『ドリトル先生と琵琶湖の鯰』
第九幕 河童に出会って
先生は皆と一緒に琵琶湖で鯰を探し続けています、その中で。
ふとです、先生は一緒に船に乗っている田中さんに尋ねました。
「あの、河童ですが」
「日本の妖怪のですね」
「はい、河童は琵琶湖にもいるでしょうか」
「河童は日本の何処にでもいますからね」
田中さんは先生にこう答えました。
「北海道にも近いのがいますね」
「ミンツチカムイでしたね」
「そうです、そうした妖怪というか精霊みたいなのがいますし」
「沖縄にもでしたね」
先生はこちらの地域のことは自分から言いました。
「強いて言うならキジムナーが近いですね」
「八条学園にもいるといいますね」
「はい、ガジュマルの木に住んでいるので」
そのキジムナーはというのです。
「学園にガジュマルの木がありますから」
「他ならぬその木が」
「ですから」
それでというのです。
「学園にもいると言われていて」
「見た人も多いですね」
「私もあの学園の出身ですが」
田中さんは先生に笑ってお話しました。
「何しろ幽霊や妖怪のお話が多くて」
「世界屈指の心霊及び妖怪スポットでしたね」
「在学中ずっとそうしたお話を聞いていまして」
「キジムナーのこともですね」
「そうでした」
「そういえばあの学園にも河童のお話がありますね」
先生はここで思い出しました。
「あちらにもいますか」
「本当に日本中にいますからね」
河童はというのです。
「ですから」
「琵琶湖にもですね」
「いてもです」
それでもというのです。
「不思議ではありません」
「そうなのですね」
「ですから」
田中さんは先生にさらにお話します。
「若しかしたらですが」
「出会えるかも知れないですね」
「ここは人魚のお話もありますし」
「淡水人魚ですね」
「そうなんです、人魚が出たというお話もあるんです」
琵琶湖にはというのです。
「海だけでなく」
「日本では琵琶湖にも出ますね」
「僕は海から淀川を上って琵琶湖に来たのかと思ってますが」
「人魚のお話があるのは事実ですね」
「そうなんです」
「日本の人魚といいますと」
先生は穏やかなお顔でお話しました。
「お顔が」
「欧州の人魚とは違いますからね、日本の人魚は」
「猿に似ていますね」
「そうです、欧州の人魚は美女ですが」
それがというのです。
「日本の人魚はそうなっています」
「左様ですね」
「そしてその肉を食べますと」
「八百歳まで生きられますね」
「そう言われています、非常に美味しくて」
「そうですね、ですが八百歳も生きますと」
どうかとです、先生は遠い目になって言いました。
「別れも多いですね」
「八百比丘尼のお話ですね」
「あのお話を聞いて僕も思いました」
先生にしてもというのです。
「どうもです」
「そこまで長く生きるとなると」
「人は普通に生きていても別れがあります」
「そのことは避けられないですね」
「それが八百年ともなると」
「自分だけが生きていて」
「他の人はどんどん先立っていきます」
そうなってしまうというのです。
「これは非常にです」
「悲しいことですね」
「そして辛いことなので」
だからだというのです。
「僕としましては」
「若し人魚の肉を食べる機会があってもですね」
「遠慮したいですね」
「そう考えています」
「左様ですか」
「はい、しかし河童についても調べてきましたが」
先生は田中さんにあらためて河童のお話をしました。
「ですが」
「それでもですか」
「本当に何処にでもいるのですね、日本の」
「そうですね、遠野が有名ですが」
「九州にもお話があって」
「他の地域もです」
「それこそ日本中ですね」
先生は田中さんに言いました。
「お話があるのは」
「そう言っていいです」
「やはりそうですね」
「鬼やツチノコと同じですね」
「ツチノコも妖怪と思われていましたね」
「野槌という妖怪がそうですね」
この妖怪がというのです。
「ツチノコと同一視されていまして」
「そしてツチノコもですね」
「日本全国にです」
それこそというのです。
「いると言われています」
「バチヘビという地域もありますね」
「文字通りノヅチと呼ぶ地域も」
即ち野槌です。
「そうした地域もあります」
「ツチノコにも会ってみたいですね」
先生は笑ってこうも言いました。
「出来れば」
「そうですね、本当にいればです」
「大発見ですね、生物学上の」
「そう思います、ただ」
こうも言う田中さんでした。
「ツチノコは不思議な生きものですね」
「蛇と言われていますが」
「蛇にしましては」
どうもというのです。
「いびきをかいたりして」
「おかしなことが多いですね」
「お酒を好むといいますし」
「本当に妖怪かも知れないですね」
「僕もそう思います」
先生に真剣なお顔で答えました、動く船の中で。
「ツチノコは」
「その可能性は否定出来ないですね」
「蛇というか爬虫類にしてはです」
「お話が真実とするなら」
「おかしなことが多いので」
だからだというのです。
「どうも」
「左様ですね」
「はい、まことに」
このことはというのです。
「思えて仕方がないです」
「そのことも気になりますね」
「そうなんですよね」
「だから本当に妖怪ではとですね」
「思います、これは河童もですね」
「河童は未確認生物説もありますね」
「はい、ですが」
それでもというのです。
「甲羅を背負っていますし」
「爬虫類とですね」
「思う時もあります」
「爬虫類が進化した生物ともですね」
「思う時もありますね」
「そうですね」
こうしたお話をしながらです、先生は田中さんそして動物の皆と一緒にビワコオオナマズを探します、ですが。
お昼まで探しても見付かりません、田中さんはお昼になると別の場所に行きましたが先生はといいますと。
一旦船から下りて田中さんと一時のお別れをしてです、波止場でお弁当を食べました。勿論皆も一緒です。
お弁当は鮎のお弁当です、先生はそのお弁当を食べながら皆に言いました。
「またね」
「うん、午後もだね」
「船で湖に出て」
「そうしてだね」
「ビワコオオナマズを探すんだね」
「そうするよ、けれど本当にね」
先生はここで困ったお顔で言いました。
「鯰だけあってね」
「普段は湖の底にいるから」
「だからだね」
「中々見付からないね」
「どうしても」
「それがね」
このことがというのです。
「困ったものだね」
「先生泳げないしね」
「それに潜水も出来ないし」
「湖の底には行けないから」
「だからだね」
「どうしようかってね、田中さん達ともお話をしていて」
そしてというのです。
「ダイバーの人にお願いしてね」
「湖の底まで行って」
「そうしてだね」
「ビワコオオナマズを捕まえて」
「そうして水族館までなのね」
「そうしようってお話をしているけれど」
それでもとです、先生は鮎をおかずにご飯を食べつつ皆にお話します。
「それはあくまで最後で」
「やっぱり見付けて」
「先生としてはそこでお話して」
「水族館に来てもらいたいのね」
「そう考えているよ」
これが先生のお考えでした。
「やっぱり相手の意志を尊重したいしね」
「琵琶湖に残るか水族館で暮らすか」
「そのことはだね」
「相手のお話を聞いて」
「それから決めたいね」
「お話が出来るなら」
それならというのです。
「是非そうしないとね」
「そうだよね」
「折角先生は生きものとお話が出来るから」
「お魚とも会話が出来るし」
「それならね」
「折角ポリネシアに教えてもらったんだ」
お魚の言葉もというのです。
「役立てないとね」
「お話出来ないなら出来る様になるってもね」
「先生言ってるしね」
「じゃあここはね」
「ビワコオオナマズともお話をしましょう」
「是非ね」
「絶対に無理強いはしないことは先生の美徳だよ」
ホワイティはここで先生に言いました。
「相手を尊重してね」
「どんな生きものにもそうだから」
「だからこそ皆先生が好きなのよ」
チープサイドの家族も先生に言います。
「本当の意味で紳士で」
「公平な人だから」
「僕達にもそうだしね」
トートーも先生を笑顔で見て言います。
「そのことがどれだけ嬉しいか」
「それでビワコオオナマズについても」
ジップは先生のすぐ傍にいて言ってきました。
「相手のお話を聞いてから決めたいんだね」
「先生がそうした人だから」
それでとです、老馬も言いました。
「田中さん達も今回お誘いしたしね」
「だから僕達としても」
「ビワコオオナマズと会いたいよ」
オシツオサレツも二つの頭で言います。
「水面に出て来てね」
「そこで会ってお話をしたいね」
「それで相手が納得したら」
その時にとです、ダブダブが言いました。
「水族館に来てもらうってことでね」
「それでいけたらいいわね」
ポリネシアもこうした考えです。
「本当に」
「けれど鯰だからね」
チーチーは鯰の行動から思うのでした。
「それは中々だね」
「普段水底にいるし夜行性だったかな」
最後にガブガブが言ってきました。
「なら見付けにくいね」
「うん、夜に水辺で何かすることは危険だから」
特に泳げない先生はです、そのことは本当によくわかっています。そのうえで今回琵琶湖で頑張っているのです。
「早朝にしているけれどね」
「そうそう、夜の水辺は危ないよ」
「下手にお水の中に落ちたりしたら」
「先生の場合特に泳げないから」
「よくないよ」
動物の皆も先生がカナヅチであることを知っていて言います。
「それは絶対に止めようね」
「何かあってからじゃ遅いから」
「確かに夜行性の生きものもいるけれど」
「夜の水辺は本当に危険だから」
「うん、夜釣りも夜行性のお魚を釣れるけれど」
そのことが楽しみでもというのです。
「やっぱりね」
「夜だからね」
「見えないからね」
「本当に危険だよね」
「アカエイとか釣ってね」
そうしてというので。
「アカエイは毒針があるね」
「そうそう、尻尾の付け根にね」
「鉛筆みたいな凄いのがあるから」
「そんなの下手に釣ったら」
「大変なことになりかねないよ」
「そう、だからね」
だからだというのです。
「夜釣りも危険だよ」
「若し下手に海に落ちたりしたら」
「泳げなくても危険だし」
「しかも鮫だって実は夜の方が活動的だし」
「海に落ちたらね」
「本当に大変なことになるから」
それでというのです。
「夜の水辺は気をつけないとね」
「若し万全じゃないと思ったら」
「絶対にしたら駄目だよね」
「先生もそれがわかっているからね」
「しないのよね」
「そうだよ」
その通りだというのです。
「僕もね」
「そうだよね」
「先生にしてもだよね」
「今回も夜は動かずにね」
「ホテルで休んでいるんだね」
「そうしているよ、本当にね」
実際にというのです。
「そこは気をつけているよ」
「賢明だと思うよ」
「やっぱりそれがいいよ」
「慎重でないとね」
「学問についても」
「そういうことだよ」
こう言ってです、先生は皆と一緒にご飯を食べます。そこで先生は皆に今度はこんなことを言いました。
「しかし鮎はいいね」
「うん、凄く美味しいね」
「先生も好きだよね」
「日本に来てからよく食べる様になってるね」
「そうだよね」
「うん、日本に来て」
そうしてというのです。
「それから食べる様になったけれど」
「鮎もね」
「そうでね」
「お気に入りのお魚の一つになったね」
「先生にしても」
「そうなったよ、それとね」
先生はさらに言いました。
「鮎に欠かせないものもあるね」
「そうそう、柚か酢橘」
「レモンでも代わりが出来るけれど」
「柚とか酢橘のお汁をかけるとね」
「さらに美味しくなるんだよね」
「だから今回は酢橘をかけているけれど」
その絞ったお汁をです。
「これがね」
「美味しいよね」
「僕達もそう思うよ」
「ただでさえ美味しい鮎がさらに美味しくなって」
「病みつきになる位だよ」
「これだけ美味しいお魚は」
本当にとです、先生はそうした口調でお話しました。
「そうそうないからね」
「うん、他にも美味しいお魚は沢山あっても」
「鮎はまた特別なところがあるよね」
「焼いた鮎の美味しいこと」
「確かにそうそうないね」
「この言葉は結構色々なお魚に言っている気がするけれど」
それでもというのです。
「鮎もそうだね」
「それを言うとそうだね」
「どんなお魚にも言えるね」
「こうしたことはね」
「本当にね」
「お魚でこう言うことも」
このこともというのです。
「僕の変わったことだね」
「イギリスでお魚あまり食べないからね」
「鮭とか鱒とか鱈位だね」
「鰻も食べるけれどね」
「どうしても魚介類は弱いよね」
「お料理全体が駄目とかずっと言われ続けているし」
「ロブスターや牡蠣を食べても」
それでもというのです。
「食材の種類もメニューもね」
「少ないよね」
「どうしても」
「そうだよね」
「だからね」
先生はさらに言いました。
「日本に来てだよ」
「それでだよね」
「お魚をよく食べる様になったし」
「その味にもね」
「色々楽しむ様になったね」
「うん、思えば」
こうも言うのでした。
「鰊のパイはね」
「あれは、だよね」
「イギリス料理の一つだけれど」
「鰊をただパイにしただけで」
「下ごしらえもしていなかったりするし」
「味はね」
「見栄えだって」
「日本であのお料理を出したら」
それこそというのです。
「大変なことになるよ」
「お店でも家庭でもね」
「大変なことになるよね」
「その時は」
「うん、ザリガニのパイも酷いしね」
こちらのお料理もというのです。
「どうもね」
「そうなんだよね」
「どっちもただパイに包んだとかね」
「パイの中に入れたとかね」
「そんなお料理だからね」
「日本じゃ論外だよね」
「そうなんだよね、けれどね」
それでもというのです。
「日本ではね」
「色々なお魚が色々なお料理で楽しめる」
「しかもちゃんと下ごしらえもしてるし」
「鱗や内臓も取ってね」
「事前の味付けや切ることもしているから」
「いいんだよね」
「そうなんだよね」
先生は皆に笑顔でお話します、そこにです。
ふとです、先生に声がかかってきました。
「ドリトル先生ですかな」
「?そうですが」
先生がその声の方を振り向くとです。
そこには緑の肌で手足に水かきがあり背中に甲羅、頭にお皿、そして口は嘴という外見の妖怪がいました。
その妖怪を見てです、先生はすぐに言いました。
「貴方は河童ですね」
「はい、河童の佐吉といいます」
河童は先生に笑って答えました。
「誰かと思って声をかけましたが」
「僕のことをご存知ですか」
「先生は動物だけでなく妖怪の間でも有名なので」
だからだというのです。
「わしも知っております」
「そうだったんですね」
「はい、京都の狐や松山の狸と獺の話で」
それでというのです。
「わし等妖怪にも話が伝わっていて」
「ああ、ああした時のことですか」
「姫路城のことも」
「宴のことですね」
「有名になっていまして」
「貴方も僕のことをご存知ですか」
「そうなのです」
こう先生にお話します。
「わし等琵琶湖の河童も先生は知っています」
「それで僕の外見のこともですね」
「おおよそどんな人かも聞いていまして」
先生の外見のこともというのです。
「それで、です」
「僕がわかりましたか」
「そうです、白人で大柄で太っていてお鼻が丸くて金髪で」
そうしてというのです。
「スーツとなりますと」
「わかりますか」
「帽子も被ってますし」
「いつも正装ということもですね」
「そうした人は目立ちます」
どうしてもというのです。
「まことに。ですから」
「わかってですか」
「はい、そして」
そのうえでというのです。
「先生にお会いしたいと思っていたところ」
「ここで、ですね」
「お見かけしたので声をかけた次第です」
「そうでしたか」
「それでどうしてこちらに」
河童は先生に尋ねました。
「いらしてるんでしょうか」
「はい、実は」
先生は河童に自分がどうして琵琶湖に来ているのかお話しました、そのお話を最後まで聞いてからです。
するとです、河童は納得したお顔になって言いました。
「そういうことでしたか」
「それでこちらに来ています」
「そうでしたか」
「はい、後はです」
「あの鯰だけですか」
「それがどうしても見付からなくて」
「あの鯰はいますよ」
ビワコオオナマズはとです、河童は先生に答えました。
「この琵琶湖に」
「そうですか」
「底の方に」
「だからですね」
「水面や水辺ばかり探しても」
それではというのです。
「見付かりません」
「やっぱりそうですね」
「はい、そこはです」
どうしてもというのです。
「仕方ありません」
「そうですね」
「はい、ですから」
それでというのです。
「あの鯰に水族館に来て欲しいなら」
「それならですね」
「水の底に行くか」
若しくはとです、河童は先生にさらにお話しました。
「わし等の力を借りるか」
「河童さん達のですか」
「はい、琵琶湖はわし等の縄張りです」
「だからですか」
「魚も皆わし等の馴染みで」
それでというのです。
「話も出来ますから」
「だからですか」
「はい、あの鯰とも話して」
「そしてですね」
「水族館に行ってもいいと言う奴を先生のところに連れて来ます」
「そうしてくれますか」
「それでどうでしょうか」
河童は先生に笑ってお話しました。
「ここは」
「願ってもない申し出ですね」
「それでは」
「ですがそうして下さるとなると」
それならとです、先生はさらに言いました。
「こちらもお礼が必要ですね」
「河童へのお礼は一つです」
「胡瓜ですか」
「それさえ頂ければ」
河童の大好物のそれをというのです。
「文句はありません」
「胡瓜だけでいいですか」
「はい、それなら」
「西瓜もどうでしょうか」
「西瓜もですか」
「西瓜もお好きかと思いますが」
河童はというのです。
「僕としましては」
「嫌いではないというか」
「お好きですね」
「はい」
実際にというのです。
「胡瓜の仲間ですからね」
「西瓜はそうですね」
「形や大きさは違いますが」
それでもというのです。
「あの匂いも味も」
「では」
「はい、そこまでして頂けるなら」
胡瓜だけでなく西瓜までつけてくれるならというのです。
「喜んで」
「では明日この時間またここで」
「胡瓜と西瓜を持って来てくれますか」
「そうさせて頂きます」
「それでは」
こうしてでした、先生は明日この時間にまたこの波止場に来ることになりました。そのお話が終わってです。
先生は田中さんに携帯で河童とのお話をして胡瓜と西瓜の手配もお願いしました、田中さんも快諾してくれました。
しかしここで、です。動物の皆は田中さんとのお話を終えた先生に言いました。
「河童と会ったのははじめてだったけれど」
「先生全然平気だったね」
「そうだったね」
「これといってね」
「何もなかったね」
「うん、それはね」
特にというのです。
「河童がどういった存在かわかっていたからね」
「怖がることもなくて」
「それで普通に接していたんだ」
「そうだったんだね」
「そうだよ」
だからだというのです。
「僕はね」
「そうだったんだ」
「別に怖くなくて」
「それでだね」
「普通にやり取りも出来たんだね」
「そういうことだよ、相手が妖怪でもね」
人間でも生きものでなくてもというのです。
「僕は元々怖がらないね」
「そうだよね」
「これといってね」
「先生は怖がらないね」
「相手が誰でも」
「そうしているよ」
これといってというのです。
「普段からそうだね」
「そういえば姫路城でもそうだったね」
「妖怪のお姫様にもだね」
「普通に接していたね」
「人間でも生きものでもないって怖がることなく」
「平等だったね」
「人間でもとんでもない人もいるしね」
そうした人もというのです。
「そうだね」
「いるね、中には」
「おかしな人が」
「姿形が人間でもね」
「心が人間でない人も」
「逆に妖怪でも心が人間ならね」
それならというのです。
「僕は別に警戒する必要はないと思うしね」
「というか」
老馬がここで先生に言いました。
「先生の言う通り心がどうかだよね」
「さっきの河童さんは紳士だったしね」
「礼儀正しくて丁寧で」
オシツオサレツは河童のお話をします。
「雰囲気も感じたけれど」
「悪いものじゃなかったよ」
「目は口程にっていうけれど」
ダブダブは河童のそちらに注目していたみたいです。
「目が澄んでいたしね」
「妖怪や妖精も嘘吐かないから」
こう言ったのはチーチーです。
「僕達生きものと同じくね」
「自然に生きていると嘘吐かないっていうからね」
トートーはチーチーの言葉に応えました。
「だから妖怪もそうだよね」
「その辺り僕達と妖怪は似てるね」
ジップはしみじみとした口調で言いました。
「嘘を吐かないところは」
「天邪鬼って妖怪は逆のこと言うらしいけれど」
「自然に近い妖怪は違うから」
チープサイドの家族はこのことを指摘します。
「そう考えるとね」
「河童さんは嘘を吐いていないし」
「公平に接していい相手よ」
ポリネシははっきりと言いました。
「先生がね」
「先生の言う通り人間でも信用出来ない人はいるから」
ホワイティはこの真実をしてきました。
「相手が妖怪でも普通に接している先生は立派だよ」
「本当にそれが出来ているから」
最後にガブガブが先生に言います。
「先生は凄いよ」
「そう言ってくれると嬉しいよ」
先生にしてもというのです。
「僕もこれからもって思うよ」
「そうだよね」
「先生にしてもそうだよね」
「そう思うからこそね」
「これからもだね」
「相手の心を見て」
そうしてというのです。
「接していきたいよ」
「公平にね」
「先生その公平さが出来ているからね」
「そして先生も嘘を言わないから」
「立派よ」
「そう言ってくれて嬉しいよ、ただね」
ここでこうも言った先生でした。
「琵琶湖には本当に河童がいたね」
「比叡山でお話が出ていたんだよね」
「琵琶湖で河童を見たって」
「そうしたら実際にだね」
「河童がいたんだね」
「うん、このことはね」
本当にというのです。
「少し驚いたよ」
「本当にいたことが」
「そのこと自体が驚きなんだね」
「先生にとっては」
「うん、河童はいるとは思っていても」
それでもというのです。
「ここで会うとはね」
「これも縁だね」
「縁で会うものだけれど」
「それでだね」
「そのことが驚きだったんだ」
「うん、しかしその彼が助けてくれるなら」
その河童がというのです。
「有り難いよ」
「それでビワコオオナマズを連れて来てくれるなら」
「それならだね」
「先生にとっても嬉しいことだし」
「水族館にとってもだね」
「そうだよ、しかしビワコオオナマズは」
この生きものはといいますと。
「見付けることすら難しいね」
「鯰はそうだよね」
「水底にいてね」
「しかもや厚生だから」
「中々見付からないね」
「どうしても」
「そう、だからね」
それでというのです。
「今回は嬉しいよ」
「河童さん達の協力が得られてね」
「ビワコオオナマズが水族館に来てくれるなら」
「それならだね」
「望ましいことだね」
「本当にね、しかしね」
今度はです、先生はこんなことを言いました。
「僕が思うにね」
「どうしたのかな」
「一体」
「何があったのかな」
「いや、お礼は胡瓜でいいということは」
河童のこのことについて思うのでした。
「予想通りとはいえ面白いね」
「言い伝え通りだよね」
「そのことは」
「河童さんは本当に胡瓜が好きなんだ」
「それで胡瓜を食べるんだね」
「それでお礼もなんだね」
「うん、胡瓜は沢山用意してもらうから」
是非にというのです。
「お腹一杯食べてもらうよ、西瓜もね」
「そうそう、西瓜もね」
「そっちも食べてもらおうね」
「西瓜も好きだっていうから」
「それじゃあね」
「そして僕達も食べようか」
こうも言う先生でした。
「西瓜を」
「あっ、西瓜食べるんだ」
「いいね」
「それで胡瓜も食べるよね」
「そちらも」
「うん、もろきゅもいいし」
それにというのです。
「お漬けものも酢のものもいいね」
「何でもあるよね」
「胡瓜の美味しい食べ方は」
「どうして食べるか考えるだけでね」
「もう涎が出そうよ」
「そのまま食べてもいいし」
生でというのです。
「サラダに入れても野菜スティックでもいいしね」
「胡瓜の美味しい食べ方って多いからね」
「重宝するお野菜の一つだよね」
「河童さん達が好きな理由もわかるわ」
「美味しいから」
「全くだね、サンドイッチに入れてもいいね」
先生の好物のそちらにもいいというのです。
「サンドイッチは胡瓜が一番美味しいというし」
「言うよね」
「イギリスの諺になるかな」
「そうした言葉もある位だから」
「いいよね」
「うん、胡瓜も食べよう」
是非にという言葉でした。
「西瓜もね」
「デザートは西瓜だね」
「西瓜最高だよ」
「あの甘さがいいから」
「皆で食べましょう」
「うん、では今日のティータイムは」
先生の趣味の一つであり楽しみであるこの時にというのです。
「西瓜を食べようか」
「あっ、いいね」
「西瓜をセットの一つに出すんだね」
「そうするんだね」
「後は枇杷や苺かな」
残りのセットはというのです。
「お茶は冷えた麦茶でね」
「いいね」
「じゃあ今日はお野菜と果物でいきましょう」
「それも和風に」
「それがいいね」
「苺は和風かっていうと微妙かも知れないけれどね7」
「いや、日本産の苺も沢山出ていて」
それでとです、先生は苺にも答えます。
「皆食べているからね」
「いいんだね」
「熊本県でも奈良県でも作ってるしね」
「それで売ってるし」
「それでだね」
「苺も和風に入れられるんだ」
「そう思うよ、それにね」
先生は笑顔でさらに言います。
「西瓜も元々はね」
「日本にはなかったんだ」
「そうだったんだ」
「和風が強いってイメージだけれど」
「それが」
「そうだよ」
西瓜もというのです。
「元々アフリカのもので」
「それがだね」
「日本に伝わって」
「それで定着したものなのね」
「そして広く食べられる様になったのは」
それはといいますと。
「江戸時代なんだ」
「あの頃なんだ」
「江戸時代って日本でも重要な時代だけれど」
「あの時代になんだ」
「西瓜は広く食べられる様になったんだ」
「江戸時代は長い間平和で」
それでというのです。
「産業も安定して発展して食べるものもね」
「沢山のものがよく食べられる様になった」
「そうした時代なのね」
「日本の江戸時代は」
「そう、そしてね」
それでというのです。
「西瓜もなんだ」
「広く食べられる様になって」
「定着したんだ」
「日本にも」
「そうだったんだ、お豆腐やお醤油も定着して」
こうしたものもというのです。
「握り寿司も生まれたしね」
「ううん、そう思うと」
「江戸時代って凄い時代だね」
「日本にとって」
「時代劇で扱われるだけじゃなくて」
「さらにね」
「色々な転換点になった時代なんだ」
日本にとってというのです。
「今の日本の形成にとって非常に重要な要素にもなった」
「じゃあ江戸時代があったからだね」
「今の日本があるのね」
「そうも言っていいんだ」
「江戸時代は」
「そうだよ、それも非常にいい意味でね」
悪い意味でなくというのです。
「そうした時代なんだ」
「そうなんだね」
「じゃあ若し江戸時代がなかったら」
「日本はどうなっていたか」
「それもわからない位なんだ」
「そうだよ、そうした時代だから」
だからだというのです。
「学んでいてもとても面白いんだ」
「この滋賀県だと彦根よね」
「彦根が有名だね」
「江戸時代だと」
「他にも宿場町もあったりしてね」
それでというのです。
「学びがいがあるよ」
「ううん、江戸時代がそこまで時代とかね」
「思わなかったけれど」
「それじゃあね」
「僕達も色々学んでいこうかな」
「そうするといいよ、彦根っていうと」
どうしてもというのです。
「本当に井伊直弼さんが言われるからね」
「有名人だから、あの人」
「幕末ものには絶対に出て来る」
「悪い意味にしても」
「凄い有名な人だからね」
「そう、だからね」
それでというのです。
「この人だけじゃないことはね」
「それはだね」
「わかってだね」
「学んでいくべきだね」
「彦根のことも」
「うん、彦根の歴史も長いからね」
井伊直弼さんの頃だけではないというのです。
「江戸時代の二百六十年以上の間のこともあるし」
「幕末はほんの一時なんだね」
「彦根の歴史の中では」
「それだけなんだ」
「そうだよ、井伊直弼さんは藩主の一人で」
その長い歴史の中でというのです。
「有名人でもね」
「その人ばかりになることもだね」
「あまりよくない」
「そうなんだね」
「そうだよ」
まさにというのです。
「その長い歴史も明治以降の歴史もね」
「ううん、何か郷土史だね」
「まさにそれだね」
「そういえば先生そっちもしていたね」
「郷土史の方も」
「だからそちらも学びたいね」
是非にと言ってそうしてでした。
先生は皆と彦根のこともお話していきます、それは郷土史でありそちらの学問のお話をする先生のお顔も生き生きとしていました。