『ドリトル先生の野球』




               第八幕  素振りとランニング

 この日は生憎の雨でした、それで先生はこの日は講義もないこともあってご自身の研究室の中で読書と論文の執筆に励んでいました。
 そしてその中で三時になるとティータイムを楽しみました、ロイヤルミルクティーにバターのクッキー、フルーツと果物のサンドイッチにプティングというティ―セットです。
 そのティ―セットを楽しみつつ先生は皆にお話しました。
「今彼は練習中だろうね」
「雨でもだね」
「室内練習場があるから」
「だからだね」
「そこで練習中なんだ」
「そうしているんだ」
「うん、絶対にね」
 そうだというのです。
「練習に励んでいるよ」
「雨が降ってもね」
「そして雪であっても」
「今は練習が出来るからいいね」
「練習しようと思えば幾らでも出来る」
「そうなったから」
「うん、何でもね」
 こうもお話する先生でした。
「彼は雨でもランニングに出るらしいし」
「へえ、凄いね」
「雨が降っていても走るんだ」
「その中でも」
「そうするんだ」
「そう、ウェアを着てね」
 雨水を弾くそれをというのです。
「そうして走っているそうだよ」
「雨が降っても走るなんて」
「努力家だね」
「だからこそ成長するのかな」
「いい選手になるのかな」
「そうだね、そして走るだけじゃなくて」
 それに加えてというのです。
「素振りもね」
「バットのそれもなんだ」
「欠かしていないんだ」
「どんな状況でも」
「何でも一日千回は絶対に振るらしいから」
 バットをというのです。
「それでだよ」
「いい選手になっているんだ」
「毎日走って素振りしているから」
「例え雨でも」
「そうしているから」
「むしろ皆が休んでいる時こそ練習する」
 そうすることがというのです。
「伸びるのかな」
「いつも練習している」
「そうしているからこそなんだ」
「成長するんだね」
「していないと言っている人程しているとか言って自分は何もしていない人はね」 
 先生はそうした人も知っています。
「何もならないよ」
「人にそう言ってもね」
「自分は何一つしていないとね」
「所詮口だけ」
「そんな人だね」
「それがあまり極端だと嫌われるよ」
 先生は紅茶を飲みながらこうも言いました。
「例えその人の親や祖父母であってもね」
「そうだよね」
「何もしないと人に何を言ってもね」
「説得力ないし」
「それじゃあ嫌われるよ」
「まして言った人が努力している人なら」
「そうなるよ、けれど彼は違うね」 
 八条大学で名キャッチャーだったこの人はというのです。
「毎日努力しているからね」
「走って素振りして」
「そして色々勉強もしているから」
「だからだね」
「それでだね」
「そうした人だからこそ今まで活躍出来て」
 大学までの野球でもというのです。
「そしてね」
「さらにだよね」
「プロ入りしても」
「それからもだね」
「成功する秘訣になるんだね」
「そうだよ、練習つまり努力をしない人なんて」
 それこそというのです。
「何にもならないからね」
「何かになるには努力する」
「それが第一だね」
「何といっても」
「それからだね」
「そう、何かをして」
 そうしてというのです。
「人はよくなるし何かになれるからね」
「先生いつもそう言ってるね」
「人間努力が一番大事だって」
「努力を否定する人はよくないって」
「人の努力を笑っては駄目だって」
「それが必死なら余計に」
「人の努力を嗤う人は碌なものじゃないよ」
 本当にこう考えているのが先生です。
「嗤われた人が努力を続けるなら」
「それならだよね」
「もう後は言うまでもないね」
「その嗤われた人よりずっと落ちる」
「そんな人になるね」
「そうだよ、本当に努力こそが」
 まさにというのです。
「成功の秘訣だからね、その時に実らなくても」
「貯金になるね」
「その人にとって」
「それになるわね」
「そうなるからね」
 だからだというのです。
「絶対にだよ」
「努力はするべきで」
「他の人のそれを嗤ってはならない」
「むしろそれを認めて」
「応援すべきね」
「そう思うよ、結果だけを見る人も」
 そうした人もというのです。
「結局それまでだしね」
「結果だけ出せばいいとかね」
「途中はどうでもいいってなるしね」
「じゃあ結果だけ出せばいいじゃないとか」
「そうした考えになるわね」
「そう言う人はそれまでで組織もね」
 人だけでなくというのです。
「それまでだよ」
「それ以上は伸びない」
「結果だけを見るなら」
「それなら」
「体育会系に多いね」
 日本のそうした人達にというのです。
「どういう訳か」
「あれっ、体育会系って努力する社会じゃない」
「それでもなの」
「結果だけを見る人が多いの」
「そうなんだ」
「どうも上下関係が変に厳しくて」
 体育会系はというのです。
「上の人達が下の人達に絶対者でね」
「ああ、下の人達の結果だけを見る」
「結果のある人だけを大事にして」
「そうじゃない人は切り捨てる」
「そうした社会なんだ」
「そのせいかね」
 日本の体育会系の社会はそうした社会だからだというのです。
「結果だけしか見ない人がいて」
「人の努力を見ようとしない」
「過程は見ない」
「自分にとって役に立つかどうか」
「それだけの人っているんだ」
「僕はそんな人はよくないと思っているしなりたくはないよ」
 穏やかですが絶対にと拒絶している言葉でした。
「本当にね」
「そうそう、先生はね」
「間違ってもそんなことしないよ」
「そんな人じゃないよ」
「私達も保証するわ」
「先生はそうした人じゃないって」
「反面教師にしているよ」
 ああした人になってはいけないと思いつつ見ているというのです。
「本当にね」
「そこが先生だよ」
「悪い人には絶対になるまいとする」
「そして人のいい部分を見るとそうしようと思って」
「それで努力するからね」
「そうありたいね、ただね」
 先生はサンドイッチを食べつつ少し苦笑いになりました、甘いサンドイッチの味が口の中に一杯になっても。
「僕は自分がスポーツをするとなると」
「ああ、その場合はね」
「先生はね」
「ちょっと、ね」
「スポーツは不得意だから」
「どうしてもね」
「出来ないね、努力したら多少は変わるだろうけれど」 
 それでもというのです。
「そもそもが好きじゃないしね」
「やっぱり先生は学問の人ね」
「学問に努力しているわね」
「いつもそうしていて」
「それで励んでいるよね」
「学問は好きだしね、自分がやりたいそしてなりたいものを目指す為のものなら」
 そうしたものならというのです。
「努力すべきだよ」
「そうだよね」
「しっかりとね」
「あの人もそうしているし」
「それならね」
「是非ね、試しにね」 
 先生は紅茶を飲みつつまた言いました。
「今から野球部の室内練習場か室内グラウンドに行ってみようか」
「ああ、室内で走れる」
「鉄棒とかもある場所だね」
「サーキットがあってそこを走れる」
「いい場所だね」
「陸上部がよく使っているけれど」
 その室内グラウンドはというのです。
「彼も走っているかも知れないから」
「だからだね」
「今からなのね」
「ティ―タイムが終わったら」
「行ってみるのね」
「そうしようか、雨でも練習出来るなら努力する人は練習しているよ」
 先程お話した様にというのです。
「素振りをしてランニングをして」
「そうしてだね」
「汗をかいて」
「そこから結果を出す」
「そうする様にしているんだ」
「おそらくね、だから」
 それ故にというのです。
「いいね」
「うん、じゃあね」
「ティータイムの後で行きましょう」
「皆でね」
「そうしましょう」
 動物の皆は先生に応えてでした、そのうえで。
 先生と一緒にロイヤルミルクティーとティーセットを楽しんで、でした。そうして皆で室内グラウンドに行きました。
 するとそこで、です。彼が野球部のユニフォームと帽子、スパイク姿で走っています。それも汗をかいて。
 先生はその彼を見てにこりと笑って言いました。
「やっぱりそうしていたね」
「汗かいてるね」
「今寒いのに」
「それでもね」
「随分汗かいてるよ」
「それを見たら」
 その汗をというのです、走る速さもかなりのものです。
「頑張ってるね」
「そうだね」
「もう何周走ってるのかな」
「かなり走ってるみたいだけれど」
「もう二十キロ近く走ってます」
 丁度近くにいた陸上部の人が先生にお話してきました。
「彼は」
「二十キロ近くもなんだ」
「彼は毎日二十キロ走って素振り千回しています」
「その二つが日課なんだ」
「勿論準備体操やストレッチも欠かしていませんが」
 こうしたこともというのです。
「さもないと怪我しますから」
「身体はほぐさないとね」
「はい、ですが」
「メインはだね」
「二十キロのランニングと」
 それにというのです。
「千回の素振りです」
「それだけでもかなりだね」
「そこにキャッチャーとしての練習もしてますから」
「それでだね」
「今度ドラフトにも指名される程になっていますね」
「そうですね」
「そう思います」
 こう先生にお話してその人も準備体操の後で走りだしました、先生達はその彼を今も見ていますがここでチープサイドの家族が言いました。
「凄いね、二十キロ走るなんて」
「それも毎日だなんてね」
「それだけでも凄いよ」
「普通の人には絶対に無理だな」
「そこにさらに素振り千回とか」
 老馬もこう言います。
「びっくりだよ」
「そしてそこから他の練習もする」
 ガブガブは唸る様に言いました。
「物凄く努力してるわね」
「それだけでも頭が下がるよ」
 ホワイティの今の言葉は素直な感嘆でした。
「本当にね」
「普通の人には絶対に無理だよ」
「そこまでの努力なんて」
 オシツオサレツも二つの頭で感嘆の言葉を出します。
「だから凄くなれるにしても」
「普通一日でも難しいよ」
「毎日出来るからこそ今がある?」 
 こう言ったのはダブダブでした。
「そこまで努力する人だから」
「やっぱり先生の言う通りなのね」 
 ポリネシアは先生を見ています。
「まずは努力」
「その努力が素晴らしい結果を産む、だね」
 ジップも先生を見ています。
「スポーツでも運動でもね」
「そう考えたら」
 どうかとです、トートーは言いました。
「あの人も毎日頑張ってそれが実っているんだね」
「いや、ここに来てよかったよ」
 しみじみとした口調で、です。チーチーは述べました。
「本当にね」
「僕もそう思うよ、僕も努力しないとね」
 先生ご自身もというのです。
「学問について」
「先生は学者さんだからね」
「お医者さん、医学博士でね」
「そして色々な博士号を持っているし」
「いつも論文書いてるから」
「これからもだね」
「学問に励んでいきましょうね」 
 動物の皆は先生に言いました。
「これからも」
「そしてそのうえでね」
「もっともっといい学者さんになろうね」
「先生は人の進歩には際限がないって言うし」
「それならね」
「うん、今も論文を書いているし」
 実際に今も学者さんとして励んでいるのです。
「これからも書いていくよ」
「確か今度は宇宙についてだよね」
「ホーキング博士の理論についてだね」
「論文を書いてるのよね」
「そうよね」
「そうなんだ、英語でね」
 こちらの言語でというのです。
「書いているよ」
「そうだよね」
「先生は色々な学問をしているけれど」
「医学だけじゃなくて」
「宇宙の方も学んでいて」
「それでだね」
「今はそちらを書いているよ、それと」
 さらに言う先生でした。
「宇宙の本を色々と読んでいるけれど」
「その本を読むこともだね」
「学問であり」
「努力でもあるね」
「そうよね」
「そうだと思うよ、本を読んで色々調べて書いていくことを続けて」
 その様にしてというのです。
「僕はこれからも学者として学問に励んでいくよ」
「頑張ってね」
「私達も応援してるから」
「王子もトミーもいるし」
「日笠さんもね」
「あれっ、日笠さんが出るんだ」
 先生はその人のお名前が出たことには意外といったお顔になりました、それでそのお顔で皆に対して尋ねました。
「どうしてかな」
「どうしてかって言われても」
「そりゃ僕達だって出すよ」
「これは私達の努力よ」
「僕達なりのね」
「先生のことを思っての」
「僕のなんだ、日笠さんはね」 
 先生はその日笠さんのお話をするのでした。
「僕にとっては素晴らしいお友達の一人だよ」
「だからそこでそう言うがね」
「先生のがっかりなところなの」
「何でそこでそう言うのかな」
「学問はどんどん進んでいくのに」
「こっちのことはさっぱりだから」
「とはいってもね」 
 先生だけがわかっていません、それはお言葉にも出ています。
「僕と日笠さんは本当にね」
「そもそも先生女性にもてたいとか思わない?」
「ほんの少しでも」
「誰かに男性として好かれてるとか」
「好意を向けられているとか」
「いや、僕は恋愛とは全く無縁な人だよ」
 先生は確信の笑みを以て言い切りました。
「何があってもね」
「それはその外見で、だね」
「スポーツは全く駄目で」
「華やかさが全然ないから」
「それでだね」
「パーティーに出てもね」
 そうした場に出てもというのです。
「ダンスも出来ないしね」
「いや、だからね」
「先生いつも言ってるじゃない」
「人はお顔じゃないって」
「中身だってね」
「心だって」
「そうは言っても生まれてこのかた」 
 先生ご自身が思われるにはです。
「女の人からもてたことはね」
「ないんだね」
「まさに一度も」
「そうだって言うんだね」
「そうなんだよ、お友達は多くても」
 女性のお友達もというのです。
「けれどね」
「それでもだね」
「こと恋愛には縁がない」
「そうなのね」
「そう言うんだ」
「人には運命があると思うよ」
 こうも言う先生でした。
「僕はそこまで考えていないけれどカルヴァンの考えではね」
「あっ、プロテスタントの一派の」
「あの人だね」
「彼は強い運命論者でね」
 先生はそのカルヴァンのお話もしました。
「人それぞれの運命は既に神が決めているとしているんだ」
「じゃあ僕達の運命も?」
「全部もう神様が決めてるんだ」
「カルヴァンさんの考えだと」
「そうなのね」
「そう、だからね」
 それでというのです。
「僕は国教会の信者でカルヴァン派の信者じゃないけれど」
「結婚については」
「縁がない運命だっていうんだ」
「そうなの」
「そうじゃないかって思うよ」
 こう皆にお話しました。
「実はね」
「ううん、どうかな」
「それは違うんじゃない?」
「先生の運命についてはね」
「そうじゃないと思うよ」
「もうね」
「結婚についても」
 皆は先生にお話します。
「幸い先生カルヴァン派じゃないし」
「自分で言ってるし」
「国教会だって」
「じゃあそんな強い運命論じゃなくて」
「結婚出来るよ」
「先生はね」
「そうかな、僕は既に充分幸せだし」
 結婚していなくてもというのです、今度はこう言うのでした。
「皆がいつも一緒にいてくれるから」
「それでだっていうんだね」
「もうこれ以上幸せなことはない」
「そうも言うんだね」
「そう思うからね」
 だからだというのです。
「だからね」
「いや、それはね」
「私達いつも言ってるけれど」
「もっと幸せになれるよ」
「先生はそうなっていいよ」
「だってとてもいい人なんだから」
「そうかな、けれど本当に僕が思うにね」
 先生ご自身がです。
「僕は結婚とはね」
「無縁だっていうんだね」
「もてたこともないし」
「だからだっていうんだ」
「そうだよ、それはね」
 結婚のことはというのです。
「僕にはないよ」
「そうかな」
「違うと思うけれどね」
「先生については」
「このことは」
「そうかな、けれど日本に来ても」
 どうかといいますと。
「やっぱり誰も、だからね」
「先生を交際したいって人は出ないっていうんだ」
「結婚したいっていう人は」
「そうだっていうんだ」
「本当に僕はもてないんだ」
 とにかくそう信じて疑っていません。
「そのことはどうしようもないよ」
「やれやれだね」
「先生は自分のことがわかってないから」
「これは困るよ」
「いつも思うことにしても」
「もっと周りを見ればね」
「僕達だってわかるのに」
 勿論皆はわかっています、先生がもてるかもてないかということについて。
「これじゃあね」
「先が思いやられるわ」
「僕達が頑張るしかないかな」
「ここはね」
「そうだろうね」
「どういうことかわからないけれど」
 それでもと言う先生でした。
「まあ僕に結婚はないということでね」
「お話は終わるんだね」
「そうするのね」
「これで」
「うん、しかしね」
 ここで先生はそのキャッチャーの人を見てこの人のお話に戻るのでした。
「いい練習してるね」
「うん、そうだね」
「凄く熱心に走ってて」
「いい汗かいてるよ」
「本当にね」
「毎日ああして汗をかいていたら」
 それならというのです。
「健康だろうしね」
「そうでしょうね」
「やっぱり運動って身体にいいから」
「あの人もね」
「健康だと思うわ」
「先生もよく歩いてるし」
「その分健康だしね」
 皆は先生のお話もしました。
「やっぱり人間運動しないと」
「さもないと健康を害しもするわね」
「そうなるね」
「そうだね、ただね」
 先生はこうも言いました。
「彼はちゃんとしているみたいだけれど激しい運動の後はね」
「ちゃんと整理体操して」
「マッサージとかしてもらうことだね」
「あとお風呂で身体暖めたり」
「ストレッチもすべきだね」
「身体は柔らかい方がいいからね」
 だからだというのです。
「ストレッチは是非すべきだよ」
「身体が柔らかいと怪我しないし」
「だからいいのね」
「それでストレッチも忘れない」
「そういうことだね」
「その通りだよ、身体をほぐしておかないと」
 先生はこの場合についてもお話します。
「その分怪我もしやすいから」
「ああ、それだね」
「怪我をしたら元も子もないから」
「だからだね」
「怪我をしない為にも」
「身体はほぐしておくべきだね」
「そうだよ、怪我をしたら」
 そうなってしまうと、というのです。
「元も子もないからね」
「スポーツ選手には怪我が付きものでも」
「怪我すると本当に辛いから」
「しないに越したことはないわね」
「何といっても」
「だからストレッチはした方がいいよ」 
 身体をほぐしておくべきだというのです。
「何といってもね」
「そういうことだね」
「それで練習前には準備体操だね」
「それをすべきだね」
「運動をする前もやっぱり身体をほぐした方がいいからね」
 そして暖めた方がいいというのです。
「だからだよ」
「毎日ストレッチをして」
「練習の前には絶対に準備体操をする」
「終わったら整理体操」
「事前と事後は大事なんだね」
「そうだよ、若しも」
 それこそというのです。
「身体が固かったり冷えていて運動をすると」
「実際に怪我するんだ」
「そうなるんだ」
「だからだね」
「怪我をしない為にも」
「そうした練習も忘れないことだよ」
 こう皆にお話するのでした。
「本当に怪我は怖いからね」
「そうだよね」
「怪我したくなかったらね」
「そうしたことにも気をつけないと」
「本当に駄目ね」
「そうだよ、スポーツにも医学は大きく関わってるね」
 先生は皆にこのことからもお話します。
「そうだね」
「スポーツ医学だね」
「最近よく言われるね」
「スポーツも科学でね」
「医学も大きく関わっているって」
「そうだよ、だからね」 
 それ故にというのです。
「僕も今言うんだ」
「スポーツは医学だから」
「準備体操やストレッチがどれだけ大切か」
「そのことを言えるんだね」
「そうなんだ、確かに僕は自分はスポーツは全く出来ないよ」
 それでもというのです。
「けれどね」
「それでもだよね」
「スポーツの知識はあるから」
「医学の観点から」
「それで言えるんだね」
「そうだよ、練習熱心はいいことだけれど」
 それだけでなく、というのです。
「その中で身体をほぐしておくこともね」
「大事だね」
「そうだよね」
「怪我は誰だって嫌だし」
「怪我をしない為にもね」
「そうしたことにも気をつけていかないとね」
 是非にというのです、そうしたお話をしながら彼の練習を見ていきました。すると彼はランニングを終えて野球部の室内練習場に戻りました。
 そしてそこでも練習に励んでいますがちゃんと準備体操やストレッチもしています、先生はそれを見て言いました。
「そうそう、ああすることがね」
「いいことだよね」
「準備体操を忘れない」
「それでストレッチもする」
「それが大事だね」
「全くだよ、ああした風なら」
 身体をほぐすことも忘れないならというのです。
「余計にいいよ」
「そうだよね」
「だったらね」
「あの人は大丈夫ね」
「怪我もしないわね」
「デッドボールとかを受けたら別だけれど」
 それでもというのです。
「まず大丈夫だね」
「それは何よりだね」
「先生も見ていて安心出来るわね」
「ああした確かな練習をしていたら」
「それなら」
「うん、キャッチャーは特に頑丈さを求められるポジションだしね」
「それあるね」
「プロテクター付ける」
「他のポジションより頑丈さは求められるね」
「どうしてもね」
「だから彼が怪我をしない様にしてるなら」
 そのことも念頭に置いて練習をしているのならというのです。
「本当にいいことだよ」
「全くだね」
「ちゃんとストレッチもしてたし」
「そういうのも見ていたら」
「やっぱりいいわね」
「そうだね、ただピッチャーになると違うよ」
 このポジションの人達はというのです。
「肘は肩は本当に気をつけないとね」
「壊れるんだね」
「前に肘の靭帯のお話したけれど」
「その靭帯切ったりして」
「大変なことにもなるね」
「そうだよ、肩や肘はね」
 ピッチャーの人達はというのです。
「ストレッチや準備体操とはまた別の場合もあるんだ」
「そうだよね」
「何かとね」
「それがあって」
「それでよね」
「肩を壊したりね」
 先生はまずはそちらのお話をしました。
「それに肘の靭帯も切ってしまうんだ」
「じゃあね」
「先生みたいな人のお話を聞いて」
「いつも投げた後の肩や肘の負担を消していく」
「そうしていかないと駄目ね」
「そうだよ、肘の靭帯を切ったら」
 その場合はといいますと。
「選手生命に関わるしね」
「そうなのよね」
「もうそれだけでね」
「選手生命に関わるから」
「気をつけないとね」
「ピッチャーの利き腕は精密機械の様なもので」
 そこまでのものだというのです。
「消耗品でもあるんだ」
「そうだね」
「ピッチャーの肩や肘はね」
「精密機械の様なもので」
「消耗品でもあるんだ」
「ピッチャーの利き腕が消耗品というのはね」
 先生はこの言葉についてさらにお話しました。
「本来は肩だけだったけれど」
「先生としてはね」
「肘も入れて」
「利き腕全体についても言うんだ」
「そうしているのね」
「そうなんだ、その肘の靭帯を切ったお話を聞いてね」
 それでというのです。
「思ったんだ」
「そうなのね」
「肩だけじゃなくて肘もそうで」
「利き腕全体がそうで」
「それでなんだ」
「そうなんだ」
「ううん、確かにね」
「ヤクルトのピッチャーの人なんか特にだよね」
 オシツオサレツが二つの頭でお話します。
「主力の人がいつも肘の靭帯切って」
「それでチームの成績にも影響するし」
「肩だけじゃないね」
「そうよね」
 チープサイドの家族も言います。
「ピッチャーの人は」
「肘もあるね」
「手首にしても指にしてもそうだね」
 トートーはそうした部分のお話をしました。
「大事だね」
「爪も割れたら大変よ」
 ガブガブはこちらのお話をします。
「それだけで投げられなくなるから」
「先生の言う通りね」
 ポリネシアはその先生を見つつ言います。
「ピッチャーの利き腕は精密機械ね」
「だからこそ大事にしないといけないんだね」
 ホワイティはこのことを強く思いました。
「ちゃんとケアをして」
「さもないとすぐに壊れるものなんだね」
 老馬もしみじみと思いました。
「ピッチャーの利き腕は」
「肩も肘も手首も指もで」 
 ダブダブも言うことでした。
「そして爪もだね」
「全部大事だから精密機械だね」 
 チーチーも思うことでした。
「まさに」
「野球ではピッチャーが一番大事だけれど」
 最後に言ったのはジップでした。
「その利き腕のことはいつも気をつけないと駄目なんだ」
「爪でも割れたらそれで投げられないし」
「血マメも敵たら駄目だし」
「そう思うとね」
「先生の言う通りよ」
「ピッチャーの利き腕は精密機械だわ」
「そうだよ、だからね」
 それだけにというのです。
「特に大事にしないといけないよ」
「そうだね」
「他のポジションの人に比べてもね」
「ピッチャーの人がどれだけ大事か」
「そのことを思い知るよ」
「そしてそのピッチャーに優れた人が多いと」
 それならというのです。
「それだけでそのチームは強いよ」
「それがまさに今の阪神ね」
「阪神は昔からピッチャーはよかったけれど」
「それでもね」
「今の阪神は特にそうね」
「先発と中継ぎはちゃんと揃ってて」
「強力無比なストッパーの人もいるから」
 だからだとです、皆でお話します。
「強いのね」
「打線がちょっと打ったら大抵の試合は勝てるから」
「今の黄金時代の前はそのちょっと打つが中々だったけれど」
「今はそこそこ打ってくれるから」
「今の阪神投手陣は史上最強とさえ言われているけれど」
 日本のプロ野球の歴史においてです。
「そこで打線が少し打ってくれてるから」
「優勝出来てるのね」
「連覇も出来ている」
「そういうことね」
「そうだよ」
 まさにというのです。
「要するにね」
「そうだよね」
「ピッチャーが物凄くいいとね」
「そうそう点は取られないから」
「確かにそれだけで強みよ」
「それもかなりの」
「この伝統は不思議な位続いているからね」 
 先生は阪神のこれを伝統と表現しました。
「本当に投手陣が弱かったことは稀だよ」
「阪神の場合はそうなんだね」
「だからいつも投手陣だけはよくて」
「弱くても点はあまり取られない」
「そうしたチームなのね」
「有り難いことにね、ただ」
 ここでこうも言う先生でした。
「打線が弱いこともね」
「そのこともだよね」
「阪神の伝統で」
「強い時は稀」
「今みたいな時は」
「今も強力打線というには足りないよ」
 何が足りないかといいますと。
「ホームランも打率も得点も」
「ソフトバンクや西武と比べると?」
「今のこの二チームの打線凄いわね」
「もう打って打って打ちまくる」
「物凄いよね」
「この二チームには劣るから」
 だからだというのです。
「残念だけれどね」
「やっぱりもう一人強力なバッターが欲しいね」
「彼はそうなってくれる可能性があるんだね」
「そして只でさえ強力な投手陣をリードしてくれて」
「余計に強くしてくれるんだ」
「きっとそうしてくれるよ」
 こう言ってでした、先生はその人の練習を見続けました。そうしてお家に帰ると今度はトミーにこんなことを言われました。
「先生、野球ゲームについてですが」
「日本のだね」
「これが凄く面白いみたいなんです」
「どんなタイトルかな」
「実況何とかプロ野球っていいまして」
「面白いんだ」
「そうみたいなんです」
 こう先生にお話します。
「どうやら」
「そういえば僕はゲームはしないね」
「そうですよね」
「どんなゲームもね」
 野球ゲームだけでなくです。
「そうだったよ」
「いつも学問に励んでおられて」
「それでね」
 このことがとにかく大きくて、です。
「ゲームはね」
「されないですね」
「どうもね」
「はい、ですが」
 それでもとです、トミーは先生にお話しました。
「こうしたゲームも文化ですよね」
「そうだよ、貴重なね」
「そうですよね」
「だからやがて日本のゲームについても」
「日本の文化の一つとして」
「研究したいね」
 こう言うのでした。
「そうも考えているよ」
「そうですか」
「そしてね」
「論文にもですね」
「書きたいね」
 こうも考えているというのです。
「やがては」
「ゲームも文化で」
「学問の対象だよ」
「そうなんですね」
「それに」 
 先生はさらにお話しました。
「日本のゲームの面白さはね」
「そのことは、ですね」
「折り紙付きだからね」
「面白いゲームが多いですね」
「だからね」
 それでというのだ。
「研究するには」
「楽しいですね」
「そうなると思うよ」
「そうですか」
「特にね」
「特に?」
「ファミコンの時代のゲームがね」
 こちらがというのです。
「よさそうだね」
「ファミコンですか」
「そう、ファミコンの頃のゲームがだよ」
「確かファミリーコンピューターでしたね」
「正式な名称はね、今のゲーム機の先駆者で」
 そう言っていいものでというのです。
「今から見ると容量もかなり小さくてね」
「ゲームとしてはですか」
「やはり今から見るとかなり小さいというか」
「そうしたゲームばかりですか」
「単純なね、けれどね」
「その単純なゲームがですね」
「物凄く面白いみたいだね」
「そうなんですね」
「そう、だからね」
 それでというのです。
「若し日本のゲームについて研究をしてね」
「論文を書くのならですね」
「その時はね」
「ファミコンのゲームをですか」
「重点的に調べたいね」
「そう考えておられますか」
「一メガもない様なゲームも多くてグラフィックもレベルが低くてというゲームが多かったけれど」 
 それでもといいうのです。
「それがね」
「面白いんですね」
「そうみたいだしね」
 だからだというのです。
「一度研究してみたいね」
「ファミコンのゲームこそですね」
「その頃のゲームこそね」
「そうですか」
「そう考えているよ、じゃあ今日の晩ご飯は何かな」
「豚カツです」
 トミーが先生にすぐに答えました。
「あと菊菜のおひたしと山菜のお味噌汁、お漬けものです」
「いいね、じゃ早速ね」
「晩ご飯をですね」
「食べよう」
 こう言ってでした、先生は実際に皆と一緒に晩ご飯を食べました。今日の晩ご飯もとても美味しいものでした。








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