『ドリトル先生の野球』




                第二幕  リトルリーグ

 王子は先生のお家にお邪魔して和菓子やお茶を楽しみながら先生達とお喋りをしていました、その中で。
 ふとです、王子は先生にこんなお話をしました。
「この前グラウンドで子供達の野球を観たんだ」
「遊びかな」
「いや、リトルリーグだよ」
 そちらだとです、王子はトミーに羊羹を食べつつ答えました。
「そちらの野球だよ」
「そっちだったんだ」
「いや、観ていてもね」
 王子はトミーに笑顔でお話しました。
「面白いね」
「野球は」
「ラグビーやサッカーやラクロスもいいけれど」
「イギリスの球技もだね」
「野球もね」
 こちらの球技もというのです。
「観ていて面白いね」
「それで観て楽しんでいたんだね」
「丁度時間があったしね、ただね」
「ただ?」
「ユニフォームがね」
 そのチームのそれがというのです。
「派手だったんだよね」
「どんなのだったのかな」
 先生が王子に尋ねました。
「それで」
「帽子と上がオレンジで下が白だったんだ」
「昔の日本ハムのユニフォームみたいだね」
「北海道のチームだね」
「昔は東京ドームが本拠地でね」
 先生は王子のその日本ハムのお話もしました。
「そうしたユニフォームだったんだ」
「オレンジだったんだ」
「調べたらね、それで派手でも格好良かったね」
「いいユニフォームだったよ」
 オレンジのそれがとです、王子は先生ににこりと笑って答えました。
「とてもね」
「センスがあったね」
「そうしたユニフォームだったよ」
「ユニフォームもよし悪しがあるからね」
「日本のプロ野球でもそうだよね」
「高校野球でもだね」
「僕が好きな高校野球のユニフォームは」
 どの高校のものかとです、王子はお話しました。
「この前見た奈良県の高校でね」
「どの高校かな」
「学校の名前は忘れたけれど」
 それでもとお話した王子でした。
「上下白で帽子が紫の」
「ああ、天理高校だね」
「あの学校のものだったんだ」
「高校野球で上下白で帽子が紫は」
 このユニフォームはというのです。
「天理高校だよ」
「あの学校なんだ」
「そうだよ」
「最近奈良では智弁が強いよね」
「和歌山の方もね」
「それでも天理も強くてね」
 それでというのです。
「僕も見たけれど」
「いいと思ったんだね」
「センスのいいデザインだとね」
「そうだね、僕もあの高校のユニフォームはね」
「いいと思うんだね、先生も」
「かなりね、あと八条学園高等部のユニフォームも」
 こちらもというのです。
「上下白で帽子はマリンブルーだね」
「それで感じで八が入ってるね」
「あのユニフォームもね」
「好きなんだね」
「そうだよ」
「うん、あそこもいいよね」
「そうだね、それでプロ野球は」
 これはといいますと。
「どのユニフォームが一番いいか」
「昔の日本ハムのユニフォームもだね」
「こんなユニフォームだったんだ」
 先生はご自身のスマートフォンを出してでした、王子のその昔の日本ハムのユニフォームを見せました。
「そのリトルリーグのチームのものに似てるかな」
「殆どそのままだね」
 王子は先生にすぐに答えました。
「はっきり言って」
「そうなんだね」
「センスあるね」
「オレンジの使い方がいいですね」
 トミーも画像のユニフォームを観て言いました。
「このユニフォームは」
「全くだね」
「僕は九十年代の横浜のユニフォームが好きですが」
「日本一になった時だね」
「青と白いラインの使い方がお洒落ですよね」
「そうだよね、あれもいいね」
「他には」
 先生はさらに言いました。
「ホークスのユニフォームもロッテのもいいね」
「黄金時代の西武のライトブルーのユニフォームも」
「どれもいいね」 
 本当にというのです。
「楽天もいいしね」
「日本人の服のセンスでしょうかね」
「うん、全日本のものもいいしね」
「あれも恰好いいですね」
「サッカーのユニフォームもね」
 先生はこちらのお話もしました。
「いいしね」
「サムライブルーですね」
「クールジャパンというけれど」
「その象徴みたいですね」
「僕もそう思うよ」
「そして個人的に一番好きなのは」
 王子が満面の笑顔で言うことはといいますと。
「阪神の白地に黒の縦縞の」
「あの伝統のユニフォームだね」
「あの服シンプルだけれど」
 それでもというのです。
「独特の華があるんだよね」
「うん、ただ恰好いいだけじゃなくてね」
「華があるよね」
「阪神は本当に華があるチームだけれど」
「ユニフォームもそうだよね」
「絵になるんだよ」
「ユニフォームもだね」
「本当にね、あんまりにもいいから」
 だからだというのです。
「多くの人達に愛されているんだよ」
「あのユニフォームもだね」
「そうだよ、阪神はユニフォームまで華があるけれど」
 それでもというのです。
「あのユニフォームが一番華があるね」
「先生もそう思うよね」
「そうだよ、阪神の好きな部分の一つだよ」
 そのユニフォームがというのです。
「白地に黒い縦縞のそれもね」
「そこまで好きなんだ」
「そうだよ、あとね」
「あと?」
「時々復刻されて着ている上下共に黒のね」
「あっ、かなり昔の」
「そう、確か黎明期の頃だったかな」
 阪神というちーむのというのです。
「その頃のね」
「ユニフォームで」
「これがかなりよかったし」
「時々今も見ますね」
 トミーが笑顔で言ってきました。
「復刻ってことで」
「あれは面白いことだね」
「昔のユニフォームを着ての試合も」
「それで僕もはじめて見たけれどね」
「恰好いいですよね」
「上下共に真っ黒とかね」 
 そのユニフォームがとです、先生は笑顔でお話するのでした。
「センスを感じるよね」
「こちらのユニフォームにも」
「本当にね」
「只でさえ絵になるチームがですよね」
「あのユニフォームになると」
 まさにというのです。
「絶妙の恰好よさも出て」
「余計に絵になりますね」
「本当にね」
「阪神程絵になるチームってないね」
「全くだね」
 オシツオサレツも二つの頭で言います。
「いつもこうお話してるけれど」
「実際にそうだよね」
「どんなユニフォームもいいけれど」
「あの黒いユニフォームにはまた別格の恰好良さがあってね」 
 チープサイドの家族もお話します。
「本当に絵になるね」
「昔の阪神の人達は凄くいいセンスしてるね」
「僕は個人的には白の縦縞が好きだけれど」
 トートーも言ってきました。
「あのユニフォームも好きだよ」
「結論から言えば阪神はそこにあるだけで絵になるの」
 そうしたチームだとです、ポリネシアは断言しました。
「奇跡的にね」
「だからどんなユニフォームもかなりいいんだよね」
 老馬の言葉はしみじみとしたものです。
「実際に」
「けれどだよ」
 ダブダブは老馬に言いました。
「その中でもあの黒いのはかなり高得点だよね」
「本当にどうやってあんな恰好いいの考えたのかな」
 ホワイティはそこに奇跡さえ見ていました。
「不思議な位だよ」
「甲子園であのユニフォーム着たら」
 まさにとです、ガブガブは言いました。
「最高よ」
「それで勝っても負けても絵になる」
 チーチーの言葉は笑っているものです。
「素敵だよね」
「じゃあ来シーズンあのユニフォ―ムを甲子園で観る機会があったら」
 最後にジップが言ってきました。
「是非皆で行こうね」
「そうしようね、やっぱりね」 
 何といってもとです、先生は動物の皆に応えました。
「阪神の試合は絵になってね」
「黒いユニフォームもね」
「最高にいいからね」
「皆で観に行こう」
「そうしようね」
「今から楽しみだよ、そういえば」
 阪神のお話をさらに言うのでした。
「今年のドラフトもね」
「いい選手が来てくれたみたいだね」
「ドラフト一位の人もね」
「抜群の人でね」
「期待出来そうね」
「阪神はドラフトでいい投手を獲得出来たら」
 そうなればというのです。
「かなりの確率で上手に育てられるからね」
「これ凄い伝統だよね」
「阪神ならではの」
「甲子園で活躍した人が阪神に入って」
「優勝に貢献してくれたし」
「中西清起投手だね」
 先生はすぐにこの人の名前を出してきました。
「あの人は甲子園で力投してね」
「それを見てだよね」
「阪神のスカウトの人達もこれだって思って」
「それでドラフトで指名して」
「阪神に入ってね」
「大活躍したのよね」
「そうだよ、その力投からね」
 甲子園でのこのことからというのです。
「球道くんっていう野球のモデルになったって説もあるんだ」
「へえ、そうなんだ」
「そこまでの力投だったんだね」
「それで阪神に入ってもね」
「力投してくれたんだね」
「そう言われているよ、とにかく阪神は伝統的にピッチャーがいいんだよね」 
 先生は嬉しそうに言いました。
「だからマウンドを観ることが楽しみだよ」
「好投、力投を観られるから」
「たまにここぞって時に打たれるけれど」
「それもまた絵になるし」
「いいんだね」
「僕はそう思いながら観ているよ、ただね」
 こうも言う先生でした。
「阪神は弱い時でも実は打たれてないんだよね」
「負けるからそう思われているね」
 王子も言ってきました。
「どうしても」
「そう、けれどね」
「防御率自体はいいよね」
「暗黒時代でもそうだったし」
 それにというのです。
「ホームランもあまり打たれてないんだ」
「ここぞって時に打たれるから」
「よく打たれるってイメージがあるだけで」
「その実はだね」
「あまり打たれてないから」
「そうなんだね」
「むしろパリーグのチームの方がね」
 こちらのリーグのチームの方がというのです。
「よく打たれているんだ」
「そうなんだね」
「阪神はインパクトのあるチームだから」
「ホームランを打たれる時もなんだ」
「打った時もそうで」
 こちらの時もそうでというのです。
「打たれた時がまたね」
「絵になって」
「記憶に残ってしまうんだ」
「難儀なお話だね」
「阪神ならではのね」
「いいことか悪いことかわからないね」
「それがチームの魅力であり人気になっているから」
 それでというのです。
「いいか悪いかは」
「人気の面ではいいことかな」
「そうかもね」
「そのことは難しいね」
「というかサッカーで敵に得点を入れられて絵になるチームあるかな」
 先生はお国のスポーツを思い出しました。
「ラグビーでもトライされて」
「ないですよね」 
 トミーが先生の今の言葉に応えました。
「そうそう」
「やっぱりそうだね」
「負ける姿は」
 どうしてもというのです。
「恰好悪いと思われて」
「それでだよね」
「絵になるとは」
「そんなチームはね」
「まず考えられないですね」
「それが決勝点ならね」
 サッカーでもラグビーでもというのです。
「相手チームが絵になって」
「こちらは項垂れてですね」
「敗者の姿となるけれど」
「阪神は逆に敗者の姿でも」
「むしろ相手より絵になるからね」
「凄いですよね」
「日本に来てこんなチームがあるのかってね」
 先生は笑顔でこうしたお話もしました。
「驚いた位だよ」
「やっぱり普通じゃないですからね」
「だからね、僕はそれまで野球に興味はなかったけれど」
 そしてスポーツ自体にもです。
「阪神を観てね」
「阪神ファンになって」
「野球にも興味を持ったよ」
 そうなったというのです、スポーツとは無縁だった先生にとってこれ以上はない変化の一つです。日本に来てからの。
「そうなったよ」
「そうですよね」
「まさかね」
 王子も信じられないというお顔で言います。
「阪神の様なチームが日本にあるとは」
「思わないね」
「夢にもだよ」
 こう先生に答えました。
「思わなかったよ、けれどね」
「その目で観てだね」
「最初は驚いたけれど」
 それでもというのです。
「今はね」
「その驚きがだね」
「応援になっているよ」
「それに変わったね」
「今の僕はね、だからね」
「王子も阪神が好きだね」
「本当にね、ただね」
 王子はこんなことも言いました。
「あのチームはダイナマイト打線だよね」
「打線が強いといつも言われるね」
「打線はそれなりに打つけれど」
 それでもというのです。
「チーム打率も得点もホームラン数もね」
「そう、図抜けていいか」
「大体どれも二位か三位でね」
 リーグ内の順番ではです。
「そんなところでね」
「圧倒的ではないね」
「そう思うよ、僕は」
「僕もだよ」
 先生も思うことでした。
「頼りになる打線でも」
「ダイナマイトというにはね」
「そこまではいかないね」
「そうだね、むしろ本当に投手陣のチームで」
 それでというのです。
「とんでもないレベルの投手陣で相手に得点を許さないね」
「それが阪神だね」
「あそこまでピッチャーがいいチームないよ」
「それが伝統というから尚更ね」
「いいよね」
「僕も思うよ、ただね」
 先生は少し上の方を見ました、それまで食べていた羊羹からは一時にしても目を離してのことです。
「ここでね」
「ここで?」
「誰か頼りになる人が入ったら」
「バッターにだね」
「そうなったら」
 その時はというのです。
「あくまでその人が怪我をしないでずっと阪神にいてくれたら」
「それでだよね」
「阪神の戦力がアップするね」
「頼りになるバッターが一人いたら」
「それで全然違うね」
「そう、だからね」
 それでというのです。
「そうした人がいて欲しいね」
「ポジションは」
 このことを聞いたのはトミーでした。
「何処でしょうか」
「そうだね、キャッチャーかな」
「キャッチャーですか」
「野村克也さんみたいな」
「あの名監督の人ですか」
「あの人が現役時代みたいな。それか」
 こうも言う先生でした。
「古田敦也さんかな」
「あの人ですか」
「あの人みたいなキャッチャーがいたら」
「打ってちゃんとリードしてくれる」
「守備も肩もいいね」
「それで相手チームの分析も凄い」
「そうした人がいてくれたら」
 それならというのです。
「阪神は凄く強くなるよ」
「無敵でしょうか」
「まさに無敵だよ、一人凄いバッターが入って」
 それにというのです。
「そこにだよ」
「名キャッチャーもいたら」
「こんなにいいことはないよ」
「そういえばね」 
 王子もここで言いました。
「阪神が優勝した時は」
「その時はだね」
「いいキャッチャーがいてくれてるね」
「大抵そうだね」
「日本一の時は木戸さんがいて」
「二〇〇三年と二〇〇五年の時は矢野さんだったね」
「その人達がいてくれて」
 それでというのです。
「いい活躍をしてくれたね」
「そう、強いチームはね」
「いいキャッチャーがいることが多いね」
「そうだよね」
「さっき話した黄金時代の時の西武は」
 このチームはといいますと。
「伊東さんがいたね」
「西武やロッテで監督だった」
「あの人がいたからね」
 だからだというのです。
「強かったんだよ」
「強力な投手陣や打線、守備陣に加えて」
「その投手陣の凄いボールを受けて」
 そしてというのです。
「リードして守備のね」
「要だね」
「そうだったからね」 
 こう王子にお話します。
「そしてね」
「西武の強さの一端だったんだね」
「そうだったからね」
 それ故にというのです。
「優秀なキャッチャーはね」
「強いチームには欠かせないんだね」
「どうしてもね」
「一人でもなんだ」
「まあ二人いたらね」
 その時はといいますと。
「万全だけれどね」
「いいキャッチャーが」
「まあそんなチームは殆どなかったけれど」
「殆どといいますと」
 トミーは先生のその言葉に気付いて言いました。
「ひょっとして」
「あるにはあったよ」
「そうなんですね」
「七十年代後半から八十年代前半の近鉄だね」
「あのチームですか」
「あの時の近鉄にはね」
「いいキャッチャーの人が二人いたんですね」
「そう、梨田さんと有田さんだよ」
 この人達がいたというのです。
「二人共タイプは違うけれどね」
「いいキャッチャーで」
「それで近鉄を支えたんだ」
「そういえばその時の近鉄も」
「優勝しているね」
「そうでしたね」
「今の阪神もいいキャッチャーの人がいるけれど」 
 先生はまたこのチームのお話をしました。
「ですが」
「それでもですか」
「そう、あの人ももう三十代半ばで」
「野球選手としては」
「そろそろ引退だからね」
 そうした年齢になってきたというのです。
「だからね」
「そろそろですか」
「いいキャッチャーの人が欲しいね」
「そしてそうした人が入団すれば」
「阪神は強いままだよ」
 そうした人がいてくれればというのです。
「野村さんや古田さんの様な人がいればね」
「そうなりますね」
「何処かにいて阪神に入ってくれたら」
 先生は心から思いました、そうしてでした。
 また羊羹を食べました、そのうえで言いました。
「美味しい羊羹だね」
「そうだよね」
「この羊羹美味しいよ」
「甘くてそれでいてくどくなくて」
「とても美味しいよ」
 動物の皆もその羊羹について先生に応えます、見れば皆も羊羹を食べてお茶を飲んで楽しんでいます。
「商店街の和菓子屋さんのものだね」
「この羊羹は」
「そうだよね」
「あそこで買ったものだね」
「そうだよ」
 トミーが皆に答えました。
「駅前の方の商店街のね」
「あそこの和菓子屋さんでだね」
「買ったもので」
「それを出してくれたんだ」
「そうなんだ」
 トミーは皆にさらにお話しました。
「この羊羹はね」
「やっぱりそうだね」
「あそこの商店街いいよね」
「いいお店が揃っていてね」
「とてもいいね」
「そうだね、八条町は商店街が二つあるけれど」
 先生も言ってきました。
「どっちの商店街もいいね」
「駅前も学園前もね」
「商店街二つあって」
「どっちも賑わっていて」
「観光地にもなっていて」
「いつも賑わってるから」
「最近日本の商店街は」 
 先生は商店街全体についてどうかというお顔で言いました。
「寂れてる場所が多いけれどね」
「商店街は駅前にあるけれど」 
 ここで言ったのはトートーでした。
「鉄道自体が衰退してるからね」
「それで百貨店もね」
 こちらもと言ったのはチーチーでした。
「傾いているし」
「昔は違ったんだよね」
 ジップも寂しそうに言います。
「駅前はいつも賑わっていて」
「いい場所だったんだよね」
「そこにあるお店は全部繁盛していて」
 チープサイドの家族も寂しそうです。
「駅前が一番賑わってる」
「そうだったんだよね、日本は」
「色々なお店もあって」
 ポリネシアも言います。
「商店街もよくて」
「それが鉄道が衰退して」 
 ガブガブは少し俯いた感じです。
「商店街もそうなったから」
「お店は車道に多くなった?」
 こう言ったのはダブダブです。
「今の日本は」
「そんな傾向あるよね」
 ホワイティはダブダブの言葉に頷きました。
「今の日本は」
「列車から車」
 老馬のお顔は考えるものになっています。
「それが顕著になったのかな」
「だから商店街はどんどん寂れて」
「車道にお店が増えて」
 オシツオサレツも二つの頭で考えました。
「百貨店じゃなくてショッピングセンターとかね」
「そういうのになっていったんだね」
「そうだろうね、だから日本全体を見れば」 
 どうしてもと言う先生でした。
「商店街は衰退しているんだ」
「全体から見て」
「そうなってるんだね」
「どうしても」
「日本のものは」
「そうだろうね、しかし」
 こうも言う先生でした。
「ちゃんと努力している商店街はね」
「今もだね」
「ちゃんと繁盛してるのね」
「八条町の二つの商店街みたいに」
「そうなっているんだね」
「そうだよ、商売も努力だから」
 それあってのものだからというのです。
「ちゃんとしていると」
「いいんだね」
「八条町の二つの商店街も」
「繁盛していて」
「こうした美味しいものも食べられるんだね」
「そうなるんだ、しかし」
 こうも言う先生でした。
「この羊羹は本当に美味しいね」
「全くだよ、食べ過ぎてね」
 見れば王子が一番よく食べています。
「太ってしまうよ」
「ははは、嬉しい悩みだよね」
「そうだよね」
「まあ和菓子は全体的にね」
「カロリーは低いね」
「そうだよ、それにね」
 先生はさらにお話しました。
「食べやすいからね」
「そうそう、甘ったるくなくてね」
「適度な甘さだからね」
「食べやすいから」
「お茶にも合っていて」
「いいんだよね」
「そうそう」
 二人でお話します、そしてです。
 先生はお茶も飲んでまた言いました。
「これもね」
「美味しいね」
「お茶があるとね」
「尚更いいよね」
「丁度三時だし」
「先生は三時になると絶対にティータイムだね」
「それがないと」
 ティータイムでないと、というのです。
「駄目だね、だからね」
「羊羹だけじゃなくて」
「きんつばもあるし」
 見ればそちらもあります。
「そばぼうろもね」
「三段であるね」
「和風のティ―セットだね」
「そうだよね」
「やっぱり三時はね」 
 この時間はというのです。
「ティ―セットだよ」
「和風でも中華風でも」
「アメリカ風でもね」
「三時は絶対にだね」
「ティーセットがあって」
 そうしてというのです。
「素敵だよ」
「そうだね」
「若し三時にお茶とセットがないと」
「先生は調子が出ないね」
「そうなんだ、どうもこの辺りは」  
 先生は王子に少し苦笑いになってお話しました。
「イギリス生まれだからかな」
「それでだよね」
「三時になると飲んで食べる」
 そしてというのです。
「それは三度の食事とね」
「同じだね」
「僕にとってはね」
「そうだよね、じゃあ」
「今日も楽しむよ」
「そうするね」
「心からね」
 こうしたことをお話してでした、先生達は。
 皆で和風のティータイムを楽しみました、それからです。
 先生はまた論文を書きますがこの時にです、こんなことを言いました。
「今回の論文は医学についてなんだ」
「ああ、先生の専門分野だね」
「そう、僕は医者でね」
 それでというのです。
「やっぱり論文もね」
「そっちもだね」
「こちらのことがね」
 まさにというのです。
「第一でね」
「それでだね」
「一番書いているし」 
 論文はというのです。
「今回もなんだ」
「そっちをなのね」
「書いてね」 
 そしてというのです。
「楽しんでいるよ」
「そうなんだ、ただね」
「ただ?」
「今度の論文は精神科でね」
「そっちなんだ」
「医学でも専門外なんだよね」
 こう言うのでした。
「書かせてもらうにしても」
「いい論文を書けるか」
「そのことがね」
 どうしてもというのです。
「自信がないよ」
「そうなんだね」
「精神科の論文は前にも書いたことがあるけれど」
「その論文もなんだ」
「どうもね」  
 これがというのです。
「いいものが書けるか」
「そのことについては」
「自信がないね、けれどね」
「論文、学問ならだね」
「やっぱりね」
 それならというのです。
「全部楽しいから」
「先生は学問ならだよね」
「全部楽しいから」
 先生は王子にそのことはと答えました。
「苦痛ではね」
「ないよね」
「そうなんだ」
 自信がなくてもというのです。
「そこは違うよ」
「楽しんでいたら」
「それならかな」
「いいんじゃないかな」
 こう先生に言うのでした。
「自信がなくても楽しいなら」
「僕自身がだね」
「それでいいと思うよ」
「そうだね」
 実際にとです、先生も応えました。
「じゃあいいものを書けるかどうかは置いておいて」
「それでだね」
「書いていくといいよ」
「調べてだね」
「そうしたらね」
「うん、じゃあね」
「そうして書いていくね」
 王子に答えました。
「これから」
「そうしてね」
「精神科の人もちゃんとね」
「勉強してるね」
「日本でもそうした人が多いね」
「そうだよね」
「中にはおかしな人もいるけれど」
 先生は少し首を傾げさせてこうも言いました。
「どうもね」
「というと」
「いや、時々テレビに出ていて」
 そしてというのです。
「ツイッターでも呟いてる」
「そうした人がなんだ」
「いてね」
 それでというのです。
「おかしなことばかり言ってるんだ」
「そうした人って何処でもいるね」
「あまりにもおかしくて」
 その言ってることがというのです。
「この人本当にね」
「ああ、精神科医か」
「それがね」
 どうもというのです。
「疑問に思う様な」
「そうした人もいるんだ」
「そうなんだ」
 実際にというのです。
「これがね」
「精神科医なのに」
「本当にそうなのかってね」
「普通精神科医っていいますと」
 ここで、です。トミーも言ってきました。
「そうした人をですね」
「観るね」
「そうですよね」
「それがね」
「そうした人がいて」
「僕もね」
 どうにもというのです。
「おかしいってね」
「思いますか」
「うん、だからね」
 それでというのです。
「時々疑問に思うよ」
「その人そんなにおかしいですか」
「昔は美人精神科医とか言われていたけれど」 
 その人がというのです。
「今ではね」
「おかしなことばかり言う」
「そんな人になっているんだ」
「そうですか」
「そんな人で」
 それでというのです。
「僕も見ていて本気でね」
「精神科医かってですか」
「その人を見て思うよ」
「そこまで酷いんですね」
「もう言ってることがね」 
 それこそというのです。
「何から何までおかしくて」
「それで、ですか」
「そう思っていて今では人相もね」
「それもですか」
「変わったよ」
 昔は美人と言われていたのにというのです。
「かなりね」
「そうなったんですね」
「そう、そして」
 それにというのです。
「漫画のキャラクターみたいな」
「漫画のですか」
「あえて荒らした風に描いているギャグ漫画のね」
 その様にというのです。
「そんな風になったんだ」
「生き方って人相に出ますよね」
「どうしてもね」
「それで、ですか」
「その人もね」
「人相が変わって」
「そんな風になってるよ、本当にいい生き方をしないと」
 どうしてもというのです。
「悪いお顔になるね」
「それはあるね」
「そうだね」
「ヤクザ屋さんとかね」
「そうなるよね」
 動物の皆も頷くことでした。
「美形でも誰でも」
「生き方が悪いと」
「人相が悪くなって」
「結果として悪い顔になるね」
「そうだね、思えば」 
 さらにお話する先生でした。
「日本のテレビにはね」
「あっ、人相の悪い人が」
「そうした人もいるね」
「コメンテーターとかで」
「どうかっていうこと言う人で」
「人相の悪い人多いね」
「そうだね、やっぱり生き方がね」 
 どうしてもというのです。
「出てね」
「人相が悪くなって」
「それで人がわかる」
「そんなこともあるね」
「ヤクザ屋さんは生き方が出て」 
 まさにというのです。
「悪い人相になるから」
「テレビのコメンテーターの人も」
「おかしなことばかり言っててやってて」
「人相が悪くなって」
「それが出ているんだ」
「そういうことだね」
 先生はまた言いました。
「本当に」
「残念なことだね」
「といいますと」
「折角この世に生まれてきたのに」
 それでもとです、先生はトミーにどうかというお顔でお話しました。
「悪いことばかり考えて言って行ってね」
「そうしたお顔になることがですか」
「残念だよ、この世に生まれたら」
「いいことをですね」
「そう、考えて言って行ってね」
 そしてというのです。
「いい相にならないとね」
「駄目ですね」
「悪い人はどうしても人相が悪くなってね」 
 そしてというのです。
「目の光もね」
「悪くなりますね」
「いい人の目は澄んでいてね」
 そしてというのです。
「悪い人の目は濁ってるね」
「ですね、よく言われますが」
「とにかくネットで評判の悪い司会者の人がいるけれど」
 今度はこの人のお話をしました。
「その人は三十数年前は凄い謙虚で普通の顔をしていてね」
「目もですか」
「普通だったけれど」
 それがというのです。
「今じゃね」
「全く違うんですね」
「物凄く悪い人相になって」
 三十数年前とは全く違ってというのです。
「目の光もね」
「変わったんですね」
「そうなったんだ」
「そうですか」
「そんな生き方はしないことだよ」
 それこそと言う先生でした。
「絶対にね」
「そうあるべきですね」
「そう、そしてそうした人がテレビに出る人や新聞記者に多いのがね」
「日本ですね」
「ヤクザ屋さんより人相の悪い人が多いよ」
 そこまでというのです。
「童話の悪い魔女みたいな顔の人もいるし」
「魔女ですか」
「そんな風だから」
 それでというのです。
「日本ではマスコミには注意しないとね」
「駄目ですね」
「心から思うよ」
 先生は今も思うのでした、日本のマスコミの酷さについて。素晴らしい国でもそうした部分があるのだとも思いつつ。








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