所を見ていきたいなら」
 そうも思うならというのです。
「自分達の手で守っていって」
「そして汚れたら」
「その時はだね」
「奇麗にする」
「お掃除みたいなものだね」
「そう、そしてそれは誰でも出来ることだよ」
 先生はこうも言いました。
「それこそね」
「環境を守って奇麗にすることはね」
「それはだね」
「お掃除と同じで」
「出来ることだね」
「むしろお掃除は身体が満足に動かないと出来ないね」
 先生はこうも言いました。
「そうだね」
「うん、それはね」
「どうしてもね」
「お掃除も身体がしっかりしていないとね」
「障害があったりするとね」
「難しいよ」
「そのことはあるよ」
 どうしてもというのです。
「その場合はね」
「そうだよね」
「どうしてもね」
「そのことはあるよね」
「けれどね」
 それでもとです、先生はさらにお話します。
「環境は政府や自治体が行うね」
「だから政府や自治体が健全だったら」
「出来ることだね」
「誰でもね」
「そのつもりがあったら」
「だから意識して」
 そしてというのです。
「やっていくべきことだよ」
「そうだよね」
「じゃあこれからもだね」
「琵琶湖の水質を守っていく」
「そうしていくべきだね」
「そうしていかないとね」
 先生は紅茶をお代わりしつつさらに言いました。
「よくないよ」
「そうだよね」
「先生は環境についてもしっかりとした考えを持ってるからね」
「環境のことをしっかりと学んでいるから」
「それで確かなことが言えるね」
「うん、学問をしてこそ」
 まさにというのです。
「環境もわかるよ。環境に無関心もよくないけれど」
「過剰になることも駄目だよね」
「そのこともね」
「かえってよくないよね」
「そうした人もいるね」
「菜食主義も過ぎたり人に押し付けると」
 自分はいいと思っていてもとです、先生は言葉の中にこの言葉も入れてそうして皆にお話をするのでした。
「その場合はね」
「害になるよね」
「お薬も毒になるけれど」
「環境や菜食についでもね」
「同じだね」
「そうだよ、そうなるから」
 だからだというのです。
「中庸、つまり程度を理解してね」
「それを守る」
「そのことが大事だよね」
「何といっても」
「そうだよね」
「何でもね」
 環境や食事もというのです。
「それが大事だよ」
「若しそれを間違えると」
「他の人にも迷惑をかけるし」
「環境にとってもよくなかったりするよね」
「かえってね」
「あまりにも腐ったヘドロには微生物すらいなくなるよ」
 先生はこうも例えました。
「そしてあまりにも奇麗なお水にもだよ」
「微生物すら住めない」
「奇麗過ぎることは汚過ぎることとは変わらない」
「どちらも過ぎることだから」
「同じなのね」
「だからね」
 その為にというのです。
「僕達はそのことも気をつけないとね」
「程々って大事だね」
「まさにね」
「そして先生はいつもそのことを気をつけている」
「そうだね」
「うん、僕もね」
 本当にとです、先生は皆にお話しました。
「いつも気をつけているよ」
「うん、それも先生だよ」
「程々が出来ることがね」
「決してやり過ぎない」
「それも出来ているからね」
「無理もしない様にしているけれど」
 それはどうしてかといいますと。
「それは無理をしたら後で来るね」
「確かにね」
「それはあるね」
「かえって後で動けなくなってね」
「ペースが落ちたりとか」
「だからね」
 その為にというのです。
「僕はいつも無理をしないでね」
「程々だね」
「程々でやってるね」
「何でも」
「そうしているね」
「そうしているんだ、ただね」
 先生はここで少し苦笑いになってこうも言いました。
「紅茶、特にミルクティーはね」
「飲み過ぎるんだ」
「お茶については」
「ついつい」
「そうなってしまうね」
 大好物のこちらはというのです。
「お砂糖を入れている時でも」
「ああ、あるね」
「先生いつも紅茶飲み過ぎるね」
「特にミルクティーはね」
「凄く飲むね」
「それだけはだね」
 こう自分で言うのでした。
「それは」
「まあそれ位はいいんじゃない?」
「紅茶位は」
「ついつい飲み過ぎても」
「その分動けばいいしね」
「そうなんだね、じゃあこれからもね」
 まさにというのです。
「程々でね」
「やってくね」
「そうだね」
「それじゃあね」
「やっていこうね」
「これからもね」
「是非ね」
 先生は皆に笑顔で応えました、そうしてこの時も紅茶を飲み過ぎてしまいました。あまりにも好きなので。








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