『ドリトル先生と琵琶湖の鯰』
第七幕 大鯰を探しに
先生は今は動物の皆と一緒に琵琶湖の沖の方に船を出してそこにいます、その船の中で皆に言いました。
「後はね」
「ビワコオオナマズね」
「あの鯰を見付けるだけね」
「そうだね」
「うん、そうだけれど」
先生は湖を見つつ言うのでした。
「これがね」
「中々見付からないね」
「その鯰さんだけは」
「後はその鯰さんだけになったのに」
「中々見付からないわね」
「うん、どうしたものかな」
先生は琵琶湖の静かな水面を見つつ考える顔で言いました。
「これは」
「釣る?」
「そうしてみる?」
「ここはそうしたらどうかしら」
「お魚だし」
「いや、釣ったらお口が傷むね」
お魚のというのです。
「そうしたことはしないよ。食べる為に釣るのなら別にして」
「水族館に連れて行くには」
「釣らないのね」
「そうして合うことはしないのね」
「うん、後ね」
先生はさらに言いました。
「捕まえる道具を湖の中に置くこともね」
「しないんだね」
「そちらも」
「そうするのね」
「うん、そうしたこともね」
どうもというのです。
「しないよ」
「そうなんだね」
「じゃあどうして鯰さんに会うの?」
「水族館に来てもらうの?」
「さて、それがね」
どうもというのです。
「今考えが及ばないんだ」
「困ったね」
「釣りや漁の道具を使わないとなると」
「それならどうして鯰さんに会って水族館に来てもらうか」
「困るね」
「これまで僕は生きものとお話をしてね」
琵琶湖にいる彼等と、というのです。
「そうして来てもらっていたね」
「水辺とかで会ってね」
「そうしていたね」
「じゃあ今回もだね」
「そうしようと思ったら」
「鯰というお魚は大抵水底にいるね」
先生はこのこともお話しました。
「そうだね」
「そうそう、大抵ね」
「大抵は水底にいてじっとしてるよ」
「それが鯰さんだよ」
「そこから中々動かないね」
「だからね」
そうした習性だからだというのです。
「中々見付からないんだ」
「しかも確か天然記念物よね」
「ビワコオオナマズって」
「それだけに数が少なくて」
「中々見付からないのね」
「そのこともあってね」
それでというのです。
「会うことは難しいよ」
「そうだよね」
「一体どうしたものかな」
「最後の最後で中々ってなったけれど」
「一体どうしようか」
「そのことだけれど」
先生はさらに言いました。
「実は僕もこの通りね」
「悩んでるよね」
「見てわかるよ」
「それじゃあね」
「今もこうして湖に出てるけれど」
「見付かりそうにないね」
「そうだよ、そういえばね」
ここで先生はこうも言いました。
「ある釣りの漫画でビワコオオナマズが出ていたよ」
「あっ、そうなの」
「じゃあ釣っていたんだ」
「釣りの漫画では」
「うん、その漫画では水鳥を水面まで出て来て襲っていたけれど」
それでもというのです。
「実際はそんなことがあるのか」
「そう言われるとね」
「ないよね」
「幾ら何でも」
「そう思うよ」
こう言うのでした。
「本当にね」
「そうよね」
「幾ら何でもそのお話はね」
「幾ら大きなお魚でも」
「ちょっと日本にそうしたお魚はいないんじゃ」
「鮟鱇より大きくても」
「僕も考えられないから」
水鳥を襲って食べる様なことはです。
「流石に人は襲わないだろうにしてもね」
「鮫じゃないからね」
「確かにアマゾンにはそこまで大きな鯰いるけれど」
「三メートル位の」
「それでもね」
「ここは日本だし」
「アマゾンはまた特別な場所だからね」
先生もアマゾンのことはよく知っています、それで皆に対しても落ち着いた表情でこう言えたのです。
「そうした大きな鯰もいるよ」
「もっと言えば鯰だけじゃないしね」
「あそこはアロワナもピラルクもいるし」
「大きくなくてもピラニアやデンキウナギみたいなお魚いるから」
「お魚以外にも凄い生きもの一杯いるから」
「そうしたところと日本は比較出来ないからね」
自然が違い過ぎるというのです。
「だからお魚も違うよ」
「実際に自然環境全く違うね」
「日本とアマゾンだと」
「アマゾンは熱帯雨林気候だから」
「物凄く暑くて湿気が多くて」
「深い木々が生い茂っていて」
「アマゾン川は海みたいだから」
動物の皆も言います。
「そんなところと比べるとね」
「日本は違うね」
「本当にね」
「だから住んでいる生きものも違って当然だね」
「環境が違うから」
「日本は川が小さくて流れが急だから」
日本はこのことから言いました。
「そこにいる生きものはどうしても小さくなるんだ」
「鯉や草魚はいるけれど」
「どちらのお魚も大きいけれど」
「日本の川ってアマゾン川とは比較にならない位小さいから」
「流域面積なんか考えるまでもない位」
「それで山が多いところを流れてるしね」
「川の流れも急だから」
そうした条件があるからだというのです。
「どうしてもね」
「そこに住むことに適した風になるのが自然だから」
「日本の川魚は小さいね」
「そうなるんだね」
「そう、そして琵琶湖はその日本の中でも一番大きな湖で」
それでと言う先生でした。
「広くて流れも穏やかだね」
「それでビワコオオナマズもいる」
「そういうことね」
「要するに」
「それでここにいるんだ」
「うん、ただ天然記念物にされているだけにね」
そのビワコオオナマズはというのです。
「流石に中々見付からないね」
「この琵琶湖にしかいなくて」
「しかも数が少ない」
「それでだね」
「うん、見付けること自体に苦労すると思っていたけれど」
それでもというのです。
「実際にね」
「苦労してるね」
「今日はこのまま見付からないかな」
「そうかも知れないね」
「そうしたら明日だよ」
今日見付からなくてもというのです。
「明日また探すよ、期限まではね」
「ずっと探すね」
「そうするんだね」
「そうするね」
「そうするよ」
実際にというのです。
「頑張っていくよ」
「そうだね」
「じゃあ今日も探して」
「若し今日見付からなくても」
「明日探そう」
「そうしよう」
「そうするよ」
先生も皆に応えてでした、そのうえで。
皆で一緒にでした、船に乗ったままビワコオオナマズを探します。ですがこの日は残念ながら見付かりませんでした。
それで先生はこの日の捜索と水質の研究を終えてでした、その後で。
大津市の温泉に行ってそこでお風呂を楽しみました、サウナに入って水風呂にも入って湯舟にも入ってです。
くつろぎながらです、先生は動物の皆に言いました。
「今日は見付からなかったけれどね」
「それでもだね」
「明日また探すね」
「そうするね」
「今日は駄目だったけれど」
「生物学は根気よくだよ」
そうしてやっていくものだというのです。
「それこそね」
「長い時間をかけて」
「それでやっていくもので」
「だからだね」
「今回もだね」
「そう、一日や二日見付からなくても」
かなり探してそうなってもというのです。
「諦めないことだよ」
「そこにいる生きものでもね」
「見付からない時は見付からないから」
「根気よく探す」
「そうした学問だね」
「一種類の生物を発見するのに何年かかることもあるよ」
そうしたこともあるというのです。
「普通にね、だからね」
「今回もだね」
「じっくりと腰を据えて探す」
「そうするね」
「そうしていくよ、幾ら探しても見付からない時は見付からないから」
そうしたものだからだというのです。
「本当にね」
「ここは腰を据えていこうね」
「明日も探していこう」
「焦らず苛立たず」
「そうしていくしかないから」
「まあ先生は焦ることも苛立つこともないけれど」
ガブガブが先生に言いました、皆で湯舟に入って先生とお話しています。
「いつも落ち着いている人だからね」
「こうしたところ本当にいいと思うよ」
トートーも先生に言います。
「学問は焦らず苛立たずっていつも言ってるから」
「そうなっても何にもならないって言ってるわね」
ポリネシアも先生に言います。
「そうして学問をしているからいいのよ」
「先生のその姿勢は生物学でも発揮されていて」
「生物の採集にもそうだから」
チープサイドの家族もこうお話します。
「田中さんもお誘いしたのよね」
「今回にね」
「そう、先生がいてくれたら百人力よ」
まさにとです、ダブダブは断言しました。
「こうした時も」
「もう学問のことにかけては先生がいてくれたらどれだけ有り難いか」
「八条大学では誰もが知っていることになっているから」
オシツオサレツも二つの頭で言います。
「頼りにされるんだよ」
「いつもね」
「先生自身学問が生きがいだから」
ホワイティはこう言いました。
「楽しんでいるしね」
「そう思うと田中さんも人を見る目があるね」
チーチーはしみじみとした口調で言いました。
「先生にお誘いをかけて」
「実際かなり採集と調査が進んでいるから」
それでとです、ジップも言いました。
「まさに先生に声をかけてこそだね」
「そうそう、じゃあ今回も腰を据えていこう」
最後に老馬が言いました。
「じっくりとね」
「そうしていこうね、絶対に見付けて水族館に来てもらうつもりだけれど」
それでもと言うのでした。
「ただね」
「あっ、若し見付からなくても」
「それでもだね」
「仕方ない」
「期限までに見付からないことも」
「それも覚悟しているよ」
こう皆にお話するのでした。
「実はね」
「そうだよね」
「生物学じゃあるからね」
「期限まで探しても見付からない」
「そうしたことも」
「そう、生きものは生きもので動いているんだよ」
そうだというのです。
「人間の都合で学問をしてもね」
「駄目だよね」
「見付かるものじゃないね」
「そうした学問だから」
「そこは仕方ないね」
「学問は相手があるんだ」
先生ははっきりとした口調で言いました。
「それが地質だったり言語だったり歴史だったり数式だけれどね」
「生物学は相手が生きもので」
「それでだね」
「生きものは生きものの都合で動いているから」
「そのことがどうしてもあるから」
「人間の都合だけで考えても駄目だね」
「そうだよ。だからね」
それでというのです。
「僕はそうなっても仕方ないと考えているよ」
「諦めないことも学問だけれど」
「諦めるのも学問だね」
「そしてまた今度の機会」
「その機会に動くことね」
「そういうことだよ」
先生は皆にお話しました。
「そこはね」
「しっかりとだね」
「割り切ってだね」
「それでやっていくね」
「そうしていきましょう」
「皆でね」
「そうしていこうね、それとだけれど」
先生は湯舟の中で身体が熱くなっていくことを感じつつさらに言いました。
「一ついいかな」
「一つ?」
「一つっていうと」
「何かな」
「それは」
「今度の史跡研修はね」
それはといいますと。
「比叡山に行こうね」
「あっ、あのお寺に行くんだ」
「延暦寺に」
「あそこに」
「そうしようね、あのお寺も滋賀県にあるから」
皆が今いるこの県にというのです。
「だからね」
「それでだね」
「この機会に比叡山に行く」
「そうするんだね」
「是非ね。和歌山に言った時には高野山に行ったけれど」
この時のこともお話するのでした。
「今回はね」
「いい機会だしね」
「比叡山にも入って」
「それで中を見て回る」
「そうするのね」
「今回は時間があまりないから」
それでというのです。
「高野山の時みたいに何日もかけられないから」
「一日だね」
「それ位しか見て回れないね」
「あのお寺は」
「比叡山は歴史があってね」
そうしてというのです。
「見るべき場所も多いお寺だから」
「何日もかけて観て回りたいよね」
「先生としては」
「それが本音でも」
「今回は時間がないから」
「それでいくよ」
こう言うのでした。
「じっくり観て回るのはまた機会を見てね」
「そしてだね」
「そのうえでだね」
「観て回るんだね」
「そうするんだね」
「そうするよ、学問はいつも時間を取れるか」
それはといいますと。
「いつもそうだといいけれどね」
「どうしてもそこはね」
「色々事情があるわね」
「だからね」
「それだよね」
「そう、だからね」
それでというのです。
「時間がないならないならね」
「学んでいくね」
「そうするね」
「だから今回は比叡山は日帰りだね」
「それで行くのね」
「そうしようね、そしては今はね」
今この時間はといいますと。
「お風呂を楽しんで」
「そしてだね」
「また滋賀県の美味しいものを楽しむ」
「そうするね」
「そうしようね、滋賀県に来てから近江牛と琵琶湖の幸を交代で食べているけれど」
その中でというのです。
「今晩はしゃぶしゃぶだよ」
「あっ、しゃぶしゃぶなんだ」
「近江牛の」
「それなんだ」
「そうだよ、これもかなり美味しいよ」
先生は今から期待で一杯です。
「だから楽しみにしていようね」
「うん、じゃあね」
「お風呂から上がったら皆で食べよう」
「そうしましょう」
「是非ね、それとね」
先生はさらに言いました。
「お酒も飲もうね」
「そうそう、そっちもだよね」
「先生はお酒もないとね」
「それで滋賀県でも飲んでいるし」
「今日もだね」
「飲もうね、そして今日飲むのは」
そのお酒はといいますと。
「日本酒だよ」
「滋賀県のお酒だよね」
「こっちの地酒だね」
「今日はそれを飲んでね」
「それで楽しむのね」
「そうしようね」
こう言ってです、皆でお風呂から上がるとしゃぶしゃぶとお酒を楽しむのでした。その中でふとでした。
先生はお酒を飲んでしゃぶしゃぶを食べつつ言いました。
「しゃぶしゃぶはまさに一瞬だね」
「そうそう、薄いお肉をお鍋に入れて」
「すぐに火を通してね」
「そのお肉を食べるものだね」
「それがしゃぶしゃぶだよね」
「そうだよ、この一瞬で火を通して食べるのがね」
お肉、それをというのです。
「いいんだよね」
「そうそう」
「これが美味しいんだよね」
「じゃあ楽しく食べましょう」
「是非ね」
「皆で」
「是非ね、そしてしゃぶしゃぶを食べると」
お箸に取ったお肉をお鍋に入れると即座にでした、赤いお肉が火を通した時の独特の色に変わります。そのお肉をです。
ごまだれに漬けて食べてです、先生はまた言いました。
「お酒も飲みたくなるんだよね」
「素敵な組み合わせだよね」
「これがまた実にね」
「どんどん楽しめるわ」
「お肉が幾らでも食べられるよ」
「勿論お野菜も食べるよ」
先生はこちらも忘れていません。
「デザートにフルーツもあるしね」
「今回は草津のメロンがメインだね」
「滋賀県でもメロン作ってるんだね」
「林檎やオレンジもあるけれど」
「今回はメロンがメインだね」
「そちらも食べてね」
そしてというのです。
「楽しむよ」
「そうだよね」
「ビタミンの補給も忘れないで」
「そのうえでね」
「お肉とお酒を楽しもう」
「しゃぶしゃぶと滋賀県の地酒を」
「そうしようね、しゃぶしゃぶみたいなあっさりしている肉料理は」
それこそというのです。
「そうそうないしね」
「そうそう、物凄くあっさりしてるわ」
「肉料理とは思えない位に」
「薄いお肉にしてるし」
「それをお鍋に入れてさっと食べるから」
「あっさりしているわね」
「こんなあっさりした肉料理はね」
それこそというのです。
「そうそうないよ」
「そうだよね」
「和食はあっさりしたお料理が多いけれど」
「肉料理でもこれはね」
「凄いものがあるよ」
「全くだよ。このあっさりさは」
ごまだれでさらに食べつつ言います。
「注目に値するよ」
「しかも美味しい」
「尚且つカロリーも少なめになるし」
「健康にもいいから」
「余計にいいわね」
「そうなんだよ。僕は王子に食べさせてもらってすき焼きが好きになったけれど」
何しろすき焼きを食べて来日して日本に住むことを決意した位です。
「しゃぶしゃぶも好きだよ」
「そうだよね」
「こちらも好きだよね」
「そうだよね」
「先生は」
「うん、だから今日も沢山食べて」
そうしてというのです。
「飲むよ」
「まさに酒池肉林だね」
「今日もまた」
「美味しいお肉に美味しいお酒」
「文字通りの天国だよ」
「僕は美味しいものを口に出来て」
先生は自分が思う幸せのお話もしました。
「住むところと学問のお仕事があって何よりもね」
「僕達がいてだね」
「王子やトミーもいてだね」
「幸せだよね」
「これ以上はないまでに」
「今がそうだからね」
「もう満足しているよ、けれど」
それでもと言うのでした。
「皆は違う意見なんだよね」
「だから先生いつも言ってるし」
「幸せには際限がないって」
「学問もそうだけれど」
「人は何処までも幸せになれる」
「そうしたものだって」
「そうだよ、学問も際限がなくてね」
そしてというのです。
「幸せもね」
「そうだよね」
「幸せもあるね」
「そうだよね」
「そちらも」
「そうだよ、不幸には際限があるよ」
こちらにはそれがあるというのです。
「ドン底って言葉があるね」
「そうそう、不幸の果てだね」
「もうこれ以上はないまでに不幸だって」
「そう言うね」
「それはあるよ」
これはというのです。
「本当にね、けれどお空には果てがないことと同じで」
「地の底はあっても」
「お空には果てがないから」
「幸せにも果てがない」
「そうだよね」
「そうだよ、他の人に迷惑をかけないなら」
それならというのです。
「幸せは何処までもあるし求めていいんだ」
「けれど先生はだね」
「今で満足している」
「そういうことだね」
「うん、とても満足しているよ」
実際にとです、先生はしゃぶしゃぶと地酒を楽しみつつ皆に答えました。
「学問のお仕事でここにいて皆とも一緒で美味しいものを食べているから」
「もう満足」
「これ以上の幸せはない」
「そうだっていうのよね」
「そう思ってるよ、けれどね」
それでもというのです。
「僕はこれでいいよ、じゃあもっと飲んで食べようね」
「それはいいけれど」
「今回は言わないけれど」
「無欲なのは先生の長所でも」
「それでもだとは言っておくよ」
「そうだよね、まあそのことはこれから考えていくけれど」
それでもというのです。
「今はね」
「うん、満足していようね」
「じゃあ美味しいお肉食べて」
「そしてお酒飲んで」
「メロンも食べよう」
「そうしようね」
「メロンもいいよね」
先生はメロンについては明るい笑顔でお話しました。
「あれも」
「そうそう、先生メロンも好きだよね」
「それで今日もデザートに頼んだんだよね」
「じゃあそっちも食べて」
「それで楽しまないとね」
「そうしようね」
こう言いつつしゃぶしゃぶとお酒を満喫してから最後にデザートのフルーツを食べてその中のメロンも楽しみましたが。
先生は満面の笑顔でこんなことを言いました。
「さて、今晩は寝るけれど」
「明日の朝はだね」
「朝早く起きたら」
「その時はね」
まさにというのです。
「朝の調査に行く前に」
「またお風呂に入る」
「そうしてだね」
「すっきりするね」
「うん、そうしてね」
それでというのです。
「調査をはじめるよ」
「二日酔いになるからね」
「どうしてもね」
「ここまで飲んだら」
「そうしたらね」
「そう、だからね」
それでというのです。
「明日はまずはお風呂に入るよ」
「起きたらすぐにだね」
「そうして二日酔いを解消して」
「それでやっていくね」
「そうしていくよ」
こう言ってでした。
先生は実際に次の日の朝は起きてすぐにお風呂に入ってすっきりしてから水質調査に出ました。その後で朝ご飯も食べてビワコオオナマズも探しましたが。
この日も見付かりませんでした、ですが先生は落ち込まず動物の皆に晩ご飯の後で笑ってこう言いました。
「明日は比叡山に行くよ」
「ああ、明日はだね」
「比叡山だね」
「あのお寺にだね」
「遂に行くんだね」
「そう、そしてね」
そのうえでというのです。
「あちらの史跡研修を楽しもうね」
「うん、じゃあね」
「そうしていこうね」
「明日はね」
「日帰りだけれどね」
やっぱり高野山の時とは事情が違いました。
「そうしていこうね」
「それじゃあね」
「明日は明日でね」
「楽みましょう」
「是非共」
こうお話してでした、先生は実際に次の日は比叡山に向かいました。そしてそこで史跡研修を楽しむのでした。